必殺技 俺は走った。走って、走って──走り続けた。 悲しくて、遣り切れなくて──どうしようもなくて!!
アルデバランが死んだ。牡牛座のアルデバランが。豪胆で、優しくて、大らかで……聖闘士候補生にも慕われていて、そして、何より強かった。 あんなに強い人が、俺のために死んだ。俺を守るために! どんな戦いがあったのかさえ、よく判らない。金牛宮で、いつの間にか眠っていた俺たちが目を覚ましたら、そこには戦いの痕跡があって……、破壊の後と三人の冥闘士の死体と──二度と目覚めないアルデバランが……。 唯一人残っていた冥闘士には何故か戦意や殺意がなくて、アルデバランは俺を守り、死んだのだと匂わせた。 『冥王軍が天馬星座《ペガサス》のテンマを名指しで、狙ってきている』のだと! アローン……冥王《ハーデス》にとっての僅かな憂慮をも除くために、あのパンドラって女が刺客を差し向けてきたと。 そして、これからも執拗に狙い続けるのだと。 それは勿論、腹立たしい。あんなに優しかったアローンをあんな風に変えちまって、勝手なことを言うなと叫びたい。だけど、そのために……俺なんかのために、黄金聖闘士のあの人が斃れるなんて──!! 『何でなんだよ、テンマ!?』 サロの叫びが頭から離れない。 本当に何でだ。何で、黄金聖闘士のアルデバランが高が青銅聖闘士でしかない俺なんかを守って──。何でだって? そんなことは俺が知りたい!! 金牛宮から白羊宮へと一気に駆け下りる。白羊宮を守護する牡羊座のシオンは不在のようだった。いれば、金牛宮の異変に駆けつけないはずがない。 誰にも止められず──血相を変えて、走る俺を呼び止めた者がいないでもなかったけど、俺はひたすらに走った。 涙が散っていく傍から溢れて、止まらない。畜生!
『約束だ』 アローンと交した約束……。 どんなに生活が苦しくても、毎日が大変でも、アローンは絵を続けると。 どんなに厳しい修行でも耐えて、俺は必ず聖闘士になると。そして、アローンやサーシャや、皆を守るんだと約束した。 その約束は果たされたのに、俺は天馬星座の聖闘士に選ばれたのに──アローンは去っちまった。そこにいたのは『冥王ハーデス』だった。 『もう、君の言葉は僕に届かない』 親友のアローンじゃない。特別でも何でもない。タダの敵だと。 『妹《サーシャ》を殺せるかって? 当たり前だろう』 『これは聖戦なのだから……』 兄妹なのに、あんなに妹思いの奴だったのに、平然と冷然と、言い放った。もうサーシャは敵でしかない女神《アテナ》だから、戦い合うのは当然だと。 頭の中を何度も回る冷ややかな言葉。俺の親友は本当にもういないのか? それとも、パンドラって女が僅かでも障害になるからと俺を消しにかかってきたのなら、まだハーデスの中にアローンが残っているのか? でも、でも…! もう何が何だか解らない。自分がどうしたいのか、どうすればいいのか。 冷たいアローンの顔。悲しそうなサーシャの顔。まだまだ、聖戦はこれからだっていうのに、どこか満足そうだったアルデバランの死顔が浮かんでは消える。 不死たる冥闘士の魂を封じる呪具に小宇宙の全てを託して、消滅した乙女座のアスミタや、サーシャのためにハーデスに放った矢を返されてしまい、今も眠り続ける射手座のシジフォス。 ハーデスにやられて、死にかけた俺を冥界まで迎えにきてくれた一角獣座の耶人《やと》やジャミールのユズリハも思い出される。 戦いに巻き込まれ、死んだ故郷の連中や孤児院の仲間たちも……なのに、今の俺は何もできない。何も、できないんだ! 聖闘士になったって、人より幾らかは大きな力を得たって、それだけで、結局何も!! 「うわっ」 蹴躓いて、スッ転んだ。乾いた大地に投げ出されて、土煙が巻き起こる。 土を掴み、仰向けに転がると、空には──ハーデスが残した絵が、『ロスト・キャンバス』が嫌でも目に飛び込んでくる。 