黎  明


 ブラインドの隙間から、微かに射しこんでくる光を感じ、意識が揺り起こされる。
「……う、ん」
 全身が気だるさに浸かっている。
 そして、重さを感じて、私は目覚めた……。
 少しだけ、惚けたようになっていたけど、その重さを払おうと体を動かした時、
「──っ!?」
 視界に飛びこんできたのは彼の寝顔。私は一瞬、パニックって、跳ね起きた。
 弾みで、抱くように伸ばされていた腕が落ちる。
 彼──ブライトが微かに身動《みじろ》いた。

 起きてしまうだろうか?
 そうしたら、どんな顔をすればいいの?

 余裕も何もない。体を起こした私自身、全裸で、露になった胸を咄嗟に毛布を引き上げ、隠いた。今さら……だけど。
 ブライトは規則正しい寝息を立てていた。
〈そうだった。私…昨夜、ブライトと……〉
 途端に頬に熱を感じる。

 暗い視界に、でも、明瞭に刻みこまれている。
 思いもかけないほどの彼の激しさ……。
 翻弄され、戸惑いながらも、全身全霊で愛され、至福を覚えた。
 人の肌がこんなにも温かいなんて……。
 全身が彼の温かさを覚えている。
 全身に彼の重さが刻みこまれている。
 彼の唇、掌、腕、肩、胸、腰……。
 翼に包まれているような──とは、あのような心地だろうか。

 ここ暫くは得ることのなかった、とても安らいだ眠りが彼の腕の中では齎された。
 信じられないくらいに……。
 そっと、ブライトに触れてみる。
 瞬間、湧き起こる、押し寄せるこの感情。戸惑うばかりの強い感情。
 あぁ、こんなにも私はこの人を……!

 けれど、知らないところが多すぎる。
 そして、それは嫌だとも……。
 もっともっと、彼をよく知りたいと──!



 触れたためか、強い想いを抱いたためか……まブライトが動き、ミライは少し身を引いた。瞼が痙攣したように震え、薄く目が開く。
 投げ出されていた腕が何かを探し求めるように、シーツの上をまさぐった。
 そして、辿りついたのは──ミライの手……。
 手首を掴んだ指に幾らかの力がこもる。
 触れられた箇所が熱を持つ。さらに全身を浸食していくようで、鼓動が早まる。
 包みこんでくれるような視線を感じ、目を戻した。
 目覚めたブライトが見上げている。不思議なくらいに強く真直ぐな視線に曝され、全身が震える。
 訴えかけてくる眼差しは感情をも揺り動かし、震わせる……。
 その漆黒の輝きの中には優しさが溢れている。不意に暖かい笑みが零れた。
「あぁ…、お早う、ミライ」
「……お早う、ブライト」
 幾らかは残っていた不安や羞恥心が溶けるように消えていく。余計な心配をしていた自分が可笑しくさえあった。
 仰向けに体を起こしたものの、起き上がろうとはしないブライトが目を瞬かせる。
「どうかしたかい」
「え? ううん。ちょっと、ね……」
 問いたげな視線は逸らされることがない。
 ホワイト・ベース時代はここまで、真正面から見る人ではなかったのではないか。いつの間にか、本当に気がつかない内に──そうではなく、気付こうとしていなかっただけかもしれない。
 いつだって、向けられていたものを……、
〈私が受け止めきれていなかったから……〉
 酷く惜しい気がする。それだけに、これからはわずかなりとも、取りこぼしたくはないとも願う。

 ミライはブライトの手に手を重ねていった。
「……何だか、未だに信じられなくて」
「そりゃ、確かに……。こういう次の朝を迎えるなんて、昨日の今頃は想像もしてなかったもんなぁ」
 空いた片手に取った水でノドを湿らせながら、ブライトも感慨深げだ。
 それでは単なる成り行きのようだが、そうではなく『お互いの時が満ちた』と感じるのだ。仲間であり、友人であり──戦友だった者が恋人、何れは夫婦となるにしても、その境目を越えるのは中々に精神力がいるものだと解った。
「どんな顔で、あなたに挨拶したらいいのかとか、考えちゃって」
 逃げ出したくなっちゃったくらい、と告白されると、ブライトは大袈裟に溜息をついた。
「いてくれなかったら、夢が正夢になってたな。それじゃ、悪夢だ」
 目が覚めたら、ミライの姿はなく、独りきり。夢の中で、彼女が想いを受け入れてくれた夢をみたにすぎないのかと……。
「夢って……ブライト、そういう夢をみたりするの?」
「フッ──秘密だよ」
 ミライが恐る恐る尋ねると、ブライトは悪戯っぽく、笑ったものだ。
 しかし、夢にまでみるのは或いは想いの強さの現れだろうか? それほどまでに望み、また望まれていると思ってもいいんだろうか?
 仮にブライトが『そういう夢』をみていたとしても、ミライは嫌悪感など抱かなかった。生々しい異性の存在に嫌悪する少女ではなくなっていた。受け止め、受け入れられる女性へと知らず知らずにも、変質していた。
 それがいつからなのかは自分でも解らない。

 彼と一夜をともにしたからか。
 彼への想いを認識してからか。
 それとも、彼の存在を知り、自分でも気付かぬ内に想いを育て始めた瞬間から既に?

 何れにしても、望まれたのが嬉しかった。
 そして、ミライも自分という存在を彼に受け止め、受け入れて欲しいと望んだ。願った。結局はそれだけのことなのだ。
『一方的に答えを出す問題でもないだろう?』
 含むように言った人がいたが、全くその通りだ。独りだけで悩んでいても、どうにもならないのだ。進展など有り得ない。
 たとえ、想いが通じなかったとしても、進展には違いない。恋、破れたとしても、乗り越えれば、次の想いに向かうこともできるからだ。
 それは決して、恥じ入ることではない。
〈自分に都合のいい、勝手なことばかり……〉
 そう、一度はブライトではない男性の許に走ったのに──どうして、この人はあんなにもはっきりと『私を待つ』と言えたのだろう。
 ずっとずっと、本当にいつまでも、気持ちが向くのを待つつもりだったのか?
 自分ではない男の腕へと飛び込んでいった相手でも、一生、唯一人を想い続けられると?
 それとも、いつかは自分を向くと信じていたとでも?
 絶対に揺るがない自信があったのか?

