スズランの花 りんだ 「ブライト、お茶にしましょう」 その声に彼は顔を上げて振り向くと、愛妻・ミライが庭へ続くテラスに置かれた白いテーブルの上に茶器を並べるところだった。 「ああ、少し休もうか」 ブライトは手に持ったシャベルを土に刺すと立ち上がり、両手についた土を払った。 久しぶりにまとまった休みが取れたブライトは、以前から庭に作りたいと思っていた花壇作りにようやく着手できたのである。 庭、といってもほんの数畳ほどの広さで、いわゆる‘猫の額程’の広さしかないものだったが、官舎なので文句はいえない。庭付きの部屋を宛がわれただけでもかなりの高待遇といってよかった。このジャブローにおいては。 庭へ降りることができるテラスにテーブルを置き、花壇には色とりどりの花を咲かせ、庭には芝生を敷き詰め、小さなプールを膨らませて子供達と水遊びを楽しむ、そんな細やかな夢がようやく実現しつつあった。
「かなり広くするのね。」 「本当はもっと大きな花壇にしたかったんだ。」 ミライは作りかけの花壇を眺めると、ティーポットを手にして紅茶を注いだ。りんごの甘酸っぱい香りがほのかに立ち上った。 「アップルティーかい?」 りんごの香りを楽しみながら、ブライトはカップに口をつけた。こういう一時《ひととき》、彼は心が和む。彼女と結婚して良かったと思うのはこういう時だ。 「林檎のむいた皮を捨てずおいて、お湯を沸かす時に入れたの。どうかしら?」 「ああ、美味いよ」 その一言に笑顔で返す妻の姿をブライトは可愛いいと思う。 「もっと前から花壇を作りたかったのだがな。その代わり立派なのを作るぞ。」 「色々あったのだから、仕方がないわよ。でもあまり無理はしないでね? せっかくの休みなのだから。」 「ハサとチェーはお昼寝かい?」 「ええ、今日はご機嫌なのよ。きっとあなたがいるからね。」 ミライが視線を庭先に置かれた植木鉢へとやった。そこには二つの鈴蘭が植わっていた。 「今日中にはあれを花壇へ移そう。…二鉢、だったか? 一つはシャーリーにあげて、あと三つあったと思ったが?」 「ええ、セイラが欲しがったので一つ送ったわ。」 「セイラが?」 「ええ。鈴蘭の話をしたら、私も欲しいって言ってね。」 「そう、か…そうだな。」 ブライトは鈴蘭を眺めながら、そう呟いた。
「速度、ゼロ。機体をベイに固定、メインエンジン停止、JC37着港完了。とっとと積荷を放り出すぞ。ノア、久しぶりにグラナダで遊ぶか? ルリエが美味い店を見つけたんだ」 ベルンハルト・シュネーヴァイス中尉…つまりスノーは右手でクイッとグラスを空ける仕種をし、軽くウィンクをしてみせた。無邪気な相棒の姿にブライトは苦笑を隠さない。 スノーの人懐っこさはピカ一だ。この愛嬌で彼は仲間達に好かれた。生真面目なブライトとは大違いである。 「おまえさんだけで行ってこい。俺はフライトスケジュールを調整しなければならないからな。」 「じゃあ後で合流しろよ。今こっちに来ているヤツらと連絡とる予定なんだ。」 「あまりハメを外すなよ。」 「ノアの心配性は相変わらずだな。ここは将軍様のお膝元じゃないんだぜ。皆、羽を伸ばしてるよ。なーに、ノアに張りついているヤツらも案外、羽のばすんじゃないか?」 「おいおい、あまりはっきりモノを言うなよ」 スノーのあっけらかんとしたモノの言い方にブライトは心底あきれかえった。俺の言動がチェックされているということは、お前の言動も‘彼ら’に筒抜けだぞと思うが、どうせスノーは意に介さない。心配しすぎると禿げるぞと言われるだけだ。まだまだ禿げるわけにはいかない。 「大丈夫だって、この中は。盗聴の電波は飛ばないし、録音しようとしたって盗聴器が仕掛けられていたら重量チェックに引っかかるからね。」 「ま、ここが一番安全だということは分かっているがな。」 ブライトはスノーの肩をポンと叩いた。 軍に監視されたブライトの生活の中で、唯一監視できない場所…それはこのシャトルの中である。シャトルのコックピットは、ブライトの職場であると同時に気楽にできる場所でもあった。