『この絵が完成した時、全ての人間が息絶える』 絵を得意にしていたアローンを憑代《よりしろ》にしたからか、ハーデスは絵で、命を左右できた。ハーデスが描いた絵は生命力を吸い取られて、絵は美しく生き生きと息づきながら、描かれた対象は息絶える。 俺もそれで、一度死にかけた。今、こうして生きているのは最後の一線を越えるのを防いでくれたサーシャの、アテナのお守りの花輪と耶人たちのお陰だ。 でも、全世界の人間にはさすがにお守りなんて、与えられない。聖域一つを結界で守るのも難しく、力ある冥闘士の侵入を防ぎ切れないのに、どうやって、守ればいいんだ。 やっぱり、絵が完成する前に、その絵を引き裂くなり何なりするしかないのか。冥王軍の本拠地に乗り込んで……。そして、絵を描き続けようとするハーデスを、アローンを倒すしかないってのか!? 「……畜生」 本当にどうすりゃいいんだ。どうすれば、アローンを取り戻せるんだ。 あんなに仲の好かった兄妹が争うのなんて、見たくないのに、二人とも守りたいのに──神だという二人は、とっくに俺の手の届かない存在になっちまったのか? 『余とお前の間には、神と人という隔たりがあるのだ』 手が、届かない。心も届かない。声も──届くまで、何度でも! そう自分にも誓ったのに、俺のためにアルデバランが死んだ今、本当に正しいのかも揺らいじまう。 『行け、ペガサス! 冥王と親友であったお前しか──』 アルデバラン、信じてもいいのか? あんたの言葉を、最後の拠所にしても……。 豪放な笑顔を思い返すと、また、涙が滲んできた。ボヤける『ロスト・キャンバス』を見たくなくて、ゴシゴシと拳で目を擦る。涙と土に汚れたけど、気にもならなかった。 その時だった。 ☆ ★ ☆ ★ ☆
「こんな所で、何をしている」 影が射したかと思うと、知らない声が降ってきた。全く気配を感じなかったのに、慌てて跳ね起きる。いや、敵なら、声をかける前に攻撃してきそうなもんだけど。 「あんたは──」 見上げる格好になった男の顔を見て、俺は絶句した。聖衣は着けていなかったけど、そこに立っていたのは十二宮の人馬宮で眠っているはずの射手座のシジフォスだったからだ。 「……シジフォス。目が覚めたのか?」 体に付いた土を払うのも忘れて、立ち上がり、近付く。一度だけ、人馬宮に入れて貰ったけど、昏睡状態にあるシジフォスは青白い顔で横たわり、ピクリとも動かなかった。 命を司るハーデスの攻撃は魂そのものに傷を負わせるためだと、童虎から聞かされていたので、こうして、目覚めたシジフォスが何事もなかったように出歩いている姿には本当に安堵したんだ。 けれど、シジフォスは僅かに目を細めて、俺を見返してきた。昔、サーシャを迎えに来た時のことは朧気に覚えているけど、それだけだ。初めて見る瞳の色に、一度だけ消える寸前に見たアスミタの瞳を思い返した。同じ色でもないのに……。
「何をしているのかと聞いているのだが」 そして、初めて聞く声──酷く落ち着いた、少しだけ冷たさも感じさせる声に何故か、息を詰まらせた。 「何って……」 漸く周囲に意識が向けられる。聖域も飛び出し、程近いロドリオ村が向こうに見えた。こんな所まで、周囲に注意も向けず、無防備に走ってきていたのか。 そうして、嫌でも思い出されるのはアルデバランのことだ。 「アルデバランが……」 口にすると、落ち着いたと思った感情がまた揺らぐ。喉元に込上げてくるものを我慢しても、涙が勝手に湧いてくるのに、目を擦る。 「あぁ…、アルデバランの小宇宙が消えたな」 聖域を見遣り、呟いたシジフォスの精悍で端正な顔に、悼むような表情が浮かんだ。でも、それは一瞬で掻き消え、次には信じられない言葉を続けた。 「こうも容易く結界を破られるとは、アテナは何をしておられるのだ」 「──サーシャは頑張ってるさ。ずっと一人で無理をして、ハーデスの力を抑えてきたんだ。そんなこと、シジフォスだって知ってるはずだろう」 「頑張ったところで、実が伴わないのであれば意味はない」 「そんな…っ」 何だろう。