インフェルノ・パニック
珍妙な客が紛れ込んだようだった。 いつものように出勤し、報告書作成のために支局ビルに籠もっていたこの日、普段は日中には鳴らない聖域との通話専用のケータイが鳴った。電話の主は勿論、アイオロスだ。 そして、思いもかけない客を訪ねることとなった。 言われてみれば、数時間前から急にビル内の空気が重くなったようだと首を傾げていた。しかし、多くの人間が働くビルだ。普通の人間でも集中すると、気配も変化することを今は知っていた。殊に荒っぽい連中が連行されてきた時などは、かなり荒れる。だから、余り気に留めなかったのだ。 ところが、今日はその程度ではなかったのだと、部屋を出ると俺にも察せられた。 「こりゃ、マズいな。急がないと」 慌てて、早歩きで目的の部屋へと向かう。 その前に一応、差し入れのコーヒーを用意する。美味いとはいえない代物だが、ないよりはマシだと思う……マシだよな? その取調室の前に立つと、一層ハッキリと感じられる威圧感がビシバシだで、さすがに少々、身構えてしまう。ドアを開けた瞬間、渦巻く小宇宙に曝されてしまいそうだ。 意識を高めて、自分自身にシールドをかけるようにイメージする。そして、深呼吸。いざ! コンコン… ノックに応える声はない。捜査員はいないようだ。前に見張りも置いていないとは余程、慌てていたか──さすがに一寸、拙いよな。 思いつつ、ドアを開く。やはり捜査員は誰もいない。いるのは男が一人だけだ。 一瞬、強烈な黒い風のようなものが吹き付けてくるのを感じた。 これじゃ、取調べ中とはいえ、独り残していくのも解かる気はするな。上から呼び出しを食って、見張りに誰も残りたがらなかったんだろう。こいつと二人になるのは嫌に違いない。 腕組みしつつ、微動だにせずに座り、瞑目していた男が目を開いた。そして、闖入者たる俺へと視線が動き、次にはその目が大きく瞠られた。呟きが漏れる。 「──アイオリア?」 うわぁ、予想通りの反応;;; 「やっぱり、そう言われるわけか」 後ろ手にドアを閉め、コーヒーを男の前に置く。 「どうぞ。喉も渇いただろう。悪いが、あんまし美味くもないけどな」 男は軽く息をつき、コーヒーに口をつけた。一口で止めたのはやっぱし、口に合わなかったからか? そして、改めて、俺を見返してくる。 「……アイオリア、ではないな」 「あぁ、違う。しかし、縁がないわけでもない」 「では、新しい獅子座の黄金聖闘士《レオ》か? 噂は聞いていた。ニューヨークにいるFBIだとな。今まで、気付かずにいたとは俺も迂闊だった」 「冥界にまで、噂が届いているのか。海界にも尾鰭がついて流れていたから、不思議でもないだろうが、妙な噂じゃなければいいんだがな」 カリカリと頭を掻きつつ、男の前に座る。 「リアステッド・ローだ。確かにレオを拝命してはいるが、あんまり呼ばんで貰いたいな。お前さんは…、ラダンマティス…、だったか? こっちでの名前は違うようだが」 「まぁな。あんたが出てきたということは聖域から連絡があったのか」 「そうだ。冥界から聖域に依頼があったそうだ。口を利いているから、もう直ぐ釈放されるだろう」 アイオロスの電話の内容は驚くべきものだった。冥界軍の筆頭三巨頭の一人、ワイバーンのラダンマティスが何と、我がニューヨーク支局に囚われ中なので、釈放されるまで相手になってくれ云々と。
ともかく、俺の伝えた報せに、ワイバーン殿は頷いた。 「そうか。そうと知れば、部下たちも安心するだろう」 「今は留置場の中だ。報せておこう。それにしても、災難だったな」 苦笑すると、ラダンマティスはジロリと睨んできた。だが、次には肩を竦めつつも、嘆息した。何か、器用だな。 「全くだ。取調官の話を聞いていると、タレ込みがあったようだな。大掛かりな麻薬《ヤク》の密売が行われると……網を張っているところに現れたのが俺たちだったと」 ふと、ラダンマティスが思い出すような表情を浮かべた。 状況を追ってみれば、次のような次第だ。
