酒 我らが聖域の英雄殿は酒癖が余り宜しくない──今や、専らの評判だった。
聖戦以前ならば、十二宮に無闇に人が立ち入ることは許されなかった。それも夜半の頃など、余程の緊急事態でなければ、あり得なかったものだが……。 その日の執務を終え、獅子宮に戻り、宮でやるべきことも全て片付けた獅子座のアイオリアは一息ついていた。 ふと、人馬宮の気配を探る。教皇宮から戻る際に通った時は無人だった。そして、それは今も変わらない。当然だ。獅子宮に戻ってからも、兄が上がっていった様子はなかったのだから。大体、通れば、こちらの都合などはお構いなしに顔を出していくのが常だった。 「全く……。幾ら、非番だからって」 幼い頃はただただ憧れの対象だった兄だが、物が見えるようになると、解ることもある。案外と奔放な兄に、アイオリアはつくづく困ったといった態で溜息をつく。 奔放さの余りに、解き放たれた“射手座《サジタリアス》の矢”の如く振る舞う兄だが、本当に常軌を逸したら、殴ってでも止めさせてやるしかない、と思っていた。 尤も、あれで、その辺の境界は心得ているらしく、そんな事態は幸いかな、一度もない。兄の面子は今のところ、保たれていた。 「まぁ、子供でもあるまいし、放っておいても、その内に帰ってくるだろう」 各宮の守護者たる者、朝陽が昇る頃には自宮に在らねばならない──それだけは守っているので、特に苦言を呈したこともない。
夕食を済ませ、片付けも完璧。後は寝るだけだが、時には寝付けない夜もある。 別に兄が人馬宮に帰っていくのを確めるつもりはなかったが、時間潰しに、ムウから借りた本を広げた。そろそろ、返さなければならない。 幼い頃、シオン教皇の意向もあり、人馬宮で一緒に勉強していたりもしていたので、ムウはアイオリアの好みを知っており、時々「面白いですよ」と貸してくれるのだ。 十三年の逆境生活で、すっかり読書の習慣なぞは遠退いてしまい、自分から本を探そうなどとは考えなくなってしまったが、薦められれば、断りはしなかった。幸い、好みも変わっておらず、ムウの薦めにも外れはなかったのだ。 文字を追うことは特に苦痛ではなかった。現代でありながら、神話の時代に生きているような聖闘士《かれら》だが、如何なる形であれ、書物というものはまた別の『世界』に誘ってくれる貴重な存在だと思っていた。 暫く没頭していたが、不意に気配の揺らぎを感じた。十二宮を登ってくる数人の──兵達か? 何かあったか。 栞を挟んだ本を机に置くと、出迎えに向かう。といっても、緊急事態ならば、まず小宇宙通信が飛び交うはずだ。どうせ、兄のことだろう、と当たりをつけていたが──本当に大当たりだった。兵達は獅子宮の前で止まり、主を呼ばわった。 「あっ、あの、アイオリア様。お寝みのところ、申し訳ありませんが、御一緒して頂けませんか」 「……何があった」 数秒置いて、一応、念のために尋ねてみる。下の宮を全て素っ飛ばして、獅子宮に来るのだから、やはり兄のことでしかないとは思ったが……。 「ハァ、その……アイオロス様が、そのぉ、アイオリア様を呼べ、と」 「………………呼べ、とね」 今度はたっぷり十秒ほどを置いて、アイオリアは盛大な溜息を吐き出した。 「あのぉ、アイオリア様?」 気の毒な兵の声は消え入りそうに、小さくなっていくばかり。 来てくれないと、困ります。 お願いです、来て下さい。 他の誰にも、どうしようもありません。 見捨てないで下さい──! などと、目で訴えるなっ☆ 内心、ブツブツ言いつつ、アイオリアはもう一度、嘆息した。 「解った。どこだ?」 とりあえず、白羊宮までは歩いていかねばならないが──いきなり現れた獅子座の黄金聖闘士の姿に、固まる雑兵達。跳んだ先は彼らの宿舎の一つだった。 そして、全く動じなかったのは唯一人、その中心にいる射手座のアイオロスのみ。 「お? おー、アイオリア。何だ、いつの間に来てたんだ〜」 「……随分と御機嫌だな」 アイオリアはチラリと林立する酒瓶の山を見る。全く、どれだけ飲んだのか。