『ボクハイツマデモ、マッテイルヨ』

 真実、どんな想いでその言葉を……。
 ある意味、ミライは『その言葉』に呪縛されていたのかもしれない。
 ただ、この一年余り、ブライトがミライ以外の女性に目を向けようとしなかったということは間違いなかった。
 若くして既に少佐の階級にある『一年戦争』の英雄。ホワイト・ベース艦長の前歴。それだけでも十分に女性将兵《ウェーヴ》などの興味を引いた。中には積極的になる娘もいたとか……。それでも、ブライトは靡《なび》いたりはしなかった。
 心に決めた唯一の女性への確かな想い故……。
 それは他ならない自分であると!
〈そう思ってもいいの? 信じても〉
 昨夜、想いを交わし合ったではないか。あんなにも情熱的に愛してくれたではないか!? なのに、何を疑う? 最早、疑う必要などないものを──それでも、まだ疑ってしまう。
 そうではなく、自分に自信が持てないのだと。
 彼に想いを寄せられる、愛される確かな自信。心底からの自信が、まだ、ない……。

『イツマデモ、マッテイル……』

 ようやく、辿りついた──けれど、また、置いていかれてしまうかもしれない。そして、二度と追いつけないかもしれない。
 独りだけ、取り残されかねない想像への恐怖《おそれ》に苛まれる。
〈でも、それは独りになるのが怖いだけ?〉
 誰かに縋りたいだけの思いを愛情とすりかえているにすぎない?
〈そうじゃない! そんなんじゃ…ないっっ〉
 疑い出したら、キリがない。自分の心も彼の心も、存在すらが幻になる。

 ……動揺が微かな手の震えとして、伝わっていた。
 不意にブライトがミライの手を引っぱり、もう一方の腕を首に回して、引き寄せた。
 余りに突然だったので、ミライはブライトの上に見事に倒れ伏していた。
  慌てて、体を起こそうとしたが、しっかりと抱きとめられ、動けない。背に感じる腕が優しく抱いてくれる。直接に触れる胸元からは彼の鼓動が伝わってくる。
 なぜだろう? 確かな生命の脈動が、あれほど揺れていた感情《こころ》を静めてくれる……。
 しばらくして、背中の感触が消え、その手が柔らかく髪を梳いてくれた。
「……ブライト?」
「忘れてたよ。人の肌が、こんなにも温かくて、落ちつかせてくれるものだなんて」
 ハッとする。それはミライも思ったことだった。
 かつて、自分という存在を抱きしめ、惜しみない愛情を与えてくれる人々がいた。当たり前に、触れ合える人々がいたのだ。
 それが突然に椀ぎ取られるように失われてしまい、少しずつ少しずつ、心が渇いていった。
 肌に触れ合い、求め合うのはその渇きを潤そうとする行為なのかもしれない。否定はしない。だが、それだけではないのだ。触れ合えるのなら、誰でもいいというものではない。
「……愛しているから」
 無条件に愛情を注ぎ合える存在──それが“家族”であろう。そのはずだ。親子、兄弟姉妹……血の繋がりのためかどうかは知らない。確かなのは人が生きていく上での最初の小さな集団であることだ。だからこそ、拠り所にもなり得るのか。
 けれど、夫婦も最初は他人なのだ。それが想いで結ばれ、絆を生み、新たな家族をも生み育んでいけるようにもなる。

 真直ぐに見返してくるブライトの瞳には確かな深い想いが窺える。まるで、ミライの迷いを払おうとするかのように、ひたすらに……。
 ミライはその想いを受けかねて、目を伏せた。取りこぼしたくないと願いながら、やはり、疑いを捨てきれず、未だに受け止めかねている?
「でも、私……私は本当は自信がないのよ。あなたに、そこまで──それに私も錯覚しているのかもしれない。孤独になるのを恐れて……」

 それでは、裏切りに等しいとも思えるから。
「それでもいい。錯覚でも構わない」
 力強い口調で、ブライトは言いきった。
 ミライを腕に抱いたまま、半身を起こした。細く柔らかい肩を強く抱きしめる。
「独りでいたくないから、身を寄せ合うというだけでも、その相手に真先に俺を思い出してくれたのなら、それで十分なんだ」
 言い聞かせるように耳元で囁き、そっと頬に触れ、上を向かせる。濡れた橡色《つるばみいろ》の瞳は見開かれ、影が激しく揺れている。
「どんな理由でもいい。俺は君と一緒にいたい。一緒に生きていきたい──君のことが好きだから。君を、愛しているから、放したくない」
「ブ…ライ、ト……」
「俺の理由はそれだけだ。これは我ままかもしれないけど、それは信じてくれていい」
 縋りたいのなら、縋ってほしい。他の誰でもなく、この俺に! 俺だけに……!!
 咽び、震える彼女の額に唇を押し当て、あらん限りの力で抱きすくめる。絶対に放すものか!!
 ひとしきり、泣いていたミライの手が自由を求めて、動くのを感じ、ブライトは拘束をわずかに緩めた。手が胸板に触れ、身を引き、ブライトを見上げてくる。
 泣き顔は人に見せるようなものではない。本当は見苦しいもののはずなのだ。
 だが、今のミライの泣き顔だけは別だった。

 『美しい』と本気で思った。
 『愛しい』と心底、感じた。
 縋る想いを求め、見つめてくる彼女を……。
 慰め合いだとは思わない。
 確かに我ままかもしれない。彼女の弱い心につけこんでいるのかもしれない。
 だが、彼女への想いだけは偽りないのだ。
 天地神明に誓ってもいい。

〈……神様なんて、信じてもいないのにな〉
 妙に冷静な自分がいる一方で、ミライ・ヤシマという全存在に刺激される自分もいる。狂暴になるほどに、己自身さえもが翻弄される純粋な感情──いや、欲望だろうか?
 それでも、今は構わないと認識する。
 影が薄れて、やがて、消える。それが合図。
 静かに重ねた唇は震えていた。

 ───絶対に、絶対に放さない……!