何か違和感を覚える。でも、それが何なのかがよく掴めない。 「教皇も少しアテナを甘やかしているのではないか。頑張りましたから、世界を守れなくても仕方がないとでも言うつもりか。聖域はそんな曖昧なもののために存在するわけではないぞ」 「解ってるさ! そんなこと…、解ってる」 だから、皆が命すら懸ける。アスミタも、アルデバランも、直接には会わなかった魚座の黄金聖闘士だって、ロドリオ村を、聖域を守るために冥闘士最強の冥界三巨頭の一人と戦って、相打ちになったと聞いた。 自分が死んでも、後に続く者を信じて──後に、続く……。 唐突に気付かされる。アルデバランも、そうだったのか? 俺への刺客と相打ちになったのは俺個人のためだけではなくて、『未来』を継ぐ連中を守るためだったのか。俺だけでなく、あの場にいたサロやテネオ、セリンサをも……。 それはアルデバランだけじゃない。あのアスミタも、後を残る俺たちに託して逝ったんだ。 『アテナを、頼んだぞ……』 一度だけ見た澄んだ瞳の色──綺麗な笑顔は明るかった。 「どうした」 急に黙り込んだ俺を不審に思ったのか、シジフォスが問うが、俺はもう一度、グッと拳で涙を拭い、 「何でもない──」 「……嘆くだけでは何も変わらん。それは解っているようだな」 「でも、どうすれば良いのかは、やっぱり解らない。俺、考えるの苦手なんだ」 いつもそうだった。考えるより先に体が動いて──考えなしの行動で、アローンに迷惑をかけたことは数え切れないくらいにあった。その度にアローンは「気にしなくていいよ。その方がテンマらしいよ」と笑ってくれた。 「ならば、無理に考えることもないだろう。お前は親友を取り戻すことを諦めたのか」 「そんなことはない! でも──」 「でも、などと考えるな。望みがあるのなら、脇など見るな。雑音に気を取られるな。お前は、親友だけを見ていればいい」 犠牲が、他にも出るかもしれないのに? 俺がアローンに拘ることで、巻き込まれる奴がどんどん出るかもしれないのに? 「かもしれん。だが、今更だ。既に采は投げられた。お前が親友を諦めたところで、あの女はお前の命を取ることを諦めはしないだろう。ならば、お前はその運命とも戦わねばならない。それだけだ」 あの女──パンドラが俺を狙っていることも知っているのは不思議に思ったけど、それよりも、余りにも強く言い切られて、唖然となり、シジフォスを見上げた。 絵が好きで、澄んだ瞳をした優しいアローンを直接、知っている童虎でさえ、「もう情けをかける気にはならない」と言ったのに。 「本当に、良いのか? アローンはハーデスなのに」 「人には、思い合い、見守る者が必要だ。ハーデスは確かに神だ。だが、憑代たる少年は、やはり……人なのだ」 また、涙が出た。悲しいものではなかったけど、胸も熱くなった。 「お前は案外と泣き虫なのだな。ペガサス」 色々、文句は言いたかったけど、言葉は出なかった。ただ、嬉しくて──冷たいくらいに厳しい顔をしていたシジフォスが微笑ってくれたのも嬉しかったんだ。 ★ ☆ ★ ☆ ★
俺たちは並んで、聖域に向かった。 「でも、シジフォス。いつ、目が覚めたんだ。それに体は大丈夫なのか。小宇宙も……」 意識を向けても、黄金聖闘士の強い小宇宙が余り感じられない。声をかけられる前に気付けなかったのは気配を断っていたようなのもあるけど、発する小宇宙が弱かったからだ。 ハーデスの力は魂と小宇宙に傷を負わせ、下手をすれば、シジフォスは聖闘士としては二度と立てないかもしれないとさえ、言われていた。 でも、何故かシジフォスは苦笑するだけだった。 「それより、ペガサス。サジタリアスの矢が何故、ハーデスに届かなかったか、解るか」 「え…、どうしてって。そりゃ、幾ら黄金聖闘士でも神の力の前には屈するしかないからじゃないのか」 突然、聖域に降臨したハーデスの力はアテナ以外の全ての聖域の者を圧倒した。