 その日   宇宙世紀0079年、ジオン公国を名乗るサイド3の地球連邦政府に対する独立戦争は、後に『一年戦争』と呼ばれる。その戦争状態が約一年で終結したからである。
  その幕引きの場になったとされるのがジオンの宇宙要塞『ア・バオア・クー』を巡る一戦であった。要塞攻略にかかる連邦軍と防御するジオン軍の戦いは正に熾烈を極めたと云う。  小競合いは続いたとしても、両軍の最大にして最後の衝突は『ア・バオア・ク・クー』での戦闘が最終決戦とされたのは事実だ。  歴史を決めた一戦ではあるが、果たして、その日その時──両軍の将兵に、これが真に最後の戦いになるのだという意識があったか否か。  但し、己にとっての最後の戦いになりかねないだろう。そんな覚悟だけは持っていたかもしれない。  その時、両軍を巡る状況が如何にも厳しかったことだけは確かなのだ。 
 
  「駄目だ! 前に進んじゃ、駄目だっ」
   アムロが、叫ぶ。 「あれは、憎しみの光だ」
   悲痛な顔で、切羽詰まったような声で、
  「あれは、光らせてはいけないんだっ!!」  叫んだままに、宇宙が、光った。 
 
 
  
   あらゆる驚愕も畏怖も、恐怖さえ凍らせる一瞬だった。アムロ・レイが察知したように、レビル将軍の本隊は光の中へと沈んでいった。  その光が敵の長距離攻撃であることは伺い知れた。連邦側がソロモン戦に於いて、使用したソーラ・システムの強化版のような兵器だろうと予想はされる。  ただ、その正体を掴むことは然程、重要ではない。第二射の可能性は考慮すべきだが、今は残存艦隊の集結と状況確認、そして、当初の最終目標である敵宇宙要塞『ア・バオア・クー』への進攻が可能か否かという点のみが問題だ。  そして、ホワイト・ペースは自らが基点となり、敵の攻撃を辛うじて免れた艦が一艦、また一艦と姿を見せた。
 「大分、傷付いている艦があるわね」  操舵輪を握るミライ・ヤンマの声も暗い。直撃を受けた艦は全て爆散した。その余波を食らい、本隊に向けられた攻撃の凄まじさを、その生々しい傷痕からも見て取れる。  とりあえず、指令を下しているルザルも混乱していると見え、情報は大して入ってこない。  ブライト・ノア艦長は急いても始まらないと腹を括り、全艦に第二戦闘配置のまま待機するように命じた。  そして、ブライトは通信席に目を向ける。フラウ・ボウと話していたアムロが離れていく。  ブライトもキャプテン・シートを蹴り、そのアムロの傍らに降り立つ。何事か、と冴るアムロをエレベータ通路への入口付近へと引っ張っていき、 「アムロ、部屋に戻って少し休め」  更に驚いた顔をしたのも当然か。 「でも、ガンダムの整備が」 「オムルたちに任せておけば、心配はない」  少年は、僅かに言い澱んだ。 「第二戦間配備中でしょう。軍規違反ですよ」 「そんなもん、バレなきゃ、いいんだ」 「────」  アムロが言葉に詰まり、表情の選択に苦慮している。大きな目を更に見開いて……。  全く、曾ては艦を纏める拠り所を軍規にのみしか、求められなかったものを──変わったものだと、ブライド自身でさえが思う。  そして、アムロは目を伏せ、一つ息をつくと、可笑しそうに笑った。 「横になるだけでも違いますものね」 「そういうことだ」  とはいえ、眠れはしないだろう。つい数刻前の戦闘では敵のニュータイプ専用機“エルメス”との激闘を演じ、遂にはこれを撃破した。  だが、アムロはその敵のニュータイプ・パイロットとの共感を果たしたらしい。それはミライが仄めかしていたことだが。  戦闘によってか、ニュータイプ同士の共感によってか。或いはその唯一の相手の死によってか──高められ、拡大した認識力は本隊の危機をも『予知』した。  恐らくは今も昂ったままだろう。ブライトは元来、繊細な少年を危ぶみもする。  