マンハッタンのとあるビルの地下駐車場に、見るからに怪しい黒尽くめの一団があった。数人が人待ち顔を寄せている。 エレベータが下りてくるのに、一斉に男たちの視線が動く。 チン… 視線の集中に恥らうかの如く、扉が開く。降りてきたのは同じく黒一色のスーツを見事に着こなしたサングラスの男だ。更に一段の凄みが増したのは請け合い★ 「ラダマンティス様、こちらです」 「お疲れ様です。首尾は?」 「問題ない。帰るぞ」 「ハッ」 怪しげな一団は黒塗りの高級車に乗り込もうとする──その時だった。 地上へ向かう通路から、サイレンを鳴らしたパトカーが数台、一気に走り込んでくる。予想外のことに、さすがに動きを止め、視線を向ける。どの道、通路を塞がれたのでは出ることもできない。尤も、その気になれば、彼らがこの場から消えることなど容易いことだったが。 しかし、パトカーと更には警官隊までが走りこんできて、パトカーの陰から多数の銃口が向けられたとあっては尋常な事態ではない。 「何事か!?」 男たちはラダンマティスと呼んだサングラスの男を庇うように立つ。 相手を観察してみれば、ここニューヨークの市警らしいが、そうではない者も交じっている。FBIの防弾チョッキを着けた者が前に出てきたのだ。車載マイクから声が流れる。 「──動くな!!」 その後、名前が呼ばれたが、それはラダンマティスや、他の誰のものではない。今回のとある会合に使った偽名ですらない知らない名だった。
当然、男たちは抵抗しようとしたが、ラダンマティスが止めた。 「しかし、ラダンマティス様」 「何故ですか。こんな奴ら、我らの力を以ってすれば、蹴散らすことなど容易ではありませんか」 「だからこそだ。脆弱な人間など、お前たちの手にかかれば、あっさりと死んでしまう。だが、ハーデス様からも厳命されているのを忘れたか。地上では無用の騒ぎを起こすなと」 そうだ。それがアテナやポセイドンとの盟約でもあった。それに、予定外の使者を生むようなことは冥闘士といえども、安易な真似は許されないのだ。 「調べれば、人違いということは直ぐに判明《わか》るはずだ。今は大人しく従ってみせればいい」 そんな遣り取りがあったことなど、知る由もない警官たちだ。自分たちが捕らえようとしている相手が恐るべき黄泉路への導き手たる冥闘士たちだということも! そうして、連行されてきたのがFBIニューヨーク支局だった。主導したのはFBIだったらしいかが……というのはどうでもいいことだ。とっとと容疑を晴らし、オサラバしようと思っても、中々、巧くいかなかった。 持っていた身分証はこの国内では完璧な代物で、身分を保証できる代物だった。にも拘らず、人違いだということが認められず、寧ろ、裏の顔ということで容疑を濃くしてしまったらしい。 それ程、印象が強すぎたのだ。
「こんなに、如何にも怪しそうな集団が現れればなぁ^^ あー、そう睨むな。現場の連中の感想だ。間違いない! と思ったらしいぞ。お前さんたち、凄みがありすぎるんだよ。絶対、カタギには見えんもんなぁ」 黙って座っていても、威圧感ビシバシなのに、更にサングラスなんぞをかけた黒スーツの集団。しかも、車は超高級車ときては如何にも、だろうに。 ラダンマティスが微かに眉を寄せると同時に、威圧感も更に増す。 「そう怒りなさんな。気を鎮めてくれ」 「別に怒ってなど」 「怒ってはいないかもしれんが、ムカついてはいるんだろう? だから、小宇宙が荒れて、このビル内の感性の鋭い連中が軒並み、ダウンしてるんだ。あんたの小宇宙は強烈過ぎるからな」 「…………」 「上が納得したら、お仲間のところに案内するから、もう少しだけ我慢してくれ。この通り」 拝むように手を合わせると、ラダンマティスは目を瞬かせた。 「……あんた、本当にレオか? 顔はアイオリアに似ているが、中身は全く違うようだな」 「当たり前だろう。しょっちゅう、間違えられるが、俺は俺だ。アイオリアじゃない。聖闘士らしくないと言われても、責められても、仕様がない。責めるんなら、選んだ獅子座の黄金聖衣にしろってんだ」 冥界三巨頭……というのが黄金聖闘士ともタメを張れる実力者というのは知っている。名ばかりの俺では相手にもならないだろう。
聖域の聖闘士と冥界の冥闘士は仇敵とも呼べる存在《もの》同士だろうが、俺個人には遺恨があるわけでもない。畏れも憎しみも怒りも抱きようがなかった。 それは先方も似たようなものだったかもしれない。聖闘士ではあるものの、異端に近い俺のことは噂で知っているようだ。強烈な小宇宙が不意に弱まったのは意志の力iによるのだろう。 それに何が可笑しいのかククッと笑い声を漏らした。 「どうかしたか」 「いや…。確かに、先代とは別人だ」 「と言うからには結構、アイオリアのことを知っているのか?」 「そうだな。まぁ、そこそこにはな」 それが闘うことによって──拳と拳で語り合う類のものだということは何となーく、察せられた。ラダンマティスが先代獅子座の黄金聖闘士であるアイオリアに多少なりとも拘りを抱いていたことも、新たな獅子座の黄金聖闘士となった俺にも幾らか興味関心を持ったことも、この時の俺が気付くことはなかった。 不意に、ザワリとビル内の小宇宙が揺れたような気がしたからだ。背中を冷たいものが這いずり回るような感覚は初めてといってもいいものだった。“ガ=オー”の時も“ウィル・オ・ザ・ウィスプ”の時も感じなかったものだ。 ラダンマティスを見返すと、幾分は和らいでいたはずの雰囲気が一変している。 「なぁ。今の…、妙な感じ。俺の気のせいじゃないみたいだな」 「そうだな。少々、困ったことになったかもしれんな」 「困ったこと?」 気のせいであって欲しかったが、冥界三巨頭殿に断言されると、自分を誤魔化すことすらできないじゃないか。 「早いところ、確認してみた方がいいな。遠からず、騒ぎが起こるだろう」 とうとう、この支局ビル内で、その類の騒ぎが起こるのかと思うと、気が重かった。
