Brother hood
(兄弟愛、仲間のよしみ、仲間たち)


「ミロをこの場で、打ち倒してでも──」
「なっ……」
 アイオリアの挑むような言葉に、さすがに俺は絶句した。こいつがこんなにも強硬な物言いをするのは珍しい。
 教皇もそこにアイオリアの決意を見たのかもしれない。俺に下そうとしたはずの勅命を、そのままアイオリアへと与えたのだ。
「では」
 早速、出発するつもりなのか。聖衣も纏わず、平服姿のまま跪いていたアイオリアは立ち上がり、一礼すると、教皇の間を後にした。
 この俺を一瞥すらしなかった。
「教皇──!」
 俺は思わず……そう、思わず教皇に食ってかかった。勅命を奪われた者として、それは当然の行為だったので、教皇も咎め立てはしなかった。
 だが、実はこの時、俺の意識は既にアイオリアへと向いていた。急がねば、あいつは本当に行ってしまう。その前に、せめて今一度、話を……。
 教皇の間を辞するまでの追従は、我ながら、過ぎたものだったと思うが、ある種の儀礼のようなものでもあった。

 ともかく、教皇宮を出た俺は適う限りの速さで十二宮を駆け下りた。さすがに光速で移動するわけにはいかないが、数段飛ばしで階段を下りながら、先を行ったアイオリアの小宇宙を辿る。それほど、時間差はないはずだが、あいつも急いでいれば、追いつけないかもしれない。
 だが、意外にも教皇宮より二宮下の宝瓶宮に、その小宇宙が留まっているのを感知した。それも一人ではない。
「帰っていたのか」
 宝瓶宮の守護者たる友人が……。
 俺は許可を求めるまでもなく、宝瓶宮に飛び込んだ。
『カミュ、アイオリアを留めておいてくれ』
『ミロか。どうした』
『いいから、直ぐにそちらに行く』
 小宇宙で語っている間に、宝瓶宮を一気に突っ切って、反対側へと抜ける。テラスでカミュと立話をしていたアイオリアが俺に気付き、顔を顰《しか》めた。
「カミュ……」
「どうも、話があるようだぞ」
 苦笑いして、宝瓶宮の主たる水瓶座《アクエリアス》のカミュが一歩、下がる。
 駆け寄った俺はアイオリアの腕を掴むと、宝瓶宮内へと引き戻した。さすがに問答無用の勢いには二人とも、呆気に取られた様子で、アイオリアも暫しは為されるがままだった。
 だが、互いの宮の中でしか、まともに腹を割っての話もできないのだから、ここは宝瓶宮を借りるしかない。
「……何だ、ミロ。急いでいるのだが」
 軽く腕を振り払い、静かに問われる。俺は意識して、気持ちを鎮めた。
「どういうつもりだ、アイオリア。何故、勅命を奪った」
「奪った?」
 傍らでカミュが呟くのは話が見えないためか。
「人聞きの悪いことを言うな。最後は教皇が俺に命を下された。それだけのことだ」
「それだけだと? だが、今回は──日本の青銅聖闘士たちを倒せという命令だぞ」
「だから?」
「その中にはペガサスがいるだろう。あの、鷲座《イーグル》の弟子の……」
 直球勝負で行くと、アイオリアは微かに眉を寄せた。端正な顔が幾らか歪んだようにも見えたが、口にしたのは「だから、何だ」と一言だ。何でもないような冷静さに却って、苛立つ。
「何だではない。お前とて、随分と目にかけていただろう。それを何故、自ら討伐に出向くなどと言い出した。俺に任せておけば良いものを!」
 息せき切って、詰め寄るが、数瞬だけ俺を見返したアイオリアは碌な反応を見せなかった。
「……下らんな。そんな話ならば、するだけ時間の無駄だ」
 騒がせて、済まなかった、とカミュに告げ、とっとと踵を返す。
「お、おい。アイオリア、待て! まだ話は終わっていないぞ!!」
「よせ、ミロ。もう無駄だ。一度、下った勅命が覆るはずがない」
 追いかけようとした俺を何故か、カミュが押し留めた。その余りの正論に動きが止められてしまった。
 その間にも、アイオリアの足は止まらず、宝瓶宮を出て行ってしまった。十二宮の階段を下りていく足音も直ぐに届かなくなる。