最強の黄金聖闘士でさえもが例外ではなく、動きを封じられたと童虎に聞いた。 そんな中で、射手座のシジフォスだけがその圧力を撥ね退け、立ち上がり、『サジタリアスの矢』を射た。 渾身の矢は、でも、神の力の前に弾き返され、シジフォス自身を貫いてしまったのに──射られた本人が平然として、問うてくるのにはやはり首を捻る。 「そればかりではない。サジタリアスの矢は“破邪の矢”だ。たとえ、神であろうと、それが“邪”であれば、撃ち払うものだ」 「それじゃ……」 「届かなかった理由は一つ。冥王ハーデスは決して、邪神ではないからだ」 思わぬ言葉に声もない。神話の時代から、女神アテナと戦い続けたハーデスが邪神ではない? アテナが正義を司る『知恵と戦いの女神』なら、対する神は邪神じゃないのか? 「それほど、単純なものではないということだ。忘れがちだが、ハーデス神は、これはポセイドン神も同じだが、我らがアテナと同じオリンポス十二神に数えられる一柱《ひとはしら》なのだぞ」 そういえば……本当に忘れていた。
『オリンポス十二神』 自らを生み出した古の神々を放逐した後、世界を治めた輝かしき神々。大神ゼウスを筆頭とした十二柱の神。アテナはゼウスの娘であり、ハーデス、ポセイドンはゼウスの兄弟である。 三兄弟は三界を夫々に治め、アテナはゼウスから地上の守護を委ねられている。 ところが、ゼウスの兄弟たちは時に地上の覇権を望み、戦を仕掛けてくるようになった。特に闇い冥界で死者を治めるハーデス神は光を望むが故に、思いついたように地上を欲し、争いが絶えない。 数百年ごとに生じる『聖戦』は永劫にも等しい永き刻を渡る神々にとっては気紛れの産物のような面があった。確かに神にとっては数百年など、毫《ごう》ほどもない刹那な刻なのだ。 だが、神同士が直接に対決するのは望ましくない。故に、従う闘士たちが必要とされた。 それが女神《アテナ》の聖闘士であり、冥王《ハーデス》の冥闘士であり、海皇《ポセイドン》の海闘士なのである……。 「そう…、冥王は決して邪神ではない。だが、命を司るために人には畏れの対象となり、時として冷酷な神とだけ映る。現にこれまでの聖戦でも、命を弄ぶような面は多々あった」 まるで、見てきたように言うのには目を瞬かせたけど、死者の国・冥界の神というからにはそうなのだろうとも納得した。 「だが…、此度の聖戦に於ける冥王は今までとは違うようだな」 「違うって?」 「……真実、人を、救おうとしている。勿論、冥王にとっての意味でではあるがな」 思わぬ言葉に、俺は足を止めた。救う? アローンが、ハーデスが人を救おうとしている? 「でも、あのロスト・キャンバスは死を招く絵なんだぜ」 「そこだ。死は救いなのだと、此度の冥王は心底、信じている。そうとしか思えん」 「それは……」 故郷の町が燃えた中、再会したアローンがそんなことを言っていたとも童虎に教えられた。 「今までにはなかったことだ。恐らくは、憑代の少年の意識に相当、左右されているのだろうな」 「そんなっ。アローンのせいだって、言うのかっ。ハーデスじゃなく、アローンが望んだって!?」 「落ち着け、ペガサス。お前たちは孤児院で一緒《とも》に育ったと聞いたが」 「そうだよ。シジフォスだって、サーシャを迎えにきた時に見ただろう。貧民街の孤児院で俺たちは」 身を寄せ合って、何人かの大人を頼りに、後は自分たちだけで何とかするしかなかった。 兄妹のように育ったから、本当にサーシャが貰われていくのは淋しかったし、悲しかった。でも、ずっとあんな貧民街《ところ》にいるよりはサーシャだけでも、良い家に行って、食事も寝るところも、何の心配もなく暮らしていけた方が良いと、思ったから……。だから、アローンも俺もサーシャを送り出したんだ。 まさか、サーシャに戦女神《アテナ》なんて宿命があるとは思いもしないで。 「最後まで、その孤児院に残ったアローンは何を見たのだろうな。