想 い カンカン… 白羊宮の工房から、ノミを打つ音が聞こえてくるのは珍しいことではない。だが、その響きはいつもとは少し異なっているようだ。 今日、ムウは教皇宮で執務のはずだ。では、この音は誰のものか。 突然、音が止んだ。「あぁ、もう!」と、少しばかり苛立った幼い声に、アイオリアはクスッと笑った。どんな失敗をしたのかと工房を覗いてみる。 「貴鬼、癇癪か」 「わ…、アイオリア!」 気の毒になるくらい、慌てた様子の貴鬼が振り向きながら、ノミや槌を後ろに隠す。今更だろうに。 「どうしたんだ。練習で癇癪起こしても、仕方ないだろう」 最初から上手くできるなんてことはない。失敗するのは当たり前だ。だからこそ、練習に練習を重ねるのだ。それは聖闘士としての修練と何ら変わるまい。 だが、貴鬼は上目遣いで窺い見て、恐る恐るといった様子で、妙なことを口にした。 「ね、アイオリア。このこと…、ムウ様には言わないで。その…、勝手に道具弄ったのがバレたら」 「勝手に? ムウはまだ、聖衣修復作業の指南をしていないのか」 「それどころか、道具だって、中々触らせてくれないよ。俺、押しかけ弟子みたいなもんだし…、本当の弟子だって、思ってくれてるのかも分かんないから」 いきなりのこの台詞には本当に驚かされた。しかし、よく気の回る子で、手伝いもする。ムウも重宝しているように傍からは見えるが──。 「弟子と思ってもいない者を白羊宮に置くわけもないだろう」 「でも、だったら、何で、何も教えてくれないのさ。見よう見真似で、時々、手入れの時に使うくらいで」 「手入れって、貴鬼がしているのか?」 「え? うん、何時もってわけじゃないけど」 何てことはない。大事な道具の手入れを許しているくらいだ。全く心配することなどないではないか。 そうは言っても、貴鬼の不安は根が深いようだった。 「でも! ムウ様がオイラくらいの時には、もう基本は修めてたって──! シオン様が」 教皇が──孫弟子の教育方針に口出しすることはないらしいが、全く興味がないわけでもないのだろう。時折、白羊宮に下りてきては御自ら、貴鬼にギリシャ神話や聖域の歴史等を教授していると聞く。 シオンまでが孫弟子と見做しているのに、ムウが弟子とは思っていないなど、益々あり得ない。
アイオリアは軽く嘆息し、膝をつくと、貴鬼に目を合わせた。 「焦ることはない。貴鬼、お前とムウは違う」 「──そりゃ、オイラはムウ様みたいに出来の良い頭じゃないけど」 予想もしない言葉に、言葉足らずで勘違いさせたと慌てて、首を振る。 「そういう意味じゃない。お前と、あの頃のムウとでは環境が違うということだ」 ムウは独りジャミールで、シオンが遺した書物を紐解き、全てを学び、身に付けたのだ。修復師としての知識も技能も、聖闘士としての在り様も──……。そうするしか、なかったのだ。 同じようなことを、ムウは貴鬼に求めてはいないに違いない。 「恐らく、ムウとて、本当はシオン様に時間をかけて、教えを乞いたかったはずだ」 教える側のシオンもまた、然り。幼い弟子を独りきり遺していくことが、どれほど!! 二人の思いは、そのまま、兄アイオロスと自分とにも通じるものだ。 僅かに口調にも翳が射す。 察したらしい貴鬼が目の前で、もじもじしているのに、アイオリアは苦笑した。時として、囚われる彼の十三年──さすがに長すぎたか。 しかし、決して、身動きもできないというわけではない。ムウや、ミロやカミュら、気にかけてくれる仲間がいた。そして、今はアイオロスもいる……。