 舌打ちする俺に、カミュが疑問を投げかけてくる。
「だが、どういうことだ? 今一、話が……。その勅命、一度はお前に出されたのか」
「そうだ。教皇に呼ばれ、日本での事態の顛末を聞かされた」
 そして、事もあろうか、黄金聖闘士に青銅聖闘士討伐の命が与えられたのだ。
 勿論、最初は黄金聖闘士のプライドからも断ったが、女神の騙り者やら長らく所在不明だった射手座《サジタリアス》の黄金聖衣の存在など、座視できないことが判明《わか》った。
 だから、引き受けようとした正にその時、後から現れたアイオリアが自ら、願い出て──しかも、教皇がそれを許したのだ。
 俺の黄金聖闘士としての面目は丸潰れ──と憤っては見せ、教皇にも反論したが、内心は全くの正反対だ。
 決して、アイオリアにとっては無視できない者も、今回の標的には含まれているとあっては、“逆賊の弟”云々よりも、そちらの方が心配だ。 
 この時、迂闊にも俺は日本の青銅聖闘士たちの中にカミュの弟子もいるのを失念していた。アイオリアのことばかりを懸念していて、そこまで気が回らなかったのだ。
 察していたのか、カミュもまた、敢えて触れず、何事かを考えるように顔を険しくした。
「ミロ、アイオリアは後から来たと言ったな」
「あぁ。丁度、俺が命を引き受けるのを狙ったように現れた」
 カミュが深刻そうに溜息をついた。
「……それは、試しだな」
「何?」
「教皇はアイオリアを試されたのだろう」
「ちょ、一寸待て。どういうことだ」
 今、途轍もなく、不可解かつ不愉快なことを聞いたような気がする。舌までが蹴躓いて、呂律が回らなくなりそうだった。
「アイオリアも教皇に呼ばれたんだ。お前より、少しだけ遅れて……」
 大体、呼ばれない限り、獅子座《レオ》の黄金聖闘士であることをひたすらに隠し、“逆賊の弟”呼ばわりされているアイオリアが教皇の間まで、上がってくるわけがない。十二宮ですら、獅子宮の守護結界を強化するために一月に一度、入れば良い方なのだ。
「教皇はアイオリアが教皇の間に来るのを見透かし、お前に説明しながら、アイオリアにも聞かせていたのだろう。そして、アイオリアが自分から願い出るかを試したんだ。恐らく、アイオリアとペガサスのことも御存知なのではないか? その上で……」
 カミュは淡々と続けたが、最後はさすがに言葉が途切れた。俺には俄かには信じられない。
「馬鹿な! 何を試すというのだ。そんな──」
 言葉を呑み込まざるを得ない。今度は暫し、絶句した。
「何故……、何故、教皇はそんな試しなぞ……」
「理由は一つしかあるまい。この十三年間、常にそうだった」
「アイオロス、か」
 そうだ、理由なぞ解りきっている。目の前が真赤になりそうだった。頭の中が煮え滾っていく。
 十三年前に、聖域を裏切ったとされる射手座のアイオロス。アイオリアの、唯一の兄。
「馬鹿なっ!! もう十三年も経っているんだぞっ。その間に、あいつがどれだけ、この聖域に尽くしてきたか! どんな命にも文句一つなく従い、誰よりも危険な任務を熟《こな》してきただろうが。この上、何を疑うと言うのだ!!」
「落ち着け、ミロ。声が大きい。宝瓶宮《ここ》は私の宮だから、心配はないと思うが、用心はしないと……」
「カミュ! よくも、そんな冷静でいられるものだっ」
「間違っても、我々までが叛意を抱いているなどと疑われるわけにはいかないからだ。立場をいうなら、私もアイオリアとは似たようなものだ」
「あ…、氷河のことか」
 急に頭から冷水どころか、氷水でもぶっ掛けられたような気分になった。カミュの愛弟子も、その日本の青銅聖闘士の一人なのだ。

