刎頸の交わり 


 後に『九州征伐』などと呼ばれる大戦《おおいくさ》は激烈を極め、かつては中国地方で激闘を繰り広げた毛利軍と共に、豊臣の軍は合力を求めてきた大友家を支援した。
 さすがに毛利軍は強く、敵であれば、油断もならぬが、味方としては心強いことこの上ない。
 九州を蹂躙しつつあった島津を圧し返し、劣勢にあった大友は息を吹き返した。
 だが、冬を迎えた陣中に於いて、毛利本家を支え続けた“毛利の両川”こと、吉川・小早川の内、兄の吉川元春が新たな年を待たずして、没した。
 元より、隠居の身でありながら、毛利家の安泰と世に平穏を齎すためにとの豊臣軍の軍師・黒田官兵衛の説得に応じた元春は既に病魔に冒されていたのだ。
 この出陣を“死出の旅立ち”と定め、故郷には帰れぬものと覚悟の上だったのは間違いない。
 勇猛果敢なる猛将と称された元春が戦場で華々しく散ったわけでもなく、病に倒れ、床で最期を迎えたことを嘆く者も毛利の家中にはいないでもなかった。だが、何故、隠居の元春が病身を押して、遠く九州ま出てきたのか――重臣たちはよくよく理解していた。
 誰よりも、その意を汲んでいたのが元春の嫡男――名目上は疾うに吉川家当主である吉川元長だった。


「命には使い時がある。そう、黒田殿は申されたとか」
「左様にございまする」
「父上は…、あのような御気性であられた故、唯々諾々とは頷かれなかったでしょうな」
「確かに、御自身のお命の使い方は御自身でお決めになると」
 それほど、前のことではない。既に病に蝕まれていたというのに、強固な意志を示した姿は鮮やかなまでに、官兵衛の脳裏に焼き付いている。
 元長が苦笑を浮かべた。
「それでも、実は黒田殿に大きく心を揺さぶられ、決心もついておられたのです。本当は疾うに、黒田殿を認めておられた」


――官兵衛奴、全く大した奴だ……


 幾度となく、口にしていたと聞かされ、官兵衛は瞼が熱くなるのを感じた。

 中には病床にあり、鬼神の如しとまで讃えられた猛将も嘗ての敵たる秀吉に追随するなど、気弱になったものだと、蔑むような者もいる。
 だが、そんな単純なことではない。
「……お解り戴けたのですな」
 元々は織田の先鋒だった秀吉を元春は嫌っていた。だが、その和睦に際し、毛利を謀《たばか》り、『中国大返し』の策も講じた官兵衛をも、或いはそれ以上に憎んでいたといっても過言ではなかった。
 ところが、
「見事な軍略であり、播磨にこの人ありと謳われた軍師だと認めておられた。黒田殿をお味方に付けられなかったことこそ、我らが失策であったと」
 何しろ、叔父上までが敵わなかったのですから、と肩を揺らせる元長の叔父とはつまり、“毛利の両川”の今一人、小早川隆景だ。智将謀将とも称された父・毛利元就の才を兄弟の中でも最も強く受け継いだと言われている。
 知謀の鏑《しのぎ》を削った隆景は今や、頼もしい僚将と信じている。


★      ☆      ★      ☆      ★


 だが、軍略――調略は戦の行く末も決めかねない重要な面を持ちながら、真っ向勝負を好む武士《もの》たちから見れば、どこか卑怯な振る舞いに通じていると思われる向きが強い。武士の戦いは刀を振るい、槍を突き――やはり、己が力で戦ってこそなのだと。
 軍師は実戦に於いては重用されるが、戦の場を離れれば、むしろ遠ざけられる。あれほど、官兵衛を頼りにしてくれていたはずの秀吉さえもが――『九州征伐』に入る前は些か、距離を置くようになっていたのだ。
 気付かぬ官兵衛ではないが、無論、気付かぬ振りをしていた。殊更に、言い募ることもない。
 ただ、秀吉の態度の変化は子飼いの武将たちにも確実に伝わる。もっとも、若い彼らは戦場の何たるかを知るようになったが故に、全ての先を見通す鬼謀の主である官兵衛をどこかで畏れ始めているのかもしれない。
 そのためか、今は寧ろ、小早川隆景など、嘗ては敵として競った相手こそ、互いの力を認め合っている節があった。
 そして、元春の嫡男たる、この元長も先だっての『四国攻め』での初顔合わせ以来、思いの外、親しげに話しかけてくる。


「黒田殿…、いや、官兵衛殿とお呼びしても宜しいか」
「吉川様は大国を統べられる毛利家を支えるお方。軍師如き、官兵衛と呼び捨てで構いませぬ」
「されど、御同輩ではありませぬか。豊臣の大軍の動きを定めるほどのお方で、五万石の大名でもある。年も、官兵衛殿の方が上のはず」
 確かに、二つほど官兵衛が年上ではあった。
「どうか、官兵衛殿も、某のことは元長とお呼び下され」
 などと、裏表のない晴れやかな顔で言うのだ。最近は、このように接してくる者が少ないため、些か面食らう。