 痛いほどの想いの丈を、その接吻《くちづけ》に託して……。


 随分と長いこと、そうしていた──肌を寄せ合い、抱き合い、毛布だけに包まって、一向にベッドから降りようとはしない。
 その温かさから離れるのを、ほんのわずかでも奪われるのを恐れるように……。
 時間の経過など、気に留めようともしなかった。残された時間を確認したくなかったからだ。
 今はともかく、明日になれば、ともに任務に縛られる身である。だから、少しでも長く、時間を惜しむように寄り添っていた。外部の音は何も入れずに。
 それだけで、交わす言葉もなかったが、
「……ブライト」
「ん…?」
 肩に凭れかかる髪の柔らかさをくすぐったく感じながら、覗きこもうとする。
「私、ね……」
 目を閉じているのか、瞼と睫が小さく震えた。
「私、ブライト、あなたの子が産みたいわ」
 さすがに耳を疑った。目を瞠り、ミライを見つめ直すが、やはり、顔は上げない。
 幾分、頬が紅潮しているが、声にも口調にも恥じらいは感じられない。小声だが、しっかりとした感情を伝えてくれる……。
「子供が生まれたら、いっぱいいっぱい抱き上げて、たくさんたくさん抱きしめて、愛しんで──心の豊かな子に育てるの」
「あぁ……素敵だな、それは」
 黒橡色の髪に顔を埋め、目を閉じる。優しい幻想に酷く心が浮き立つ。
 頭が動いたかと思うと、ミライが唇を寄せてきた。掠めるように触れ、
「素敵でしょ……!」
 もう、上手く決着をつけたんだろうか?
 なぜだか、今のミライはとても生き生きとしていた。咽び泣いていたのが嘘のように、生気に溢れている。驚くほどに眩しい存在に見えた。
「うん、とても素敵だ」
 命は強いと思う。
 様々な姿《かたち》で存在って、力強く息づいていると。
 だから、それは生命への讃辞……。
「とても、素敵だ」
 君に、俺の子を、産んで貰いたい……。
 それは君にしか望まない。
 抱き上げて、抱きしめて、愛しんで……!
 ……そして、何度目かの口づけを交わした。


 沈黙を埋めて、間近で見つめ合う。
「……シャワー、先に使っていいから」
 さすがにそろそろ、起きないわけにはいかない。現金なもので、空腹感も覚えている。
 ミライも頷くと、毛布を纏わりつけて、ベッドを降りた。ベッド脇に落ちていた服をかき集める時はさすがに顔を赤らめて、俯いている。そんな仕種にも、恋われてしまう。堪えねば、また、その気になってしまいそうだった。
 バスルームにミライが消えると、ほどなく水音がし始めた。
「あ…、タオルを用意しとかなきゃな」
 とりあえず、下着をつけ、ブライトも立ち上がると、真新しいバスタオルを出してくる。念のためにTシャツとスウェットのパンツも揃える。
「ミライ。タオル、置いとくからな」
「ありがとう」
 曇ガラスに映る、しなやかな肢体の影が答える。
 伸びやかに、全身を飛沫に打たれている。
 その全てが自分の腕の中に在った……。
 つい、先刻まで──そして、これからも……。そう、夢ではない。現実なのだ。
 彼女に想いが届いたのだ。それこそ神に感謝してもいい。存在を信じてもいい。
〈……我ながら、いい加減な奴だな〉
 苦笑を噛みしめ、キッチンに入ると、ミネラル・ウォーターを一杯飲み、コーヒーメーカーをセットした。その作業をしている間に、バスルームからドライヤーの音が聞こえ出した。
 とりあえず、することもなくなり、ドリップを始めた液体を何となしに見つめていた。
 頭が冴え出し、次第に現実的な状況へと思いを巡らせていった。
 二人が結ばれるのを快く思わない連中は数多いだろう。もちろん、二人が望むのだ。そうなれば、結婚を認めないなどいう権利は連邦も持っていないはずだ!
 しかし、となれば、恐らくは陰にこもる。
 全く鬱陶しい限りだが、残念ながら、こちらは受け身にならざるをえない。
〈永遠に、連中とは理解できそうにないな〉
 触れ合うどころか、顔を見るのも嫌な奴もいる。声を聞くのも耐えがたい奴もいる。それどころか、名前さえ、聞きたくない奴だって……。
 相手を選んでしまう。どうしても、好悪の感情を持ってしまう。人間が感情に左右される存在である限りは……。
〈やっぱ、ニュータイプの世界は遠いよなぁ〉
 『ホワイト・ベース』も世間が思うほどには、『ニュータイプ』なる『存在』に近くはなかった。それでも、嫌っていても、いつかは理解し合える日がくるのだろうか? 希望があると?
 不意にホワイト・ベースで、散々にてこずらせてくれた少年思い浮かべていた。こちらは別に嫌っていたわけではないが、
〈……あいつは思いっきし、嫌ってたろうし〉
 今、改めて思い返せば、それも仕方ないとは解る。我ながら、無茶苦茶な対応をしていた。
 尤も、それも致し方なし!である点を譲るつもりはない。ただ、もう少しだけでも、対応の仕様があったかな? とは反省する。
 自分がアムロの立場だったら、恐らく手が出ていた。口しか出さなかったアムロは案外、自制心が強いのかもしれない……いや、ガンダムごと家出するよーな奴が我慢強いものか。
 にしても、あんなにも苛つかせてくれた相手を、こんな風に楽しげに思い出せるとは……。
「どうしたの? 思い出し笑いなんかして」
 我に返ると、いささか大きめのシャツ、パンツ姿のミライが髪の先をタオルで払い、寄ってきた。
「いや……楽しい未来を想像してたんだよ」
 ミライはつぶらな瞳を、さらに真丸くして、さも可笑しそうに笑った。そして、
「ブライトもシャワーを浴びてきたら」
「あぁ、そうするか。こいつの面倒、頼むな」
 ドリップを続けるコーヒーメーカーを指差す。
「えぇ。あの、冷蔵庫のもの使ってもいい? 何か、軽く作るわ」
「ん…、任せるよ」
 昨日、数日ぶりに戻ったばかりから、ロクな材料がないけど、と付け加えたが。
 冷蔵庫を開くと、なーるほど、ロクなもんがない。
「……いくら、朝食分だけったって、これはないんじゃない?」
 ほとんど空気を冷やしているような冷蔵庫の有様に、自炊経験もあると言っていたわりには日頃の食生活が急に心配になるミライだった。


