死ぬかと思った


女神《アテナ》の小宇宙を受けて、目覚めた黄金の小宇宙が氷地獄に吹き荒れる。
その爆発は砕けぬはずの氷を砕き、
圧倒的に有利なはずの冥闘士《スペクター》を一蹴し、薙ぎ倒したのだ。


「寒いですね」
「それは、氷漬けになっていたんだからな」
「しかし、あのハーデス城よりはマシだな」
 三人の黄金聖闘士──牡羊座《アリエス》のムウ、獅子座《レオ》のアイオリア、蠍座《スコーピオン》のミロは一様に頷いた。
「ハーデスの結界があれほど厄介なものとは思わなかった」
「神の結界とはそういうものです。本来なら、聖域に侵入してきた冥闘士もアテナ結界により力を殺がれるはずだったのですが……」
 しかも、聖域に女神が御座《おわ》しても尚、その傍若無人な振る舞いを許したのは聖域に縁を持った嘗ての聖闘士達が先鋒に立ったからだ。
 勿論、裏切りとしか思えぬ彼らの行動に深い意味があったことを今の三人は知っている。
 聖闘士としての名誉を捨ててでも、女神のため地上の平和のために、その仮初の命を投げ出した聖闘士達──その思いを受け、無にしないため、彼ら残された者達も己の総てを捧げることを誓ったのだ。
 そして、あのハーデス城に突入した──ハーデスの結界により、力の殆どを殺がれるのを覚悟の上で……。結果、迎え撃ってきた冥界三巨頭の一人、ワイバーンのラダマンティスによって、黄金聖闘士である彼らは奈落の氷地獄《コキュートス》に叩き落されたのだ。

 だが、
「地獄への直行便か……」
「多少の時間は稼げたのか? 氷漬けになっていたのを差し引いても」
「遅れを幾らかは取り戻せた、というところでしょう。現にアテナの小宇宙はジュデッカの奥深くから流れてきたのですから」
 全ては先に冥界へと向かった女神に追いつくため──そのために、彼らも手段を選ばなかった。相手が冥闘士でも筆頭の冥界三巨頭とはいえ、黄金聖闘士が手も足も出ずに打ち据えられるのは屈辱の極みだった。
 だが、彼らは何よりも女神を優先させた。黄金聖闘士としての意地も名誉も、全てかなぐり捨てた。女神のために、冥王ハーデスの走狗に成り下がったかに徹したサガ達と同様に……。
 そして、一気に最下層のコキュートスへと至った。ある意味、欺かれたワイバーンがこのことを知れば、怒り狂うだろう。
 勿論、冥王の加護のない聖闘士がいきなりコキュートスへと降りれば、暫くは動けぬことも承知の上だった。いや、下手をすれば、そのまま死に至ったかもしれない。
 正直なところ、本当に死を覚悟したほどだった。だが、先に冥界に降り立った女神は何れ、コキュートスの更に奥のジュデッカに現れるはず。その小宇宙さえ受ければ、脱出できるはずと、彼らは賭けに打って出たのだ。
 そして、その賭けには勝った。

「……シャカはアテナと一緒なのだろうな」
 サガ、シュラ、カミュとの死闘の果てに八識《エイトセンシズ》に目覚め、やはり先に冥界へと向かった乙女座《バルゴ》の黄金聖闘士。
「あいつも水臭い。何も言わずに、独りで行ってしまうなど」
「単独行動は、アイオリアの専売特許ではないということでしょう」
「お前こそ、人のことが言えるのか」
 揶揄するようなムウの言葉に、ムッとして言い返すアイオリア。そんな二人をミロが苦笑しながら、横目で見ていることに二人は気付いているのかいないのか。
「おや? 私は後先考えずに直球勝負に出て、教皇宮に突撃をかますようなことはしませんよ」
「…………お前、それを持ち出せば、俺が黙るとでも思ってるのか」
「いいえ? 黙らなくても、言いたいだけです」
「くぅ〜」
 ミロは危うく吹き出しかけた。とはいえ、その間にも彼ら三人は先を急ぐ。
 冥闘士は先刻、倒した者以外は周辺にはいないようだ。それも当然か。
 氷地獄コキュートスに落とされた神(っても、冥王だけかよ)への謀反人共……。冥王の力に加護された永久凍土の地獄。当然、罪人とやらは疾うに死した者であり、警戒する必要もなく、常は冥闘士もここまで見回ることはないのだろう。
 今回は、彼ら聖闘士の数名が生きたまま、落とされたが故に警戒していたと見える。