勿論、一人でということはないのだろうが──困ったことに、この兄は己の酒量というものを全く知らなかった。 昔、まだ少年だった頃の兄アイオロスは儀式などで必要とあれば、酒を口にすることもあったが、やはり少年である以上、そう飲むということはなかった。また、隠れ飲んだりもしなかったのは幼い弟、つまりはアイオリアがいたからだろう。 そして、現在──甦った兄はよく雑兵達と酒の席を設けるようになった。“逆賊”と呼ばれた己とそう呼んでいただろう彼らとの距離を縮めようという意図があるようで、アイオリアも何度か誘われたが、大抵は断った。まだまだ、アイオリアにとっても兵達にとっても、それらの『記憶』は過去にしてしまうには生々しすぎたのだ。 それを察してか、兄も誘わなくなった。 だが、結局、最後にはその場にアイオリアが呼ばれるようになったりする場合も多かった。酒量を弁えない兄が、要するに酔っ払ってしまうためだ。 「……全く。誰だ。こんなに飲ませたのは」 「も、申し訳ありません、アイオリア様。お止めしたのですが──」 「おーい、もう一本、持ってこーい♪ ホレ、リア。お前も飲め」 普段は余程、親しい者の前以外では使わない愛称を兵達の前でも呼んでしまう辺り、相当に酩酊していると見た。 嘆息するアイオリアに気付くこともなく、そこらの空のコップにダバダバと注ぎ、アイオリアの前に突き出す。見下ろすアイオリアは受け取らなかったが。 髪と瞳の色が微妙に異なるだけで、七歳差にも拘らず、まるで双子のようにそっくりな兄弟が向き合っている様を、兵達が息を呑んで、窺っていた。 そっくりはそっくりだが、その表情は見事に対照的だった。 方や、酒が入って陽気な兄は楽しそうに弟にコップを差し出している。期待して、見上げているのだ。 方や、こんな時間に呼びつけられた弟は不機嫌そうに立ったまま、その兄を見下ろしている。そして、一つ息をつくと、コップを受け取り──脇に置き、兄の腕を取った。 「帰るぞ、兄さん」 「えー? 何だよ、リア。ノリが悪いぞ〜。ホーラ、飲んで☆」 「飲みたくない。兄さんも飲みすぎだ」 「飲みすぎなもんか。まーだまだ、イケるぞぉ♪」 「あぁ、そう。じゃあ、明日に取っておいた方が良いな」 「ハァ、明日? 取っとく??」 反応が支離滅裂になりかけている。大体、酔っ払いとはそんなもんで、理詰めで説得しようなどというほど、無駄な徒労はないものだ。こういう時は寧ろ、全く理に適わない話で流して、強引に出るに限る……ことをアイオリアは疾うに学んでいた。 「だから、帰るぞ、兄さん」 「ヤダ! 楽しいんだから、もっと飲みたーい」 ヤダ? 子供かっ! 今日の兄は少しばかり手強かった。こうなれば、仕方がない。切札を切るしかあるまい! ……できれば、兵達の前では余り使いたくなかったのだが。 「……兄さん。俺は楽しくないよ」 この科白は兄の気を惹いた。そして、この兄の兄馬鹿っぷりが正しく大全開で発揮されるのを兵達も目撃することとなる。 可愛い可愛い(核爆)弟が楽しんでいない!? それは兄馬鹿な兄にとっては衝撃的大問題なのだ。 「リア? どうした。どうして、楽しくないんだ」 「……兄さんが飲んでばかりで、構ってくれないからだよ」 棒読みじゃん★ 兵達は吹き出しかけたが、兄馬鹿ハートは直撃を食らったらしい。 「リア〜☆ そっかー、ゴメンよ。リア、淋しかったんだなー。気付いてやれないなんて、ダメな兄ちゃんだな。解った、直ぐ帰る。帰ろう」 酒に飲んでも飲まれるな? 尤も、相当に酔っているはずが立ち上がっても、足元だけはふらついていないのはさすがだ。ガバッと弟に抱きついたので、倒れなかっただけかもしれないが。それに、抱きついた兄には見えないだろうが、弟の迷惑そうな顔といったら…! 兵達は込み上げる笑いを我慢するのに必死になる。 「さぁ、帰ろう。あ、獅子宮に泊まってもいいか?」 「………………とりあえず、酒を抜いてほしいな。酒臭いのは嫌いだ」 何だか、もんのスゴい間があったような;;; アイオリアには『迷惑』かもしれないが、兵達にとっては救いである。“英雄”と無礼講で飲むのは確かに楽しいが、度を越しすぎるとやはり『迷惑』だ。最後は必ずといっていいほど、こうなるのは何故だろうか? ともかく、何だかんだでアイオロスを連れ出すのに成功したアイオリアを、兵達は拝み倒したとか何とか──シャカが耳にしたら、何と言うだろうか。 ☆ ★ ☆ ★ ☆