気持ちを切り替え、貴鬼を見遣る。 「ムウはちゃんと、お前のことを見ているし、考えているはずだ。今はまだ、早いと言うのなら、そうなんだろう。隠れて、練習したくなる気持ちも解るが……。程々にな」 他にやるべきことが、きっとあるのだろうから。 「う…ん。解った。でも、これだけは作りたかったから」 納得したはずの貴鬼の言葉に目を瞬かせる。ある意味、勘違いしていたのは自分も同じらしい。 「練習じゃないのか?」 「うん。その…、ムウ様に、プレゼントしたくて。今度の誕生日に」 そうだったのか、と些か見当違いなお説教をした気分で、また苦笑を重ねる。 改めて、作業台を見遣ると、砕けた石の欠片が……。 「石で、何を」 「えっとー、羊の石像とか」 ボソボソと打ち明ける貴鬼を横目に、石の欠片を拾い上げる。見事に割れている。 「これは…駄目だな。彫刻には適さない石だぞ。というか、そこらで拾ってきたものだろう」 「え? 大きいから、大丈夫かなって。駄目なの?」 「大きくても意外と脆いんだよ。聖闘士候補生だって、素手で割れる。況してや、一点に力のかかるノミなんかで、目にでも入れたら──」 「目……なんて、あるの?」 ムウの奴、幾ら何でも、そのくらいは教えておいても良いだろうに──その昔、シオンから教わったことを、嬉しそうに語っていたのを思い出し、少しばかり内心で、文句を言う。 「とにかくだ。もっと硬い石じゃないと、彫刻には向かないな」 「……アイオリアでも、結構、そういうこと知ってるんだね」 何だか、別方向にまた落ち込みかけているのに、苦笑するしかない。 知ってると言っても、所謂一般常識の範疇だと思うが、そんなことを言えば、修復師の弟子が一般常識すら知らないのかと、更に落ち込むこと必定。余計なことは言わないに限る。 「まぁ、石像を彫るのはまだ、難しいんじゃないか。まず、肝心の石の調達がな。アテネでは手に入ると思うが、結構、値が張るぞ」 「う〜ん。それじゃ、オイラには買えないよなぁ」 「石像に拘らなくてもいいだろう。お前が心を籠めて、作ったものならば、ムウはきっと、何だって喜ぶはずだ。……ま、口にするかは怪しいがな」 ムウの性格からすると、嬉しいことを嬉しいと素直に率直に言うとは考えにくいが、 「今のお前に出来ることをすれば良い。来年も再来年も、誕生日は廻ってくる。いつか、立派な羊でも贈ってやれば良いさ」 「そっか。うん! そうだね、アイオリア。有難う。ちょっと、背伸びしてたな、やっぱり」 少しばかり恥ずかしそうに頭を掻く少年は、いつもの笑顔。 アイオリアはポンと肩を叩き、立ち上がった。
来年も再来年も──本当は、それが確かなものだという保証はない。平和を勝ち得たとはいえ、彼らは聖闘士。世界のあちこちで異常が起これば、赴くのだ。聖戦ほどではないとしても危険に曝されることもある。 実を言えば、今のアイオリアも任務帰りだったのだ。必ず帰るつもりではいても、何が起こるか、何が待ち構えているかは、その瞬間まで判らないものだ。 次の誕生日も必ず来ると、無邪気に信じていた頃が自分にもあった。幼い自分は知らなかったのだ。聖闘士たる存在《もの》の過酷な運命を……。祝いたい相手が突然、消えてしまうようなことが決して、珍しくもないことを……。
軽く嘆息し、一つ頭を振ると、アイオリアは十二宮を駆け上がっていった。 直ぐにでも教皇宮に報告に上がらなければならないところを、白羊宮に寄り道をしたわけだから、聖衣だけを放り込むように置いて、獅子宮を飛び出す。 途中、天秤宮の辺りで、上から下りてきたムウと擦れ違った。 「どうした、ムウ。今日は執務だろう」 「えぇ。でも、今は昼時間ですから」 つまり、昼食を白羊宮まで下りて、貴鬼と一緒に取るつもりなのか。わざわざ、一番下の宮まで下りる、か。クスリと笑みを零すと睨《ね》め付けられた。 「悪いですか」 「誰もそんなことは言っていないが」 照れ隠しなのは明らかだ。更に込み上げる笑みを堪えられなかった。 すると、次には予想もしなかった言葉が飛んできた。 「──アイオリア。余り、貴鬼を甘やかさないで下さい」 「は? あぁ、何だ。知っていたのか」 「教皇宮にいても、自分の宮の様子くらい、判りますよ」 それもそうだ。それが黄金聖闘士なのだから。 改めてムウを見遣ると、小脇に古びた本を抱えている。ムウと書物の組み合わせは珍しくはないが、その古さが気になった。多分、それは貴鬼のためのものだろう。 アイオリアの視線に気付いたのだろう。隠すように持ち替え、ムウは背中を向けた。 「それでは私はこれで。時間が惜しいですからね。アイオリア、貴方も急いだ方がいいですよ。寄り道などするから、シオンもアイオロスも痺れを切らしていますよ」 「どれだけ、気が短いんだよ」 寄り道といっても、然程の時間でもなかったろうに。だが、 「シオンは案外、短気ですよ。アイオロスは……言わずもがなですかね」 言うだけ言って、牡羊座の黄金聖闘士にして修復師殿は自宮へと下りていった。愛弟子が待っているのだから……。 「良い、お師匠だよな」 笑みを噛み殺しながら、独り言《ご》ちると、自分も目的地へと急いだ。教皇とその補佐たる兄が待つ教皇宮へと。