「突撃といえば、アイオリア。随分とワイバーンに突っかかっていたな」
 あの状況下では敵わないと判っていても尚──アンドロメダに救われたとはいえ、最初にアイオリアがワイバーンにコキュートスに投げ落とされかけた時、余りに反応がなかったので、二人は肝を冷やしたのだ。本当に命まで絶たれたのではないか、と。
 確かに、あの時のアイオリアはかなり朦朧としていた。
「好き好んで、やられるか。消極的に過ぎると、疑われるかもしれなかっただろう。それに、ムウがやられるよりはマシだ」
 アイオリアが向かっていったのはワイバーンとムウの間に割って入ったことも多かった。実は庇われていたと気付いてはいたが、ムウは苦笑する。
「随分ですね。私だって、それなりに耐久力はありますよ」
 ただ、それだけでもないと思われた。

『まだ、足りん……』
『サガやアテナの流した、血と涙に比べれば──』
『何もかも、足りんのだっ』

 サガ達の慟哭を見抜けもせずに、怒りのままに手を上げた己を罰するが如く……。
「でも、アイオリアの方が適任だよな。やられっ放しでいるわけないから、突っかかっても疑われないし。頑丈さでは黄金聖闘士でも随一だし」
 ムウは走りながら、天を(といっても、地獄では空はないが)仰いだ。余りにも軽やかなミロの言い様に呆れてしまう。
 そして、不意にアイオリアが足を止めた。その背中にミロが危うくぶつかりかける。
「何だ。いきなり止まるなよ」
 だが、ガバッと振り向いたアイオリアはミロの肩をガシッと掴んだ。
「え?」
「喧しいッ! テメェこそ、もちっと請け負いやがれッ! こンのバカ蠍野郎がッ」
「「…………;;;」」
 嘘のような余りの口の悪さに固まる二人を無視した獅子座の黄金聖闘士はまた背を向けると走り始めたが……。しっかーし、二人は即座には立ち直れなかった。特にミロは……。
「何!? 何、今のっ。あれ、誰? アイオリアじゃないよっ」
「うーん。混線でもしてたみたいですねぇ(落ち着きなさい、ミロ。貴方もキャラ変わってますよ)」
「混線!?(おっと、いかんいかん)」
 混乱極まる二人だったが、先に何とか立ち直ったのはムウだった。
「忘れましょう。見なかったことにした方が賢明です」
「見なかったことって……」
「ですが、ミロ。アイオリアの言いたくなる気持ちも解りますよ。体格なら、殆ど変わらないでしょう。貴方方は」
「あのな。俺が逃げ回っていたみたいな言い方するなよ」
「オイッ! 二人とも足を止めるなっ。急げ!!」
 前方から、アイオリアが叫んだ。それはいつもの彼……のようだった。やっぱり、先刻のは夢だろうか。いや、そう思っておいた方が良いかもしれない。
「なぁ、足を止めたのはアイオリアだったんじゃあ」
「やめておきなさい。普段、我慢強い人がキレると、それはそれは大変なことになりますよ」
 私は止めませんからね、とか付け加えられると、ミロでも避けたい状況だと思う。

 アイオリアの後を追い、駆け出しながら、
「そういや、あいつ。サガに幻朧魔皇拳を喰らってから、何か変わったよなぁ」
「そうですか?」
 十三年、会っていなかったムウにはピンとこないのも仕方がないか。
「前はもっと大人しいというか、堪え性があるというか……そりゃ、根は熱い奴だけど、直ぐに怒ったりはしなかったぜ」
「逆賊の弟は、何があっても激したりはしなかったのでしょう」
「おい、ムウ。その言い方は」
「もう誰も、その言葉でアイオリアを貶めることはない。けれど、十三年、そう言われ続けた事実が消えるわけでもありませんよ」
 話が妙な方向に行ってしまったのに、ミロは黙した。その十三年、自分は友人であろうとし続けた。だが、表立って、庇ってやることもできなかった。
 勿論、アイオリア当人がミロ達の立場を慮り、望まなかったこともあるが、それでも、ミロにとっては手痛い事実だった。

