選択肢


 賑やかな雑踏の中に佇む自分は、どのように人の目に映るのだろう。
 浮いているのか、目立ちもせず、馴染んでいるのか。埋没しているのか。

 二年程前、一度、この国──オーブ首長国連邦は戦乱に遭った。国の全てではないにせよ、焼かれて、国も民も傷を負った。
 だが、二年間の復興活動で、かつての賑わいをこうして、取り戻している。少なくとも、彼が立つこの街に戦いの傷跡を見出すことはできない。
 行き交う人々の顔にも憂いも恐れも、不安も何もない。
 明るい笑い声が至近距離に弾け、ハッとした時には駆けっこをしていた子供の一人がぶつかってきた。
「と…っ」
 よろめいたものの、さすがに倒れたりはしない。追いつ追われつで、子供たちが駆け去っていくのを見送ると、その方向から旧知の人物が近付いてきた。彼──ノイマンを呼び出した人物だ。
「よっ」
「お久しぶりです、曹長」
 いつまで経っても、見慣れない私服姿のマードックが苦笑する。
「止めてくれよ。地球軍時代の階級なんて、意味ないだろ」
「そうですね」
 とはいうものの、他に呼びようがないな、とも思う。こんな時、階級というのは非常に便利なものだ。
「元気にやってるかい」
「えぇ、まぁ。程々に。そうちょ……いや、マードックさんはどうです?」
「……無理せんでいいや。何か、お前さんにさん付けされるのも、くすぐったくてならない」
 整備のツナギ姿しか思い出せない相手が幾らか伸びた髪をガサガサとかき回した。

 彼らは地球軍最新鋭艦アークエンジェルのクルーだった。
 だが、アークエンジェルは前大戦では脱走艦の扱いになっている。無論、クルーは脱走兵だ。軍にも故郷にも戻れず、大戦時のツテもあり、戦後はオーブに身を寄せていた。
 とはいえ、大手を振って歩ける身でもなく、夫々、偽名を使っているほどだ。尤も、拘束や監視をされているわけでもないので、比較的自由な暮らしぶりといえる。
 整備責任者だったマードックはラミアス艦長と共に、アークエンジェルの生みの親でもあるモルゲンレーテの技師として働いていた。
 一方、ノイマンはモルゲンレーテに預けられたアークエンジェル改装の際、操舵士として必要があれば、呼ばれて、協力する程度だったが。それ以外ではオーブの一市民として、ひっそりと暮らしている。
「それで、どうしました? わざわざ呼び出すなんて」
 いつまでも挨拶やら世間話やらを続けていても、仕方がない。
「あぁ…、艦長からお呼びがかかった」
「艦長から……」
「状況は道々、話すから──」
「艦を、発進させるんですか」
 周囲を慮り、声を潜める。それでも、マードックは慌てた。
「こんなとこで、口にしてくれるな」
 とにかく、と二人はマードックの車に乗り込んだ。
「艦長たちは、そのつもりで準備している」
「しかし、何故また、そんな」
「理由は幾つかあるんだが……」
 溜息をつく理由も直ぐに察せられた。
「ラクス嬢が狙われた?」
 ノイマンの驚きも半端ではない。ラクスとはかつての“プラントの歌姫”だ。プラントの市民に絶大な人気と影響力があり、前大戦の終結にも尽力した。浮世離れしたお嬢様と思いきや、水面下で反戦活動を行っていたのには驚くよりも呆れるばかりだった。
 戦後はやはり、オーブに隠れ住んでいたが、つい先日、その住居が謎の集団の襲撃にあったという。正体は不明でも、モビル・スーツまで持ち出してきた連中がコーディネーターの特殊部隊であったのは間違いがなかった。
「オーブの方針が変わって、コーディネーターも居づらくなるだろう? だから、坊主たちはプラントに移ろうかと考えていたらしいんだがな」
 それもその襲撃でお預けとなった。プラントの何者かの意思が関わっているだろうとの予想は誰にでもつく。虎子が得られるとも限らないのに、虎穴に入る者はいない。
「しかし、それだけでアークエンジェルを? また襲われるかもしれないと考えているんですか」 
 ただ、身一つで逃げるには危うすぎるので、アークエンジェルという最強の鎧を纏うというのか。だが、今や、アークエンジェルはオーブの、モルゲンレーテの管理下にある。如何に元艦長とはいえ、勝手に運用することはできないはずだ。
「始動に関しては適当に理由を作ってある。一寸したテストだってな」
「周到ですね。で、他にも何か企んでるんですか」
「企んでるなんて、人聞きが悪いな」
 などと言ったものの、僅かにマードックの口許も引きつっている。その理由や如何に。