 それにしても、何ということだ。誰も彼もが疑心暗鬼になっているようだ。いつから、この聖域は、こんなにも息の詰まるような場所になってしまったのか。
 アイオリアが自分が原因で、俺たちまでが『逆心あり』などと噂されるのを昔から、心底、恐れていたのもそれ故だと今更に気付く。俺たちを遠ざけようとするアイオリアに、余計な心配だと、俺も譲らなかったが、何と甘い読みだったろうか。
 最後にはカミュが間に立って、十二宮を行き来する際の、互いの宮の中でだけ、俺たちは僅か数分という友人としての時間を持つこととなった。
 その取り決めをアイオリアは絶対に崩さなかった。あいつは獅子宮に常駐していないので、話せる機会は本当に少なかった。
 十二宮外で会っても、黄金聖闘士に対する礼を取る始末だ。俺はアイオリアとは違って、蠍座《スコーピオン》の黄金聖闘士として、そこそこに顔と名前が売れていたので、それは当然といえば当然な行為なのだが、俺にしてみれば、相当に面白くない。俺に並び立てる奴が畏まるところなぞ、見たくもなかったのだ。
 依怙地になって、“逆賊の弟”に言葉を以て報いてやることもあったが、アイオリアは顔色一つ変えず、頭を下げ、姿を消した。
 後には自己嫌悪に陥り、カミュに愚痴ってみたり──弟子を取ったカミュがシベリアに向かい、十二宮には不在であることが多くなると、一人で落ち込んでいたりするのが常だった。
 アイオリアに平謝りしたくとも、獅子宮には一月に一度しか留まらないし、第一、天蠍宮よりも下の宮だ。教皇の間まで登ってくるのも不定期な奴だし、上手く掴まえたとしても、精々が数分間しか話せない……。

 余りに慎重すぎると思っていたが、強ち過ぎた警戒ではなかったのかもしれないと、今になって、思い知らされた。
 先刻、教皇は十三年、聖域に戻らぬままの天秤座《ライブラ》と牡羊座《アリエス》の二人をも、射手座に加担した“逆賊”だと断定したではないか。天秤座の老師は前聖戦以来の教皇の盟友であり、牡羊座のムウは直弟子であるはずなのに……これも謎の一つだ。
 老師が五老峰を動かないのはそれこそ、前聖戦以来だというので、何らかの理由があるとは窺えるが、何故、ムウが戻らないのか? あの聡い牡羊座は何かを知っているのかもしれない。そういえば、ジャミールに籠もったのも、アイオロスの叛逆の直後だった。
 だが、今の状況ではそれを知ることもできぬ。このままでは真に、黄金聖闘士同士で相争うことにもなりかねない。
 それを防ぐためにも、アイオリアは日本へと向かう──だが、それでもだ。自ら願い出るしかなかったのだとしても、弟のように目をかけていた相手を討てという命に、何の憂いの表情も見せなかったのは解せない。あの情が篤い男が……。
 カミュが幾らか、眉を顰めたようだ。
「お前、本当に解らないのか。アイオリアの気持ちが」
「……え?」
「私とて、もし、弟子と対さねばならぬのなら、自らの手で討ち取るだろう」
 俺は耳を疑った。冷静《クール》を信条とするカミュだが、それは冷酷を意味するわけではない。カミュがどれほどの情熱を以て、愛情を注いで、弟子を育ててきたか俺は知っている。
「何故だ? 何故、そこまで……大切な弟子ではないのか」
「大切だから、だ。だからこそ、他の誰の手にも掛けさせたくはない。ミロ、仮にお前が氷河を倒したとしたら──それが勅命によったとしても、私とて虚心ではいられないだろう。決して恨みはしないが……それでも、やはり」
「……アイオリアも同じだと?」
「そうだ。アイオリアにとって、そのペガサスは特別な存在なのだろう。彼を討てば、ペガサスだけでなく、その師である鷲座《イーグル》をも失うことになる。そして、お前が手を下せば──アイオリアはお前までも失うのだ。……それを恐れたのだろう」
「…………」
 声もない、言葉もないとはこのことだろうか。寡黙で、多くを語らないアイオリアの心の奥底を垣間見た気がした。
「解ってやれ、ミロ。これはアイオリアの我儘だ」
「我儘? あの、アイオリアが」
「そうだ。何一つ、望もうとしないアイオリアの……」
 何という細やかな望みだろう。俺自身が、その細やかな望みに関わっているからといって、とても喜べるものではない。