が、それは彼のパートナーが監視の役割を負わないからでもある。ブライトとしては別にスノーが何を報告したところで困るようなことはない。気にもならない。。 反対に、もしスノーが監視の要請を拒んだら…ブライトは一抹の不安を取り除けずにいた、まあ上層部も無理強いはしないだろうし、これ以上の左遷はないでしょうよ、とスノーは大笑いして往なしたものだった。 ブライトが事務所で次のフライトスケジュールと搭載物リストのチェックを終え、そろそろスノーの元へ顔を出すかと書類をまとめたその時、ブライトの携帯電話にメールの着信があった。スノーからだ。‘ノア遅いよ、何やってんの!’とあった。何をやっているも何もこっちは仕事をしているんだよとブライトの口から愚痴がでた。 「ブライト少佐、これからおでーと?」 別のシャトルチームのキャップが小指を立てて、囃《はや》し立てた。 比較的自由な雰囲気のグラナダには‘飾り窓’では有名な場所があり、その手の情報は耳から耳へと伝えられている。 「密会でしてね。」 軽く冗談を返しながらも、ブライトは書類をファイルにしまうと、上着を手にした。着るには暑い。 「おいおい、ブライト少佐には例の彼女がいるじゃないか。一人じゃご不満か? 若いねえ。」 「スノーだろ? 密会の相手は。ルリエとジョンもつるんでいるそうだな。ルリエにあまり飲ませないでくれよ、明日はルナツーなんだ。酒気帯び運転はまずかろう。」 「了解しました、ロアン少佐。ルナツーとはまたやっかいですね。見張っておきます。」 「変な女に引っかかるなよ、近頃は睡眠薬強盗が流行ってんだ。」 「相変わらず、失業者も犯罪も減らないねえ。」 危険と隣合わせの仕事の合間には気を晴らすことも必要だ。騒ぎを起こさない限り、ここグラナダの事務所内では大目に見られている。格好の息抜き場となっていた。 ブライトはお先にと軽く敬礼をすると、事務所を後にした。
「よっ、待たせたな」 「おせーよ、何やってんだよ。仕事トれ〜な☆」 薄暗い店内で漸く仲間を見つけたブライトは、人を掻き分け、ようやくスノー達のテーブルへたどり着くことができた。店の片隅では真っ赤なドレスの女がピアノに合わせてブルースを歌っていた。中々、上手い。こんな場末のバーで歌うには不釣合いの歌い手だった。 「おいおい、もう出来上がってるのか?」 ブライトがスノーのテンションの上がりっぷりに頭《かぶり》を振った。 「誰だよ、こんなに飲ませたのは。」 「誤解だよ。こいつ、一人で飲むわ飲むわ。ミリシアちゃんがパパっと言ったとかで、それでまあ、感動しちゃって」 「その話ならコックピット内で耳にタコができるほど聞かされたぞ」 ブライトがカウンターに向かって軽く手を上げ、ビールをオーダーした。 「ブライトもまあ、大変だね。コックピットの中はさぞかし地獄だろ。ま、飲んで飲んで」 「はい、お疲れー。」 ブライトはシャトルの不定期便クルーの中でも年若い方だ。 年に釣り合わない苦労と官位のおかげで老成して見えたが、やはり年が近い者の間にいる時は年相応に見える。 一年戦争の英雄だニュータイプだ、超能力者だと言われ恐れる者もいるが、一度打ち解けてしまえば何てことのない、一介の青年である。始めの頃は距離を置いて接していた同僚達もそれが解ると打ち解けていった。 しかし、その最大の功労者はやはりスノーだろう。 ブライトと同僚達の間に存在した蟠《わだかま》りをぶち壊したのは彼である。 「何を話していたんだ?」 「スノーが車で旅行をしたいんだと。で、どんな車がいいかねえ、ということになってね。」 「ミリシアがさあ〜、パパって言うものだから、もう…」 「それならば、あの車はどうだ?」 スノーの親バカぶりを彼らはもう無視した。スノーが家族と車で旅行がしたいという話から始まった話題だが、本人にはお構いなしであれの燃費はどうだの、家族や恋人を乗せるならどれがいいだの、ローンを何年組まなきゃならんだのと検討にも熱が帯びる。