だが、人の生き死にを浴びるように感じ、傷付いた瞳は、それても、光を宿している。  単に少しばかり年長者でしかない、指揮官であっても、出撃していく彼らを信じることしかできない自分には、解ったようなことは何一つ言えないのだ。 「状況が変わったら、呼ぶ」 「ハイ、了解しました。艦長」  アムロはきっちりと敬礼を施し、エレベータヘと消えていった。  ブライトの彼なりの気遣いを、アムロが確りと受け止めているとは、ブライトは知らない。  ただ、彼は艦長として、次の指示を出した。 「ブライト?」  シートに戻ったところにミライが問うように呼びかけるが、軽く手で制し、インカムを取る。パイロット待機室を呼び出す。 「セイラ、全員、そこにいるか」 「えぇ。アムロ以外は」 「奴なら休ませた。君たちも一度、部屋に戻っていいぞ」  インカムの向こうとこちらに、一寸した沈黙。 「第二戦闘配置中は所定の位置で待機していなければ、マズいのではなくて?」 「アムロと同じようなことを言うんだな」 「誰だって、同じ心配をするわよ」 「なら、同じ返答だ。バレなきゃ、構わん」 「大胆ね」 「誰も知りやしないさ。クルー以外はな」  セイラも微かに笑ったようだ。 「でも、敵襲があったら?」 「今、この宙域で襲われることはない。敵は、ア・バオア・クーで待ち構えているんだからな」  まだ、ホワイト・ベースは集結の基点となり、動けない。 「今の内だぞ。少しても、休めるだけ休んで、英気を養え」 「英気をね……。了解。二人とも喜んでいるわ」  通信を切る。勿論、全クルーにも相互に休息を取らせることとする。但し、ブライトは艦橋を離れるつもりはなかった。 「ブライト、本当に大丈夫?」 「敵襲の心配なら無用だよ。ギレン・ザビは無駄なことはしないからな」 「……そうね」  可能な限りの備えをした上で、傷付いた窮鼠を迎え撃つ構えを整えている筈だ。  厳しい戦いが待っているのは間違いないが、しかし、ミライはこんな状況下でも冷静に、全体を見渡して指揮するブライトに、曾てない程の安堵を覚えたものだ。 「まぁ、そういうわけだから、ミライ。君も部屋で休んでこいよ。バンマスを呼ぶ」  彼自身は? その問いもミライは呑み込んだ。  ルザルとの連絡もある。艦長たる彼が艦橋を離れられる筈もなかった。  せめて、彼のクルーに対する気遣いを無にしない為にも、ミライは有難く、休息に入った。 
  
   白い艦ホワイト・ベースを目標とし、地球連邦軍残存部隊が結集する。次第に艦艇数は増していくが、大半が程度はあれ、傷付いている。  WBはレビル本隊との合流が遅れていた為に、直接の被害は免れたが、直前の戦闘で、やはり損傷は受けている。当然ながら、武器弾薬類も消耗していた。
  満身創痍ともいえる連邦艦隊の後方から、急速に接近する光点があった。コンペイトウから発した補給艦隊だ。  それは予定された任務だったが、宇宙の常闇の中に次第に浮かび上がる同胞の有様は正に目を覆いたくなるものだった。  既に一部の艦では補修作業が行われている光も見えるが、とてもではないが、そんな余力などありそうもない艦も目についた。 「酷いもんだ」  補給艦の一艦を預かるロアン・スーライ大尉は□にせずにはいられなかった。 「あんな状態の艦ばかりで、本当にア・バオア・クーに挑もうってんですか」 「策は、それしかないんだ。今を逃す訳にはいかないからな」 「しかし、特攻でもあるまいし」 「いや、正しくカミカゼ精神かもしれんぞ。レビル将軍らの弔い合戦という思いもな」  ロアン大尉は首筋を摩る。背中を冷汗が流れるようだ。 「せめて、今少し態勢を整えてからという訳にはいかないんですかね」 「無理だな。時機を失うだけだ。