そして、何を思ったのか」 シジフォスは空に広がる未完の『ロスト・キャンバス』を見上げ、憂いたように呟いた。 「彼は…、生きることそのものが苦しみなのだと、どこかで悟ったのかもしれない。だから──」 「だから、死を与えるって言うのか? そりゃ、毎日、食うモン探すのも大変で、それでも、あいつは我慢して、絵を描くために絵の具を買ったりしてたんだ! 毎日毎日、生活が苦しくても、幸せを、希望を感じさせる絵をいつか描くためにって!」 堪らなかった。そのアローンが思い余った挙句に、『死が解放になる』とまで信じ込んじまうようになるなんて!? 「そりゃ…、死ねば苦しみも痛みも感じなくなるかもしれない。でも、楽しいことや嬉しいことだって、何も感じられなくなっちまうんだぞ!」 「その通りだ。それを、ハーデスは取り違えている。いや、余りにも深いアローンの悲しみにのみ、神たるハーデスが逆に引きずられているのかもしれない」 アローンにハーデスが? 逆に思いを支配されているって言うのか。 「これは俺の推測でしかない。だが、そう感じられる。ハーデスは神であり、人としての思いの全てを理解はできないのだろう。アローンの中の生への苦しみや悲しみの中でも、彼が心を守ってきた温かなものに気付かずにな」 貧民街での生活は確かに苦しかった。食い物がない日が続くのは珍しくなかったし、病気になっても、医者にも中々かかれなかった。そうして、弱って死んでいく子を何人も見送った。 それでも、楽しいこともなかったわけじゃない。一緒にいられるのが楽しかった。アローンの絵を見るのが好きだった。確かに『幸せ』もあったのに! 「……忘れちまったのか、アローン」 「アローンは忘れてはおるまい。ただ、ハーデスが気付いていないだけだ。ならば、それに気付かせてやれば、或いは──」 「アローンが戻るのか?」 「何とも言えん。全ては可能性だ。だが」 シジフォスは俺を見返し、肩に手を置いた。直接に触れるその手から信じ難いほどに熱く毅い小宇宙が伝わってくる。やっぱり、この人は黄金聖闘士だ。ハーデスの攻撃から立ち直ったんだ……。 「可能性はある。お前が諦めなければ、いつかは道は開ける。そう信じることが、また道に繋がる」 「信じる、ことが」 「勿論、道は険しいだろう。何度やっても、お前の声は届かないかもしれない。その度に、お前もアテナも傷付くだろう。それでも、信じられるか?」 「……信じたい」 「ならば、信じろ。傷付くことを恐れるな。泣き喚いて、悔しがっても構わん。だが、何もしないで、嘆くだけで変わるものなどありはしない。本当に失ってからでは何一つ取り戻すことなど叶わんのだからな」 シジフォスは空を見上げながら、続けた。その目は『ロスト・キャンバス』ではなく、もっと遠いものを見ているように感じられたけど、俺なんかにはその胸の内は想像もできなかった。 でも、スッと胸が軽くなった。そうだ。愚図愚図悩んでいるなんて、俺らしくない。 「有り難う、シジフォス。何があっても、諦めないぜ、俺」 きっと、アスミタもアルデバランもそれを願ってくれているに違いない。 俺が真直ぐ、前に進むことを──……。
「では、こんな所で道草を食っている場合ではないな」 「え?」 「いい加減、出てきてはどうだ」 その瞬間、周囲の気配が荒々しく変わった。シジフォスの呼びかけに呼応し、岩陰から飛び出してきた黒い影──五人ばかりの冥闘士だ。 「へへっ。気付いていやがったか」 「ペガサス! その首、貰うぞ」 功を争うように、冥闘士どもは俺たちに飛びかかってきた。 シジフォスは──幾ら黄金聖闘士でも病み上がりも同様だし、聖衣も着けていない。それは俺も同じだけど、無理はさせられないと前に出た。どうせ、奴らの狙いは俺だ。 「上等だ! 徒党を組むしか能がないテメェらなんかに、やられて堪るかっ」 幸い、この辺りなら、地の利がある。倒せないまでも、凌いでいれば、必ず聖域から援護が来る。必ず!