 流水量を最大にして、空気も紛れこませる。痛いくらいの水圧が心地好かった。
 さらに意識が冴え渡る。一旦は中断しかけた思考が巡り始める。
 ……でも、確かにいつの頃からか、お互いに落ちついた。それは戦場での慣れだけではなく、余裕が生まれたからでもない。
〈少なくとも、俺は最後まで、余裕なんて感じたりはしなかった〉
 それほど、自分を過信してはいなかったのだから。それはアムロでさえ、同様だっただろう。 腕を上げ、押しも押されぬエース・パイロットと認められても、彼も全力だったはずだ。
 だから、あれだけ激しく派手に衝突しても、最後には認め合えたのだ。信じ合えたのだとブライトは思っている。
 それが理解し合えたことになるのかまでは判らない。ただ、あの瞬間、確かに『ホワイト・ベース』は一体だった。あれは忘れられない感覚だった。 
 その最初の切っ掛けを与えてくれたのは、
「……リュウ」
 どうしようもない後悔の念は未だに消えることがなく、引きずっている。そして、恐らくはこれからも──生ある限り己の奥底を占め続けるだろう。
「楽しい、未来、か……」
 彼は未来を自ら、断ち切った。いや、断ち切らせてしまったのだ。
 それでも、生き延びることが救ってくれた彼への、彼らへの供養と信じた。信じる他なかった。
 そして、今……、
〈リュウ、俺はミライと一緒になる。結婚するんだよ。喜んでくれるか? 祝ってくれるか?〉
 ……命を未来へと繋げるのだ。
 お前の命を映すように……

> ミライの手際の良さは大したものだ。
 シャワーを終えて出ると、確かに簡単ではあるが、あの材料《もと》の貧弱さからは想像もできない、十分に立派な食事が並んでいた。
「後で買い物に付き合うからね」
 コーヒーを注ぎながら、軽く睨んでくるのには参る。いくら何でも、ここまで酷いのはそーはないのだが──間が悪いったらない。
〈まぁ、いいか……〉
 健康を心配してくれているのだろうし、買い物にいく間は一緒にいられると思えば……。
「さぁ、召し上がれ」
「クス……頂きます」
 早速、口をつける。一口でも食べると、いかに腹が減っていたかが分かる。
「うん、美味い」
「おだてたって、ダーメ」
「そんなつもりじゃないって」
 他愛無いお喋りを楽しみながら、食を進める。 香ばしい薫りに瞳を細め、ミライが呟いた。
「でも、いいわね。こういうの。何か……すごく久しぶりだわ」
「何が?」
「朝食を誰かと一緒にとるのが、ね」
「……朝食、かなぁ」
 既に昼食に近い時分には違いない。もちろん、言いたいことは解っている。
「だって、朝起きたら、いつも独りでしょう」
 ホワイト・ベースにいた頃は当直などの影響で、朝昼晩の感覚も薄かったし、官制食堂では味気ないことこの上ない。コック長が色々と苦心してくれていたのが慰みだった。
「そうだなぁ。俺も任務で宇宙に上がっている時なんかは相棒と一緒とはいえ」 
 やはり、官制食堂の一律的なメニュー。栄養面はともかく、楽しみようもない。
「でしょう? だから、何だか嬉しくて……」
 心なしか、涙さえ浮かべているようだった。家族とともに朝食をとる──そんな当たり前の日常がどこまでも遠のいていた日々が余りにも長く、二度と得られないのかとずっと不安だったから・・・・。
「ミライ」
「ゴ、ゴメンナサイ。でも、本トに嬉しくって」
「……ミライ、もう一杯コーヒー、頼むよ」
「え…あ、はい。ちょっと、待っててね」
 恥ずかしそうに涙を払い、立ち上がる。
 自分でやってもいいのだが、ミライが自身以外の誰かのために、キッチンで働くのを喜ぶのなら、そうさせてやりたかった。
 些細なことかもしれないが、嬉しそうな顔で、温かい湯気の立つカップを差し出してくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 何より、その笑顔がブライトには嬉しい。
 新しいコーヒーを啜るブライトをミライは頬杖をついて、凝と見つめている。柔らかな視線が少し、くすぐったい。
 視線で「何?」と問うと、思わぬ答えが返った。
「うん……父のことを思い出してね」
「お父さん、の?」
 少しだけ複雑そうな顔を見せると、笑われた。
「父もコーヒーが好きだったから結構、拘る質でね。でも、自分じゃ、美味く淹れられないって、いつも零してたわ。だから、サイド7に移住してからは用意するのは私の役目だったの」
 懐かしそうな表情。傷は傷として、それでも、思い出として語る強さも持っているのだ──しかし、
「……シュウジ・ヤシマ氏か。俺も名前だけは知ってたよ。誠実で実直で、広い視野と見識を持った聡明な政治家だって」
「父が聞いたら、喜んだでしょうね」
 だが、味方は少なかった。むろん、最初から、そうだったわけではない。ただ、政界では実直な性分や生き方は不器用で堅苦しく、つまらないという内々の評価しか受けられなかった。
 地球連邦政府は地球圏全域に目を向けるべきであるものを、宇宙は置き去りにされ、全てが地球に有利な政策しか採られなかった。それは今も変わるまい。
 それどころか、地球ですらが政治家の出身地だけが利益を上げ、彼らも私腹を肥やすのに専念……それが目的のようになっていく。
 もちろん、ヤシマも政治活動をする以上、資金は必要だし、献金を受けてもいた。だが、それは全て公開されていたし、絶対に『一線』を越えようとはしなかった。
 そんな精錬潔白にあろうと努め、理想を追い、唱えるヤシマは他者には当然、煙たがれ、次第に孤立していったのだ。
 決定的だったのは『コロニー自治権整備法案』がろくな審議もされずに廃案になった件だった。
 ミライはまだ五、六歳だったが、激しく憤り、荒れる父の姿は幼心にも焼きついている。普段から穏和で声を荒げることなど滅多になかった父の、あの時の心境は如何ばかりだったのか……。
 以後、状況は悪化する一方だった。苦悩する父と必死に支えようとする母や兄の姿はミライの目にも痛々しく映ったものだ。皆、幼い彼女の前では何事もないように振る舞っていたから、尚のこと。それだけに、敏感になっていった。
 少女にすぎないミライが手伝えることはない。精々が政略結婚的な縁談の主役になる程度だ。ブルーム家との婚約は、その色合いがかなり濃かった。愛娘を味方になるとも、いいきれない者を繋ぎ止めておくための道具とすることに、両親は相当に懊悩《おうのう》したが、最後には選択した。
 両親の苦しい思いが手に取るように理解できたミライも拒まなかった。せめてもの慰みはブルーム家の子息カムランが個人的にもミライに好意を持ってくれたことくらいだろうか。
 だが、破局とでもいうべき刻が遂に訪れた。

