星に願いを


 聖域《サンクチュアリ》に来て、何年くらい経った頃だったか。毎日毎日、修行修行に明け暮れて、師匠の魔鈴さんにこってり絞られていた。あの日は魔鈴さんに延々、走り込みをさせられていて、その途中で、俺は知った背中を見つけた。
「アイオリア! 何だよ、すっげぇ、久し振りじゃん」
 俺はここ暫く(気がつけば、いなかった)見かけなかったアイオリアに駆け寄る。
「星矢か。そうだな、久し振りだ」
 相変わらず、聖闘士《セイント》にしては穏やかというのか、全然、荒っぽさとかがなくて、凄く落ち着いてる。笑顔で迎えてくれたのはアイオリアだ。
 魔鈴さんの知り合いというか、友達というか、お仲間……なのか? ちょっと、関係がよく見えない感じもあるけど、信用できる相手だってのは確かだった。
 何かというと、俺や魔鈴さんを「日本人だ」というだけで、目の敵にする連中が多い聖域では、俺達を色眼鏡で見ないアイオリアは変わっているのかもしれないけど、俺は好きだった。時々だけど、魔鈴さんと一緒に、手合わせもしてくれる。
 でも、聖闘士(であるはず)のアイオリアは時々、聖域から姿を消す。
「なぁ、何かの任務だったのか」
「まぁな」
 言葉少なに微笑むアイオリア。たかが候補生の俺に話せるわけないのは解ってるけど──でも、いつも不思議に思うこともある。アイオリアの聖衣《クロス》姿を見たことがないってこと。
 聖域内でも、任命を受けている聖闘士は授かった聖衣を大抵は身に着けて、そこらを歩いてたりする。んでもって、中には鼻持ちならない奴もいたりする。如何にも「自分は選ばれた存在なんだぞ!」とか、自慢したげで偉そうにしてる奴。
 そりゃ、確かに上は黄金から、白銀、青銅まででも八十八しかない守護星座の聖闘士に選ばれるというだけでも、凄いことだとは解るけど、あんまし露骨だと腹も立つ。
 でも、アイオリアは違う。間違いなく、実力のある位も高い聖闘士のはずなのに、そういう嫌味なところがないし、どうしてだか聖域でも絶対に聖衣を着けない。
 着けている時もあるのかもしれない──つーか、絶対にあるはずだけど、俺は見たことがないし、“銘”だって教えてくれない。 何度も聞いたけど、いつも適当に誤魔化された。
「いい加減、アイオリアの守護星座、教えてくれよ」
「その内にな」
「いっつも、それだ。その内って、いつだよ」
「そうだな。星矢が聖衣を授かって、一緒に任務に出るようになったら、かな」
「それって、絶対にありえないとか思ってるんじゃないのか」
 少しムクれると、苦笑が返ってきた。
「思っていないさ」
「本当かよ。勿体ぶらずに今、教えてくれればいいじゃないか──」
 今日は纏わりついて、しつこく食い下がってみた。
 因みに魔鈴さんは鷲座《イーグル》──白銀聖闘士《シルバーセイント》だ。それも結構、上位だと聞いた。その魔鈴さんが「アイオリアは私よりも強い」と断言するくらいだから、最上級の白銀聖闘士かな?
 とか、推理を披露してみせると、アイオリアは困ったような顔をしたけど、このまま押し切れば、もしかしたら教えてくれるかも──そう思った時だった。