とりあえず、弟の肩を借り、引きずられるように歩き──十二宮の入口で、その手が離された。いきなりだったので、アイオロスは派手に転んだ。 「ッたぁ〜。酷いな、リア。いきなり離すなんて」 「早く酒を抜けよ、兄さん」 酔払いの戯言など無視した弟の冷たい言い様に、アイオロスは地に座り込んだまま、カリカリと頭を掻いた。だが、その雰囲気が数瞬で一変する。 「いい加減、酔った振りをして、人を呼び出すのは止めてくれ」 「振りじゃないさ。本当に酔っていたよ。気分良かったぞ」 立ち上がったアイオロスには最早、ほろ酔い程度の残滓すらない。小宇宙によって、血中のアルコール分を全て浄化してしまったのだ。 聖闘士とて、アイオロスが証明しまくっているように、飲酒の機会はあるし、深酒をすることもある。だが、酔いの醒めぬままに、急遽、任務に出なければならないかもしれない。そんな時、ヒーリングの応用で、小宇宙でアルコールの分解を進めるのだ。勿論、誰にでもできる芸当ではないので、殆どの聖闘士は酒は嗜む程度なのだが。 「その気になれば、飲みながら、分解もできるくせに」 「そんな飲み方、ちっとも楽しくないじゃないか。お前、酒はもっと──」 「どうでもいいよ。大体、俺は酒は嫌いだ」 バッサリと話を断たれて、アイオロスも口籠る。 確かにアイオリアは全くといっていいほど、飲酒はしない。グラード財団総帥たるアテナ沙織の御伴で、パーティなどに出る機会も増えた黄金聖闘士だが、そういった場でさえ、アイオリアは『護衛である』のを理由に、決して酒は口にしなかった。 ヒーリング能力の高さからいえば、アイオリアこそ、幾らでも飲めるはずなのだが。これはもう、性格から来るとしか思えない。 「本当にお前は堅すぎるぞ」 それでも、アイオロスは懲りずに雑兵達と飲み会を開き、酔っては弟を呼びつけるのだ。内心では文句を言いながらも、迎えに来てくれるのを良いことに。 そして、本当にアイオロスが距離を縮めたいのは誰よりも、この弟アイオリアだった……。
最悪の形で死んだ自分は弟を十数年間、暗黒の只中に叩き込んだも同様だった。 だが、弟の光は失われず、眩い獅子座の輝きと冥界の奈落で、再会を果たした。その輝きを目にした時の喜びは如何許りだったか。 そして、弟もまた魂とはいえ、亡兄《あに》との再会に涙し、歓喜に打ち震えていた。 『嘆きの壁』を破壊するために、黄金の全ての力を結集したあの『戦い』──それは彼ら兄弟にとって、共に聖闘士として力を尽くす最初で最後の『戦い』だった。 たった一度きりの──……。 『大きく……いや、立派になったな。見事な聖闘士に、なってくれた』 『兄さん……』 溶けゆく光の中で、女神の聖闘士としてではなく、兄弟として得られたほんの僅かな刹那の刻……。万感の想いの籠められた、ただ一言が今も耳に残る。 そして、彼らは聖闘士としての、人としての生をあの刻に完全に全うしたはずだった──のだが、彼らは甦った。多々ある神々の恩寵によって……。 それが自分達兄弟にとっては如何なる意味を持つものなのか、アイオロスでさえ、掴みきれなかった。 況してや、弟の困惑は甚だしかったようだ。何より、神の恩寵とはいえ、死した者が甦るなぞ、世の理に反したものに取り込まれるのを潔しともしなかった。 『単純に喜べばいいんじゃないのか』 そんなことを言ったのは誰だったか。ミロだったか。デスマスクだったか。 それでも、最後には甦りを受け入れてくれたのには安堵した。 二度と弟と会えなくなる。それはやはり辛く悲しいことだった。そして、思ったのだ。十数年前に、弟こそが自分に取り残され、どれほどの苦境に陥ったかを……。 