『星矢〜七に纏わる物語IV』 お礼SS No.47
何も……できなかった。 無力感に打ちのめされ、立ち尽くす俺の前で、母はゆっくりと倒れ伏した。数度、痙攣し、動かなくなる。父と、同じように……。 ウ…、ウワァァ〜ン 煩いくらいの静けさを破ったのは赤子の泣き声。訴えるような響きに我に返り、揺り籠に駆け寄った。取り残された弟か妹──生まれたばかりの、この子が俺を呼んでいる。 そう、呼んでいたのだ。 だが、揺り籠の付近にも鮮血が飛んでいるのに、俺は顔を顰めた。 誕生れて直ぐ、恐らくは母に抱かれることもなく、両親をも亡くしてしまった。残っているのは兄の俺だけだ。護ってやらなければ──胸に定めつつ、手を伸ばし、気付いた。 血が…、産着にも点々としていたが、一番大きな染みは──広がっている? 「──っ!! まさかっ」 背筋を悪寒が走り抜ける。震える手で、産着を開く──!? 「ひ……っ」 悲鳴すらが掠れる。口元を押さえる。 傷が──赤子の柔らかな腹に、パックリと開いた傷が!? 「嘘だっ…っ」 血が更に溢れ出すのに、頭が真白になる。どうしたらいい? どうすればいい!? 咄嗟に産着を丸めて、傷口に押し当てたが、それ以上、何もできない。 「だ、誰か…。誰か、助けてっ」 本当に無力だ。護ろうと、護らなければと決意した傍から、この有様。何も、何一つできない。精々が傷を押さえ、助けを呼ぶことしか……。 心の底から叫ぶ。叫ぶことしかできない。だからこその強き願い。 誰でもいい、誰でも…! 神でも悪魔でも、何でもいい この子を助けてくれるなら、こんな命など、惜しくはない!! その瞬間、だった。 ──マコト、カ? どこからか、“声”が響く。いや、頭の中に木霊する。 次には他の感覚が全て消失した。真白な空間に浮いているようだ。ただ、自分と赤子だけが存在る空間に、だが、見えなくとも、途轍もなく大きな存在感が確かに在る。 ──マコト、イノチヲ、ステラレルカ 空間そのものから押し寄せるような“声”には震えを齎すほどの力がある。 しかし、今この瞬間、唯一、縋れるものであるのも間違いない。 「助けて…、くれるのなら──」 ──ヨカロウ。ソノイノチ、ワレガモライウケル ──ホシノサダメニアルモノヨ、ワレハアテナ…… 「アテナ……星の、運命?」 ただ、必要なことだけが流れ込んでくるようだった。 そこには、この体の内に眠っていた力の、小宇宙の発現も!! 体の奥底から急激に湧き上がる熱さに眩暈がする。 ──ソノチカラ、ワガタメニフルエ…… そして、俺は小宇宙に覚醒《めざ》めた。
『星矢〜七に纏わる物語V』 お礼SS No.49
「よし、今日はこれまでだ」 「は…、はい」 ハァハァと全身で息を弾ませながら、答えたのは弟アイオリア…。 「よし、最後に闘技場十周だ」 「はいっ」 少しフラつきながらも、文句一つ言わずに駆け出していく。まだ、四歳になったばかりだが、聖闘士としての基礎訓練は既に始めていた。他の、同年の黄金聖闘士候補生たちよりも進んでいるほどだ。 「少し急ぎすぎじゃないか」 時にサガに言われることもある。 双子座のサガ。俺とは同年代で、黄金聖闘士の筆頭たるを示す、正に非の打ちどころのない聖闘士の中の聖闘士。僅かに窘めるような響きを伴うのは幼いアイオリアが俺の指導についてこれなくなるのを案じてのことだろう。 無論、俺は「大丈夫だ」とだけ答え、指導方針を変えることはなかった。 何故なら、俺に残されている時間は、それほど長いものではなかったからだ。 ──ソノイノチ、ワレガモライウケル
女神アテナとの契約──決して、逃れることのできない俺の運命。 だが、あの時、俺は懇願した。「少しだけ待って欲しい」と……。 「お願いです。この子はまだ、赤ん坊です。だから、もう少し……。せめて、この子が、もう少し大きくなるまで!!」 父も母も亡き今、俺は唯一の兄。せめてでも、自分の足で立てるように、歩けるように、生きていけるようになるまで、護ってやれるのは俺しかいない。だから! ──ソナタハ、コノトシ、ナナサイニナルハズダナ ──ナラバ、れおガ、ナナツノトシヲカゾエルマデ…… 「レオ?」 それは、この子のことだろうか。レオとは獅子座。つまり、黄金の小宇宙を生まれながらに持つ、正しく獅子座の黄金聖闘士なのか? ──ソナタノオトウトノ、ホシノサダメダ、さじたりあすヨ…… 「サジタリアス……。射手座? まさか、俺も」 呆然となる俺だが、身の内から湧き上がる力を、小宇宙を、今は感じている。 弟だという、この子と同じ黄金の小宇宙……。 ──ソノトキマデ、イツクシンデヤルコトダ…… そうして、女神の大いなる気配は、消えた。 七年──俺に残された時間は七年だけだった。その間に、聖闘士として得た知識も技術も、何もかも、一つ残らず全てを、アイオリアに渡してやらなければならなかった。 その時が来た後、アイオリアが独りでも生きていけるように……。
