CONSOLATION 何もかもが悪い夢だったら、良かったのに……
目が覚めれば、城に与えられた自分の部屋のフカフカのベッドで、暖かくて、いつまでも離れないでいると、世話焼きのミンが叩き起こしにくる。 顔を洗って、着替えをして──朝ご飯はとっくに用意されている。数え切れないほどの品から、好きなものをばかり選んではミンに好き嫌いは駄目だと煩く小言を言われたりもする。 朝ご飯を済ませると、直ぐにエンドンのところに向かう。朝と夜の食事と寝るのは別だけど、それ以外はずっと一緒だ。 「エンドン!」 「ジャード。待ってたよ」 親友は笑顔で、待っているはずだった。
「エンドン──」 体が痛くて、目が覚めた。飛び込んできた天井は割れ目や染みだらけで、また夢だったと悲しくなる。 ここはデル城ではない。ベッドは信じられないくらいに固くて、掛布はあるだけマシというほどに薄い。まだ慣れないが、痛みは少しずつ、小さくなっている。 ジャードは溜息をつき、目を擦ると、ベッドから下りた。
居候の身のジャードは誰よりも早く起きて、一日の始まりの準備をする。まだ夜明けも遠く、空には星が輝いている頃だ。 竈に火を起こし、湯を沸かしておく。まだ肌寒い季節には暖炉にも火を入れておく。 隙間風が炎に圧される頃、アンナが起きてきて、朝食の用意を始める。 「おはよう、ジャード」 ジャードよりも更に幼い少女はニッコリと挨拶してくれる。どんなに貧しくても、明るさを失わない。いつも笑顔で、よく働く少女だった。 エンドン以外の同世代の子どもと殆ど接したことのないジャードには些か眩しかった。訳もなく、トギマギしてしまう自分に狼狽えたりもする。小さく「おはよう」と返すのが精一杯だった。 鍛冶場の準備も整えるために家を出るが、その前に城を見遣るのも常の習慣だ。木立の合間に城を見渡せる場所まで走り、何か変化はないか確める。 だが、相変わらず、怪しげな霧に包まれたデル城は夜明け前の闇に沈み込んでいる。 一日中、出る霧などない。どう考えても、魔力の働いた霧だった。デル城にそんな真似を仕掛ける者がいるとすれば、それは『影の大王』としか考えられなかった。 ほんの少し前まで、あの城の中だけがジャードの世界だった。放り出されてみて、余りにも狭い世界だったと解った。 ジャードを助けてくれたクリアン老人によれば、彼が物覚えがついた頃には既に城には霧だか霞みだかがかかっていて、人を寄せつけなかったらしい。だが、ここ最近、一層濃くなったようだというのだ。 『影の大王』の影響力が愈々、強まっているということだろうか。一度はアディン王に敗れたものの、長い時間をかけてでも、この国を手に収めることを諦めなかった『影の大王』の魔の手が……。 ジャードは城から持ち出した『デルトラの書』を読み返しては最悪の想像が現実になりつつあるのを感じ、何もできない自分に歯噛みするのだ。 返す返すもあの時、焦って、エンドンに無理強いしようとしたのは失敗だったと悔やむ。 「エンドン……」 霧に包まれたあの城の中で、今、エンドンはどうしているだろう。国が荒れていることも知らず、独り掟にのみ従い、王としての日々を送っていることだろうが。 「……僕のことは、もう忘れてしまったか?」 裏切者だと信じて──あの思い出の木の洞《うろ》に隠した暗号にも気付かずに終わってしまうのか。 ジャードは込み上げそうになるものを呑み込み、城に背を向けた。