 ──ミライが一五歳の時の兄の死である。
 まだ、二二歳という若さだった。

 学生ではあったが、既に内外で父の手伝いもしていた兄が設営運行に参加していた集会で、いざこざが起きた。ところが、それが最後にはかなり大きな騒動にまで発展した。
 その騒ぎの中で、兄は暴徒に襲われたのだ。
 ……息子の、兄の死はむろん、衝撃だった。さらには追い打ちをかけるような悪い噂までが耳に届いた。
 即ち、それは偶発的な事件ではなかったと。ヤシマの長男は最初から標的であったと。あの騒ぎそのものが、そのカモフラージュのために仕組まれたのだと!
 この類の事件で、被害者が有名人・著名人や身内であった場合、この種の噂は付き物だろう。
 ましてや、ヤシマといえば、先代からの高名な政府要人で、三代目となるべき子息も将来を嘱望された傑出した若者だった。
 現場は混迷し、犯人は結局、検挙されなかった。発火点である騒ぎの当事者さえもだ。
 そして、ヤシマの置かれた状況……。
 これでは、『謀』か『裏』があると、多くが勘繰ってしまうのも致し方なかろう。
 ヤシマの悲劇は続いた。恐らくは口さがない無責任な噂の影響か、心労から病を得た夫人が我が子の後を追うように、病没したのだ。
 ……立て続けの葬儀を済ませた直後、シュウジ・ヤシマは連邦政府公職の全てから退いた。慰留の声は当然、上がったが、遠慮がちであった。小さくとも、心から望む者もいたが、ヤシマは首を縦には振らなかった。
 心底、疲れていたのだろうか。
 気遣う者たちも、しばらくはそっとしておいた方が良かろう、と間を置いたのだが、思いがけない結末が彼らの前には用意されていた。
 全ての後始末を終えたヤシマは唯一人残された娘を連れ、行方を晦ませたのだ。もちろん、地球の全資産は処分されていた。
 宇宙に行く──そう打ち明けられたミライは驚かなかった。何となしに予想していたのだ。

