風 花

「リネ、眠ったかい」
「えぇ。お腹いっぱいで、よく眠ってるわ」
 愛娘は何の不安もないように、スヤスヤと優しい眠りを満喫している。
 ・・・・もちろん、本当に何も感じていないわけではないだろう。遠く離れた故郷、全てを管理された月とは余りにも違う世界──地球・・・・。
 彼らの意思など、まるでお構いなしに半ばは強引に連れてこられた。どんなにか、不安だったろうか。彼ら入植者を守ると称した軍隊ディアナ・カウンターは結局、当てにならない。
 ただただ、戦いに明け暮れ、野蛮人と見下した地球人と対立するだけで、戦火が鎮まる気配など、微塵にもない。
 彼らは自分の身は自分で守らねばならなかった。
 そして、それでも、今となってはこの別天地が彼らの生きる世界だった。
 ディアナ・カウンターが南へと移動し、当初の『入植地』であるイングレッサ領ノックス周辺は忘れられた形になってしまった。
 だが、一般帰還民である彼らには移動する術などない。交渉を待たずに勝手に張り巡らした頼りないフェンスが、土地を奪われ、家族を奪われた地球の人々の激しい怒りや憎悪から、自分たちを守ってくれるとは誰も思っていなかった。
 軍に取り残された誰もが報復を恐れ、フィールドテントに閉じこもっていた。
 ・・・だが、当然と予想された最悪の展開には至らなかった。
 或いは久しく忘れられていたはずの流血の夜の記憶が、恐れを喚起したのかもしれない。
 もしくは領主《ロード》の組織した私設市民軍ミリシャの過剰反応ともいうべき戦い振りと、周辺地域に被害を出す結果に辟易したのかもしれない。
 また、西のルジャーナ領に発した一つの動きが大きなうねりとなり、イングレッサにも及び、救いをもって、彼らに導きを示したこともあろうか。
 そのうねりの中心となっている青年はキースといい、クーエンたちとも面識があった。いわば、命の恩人の一人だったのだ。
 一時は音信も途絶えていたのだが、
「そうそう、キースさんからまた、手紙がきているわよ」
「そうか! あぁ、レーチェ。コーヒーを頼めるかな」
「分かったわ。待ってて」
 手紙を渡し、レーチェはコーヒーを淹れ始める。やがて、香ばしい香が立ち込める。鼻腔をくすぐる香を先に楽しみつつ、クーエンの目は開いた文面を追っている。
 読み終わる頃合に、レーチェがカップを持ってきた。トレイの上にはカップが二つ。
「あなた。さぁ、どうぞ」
「ありがとう」
 レーチェも向かいに座り、まずはカップに口をつける。どちらともなく、一息つく。
 一般的な嗜好品であるコーヒーは特に贅沢な代物でもなく、誰でも口にできるものだ。だが、月にはなかった。大体、嗜好品などという栄養にもならない食料品は概念さえなかったのだ。
 少なくとも、一般臣民にとってはこの地球で初めて、接した未知の味だった。
 そして、今では一日の労苦を労り、二人で一杯のコーヒーを飲むのが習慣になっていた。
「──それで、キースさんは何て?」
「あぁ。農閑期の間だけでも、パン工場の手伝いをしてくれないかって、書いてある」
 読み終わった手紙を渡し、長い息をつく。
 レーチェも一通り目を通し、丁寧に畳み直した手紙を封筒に戻した。
「いいお話じゃない。本格的な冬に入れば、農場では何もできなくなってしまうのでしょう? それに他の人たちも一緒にって、言って下さっているし」
「うん・・・・本当にありがたいよな」
 感謝も足りないとはこのことだろう。
 キースは大怪我をした本来の店主である親方にかわり、その一人娘とともにパン屋を切り盛りしている。朝から晩まで、骨惜しみなく働き、しかも、中々の商売上手でもあり、この厳しい情勢下で店を守るどころか大きくしているのだ。