報告が昼時間に食い込んだとはいえ、本当にシオンが立腹することなどない。場合によっては帰還が深夜になることも、ざらなのだから。 「御苦労だったな、アイオリア」 畏まって、一礼すると、シオンがチョイチョイと手招きをする。一歩、前に出るが、「もっと寄らんか」と凄まれる。 「何でしょうか」 何となーく、察しはついていたが、一応尋ねてみる。 「そなた、ここに来る前に白羊宮に寄ったであろう」 「は…。申し訳ありません。報告前に──」 「それはいい。つーか、そんな細かいことまで気にせんわっ。それよりだ。貴鬼は何をしておった」 ムウには内緒にしてくれと頼まれたが、さて、相手がシオンならば、どうするべきだろうか。少しだけ迷い、適当に誤魔化した。 胡乱な目で見られたが、納得したかはさておき、シオンも余り深くは突っ込まずにいてくれた。「アイオロスが首を長くして、待っておるぞ」と、解放され、正直、安堵する。
シオンなりに孫弟子のことをやはり、気にかけているのだろう。 「しかし、あの二人。シオン様のことも考えているのだろうか」 今更のようだが、シオンもまた、牡羊座の生まれだ。まさか、ムウや貴鬼が忘れているとは思わないが……。 「……それにしても、変わったものだな」 誕生日を寂しいものだとは感じなくなった。自分のものであれ、ムウのものであれ、誰のものであれ──……。 それは……、 「アイオリア! 遅いぞ。飯を食う時間がなくなるだろうがっ」 待ち切れなかったらしい兄が執務室の前で、待ち構えていた。 「悪い悪い。あぁ、ただいま、兄さん」 「うん、お帰り。さぁ、飯にしようっ」 「兄さん……。ちゃんと、仕事はしていたんだろうな」 「失敬な! でなきゃ、サガが出してくれないだろうが」 「…………」 サガの苦労が目に見えるようだが、とりあえず、昼食にと向かう。 「ところで、兄さん。ムウの誕生日だけど」 「あぁ、もうすぐだな。ミロが盛大に祝ってやるって、張り切っている。何だか、感慨深いよ。お前たちの成長した姿を見られて、しかも、誕生日をまた祝えるなんて」 少しだけ遠い眼差しをする兄の脳裏には幼き日の自分たちの姿が甦っているに違いない。 「それで、個人的に何か贈ってやろうかと思って。ムウと貴鬼と、それと、シオン様にも。兄さんも一緒にどうだ」 「シオン様にもか。良い考えだな。しかし、あの方は目が肥えているからな。生半可なものでは気に入るかどうか」 「そうかな。心を籠めたものならば、何でも喜んで頂けると思うが……」 そうして、兄弟は牡羊座たちへの贈り物選びに議論を交わすことになる。 暖かな陽射しの中、春を招く星座は太陽と一緒《とも》にある。
う〜っ、苦労しました。二年目の『牡羊座様誕生お祝い』作☆ 今回は本当に明るい話にしたかったのですが、ところどころに、やはり影が……。ま、その方が現在の明るさが際立つかな、ともう諦めました。もう、これが輝のカラーなんだよな、と開き直り^^;;;(でも、もっと苦労したのは目が〜〜TT 進まない〜〜★) 初めて『ARIES's PARTY』に参加します。三人の牡羊座に関わるため、アイオリアが出張ってますがね。牡羊座様ファンには物足りないかもしれませんが──とにかく、おめでとう☆ 牡羊座!!
2009.04.10.
獅子メイン小説他、黄金聖闘士や女神様多し☆
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