 黙り込んだミロの心中を察したのか、ムウは話を戻した。大体、聖域を離れていた自分に何か言える資格があるとは思っていなかったのだ。
「……幻朧魔皇拳は脳を支配し、精神を操る技。アイオリアは相当に抵抗をしたようですが、彼の精神力を以てしても完全に抗することはできなかった。……それ故に、精神にダメージを負ったところもあったのですから」
「何だと? 初耳だぞ。そんな話は」
「それはそうでしょう。話したことなど、ありませんから」
 幻朧魔皇拳のために、十二宮を突破しようとした青銅聖闘士達を──直接に対したのはペガサスの星矢だったが、偽教皇たるサガに命ぜられるままに、アイオリアは迎え撃った。
「完全に幻朧魔皇拳の支配下にあれば、私が修復したばかりのペガサスの聖衣とて、全力のライトニング・ボルトの二発も受ければ、粉々にされていたでしょう。況してや、アルデバランと一戦を交えた後だったのですから」
「しかし、そうはならなかった。天蠍宮まで来た時もズタボロだったがな。そうか……だから、抵抗していたということか」
「アイオリアは本来の力を完全に発揮してはいなかった。それが聖矢の命を救ったともいえますが、それ故に逆にアイオリアの精神は深いダメージを被った。抵抗などしなければ、それもなかったでしょうが」
 それこそが獅子座のアイオリアらしいとも思えるが……。ただ、気になるのは現時点でのアイオリアの精神状態か。先刻の暴言?も、まさかその影響ではないのか。
「まぁ、それは大丈夫ですよ。今はね」
「気になる言い方だな。本当に大丈夫なのか」
「無論です。十二宮の戦いの後、アテナにもヒーリングを受けましたから」
 先刻も証明されたように、女神の小宇宙は聖闘士にとっては大いなる力となる。戦う力も癒しの力も与えてくれるのだ。

 頷きかけたミロは別のことに気付く。
「待て、アテナにヒーリングだと。そこまで深刻なダメージだったのか」
 珍しくムウがしまった、という顔をしたので、益々、不安を掻きたてられる。
「あの獅子宮の戦いの後、何があった?」
 尋ねつつも、その時の『状況の流れ』を思い返す。
 ミロは十二宮でも上方の、第八宮・天蠍宮にいた。勿論、駆け上ってくる青銅聖闘士達の小宇宙は追っていたが、その突破を許した黄金聖闘士達のことは正直、余り気に留めていなかった。ムウのようにあからさまに青銅聖闘士に助力していた者が黄金聖闘士にいるという意味と教皇の思惑やら何やら、色々と思い煩うことも多かったためもあるが、戦いが終わった後の獅子宮に格別の異変を感じた記憶はない。
「ムウ?」
「……小宇宙を暴走させかけたのですよ。制御できなくなって」
「なっ…」
 ミロはまた足を止めてしまった。俄かには信じられなかったのだ。
 ヒーリング能力に秀でたアイオリアは小宇宙の制御能力にかけても、黄金聖闘士でも確実に五指……いや、三指には入った。
 小宇宙を制御するのは器たる『意思の力』──精神力によるものだ。小宇宙の暴走は即ち、精神の不安定さからくる。
 そして、巨大にして強大な小宇宙を操る彼ら黄金聖闘士の精神力は特に並外れている。普段から極限まで小宇宙を抑え、黄金聖闘士であることを周囲に悟らせず、何があろうと激しなかったアイオリアの精神力は彼らの中でも抜きん出ていた。
 逆にいえば、精神の箍が外れれば、凶悪な力となりかねないことを聖闘士たる者は常に念頭に置いている。そして、精神が不安定だったり、疲労の極致にある時などは無理な小宇宙の使い方はしないものだ。

「なのに、アイオリアときたら、幻朧魔皇拳を解かれた後も、星矢達にヒーリングを行うなど、無茶をしてくれるのですから」
 自分で折った聖矢の足を完全に治癒させるなど──余計な時間を費やし、女神を危険に曝したための贖罪のつもりだったらしいが、星矢達が先に進んだ後、危急を察したムウが獅子宮に入った時はもう立ち上がることもできない有様で、時折、抑え切れない小宇宙が噴き上がり、そこら中を破壊しまくっていた。
 唖然とするよりないのがミロだ。そんな事態《こと》になっていたとは!? 十二宮の各宮の中でも、獅子宮の破壊の模様は凄まじかったが、その何割かは戦い後のものだったのか。
「もう少し、自分の状態《こと》も考えてほしいですよね。だから、後先考えていないと言うのです」
「……俺には解った上でやっているから、質が悪いような気がするんだが」
 確かに──ムウとて、口で言うほど、アイオリアが考えなしなどとは思っていない。そんな聖闘士が特に厳しい単独任務を十年ほども熟し続け、生き延びられるはずもないのだ。