とりあえず、相棒にでも聞いてみるかと携帯を出す。良いタイミングで、メール着信の音が鳴った。確認しようとして、さすがに俺は戸惑った。 「何だぁ?」 「どうした」 「いや。やけに何通も一気に──」 一番、上を開いてみたが、エラく短い文だった。それも慌てて打ったのが明らかなスペルミスもある。二通三通と、続けて読んだが、大体は同じような内容だった。 「ゾンビって…、映画かよ」 「現実逃避しても、状況は変わらんと思うぞ」 「そんな、身も蓋もない言い方を……」 ちょーっとばかし、俺も混乱気味だったと思う。疾うの昔に、映画のような世界に半分以上、浸かってしまっているのに我ながら、往生際が悪いというか、何というか。 とはいえ、メールが事実なら、ゾンビ──即ち、死人が出歩いているということに他ならない。そんな現実離れした光景は映画以外に想像できんだろう。 「──リア! 大変だぞっ!!」 そこへ、飛び込んできたのは我が相棒だった。ジャックは取調室だということも気にしていない様子で──つまり、ラダンマティスの存在など頓着もせずに、丸っきり普段の調子で、俺に話しかけてきた。 尤も、俺も今は外のことの方が気になる。 「ゾンビが出たって? やたらとメールが殺到してきてるが、本当か」 「メールに写メが付いてただろうが。ホレ」 ウゲーッ★ わざわざ開かないでいたのに、見せるなよっ。そんなん見たかないっての!! しかし、これが映画の中ではなく、この支局ビル内で本当に蠢いているなど──多分、この目で見ても、信じたくないだろうな。“ガ=オー”や“ウィル・オ・ザ・ウィスプ”やらと遭遇してきたってのに……やっぱり往生際が悪いか?
それにしても、どこから湧いて出てきたのか? 疑問は直ぐに氷解する。何といっても、ここはFBIのNYでの本拠地だ。つまるところ、ビル内には検死を待っている遺体もあったりするわけで──それがゾンビ化したと? 検死官たちも肝を潰しただろうな。目の前の遺体がいきなり動き出したりしたら……。 「リア、出番だぞ。何とかしろ」 「あんた、本トに最近そればっかりだな。何とかしろったって、どうすりゃいいんだよ」 魂なら、蟹座のデスマスクの領分だが、相手が死体となると、そもそも、魂もないんじゃ──そこで、ふと疑問が湧く。 「しかし、何でまた、動き出したんだか」 首を捻った時、視界に掠めたのは冥界の闘士、しかも、三巨頭の一人。俺はラダンマティスを凝と眺めた。 「もしかしなくても、あんたの小宇宙のせいか? さっき、随分と荒れてたもんな」 「言っておくが、わざとではないぞ」 「解かってるよ。そうなると、俺より、あんたの方がどうにかできそうな気もするけどな」 感受性の高い連中が軒並みダウンした冥闘士の小宇宙で、ゾンビの出来上がりということか。なら、その逆も可能じゃないかと期待したんだが。 「手段を問わぬのならば、何とかはできる」 「たとえば、どんな手段だ」 「そ奴らは先刻の俺の小宇宙を受けて、いわば、仮の命を与えられたような状態だが、無論、本当に生き返ったわけではない。元の人間としての意思もなく、ただ、操り人形の如く、動いているだけだ」 「操り人形、ね。つまり、その操る糸を断ってしまえばいいってことか?」 これが“冥王”なら意思ある人間のまま蘇らせることも可能だとか。さすが神様だ。それはともかく、 「放っておけば、あんたの小宇宙も費い果たして、動かなくなるのか」 「何れはな。だが、どれだけの時間がかかるかは俺にも判断《わか》らん。それまで、待つか?」 うーん、悩むところだが、余計な茶々が入る。 「リア、行動あるのみだぞ」 「あんたは〜〜★ 押し付けるだけなんだから、黙ってろよ」 「そんな言い方はないだろう。ちゃんと色々、協力してやってるだろうが。他の連中にお前さんの正体がバレないように」 あながち、嘘ではないので、呻くしかない。 そんな俺たちをラダンマティスは等分に見遣り、只人のFBI捜査官に過ぎないはずのジャックが平然と、異形のモノたちのことを話している。こいつが聖域の協力者だということを察したらしい。