仮 面


 華やかな音楽に乗り、美しい色とりどりの花が回っているようだった。その間を時折、優雅な身の熟《こな》しのウェイターがすり抜けていく。踊る男女もウェイターも、顔を仮面で隠していた。
 そう、今宵は仮面舞踏会だった。

「……解らん」
 一歩、入るなり、呟く青年も目元に仮面をつけている。それに応えた隣の青年も同様だ。
「新たな出会いが楽しみじゃないか。俺たちも今日は護衛じゃなく、客の一人だぜ」
「何を言う、ミロ。どんな状況だろうが、我々はあくまでも、アテナの護衛だということを忘れるな」
「そのアテナ御自らが、楽しみなさい、と仰せられたんだぜ。楽しまなくて、どうする」
 彼らはアテナの聖闘士──それも筆頭たる黄金聖闘士たちだ。勿論、その正体は秘されている。
 今はアテナ沙織も、グラード財団総帥として、招かれているのだ。その闘士たちも、伝説的な聖衣は纏わず、スーツ姿で沙織に付き従っている。城戸総帥付き、ボディ・ガードと認識されているわけだ。
 だが、仮面をつけた今は、客の一人であるのも確かだ。
 均整の取れた長身の金髪イケメンが二人、並んでいれば、嫌でも目を引く──立ちどころに、お嬢様方の声がかかる。「踊って頂けませんか」と……。
「勿論、喜んで」
 呆気に取られるほどに、ミロはお嬢様の手を取る。
「おい、ミロ…!」
『お前も踊ってやれよ。お嬢様方の誘いを蹴るのはマナーに反するぞ』
 テレパシーを残し、本当にホールの中央に向かうと、踊り始めてしまった。
「あいつ……」
 しかし、長い金髪を揺らし、お嬢様をリードする姿は堂に入っている。
「あのぉ〜」
 アイオリアにも女性が近寄ってくる。
「い、いや。私は──」
 慌てて、固辞すると、逃げるように壁際に落ち着く。そして、アテナを探す。いつものように、視界に納めておく。

 アテナ沙織、いや、城戸総帥は仮面をつけていようと、人が放っておくわけもない。常に数人が彼女を取り巻いている。
 聖闘士であるアイオリアの目には、アテナの内なる輝きが眩く見える。その輝きは万人の目に映るものではないが、間違いなく多くの人々を惹きつけるものでもあった。
 今も──仮面をつけている意味は殆どないに等しい。
 取り巻きたちも気配を見れば、その意志の在り様も判る。悪意の類は全くないので、アイオリアは離れたところから、様子を窺うだけにしていた。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 その……当のアテナ沙織は取り巻く者たちに、にこやかに対応しながらも、心の声は!
〈もう、いい加減に解放してくれないかしら〉
 迷惑大全開。といって、適当にあしらうわけにもいかない。
 視線だけで、彼を探す。どれほど、抑えていても、黄金聖闘士の小宇宙が意識から逸れることはない。況してや、彼は──沙織にとっては別の意味でも、特別な存在だった。
〈今日は、無礼講ともいえる仮面舞踏会。何とか、アイオリアと……〉
 踊りたい! というのが本日の沙織の大きな野望だった☆
 今は控えめに壁を背に立っているが、放っておけば、彼の回りには蜜に群がる蝶のように、他の女性が集まってきてしまうだろう。
 悩んでいる傍から、一人二人とお嬢様方がアイオリアに寄っていく。今は断っているようだが、その内、断りきれずに踊ってしまうのではないかと、気が気でなかったのだ。
 おまけに、こちらも──群がる男どもは一向に減らない。一人、離れても、また次が寄ってくる。後から後から、湧いてくるのが不思議だ。
〈も〜〜う! 本トにいい加減にしてよっ!!〉
 心の中でははしたなくも叫び、多分、不穏な小宇宙をも発していたに違いない。

 その時だった。
「踊って頂けませんか」
 パラパラと仮面のお嬢様方が現れたかと思うと、抱き込むように取り巻きたちの腕を取る。そして、あっという間に連行していった……;;;
 城戸総帥に未練タラタラでも、仮面で顔を隠しているとはいえ、見目麗しき乙女たちに言い寄られて、悪い気がするわけがない。寧ろ、仮面の下に見える鼻の下を更に伸ばして、ついていった。
『アテナ…、今です。ここが攻め時ですよ』
 テレパシーの主はミロだ。どうやら、彼がお相手していたお嬢様方に頼んだらしい。
 ここに来る前も、密かに「頑張って下さい」とか嗾《けしか》けるというか、応援するようなことを言われたものだったが。何だか、知らない内に、自分のアイオリアへの想いが随分と広く知れ渡っているようだった。
 一瞬のことだった。それは好機に違いない。でなければ、また直ぐに誰かが声をかけてきて、取り囲まれてしまうに決まっている。
 沙織は、そそくさと壁際へと逃げる。と同時に、彼の…、アイオリアの許へと近付く。
 そんな沙織の動きを勿論、アイオリアも気付いていた。
「アテナ、如何されましたか」
「あの…、いえ。少し疲れたので……。一寸、休憩中です」
 半分は誤魔化しだが、それよりもアイオリアの傍にいたい、という思いの方が強い。後は何とか、ダンスに持ち込むだけだが──これこそが正に最大の難題だ。
 真面目に何とかが付きそうなアイオリアが、どこまでもアテナだと自分を見る彼が簡単に受けてくれるとは思えない。
 自然、黙り込んでしまい、二人並んで、壁の花となっているという妙な雰囲気に。しかし、イケメン仮面が傍にいるためか、誰も近付いてこなかった。