 吉川元長は父・元春同様、勇猛な働きを見せる武将だった。当主の身で、最前線にも出るが、決して無謀ではない。戦況を見極める目も持っているようだ。
 反面、右筆を用いずとも、美しい筆の跡《て》の書状が届けられたのには感嘆したものだ。


「某も父上と同じようにしか戦えませぬ。されど、真に父の如くはいかぬ。まだまだ、若輩者故」
「左様なことは――」
「慰めは無用に存じます。その程度は弁えております故。この元長では、家臣どもを安心させてやること、未だ叶わぬ。如何にすれば、父上や官兵衛殿の如く、不安なく戦場《いくさば》に赴かせられるのか、常々、考えておりまする」
「……某とて、ただただ、ひたすらに必死だっただけに尽きまするが」
 官兵衛にも後ろ盾となる父がずっと、いてくれた。主家小寺家との兼ね合いもあり、父・職隆が若くして隠居し、官兵衛は早くに家督を継いだ。それからというもの、我武者羅に主家のために、黒田家のためにと働いてきた。報われないことも多く、結局、主家とは袂を分かつことにもなった。
 それでも、一途に考え、願っていた。
「戦の世が終わり、日の本の国の人々が平穏に暮らしていける世を成さんと、ただ、それだけを……」
 静かだが、熱っぽく語ると、元長は瞠目し、「泰平の世を…」と呟いた。そして、顔を上げ、
「そのために、この元長も働きとうございまする。毛利のためだけでなく」
 力を込めて、やはり熱く語る元長に、心強さを覚えながらも、官兵衛は笑った。
「そう、肩肘張らずとも……。今は毛利家の御為でも宜しいではありませぬか。毛利家が安泰であればこそ、西国は鎮まり、日の本の国全てが平らかとなる日も近くなろうというもの」
「官兵衛殿」
「そのために、お力をお貸しいただきたい。お頼みいたす、元長殿」
 そう名を呼ぶと、年も近い吉川家当主は実に嬉しそうに破顔した。



 長年の僚友だった蜂須賀小六を亡くしていたこともあり、少しばかり年少の新たな同志の存在は得難いものと思えた。
 年が明け、完全に戦況は逆転していた。島津の軍は後退を重ね、降る者も出ていた。名家の矜持はあろうとも、家を絶やすほどに全滅するまで、戦うとは考えにくい。
 或いはこちらから、和睦を持ちかけるのもよい。元より、臣従を求めて起こした軍《いくさ》なのだ。
 そうして、状況を見計らっていた頃だった。小早川隆景の使者が突然、陣に来てほしいとの旨を伝えたのは。


 尋常ではないことが起きた。そんな予感があった。これまで、隆景から、理由も報せずに呼ばれたことがなかったからだ。
 押っ取り刀で駆けつけると、蒼白な顔の隆景に出迎えられた。
「小早川様、一体、何事が」
「官兵衛……。元長が…、元長がっっ!!」
 それ以上、言葉もなく――官兵衛は元長の許に通された。


「…………元長殿。これは一体」
 僅か半年ほど前だ。元長の父、元春が陣中で病没したのは。それと全く、同じように、元長が床に体を横たえていた。
 つい先頃まで、勇猛果敢に戦場で刀を振るっていたとは、とても思えぬほどに窶れ果てていたのだ。
 瞬間的に官兵衛は悟った。悟ってしまった。これはただ事ではない。単なる病などではないと。
「一月ほど前から、体調が思わしくないと言ってはいたのだが、ここへ来て、急激に悪くなってな」
 自身が病に侵されているかのように、苦しげに説明する隆景の声が聞こえたのだろうか、元長は薄らと目を開けた。官兵衛は枕元に膝を突き、顔を覗き込んだ。
「………官兵衛殿。恥ずかしい姿をお見せして、面目もない」
「何を申される」
 力ない声に、我知らず、手足が震えていくのを自覚する。
「微力ながらも、力をお貸しすると、約したというのに……お許し下され」
「気弱なことを…、元長殿らしくありませぬぞ。暫し療養なされば――」
「信じても…いないことを、口にされるなぞ…、軍師殿らしくは、ありませぬな」
 そこで、激しく咳き込んだ。上手く息も出来ないようだった。どうにか、落ち着いたが、絞り出される声は弱々しい。
「悔しい…、悔しくてならぬ。父上に…替わり、毛利を支え、……官兵衛殿をお助けし、泰平の、世を――」
「元長殿。無理に話されるな」
 留めようとしたが、伸びてきた手が官兵衛の腕を掴んだ。思いの外、強い力に顔を顰める。いや、残る力の全てを注ぎ込んでいるのだろうか。
「官兵衛…、殿。何故、某なのか。叔父上でもなく、殿でもなく……何故、この元長などが――」
 まだまだ働き盛りの元長の急な病。いや、最早、病ではないことは明らかであり、それは誰よりも元長自身も察していたのだ。
 毛利本家当主・輝元ではなく、本家を支え続けた隆景でもなく……いや、なればこそ、なのだろうか。
 何れ、隆景にも替わり、本家を支える役目を負うはずだった元長が亡き者となれば、毛利も揺らぐことになるだろう。
 それによって、利する者の手が元長の命を奪おうとしているとしか、考えられなかった。
 なれば、それは何者なのか? 今現在、戦っている島津は――いや、劣勢とはいえ、敵の援軍たる毛利家重臣とはいえ、殊更に元長を狙う理由はないはずだ。
 そうして、導き出される答えは一つしかない。官兵衛の主君か、或いはその側近――……。



