花吹雪に
サーッ…… 風に乗り、舞い散る花弁。しかし、その情景は思い描いていたよりも遥かに……。 「ムウ様、見て見て〜☆ 花びらがこんなにいっぱい!!」 歓声を上げる貴鬼をいつもは窘めるムウだが、この日は違った。 「花吹雪というものは聞いていましたが、これ程とは……」 貴鬼は散った花弁を集めてはパッと宙に放って、大喜びしている。 そんな二人を見守る今一つの影。幾らか不機嫌そうな顔を認め、ムウは苦笑する。 「シオン、美事とは思いませんか」 「確かにな。見事は見事だ。素晴らしい。だが──」 「だが?」 「私は視察に来ていたのではなかったかな。花見ではなく」 「まだ言ってるんですか。案外、往生際が悪いですね」 揶揄うような弟子に、シオンは唸り声を上げた。 「童虎奴《め》、要らんことをしてくれるわ」
それは先月のことだった。
三月も終わりに近付いていた。さすがに聖域も春めいている。 季《とき》は牡羊座の季節。 例によっての、黄金聖闘士月一誕生パーティの準備も進められていた。現在、この季は牡羊座《アリエス》のムウを。祝うための準備が……。 聖域を遠く離れたジャミールの荒れた地で、長き雌伏のときを過ごした牡羊座。逆賊アイオロスに与し、出奔しただの、日本の青銅聖闘士たちを支援し、やはりアテナに反抗しただのと言われ続けてきたが、今では無論、真実が明かされている。 尤も、それで態度を変えることのない男でもあり、自らの功を誇ることも全くない。 それだけに、未だに近付き難い、と思われているが、一方では誕生パーティは、ミステリアスな牡羊座とお近付きになれるかもしれない☆ と思う者もまた、かなりの人数がいたりするのだ。 「ビックリするくらい、盛大に祝ってやる」と準備の音頭を取っているのは世話好き男と見做されている蠍座のミロだったが、アテナ沙織も、いつにも増して、当日を楽しみにしている。 「もう直ぐですね、シオン」 「ハ…、何がでしょうか」 聖域と日本を拠点に世界中を飛び回り、忙しい沙織だが、黄金聖闘士誕生パーティの数日前からは聖域に落ち着くのが常だ。 シオンの反応にマジマジと見返し、どうやら、冗談でもないらしいと判断したか、軽く嘆息した。 「何がではありません。ムウの誕生日ですよ。まさか、弟子の誕生日を忘れたなどということはありませんよね」 まさか、ではあるが、甦りを受け、今も教皇の座に在る者としては弟子とはいえ、全解放で、一個人を祝うのは憚られる意識が強いのだ。 「まさか、プレゼントの一つも考えていないということはないでしょうね」 「それは、まぁ…、一応は考えております」 サガの叛乱により落命し、十数年を経て、甦ってみれば、再会した弟子は二十歳の立派な若者となっていた。今更、どんなものを喜んでくれるかなどと、真面目に考えると、些か悩める問題だと気付いたりもする。 それとなく、他の黄金聖闘士などに尋ねてみたが、余り参考になる答は得られなかった。それに伴い、気になることもある。 〈ムウの奴。どうも未だに孤立しがちのようだが……〉 だから、他の者たちも何も思いつかないのではないか、と勘繰ってしまうほどだ。尤も、同じような境遇のアイオロスに愚痴を零したら、大笑いされた。あの兄馬鹿弟一直線男は、どうして、あんなにも自信満々なのか、全く以って、不可解だ。 まぁ、この際、アイオロスのことはどうでもいいが、と考えていると、沙織が別のことを持ち出してきた。 「そうそう。貴方の誕生日も、ムウの直ぐ後ですね」 確かに、シオンの誕生日は三月三十日。弟子の誕生日の三日後だ。 「その日も皆で、お祝いしましょうね」 アテナのこの言葉への反応は一瞬、遅れた。 二百六十年以上も前のその日、確かにシオンは生まれた。だが、やはり、黄金の運命に従い、早くから戦いに備えていた。生まれた日を特別に祝うような習慣は、あの頃の聖域にはなかった。 それは今生の女神が降誕する前の聖域とて、似たようなものだったが。それでも、ひっそりと仲間内だけで、祝うようなことはあった。 考えてみると、シオンにとっては初めてのことだ。「貴方の生まれた日を祝いましょう」などと言われたのは……。 「シオン? どうしました」 沙織に声を掛けられるまで、シオンの心は遠き過去を彷徨っていた。たった一人を除いて、時の彼方に去っていたった人々の姿が甦っていた。 「いえ…。アテナ。私のことでしたら、お気遣いは御無用に存じます。二百五十年ほども生きて、今更、誕生祝いもないでしょう」 「そんなことは──」 「それより、ムウと…、貴鬼を盛大に祝ってやって頂きますよう。お願い申し上げます」 「シオン……」 言葉を失くすアテナ沙織に頭を下げると、それ以上、何も言われまいとアテナ神殿を退出した。 ただし、シオンは完全に失念していた。今生のアテナもまた、何事も簡単に諦めるような少女ではないということを。 ☆ ★ ☆ ★ ☆