鍛冶場の下準備を終え、出てくると、朝陽が顔を覗かせていた。 今一度、城の見える木立の間へと向かう。今度は無理にでも気持ちを落ち着かせて、何か変化はないかと目を凝らす。エンドンからの合図と思しき変化は……。 だが、この日もそれらしいものはなかった。 落胆しつつも、挫けそうになる自分を奮い立たせ、顔を上げる。 「まだ、時間はあるはずだ。エンドンはきっと、気付いてくれる」 言い聞かせるように呟くと、家に戻ろうと振り返った。すると、目の前には少女が立っていた。 「アンナ……どうかしたのかい」 「朝ご飯ができたから、呼びにきたの。そうしたら、ジャードがこっちに行くのが見えたから」 「そ、そう。わざわざ、悪かったね」 行こうか、と家に戻りかけるが、 「ジャード、朝いつも行ってたの、ここだったのね。お城を見に来てたの?」 「いや……」 口籠ってしまうのは警戒しているからだろうか? 命の恩人の、世話になっている孫娘までをも、怪しんでしまうのは行き過ぎとは思うが。 「ジャードは本トにお城から来たのね」 何が言いたいのだろう。ジャードは黙って、家に戻る。勿論、アンナも後についてくる。 「ね、お城って、どんなところ?」 「どんなって」 「夢みたいに綺麗なところなんでしょう? 一度でいいから、行ってみたいなぁ」 確かに綺麗だった。塵一つないまでに完璧に清掃は行き渡り、外がこんなにも荒れていて、民が日々の食事にも事欠いていることも知らず、有り余るほどの料理が毎食饗されていた。 それを知っても、アンナは憧れるだろうか。それとも、クリアン老人のように怒るだろうか。
「ね、ジャードは国王様とお友達だったの?」 さすがに足を止め、息を詰めて、アンナを振り返る。 「何で、そんなこと」 「助けた時、うわ言で名前呼んでたもの。何度もエンドンって。それって、エンドン国王様のことでしょう」 「アンナ。そのこと、外で言ったりはしてないよね」 つい、少女の細い肩を強く掴んで、詰め寄ってしまう。 城から来たことが露見するだけでも、デルの町の人々の見る目は変わるかもしれない。その上、エンドン王の親友などと知られたら──後々、色々とやりにくくなるだけでなく、下手をしたら、手の届かない王の代わりの生贄にもされかねない。 折角、拾った命だ。そんなことで無駄にしたくはなかった。 「ヤダ、ジャードったら。あたしがそんなことすると思うの?」 「…………そうだね。疑って、ゴメンよ」 こんなにも邪気のない笑顔を言われると、肩の力が抜けてしまう。一番の、唯一の親友に信じて貰えず──知らず知らずの内に、人を信じることに臆病になってしまったのかもしれない。 「あ、ゴメン。痛かった?」 「大丈夫。ね、ジャード。本トはお城に帰りたいの?」 「え……」 唐突な問いだったが、そう思われても仕方ないのだろう。毎日毎日、欠かさず、城を見に来ているのは城の生活を忘れられないと思われても……。 「ジャード?」 「帰れないよ。もう……」 ジャードは知ってしまったのだ。城の外の荒廃を。民の貧困を。 仮にエンドンの信用を取り戻し、呼び戻してくれたとしても、何も知らずにいた頃のように、あの中で平然と過ごせるはずがない。 だが──このままではいけない。今度こそエンドンを説得し、『デルトラのベルト』の力で、『影の大王』の脅威を撃ち払い、荒れた国を甦らせ、民を救う。 今は恐らく、この国の誰も気付いていないけど──必ず、絶対に!! けれど、本当に叶うのだろうか。 まだ諦めない。そう心に留めようとする端から、不安が湧き上がる。城から逃げ出し、近寄ることもできない。エンドンももう裏切者など忘れたかもしれないのに! 「大丈夫? ジャード」 「え…、何で」 「泣きそうな顔してるわ」 顔が引きつる。自分よりも幼い少女に、そんな指摘をされるなど! 「そんなことないよ」 ジャードはアンナに背を向け、早足で家に向かう。慌てて、アンナが追いかけてくる。 「どうしたの、ジャード。何か怒ってる」 「別に怒ってない」 「ウソ、怒ってるわ」 「怒ってないってば!」 少女が小さな体を竦ませた。それこそ、泣きそうになっている。一気に怒りは冷める。元々、それは自分自身に向けられたも同然だったからだ。 「ア、アンナ。その……」 宥める方法が解らない。