★         ☆        ★        ☆        ★


 俺は腹立たしかった。あらゆるものが──……。
 試し続け、全てに疑心を向ける教皇も、何もかもを呑み込み、行動で示すだけのアイオリアも……何よりも、無力な己に腹が立つ。
「悔しい……悔しい! 何もできない自分がっ!!」
「何もできないことなどないさ」
 慰め顔のカミュにすら、少しだけ苛立つ。気遣ってくれているのに、勝手なものだ。
「今、お前にしかできないこともある」
「何を……」
「アイオリアが戻ったら、いつもと変わらずに迎えてやればいい」
 勅命も任務のことも問わず、ただ「お帰り」と言ってやれ、と……。
「アイオリアにも聖域《ここ》に帰る場所はあるのだと……それを教えてやれるのはもう、お前だけなのかもしれん」

 アイオロスが去り、ペガサスが去り、イーグルが去り──あいつを迎えてやれる存在《もの》はもう数少ない。だから……!

 俺は宝瓶宮から出て、頭上を見上げた。そこには真青で、美しい空が広がっているのに、解放感なぞ全く感じられない。
 後からカミュも出てきたが、俺の視線を追い、無言で空を見上げた。
 自分でも良く解らない“何か”に挑むように、綺麗な空を睨み上げていたが、
「……カミュだって、そうだろう」
「そう、ありたいな」
 視線を落とせば、下へと続く十二宮の各宮が見え隠れしている。俺の天蠍宮はまだしも、獅子宮は離れすぎている上に、影になって見出せない。
 そして、その守護者たる獅子座の黄金聖闘士の小宇宙も抑えられているためか、よく感じられなかった。



 だが、日本から戻ったアイオリアを俺は迎えてやれなかった。別の勅命が下り、聖域を離れていたからだ。
 そして、逆に俺が出迎えられる形にはなったが──いや、その時のあいつには出迎える『意志』などはなかった。
 常とは異なり、獅子宮に留まる小宇宙はまるで別人のように激しく、荒れ狂っていた。何より酷く闇《くら》いことに驚かされた。獅子座の守護星たる太陽を反映するが如く、どれほど抑えていても、その黄金の眩さだけは隠しようもなかった美しい小宇宙の持ち主が、何故?
 当人に確めようにも変わったのは小宇宙だけではなく、宮を通る時だけの語らいは一切なかった。翠色の瞳には常の鮮烈さはなく、鈍い光を反射し、一瞥するだけで完全に無視された。

 一体、何があったのか──ほどなく事態は明らかになり、結局、俺は友人のために何もできない自分を再認識しただけだったのだ。



 やっと出せたなぁ、という感じの友情物です。これも早い内に書き上げていたんだけど、タイミングを計っていたというか。これまでもチラチラと触れてきましたが、うちのアイオリアとミロとカミュは御覧のように仲がいいのです。勿論、表向きは隠していることになってますが。
 冒頭の勅命のシチュは原作版ではなく、アニメ版からです。どっちも捨て難いけど、今回はアニメ版からの発展系
★ アイオリアがただ、手柄を立てるためだけに、星矢達の討伐を願い出たというのに納得がいかなかったものでしてね^^; 

2007.04.18.

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