ジオンにこそ、その時間を与えてしまうのは命取りになる」  未だ、地球圏にある程度、分散する連邦艦隊を呼び寄せ、再編するのは可能だが、その時間がジオンにも同様に働くことになる。  あの防御を今現在以上に固められては厄介すぎる。攻略は現時点でさえ、難しいのだ。  更には士気の問題もある。今はまだレビル将軍の弔い合戦、失われた多くの将兵の敵討ち、などと戦意高揚に利用できるが、何れは総指揮官を失った現実からの士気の低下を招くだろう。 「だから、その前に決着を着けたいのさ。それと、もう一つ無視できないのが地球上のジオン部隊だな」  オデッサ作戦以後、かなりの敵を掃討したが、完全ではない。アフリカやオーストラリアなど、未だにジオン軍が強い勢力圏を有する地域もある。中には地球を脱出しようとする部隊もあるのだ。  睨みを利かせる為に、『ア・バオア・クー』攻略戦に合わせ、軌道艦隊が地球周回軌道を封鎖しているが、決して有り余る艦隊を投入している訳でもない。  連邦軍は確かにジオン軍に比すれば、豊富な物量を誇るが、無限ではない。広大な地球圏内をカバーしきれるものでもないのだ。  作戦を先延ばしにすれば、軌道艦隊も一度は、周回軌道上からの撤退を余儀なくされるだろう。そうなれば、地上の戦況にも影響を及ぼす。  だからこそ、今しかない。無理にでも、やるしかない。正しく後には退けない状況なのだ。 「でも……」  クルーが言葉を呑み込む。 『それで、負けたら──』 『ア・バオア・クーを攻略できなかったら……』  誰もが疑問とし、不安を抱えているが、間違っても口にはできない台詞だった。 「とにかく、我々は我々の成すべきことを果たすだけだ。さぁ、ランデブーするぞ」 「り、了解」  ロアン大尉の指示で気持ちを切り替える。見れば、艦隊は目と鼻の先──いや、既に接触、合流している。疾うに作業に移りつつある僚艦さえあった。  ロアン大尉は情報を呼び出し、割り当てられたサラミス巡洋艦の座標を特定、連絡を入れる。 「フィラデルフィア、聞こえるか。これより、作業に入る。受け入れ態勢を取れ」 『フィラデルフィア、了解』  接舷された両艦の間を忙しなく、コンテナやノーマルスーツが移動を始めた。   フィラデルフィアは補給艦と接舷し、暫くは勣くことはない。  操舵手のベルンハルト・シュネーヴァイス少尉はさすがに大きく息をついた。  至近距離とはいわないまでも、眼前で一条の光は巨大な爆光を生みながら、友軍の主力艦隊を貫いていった。  難を逃れた艦は後退したが、とんでもない混乱の中、艦列も乱れ、操艦に支障を来す程に損傷していたが故に僚艦に衝突した艦もあった。  フィラデルフィアも際どいニアミスを繰り返しながら、どうにか補給艦隊との接触に漕ぎ着けたのだ。  だが、無論、何も終わってはいない。今、補給を進めているのも、次なる戦闘が控えているということに他ならない。  それも、この傷付き疲れた艦隊で、難攻不落とも謳われる敵宇宙要塞攻略に挑むという大難問だ。これまでになく、厳しくも激烈な戦いになることは必定だった。 「──シュネーヴァイス少尉」 「あ…。は、はいっ」  艦長の呼び掛けにシュネーヴァイスは慌てて、後ろを振り返る。何度も呼ばれる程にボケッとしていたつもりはなかったが、正直、肝が冷える。イストーチニク艦長は艦の独裁者てはないが、任務を疎かにすれば、烈火の如く怒る。  だが、今の艦長は疲れを滲ませてはいるが、気を張った様子は窺えなかった。 「アヘメド曹長と替われ。呼ぶまで自室で休んでいいぞ」 「艦長?」 「暫くは艦隊も動かん。敵襲もなかろう。休める内に休んでおけ。作戦が始まったら、いつベッドに戻れるか分からんからな」  まるで、論すような言い様だが、それでも、シュネーヴァイスは戸惑った。他のクルーは今も働いているのだ。恐らくは数時間後に、戦闘が開始してからも無論のこと。 