「ハン! 逆賊の弟如きに与えられる聖衣など、あるものか」
「全くだぜ。図々しい奴だ」
「聖衣は我が聖域の宝だ。汚れた輩の物になぞ、なるか」
 擦れ違った連中が吐き捨てた言葉には本気の悪意が籠められていたのが俺にも解った。聖闘士ですらない、ただの雑兵がゴミでも見るような目で俺達を見ている。でも、その悪口の鉾先は俺じゃなくて、アイオリアだ……。
 アイオリアはいつもと同じで、何も言わないし、まるで反応を見せない。それがまた、あいつらには面白くないらしい。他にも色々と聞きたくもない悪態ばかりを吐いている。堪らなくなって、キレたのは俺の方だった。
「てめーら、黙れ!! アイオリアは聖闘士だ! てめーらなんか、敵うわけがない強い聖闘士なんだぞっっ」
 腹を立てて、俺が叫ぶと、周りの連中が嘲笑った。
 俺は余計に怒って、馬鹿な奴らの一人に掴みかかろうとした。でも、
「星矢、やめろ」
「だって、アイオリア!」
「いいから。行こう…」
 こういう時のアイオリアは強引だ。それこそ、力では敵うわけないし、引きずられていく。
 また湧き起こった嘲笑が背中にぶつかる。
 それも聞こえなくなって、十分に離れた所で、俺はアイオリアの手を振り払った。それもアイオリアが離す気になったからだけど──食ってかかる。
「何だよ、アイオリア! 何で、いつも言わせとくんだよっ。あんな奴ら、アイオリアの敵じゃないだろう!」
「星矢…。聖闘士の私闘は禁じられている」
「あいつらは聖闘士じゃないじゃないかっ」
「ならば尚のこと、自制しなければならない。自分よりも力が劣る者を、力で従わせるのは聖闘士の為すべき行為《こと》だと、本気で思うのか?」
 時々、アイオリアは難しいことを言う。俺が解ってないだけかもしれないけど──でも、だからって、我慢することはないじゃないか。
「でも、あんな言われ方して……」
「俺は、気にしない」
「本トかよ!? 腹立たないのかよっ。アイオリアはちゃんと、聖闘士として、聖域のために働いてんだろっ。なのに、あんな──」
「アテナは、御覧になって下さっている」
「──会ったこと、あんのかよ」
 嘘臭い科白だと思った。案の定、俺の突っ込みにアイオリアは困ったように苦笑した。

 本当に女神《アテナ》なんて、いるのかよ。思ってはみたけど、こればっかりは口にはしない。女神の存在を疑ったりしたら、即座に聖域から叩き出される。聖闘士ってのは、“女神の聖闘士”なんだ。
 十年位前に降臨したらしいけど、姿を見るどころか、存在すら感じられないってのに──。
 アイオリアがあんな連中に馬鹿にされても黙ってるなんて、お偉い女神様だか何だか知らないけど、そいつに尽くすのが聖闘士の務めとか言われても、全然ピンとこない。
 大体、俺はグラード財団に命じられて、日本に聖衣を持ち帰らなきゃならないだけで、そんな使命感はないんだけど……。
 あーっ、気分がクサクサするっ。

「あんな奴ら……。一度、聖衣で脅かしてやればいいんだ。そうすりゃ、黙るに決まってる」
 直接、手出ししなきゃ、私闘にもなんないだろうし。チラとでも、そう考えたのも本気だった。
 けど、途端にアイオリアの雰囲気が変わった。ビリッと感電でもしたような感じに体を竦めちまった。
「星矢」
 声もいつもと違って、エラく厳しい響きがした。もしかして、怒ってんのか? 何だか、唾も飲み込んじまう。恐る恐る、そーっと横目で見ると、表面上は大して変わらない。
 ……でも、やっぱり何というか、怒ってる。
「──星矢」
 もう一度、名前を呼ばれて、仕方なく向き直る。でも、それで精一杯。 初めてだった。体は震えるし、顔は強張る。この時、俺はアイオリアを初めて、怖いと感じていたんだ。
 拳が飛んでくるか、蹴りでも喰らうか──相手がアイオリアでも、そのくらいは覚悟した。
 ……ところが、そのアイオリアは不意にフーッと息を吐き出した。呆れた溜息なんかな? けど、ビリビリしていた周りの空気が和らいだ……みたい。続いた声も、いつもと同じで……。
「いいか、星矢。聖衣は、私欲や我欲のために使うものではないんだ」
 そんなことをすれば、一度は認められたとしても、いつか聖衣は離れていく、と……。
 アイオリアは俺の肩に手を置いて、目線を俺に合わせてきた。
「お前も、聖闘士を目指すのなら、それだけは絶対に忘れてはならない」
「アイオリア……」
「唯の一つでもいい。自分の中に、確かな拠所《もの》があれば、揺らぐこともないんだ」
 それから、噛んで含めるようにって感じで、続けた。

 だから、誰に何を言われても、気にはしないって。人に、惑わされたりはしないって。
 そう言い切るアイオリアは本気なんだろうけど、でも、何だか堪らなかった。あの馬鹿な連中に罵られていた時よりも、よっぽど……。
 凄く綺麗に笑ってくれたのに、凄く悲しそうにも見えた。
 俺は見ていられなくなって、俯いてしまった。
 そんな俺に、アイオリアが苦笑したみたいだ。立ち上がると、肩に置いていた手で頭をポンポンと叩いた。
 いつもなら「子ども扱いするな!」って怒るところだけど、今日はとても、そんな気になれない。