 特にその段にあたり、使用人も増やしていくわけだが、出身に拘らないのだ。家や仕事を失った地球人はもちろん、軍のやり様に幻滅し、入植地を捨てたものの行く当てのないムーンレィスなども無理なく雇用していく。
 むろん、パン屋だけでは受け入れられる人数には限界があるが、パン屋だけでパンができるわけはない。関連する仕事口を世話し、その輪を広げているのだ。さらには孤児や老人などの面倒も見て、周辺一帯では静かに信用を深めつつあるそうだ。
「・・・・あの若さで、大したものだよなぁ」
 しみじみと思う。
 とにかく、キースは地球人だろうとムーンレィスだろうと、赤い血の流れる人間であるのにぬ違いはないと見ているのだ。そんな人間が食うものにも住む場所にも困らない──つまりは人としての最低限の生活が営めるようにしていきたいと心底、願っているのだろう。
 そんな彼の仲立ちもあり、ノックス近郊のムーンレィスも孤立せずに済んだのだ。
 混乱が極まれれば、辛うじて無事に残されていた畑まで失いかねない。それではあっという間に迫ってくる冬を、ともども越せなくなってしまう。それより、とにかくも協力し合い、収穫を待つ畑の作業の人手に加わってもらえばいい。
 むろん、何もかもが初めから、巧くいったわけなどあるはずもない。ただ、皆が再び、明日を見定められるようになり、少しずつ少しずつ・・・・距離が狭まり、協力できるようになった。
 そして、今では確かにぎこちなさは残るものの、親しく普通に話しかけ合うようにもなった。コーヒーにしても、最初は彼らに勧められたのだ。
 双方が努力をした。だが、それも核となる存在が心の中にあるからだと思うのだ。
「キースさんか・・・・ひょっとしたら、彼も月の生まれなのかもしれないな」
 ポツリとした呟きにレーチェが目を瞠る。
「キースさんがムーンレィス?」
 個人のフィールドテント内では誰も聞き耳を立てているはずもないが、つい声を潜めてしまう。
「君はそう思ったことはないかい? あのロランさんの友人でもあるし」
 “ミリシャの白ヒゲ”──機械人形のホワイトドールを操るパイロットはムーンレィスだが、誰であれ、人の命を蔑ろにする者を許さないと、その出自を明かした。
 クーエンらは酷く驚いたが、ロランは人というもの、命というものに対し、心底、心優しい少年なのだろう。そして、キースはそれを知っていた。ロランが何者なのかも、その心根をも。
 ロランについては今回の地球帰還との名分の、一方的な植民に先立ち、月生まれの生体が厳しい地球の環境下で、いかなる影響を受けるのか。変化変調が生じるのか──その調査目的で、この北アメリア大陸でも、あちこちに送り込まれた献体ではないか、と思われる。この話は極秘でも何でもない。積極的に養い子を献体に志願させようとした親は珍しくなかったからだ。
 そう・・・ 科学に支えられた衛生的で進歩的と讃えられた月の世界はどこかが狂っていた。
 衛生的といいつつ、出生率は極端に低く、また、寿命も決して長いとはいえない。生体は完全に管理され、人工冬眠機で年齢分布まで制御される。それでも尚、実の親が子供を育てられずに養子縁組の義務が突然、生じることも多い。
 しかし、義務だけで子供を育てられるはずがない。今、クーエンは我が子を原始の星といわれる地球で抱く度に思い知らされるのだ。この温かさが何故、月の世界では冷えるのだろう。
 だが、この惑星では何もかもがエネルギッシュだ。月の六倍の重力や、ムーンレィスが密かに恐れる雑多な菌やウィルスなどの存在にも決して、負けない力強い生命力に溢れている。
 ディアナ・カウンターは、だから、地球人は野蛮なのだというだろう。
 だが、原始の生命の姿に近いということが野蛮なのではあるまい。むしろ、自然なのだ。科学や医学の名の元に、命を歪めすぎたムーンレィスは不自然でしかなく、異形の生命かもしれない。それは技術面にもいえる。