「いいから、気兼ねするな。この艦の命運の半ばはお前さんの運転にかかっているんだ。居眠り運転なんぞされては堪らんからな」  幾分、冗談に紛らわせた命令に、シュネーヴァイスもやっと苦笑を零し、了解する。  そうこうしている内に、副操舵手のアヘメド曹長が艦橋に上がってきたのだ。  入れ替わりに退出したシュネーヴァイス少尉は補給活動の為に、騒然としている艦内を自室へと歩いていく。一部では補修も行われている。  フィラデルフィアは比較的、損傷は軽微だったが、何もしないでいる訳にもいかない。これから、死地に向かうことには変わりはないのだ。  不安要素は少しでも取り除いておきたい。  そう、彼らは正しく死地へと赴く。『ア・バオア・クー』の戦場は苛酷な激戦地となるだろう。そうと予測されていても、彼らは退く訳にもいかないのだ。  そんな中で、この艦が生き残れるかどうかも、予想《わか》る筈がない。 「……冗談じゃない」  弱気な発想をしている自分も腹立たしいが、更に面白くないのは、それがどうしようもない現実だということだ。  自室に戻り、ベッドにドッカと座ったシュネーヴァイスはノーマルスーツの胸元を寛げ、常に身に付けているパス・ケースを引き出した。
  ……彼の女性の、明るい笑顔が向けられる。 「死んで、堪るか」  彼女は、恋人ではない。だが、シュネーヴァイスは彼女を想っていた。ただ、想いを真正面から、きちんと伝えたこともなかった。  だから──もう一度、会いに行く。そして、ちゃんと彼女に伝えるのだ。  地球にいる、彼女に──……。  ならば、死ねない。死なない。地球を守る為にも戦ってみせる。  個人のお題目なぞ、そんなものだ。いや、どんな理由でも構わない。  ただ、やはり……この戦いには負けられない。 「……退くに退けないとはこのことだな」  その為にも、ちゃんと休もうと横になった。   そして、補給を済ませた地球連邦軍残存兵力は幾つかの艦隊に再編成されつつ、補給艦隊から離れていく。  次第に広がる距離を明滅する光が繋ぐ。残される補給艦隊は『御武運を』と送り、進軍する艦隊は『感謝する』と応じ、戦場を目指す。  補給艦隊とて、一艦の護衛艦もなく、コンペイトウヘと帰還せねばならないのだ。 「大尉……」 「信じるしかないさ。もう我々にできるのは、それだけだからな」  ロアン大尉が挙手の礼を送り、他のクルーもそれに倣う。  全てのクルーたちが、死地へと赴く艦隊の姿が見えなくなるまで、敬礼を解かなかった。
 
  
   刻々と近付く戦場。作戦開始時間まで間もなく、ホワイト・ペースでは休息していたパイロットたちも艦橋に集まり、最後のブリーフィングを行っていた。  パネル上に、幾つかの進軍予定ラインが引かれる。だが、その数は当初、予定されていたものに比べれば、見るからに少ない。 「いかにも、戦力不足ね」 「こちらもソーラ・システムを使えればな」  無いものねだりの愚痴だとは解っていても、ついついボヤいてしまう。 「でも、大丈夫だと思います」  落ち着いた様子で、アムロが言う。攻撃は受けても、敵にとっては防御の弱いところでもあるから、必ず突破できる、と……。 「作戦は成功します」 「──ニュータイプの勘か?」  ブライトが乗ってみせるのに、アムロは「はい」と断言した。如何にも自信ありげにだ。  直後、作戦開始時間を迎え、全艦に戦闘警報が響き渡る。 「よし、第一戦闘配置だ。十分後にFラインを突破するぞ」  パイロットたちは飛び出していき、艦橋の要員も所定の位置につく。勿論、子供たちも艦内でも深い区画と移動していく。  操舵輪のチェックをしていたミライがふと、キャプテン・シートを振り返る。 「ブライト、さっきのアムロの言葉だけど、本当だと思う?」 「そうだな。