『私は地球を逃げ出すのかもしれない』

 そんな言葉を娘に語りかけるわけでもなく、呟いた父の横顔は急激に老けたように見えた。
 そして、二人が落ちついたのは新興のサイドで、ようやく一基目《バンチ》のコロニーが建設途中ながら、移民受入れを始めたサイド7だった……。住民数も少なく、連邦関係の官庁も移民管理局の事務所のみ、領事館もないコロニーだ。
 父は、既知のない静かな新世界で、傷心《きず》を癒したかったのかもしれない。
「……本当に、辛い思いをしたんだな」
 口を差し挟まず、聞き役に徹していたブライトは息をついた。
 恐らく、ミライは今まで、そんな過去は誰にも話さなかったろう。自分の中に留め続けるのも辛かったはずだ。話すことで、いくらかでも心の重石が取り払われるのなら、良いのだが……。
 それにしても、酷い話だ。
 シュウジ・ヤシマ氏が地球連邦政府を辞したという話なら、ブライトも耳にしていた。だが、そこまで切迫した事情があったとは。
『残念だな。現在の連邦では珍しいくらいに良識ある人物だったが……いや、だからこそ、退けられたのか。これで益々、やりにくくなった』
 人物評価には辛辣な父が盛大な溜息まじりに、そんな話をしていたのを覚えている。ノア家の相続権を放棄し、サイド技術者になったくせに、政治の在り方には人並み以上の興味を持った人だった。父には父の思うところがあったらしい。何がそんなに『やりにくくなった』のかは聞き出せなかったのだが、あの人はあの人で、我が父ながら、未だに(それもこれも戦争のせいだが)謎めいたところが多々ある。
 本職の他にも何やら取り組んでいたことがあるらしいとの察しはつけていたが、それに関しては父も、オマケに母までもが秘密主義的だった。
『そいつはお前が宇宙《そら》に上がってきてからだな』
 そう、流すのが常。ただ、意味深な笑みを浮かべつつも、瞳は真剣だったのが印象深く思い起こされる。つまり、今は宇宙に上がるための準備に専念していればいい、と言いたかったのだ。
 とはいえ、軽く躱されるのがブライトには面白くなかった。思春期に入り、叔父などには「優等生すぎる」と評されたブライトにも反抗期らしき時期はあったのだ。
 ただ、その結果、予想を超えたスキップを果たし、早く宇宙に上がろうとしたあたり、
『カエルの子はやっぱり、カエルよね』
 とか、父子揃って、母に笑われたものだ。
 しかし、父に似ていると認められるのは、決して不快ではなく、誇らしくさえあった。それも、今は思い出でしかないけれど……。
「誰も知らない場所で、誰に知られることもなく、か……多少は心の負担が軽くはなるだろうが、人知れず暮らすってのも辛いよな。それで、本当にサイド7では落ちつけたのかい」
「あ…うん、それだけどね。結構、のびのびとしてたわよ。それまで、ずっと全力疾走してきたようなものだから、休息も少し長めに取ればいい。そんな休養期間と思えばいいんだって」
 意表を突かれた。案外、立ち直りの早い父娘なのかな? とか考えたりしたが、
「でもね。父がそんな風に発想転換できるようになったのは、ある人のお陰なのよ」
「ある人、って?」
「サイド7に行く前に、途中、手続きの関係もあってサイド4に寄ったの。そこで、父は旧い知り合いに偶然、会ったらしいのよ」
「旧い知り合い? 連邦の関係者とかじゃ」
 ヤシマ氏の旧知といえば、どうしても、そういう連想をしてしまうが、ミライは首を振った。
「違うって言ってたわ。全然、関係ない人だって──それで、その人と少し話をしたらしいの」
「それじゃ、休養期間と思えばいいってのは」
「えぇ。その人が言ったんですって。長く走り続けてきたのだから、ゆっくりと休んでから、歩き出せばいい。慌てずに力が充足してきたら、また、走り出せばいいんだって」
 目から鱗が落ちるような喩え方だ。
「……・・何か、エラい説得力あるな」
「そうよね。正直、驚いたわ。ずっと悄然としていた父が、いくらかでも気力を取り戻せたのは確かにその言葉のお陰だと思えたもの」
 どんなに私が慰めても、駄目だったのにね……と、少しだけ、悔しそうにも見えたが、
「でも、父がまた元気になってくれたから、本当に安心したし、嬉しかった。だからね、その人には心から感謝してるの」
 さっきから、何となく引っかかっていたのだが、ミライの言葉に違和感を覚えた。
「 ? その人のこと、もしかしたら、ミライは知らないのか」
「う…ん。私は会ってないし、父も名前は教えてくれなかったから……」
 あの頃のヤシマ父娘は連邦の目を晦ましての、逃亡者の如き気分だったので、知らない方がいいかもしれないと判断したらしい。
「あ、でもね。その人はサイド建築関係の技術者だったんですって。それで、サイド7の建設が本格化すれば、まず移ってくるだろうから、その時にまたって、約束したらしいわ。そうしたら、私にも紹介してくれるってね。勿体つけてたけど、何だか楽しそうだったな」
「サイド技術者、ね……」
 ほんの一瞬、父親を思い浮かべる。不思議な符号だが、その職種の人間は星の数ほどにいる。
「でも、それなら、その人がヤシマ氏をそんな風に慰めたのも解る気はするな。シュウジ・ヤシマといえば、スペースノイドにも理解のある政治家だったからな」
「そうなのかしら? でも、結局、そういう来客はなかったみたいだし、あの戦争で……」
 ミライの表情が微かに曇る。
 ブライトの胸にも痛みが走る。
 二年間強の穏やかな日々の後の狂暴な時代。
 お互いに夫々の家族を失った戦争……。
 サイド5にいたブライトの両親は確認できたわけではないが、開戦直後か一週間戦争の際に死亡したと思われる。サイド5の宙域ではルウム戦役と呼ばれる激烈な艦隊戦も繰り広げられた。
 そして、ミライの父、シュウジ・ヤシマは後に徴兵に引っかかったのだ。
 可能な限り、足跡を消し、サイド7に移る際にはわざわざ、サイド4を介し、出身を紛らわせた。辺境のコロニーに、ひっそりと住むヤシマと政府関係者のみならず、地球でも宇宙でも広く名を知られたヤシマが同一人物であるなどとは誰が想像できただたろうか。
 むろん、たった一枚の紙切れを機械的に裁くだけの徴募官が気づくはずもない。
 前歴をひけらかせば、或いは兵役は免れたかもしれない。証明する手段はその気になれば、いくらでもあった。だが、かつての役職を盾に自分だけが免除されようなどという真似ができる人物ではなかったのだ。
 それとも、どんな手を使っても身を証して、連邦に復職し、戦争終結の早期締結のために尽力すべきだったのか? 
 何れにしても、余りにも時間がなさすぎた。また、復職できるとも限らなかったろう。
『済まない、ミライ……』
 家を出る時、抱きしめてくれた父はそれだけを何度も何度も口にした。
 見送る背中は酷く小さかった。
 この時の父は四七歳……政治家としてはまだまだ、若手で通用するが、兵士としては──それも初陣では年がいきすぎていた。
 父は決して、死にたがっていたわけではなかったと思う。それは信じている。けれど、自分が生きて帰ってこられるとは思っていなかった。
 ミライもまた無事に帰ってきてほしいと切望していても、その可能性が限り無くゼロに近いことを知っていた。
 遠ざかっていく父の後ろ姿──父は一度として、振り返らなかった。進めなくなるのを恐れたのだろうか……。
 そんな父の姿が見えなくなるまで、ミライはずっと見送り続けた。もう一度、顔を見たかった。声を聞きたかった……。
 見えなくなっても、かなり長いこと、門前に立ち尽くしていた。
 家に入るのが怖かったのだ。
 それでも、最早どうにもならないから、どうしようもなくて、家に戻ると……そう大きくもない家が、広くもない部屋がとてつもなく巨大で広大な空間に思えた。ガランとした静かな部屋。父が使っていた部屋は温もりも消え、家が冷たくミライを拒絶するようだった。
 本当に独りきりなのだと、ようやく認識した。

 その後、どれほど経ってだろう……一通の封書が届いた。
 事務的に父の戦死を伝える簡素な紙面。
 それだけだった。それで、オシマイ。

 たった一枚の紙切れで駆り出され、
 たった一枚の紙切れで存在の終焉を示される。
 大切な大切な愛する人が奪われていく。
 それはきっと、ミライだけではない。

 そして、それだけで済ませているのは地球連邦軍。
 さらには上部組織である地球連邦政府なのだ。
 かつて、父が関わった組織。理想を追い求め、信じようとしていた父を、冷たく切り捨てた組織。
 邪険に除いた組織。肥大しきり、硬直しきった巨大な『化物』の如き組織。
 あの戦争も、連邦の対応がもう少しマトモで誠意あるものであれば、或いはサイド3も開戦に踏みきったりはしなかったやもしれぬ。楽観とは思っても、そう考えたくなってしまう。
 サイド3のザビ家のやり様は急進的すぎたとしても、それを許したのも、結局は連邦の宇宙への無関心さにいきつくのだから。
 そして、自らの血は決して流すこともなく、大勢の人々の犠牲の上に勝ち取った『勝利』──それに対し、もっと、真摯であるべきなのだ。

 誰も死にたくはなかったろう。
 大切な愛する人々を残して逝く……何より、それが恐ろしかったろう。
 それでも、愛する人が守れるのなら……。
『サイド7は地球圏でも辺境の小さなサイドだ。よほどのことがなければ、ジオンも襲ってはこないだろう』
 月に対しては地球の裏側に、他のサイドからは隔絶された孤独なサイド。こんな宙域まで、ジオンが押し寄せてくるとしたら、それは……。
 そうさせないためにも、いくのだと。娘のためにだと言いたかったのか?
 そして、父は帰らなかったのだ。
 最後の瞬間、父は何を思ったのだろう。残してきた娘の無事だけを祈ったのだろうか。

 結局、サイド7も辺境で、駐留兵力も小さいのを逆手に取り、連邦軍が軍事開発の拠点としていたのをジオンに気取られ、戦場となった。
 建設途中のコロニーは荒らされ、捨てるしかなく、ミライもその脱出行に乗艦した地球連邦軍艦艇ホワイト・ベースの操舵手として、終戦まで戦場を彷徨することになる。
 けれど、何のために戦っていたのだろう。
 何のために、あの艦の舵輪を握り続けて……。
 独りになった世界。
 独りきりでも生きていくために?