突っ込んでは尋ねてこなかった。とにかく、余計なことを語っている場合でもないわけだしな。 「糸を断つって、どうすりゃいいんだ。ゾンビを動かしている小宇宙を消すなんて芸当ができるのか?」 「俺には無理だ。更に動ける燃料をくれてやるようなものだからな。許容以上の小宇宙を与えれば、別だが」 「与えると、どうなる?」 「滅せられる。灰も残らんだろうな」 だから、手段を問わねば、ということか。 しかし、俺とジャックは顔を見合わせた。灰も残らんというのは非常にマズい。元は事件や事故の被害者たちだ。身元不明者もいるが、そうでない者は何れ、遺族の元に返さなければならない。 灰も残さずに滅するなぞ、論外だ。 「やっぱり、お前さんが奮闘するよりなさそうだぞ」 「自信ないっての」 大きく溜息をつくと、ラダンマティスが笑った。 「風の精霊を封じたほどの男が何を弱気なことを」 「それ、大分、尾鰭がついてるからな。俺は“ガ=オー”がまた眠りにつくのを手助けしただけだ」 ペラム・ベイ・パークでの件以降、聖域での俺の評価も(一部では)ちったぁ上がったようではあるが、自分がやった以上のことをされたことにされているのは居心地が悪い。変に当てにされるのも困るだけだ。 「ともかく、その小宇宙の消し方か? 教えてくれないか」 尋ねると、ラダンマティスは少しばかり意外そうな顔をしたが、直ぐに答えてくれた。 「そう難しいことではない。要は相殺させれば良いだけのことだ。我らの小宇宙は闇と光…、対極にあるものだからな」 あっさりと言ってくれるけど、要するに今、ゾンビを動かしているのと同じ大きさの小宇宙で中和する、みたいな感じか──滅茶苦茶、難しいじゃないか!! 「素人聖闘士にハードルが高すぎるぞ」 「リア、ファイトだっ。でなきゃ、証拠も消えちまって、後でパニックだぞ」 「う…。解かった。やってみる」 やってやる、とは言い切れないところが我ながら、情けない;;; それに問題もある。ゾンビなもんだから、動き回っているってことだ。当然だが、このビル内にはまだ捜査員や職員が大勢いる。ゾンビと遭遇すれば、皆、即行で逃げてるだろうが。 「他の連中の目に触れないように、一ケ所に集められたら良いんだが」 「それなら、我々に任せてもらおう。部下たちも解放してもらえれば、協力させる」 「有難い。もう、上からの命令も来ているかもしれないな」 尤も、来ていたとしても、混乱していて、肝心の部署には届いていないかもしれないが。 「ジャック、直ぐに留置場に行ってくれ。まだ、檻の中にいるようなら」 「出してやればいいんだな。了解だ。いいか、リア。ファイトだぞ☆」 ポンポンと気軽に言ってくれると、ジャックは出ていった。 「物怖じせん奴だな、ただの人間というわけでもなさそうだが」 ラダンマティスまでが感心したように呟くのに、マジにジャックは大した奴だと思ったりもした。「リア」を連発してくれたことには突っ込む気も失せたけどな。 「とりあえず、動くか。レオ、ゾンビどもを集めるとして、どこに集めればいい」 「余り目立たないところか…。いや、どの路、もう動き回ってるし、大体、との辺までウロついているんだか。一ケ所に集めるにしても、一度に来られたら、俺が対処しきれないような……」 それでも、うまいこと鎮められたとしても、後の始末《こと》──運ぶことを考えると、やはり、元いた場所近くが良さそうだった。 「検死室付近だな、やっぱり。同じ階のロビーなら、幾らか広い」 「ビル内での位置情報をくれ。頭の中で考えてくれればいい」 「え?」 咄嗟に思い浮かべたのは記憶の中でのビルのイメージだ。棟と階と、廊下のどの辺か──視覚的なイメージが流れていったような感覚を受けた。 「……透視か?」 「テレパシーとの併用だ。黄金聖闘士なら、お前にも出来そうなものだが」 「冗談言わんでくれ。小宇宙だって、碌に扱えないってのに」 凝と俺を見返してきたラダンマティスは「フッ」とか薄く笑った。嘲笑のような、そうでないような……。 「あぁ、部下たちにも報せた。解放されたそうだ。では、行くか」 先に立つラダンマティスに、もう一つ嘆息し、腹を決める。そうして、取調室を後にした。