『これは仕返しか? アイオリア』 そんな考えが掠めたのも事実だった。だからこそ、今現在、弟との『距離』を感じてしまう。そんなことを考えてしまうことこそが長い間、苦しんだだろう弟への慙愧の念ともなる。況してや、はっきりと弟に尋ねるわけにもいかない。 『俺を、恨んでいるのか?』などとは……。 大体、尋ねたところで答えは決まっている。『そんなことはない』としか、弟は言わないだろう。 『あの人は、言いたいことどころか、言うべきことも中々、口にしませんからね』 とはムウがアイオリアを評した言葉だ。 『それでも、以前よりはマシになりましたよ』 などと笑っていたが。確かに、アイオリアはムウには言いたいことを言う。というか、ムウにハッキリ物を言えるのは黄金聖闘士でもアイオリアと数人くらいなものだが。 兄の自分には何も言わないくせに……それも弟との『距離』を感じさせ、アイオロスには少なからず、淋しさを感じさせる事実だった。 だからといって、そのままにしておくのも嫌だった。それは良い歳をした兄弟がベタベタしている必要は更々ないが、疎遠すぎるのは物悲しい。 それで、何とかしようと画策した挙句が酒盛りでは却って、弟が渋い顔をするのも致し方ないのだが。 尤も、兵達との『距離』は反比例するが如く、縮まっている。嘗ての“逆賊”にして、現在の“英雄”も近寄り難いと思われていたのだが、地道な努力?のお陰で、『意外と話が解る』とか『親しみやすい』とか評されるようになったので、作戦は大成功といったところか。 後は大本命たる弟との関係修復だが──これが本当に難しい。どんな強敵難敵よりも手強いのだ。 〈兄弟だからこそ、なのかな〉 これが他人であれば、逆に話は簡単なのかもしれない。喧嘩別れを覚悟の上で、もっと強気に出たりもできる。ところが、家族だからか、慎重になってしまう。大切だと思う弟だからこそ、思い切った手を使えないのだ。 『さすがの英雄殿も、弟だけは苦手と見える』 などと笑われているが、そんな周囲も微妙に擦れ違う兄弟仲を案じているのは確かだった。尤も、それほどには険悪だとも思っていないからこそ、笑い話にしているのだろうが。 「酒が抜けたんなら、もう良いだろう。俺は獅子宮に戻るぞ」 我に返って、顔を上げると、弟はさっさと背を向けて、十二宮の階段を登り始めていた。 「おい、リア……」 慌てて、後を追いかけるが、ペースを乱すことなかった。 「泊めてはくれないのか」 「何故? 酒は抜けただろう」 「いやぁ、人馬宮まで上がるのは面倒かな〜、とか」 「馬鹿なことを言ってないで、ちゃんと帰ってくれ。どうせ泊まったって、明日の朝、戻らなければならないことを考えたら、今、帰った方が絶対に楽だぞ」 「う……」 確かに──その通りだった。それでなくとも、獅子宮と人馬宮は結構、距離がある。 「ハァ、何だって、こんな規則があるんだろうな。俺が教皇になったら、絶対にこんな規則はなくしてやる」 「……兄さんが教皇になることはないんじゃないのか。サガの方が相応しい。昔のことはシオン様の気の迷いだよ」 「リア……お前ね。そうスバズバとTT」 こういうことだけは何の遠慮もなく言ってくれるのだから、悲しい限りだ。我ながら、矛盾しているような気がしないでもないが。 兄として弟に望むのは立派な聖闘士としての姿勢だけでなく、もっと甘えてほしいとか、我儘を言ってほしいとか、そんな些細な望みだった。 とはいえ、二十歳も過ぎた弟に『甘えて』とは中々、口にできないが。というか、やってることを見れば、甘えているのは寧ろ、兄である自分の方だったりするのに、アイオロス本人は気付いていない。 「言われたくなかったら、俺を迎えに来させるような真似は止めてくれ。兵達だって、毎度毎度、いい迷惑だろうさ」 「アイオリア……」 冷たい、といえるほどの弟の言葉に、些か傷付いた表情でアイオロスは足を止めた。だが、アイオリアは振り返りもせずに、階段を登っていくのだ。 開いていく距離は、そのまま彼ら兄弟の間に広がる『距離』を思わせた。 ★ ☆ ★ ☆ ★