「そうだ、星矢。今日は無理だが、明日は時間もあるから、付き合えるぞ。手合わせしようか」
「え…、本当に?」
「あぁ。勿論、魔鈴が良いと言ったらだけどな」
 アイオリアの立場では弟子も取れないし、他の聖闘士候補生への指導もその師匠の許可がないとできないって、魔鈴さんが言ってたっけ……。
『そんな物好きというか変わり者は、私くらいなものだけどね。勿体ない話さ』
 なんてことを言っていた魔鈴さんが断るはずがなかった。俺とアイオリアを引き合せたのも魔鈴さんだし、自分以外の、実力ある聖闘士と手合わせるのは有効だからと、できる限り機会を作ってくれた。
「やるやるっ! 絶対だよ、アイオリア!」
「あぁ。どれだけ、腕を上げたか、楽しみにしているよ」
 まだまだ、アイオリアどころか魔鈴さんにも軽く捻られてる俺だけど、二人とも俺を見下したりはしなかった。二人より弱いのも、遅れているのも当たり前のことだ。それをどれだけ、埋めようと努力するかが重要なんだ。
 そりゃ、努力だけで何もかもが上手くいくなんて、思ってないけど……。
 でも、俺は絶対に聖衣を、自分のものにしてみせる。そうして、日本に持ち帰って、必ず姉さんを──……。
 けど、こんな理由でも、聖衣は俺を認めてくれるんだろうか。『女神の御許、正義のために戦う聖闘士』には程遠いってことは解る。ただ、やっぱり姿を見せない女神への忠誠がどうのと言われても、よく解らない。

 いつの間にか、立ち止まってしまった俺にアイオリアが「どうした」と尋ねてきた。
「うん……」
 不安が背中を押したんだと思う。たった一つでもいいから、確かなものを──でも、それが私欲や我欲じゃないって、誰にも言い切れない。 
 本当はこんな事情《こと》まで、言う気はなかった。幾ら理解のあるアイオリアでも、こんな我儘な理由で聖闘士を目指す奴には呆れてしまうかもしれない。それどころか「ふざけるな!」と怒るかも……。 
 予想はどちらも外れた。アイオリアは「それでも、いい」と言ってくれたんだ。
「本当にいいのかな。自分でも、これって、私欲じゃないかな、って思うんだけど」
「星矢はただ、姉を探して、護りたいんだろう? ならば、それは女神の御意思に沿うものだ」
「どこが?」
「女神は、地上の全ての民をその懐に入れられて、守護なさる御方だ。つまり、お前の姉もその一人だ」
 一寸、詭弁っての? そんな感じもしたけど、俺はアイオリアの解釈を信じることにして、それ以上、悩むのはやめにした。何もかも、聖衣を得てからでも良いんだしな。
「ありがと、アイオリア。俺、頑張るぜ」
 胸を張って、宣言すると、アイオリアは笑ってくれた。

 アイオリアは本当に強い。聖闘士としての能力は勿論なんだろうけど、心が強いんだ。周りがどんなに騒いでも、揺れることもないし、真直ぐに前を見つめている。
 あんな風に、どんなに酷い言葉で打たれても、弄られても──どうしたら、そんなに真直ぐに立っていられるんだろう。何がアイオリアを支えているんだろう。
「あのさ。アイオリアの確かなものって、何なの」
 純粋に知りたかったんだ。そりゃ、同じように、俺の力にもなるかも、なんて考えたのも確かだけど……。
「人の理由を聞いても、お前の助けにはならんだろう」
 しっかり見抜かれていたのか、結局、それだけは守護星座の“銘”と同じように教えてくれなかった。

「そろそろ、行かないと。お前も走り込みの途中だろう」
「あっ、ヤバッ! 魔鈴さんにドヤされちまう」
 慌てて、俺は走り出す。けど、思い直して立ち止まり、振り向いた。アイオリアはまだ俺を見送ってくれている。
「明日は約束、忘れんなよ!」
 片手を上げて、応えたアイオリアは別の方へと歩いていった……。



たった一つでもいいから、確かなものを……。

 俺は姉さんを思い、守護星座“ペガサス”の加護を信じ、魔鈴さんの訓練《しごき》にも耐え、そうやってペガサスの聖衣を得た。
 日本に帰ってからも色々とあって──真の女神を見出した俺達は『正義のために』と信じ、聖域《ここ》まで来たのに……。
 ここで立ち塞がるのが、何で、そう言ったあんたなんだよっ。