正式には許可を得たわけではないが、非常事態だ。ともかく、部屋を出れば、そこは阿鼻叫喚の嵐──というほどではなかった。ゾンビが蠢いているのはまだ、検死室近くだけなのかもしれない。 しかし、早いに越したことはない。時間が経つにつれ、ゾンビもあちこちへと分散してしまいかねない。その上、 「うおっ!?」 そのピョンピョンと跳ね回る代物に、俺は思わず、仰け反った。 「んなっ、何だ、これはっ」 正体は判っていたものの、疑問が口を突いたのも仕方ないと思う。ゾンビとの遭遇は一応、覚悟していたものの、それ以外のモノとかち合うとは想像していなかった。それらは元人間なゾンビに比べれば、大なり小なりの多少はあれども、かなり小さなモノだった。 「どうした、レオ」 「シュ…、シュールすぎる」 やっぱり、これ以上は進みたくないなぁ、と腰も引ける。一方のラダンマティスは恐ろしくも冷静な目をそれらに向けていた。 「なるほど、バラバラし……」 「それ以上、言うなっ。解かってるからっっ」 五体満足では回収されなかった“証拠”ということだ。 俺の剣幕に、翼竜殿ですらが口を閉ざす。彼の部下が見ていたら、怖いもの知らずと呆れるか、礼儀知らずと怒るだろうか。 「とにかく、動き回っているのはゾンビだけではないようだな」 「厄介だな。こっちの回収の方が大変そうだぞ」 「まぁ、任せておけ。俺の小宇宙を受け、動いているのだ。つまり、我らの小宇宙に反応しやすくなっているということだ」 灯に引かれる虫の如く──言うが早いや、ラダンマティスの体から、強い小宇宙が発せられた。先刻、感じた黒い風の源……。首筋に冷たい刃を当てられたような感覚に、体も震える。 その瞬間、好き勝手に跳ね回っていたモノがピタッと動きを止めた。次いで、ザーッと行進でもするかのように、こちらに迫ってくる。 正確にはラダンマティスの元へと集まってこようとしているんだろうが。にしても、 「うげーっ! 輪をかけて、シュールだっ」 「何をしている。行くぞ」 「あ…、あぁ」 取り残されるのはもっとゴメンだ。慌てて、後を追った。
ビル内に散ったラダンマティスの部下たちが同じようにゾンビたちを引きつけ、誘導してくれたようだ。 時折、他の職員にも会ったが、行進中^^;のゾンビを見るや、全速力で逃げ出していくので、いつしか、誰とも会わなくなった。ジャックが検死室のある棟にゾンビが集中しているから、封鎖──とメールを全職員に送ったのも効いているんだろう。 その分、遭遇する頻度が高くなったのが当然、ゾンビだ。まぁ、映画のように何百体というわけではないけどな。 「試しに一体、浄化してみては、どうだ」 「い?」 「いきなり、全部纏めてのブッツケ本番というわけにもいくまい」 言われるまでもなく、できるわけがない。とはいえ、いざとなると、やっぱりたじろぐ。唾を呑み込み、固まる俺にラダンマティスが苦笑したようだ。 「では、まずはあちらの欠片で試すというのはどうだ」 欠片って…、もう突っ込みようもないので流すよりない。それどころでもないしな。ゾンビたちの足元で跳ね回るそれらも消すわけにはいかない大事な“遺留品”だ。 「おっと、その前にと」 ポケットの携帯を取り出すと、相棒にかける。 「ジャック、始めるぞ。局内の監視カメラはどうした」 『勿論、制御済みだ。偽の映像を撮ってるよ。気にせず、ファイトだぞ、リア』 「……あんたは本トに、気楽だな」 携帯をポケットに戻すと、一度、深呼吸する。 「よし」 俺は両手を掲げて、ゆっくりと小宇宙を高めた。 「聖衣は着けんのか」 「慣れないことをしようとしているんだ。小宇宙を増幅させすぎたくはないんだよ」 前より使えるようになってきたとはいえ、“ガ=オー”の時のように、とにかく、高めた小宇宙をぶつければいいというわけじゃない。大きな小宇宙を注ぎ込みすぎると、アテナに属する小宇宙でも滅してしまいかねないとラダンマティスに忠告されたからだ。大事な大事な“遺留品”を滅してしまったら、後の祭りだ。 そのラダンマティスは一歩、後ろに下がった。完全に俺に任せるつもりらしい。試しているのかもしれんが……。 少しだけ、そんな疑問も湧いたが、冥界軍三巨頭でも最強と目される翼竜殿がペーぺー黄金聖闘士を試すも何もないか。眼中にないに決まっている。 そんなことを考えていたら、少しは余裕が生じたか。そして、跳ね回る遺留品の一つに意識を向ける。ソレに宿る小宇宙を量る。勿論、感覚的なものでしかない。完全に量るなんて芸当は俺には無理だ。 だから、聖域のアテナ結界に同調する時のように意識を振り向けた。 その時、それがヒーリングを行い際の感覚に似ていることにも気付いた。ヒーリングとて、偶発的なものしか行ってはいないが、それでも、攻撃よりはヒーリングの方が俺向きのようには思っていた。 戦わない宣言をした黄金聖闘士──互いを滅するような戦いよりも、この力を何かを助けることに傾ける。その方が余程に!! ソレと完全に同調したと感じた瞬間、自らの小宇宙を注ぎ込んだ。 ソレは弾かれたように高々と跳ね上がり、ポトリと床に落ちた。そして、あれ程、活発に動き回っていたのに、微動だにしなくなったのだ。 フゥと息を吐き出し、ラダンマティスを振り返る。 「成功、か?」 「フ…、上出来だ。しかし、一つ一つを浄化していたのでは埒が開かんぞ」 全くだ。ゾンビはともかく、小さな“遺留品”は多すぎる。一度に片付けられるのならば、苦労もないんだがな。 「ま、やってやるさ」 次は二つにチャレンジかな〜、とか結構、悠長なことを考えてるかもしれない^^; 地道でも何でも、自分のスキルを上げるしかないわけだ。 俺は次の目標を見定めた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