 確かに地球の技術は遅れている。一度、失われたものをそこまで復興させたような結果なのだから当たり前だ。その上での戦力が劣ったものであるのもまた、当然の帰結だ。そして、その力で戦うのを野蛮とか蛮勇とかいうのでもない。
 ならば、ムーンレィスはどうなのだろう。圧倒的に優れた戦力をもって、しかも、行使するのに何の躊躇いも見せないではないか。対等にあるなら、まだしも、明らかに力の劣る相手をその力でねじ伏せようなどと──それが精神的に野蛮でなくて、何なのか?
 どのように言葉を飾ろうと、結局、彼らディアナ・カウンターの行いは『侵略』以外の何物でもないと、当事者だけが気づかない。
 結果、振り回されたのは一般臣民だった。
 それは地球側にも近い心情があった。領主とミリシャとの思惑とズレ──そのためにミリシャは暴走したも同然だった。制御しきれない軍隊を作った領主にも複雑な思いを抱く。
『上の連中こそ、勝手なことばかりをする。我々はただ、日々を平穏に暮らしていきたいだけだ』
 本当に細やかな願い・・・そんな共通の、共感し得る心情を認め合ってもいたのだ。
 そして、それを全力で体現しようとしているのがキースだ。その彼もひょっとしたら、ムーンレィスの献体だったのかもしれない、と。
「仮にそうだとしても、私たちにとっては問題ではないわ。ただ・・・」
 それが事実だとして、裏切られたと思う者がいないとはいえまい。その時、まとまりかけた輪が呆気なく崩壊してしまうかもしれないが、
「まぁ、憶測で話を進めても仕方ないよな」
「そ、そうよね。ところで、パン工場の話はどうするの」
「私はいいと思うな。明日にでも早速、皆に話してみるよ」
「きっと、喜ぶわよね」
「あぁ・・・特に、この冬の仕事は極端に少ないだろうからな」
 ──戦争のせいで!
 一瞬、目を伏せたレーチェは窓の外を見やった。
 厳しい冬の忍び足が聞こえるだろう夜を・・・ 。
「あら・・・」
「どうした?」
 思わず立ち上がったのは窓の外に、白い影を見たように思えたからだ。
「何かしら? 屋根からパラパラと落ちてるみたいだけど」
「屋根から?」
 その視線をクーエンも追い、並んで窓の外を覗き見た。よく目を凝らしてみる・・・。
 確かに白いものが落ちてきている。ただし、屋根からではない。黒い空から舞い降りてくる。
「あぁ・・・あれは、きっと雪だよ」
「雪? あれが雪?」
 月の都市での人工的な気象は雨くらいしかなかった。話には聞いていたが、大いなる自然現象が真に自然に起こる地なのだと改めて知る。
「・・・・綺麗ね」
 声もなく、クーエンも頷く。
 何と神秘的な光景か。そして、こんな光景は恐らく数えきれないくらいに、この世界の何処《いずこ》かに隠されているはずだ。ここはそういう広がりのある世界なのだ。
「つもるかしら」
「どうかな。まだ、そんなには降らないんじゃないかな」
「そうなの?」
 少しばかり、残念そうだ。
「時期的にね。そう聞いているよ。でも、慌てなくても、あっという間に一面の銀世界になるだろうさ」
 それは地球人の農業仲間に聞かされたのだ。その前に必要なことは済ませるようにと注意された。・・・・好意をもって。
 それにしても、一面の銀世界とは!? 想像するだけで心が躍る。どんなに美しかろう。
「あ、でも、畑が雪に埋まっちゃったら、後が大変なんじゃない?」
 妻の心配にクーエンは苦笑した。
「春になれば、自然に溶けるさ。それに雪に閉ざされるのは畑にも必要なんだよ。それで、畑が十分に休めるんだってさ」
「ふぅん・・・・巧くできてるのね」
 心底、感心したように呟き、レーチェは再び窓の外に目を向けた。
 少しだけ、寒さが厳しくなったように感じられ、さらに二人は身を寄せ合った。