「というわけなのですけど、童虎。シオンを翻意させられる良い方法はないものかしら」 こんな時に頼れる相手は一人しかいない。シオンの同胞にして、親友──天秤座の童虎だ。 他の者たちからは今でも「老師」と呼ばれるが、その姿はシオン同様に若い。それも『嘆きの壁』で落命した時とて、実年齢は二百六十歳越えの驚異の聖闘士だったが、アテナの秘法により、体の年齢は前聖戦の頃と変わらぬ十八歳余りという化け……、いやまぁ、とにかく人間離れをした聖闘士の中でも特に常識外れな男だ。 今も普段は聖域ではなく、五老峰にあることの方が多いが、アテナ沙織に召し出され、アテナ神殿を訪れた童虎は苦笑した。 「アレはとことん頑固者ですから、一筋縄ではいかんでしょうな」 腕組みをしつつも、うーんと考え込む。 「無理……かしら」 「いやいや。山を動かすにも方法はあります。確かに容易には動かせませんが、それもまた、手によりけり。正攻法ではなく、搦め手でいくのが宜しいでしょう」 「搦め手?」 「真正面からぶつかっても、弾き返されるのがオチです。直球勝負には滅法、強いので、変化球を混ぜていく方が打ち取りやすい」 譬えが野球とは意外なのか、どうなのか。などと、沙織が考えているとは露知らず、確認を取る。 「ところで、アテナ。一つ確かめておきたいのですが、シオンを如何様に祝いたいのですかな」 「と言いますと?」 「我らと同じように、盛大な宴を開き、彼を祝いたいのか。それとも、祝いの気持ちを伝えたいということなのですかな」 「……拘りませんわ。私はとにかく、シオンらに喜んで貰いたいの。遠慮などせずにいて欲しいのよ」 童虎は大きく、頷いた。 「では、最善の一手をお教え致しましょう」 少々、悪戯っ子めいた笑みを浮かべ、天秤座《ライブラ》の黄金聖闘士はアテナ沙織に耳打ちをした。
その結果──、 「教皇シオン。貴方に世界各国への視察を命じます」 黄金聖闘士たちも揃った前での宣言に、天秤座の童虎を除く全員が呆気に取られたのはいうまでもない。 教皇の視察といえば、聖域近隣の町や村を巡るくらいで、アテネにさえ、出ることはない。とにかく、教皇とは聖域に在るものなのだ。 「アテナ……」 「反論は許しません。既に聖域も変わり始めています。教皇の役儀も同じこと。いつまでも、内に籠もっていては教皇の座にもカビが生えてしまいますわ」 「…………」 カビって、余りな言い様に、誰もが乾いた笑いを漏らす。 「世界各国の王族も宗教団体の祖も積極的に外に出ています。天皇陛下やバチカンの法王猊下も、それは重要な務めとしています。ならば、我らの教皇も同じく、世界をその目で直に見るべきです」 テンノーヘイカにホーオーウゲイカ? 思わぬ方向から攻めてきたな、としかし、立て板に水の如く、一気に言いのけたアテナを誰も止められない。 誰も味方してくれないのを感じつつも、一応、シオンは抵抗を試みる。 「ですが……」 「シオン。これはアテナとしての命令です。反論は許さないと言ったはずです」 「…………」 ここまで言い切られると、本当に何も言い返せない。 しかし、世界を見るといっても、聖域の存在は秘されたものだ。天皇や法王のように、表立っての他国の訪問など、出来ようはずもない。一体、何処に行けと言うのか。 まさか、聖域と同様の秘された世界という意味で、冥界やら海界やら、諸々の神々の領域なのか? ……としたら、シオンですら、気が重くなる。などと、密かに嘆息していると、 「それと、シオン。随行には牡羊座のムウを同道させます」 「──は?」 「勿論、貴方方の世話役として、貴鬼も付けますからね」 ここに至り、アテナの狙いに誰もが気付いた。牡羊座《アリエス》たちの慰安旅行か、こいつは…、と。 「アテ──」 「反論は、許しません。何度も言わせないで下さい。ムウ、宜しいですね」 「あ…、はい。承知致しました」 穏やかに一礼するムウが、この計画を知っていたのかどうかは、判らなかった。
そうして、牡羊座様御一行は、まずは日本へと向かうことになり、今は桜並木の花吹雪の中にいる。桜も終わりつつある頃だった。 ジャミールの荒涼とした地での暮らしが長いため、貴鬼は大喜びだ。ムウも同様──貴鬼ほど、面には出さずとも、感嘆しきりだった。吹雪くほどの花の光景《さま》など、ジャミールでは絶対に望めない。 そして、シオンは……、 「シオン。いい加減に観念して、少しは楽しんで下さい」 「解っておる」 解ってはいるが、やり込められたようで面白くない、というところか。意外と子供っぽい師の態度に、ムウも苦笑を隠しきれない。 「何じゃ。何が可笑しい」 「いいえ。別に」 「フン…。どうせ、童虎辺りが要らん知恵をアテナに授けたに違いない」 毒づいてみたが、決して、この時間を過ごすことが好ましくないということではなかった。今になって──立派に成長した弟子や、更には孫弟子と、こんなにも穏やかな時を持てるとは……。想像もしなかったことだ。
