特等席 照度の落ちた艦橋《ブリッジ》。 長い苦闘の旅を乗り越え、漸くアラスカ本部のドックに落ち着いたが、解放感には程遠い気分にクルーは曝されていた。味方の基地にやっと辿り着いたはいいが、艦内待機を命じられ、一時下艦すら許されないのだ。長い休息に入ったものと思うにしても、先が見えなさ過ぎる現状に、逆にクルーも疲れている。 幾人かの転属令が出たが、補充要員が来るでもなく、アークエンジェルの次の任務も明らかではないというのは些か異常だった。 ……尤も、アークエンジェルの次の任務など、転属してしまう自分には最早、関係ないのだが。
独り、艦橋で当直を務めていると、要らぬことを考えてしまう。ナタルは深く嘆息し、顔を上げた。殆どの機器の電源が落とされ、静かなものだ。 ふと、右前方に目を遣る。今は無人の操舵席……。立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。 常にこの席に在り、この艦の舵を取ってきた友人は今頃、夢の中だろうか。 彼だけではないが、苦しい戦いもクルーたちと力を合わせて、乗り切ってきた。だが、翌朝《あした》には艦を離れる事実に、否応なく寂寥感に苛まれる。 我知らず、溜息が零れる。疲れているわけはないはずなのに、妙に体が重く感じられる。そのまま、操舵席に腰を下ろした。 視線を上げれば、艦窓の向こうにはドックの味気なくも冷たい壁が見える。 思えば、操舵席《ここ》に座ったのは初めてだった。後方の艦長席より、幾らか低い目線で、外が見える。ほんの僅かな違いのはずなのに、新鮮に感じられた。 「……いつも、ここから見ていたのか」 全ての光景を……。 静かな宇宙も、晴れ渡った青空も、広漠なる砂漠に、嵐に荒れ狂う海原も…、 そして、それらを舞台に繰り広げられる激烈なる戦闘の有様、その全てを──……。 基本的にCICにいることが殆どのナタルは目にできない光景も多い。特に戦闘中は。 背後でドアが滑る音が意識を引き戻す。振り返れば、この席の主が入ってきた。 「どうした、少尉。寝《やす》んでいたのではないのか」 「あぁ、勿論。でも、目が覚めてしまってね。ホラ、差し入れ」 「ス、スマン」 差し出されたバスケットを受け取ると、ノイマンは隣の副操舵手席に座った。 「翌朝《あした》には転属なのに、わざわざ、当直を買って出ることもないだろうに」 「最後だからだ。荷造りに時間をかけるほどの荷もないしな」 「それもそうか。で、どうした? こっちに座ってるなんて、珍しいな」 「珍しいも何も、初めてだ。どういう目線なのかと思ってな」 「フゥン」 ノイマンは柔らかな視線を振り向けると、微笑んだ。 「……良い席だろう?」 「ドック内では何とも言えん」 「確かに、目の前にあるのが、あんな無機質の壁じゃなぁ」 一頻り笑うと、酷く優しい表情が掠める。どんな光景を思い出しているのだろうか。 「でも、どこよりも世界《そと》が良く見える気がする。この艦が進み往く…、宇宙も空も、砂漠や海…、全てが美しいよ」 「戦闘中でも、そう思えるのか」 「え?」 訝しげに見返される。自分は今、どんな顔をしているのだろうかと、一瞬、気になったが、問いかけるのを止められない。 「恐ろしくはないのか。目の前で、戦火が飛び交う中を……」 「操舵手に、それを尋くか?」 「それは…、まぁ、そうだが」 「まぁな、全く恐ろしくないといえば、そりゃ嘘になるが、それで操艦を誤ったことはないつもりだぞ」 「分かっている。お前の腕には実際、何度も助けられた」 時には大胆な作戦や機動に出たこともあるが、それもノイマンの技量あってこそだ。そういう意味では、ラミアス艦長の方がナタルより、ノイマンを信頼しているのかもしれない。 「だが、俺はここから、ずっと見てきた。多くのことを…。これからも、だけどな」 ナタルは黙り込む。自分は──もう直ぐ、この艦を離れる。転属になる。この任務に着く前から、ずっと一緒にやってきたが、ノイマンともここでお別れだ。 少し迷ったが、確かめておきたかった。 「お前の方には、情報本部から直接、連絡があったということはないのか」 「いや。忘れられたか、それとも、一応はこの艦を気遣ってくれたのかな」 「しかし、ヤマト少尉とケーニヒ二等兵がMIA。フラガ少佐までが転属では、この艦には戦闘要員もいなくなるというのに」 「だから、せめて、操舵手くらいは残しておいてやろうってことだろう? そもそも、アークエンジェル級を扱った奴は他にいないんだしな」 未だ姉妹艦のない新型艦なのだから──だが、本当にそれだけだろうか。そんな疑問も生じるが、口にするのは憚られた。 でも、副操舵手《コ・パイ》だけは補充して欲しいな、と続けるノイマンをナタルはまともに見られなかった。 目を逸らすように視線を転じれば、ドックの光景が見えるばかりだ。だが、 「……これからも、ここから、か。──アーノルド・ノイマン少尉」 今度は真直ぐに友人であり、信頼できる部下でもある青年を見返す。改まって、名を呼ぶが、それは本来、彼の名ではない──だが、今この場では、『そう』呼ぶことにこそ、意味がある。 「アークエンジェルを頼む」 「バジルール?」 「艦長を、頼む」 「──」 「子供たちを…、頼む」 他の何者でもない。アークエンジェル所属、操舵手たるアーノルド・ノイマン少尉としての彼に、この艦の後を託したい。そう望むのは勝手だろうか。 だが、ノイマンは席を立ち、端正な敬礼を施した。 「了解しました」 言葉少なに、だが、いつもと変わらない微笑で……。 どれだけ、今日まで心強いことだったか。それを彼は知らないだろう。 だが、これからは──自身の心は自身でのみ、護らなければならない。 ナタルは今一度、艦窓の外を眺め遣った。今は味気ない光景でしかないが、これまでの道程の、艦の進むべき先が、この窓の向こうには開けていた。 「……本当に、良い、席だな」 叶うことなら、他の光景をもう一度、見たかった……。
もう一度──艦長席から右前方に目だけを向ければ、操舵手がシステムのチェックをしている。だが、それは彼ではない。 あの艦《アークエンジェル》の姉妹艦であるドミニオンだ。微妙な艤装の違いはあるが、艦内設備の配置は殆ど同一だ。だから、今、艦長席を下りて、操舵席に近付けば──あの時、望んだ光景を見られるはずだった。 なのに、その気になれない。 同型艦の同じ艦橋の操舵席。それでも、見える光景は──明らかに違うような気がしてならなかったのだ。 「あぁ…。良い席、だったな」 苦笑を噛み締めつつ、目を閉ざすと、瞼の裏にはあの艦橋の情景が一瞬、甦った。
ドミニオンが漆黒の海に沈むその瞬間まで、ナタルが操舵席に近付くことはなかった。
うわ、ド久々のノイナタです。なんと二年ぶりに新作です。明るい話にしたかったんだけど──切ない感じになってしまいました^^; 微妙な七夕モード? 『良い席』=『特等席』のつもりです。台詞で『特等席』と言わせると、何か、わざとらしすぎるように感じられたもので。
2009.07.07. |