「ミライ」
 我に返り、顔を上げる。気遣わしげなブライトの視線とぶつかった。
〈あぁ、そうだった……〉
 私は独りじゃない。この人がいる。
 あの艦で、出会えた人がいる。
 何人もの友人もいる。
 大切な人々が。愛する人々が……。
 だから、あの艦で戦えたんだ。
 生き続けていけたんだ……。
 あの艦はもうないけれど、この心に残る限り、きっと同じ思いで生きていける。
 手を伸ばし、ブライトの手を握る。
「大丈夫……私は、大丈夫よ」
 まるで、自分に言い聞かせるための呪文のような呟きに、ブライトはさらに手を重ね、強く握りしめた。それが心を落ちつかせ、強くさせる。
「……ただね。一つだけ、気がかりなのはその方は御無事なのかしらって」
「あぁ……どうだろうな」
 シュウジ・ヤシマ氏の旧知であったというサイド技術者の消息か。しかし、難しいだろう。
 偶然に会えたというサイド4はジオン軍の攻撃で、壊滅した。もちろん、それでも、一人残らず全滅したわけではないが、当人が二年後もそこにいたとは限らない。元々、確かにサイド4の技術者なのかも判然とはしない。その時、たまたま、訪れていただけかもしれないのだから。
 開戦後のジオンの急襲を免れたサイドはサイド6、サイド7の二つだけ。サイド7にいれば、訪ねてくれただろう。となれば、生存の可能性が高いのは残るサイド6だが……。
 何れにせよ、名前も判明らないのでは探しようがない。ホワイト・ベースの件で、変な意味で有名になってしまっては呼びかけるわけにもいかない。迷惑をかけるかもしれないし、心ない輩が多数出現する可能性もある。
 尤も、全てはその人が生きているという前提の上でのことだ。
「いいじゃないか。そう信じていれば。そんな人なら、ヤシマ氏の愛娘が生きていると聞けば、陰ながら、喜んでくれると思うよ」
 生きていたとしても、呼びかけたとしても、出てこないような気がするのだ。
「そうね……どこかで見守ってくれているって、信じていればいいわよね」
 ミライは微笑み、遠い目をした。
 ミライにとっては見ず知らずの『父の恩人』──それでも、懐かしい思い出にできるように思えた。
 ……食事は終わりつつあった。
 洗い物を始めたミライの後ろ姿を、好いものだと思いながら、眺める。生き生きと立ち働く一瞬一瞬の彼女が一番、眩しい存在だった。
 片付けが終わったら、今度は買い出しに付き合うと約束させられていた。
〈……良い奥さんになるよ〉
 負けないくらいの良い旦那になれるだろうか。


 二人並んで、歩く地下都市の街路。
 決して、珍しい光景ではないのに、今までとは何かが違って見えた。
 何より、二人も違うのだ。
 他の人の目にはどう映っているだろう。それが少しだけ気になる。
「ねぇ、ブライト。可笑しな話なんだけど、最近、マスコミで騒いでる私たちの話、知ってる?」
「いや。いい加減、付き合うのも馬鹿馬鹿しいからな。何だい?」
 終戦後一年以上が経過し、一頃の馬鹿騒ぎは下火になったが、まだまだ、ホワイト・ベース関連の報道は完全に消えてはいないようだ。全く、よくネタが尽きないものだと、感心する。
 ミライは困惑したように、言い澱んだが、
「その、ね……あなたのお父様と私の父が、顔見知りだったとかって話なんだけど……」
「はぁっ!? そんな話が持ち上がってんのか?」
 足を止め、未来の奥さんの顔を凝視すると、神妙な表情で頷いている。
 ブライトの生家ノア家はいわゆる、地方名士だった。イギリス地方だけでなく、全ヨーロッパでも、かなり名の知れた家だった。
 但し、政治家は出していない。確かに強い影響力を有し、地方政治家の後援などはしていた。その気にさえなれば、直接参政も叶ったであろうが、表立って政治に関与はせず、むしろ、連邦政府とは距離を置いていた。
「大体、親父は相続放棄して、叔父貴に押しつけたら、さっさと宇宙に行っちまって、やりたいことやってたし、滅多に地球には帰ってこなかったたし……接点なんてないと思うけどな。俺も聞いた覚えないぜ、そんな話」
「でも、その叔父様が成人されるまでは跡取りだったんでしょう。その頃、連邦主催の会にも参会されて、何度か顔を合わせてるって……政府の確かな筋からの情報らしいけど」
 ミライも誰ぞから、又聞きしただけらしい。だが、その『連邦の確かな筋』が一番、怪しい。名前も顔も絶対に出ないのだから。
「信憑性薄いよ。それじゃ、実は旧知のノアとヤシマの何も知らない子どもたちがホワイト・ベースで会って、ともに戦っていた。そして……その、運命的に結ばれていたとでもいうのか? 話ができすぎてるよ。盛り上げすぎだ」
 ミライは少しだけ、不満顔( ?) の様子。
「……そういう話、信じてるのか? それとも、信じたいとか」
「というか。信じてもいいかなって。だって、お父様たちが知り合いだったとしたら、戦争がなくても、私たち会えたかもしれないでしょう」
 またもや、ブライトは意表を突かれた。ミライが信じたかったのは、そういう可能性なのか。
「あぁ、そうか……そうだよな」
「それにあなたのお父様はサイド技術者でしょ?」
「そ…!? て、まさか、ミライッ」
 父の恩人と結びつけている?
「そうあって欲しいな、って……少しはね」
 それこそ、できすぎている。だが、ブライトには何も言えなかった。そう思いたいミライの気持ちも理解できたからだ。何よりも、
「本ト、そうだったら、いいな」
 信じたがっているのは自分か……。
 ただ、あの父なら、いいそうな気がしないでもない。シュウジ・ヤシマ氏は誉めてたし……珍しく。
「あ、でもさ。もし、親父たちが知り合いじゃなくても、俺たち会えたかもな」
「え?」
「あの年の三月、俺の両親はサイド7に移ることが決まってたんだ。だから、俺も大学の卒業後はサイド7に行こうかなって、考えてて……」
「──それじゃ」
「ホワイト・ベースで会えなくてもさ、サイド7の街角で、すれ違うくらいはあったかもな」
 あらぬ方を見遣り、ブライトは続けた。しばし見つめ、次いで、ミライは噴き出す。
「やだ。ブライトこそ、盛り上げすぎ」
「だな。何にしたって、俺たちはこうして、出会えたんだし──」