「とにかく、暴走は未発で、何とか鎮められましたし、アテナのお力までお借りしたのですから、心配は無用ですよ」
 ミロはどうやって、鎮めたのかを尋ねたかったが、今は時間がなかった。立ち止まっていた二人を先行するアイオリアが叱りつけたのだ。
「コラッ、二人とも! いい加減にしろっ。何を駄弁っている」
「ダベッ…!? あんの野郎。なーんか、腹立ってくるぞ。人がこんなに心配してるってのに」
「いいじゃないですか。大人しすぎるアイオリなんて、調子が狂いますよ」
「十三年、ずっと大人しかったんだけどなぁ」
 カミュと一緒になって、何やかやと世話を焼いていたことを思い出すと、ホロリとくる。
 再び走り出しながら、ムウが結論付ける。
「まぁ、一度外れた箍は完全には元のように嵌め直せないということでしょう」
 微妙に形を変え、馴染むのにも多少の時間を要するだけのことだ。
「ですから、大丈夫です。私は心配していません。アイオリアならば、今の状態なりに小宇宙を制御できます」
 断言するムウがミロには何となく面白くない。
「……随分と、自信満々だな。十三年、会ってもいなかっただろうに。よくも知ったように言えるものだ」
「それは確かに、直接にはね。ですが、任務で世界中を飛び回っていたアイオリアはジャミールの近くまで来れば、必ず小宇宙は送ってくれましたよ」
「何だと?」
 それこそ、初耳だ。尤も、光速で移動できる黄金聖闘士《かれら》だ。その気になれば、世界中何処でも一っ跳び。ジャミールも中国も日本も、遠いようで近い。
「顔を合わせたことは十三年、一度もありませんでしたが、そう……もう九年ほどにはなりますか。そうして、小宇宙を見ることで、私達はお互いと向き合っていました。そういう意味では会っています」
 顔を合わせ、言葉を交わすより何より、小宇宙が互いを雄弁に物語る。状況も、その成長振りも何もかもを──苦境に陥ったミロの幼馴染達は、そんな形で人知れず、連絡を取り合っていたのだ。

「ですから、私も貴方同様に、彼を知っています。信じられるのもそれ故です。……貴方は、信じられないのですか」
「…………」
「それは貴方自身の問題であって、私が当たられるのは納得いきませんね」
「う…。それは、悪かった」
 神妙に謝るミロもムウには好ましい。アイオリアもだが、悪いと思えば、率直だ。だから、後を引かずに済む。
「それでは、先を急ぎましょう」
 アイオリアに追いつこうと、ムウがスピードを上げるのに、ミロも従った。
 アイオリアに並ぶと、チラッと視線を向けてきた。
「こんな時に、何を話し込んでいるんだ」
「こんな時だからこそ、ですよ。これまで、余りミロとは話せませんでしたからね」
「ふーん。話さなくても、解りやすい奴だと思うがな」
「人のことが言えるかっ」
「ですが、アイオリアは見かけは真直ぐですが、その実、九十度転回くらいしてますよね」
「だったら、お前は更に行き過ぎて、百三十五度傾いているな」
「スゲェ、微妙。だから、合わせづらいのか」
「納得するとは酷いですね、ミロ」
「いやっ。それはその…っ」
 氷地獄を疾走する黄金聖闘士達……いや、幼き頃より縁を持った青年達は、今、このような場所で、このような時でも一緒《とも》に進める存在があることを我らが女神に感謝していた。
 死にも立ち向かわねばならぬ、女神の聖闘士としての縁に……。

 そして、駆ける。
 その縁の行き着く先へと、最後まで一緒に──……。



 そして、舞台は『嘆きの壁』へと至る……。
 大分、お題から外れたな。まぁ、コキュートスで『死ぬかもしれない目に遭ったから』としか言いようがないっス。それに、どこまでも、黄金聖闘士至上展開だしなぁ。
 でもハーデス城の結界やらその効果やら、前聖戦でハーデスの真の肉体がどうのと明らかになる以前に掴んでいるんじゃないのかね? 大体、あのムウがいて、何の裏もない無策の正面突破だなんて、信じられん!! ……何気に酷いことを言っている?
 今まで何度も書いてきた『アイオリアがヒーリングに秀でている』という輝版設定はアニメ版で何回か使っていたので。聖矢の足も原作では縛っていただけなんだけど──その後の戦いでも、星矢が平気で飛び回っていたところを見ると、どう考えても『折れたままとは思えん;;;』ので、アイオリアに完全治癒して貰った次第☆
 『混線』は当然、『某エピG』より。とことん仲悪いんだよなぁ、ここの獅子蠍は。『バカ猫』『サソリ野郎・節足動物』呼ばわりで;;;
 とにかくも、『冥王ハーデス冥界編』も後章最終巻まで視聴完了。演出脚本その他……言いたいことがないわけではないけど、とりあえずは『さらば! 黄金の聖闘士』としておきます。
 あ、最後の『角度』ネタは『彩雲国物語』より♪ ←もっと微妙な角度キャラがいる。

2007.05.02.

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