「ペガサス流星拳!!」 聖衣がなくても、思いの強さで補うことはできる。それは冥界で、アスミタが教えてくれた。 小宇宙の流星は冥闘士たちを吹き飛ばし、岩肌に叩きつけられた二人が動かなくなった。魂を聖域にある呪具に封じられたんだ。 さすがに不死を拠所にしていた冥闘士も怯んだようだ。 「こいつ、高が青銅聖闘士の分際で」 「ハーデス様の親友だと? ふざけるのも大概にしろ」 「知ったことか! 俺は、アローンを諦めない! そう、あの女に伝えやがれっ」 燃える小宇宙に体が熱くなる。それを見たシジフォスが、目を瞠り、呟いたことには気付かなかった。 「大した気概のある奴だ。なるほど、童虎やアルデバランが気に入るだけのことはある。それに、あのアスミタがアテナを託したのもな」 密やかな笑みが深くなったのも……。 とはいっても、やっぱり聖衣がないのは苦しい。次第に圧されていく。 「クソッ」 「ヘッ、さっきまでの威勢の良さはどうした」 「所詮は青銅。しかも、聖衣がないようだからな」 「さぁ、諦めて、覚悟を決めろ」 「冗談じゃない。誰が諦めるかっ」 今一度、小宇宙を燃やす。童虎やアスミタから、アルデバランから伝えられたものを確かなものとして、高めようとする──その時だった。 物凄い、熱く灼けるような小宇宙を背中に感じた。 「なっ…」 「ヒイッ」 敵のことも忘れて、思わず振り返った俺を冥闘士は狙ったりはしなかった。三人ともその小宇宙の前に竦み上がり、動けなくなっていたからだ。 「……シジ、フォス」 灼熱の太陽のような小宇宙だった。聖衣もないのに、ここまで高められるものなのかと目を疑う。 「神たる冥王ならばともかく、さすがに冥闘士如きに、こうも容易く聖域を蹂躙されるのは我慢ならん。退去願おうか」 「ヒッ…、ヒイッ!」 三人の冥闘士は悲鳴を上げ、こけつまろびつ逃げ出した。 だが、拳を固めたシジフォスが赦すはずもない。 「逃がすかっ! ライトニング・プラズマ!!」 ピシャッ… シジフォスが右腕を振り抜いた瞬間、一帯の空気に亀裂が疾ったようにも感じられた。 「光が…っ!!」 幾条もの閃光が弾け飛び、その都度、雷鳴のような轟きが確かに響いた。でも、光の軌跡の全てを追うことは、俺にはできなかった。ただ、もう光の塊にしか見えない黄金の小宇宙が吹き荒れ、冥闘士たちを薙ぎ払うのを茫然と見届ける。 スゲェ……。何て圧倒的なんだ。 俺の知る黄金聖闘士たち──童虎やシオンの力は他の聖闘士より遥かに突出したものだし、アスミタの威圧感は忘れられない。そして、アルデバランの強さも……。 けれど、この人はもっと凄まじい。しかも、聖衣を着けていないのに──目も開けられなくなるような光は、本当に太陽が地上に現れたみたいだ……。 ジャミールのじいさんは黄金聖闘士が極めた第七感《セブンセンシズ》をも超越《こ》えられるのは目の見えないアスミタだけだろう、と言っていたけど──もしかしたら、この人だって!! そんなことを考える余裕があるのが不思議だった。でも、本当に一瞬で、全て終わってしまったから。「ペガサスの伝言を、あの女に伝えるのは無理のようだな」 見下ろすシジフォスの前に倒れ伏した冥闘士は冥衣《サープリス》までもズタズタに引き裂かれ、絶命していた。 俺は声もなく、シジフォスを見上げる。いや、最初の違和感の正体に漸く気付いた。この人はシジフォスじゃない。 あの猛々しいまでの、太陽の小宇宙の持ち主は数年前の朧気な記憶にあるシジフォスとも、他の奴らから伝え聞くシジフォスとも完全には重ならなかった。黄金聖闘士であることは間違いないだろうけど……。 