何しろ、同世代の、それも女の子を泣かせたことなど機会すらなかった。オロオロするばかりだったが、 「ゴメンね、ジャード」 不意に、小さな声で謝るのに、ジャードは混乱する。謝らなければならないのは、どう考えても、自分の方ではないのか、と。 「でも、あたし…、いつかジャードはお城に帰っちゃうんじゃないのかなって」 「城に?」 「うん…。そしたら、また、あたしとお祖父ちゃんだけになっちゃう。お父さんが死んでから、二人だけだったから、ジャードが来てくれて、とても嬉しかったの。だから、帰っちゃったら、きっと淋しい……」 少女の大きな瞳に涙が浮かび、更にジャードを慌てさせる。 けれど、少女は笑った。無理にでも、笑みを浮かべるようではあったが。 「でも、仕方ないよね。元々、ジャードはお城の人だもの。それも国王様のお友達になれるような貴族様のお家柄なんでしょう」 「……」 「だから、仕方ないけど、帰る時いきなり、いなくなったりしないでね。黙って、行っちゃったりしないで」 良かったね、と笑って見送りたいから、と……。 ジャードは声もなく、少女を見返す。こんな風に真直ぐに、気持ちをぶつけられることなんて、初めてだった。 そして…、何だろう? この気持ちは。 精一杯の笑顔を向けてくる少女がいじらしく、そして、とても、とても──……。 「お願いね、ジャード」 「う、うん…」 「それじゃ、戻ろう。朝ご飯、冷めちゃうわ」 お祖父ちゃんも待ちくたびれちゃうと、ジャードの手を取った。 傷だらけの働き者の手──だけど、柔らかくて、とても温かい。 ジャードは自分よりも幼い少女に手を引かれながら、自分の手も見詰めた。城にいた頃は手入れをして貰うのを欠かさなかった貴族様の手は、外の鍛冶場で働く内に、随分と変わってしまった。まだ、それほどの時は経っていないのに……。 けれど、デルトラの民は、傷をこさえた無骨な手の持ち主ばかりなのだ。それでも、日々の暮らしは貧しい。 何も仕事もしないで、寝食にも困らず、生きていけるデル城の方がおかしいのだ。 「アンナ……」 「なぁに」 「君も、師匠と同じように、王は愚かだと思うかい?」 嘗て、城の中にいた頃は、あれほど憧れた外の世界。しかし、外を知るほどに、人々と接するほどに絶望も深まる。 王は、王家は本当に民から恨まれていた。信頼は失われて、久しい。 今のままではエンドンも『デルトラのベルト』を着ける資格を失ってしまうのも目に見えている。 あの日、即位式では輝いていたベルト──だが、それも今は高い塔の上だろう。だから、気付かない。気付けない。 恐らく、先王も最後はたとえ、身に着けてもベルトが輝くことはなかったのだろう。 エンドンは、まだ間に合うだろうか。まだ……。 その答えを優しい少女に求めるなんて、どうかしている。それでも、ジャードは聞きたかったのに違いない。『まだ大丈夫だ』と思える答えを……。 「ジャード、お祖父ちゃんの言うことは余り気にしなくてもいいんじゃない」 「でも、あれは師匠だけの意見じゃない。デルの町の人々は殆どが──」 「それでも、ジャードは国王様を信じてるんでしょ?」 「え……」 「だったら、それで良いじゃない。それに国王様だって、きっといつかジャードのこと、解ってくれると思うわ」 どうやら、ジャードがエンドン国王と喧嘩でもして、城を追われたかのように考えているらしい。慰めるように、力付けるかのように、取っていたジャードの手を両の手で握る。 「だって、ジャードがいつも、こんなに心配してるんだもの。気持ちが届かないはずがないわ」 その言葉が真実になるとは限らない。本当に惨い現実だけが待っているのかもしれない。けれど、今は──それが必要だった。 「ジャード?」 アンナが驚いたのも無理はない。ジャードは一回り小柄な少女をしっかりと抱き締めていた。 泣き顔など、見られたくないこともあるが──。 「……ありがとう、アンナ」 まだ、間に合う。まだ、大丈夫。信じて、待っていられる。 いつか、あの城に、エンドンに会いに戻る時を……。