「ムウ様、シオン様。ホラ、これ、見て下さい」 駆け寄ってきた貴鬼が差し出したのは桜の花のついた枝だった。シオンは「ホゥ」と声を漏らしたが、ムウの方は顔色を変えた。 「貴鬼、まさか、折ったのですか」 少しばかり厳しい口調に、貴鬼が目を瞬かせ、首を大きく振る。 「そ、そんなことしてません。落ちてたんです」 「風で折れたのだろう。どうした」 「桜は枝を折ると、そこから枯れてしまうこともあるんです。余り強い木ではないですから」 「なるほど。それでか」 「……いえ、早とちりをしましたね。貴鬼、許して下さい」 「わっ、ムウ様、止めて下さい。でも、ムウ様、枯れない木でも、折っても良いわけじゃないですよね。木だって、生きてるんですから」 その言葉に、ムウもシオンも大きく頷いた。 「我らの女神はこの世の全てを守護される御方。それは全ての生きとし生けるものを守護される、ということだ。我らもまた、それを心に留めておかねばなるまいな」 そして、桜並木を見上げる。 吹雪くような桜の花。花が散るのも、彼らが生きている証。花が全て散れば、次には萌ゆる緑が芽吹くだろう。 「世界を回って、一月後に、また此処に来てみますか。その時は緑の波が見られるでしょう」 「幾らなんでも、そんなに長くは、聖域を空けられん」 「おや。アテナからは四月いっぱいは帰らずとも大丈夫だと聞いておりますが」 「何? ……ア、アテナは私が必要ないとか思っておられるのでは」 「さぁ、どうでしょう」 「ムウ! そこは嘘でも、そんなことはないと言わんかっ」 「おや。弟子に慰められないと御自身を信じられないのですか。考えられませんね」 「こんの…、すっかり、可愛くない態度を取るようになりおって」 立派になったのは喜ばしいが、弟子に蔑ろにされるようで、少しばかり、面白くない。 師の複雑な思いなど、知ってか知らずか、ムウは貴鬼の相手をしている。 「ムウ様〜、これ、どうしたらいいんですか」 「挿し木にしてみると、保つかもしれません。とりあえず、折れたところを保護しないといけませんが、何もありませんから、小宇宙を当てておきましょう」 ……本当に小宇宙万能世界である。 「ムウ様。ジャミールに持って帰ったら、桜の花が咲くかなぁ」 「ジャミールはどうでしょう。気候が違いすぎますからね」 諭すようなムウの言葉に、貴鬼は幾らか気を落としたようだ。 「そっかぁ、残念だなぁ。ジャミールの人たちにも、綺麗な花を見せてあげたかったのに。じゃあ、聖域は?」 「聖域なら、花開くかもしれませんね。アテナの小宇宙の加護もありますからね」 貴鬼は嬉しそうだが、シオンがコソッと耳打ちしてくる。 「ムウ、その枝が根付くとは……」 「いいんですよ。ちゃんと、桜の苗木も取り寄せます。今は貴鬼の気持ちを大事にしたいのですよ」 「む…、なるほどな」 そんな何気ない会話を重ねる牡羊座たちを、優しい風に乗った桜の花びらが包んでいた……。 ★ ☆ ★ ☆ ★
天秤座の童虎はアテナに会うために、アテナ神殿を訪れた。シオンの代わりに、暫くは彼が聖域の抑えの要として、留まることになっていた。 「童虎、シオンは楽しんでいるかしら」 まだ一抹の不安を抱えている様子の沙織に、童虎は全く何の憂いもないような笑顔を向けた。 「アテナ。心配は無用に存じまする。アレは確かに頑固者ですが…、情の篤い男でもあるのですよ」 悪戯っ子そのままの笑顔に、沙織も微笑んだ。 「フフ、そうですね。えぇ、土産話を楽しみにしていましょう」 「はい、仰せのままに」 この地の春も、深まろうとしていた。
2010年『ARIES's PARTY』さま参加作品、ギリギリ完成しました。フゥ、間に合った★ 今年は記念すべき十周年だそうで……。輝がお祝いするようになったのは高々、三年なのを考えると、いや、長いですね。主催者様には頭が下がります。 今年は完全に牡羊座たちがメイン、という感じになりました。尤も、話を回すのは今回はアイオリアではなく、童虎になりました^^ 『ロスキャン』の若い頃から、あの口調な童虎ですが、アテナに対する時は一寸、違うかなー、と完全老人口調にはしませんでした。この辺、原作もあんま、参考にならん;;;
2010.04.18.
アイオリア・メインの小説サイトです 他、黄金聖闘士と女神様などが登場☆
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