「……官兵衛殿。お頼み、したいことが」
 切れ切れの言葉に、我に返る。恐るべき推測は断ち切られたが、決して振り払うことは叶わない。
「何でも言ってくだされ」
「某の跡は…、弟の経言《つねとき》が、継ぐことになりましょう。まだまだ若く、稚気もある。どうか、官兵衛殿。気にかけてやっては、いただけませぬか」
 最早、時もないのかもしれない。せめて、安心させてやるべきなのだろうが、余りにも急な成り行きに、官兵衛ですらが選択できなかった。
 応えれば、即ち、元長の死を肯定することになる。
 だが、
「どうか、官兵衛殿……! 最早、某には叶わぬ、大きな夢を、経言に預けたい。よく、導いてやって――」
 それ以上は言葉も続かない。
 官兵衛は力が失われつつある手を握り直し、耳元に顔を近付けた。
「承知した。元長殿。安心なされよ。必ず…、約定は必ず、果たしまする」
 その言葉は届いただろうか。


 毛利にとっては悪夢としか言いようのない事態だった。
 僅か半年ばかりの間に、“毛利の両川”が一、吉川家は先代・当代の当主を立て続けに失うこととなったのだから。


 しかし、心痛を押し隠し、新たな僚友を亡くした官兵衛も、兄と甥を見送った隆景も戦いに於いては決して、乱れを見せなかった。
 程なくして、島津家は完全に豊臣への臣従を誓った。
 『九州征伐』は豊臣軍の勝利に終わり、日の本の国統一へまた一歩、近付いたといえよう。



――泰平の、世をなさんがために……


一緒《とも》に見ようと願った、そんな大きな夢を、
決して夢で終わらせぬようにと――……。


 だが、この国を遂に統一した秀吉はやがて、海の向こうへの出兵を決める。『唐入り』である。
 無論、官兵衛は言葉を尽くして、翻意を求めたが、聞き入れられることはなかった。
 泰平の世のため、支え続けてきた主の豹変に失意するのみで、辞した官兵衛に声をかけてきたのは大老の一座を占めることとなった隆景だった。
 その隆景の背後には今一人、従う者がいた。
 どこか、亡き元春や元長の面影を感じさせるのは吉川経言──この後、生涯、刎頸の交わりで結ばれることになる後の吉川広家である。



 鉄砕&真也の中の人な出合君・祝☆大河出演♪ から、とんだ妄想捏造炸裂★ 勢い余って、シブで上げました。で、直ぐにこっちにも上げ上げ☆
 ともかく、まずは出合君、祝☆大河出演。……まぁ、正直、あんまり出番はなかったけど。まぁまぁ、役柄からしても、仕方ないけど^^;;;
 吉川元長――吉川元春・広家の狭間で、二人に比べると、やっぱり知名度は低いのか……な???
 五大老にもなった小早川隆景の兄・吉川元春が『九州征伐』陣中で没した半年後に、まだ40なのに、病死してしまった元長。時代が時代とはいえ、疑えば、色々と疑えるわけです。

 「あの元長、病死しそうにない」てな感想が上がっているという(情報源・早乙女さん)出合君の元長に、あれよあれよと、妄想物語が出来上がってしまいました。
 一応、臣従はしたけど、西国に大勢力を持つ毛利家はやはり油断ならない。元春が死に、隆景も何れは退場するだろうとなれば、次代の“両川”の要となるのは元長だから、今の内に排除しておこう、とか何とか。
 実際、秀吉は毛利家に養子を送り込もうと画策したりして、実質的に乗っ取ろうともしてますからね。まぁ、これは隆景が小早川の養子にと引き取ることで、話を収めたけど。
 ただ、それがあの小早川秀秋なのだから、面白い。

 ここでの官兵衛と元長の関係は完全に妄想捏造ですが、跡を継いだ弟の広家と官兵衛はその後、本当に親交を深めて、やり取りされた書状なども結構、残っているようです。
 で、関ヶ原の頃には夫々、後世に逸話の残ることをしているのですから、やはり面白いですね。

2014.09.02.
(Pixiv投稿:2014.08.30.)

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