「お師様! 走り込み、終わりましたっ」 呼びかけに、我に返る。眼前には更に息を弾ませる弟が立っていた。十周──可能な限り、全力で走ってきたのだろう。 「お師…様?」 「何でもないよ。アイオリア。……よく頑張ったな。さぁ、帰ろうか」 「うん! 兄ちゃん」 師弟から、兄弟に戻った二人は手を握り合って、十二宮へと向かう。 一日の訓練を熟《こな》したアイオリアの足取りは些か覚束ない。 「おぶってやろうか」 「大丈夫だよ、兄ちゃん。独りで歩ける」 「そうか。解った解った」 まだまだチビには違いないが、チビなりのプライドはあるらしい。訓練を始めたばかりの頃は倒れるように眠ってしまったアイオリアを背負って、帰ったものだが、最近はそれもなくなった。少しだけ、寂しいと感じる自分に苦笑したくなる。 ただ、確りと手だけは離さず、握り締める。まだまだ柔らかく、温かい手を。
女神の言葉がなくとも、小さな弟を慈しみ、兄として愛情を注いできた。そして、師としては厳しく対した。 それでも、本当に文句など言わず、必死に食らいついてくるアイオリア……。 アイオリアが七歳になるまで──女神から俺が与えられた時間はそれだけだ。後、三年ばかりでしかない。 俺が、いなくなっても、独りきりでも──……。
『星矢〜七に纏わる物語VI』 お礼SS No.50
時、至れり……。
できることならば、一日でも先延ばしたかった時が──だが、連綿と続く時は無情ですらある。 アイオリアが七歳の誕生日を迎えた日。喜んでやるべき、祝うべき日は俺の命のリミットが尽きたも同然の日でもあった。
俺の指導に食らいつき、アイオリアは見事に聖衣を得ていた。獅子座の黄金聖衣に、主として、認められたのだ。 幼いが故に、まだ触れは出されていないが、この日を迎える前に成し得たことに安堵する。これで、いつ俺が死んでも──アイオリアの傍らから消えても……。 獅子座の黄金聖闘士は聖域に必要とされ、獅子の如き毅さで立ち、歩いていくだろう。 だが……、俺は後どれくらい、生きていられるのだろう。当然、湧き上がる疑問だった。 『アイオリアが七つの歳を数えるまで』──それが女神アテナから得た『猶予』なのだから! そして、アイオリアの七歳の誕生日から、半月ほどが過ぎた、その日、遂に運命が聖域に舞い降りた。女神像の足元に赤子が──正しく、現世に降臨された今生のアテナ……。 聖域中が喜びに湧く。アテナの降臨は聖戦を迎える兆しのはずではあるが、それでも、本来の主を得ることは聖域の望みでもあったからだ。 来るべき聖戦に備え、幼き黄金聖闘士たちと、更には白銀、青銅の聖闘士たちを鍛え、纏め上げる。そのために──次期教皇に指名する……と。 突然のことに内心では狼狽しつつも、その時は受けてしまった。 だが、人馬宮に戻り、独り冷静になって、考えると──そんなことは正しく夢ですらない未来だった。この俺が、教皇になど! アテナと俺の『契約』など、さすがに教皇様も御存知ないのだろう。既に命尽きたも同然の俺が次期教皇など、あり得ない。触れが出される前に、断るべきだった。 次代の教皇となるべき者が、譲位を待たずに落命すれば、聖域全体への影響が大きすぎるし、混乱もするだろう。どんな状況で、俺が命を落とすのかは判らないが──それだけは避けなければならなかった。 だが、『契約』のことを教皇様とはいえ、告げるわけにもいかない。どう断るべきなのか、悩んでいる内に、思いがけないことが起きた。 俺ではなく、次期教皇にと──推すつもりでいた双子座のサガが姿を眩ませたのだ。無論、大っぴらに言えることではなく、黄金聖闘士と高位の神官のみが知る事実ではあったが……。 教皇様は最初、密かに任務に出したと言ったが、他の黄金聖闘士──特に年長である俺まで知らされないことは今までなかったことだ。サガと俺と、互いが任務に出る時は必ず、互いに後事を託す意味も含め、知らされた。そう疑念を出すと、実は任務など与えていないと、渋々ではあったが、教皇様も認められた。 「──探します」 「……アイオロス。お前が動くと、他の者に気付かれる」 「放ってはおけません。サガの身に何事かが起きたのであれば、尚のこと」 俺は…、死ぬ。もうすぐ、この命は尽きる。 だからこそ、サガには聖域にいて貰わなければならない。俺の分も──押し付けるようなものだが、それでも、サガしか、全てを託し得る相手はいなかい。 一礼し、退出していく俺を翼竜の仮面の下の目が鋭く見据えていたことになど、俺が気付くはずもなかった。