そうこう、実地で訓練しながら、検死室へと向かうが、他の廊下や階へも分散しているのが次第に合流してくる。同時に、解放されたラダンマティス配下の冥闘士も一人、二人と増えてくる。ラダンマティスの指示通り、ゾンビ他を誘導してきたのだ。 そして、俺の顔を見て、何人かは驚く。アイオリアを知っているのだろう。 ともかく、これからが本番だ。ゾンビも全て浄化しなけりゃならない。そっちの訓練も必要だ。悲しいかな、小さなゾンビ──子供の被害者を見付け、浄化にかかる。危なっかしくはあったろうが、それも何とか崩壊させずに果たした。 そうして、愈々、本番が迫りつつある。ラダンマティス配下の冥闘士全員と合流し、ゾンビも恐らくは全てが結集しただろうロビーに到着した時、覚悟はしていたものの、さすがに怯んだ。我知らず、二、三歩、後ずさっても、文句言わんでくれよ。強者Gメンたちもスッ飛んで、逃げたような相手が纏めて、襲来とあっては覚悟もあえなく、崩れそうだ。 「やっぱ、逃げたいなぁ」 そう呟いた俺に、冥闘士たちがヒソヒソと★ 「大丈夫か、こいつ」 「顔はアイオリア似だが、度胸は空っきしではないのか」 もう言われ慣れてるにしても、先代と比べられたら、立つ瀬ないなぁ。先代の獅子座の黄金聖闘士が最強筆頭黄金聖闘士でも有数と謳われる歴戦の戦士だったのは俺だって、知っている。素人聖闘士が敵う相手なものか。 しかし、ここにいるのはアイオリアではなく、俺だし、ゾンビを浄化できるのも俺だけだというのだから──仕方がない。俺は腹を決めた。
意識を遠く聖域へと振り向けた半瞬後には全身を金色の聖衣が覆い尽くした。 黄道十二星座を象る最強の聖衣、その第五宮・獅子座が俺の聖衣なのだと──……。 「ホウ……」 少しは感嘆してくれているのか、ラダンマティスの声に、ヒソヒソ話も幾らかのどよめきに変わった。 聖衣を着けるということは、まだまだ未熟半熟な俺にとっては両刃の刃のようなもんだ。聖衣は小宇宙を増幅させるが、その分、コントロールが難しくもなる。とはいえ、これだけのゾンビを纏めて浄化となると、やはり小宇宙が必要だ。 ゆっくりと内なる小宇宙を高める。実地訓練同様に、眼前に蠢くモノたちに宿る小宇宙を感じ取ろうとする。聖衣のお陰か、かなり正確に量れることに気づく。感覚までも聖衣は研ぎ澄ませてくれるようだ。 一体一体、小宇宙の残量は異なるが、全てイメージで捉える。浄化に費やす小宇宙もまた……。こんなやり方で、失敗すれば、証拠消滅の上、後が厄介だが──それでも、イメージに縋るしかない。マイナスのイメージは必要ない。そいつを振り払い、気持ちを立て直すと、両手を掲げた。 これも今では癖のようなものだ。一連の動作が小宇宙を安定させるのに有効だった。そして──小宇宙を解き放った。 放たれた小宇宙は広がり、ゾンビ集団の一群を包み込んだ。一体一体、一つ一つへと収斂していく輝き。 「おおっ、これはっ」 再び、どよめきが湧く。背後のラダンマティスの視線が力を増しているのも察したが、気にしている余裕はない。 小宇宙を注ぎ込みないように集中する。 やがて、輝きが薄れ、完全に消失した時、前列のゾンビが死体に戻り、床に倒れ伏していた。見たところ、前以上の損傷はないようだった。 「何と、やりおった」 「レオに、こんな細かい芸当ができるとはな」 ハハ、どういう評価されてんだろうね、俺ってば。あー、それとも、アイオリアかな。 「まだまだ、後が待っているぞ」 ラダンマティスに釘を刺されるまでもない。 「了解了解。次はもう少し、巧くやれそうだな」 何だかんだで、回数を熟せば、経験値も上がるというもんだ。このまま、問題なく、“証拠”を取り戻せるか──そう思いかけたが、やっぱり、楽観的過ぎたようだ。 段々と一度に浄化できる数も増えてくる。残すところ、五体ほど──小宇宙を高め、見極めようとした瞬間、ザワリとした悪寒が再び、襲ってきた。 「っ……」 集中を途切れさせ、ゾンビたちから距離を取るように後ろに飛び退いていた。 ここまで、順調に熟してきたのに、と冥闘士たちも訝しく思っているようだ。 