何事にも折れることのない毅さ。信じ難いほどの真直ぐさ。
傷みを覚える翠色の瞳は、それでも逸らされることはなく、受け止められていた。
その姿にある種の憧れを持っているのだと気付いたのは、いつ頃だったろうか……。


 潮騒が微かに耳を打つ。ゆらゆらと揺れるのは波間に漂っているようで……。
 余りの心地好さに、意識も揺らされる。私を包み込む優しく暖かな小宇宙──……。
 眠りではなく、無理に引きずり込まれた意識が覚醒する。

 私は誰かに抱きかかえられていた。目覚めた瞬間、その小宇宙と腕の持ち主が誰なのかは直ぐに判った。
 僅かに身を堅くしたのは驚きだけではなかったろうけど、それが彼に気付かせた。
「アテナ、お気付きになられましたか」
「お、お嬢様! お体は大丈夫でございますかっ」
 私を軽々と抱えていた青年はゆっくりと慎重に、それこそ、宝物でも扱うかのように私を下ろした。そして、二歩ほど後ろに下がる……。
 纏う聖衣が砂を噛む音が潮騒に乗る。
 力強い腕が酷くあっさりと離れていったのが、とても残念に思えた。だから、辰巳の言うことも殆ど聞いていなかった。
「お嬢様! やはり、御気分が優れませんかっ。あぁ、どうすればいいのか」
 私の返事がないことに勝手に慌てふためいている辰巳には悪いけど、少し笑ってしまう。いえ、心配してくれているのは解るのだけど、度を越すこともしばしば、で……。
「大事はございませんか、アテナ」
 気の毒にでも思ったのだろうか。聖衣を纏う青年が控え目に声をかけてきた。彼ならば、小宇宙で全て判断できるはずだから……。
「……有り難う、アイオリア。お陰で助かりました」
「いいえ。駆けつけるのが遅くなり、申し訳ございません。無用の御懸念をおかけしましたこと、お詫び致します」
 闇の中でも月の光を受けて、煌く黄金聖衣は満天の星空を写し取ったかのようで、何とも幻想的だった。
 美しき黄金の鎧を纏い、私を助けてくれた青年は畏まったように頭を下げた。その聖衣と同じ色の髪がやはり、月光を美しく弾く。

「そうだぞ、アイオリア。お嬢様を危ない目に遭わせて、何とする」
 辰巳が黄金聖闘士相手に対等以上の物言いをするのは“お嬢様”を守ろうという意識が強すぎるため……。けれど、昔から高圧的な態度は必要以上の敵をよく作ってもいた。
 アイオリアと呼ばれた青年は女神の聖闘士の中でも最高峰たる黄金聖闘士の一人だった。
 翻って、辰巳はといえば、たまたま女神である“城戸沙織”の執事だか何だかは知らないが、所詮は只人に過ぎない。その振舞いに眉を顰め、腹を立てる者は多かった。
 けれど、アイオリアは違った。
「全くだ。だが、辰巳よ。お前が必死になって、アテナを御守りしようとしているのでな。つい出遅れた」
 堅物といわれるほどに真面目なくせに、僅かに笑みを浮かべて、そんな冗談を口にする。
 黄金聖闘士“獅子座”のアイオリアにそう言われて、辰巳も満更ではない様子だった。 
「──アイオリア」
 滅多に見ることのないアイオリアの笑み……。それを向けてほしくて、声をかける──でも、見返されたアイオリアからは笑みを消えていた。
 普段の、どこまでも生真面目な、けれども、決して無表情ではない穏やかな表情──それはそれで、いいのだけど……。
 でも、私の欲しいものではない。

☆        ★        ☆        ★        ☆

 日本での出会い以来、誰よりも厚い忠誠を捧げてくれる彼“獅子座”の黄金聖闘士……。
 女神《アテナ》と認めてくれたことは素直に嬉しかった。
 一度は拳も向けてきた彼は、小娘でしかない私を──その時でも、見下すでもなく、挑むように真正面から見据えてきた。
 獅子の眼光に射竦められ、本当は膝が笑っていた。自らの小宇宙を信じるだけ──でも、信じ切るに足る何かを持っていたかは解らなかった。
 ただ、お祖父様から伝え聞いていた私自身の正体──聖域《サンクチュアリ》の女神の化身であり、傷付いた黄金聖闘士から託されたのだと──それを信じるしかなかった。
 拠り所があるとするなら、それは一緒《とも》に在り続けた“射手座”の黄金聖衣だけ……。
 赤子だった私を救ってくれた黄金聖闘士アイオロスの聖衣。
 そして、聖域から、差し向けられた最初の黄金聖闘士がアイオリア──アイオロスの実弟だった。不可思議な、偶然か当然か必然の巡り合わせを思いながら、私は彼の前に立った。
「拳を向けなさい」と……。