「カッ、カガリちゃんを攫う!? マジですかっ」
「声がでかいっ」
 車内といえ、安心はできない。しかし、そんなことにも気にかけてはいられない。
「本気ですか。仮にも国家元首を──それも結婚を控えた花嫁を強奪……?」
「坊主はそのつもりなんだと。艦長たちもまぁ、協力する気だ」
「そりゃ、キラくんの気持ちは解らないでもないですが」
 キラとはアークエンジェルで生死を共にしたパイロットの一人だ。というよりは彼の奮戦により、綱渡りのような戦いをアークエンジェルは生き抜いてきたといっても過言ではない。
 そして、オーブの元首たるカガリはキラの姉でもある。もう少し複雑な関係ではあるようだが、実の姉弟であるのは間違いない。
 その姉は諸外国、特に大西洋連合との外交に苦しみ、その挙句に連合との同盟推進派のセイラン家と結婚話が進められてしまった。元々、婚約者ではあったらしいが、しかし、話が浮上してから具体化する時間が余りにも短く、彼女を知るノイマンは驚いたほどだった。
 カガリには好き合った恋人もいるというのに──尤も、その存在が更にカガリを追い詰めてしまったのかもしれないが。コーディネーターで、かつてのプラント評議会委員長の息子で、ZAFTの一員でもあったその彼、アスランは今、オーブにはいないと聞いている。
 キラとアスランもまた親友同士だ。だから、キラは行動を起こす気になったのだろうか。
「しかし、カガリちゃんの気持ちはどうなんですかね」
「どうって、そりゃ、無理矢理結婚に追い込まれたようなもんなんだから」
「だとしても、彼女は自分で決めたことじゃないんですか。それは俺たち外野が力尽くで、どうこうしてもいいものなんですか」
 マードックは意外そうに、目を瞬かせた。
「何だよ、お前さん。それじゃ、あのお嬢ちゃんを見捨てるってのかい」
「見捨てるというわけでは……ただ、それで何が変わるのかと思って」
 カガリを攫ったところで、太平洋連合との同盟は既に規定路線だろう。
 前元首の娘で前大戦の英雄とまでいわれるカガリだが、やはりまだ国を治めるには幼い。他の閣僚の協力なくしては果たせない。元々、彼女が元首の座に収まったのも、彼女自身の政治能力よりも、戦乱で傷付いた国や民を鼓舞する旗頭としての意味合いが強いのだ。
「だったら、お嬢ちゃんだけでも助けてやってもいいんじゃないか」
「国家元首に国を棄てろと迫るんですか?」
 マードックは車を止め、ノイマンに体ごと向き直る。
「反対なのか。この作戦には協力できない。そういうことかい」
 即答できず、視線を受けかねたノイマンは目を逸らした。
「お前さんが来ないとなると、色々と考えなきゃならんことも多くなる。その気がないなら、そう言ってくれ」
「……曹長は、迷うことなく、いけるんですか」
 とにかくも平穏な今の生活をも捨てて、また先の見えない航海へと、その身を委ねられるのか。
 腕の立つ整備士は広い肩を竦めた。
「オマケみたいなもんだろう。今の俺たちの人生なんて」
 あのヘリオポリスで、アラスカで、ヤキンで、戦場のどこかしこで、戦死していても不思議ではなかった。その何れもがキラの奮戦で、道を拓いたのではないか?
「確かにこいつは坊主の我がままかもしれんが、付き合ってやるしかないかなって思うだけさ」
「止めるのも道じゃないですか?」
「じゃあ、お前さんが説得してみろよ」
「……ズルいな」
「大人はズルいもんだろう? 意外とお前さんは青いんだな。ま、童顔だしな」
「童顔は余計です。大体、関係ないでしょう」
「悪かった悪かった。とりあえず、出すぞ」