近頃は新型車の発表会も行われている。そろそろ自家用車が欲しいと考えている彼らはこの話題に飛びついた。 「ルリエ、あまり飲むなとロアン少佐が言っていたぞ。そろそろ上がるか。」 「あ〜、明日の航路はヤバいんだ。ゴミだらけだろ?」 「ロアン少佐の腕は確かだ。目もいい。大丈夫さ。俺みたいな部外漢とは大違いだ。」 「ノア少佐も最近はよくやるって聞いたぞ。彼女の手ほどきがいいんだろ?」 「俺の教え方が上手いの!」 「お前、習うより慣れろと言って、ニヤニヤしながら見ていただけじゃないか。」 「獅子の親は子を崖から蹴落して這い上がらせるっていうだろ? 愛だよ、愛。」 支払いを済ませた四人がバーを出ると、きわどい衣装を着た豊満な女がキッスを投げてきた。もう一人の女は手すりに足を掛けて太ももまで露にし、ブーツの紐を結び直して、挑発している。その脚線美が素晴らしい。 ブライトは一瞬目を奪われ息を飲んだが、すぐに思い直し、 「さ、行こう」と仲間達を急き立てた。 「次行くぞー!」 「いかねーよ!!!」 「ねえ、おにいさん達、どう? 買ってかない?」 いらないよ、とブライトはにべもなく言い捨てたが、その幼く可愛らしい声にジョンがどんな娘《こ》だろうと興味を引かれて振り向いた。 「買ってかないって、これ?」 「そうよ、これ。」 立ち止まったジョンを引きずっていこうかとブライトも振り向いて、びっくりした。 14,5歳になろうかという少女が籠を手に立っていた。 その籠の中には… 小さな花の苗がいくつか入っていた。
「お嬢さん、こんなところで苗なんか売ってんの?」 「そう。お酒飲むくらいだもの、お金もっているでしょ? ねえ買ってよ。」 「何の花だい?」 ブライトが興味を持ったらしく、籠の中を覗いてみた。 「スズラン。スズランはね、幸せを齎《もたら》す花なのよ。これをプレゼントされた人は幸せになれるの。だから、これを買って恋人さんへプレゼントしてよ。」「そういえば、そんな習慣があったなあ。」 ブライトがぼんやりと思い出した。 「スズラン…ってどんな花だっけ?」 ジョンはまったく思い出せない。 「咲かせりゃ、分かるさ。」 「そういえば、お袋が庭に植えてたなあ。親父から貰ったものだと言って、大切にしてたんだ。」 ルリエは少女の持つ籠から苗を一つ取り出すと、懐かしそうに花を眺めた。 「でもこれ、枯れかかってないか?」 ジョンも花に興味を示したようでルリエが手にした花の苗をしげしげと見つめたが、スノーは花よりも少女に興味があったようだ。彼は腕を組むと少女の様子を観察した。 「お前さん、結構な美人《シャン》じゃないか。この辺は治安もそこそこだが、お前さんのような娘があまりウロつくようなところではないな。いくつ残ってんだ。」 「丁度四つ。今日はお水があげられなかったの。ちゃんとあげれば元気になるから。ねえ一つづつ、いいでしょ?」 「四つか。よっしゃ、このお兄さん達が一つづつ買うか。全部売れれば、今日はネグラに帰るって約束できるかい?」 「もちろんよ。それにパパが残した苗、これが最後なの。売りたくても残ってないのよ。明日から別の商売を考えなくちゃ。」 スノーの言葉を受けてブライトは値段も聞かずに財布から紙幣を取り出すとそれを少女に手渡した。四つ分の代金としては十分すぎる金額だ。 「おい、一つづつ取れよ。俺からの‘プレゼント’だ」 「お、太っ腹、サンクス!」 ルリエが手にしている苗を軽く掲げて、ブライトに謝意を示すとジョンとブライトも苗を手に取り、スノーも残りの一つを手にした…が、苗をチラッと見ると少女の方へ突き出した。 「これ、お前さんにやるよ。な〜に、グラナダ土産は他に買って帰るつもりだ。だから、‘まっとうな商売’を考えろよ。」 少女はびっくりした様子でスノーを見上げたが、ぶっきらぼうな言い方の裏にあるその意味に気がつくと、彼女の面が雪解けのように柔らいだ。少し、その頬を赤らめて。 「ありがとう。何の花か判らないけど、球根があるの。