あいつなりの気遺いだろうさ」  アムロ・レイは自分の立場をよく解っている。  『ニュータイプ部隊』などと呼ばれるWBをNT部隊たらしめているのは結局はアムロの存在だ。他の者も確かによくやってはいるか、それでも尚、アムロの働きは抜きん出ている。  仲間ではあるが、やはりアムロはクルーの間でも『特別』なのだと皆が知っているし、認めてもいる。  だからこそ、彼の言葉には重みがある。皆が『その気』になれるからだ。  自信がなくとも、虚勢を張らなければならない指揮官とも似ているかもしれない。 「ブライト、何だか、嬉しそうね」  我知らず内に笑っていたらしい。 「あぁ、そうだな……そりゃ、嬉しいさ。あの駄々っ児がよくも立派に成長したもんだってな」  そんなブライトにミライも口許を綻ばす。 「何か言いたそうだな」 「あら。そんなことないわよ」 「いーや、解ってるぞ。人のことは言えないくせに、だろ?」  キャプテン・シートの頭上からも失笑が漏れる。ブライトはマーカーとオスカー──頼れるオペレータたちを軽く睨んだ。  一つ咳払いをし、前方の宙域に目を戻すと表情を改めた。艦橋の雰囲気が微かに変わる。  会話に聞き入っていた艦橋要員たちも各々の仕事に集中する。 「さぁ、愈々だぞ」  艦内に指示を出す為に、ブライトはインカムを取った。
   ホワイト・ベース同様にSフィールドを目指す艦隊の中に、フィラデルフィアの姿もあった。  その操舵席に座るのは無論、シュネーヴァイス少尉だ。僅かとはいえ、自室での休息によって、心身がリフレッシュされたと感じられる。  その視線は厳しく前方へと向けられている。  常闇の向こうに存在《あ》る筈の宇宙要塞『ア・バオア・クー』──だが、巨大な要塞と雖も、広大無辺なる宇宙に於いてはどれ程のものか。目視が叶う程ではない。  だが、光は、届く。固い星々に紛れる僅かな点滅がその存在を示している。  そして、急速に星々が動き出した! それこそが敵の長距離ミサイル攻撃だろう。  群れなす光が迫りくる。 「シュネーヴァイス少尉。回避運動は任せる」 「──了解」 「但し、余り気張るなよ。先は長いんだ」  何もかも、お見通しか。  一つ深呼吸をして、己の戦いを始めたのだ。
   今こそ、地球連邦軍、ジオン軍双方の命運をかけた戦いの火蓋が切って、落とされた。  長い一日の、幕開けでもあった──……。
 
  
   静かな夜だった。  夏でも、夜が更ければ、砂漠は肌寒い。レオン・リーフェイはジャンパーを羽織りながら、それでも、宿舎車輛に戻る気になれずにいた。  オーストラリアでも戦局は大詰めと見られている。ジオン軍は追い詰められ、ヒューエンデンから宇宙へ向かおうとしている。宇宙から降りてきたジオンの、最後に依るべき、帰るべき処なのだから……。  とはいえ、それを簡単に許す訳にもいかない。出ていきたいのなら、勝手に出ていけとはいえないのだ。  引かれるように、レオンが星々の輝く夜天《そら》を見上げた時、背後で微かに砂を噛む音がした。 「──隊長?」 「こっそり近付いて、脅かすなんて真似は君に対しては至難の業だな。レオン」  マスター・ピース・レイヤー中尉が歩み寄り、缶コーヒーを差し出す。 「ともあれ、新年おめでとう」 「もう、そんな時間ですか」 「あぁ。中々、戻ってこないから心配したぞ」 「申し訳ありません。何だか、寝付けなくて」 「また、例の“歌”かい?」  レオンは肩を竦めて苦笑し、プルトップを引き上げ、一ロ、口に含む。温かかった。  自分もコーヒーを開けたレイヤーは不意に手を伸ばし、レオンの腕を掴んだ。これには大抵のことには動じないレオンも驚いたようだ。 「ど、どうしたんですか」 「いや……前みたいに、君に触れれば、私にも聞こえるかなってな」  が、簡単にはいかないようだ、と手を放す。  