 再び走り出す車の窓から、黙り込んだノイマンは外の景色を眺めている。流れていく風景にある人々は元首の結婚に心浮き立っているようだ。皆が晴れやかな顔をしている。
 だが、それはそれで面白くない。一人の少女が自分の想いとは別に、身を縛られようとしているのだ。国のため、民のために──……。
 それは勿論、求められるべき立場にある者でもあるが、しかし、何故、彼女でなければならないのか。そういう疑問は湧いてくる。
 真直ぐで喜怒哀楽が激しく、自分の思いに忠実で──大切な者のためなら、無茶なことも平気でやる。
 そんな彼女が己を殺そうとしているのだ。
「堪らないな」
「何だ?」
「いえ……」
 眉を上げただけで、深入りはせず、マードックは話を変える。
「さっきの話だが、お前さんが来ないと言えば、作戦は中止になるかもしれないな」
「どうしてです」
「アークエンジェルを手足のように扱えるのはお前さんしかいないだろうが。その腕が絶対に必要だってことだよ」
「そうでもないですよ。改装で、モルゲンレーテのスタッフも随分とシミュレートをしていましたし」
「そういう問題じゃないんですよ、ノイマン少尉。ことは信用に関わるんです」
 いきなり、上官に対する口調に改めるものだから、ノイマンはマードックを見返してしまった。
「艦長もキラも、少尉の操艦でなきゃ、安心して動けないってことですよ」
「……信用、ね」
 そう評されるのは操舵士としてのプライドを充足させはする。とはいえ、それだけで己の運命を預けるほどの勇気もない。
「信用、か」
 もう一度、口の中で言葉にしてみる。

 不意に蘇ってきた言葉があった。
 決して、忘れていたわけではない。忘れないように務めてきた。
 それでも、平穏な日常に薄れつつあった記憶が唐突なほどに、鮮明になる。

『アークエンジェルと、艦長を宜しく頼む』
『お前なら、絶対に大丈夫だ』
『心配はしていない。私はお前を信じているからな』

 艦を離れる時、彼女はそう言ったのだ。
「あぁ…!」
 何よりの言葉だった。胸の奥底が疼き、それ以上に感慨深かった瞬間を思い起こす。

「少尉…、少尉! どうしたんです」
 身近な声が何故、こうも遠いのだろう。気が付くと、いつの間にか、また車が止まっていた。体を揺さぶるマードックをぼんやりと見返すと、妙に心配そうな顔をしている。
「どうしたんです、曹長」
「──そりゃ、こっちの科白だ。急に何の反応もなくなるから、焦っちまったぜ」
「あぁ、済みません。それより、早く車を出して下さい」
「え?」
「決めましたから。……俺も、この作戦に協力します」
 整備の要があんぐりと口を開き、呆然とするのも仕方がないだろう。気を取り直して、車は出したものの、当然の疑問は口をつく。
「また、いきなり決断したもんだな。あんなにゴネてたくせに」
「ゴネてたわけじゃ。ただ、大事なことを思い出したんですよ」
「大事なことって?」
「……頼まれていたんですよね。艦と艦長を頼むって」
「頼む、って……それって、まさか──」
「情けないんだろうけど、俺にはそういう理由しか、ないのかもしれません」
 酷く遠い目で語るノイマンに、マードックは言葉もない。
 だが、理由などは個人個人のものだ。他人が口を挟める筋合いでもないのだろう。
 そして、何より重要のはノイマンも共に来る──そういうことなのだ。
「艦長たちも安心するでしょうよ。しかし、仮にも国家元首を“ちゃん”呼ばわりとはな」
「最初に話した時にそう呼んじゃったものだから。アスハの姫と判って、改めたら、何でか怒るんですよ」
「ハハハ、お嬢ちゃんらしい気がするねぇ」
 互いに迷いがないわけではない。吹っ切るようにアクセルを踏み込み、車を加速させた。



 祝☆『ノイマン再登場in種2』の再登場シーンより☆
 ノイマンたちが動き出したのもアークエンジェルの飛翔(オマケに潜水;;;)も、それはそれで喜んで見ていたが、ストーリィは超展開だったよなぁ。
 とりあえず、輝にできる限りの『好意的解釈』って奴ですな。本当に困ったもん だ★

2005.04.14.

トップ 目次