 そうして、黄金の獅子が私の前に跪いた瞬間、私自身が私を女神だと心底から信じることができた──……。
 ただ、一つだけ、それから、彼と接する時、何故か胸に騒き《ざわめき》を覚えた。何度となく、自身に問いかけ、不意に気付く。
 あの鮮烈な翠色の瞳……。私の視線を逸らさずに受け止めてくれる、その瞳は──けれども、自ら直視されることがないのだと気付いてしまった。
 呼びかければ、必ず応えてくれるけれど、それ以外は伏目がちに顔を上げることはない。
 それが女神に対する礼儀だと、信じているらしい。
 あの綺麗な翠色の瞳を見ることができないことが寂しさを感じさせた。

 満面の笑顔など、望まない。ほんの微かな笑みでも構わないのに。
 陽光の如く暖かな小宇宙と同じ、暖かで柔らかな光を被せた翠色の瞳を見たいだけ……。
 我ながら、ほんの小さな願いだと思うのに、決して口にしては望めない。
 それは私が、“女神”だから……。
 私が女神だから、呼ばない限り、この人は来ない。呼ばない限り、顔を上げない。
 呼ばない限り……呼べば、それなりに応えてくれるのも、私が女神だから?
 だったら、私が、城戸沙織が、女神でなかったら、見向きもされないのかしら?
 そんな風に想像するのは、かなり痛い思いだった。

★        ☆        ★        ☆        ★

「……アテナ? 如何されましたか」
 間近に響く問いかけに、私は我に返る。呼びかけておきながら、呆けているとしか思えなかっただろう私に、幾分、戸惑い気味のアイオリアが窺い見ている。そんな表情も、普段のアイオリアには見られないものだと気付く。
 星闇の中では判然としない翠色の瞳は、それでも、今は確実に私に向けられている。そして、滅多に見られない表情は、確かに私のもの。
 あぁ…、理由なんて、どうでもいい。私が女神だから?
 だったら、それは幸運なことだと信じよう。
「アテナ?」
「何でもありませんわ、アイオリア」
 我知らず、満面の笑みが零れた。
 “獅子座”の黄金聖闘士が僅かに瞳を瞠ったような気がした……。



 私はソロ家別荘に用意された部屋に落ち着く。
 ここから、何者かによって連れ出されたのは数刻前……。アイオリアに救われ、無事に戻ってはこられたけど、何かが又起きようとしているのか、既に起きているのか。
 遠くに近くにさざめく潮騒が何とも大きく響き、心も漣立つ。訳もなく、不安を覚え、とても寝付けるものではなかった。

けれど……、

 私は寝台から降り、大窓に歩み寄った。射し込む月明かりが長い影を形作る。
 テラスの下から感じる豊かで優しい小宇宙は、ずっとそこに在った。その姿は見えないけれど、寄り添うように護ってくれている。
 煩かった潮騒の響きが不意に鎮まる。彼にとって、それは当然の行為なのだろうけど……。
「有り難う……。お休みなさい」
 寝台に戻り、優しい小宇宙を感じながら、瞳を閉じる。程なく、私は眠りに落ちた。



 『沙織→アイオリア』 …………我ながら、外しまくりなシチュです。輝も、今まで、見たことも読んだこともありません^^; なら、いっそ、自分で書いてしまおー☆ とか? で、実は『お題』の中でも最初に書き上げた代物でした。何で、今まで出さなかったかというと、冒頭に戻る──余りにも外しまくってるから^^;;;
 それにしても、発展しそうもないCPだなぁ。
 因みに舞台は『ポセイドン編』冒頭。アニメ版ではオリジナルの『アスガルド編』が入ったために、消されてしまったアイオリアの数少ない?活躍シーンでした(爆) でも、結局、この後、女神様ってば、自分から敵地に乗り込んでっちゃうんだもんなぁTT

2007.04.05.

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