「中々、上手くはいきませんね。やはり、この手はもう止めた方が宜しいんじゃないですか」 不意に、弟のものではない声がした。白羊宮から出てきたムウだった。 「……そうだな。しかし、他にいい方法が思いつかん」 「酒宴に拘っても、良い結果には繋がらないと思いますよ」 「だかなぁ、ムウ! アイオリアも少しくらいは飲んでもいいんじゃないのか? 何で、あんなに酒を嫌うんだか」 酒の味の解らぬほどのお子様でもないはずだ。儀式なぞ、どうしても、口にせねばならない時もある。その際の反応を見る限り、味を嫌っている様子はない。 「少しでもいいんだ。大して飲まなくても、同じ酒宴の席で一寸、騒ぐだけでも──そういう楽しみを覚えたって、いいと思わないか?」 「……楽しみは、他にもあるんじゃないですか」 困ったように微笑むムウに、 「しかし、大勢で騒いで、ある種の同化意識を持つには酒《コレ》が一番だ。皆、陽気になるし」「陽気では済まない人もいますよ?」 「そりゃまぁ、少しはな」 所謂、酒乱の人間だ。それも腕に覚えのある猛者ともなれば、それなりの被害が出るものだが、それでも、軽い怪我くらいで周囲が抑え込める程度だ。 「一介の兵ならば、それでもいいのでしょうけど」 一旦、言葉を切ったのが、気になる。 「何だ、ムウ。思わせ振りだな。酒乱の聖闘士が暴れたら、マズいとでも言いたいのか」 「そう…、ですね。可能性はないとは言えないでしょう」 「しかし、酒に溺れて、暴れるようでは、そもそも聖闘士たる資格はないだろう。大体、それとアイオリアと何の関係があるんだ」 時間も時間だ。駆け引きするような会話には飽いた。まさかアイオリアが少しばかりの酒を入れたくらいで、暴れるわけがないだろう。 「アイオロス、さっき言いましたよね。酒を飲むと誰もが陽気になると。酒の心を解きほぐす力、とでもいいますか」 「そう! それだ!! 巧いこと言うな、ムウ」 人は程度はあれ、常に心に壁を張り巡らしているものだ。自らを守るため、或いは相手を傷付けぬため、かもしれない。 ところが、酒というものはどれほどに堅固な壁でも、僅かに抉じ開け、終いには取り払ってしまう時もある。 「だから、年がら年中、難しい顔して、真面目一辺倒なアイオリアも、少しは──」 「でも、それは言い方を変えれば、気が緩む、ということではありませんか」 「ん? うーん、まぁ、そうも言えるかな」 そのために抑えが効かなくなり、暴れる者もいる。しかし、それとアイオリアとはやはり結び付かない。あの、自制心の強いアイオリアが酒のために己を乱す姿など想像を絶する。 「私も、そう思いますよ」 「おい、ムウ。なら──」 「でも、アイオリアの考えはまた別でしょう? 多分、アイオリアは己の意思以外の要素が己の精神に及ぼす影響を無視できないのだと思いますよ。それがどれほど、些細なものであっても……」 「精神に、及ぼす?」 「あの人は一度、精神の箍を飛ばしたことがありますから」
今では囁かれることも少なくなってきたが、聖域の暗黒時代──偽教皇だったサガに、獅子座のアイオリアが幻朧魔皇拳を受けた顛末はアイオロスも聞いている。 正しく悪鬼の如き戦闘マシーンと化した獅子座の黄金聖闘士はペガサス星矢をズタボロにした挙句、自宮たる獅子宮まで、相当に破壊したのだと。ただ、精神の奥底では最後の抵抗をしていた──だからこそ、星矢は死を免れたのだとも。 それでも、己を取り戻したアイオリアが、己が所業をどれほど悔やんだかは想像に難くない。 「ですから、どんなに誘っても、酒宴には付き合いませんよ。諦めた方が──」 「お前、よく解ってるんだな、アイオリアのこと」 「は?」 話が飛んだのに、十分に聡いムウですらが途惑いを見せた。 「あの…、アイオロス?」 「仕方がないってのも解っている。皆が言うんだ。十数年分の溝やら穴やらを一朝一夕に埋めようだなんて、ナメ過ぎだったな。でも…、でも、やっぱり癪に障るッ」 「……癪って」 「兄の俺より、お前の方がリアを理解してるだなんて──」 「いや、別に私だけでは──ミロやカミュだって、随分気遣っていましたし。