「あんた…、一体、誰なんだ?」 「フ…、やっと気付いたか。もう少し小宇宙を注意深く視ることだ」 俺は少し鼻白む。そういうことが苦手なのは自分でも解っている。それにしても、再び抑えられた小宇宙は俺の知るシジフォスの小宇宙とそうは変わらない。多分、二人が並べば、判別《わか》るのだろうけど、今は叶わない。 「……降参。シジフォスとの違いが全然、判らない。なぁ、教えてくれ。あんたは誰なんだ。シジフォスと関係があるのか。兄弟とか?」 小宇宙も顔も、見間違うほどに似ているのだから──でも、この人がシジフォスじゃないなら、やっぱり彼はまだ人馬宮にいるのだろうか。いつ、目覚めるとも知れぬ眠りの中に……。 「心配するな。あの莫迦なら、シジフォスなら大丈夫だ」 「バカって;;;」 「莫迦だろう。破邪の矢を、冥王に射掛けるなど、何考えているんだか」 貶しつつ、案じているのは口振りで解る。何となく、今度は気持ちも察せられたので、話を戻した。 「どうして、大丈夫だって、解るんだ」 「俺には解る。それだけだ」 余りに自信たっぷりな言葉も信じたくなる。 あぁ、信じるってのはこういうことなのか、とも不意に気付かされたけど。俺がアローンが戻ってくると信じようとするように、この人はシジフォスが目覚めることを信じているんだ。 「……で、教えてくれないのか? あんたは、誰」 重ねて問う俺に、彼は苦笑を滲ませ、少しだけ頬を掻く仕種を見せた。 「あぁ、暫く聖域を離れていたのだがな。俺は、獅子座の黄金聖闘士──」 その瞬間、聖域の方から呼びかける声がした。聞き覚えのある声は童虎のものだ。凄い勢いで走ってくるのが見えた。 「援軍……。いや、迎えが来たようだな」 結局、彼の名前を聞くには童虎の到着を待つしかなくなった。ほんの僅かな時間だけど、俺にはとても長い時間に感じられた。それくらい、知りたかった。 そして、俺を励ましてくれた彼を、獅子座の黄金聖闘士だという彼をちゃんと、その名前で呼びたかったから……。
現在進行形連載中の『冥王神話 THE LOST CANVAS』より前聖戦時ネタでした。それも先週号直後の輝版展開。アルデバラン(本名ではない)がいきなり死んだのには一寸、茫然としました。強敵ベヌウの輝火《かがほ》戦では苦戦しつつも、撃退した彼が輝火よりは格下だろう冥闘士と相打ちになるとは!? 解らんもんだTT その輝火も随分と義理堅い奴だ。「必ず殺す」とか捨て台詞を残したくせに、実はアルデバランに借りがあると感じていて、親切にもテンマに冥王軍の裏事情を教えてやるとは。……ただ単に、パンドラの言いなりになるのが面白くないからかもしれんが。 で、時の獅子座はまだ本格登場しておらず、名ナシ状態なのですが、時のペガサスのテンマとも、アイオリアと聖矢のような感じで仲好くなってくれたら、いいなぁ☆ とか思ってみたりして? でもって、名前を知りたいのは輝も同じだ。 とりあえず、今週号が出る前のタイミングで上げないと、幻ネタになってしまうので、頑張りましたよ。本編ではどんな登場になるのか……。 密かな設定?としては『時の獅子座は前聖戦時の生き残り、かもしれない』というのも含ませてみました。さて、どの辺でしょう^^ でも、本当にシジフォスとの関係は何になるのかな? お題は……「ライトニング・プラズマ!!」 これだけで、彼の正体が判る人には判るところから☆ 因みに普段、聖衣を着けないのは代々の獅子座の癖かもしれない? まぁ、その気になれば、簡単に喚べるだろう、ということで^^
2007.09.12. |