ジャードがデル城内に忍び込む道は、彼が城を出てから七年の後に開かれた。 待って待って──遂に届いたエンドンの合図に導かれて……。
その七年、ただただ目立たず、城を見遣りながら、待ち続けたジャード。親友を信じ、ただひたすらに──……。 だが、それも彼独りでは叶わなかったかもしれない。ジャードの傍らにはいつもアンナがいた。外で得た初めての友だちにして、兄妹のようでもあった少女。 そして、共に支え合える生涯の伴侶へと……。 彼女がいなければ、或いはジャードは全てを諦めてしまったかもしれない。待つことも、信じることも諦めて、無謀な行動に走ったかもしれなかった。 ジャードが国王と世継ぎを助けたことは紛れもない事実。 だが、その影には一人の女性の献身的なまでの支えがあったのだ。 《了》
アニメ終了記念☆ でも、ネタが昔過ぎ。親友の少年時代を書きたかったはずが、何だかジャードとアンナの馴初めのよーな話になってしまった。しかし、本マに、このジャードがあのジョーカーになるとは;;; 相当に『影の王国』で酷い目に遭ったんだろーなぁTT さて、好き勝手な過去捏造ですが、まぁ、こんなモンかな、と。十代半ばほどの少年が独り、それまでは何不自由なく暮らしていたのに、命は狙われ、裏切者の汚名は着せられ、城を追われ──鍛冶屋に転がり込めなかったら、多分、精神的にも生活面でも、保たなかっただろうしね。 クリアンは後継者と残す孫娘がとにかく心配のはず。そこで拾ったのがジャード。何かのお導きか鍛冶仕事もできるし、拾いモンじゃね、こいつは!(あの国王を心配したりと)性格も良さそうだし!? よし、こいつに鍛冶場をオマケで、アンナの将来を託そう☆ とか考えたかどうかはともかく、お陰様で『鍛冶屋のジャード』も誕生と。あー、そう考えると、クリアン老人も国王一家の恩人なわけだなぁ。 『CONSOLATION』はずばり“支え”“慰め”となる人、の意。遠回しな意味として“恋人”の意もあるトコから。まぁ『恋人が支え』って感じ? まだまだ、この話ではそんな仲じゃないけどねー。
そういえば、夏生まれのリーフ、秋生まれのジャスミンは同い年17歳ですが、親世代の年ははっきり出てきません。漫画版では城を追われたジャードは14だったけど、原書でも実は記述ナシ。ただ、ジャードが実父を亡くしたのは4歳の時で、丁度十年後にエンドン即位とすれば、14歳。 七年後、22歳、この年ジャスミン誕生→沈黙の森で、七年過ごし、29で『影の王国』に連れ去られる→どのくらい、『影の王国』にいたかは不明だが、とにかく脱出、記憶喪失→ジョーカーに助けられ、死んだ彼の名を名乗り、レジスタンスに→沈黙の森で生き別れてから、十年後にジャスミンと運命的!?再会。……39歳!? ウッソォ!! 却下★ エンドンも同い年だとすると……やっぱし却下!!! でも、城脱出時の年齢を余り上げると、少年じゃなくなっちゃうから、15,6がギリギリか。それでも、本編時は40くらい……。う〜〜ん;;; デルトラの謎がまた一つ!? しかしまぁ、儚んでしまったアンナさんはともかく、永遠にお若そうなシャーン様は30代でも十分、通用しますな。とにかく、輝の趣味としてはジャードとエンドンは同い年で、ジャードの方が数ヶ月お兄さん、てな感じが良いな、と。 後書というより、フリートークのようになってしまった^^; でも、ページ分割するのも面倒だし(爆) お付き合い、ありがとさんでした^^ 2008.04.03.
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