「……え、と。アイオリア。楽しんでいますか」
「は? ハァ、まぁ、いや……」
 とても、楽しんでいる様子ではない。彼の性格を思えば、当然だろうか。
 それでも、チャンスは今日しか──今しかない!
「え…と、そのですね」
「はい?」
 そんな遣り取りを何度、繰り返しただろうか。
『ったくもー、まだるっこいなー☆』
 そんなテレパシーが響いたような気がした。また、ミロかと探そうとしたが──その途端!
「キャッ」
「!? アテ…、総帥!」
 いきなり倒れこんだ沙織だが、当然、アイオリアが支える。
 華やかな舞踏の場の片隅に生まれた小さな奇蹟……。
「…………」
 支えになる力強い腕は想い人のもの。事故のようなものだが、その逞しい胸に、抱かれているには違いない。
「アテナ、大丈夫ですか? 眩暈でも……」
 囁くように尋ねるアイオリアに、沙織は何と答えたものかと迷う。何でもないところで、立っていただけなのに、いきなりコケたのはミロの仕業だ。PKを使ったのだろう。
 アテナの聖闘士がその主たるアテナに対し、PKを仕掛けるとは──普通に考えれば、不敬にして、不埒にも程がある。多分、アイオリアが知ったら、烈火の如く怒るだろう。こんな場所で、千日戦争を起こされても困る。
 それに逆にいえば、アテナの想いを幾許かでも遂げさせたいという主思いな奴かもしれなかった。ここは乗るしかない。正しく、一世一代の大勝負!!

 幾多の神々を相手にしてきた戦女神が足が震えるほどに緊張していた。正直、神々と対決していた方がよっぽど、気が楽だ。
「アテナ?」
「え? いえ、大丈夫です。でも、少し疲れてしまったみたいです」
「では、お戻りになられますか」
 それでは野望がっ!? だが、その瞬間、ふと思いついたこともあった。
「そうですね。でも、私…、一度も踊っておりませんわ」
「はぁ。しかし、具合が悪いのでしたら、早く戻られた方が」
 調子が悪いのに、一度は踊りたい、とか考える辺りがお嬢様なのか…、とか困っていそうな顔だ。
「そ、そうしますわ。でも、アイオリア、その…、よかったら、最後にお相手して下さいません?」
「私が、ですか」
 とても考えになかっただろう。仮面舞踏会だろうが、何だろうが、自分は護衛だ、という考えが強いアイオリアだ。
「駄目、ですか? それなら、諦めます」
 至極、残念そうに俯くと、少しばかり考え込んだアイオリアが手を差し出してきた。ハッと顔を上げると、仮面に奥の窺える青い瞳が優しく微笑んでいた。そして、
「お嬢様、踊って頂けますか」
「──は、はい!」
 そっと震える手を重ねると、ゆっくりとホールの中央へと導かれていった。


★        ☆        ★        ☆        ★


 大きな手が両手が包み込んだ。静かな新しい曲が流れると、ふわりと体を抱えられたように感じられた。
 アイオリアが思っていた以上に上手くリードしてくれるのに、沙織は驚いたほどだ。
 世界の何もかもが光煌くように見える。その中心に、二人がいるかの如くで…。

 やがて、夢のような一時が過ぎ去り、沙織はホゥと息をつき、間近の顔を見上げた。
「いつの間に、こんなにお上手になられたの」
「とんでもない。お嬢様の足を踏まないかと、ヒヤヒヤし通しでした」
 謙遜にしか聞こえない。優れた運動能力の持ち主だからか、それとも、小宇宙も使って、沙織の動きを追っていたのか──それなりのダンスを披露してみせたのだ。

 次の曲が流れた。二人の周囲の仮面の男女が再び、クルクルと回り出す。
「もう一曲、お願いできますか……」
「大丈夫ですか? 御気分が優れなかったのでは」
「え? えぇ。何だか、大丈夫みたいです。あ、でも、他の方々に囲まれてしまうと、気疲れしてしまうので──そうだわ、アイオリア。虫除けになって貰えません?」
「……虫除けって」
 余りといえば、余りな言い方に、ついついアイオリアも吹き出していた。
「では、お嬢様の思し召しのままに」
 細い腰にそっと腕が回された。



「頑張りましたね、アテナ」
 次のお相手と踊りながら、ミロは笑った。あの堅物とダンスに持ち込むとは──乙女の純情パワーは大したものだ。
 さて、聖域で気を揉んでいる(? つーより、半分は面白がっている)仲間たちに、事の成り行きでも知らせようか……。
「まぁ、もう少し、そっとしておいてあげないとな」
「どうかなさいました?」
 呟きが耳に入ったか、お相手のお嬢様が訝しげに見上げている。ロマンティックなムードの中、他の女性に目を向けるなど、マナー違反もいいところだ。
「いえいえ。素晴らしい、この一時に感謝をしているのですよ」
「まぁ、お上手ですわね」
「そんな、とんでもない! どうぞ、もう一曲、この私奴に、夢の一時をお与え下さい」
 お嬢様は仮面の下の頬を赤らめながらも、嬉しそうに、その手を取った。


そうして、仮面に隠した……、
或いは隠しきれない想いが一瞬一瞬、煌き輝く夜は続いた。




 『沙織→アイオリア』 久し振りの第三弾です。
 需要があるんだか、ないんだか──と思っていたら、結構、先を楽しみにもして貰っているシチュですが、やっぱり進展のしようもないようなシチュでもあります☆
 やたら、お待たせした割には短いのですが、もー、どうやったら、アイオリアが踊ってくれるのかが全く見えなくて(爆) ミロのお陰で、何とかですが、沙織も苦労しますね^^;;;

2010.06.20.

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