反応に困ったレオンが目を上げ──何かを見付けたらしい。釣られるようにレイヤーも夜空を見上げる。  星々の中を、ゆっくりと横切る光に気付く。 「衛星……な訳はないか。あれは──」 「地球を封鎖している軌道艦隊ですね」  戦前は無数に地球を取り巻いていた人工衛星は開戦により、破壊され、失われている。新たに両軍によって、放出された僅かな衛星が巡るのみだ。  あの軌道艦隊の動きは地球のジオン戦力の封じ込めだけではない。連動しているのは、 「今頃、宇宙ではア・バオア・クー要塞を攻略している筈だな」 「それが星一号作戦の締め括りですからね。オデッサにしろ、オーストラリアの反抗作戦にしろ、全てはその為の布石なのですから」 「だが、厳しい戦いなんだろうな。宇宙艦隊は主力が敵の長距離攻撃兵器の損害を受けたと、司令官が言っていた。確か、ソーラ・システムとか……」 「ソーラ・システムは連邦のレーザ兵器ですよ。まぁ、似たようなものですがね。規模は桁違いに違いますが」  やはりというべきか、レオンはその辺の、本来なら一パイロットが知る筈のない情報も掴んでいた。彼が紛れもなく、情報局に所属する特務の一員だと思わせる瞬間だ。 「但し、超兵器云々よりレビル将軍を失ったのが痛手です。総指揮官が不在では短期決戦しかないですからね。その意味では確かに厳しく苦しい。ここでア・バオア・クー攻略に失敗すれば、宇宙の情勢もまた変わってしまうでしょう」 「……勝てる、かな」 「彼らはそのつもりですよ。実際、勝算がない訳でもないんですから」  それがどんなにか低い確率だとしても……。 「それでも、万一、失敗したら、或いは──」  軽く嘆息したレオンはだが、そこで継ぐべき言葉を呑み込んだ。 「或いは?」 「いえ……先走りしすぎていますね。まぁ、当面、我々はヒューエンデン攻略を最優先に考えなければならないのですし」  宇宙の情勢は無視できないが、この大陸に於いてはヒューエンデン基地を攻略てきるか否かによっても状況は変転するだろう。  頷いたレイヤーは改めて部下を見遣る。  レオン・リーフェイ少尉は確かに『ホワイト・ディンゴ』のパイロットでレイヤーの部下だが、情報局所属という別の面も持つ。それも現在の特務班の諜報員と、元来の情報分析官という中々に複雑な二面性を併せ持つのだ。  情報分析官たるレオン・リーフェイ大尉はかなり優秀と窺える。大陸の片隅の最前線にありながら、入手し得る情報だけでも、それなりの分析をしてしまう。  最早、それ自身が習い性のようでもあった。  根はやはり、分析官なのだろうと思わせる。本来なら、レイヤーとは道が交錯し、同道することはなかっただろう人物だ。  つらつらと考えていたところ、レイヤーも先走った疑問にぶつかった。 「なぁ、レオン。この戦いが終わったら――君はどうするんだ?」  沈黙が、風に浚われる。 「どう、とは?」 「いや、君は元々は分析官なんだろう。今は特務でもある訳だし……戦争が終わったら、やはり古巣に戻ることになるんだろうな」  確認のようになってしまった。考えれば考える程、レオンがパイロットとして、この地に留まる可能性はないように思える。 「そうですね。まだ、そんな具体的な話は来ていませんが……」  何故だか、レオンが口籠る。 「少なくとも、例のマッチモニードを何とかしない限り、戦後云々じゃありませんよ」 「あぁ、あれか。……その件は私もヒューエンデンまでには片を付けたいと思っているんだ」  ジオンの特殊部隊である『マッチモニード』は敵味方を散々に掻き回してくれている。とまれ、恐るべき兵器を未だ抱えているのは看過できない。返す返すもトリントンで仕留められなかったのが悔やまれてならない。 「まぁ、上手く収まったら、マイクの言うように、転属願いでも出してみますかね」  冗談、なのだろう。