「どうした、レオ」 「いや、今……」 表現のしようがない。もう一度、意識を向けようとゾンビを見据えようとした時だった。その内の一体と目が合った……!? 「──なっ」 見間違いではない。ギロリと生気に乏しい眼球が、こちらに動いた。だが、他のゾンビと違い、虚ろではない。何処を見ているわけでもない他のゾンビたちの中で、浮くほどに異質だ。間違いなく、そいつは俺を見た。 「ラ、ラダンマティス。さっき言ってたよな。こいつらは操り人形のようなもんだと」 「それがどうした」 「つまり、意思なんてモンもないってことだよな」 「その通りだが……」 「それなら、あいつは──」 その瞬間、ゾンビたちの間に、今までにない変化が生じた。 小宇宙が動いたのだ。いや、流れ出したというべきか。 残っていた小宇宙が一点に、一体に集中していく。余りのことに、ラダンマティスさえもが呆気に取られて、見ているだけだった。 小宇宙が抜け切ったモノたちは俺が浄化した時と同様、やはり床に転がっている。立っているのは一体だけ……言うまでもなく、俺と目が合った奴だった。 『あぁ…、そうか。この力が俺に命をくれたのか。これでまた、動ける。生きられる』 喋った!? ラダンマティスたちが一斉に警戒態勢を取る。冥闘士たちも緊張している。 「馬鹿な。意思を持っているだと」 「ラダンマティス様の小宇宙に感応したということでは?」 「如何な俺でも、ハーデス様の如く、意思あるモノとして、死者を蘇らせることなどできん」 つまり、これは死者たちを統べる冥界の戦士たちにとっても、非常事態だってことか。 コキコキとまるで、体を解しているようなゾンビがラダンマティスを見遣り、ニタリと笑った。本当に言いようのない感覚に囚われる。 『そうか。この力はあんたのもんか。あんたのお陰で、俺は生き返ることができたんだな』 「別に生き返らせてやった覚えは全くない」 その通りだが、ゾンビはケタケタと笑った。うう、神経が焼ききれそうな光景だ。 『感謝してるってのに、そう素気無くしなくてもなぁ』 冥界三巨頭を相手に怖い物知らずな言い草だ。まぁ、そんなことをゾンビが知るはずもないからだろうが、無知故にしても、傍で見ている方が心臓に悪いな。……俺自身、ラダンマティスを相手に似たような態度を取っていることには気付かない振りをしていたのかもしれないが。 ともかく、次第にラダンマティスを取り巻く空気が凍てついていく。水瓶座の黄金聖闘士《カミュ》も真青だな。 尤も、それも当然か。不測の事態とはいえ、自らの小宇宙が死体をゾンビ化させ、騒動となり、しかも、終息させるのは自分ではなく、聖闘士の俺だ。その上、他のゾンビに宿る小宇宙を我が物の如く奪い取ってしまった論外ゾンビまで、生み出したとあっては天よりも高そうな矜持が許さないだろう。 だが、待てよ。許さぬとあれば、どうなる? まさか〜、いきなり滅するような真似はしない、よなぁ?? 「貴様は死人《しびと》だ。大人しく、冥界に堕ちろ」 短い台詞が鋭くゾンビの胸を抉る──ようでもなかった。 『また、俺を殺すのか? 生憎だが、俺はまだまだ生きたいんだ』 「貴様は生きているわけではない。ただ、小宇宙を得て、動いているだけだ」 紛れもない事実だろうが、論外ゾンビには受け容れる気はないようだ。 『生と死の議論をする気はねぇよ。ただ、俺が俺として、まだ、この世に存在《あ》るってことが重要なんだよ。やりたいことをやれる。それで十分だ』 清々しくも宣言するゾンビってのは、どう消化すりゃいいんだか。こんな状況、俺なんかの手にはもう余るんじゃないのか。 その上、状況もまた止まってはいない。 「ゾンビどもに残った小宇宙を掻き集めたようだが、限界があることに変わりはない。少しばかり、仮初の命が延びたに過ぎんぞ。何れ、動けなくなる」 ガス切れの車同様──勿論、大人しく待っているようなゾンビ君ではなかった。 『そいつは頂けんなぁ。でもよ、足りないんなら、もっと、あればいいってことだろう? だからよ、あんたのその力、もっと寄越せよ!!』 空気が震え、ビルも震えた。何と、こいつは他のゾンビから小宇宙を奪ったように、本来の持ち主であるラダンマティスの小宇宙さえ、奪う気でいるのだ。 怖いもの知らずにも程があるだろうが、一瞬にして、ラダンマティスを取り巻く空気が冷たいままに爆発した。 「うおっ」 危うく転がされそうになったのは堪えたが、辺りのガラスというガラスが粉微塵に吹っ飛び、壁やら床やらには穴が開いた。……悲鳴を上げたい気分だTT そして、強気に過ぎたゾンビも怯んだ。暴風が過ぎ去った後には深く…、どこまでも冥《くら》い漆黒の鎧を纏ったラダンマティスの姿が!! 