 ……そうなのだ。
 手を取り、見つめ合う──……
 そして、二人はともに歩み出した。


 人の縁は不思議なもので、信じられないような偶然も確かに、この人の世には存在するのだ。それを『運命的』と呼ぶかどうかは人夫々だろうが──……。

 シュウジ・ヤシマ氏がサイド4で会った旧知のサイド技術者はカイル・ノアという名を持つ。だが、その真実は時の流れに埋もれていく。
 ただ、果たされなかった再会がその子らによって、果たされたとしたら──この世ならぬ世で顔を見合わせ、一人は肩を竦め、一人は頬をかきながら、苦笑するかもしれない。
 しかし、安堵もしているだろう。
 遺してきた最愛の子が手を携えていける者を得られたのなら、それだけで……。



「Kaptain,Guten Morgen!」
 非番明けの翌朝、ニヤニヤ笑いの相棒が肩を叩いた。さらにざーとらしく耳元で声を潜める。
「んで、うまいこと、やれたのかな?」
「…………こんの、お節介が」
「あれま、余計なお世話だった?」
 フン…と、鼻を鳴らせてみせると笑われた。
「まっ、その分なら、いけたみたいだな。お前、好い顔してるよ」
 今度は力一杯、背中を叩かれた。相当、効いたが、一応は祝福のつもりらしいのは解る。
「さぁて、仕事仕事。バーニア整備の確認しとかなきゃな。次もあれじゃ、飛びたかないぞ」

 ──俺は十二分に恵まれていると思えた……

《了》


 唐突なネタで状況がよく解らないぞ! と思われそうな話でした。いや、確かに本作は『PARTNERS』の『ミライ編』の続きともいえるもので、くどくならないように重なる描写は削り、密度を薄めたからです。それでも、大体の状況は解るかな、という程度には書きこんだつもりです。
 第一稿脱稿は97年10月。発行はなぜか98年5月だったというコピー誌。その間の冬コミを見送ったのは慣れないもん(=激甘の恋愛話)を初めて書き、羞恥にのたうってたからです。マジに超々限定激少部数作にするつもりだったのに──結局、本にして、しかも、ネット公開とは──4年以上もたてば、この程度じゃ、恥ずかしくも思わないってことですかね。舞さん?
 ともかく、多少は解説を。

 ミライの「あなたの子が産みたいわ」なる赤面もののセリフはTV版『機動戦士ガンダム設定書・原案』を意識したものです。以下、全集より抜粋。
『男は、女の中に己の種を残せたことの確信が持てた時、“種”を守るための死をいとわぬ部分がある。そして、戦士の精神を伝えることができるのは女性である。戦士が、何をし、何を守り、何を残そうとしたのかを子に伝えのが女なのだ。この初原的な種の観念を一語でも語ろうとするのが、この物語の表の顔である。テレビにあっては、おそらく主人公に近い女性が、主人公かそれに近い男に対し、
「私はあなたの子供を産みたかった。今になって、そう思えます」
という語りで、終ることとなる』
 後に監督は「企画段階のもので、話が進めば、最終的には結末やセリフも変わるのも仕方ないが…云々」などといってましたが、物語の根底にある全体のテーマとしては変わりはないでしょう。(『密会』なども案外、その辺を文章化したものか? TVに出たとしたら、セイラがアムロにか? 小説版はアレだけど、想像つかん。年齢設定のせいもあるか)
 ただ、輝に関すれば、最初から意識していたわけでなく、書き進める内に話の流れに合うと思い出してしまった感じではありますね。
 とはいえ、TV版に以上のセリフはなくても、時をなぞるような続編でも様々な家族の姿が語られることとなり──どうも種々の問題を抱えているのが多い。
 本作は、それこそ意識的に『理想』を書いたものです。現実には難しいだろうとしても、『架空のお話』の中でくらい、理想に走ってもいいじゃない?
 そんな中、『Z』以降のノア一家は少なくとも『ガンダム・ワールド』では最良の一家に違いなかった。いい意味での『普通の家族』と映った。ミライらの登場は少ないものの、ブライトが出ている限り、彼の“背景”としての“家族の絆”が確かに窺えたと思えたのです。『ガンダム』時代のブライトには感じられなかった確固たる“生身の存在”としての家族が感じられるようになっていたからです。
 『Z』#17でのミライのベルへの一連のセリフが前出のテーマを受けたものと考えるのは感じすぎかな?
 ……しかし、そういう初期シリーズを生き抜いて、結ばれた二人の子どもが──『何か』を伝えられたはずなのに、終焉は『あの物語』かいっ。
 やっぱし、勝手な思い込みなんですかねぇ。それじゃ、あんまりムナシイ……。(別にブライトとミライの子でなかったとしても、あの展開ではWB世代には希望もないじゃないか。ハサには“WBクルーの子の代表”という存在でもあるのに。仮にそれがハヤトとフラウの子だったとしても同じこと。他のクルー同士が結婚しても不思議ではないし。そういう意味で悔しいんだよな。あの『脱出』さえ否定された気がしてね。尤も、WBにいたカツの結末からして、とうにアキラメ・モードかもしれんけど)

 で、理想を追っかけた挙句が『自爆モード』に突入。恥ずいのゴマカすので後半は妙な展開。『GENERATIONS』とかいう話のネタフリです。決して『スター・トレック』ではなく、とーちゃんズのお話で、一年戦争以前を舞台とした好き勝手な設定です。知り合いだなんて、本マにできすぎ。まぁ、他にないだろうし、あってもいいっしょ?(すがってる)
 まだまだ、頭ン中でも未成熟の話だけど、いつか出せたらいいなぁ……などと夢想して、既に4年。一向に固まってない。やっぱし、構想ばかりがでかくて、輝の力量では手に負えないようなTT とりあえず、序章だけしかできてない代物です。

 ったく、長い長い蛇足で申し訳ないです。最後に、

Dedicated & Thanks to Ms.R.Mai
4年前、この話を書く気になったのは舞さんのおかげです。

2002/01/12 コピー誌フリー・トーク再編集

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