ちゃんと咲いたらまた買ってね」 少女はスノーが突き出した鈴蘭の苗を両手で慎重に受け取った。彼女がスノーから貰った幸せの苗を。彼女は幸福を咲かせることができるだろうか? 少女の状況を考えるとブライトの心は重かった。 売り物に水さえあげられない花売り娘。一瞬、バーの前にたむろする女たちの姿が目の前の少女と重なった。こんな少女が‘まっとう’に生きることのできる世の中は来るのだろうか? 彼女の身の上を案じるブライトの胸中とは対照的に、思いがけなく商品を売り切った女は上機嫌な様子で「良い夜を」と言いながら手を振ると、元来た方向へ駆け出していった。 「やさしいねえ、スノー君は」 ルリエがスノーを揶揄った。澄ましてはいるが、スノーにしては珍しく照れているようにブライトには見えた。 「スノー、これをジャニスに持っていけよ。」 ブライトが手に持った苗をスノーの胸元へ差し出したが、その手をスノーは押し返した。 「いいよ。俺のジャニスはこんなものがなくても十分幸せだからな。ノアこそミライさんへ持っていけよ。彼女にはそれが必要だろ? お前はまだプロポーズしてないしな、ついでに言っちまえよ。」 スノーがブライトの背中を小突いた。 「お? プロポーズする気、あんの?」 「少佐殿はその辺、ウブだからな。」 「さっきもセクシーなガールたちを見て焦ってたしな。がっはっは。」 スノーはブライトの肩に手を回して、ぐいっと引き寄せると、 ♪幸せをもたらすと言われてる花〜 るるる〜ん♪ と何の歌だか解らない歌を陽気に歌いながら、歩きはじめた。
「…ブライト、どうかしたの?」 ブライトは静かに問うその言葉に深い回想から呼び戻された。それはもう何年か前の出来事だった。 自分を見つめるミライの、その眉を顰めて覗き込む様子に彼はしまったと思ったものの、彼女を心配させまいと取り繕った。 「いや…どこに何を植えようかなと思ってね。やはり鈴蘭は手前がいいよな?」 ミライは不信に思ったものの追求はせず、そうねえ…と一緒に考え出した。 「そうそう、これも植えようと思っているんだ。夕べはハサ達にまとわりつかれて、まともに話もできなかった。」 ブライトはテラスの端に置かれたポットのうち一つを取ってくると、テーブルの上に置いて、ミライに見せた。 「あら、チューリップ? もうすぐ咲きそうね。」 「ああ、三つ買ってきた。あの鈴蘭を売っていた女の子に偶然、出会ってね。彼女、花屋の屋台を出したんだ。切花では家まで持たないから、球根ごと買ってきた。」 あの時、あの場所で出会った少女は手にした幸福の苗をしっかりと育てている様子だった。 ブライトの心配はどうやら杞憂に終わりそうで、小さい手で、荒れた手で、苗を育て花を咲かせようとしていた。
ならば・・・ 自分も手にした苗を育てよう 自分の置かれた環境に憂いているだけではいけない ブライトには前向きに生きる花売り娘の姿が眩しかった。 「あなたが心配していた女の子? 花屋さんを開くなんて凄いのねえ。」 「ああ、今度グラナダを訪ねた時は薔薇の挿し木を貰うつもりだ。塀に絡ませようと思っているんだが、どう思う?」 「うふふ、薔薇園だなんて素敵ね。楽しみだわ。」 二人はまだ造り始めたばかりの庭を見やると、完成を思い描いて胸を膨らませた。
《了》 りんださんよりの頂き物小説です☆ 結構、前から口説いていたのをやーっとGETりました★ んでもって、当然のよーに、スノーが出ています♪ 前々からチラッとは思っていたけど、『初めて愛娘にパパと呼ばれて感極まっている姿』はどこぞの大佐の親友の某中佐のよーだ^^; さて、作中の『何の歌だか解らない歌』はトーゼン?『花○子△ン△ン』のイメージつーことで皆さん、歌ってみましょう♪ ……年がバレるな。
2005.01.24. 背景『スズラン』提供 blue dasiy*〜素材のガーデン〜*さま
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