『星矢〜七に纏わる物語VII』 お礼SS No.55
全身の感覚が曖昧なものになりつつある。あれほど、暴れ回っていたはずの痛覚すらが薄れていく。 〈……もう、長くはないな〉 アテナのために、いつか命を──それはこの日、訪れた。 友人の狂乱と共に……。 だが、しかし…、いつから? 消えたその日の内に、教皇様に成り代わっていたのか。 何故、気付かなかったのか!? 苦しい息の間から、苦笑が漏れた。 〈俺は…、自分のことだけで、精一杯だったんだ〉 死を迎えるばかりの己のことで、他に余裕などなくて──……。 本当に、笑うしかない。だが、笑えないのは残される弟のことだ。 今日のこの日まで、独りきりになるアイオリアが生きていけるようにと、己が全てを受け継がせたつもりだった。 だが、このサガの狂乱で、排除される俺が──聖域への謀叛人、アテナへの叛逆者にと落とされるのは明らかだった。 アイオリアはその唯一の弟として、これからは生きていかなければならなくなる。罵られ、傷付けられ──剰え、殺されたりはしないだろうか? いや、幼くとも、黄金の宿星を持った子だ。獅子座の黄金聖闘士であるアイオリアを、兄に連座させるとは考えられない。……考えたくもない。 案じても、案じても、不安が尽きることはない。あぁ…、大笑いだ。あの子が独りでも生きていけるようにと今日まで──なのに、最後の最後で、こんな失敗《しくじり》を!? だが、もう、どうしようもない。愚かな兄のために、茨の道を歩むことになるだろうが、あの子の毅さを信じるしか…、ない……。 感覚が、遠い。視界も暗くなる。愈々、ということだろう。 この命を繋ぎ止めることは、最早、叶わない。命と一緒《とも》に、小宇宙までが失われていくようだ。 そんな中、脳裏に浮かぶのは弟の顔ばかり──アテナの聖闘士たる宿星ある身でも、今はもう、ただの、一人の兄でしかない。尤も、その思いが全てだったとは変わることもない。 そうだ。俺はいつでも、弟のことしか考えていなかった。アテナの聖闘士、筆頭の黄金聖闘士。射手座の黄金聖闘士であっても、心は…、真なる聖闘士には程遠かったのだ。 だから、これは或いは当然の報いでもあるのだ。 そんな愚かな兄のとばっちりを受けることになる弟が、不憫でならない。 〈恨むだろうな……〉 その想像は、痛みすら感じられなくなってきていても、心を深く切り刻む。 ──そんなことはない…… ──貴方は、よく弟を護ったわ…… どこからか、声が響く。 ──そうだ、アイオロス。よく…、やった…… この声は──いや、夢か、最期を迎えた瞬間の幻だろうか。俺たちを生した、あの二人が、こんなにも優しい言葉をかけてきたことなど、なかったじゃないか。 あぁ、でも、何て、優しい夢だろう。優しい響きだろうか。 ──そう、大丈夫…… ──だって、アイオリアは皆の弟だから…… 木霊の如く重なる声は? いや、解るよ。待ってくれているんだな。 兄や姉や、弟や妹たち──先に、逝った俺とアイオリアの……。 ずっと、見守ってくれていたんだな。 ──そう、大丈夫、大丈夫…… ──だから、安心をし…… 遠く遠く、浮き沈みを繰り返すような感覚が深まる。 だが、俺は少しも恐ろしくはなかった。ただ、皆のところに往くだけのこと……。 それでも、胸が痛んだ。 アイオリアは独りになってしまうのに──俺は独りではないのだと、気付いたから。 あぁ、だが、寄り添う心は優しく諭す。これからも、あの子の傍らに……。 いつか、気付くだろうか? あの子も決して、独りではないことを。 気付いてくれることを祈りながら、俺は、皆の下へと飛翔《と》んだ。
『サイト開設七周年記念』の『七に纏わる物語』前編です。いやぁ、どこまでも、エグい物語でした。 尚、兄弟の生まれについては『裏設定』てなことです。本編では、そうかもしれないという程度で触れることはないでしょう★ 多分…^^;
2009.08.16. |