パイロットである今でさえ、分析を行うのが自然なのだから。  となれば、何時まで『ホワイト・ティンゴ』も一つのチームとして在れるだろうか。  レイヤーはふと、今一人の仲間を思い出していた。レオンの前任者でよく似た面差しをしたユン・シジョン少尉は負傷の為、隊を離れた。  形はどうあれ、仲間が別れ別れになるのは辛いことでもある。軍人である以上、如何ともし難い現実とは理解していても、ただの感傷だとは切り捨てられない。 「尤も、それも生き延びられたらの話ですがね」  冷水を浴びせかけられたような感覚に震える。  今、彼は、何を言った? 「──馬鹿なことを言うなっ」  反射的に怒鳴っていた。この静かな世界では、怒声も砂に吸い込まれていくようだ。 「隊長。ただの譬えですよ」 「譬えでも何でも、冗談でも、そんなことは言うもんじゃない」  ユン少尉の負傷時の光景も想起していた為もあろうか、彼が『死』んだかもしれないと脅かされた一瞬が蘇り、余計に過敏に反応した。  溯れば、シドニー航空隊の仲間たちの死、シドニーで失われた多くの市民たちなどにまで、関わった『生き死に』が余りにも重すぎた。  それはレオンも察していた。レイヤーの責任感の強さ故とも識っている。部下思いで仲間思い──だからこそ、部下たちの信頼を得ているのだとも承知していて尚、もう少し、切り離して考えるべきだとも思うのだ。  隊を構成していても、個は、個であるのだ。 「軽率なことを言いました。申し訳ありません」  相手が怯む程に率直に謝罪するが、 「ですが、隊長。生きるも死ぬも仮定の話ですよ。戦後についての進退だって同じです」 「だが──」 「勿論、最初から死ぬ為に戦っている訳でもありませんよ。結果として、そうなる可能性は戦場では等しくあるだろう、というだけですよ。といって、黙って死神に手招きされるがままにはなりません。今、宇宙で戦っている連中がそうであるように」 「……済まない。私も先走りしているんだな」  感情的になって、感傷に流されて、上手く考えを纏められなくなっているのかもしれない。 「いいえ。そりゃあ、犠牲が少ないに越したことはないですから。それもここまで来たら、運の問題じゃないてすかね」 「運、か」  複雑そうに言葉を重ねるのはシドニーのことが頭を過ぎるからだろうか。 「とはいえ、運が悪かった、で納得するような隊長じゃありませんね」  小隊に犠牲が出れば、責任は指揮官たる自分にあるのだと、砂漠の熱砂に埋没するに決まっている。 「だからこそのチーム戦闘じゃないですか」  一つは責任を分散させている意味もあるとレオンは考える。そして、一つには文字通り、チームが結束し、フォローし合えば、攻撃力も防御力も上がり、損害率は下がるのだ。  レイヤーはフゥと息をついた。肩からも力が抜けたようだ。 「そうだな。そうやって、我々はここまで戦い抜いてきたんだったな」  まずは仲間を、自分を信じることも必要であり、力となるのだ。
  気持ちを切り替えてくれたのに、レオンは安堵しつつも、運以前に隊長が自分を責めるような状況に陥る可能性もあると知っていた。  宇宙の戦局の行く末次第では、地上の戦況もまた、終局を迎えるどころか、更なる混迷を極める恐れは大きいのだ。  その時、この隊長は絶対に必要とされる指揮官の一人なのだ。  確かに『ホワイト・ディンゴ』は、そうやって、敵を下し、戦い抜いてきた。  だが、次もそうだとは限らないのだ。それも戦場の理だ。次の戦場で、敵に追い詰められ、窮地に陥るのは『ホワイト・ディンゴ』かもしれない。  そして、その時──本当にどうにもならなくなった時、隊長を生かす為に、盾となるくらいの覚悟は疾うにできているのだ。  それが補佐してきた者の務めだと思っている。  ……半ば程は自らの言動から隊長を悩ませてしまったことへの罪滅ぼしのようなものだが。  いや、そんな奇麗なものでもないか。いざとなれば、隊長の為に、自分だけでなく隊の全てを──マイクやアニタさえをも利用することも厭わないだろう。  ただ、そこまで当人に告げる気もない。どうせ、怒るに決まっている。そして、悲しむだろう。  だから、そうならないことを祈りながら、その為の尽力もまた借しまないつもりだった。  レイヤーがコーヒーを飲み干し、缶を握り潰した。 「レオン、もう戻ろう。風邪っ引きで作戦に支障を来すような真似は許されんからな」 「──了解です。隊長」  宿舎車輛に入り込む寸前、レオンは今一度、星空を見上げた。何かを語りかけるように瞬く星々は常と変わることなく、そこにある。  だが──それても、違うのか。 「レオン?」 「今、行きます」  扉が閉ざされると、束の間の静けさが砂漠に戻る。やがては喧噪に包まれるだろう砂の世界をただ、星は見下ろしていた。 
  
  「おい、遺書はちゃんと書けたのか」 「隊長? はぁ、一応は──でも、考えてみたら、お袋に届ける術がないんですよね」  今頃、気付くとは馬鹿みたいだ。隊長はさも可笑しそうに笑った。彼には家族はないという。 「帰ってやればいいだろう。ザビ家の面々が退場して、とりあえずは終戦、らしいからな」  この『ア・バオア・クー』は陥落する。指導者を失い、維持できないのだ。それを嫌って、小惑星帯へと脱出を画る者もいるが……。  隊長は、好きにしろと言う。ここまで生き残った者は数少ない。開戦時は正に新米のペーペーだった俺が残るとは奇跡以外の何物でもないと信じているくらいだ。  小隊長や少尉でさえ、今という時まで生きて、辿り着くことはできなかったのだから。  だからこそ、自滅したに等しいザビ家に付き合う必要はない。隊長はあっさりと残った部下たちに告げたものだ。 「今日まで生き延びたお前らには権利がある」  と、そう言って……。  『緑のペテン師』などとフザケた二つ名を自分で名付けたりしたが、紛れもない『撃墜王』である隊長らしい事この上ない。  ザビ家への忠誠心は薄いように感じられる言動は多かったが、その癖、隊長自身は脱出組に付き合う気でいるらしい。 「待ってる奴もいないし、やはり、ペテン師がとっ捕まったんじゃ、格好つかんだろう」  俺にしても残ると決め、降伏しても、直ぐにお袋の元に帰れるかどうかは判らない。 「まぁ、精々、親孝行しろよ」  隊長は最後にそう言って、出撃していった。  俺にはただ「御武運を」としか言えなかった。
  ……その日、戦争は終わった。 だが、まだまだ、戦闘は続いていた。
 《了》
  初出 2003.12.29.発行 『その日』所収  
   ビバ☆OCRソフト♪ による初再生作品。たまたまワープロ原稿が出てきたので?お試しにと^^; いやぁ、今まで使わなかったのが勿体ないくらいだ。  での『その日』ですが、コンセプトは『全員が主役☆』です。夫々の視点で、終戦直前の状況を見据えている様を想像してみました。  どれが誰かは判りますよねー。判っておくれ;;;  ンでもって、元のコピー誌本文15Pの内、外伝コンビだけで、4P半も使ってる辺りが笑える。  発行当時は無茶苦茶キツい〆切だったもので、書き急いだ感がバリバリ★ 文は荒く、ラストもどーも締まってない。推敲する余裕もなかった。でも、今回、改めて手を入れようと思っても、数年経ってると、疾うに話が固まっていることに気付きました。  てなわけで、多少の手直しはしているものの、殆ど変わってなかったりします。
 2006.04.14.
     
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