「アイオリア…ッ、しっかりしてくれよ!」
 必死に呼びかけるが、反応は薄い。見たこともないような冷え切った眼差しで、俺を見下ろしているのは獅子座《レオ》の黄金聖衣を纏ったアイオリア……。
 アイオリアの“銘”は聖闘士の中でも最高峰の黄金聖闘士に数えられる獅子座だった。
 それを知ったのは日本でのことだ。メディアを巻き込んでまで私闘を演じた(それは作戦だったんだけど)俺達青銅聖闘士抹殺の命を受けた黄金聖闘士、それがアイオリアだった。さすがに、もう一人の師匠くらいに思っていたアイオリアが刺客として現れたのには蒼くなった。
 まだまだ、敵わないのは解っていた。況してや、黄金聖闘士だったなんて!? 白銀聖闘士どころではない。黄道十二星座を冠した十二人しかいない最強究極の聖闘士達──その一人だったなんて……。あんな形でなければ、我が事のように自慢したかったくらいだ。
 でも、残念ながら、俺達の再会は討つ者討たれる者としての再会で──あの時のアイオリアは、禁を犯した聖闘士抹殺という勅命を受けた聖闘士としての厳しい面だけを見せていた。
『こんな形で、再会するとはな……』
 厳しさの中にも、聖闘士としての宿命の悲しさを感じさせた。その勅命の遂行はアイオリアにとっても苦渋の選択だったに違いないんだ。

 それでも、あの時はシャイナさんに庇われ、女神の、沙織さんの登場と射手座《サジタリアス》の黄金聖衣のお陰で、事なきを得た。
 沙織さんを真なる女神と認め、忠誠を誓い、先に聖域に戻った助けになってくれるはずの最強の黄金の獅子は──今、完全に敵として、俺の前に立っている。
「あんたの確かなものはどうしたんだよっ。一つでも、自分の中にあれば、揺らぐことはないって──アイオリアが言ったんだぞ!!」
 もう……何度となく容赦ない攻撃に曝され、圧倒的な力の前に為す術もなくて──それでも、諦めきれずに泣きそうになりながら、必死に訴えかける。なのに!
「知らんな」
 冷たい声で、両断された。

 俺が、あのアイオリアの言葉にどれだけ励まされたか!
 それなのに──信じられない。嘘だろう? 頭の中で否定ばかりが渦巻く。
 愕然とする俺の前で、アイオリアの小宇宙《コスモ》が高まり出した。揺らめき、立ち昇る黄金の小宇宙。けれど、どこか闇《くら》さを感じさせる強大で狂暴な獅子の小宇宙が再び、向けられる……。
 いつも、暖かで穏やかな微笑を向けてくれたアイオリアからは想像もできない冷たさを帯びた小宇宙が──確実に、俺の命を奪おうと燃え上がる。
 俺は、この時ほど、絶望なんてものを覚えたことはなかった。

 ……俺を殺しても、あんたは何も感じないように、俺の骸を冷たく見下ろすんだろうか。
 それとも、そこで正気づいたりするんだろうか。そして、哀しんだり、泣いたりするかな。
 そうだよな…、いつものアイオリアなら、絶対に! そんなのは俺だって、ゴメンだ。
 だから、まだ足掻かせて貰う。ペガサスの宿星が俺にある限り、あんたが相手でも、絶対に負けない!
 そして、沙織さんを、黄金の矢を胸に受けて、倒れた女神を助けてみせる。
 それに、あんたも……アイオリアも絶対に、目を覚まさせてやる。

 燃えろ、俺の小宇宙よ。ペガサスの星よ、俺に力を……。
 そして、獅子座の宿星よ。黄金の獅子を目覚めさせてくれ。



 調子に乗って? 『星矢・お題』を。ちょい馬鹿話だった『01』に比べるとシリアスです。アイオリアと聖矢の過去捏造『十二宮・獅子宮の戦い』を絡ませてみました☆
 アニメ版では、聖域に来たばかりのお子様星矢とアイオリアの絡みがあって、何と星矢は「アイオリアさん」と呼んでいた(爆) 今回の話はその数年後で、すっかり呼び捨てタメ口。
 散々に書いてた『鎧物』ですが、今になってみると、何か『恥ずい』のは何故だろうか。感性の問題? 特に最後の二行は、入れるか削るか迷った……。『お題』タイトルに一寸でも絡ませる文章が欲しくて、残したんだけど★

2007.03.03.

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