 ・・・雪の欠片の舞いは続いている。
 フィールドテント内からの光を微かに反射し、一瞬の煌きで暗闇を裂き、消えていく。
 それは正に冬の斥候。
 雪と呼ぶには余りに量が少なく、地に舞い落ちると、すぐに乾いてしまっていた。
 決して、つもることはない、雪の破片。
 だが、やがて、その“風花”は長く届くようになり、冬を呼び込むのだ。
 同時にいつか訪れる春の便りを秘めているともいえるだろう。
 雪に閉ざされた世界は静かに春を迎える準備をしているのだから・・・・。

☆      ☆      ☆

「クーエンさんの返事はどうだった?」
「手伝えるって。ありがたいよ。これで、もう少し、店を拡張できるかな」
「そうね・・・・でも、ちょっと、急ぎすぎじゃない? キース」
 ベルレーヌが窺うように尋ねたが、
「そんなことはないさ。今だって、結構、手狭になってるのは事実なんだから。でないと、注文を捌き切れなくなる」
「でも、パンはタダからはできないのよ。小麦粉だって、これ以上は増やせないでしょうし」
「分かってるよ。だから、この冬は余り大きく手を広げる気はない。でも、クーエンさんたちのノックス周辺の畑でも小麦は育ててる。来年からでも、それを店に回してもらえるようにできれば、状況も違ってくるだろう」
「え・・・。それで、クーエンさんたちに?」
「それもあるし、それだけでもないさ。持ちつ持たれつ──その上、少しでも多くの人にパンが行き渡るようになるなら、願ってもないだろ」
 キースは汗を拭いながら、言った。その弾みで、手の粉が頬についた。

《了》

    季節はめぐる・・・

 日本のように、はっきりとした季節の移りかわりがあると、示される言葉も多様化します。特に単なる気象用語ではないものは柔らかく暖かみを感じます。中でも、“風”“雪”に関する言葉は好んで使ってきたので、それこそ風のようなロランの声で、時を風に準えるかに、その行方を見せてくれるような『∀ガンダム』予告は楽しみでもありました。
 そのロランの声に『ガンダム』の少年主人公ではでは初めて、少年を女性が当てていたのが意外でしたが、どうも“少女めいた少年”──両性的もしくは無性的を良い意味に解釈したため、のように受け取れました。“美しい少年”といわれてはケンカするカミーユが思い出され、その違いがまた、一つの可能性かもしれない、とも・・・。しっかし、よもや女装するとはねぇ^^

 さて、とりあえず夏コミ(99年)では見てるだけだった『∀ガンダム』 その絡みネタが一話しか出ていない家族の(皆さん、覚えてるかなぁ)その後とは、いかにも輝ですが、彼らは入植者の代表のような存在でしょう。
 後に「技術者が“月”と訣別し、ミリシャ(地球側)に流れていった」ように、農民も“月”や暴走した連中とは別に生活していく術を見出そうとしたのでは? との考えが浮かびました。
 また「ムーンレィスの技術者が地球の祭に参加した」とか「キースが間に立ち、和解と団結に努めている」といった小さな設定の積重ねがこの作品です。
 一部には小説版からの発想もあります。(襲撃されちゃう悲惨なバージョンもあるけど)

『1999/12/25発行 コピー誌・後記より抜粋編集』


 結局、最初で最後の『∀ガンダム』作品でした。12月ということで、まだTVも終わっていなかった(ロランたちは月にも行ってなかったか)ので、読みが思いっきし狂ったりもしました。
 月が小説版などでイメージしていた以上に明るいのに目が点。屋台まで出てるなんて・・・(汗)
 最終回が『黄金の秋』 よもや、冬がくる前に決着がつくとは・・・・・・(大汗)

 さらに映画化も決定し、また話題にも出てくるでしょうね。
 しかし・・・二日、行かなきゃならんのか。(イデオン方式? といった人がいて、大笑いした)

2001/10/23 


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