あぁ、シャカなんかも、あー見えて案外に。シュラやアフロディーテも多分……。アルデバランは言うに及ばずですが、もしかしたら、デスマスクだって──」 「殆ど全員かっ! 尚のこと、ハラ立つわっっ」 鉾先を分散させようとしたら、どうも火に油を注いだらしい。この上、白銀聖闘士の鷲座《イーグル》などもと聞いたら、この男、とうするだろう? 拳を握り、何やら力説を始めた。 「やはり、溝は率先せねば、埋まるはずはない」 「ハァ…。まぁ、そうかもしれませんね」 「今夜はやはり、獅子宮に泊まるぞ。誰が何と言おーとな。リアと夜を徹して、語り合うんだっ!」 ……何を? こんな時間に押しかけても、叩き出されるのがオチではないのか。もう既に、休んでいるところを呼びつけられて、不機嫌になっているだろうに。溝を埋めるというよりは自ら、広げているとしか思えない。つか、墓穴掘ってるのか? 〈でも、聖闘士として、聖域の未来を考える──とか何とか言えば、付き合ってくれるかも〉 思い付きを、だが、ムウは口にはしなかった。下手なことを言って、後でアイオリアに知られでもしたら、色々と面倒だ。それよりは、 「止めておいた方が良いと思いますけど」 やんわりと一応、止めておく。 〈私は止めましたからね〉 ポーズであるのは重々、承知の上。恨まないでくれ、アイオリア。 勿論、ムウの心の言葉など、露知らぬアイオロスは獅子宮目指して、十二宮の階段を駆け上がっていったのだった。
途中の宮では呼び止められることはなかった。尤も、たとえ誰か出てきても、兄馬鹿全開モードのアイオロスが止まることはなかっただろう。 そして、目的の獅子宮に入ろうとした時、先に戻った弟が出てきた。 もしかしたら、泊めてくれるのだろうか? 密かに期待したのだが、何かが放られた。 「おっと…」 掴んだのはペットボトルだった。 「何だ?」 「水だ。飲んでくれ」 幾ら小宇宙で血中アルコールを散らしたとはいえ、体に負担がかからないわけではない。弟は一応、兄の体を心配してくれているらしい。 「サンキュ」 その場で一口飲む。 「……美味いな」 「ただの水だ。それじゃ、お休み」 「──って、おい、リア!?」 パタン… 無情にも獅子宮の扉は閉ざされた。 「お願い、泊まらせて☆」とか何とか、切り出す間すら与えられなかった。 「あぁ…。お休み、アイオリア」 淋しさを覚えながら、もう一口──さっきは美味いと感じた水がやけに、ほろ苦かった。
人馬宮への長い道程を独り淋しく、哀愁すら漂わせながら、トボトボと進むアイオロスの気配に、十二宮の守護者達は──一部を除き、一様に嘆息したのだった。
兄弟ギクシャク? 聖戦後の復活から、それほど経っていない頃で、困惑気味の兄弟です。 アイオリアにしてみれば、『嘆きの壁』破壊が、後にも前にも一度きりの『兄との協力作戦』で、これで満足しちゃったんじゃないかと思えるくらい。なのに、いきなり『復活できるよ』と言われても、色々と思うこともあり、簡単には受け入れないんじゃないかなーとか思えたりする。 それで、復活しても、いわば、『十数年行方不明(実際、死んでたんだけど^^;)だった兄がいきなり帰ってきた状態』なわけで、どう向き合ったら良いのか、途方にくれているんじゃないかという感じです。 ロス兄貴の方も、『長年会ってなかった親戚の子(弟だけど)と久々に会ったら、でかくなってました状態』という現実にもアリがちなシチュでもあり、少しばかり対処に困っている模様。でも、こっちはそんなには気にしていない。幾つになっても、弟は弟なので☆ 密かに美味しいところを持っていくムウにも、兄ちゃん嫉妬モード大全開です^^ 子供の頃云々は……お題ネタ用意してあるので、その内書きます。勉強の面倒見てたくせに、嫉妬するなよ。 ところで、『お題03』では朝風呂入ってましたが──規則破りをさせたのか、アイオロスが運動起こして、規則が変わったのか? どっちだろう(爆)
2007.05.18. |