「こいつが冥衣《サープリス》か。何て……」 美しいのか。“冥界の宝石の如き”輝きを持つなどと称されていることは知っていたが、目にするのは無論、初めてだった。しかも、 「うわぁ。ワイバーンも翼持ちか。カッコエーなぁ」 思わず、口を突いた感想に他の冥闘士たちがズッコケた。ワイバーンのラダンマティスもジロリと俺を見た。 「余裕だな、レオ」 「い、いや。別にそういうわけじゃ──」 アタフタしつつも、ハタと気付く。ラダンマティスが冥衣を纏ったということはもしかしなくても、バリバリの超戦闘態勢? 「これ以上、我が小宇宙を好き勝手されるのは我慢ならん。悪いが、レオ。奴は俺が仕留めるぞ」 うわ、やっぱり★ つか、冥衣のない状態で小宇宙を荒れさせて、あの顛末だったんだぞ。冥衣装着で、暴れられたら、どんなことになるのやら、想像もしたくない。現に、折角、俺が苦労して、浄化したモノたちが震えている。また、動き出したら、どうしてくれるっ。 俺ですらが内心、パニックを起こしているのだから、明確な殺意を向けられたゾンビも強気ばかりではいられない。余りの威圧感にすくみ上がって、動けないようだ。そんな獲物に、ラダンマティスが一歩、また一歩と歩み寄る。 その迫力に、俺も圧されていたが──仕留められてしまうのも大いに不味い。 「ちょ…、ちょーっと、待ったぁ! タンマタンマ!! 仕留めるったって、あんたが手を下したら、灰も残らんて──それは困るぞ。勘弁してくれ!」 だが、ラダンマティスは今までになく、冷たい眼差しを向けてきた。それこそが冥闘士たる彼らの本質なのかもしれないが……。 「それは、そちらの都合だ。そもそも、我々を此処に連れてきたFBI《おまえたち》の落ち度だ」 それを言われたら、全く返す言葉もないが、だからといって、大事な“遺体”を消されると分かっていて、「はい、そうですか」とは引き下がれない。 俺は唾を飲み込みつつも、ラダンマティスとゾンビの間に立った。 「どけ、レオ」 俺を押し退けるラダンマティスの掌中で、急速に小宇宙が渦巻いていく。あれを叩きつけられたら、一巻の終わりだ。本当に灰も残さず!! 一も二もない。もう一度、ジャンプし、間に割って、入る。 「──何っ!?」 渦を巻く暴力的な小宇宙はゾンビを引き裂き、跡形もなく滅するはずだった。 「グウッ」 突き出した俺の両の手の直前で、冥き小宇宙が燻り、煮え滾っている。 「あいつ、ラダンマティス様の小宇宙を押し止める気かっ」 驚愕するのはラダンマティス配下の冥闘士たちだ。 だが、違う。散らしたりしたら、更に周囲の被害が拡大する。それは勘弁してもらいたい。 幸いだったのは三巨頭の一人もゾンビ一体如きを滅するのに全力ではかかってこなかったということだ。そのラダンマティスに指導されたといっても過言ではない浄化──それはラダンマティスの一撃に対しても有効のはずだ。 とはいえ、全力でなくとも、明らかな闘志の籠められた一撃は手の内で暴れ回っていた。 「くぅ〜、これ以上、壊されて堪るかっ」 切実だった。 一瞬二瞬と圧力が弱まる感じがあった。そこを逃がさず、自らの小宇宙を渦に逆らわずに纏わせていく。ともに流れるように、螺旋を描きながら、二つの小宇宙が薄れていく。 「──そんな、あいつ」 「ラダンマティス様の小宇宙を……!」 「浄化しただと? 読み切ったというのか」 配下たちが騒いでいる。信じ難いことなんだろう。いや、俺自身、本気で信じられんほどに巧くいったと思う。 だが、無論のこと、全てが終わったわけではない。即、第二撃を全力で見舞わされたら、絶対に防ぎようにない。俺は黄金聖闘士とはいっても、冥界三巨頭とまともにやり合えるほどの戦闘センスなど持ってない。 となれば、手は一つ! 「──ラダンマティス」 一歩、近付くと、その背後の冥闘士たちが色めきたった。 「やる気か、貴様!」 「やるなら、俺が相手になるぞ」 こちらも戦闘態勢は万端か。だが、次の瞬間、彼らは絶句した。 「この通りだ、ラダンマティスッ」 「──ッッ!?」 ラダンマティスたちが息を呑んだのが解った。表情は見えないが──何故なら、俺は膝を付き、額を床に擦りつけんばかりの勢いで、土下座していたからだ。 「頼む、これ以上は勘弁してくれ。こいつは俺に浄化をさせてくれないか」 背後で、当の浄化対象なゾンビまでが呆気に取られているような気配があった。 「信じられん」 「黄金聖闘士が土下座などと……」 「アイオリアが泣くぞ」 冥闘士たちのヒソヒソ話が聞こえてくるが、俺の知るアイオリアならば、意味のないプライドのみに拘るとは思えない。 「何故──」 ラダンマティスの声が低く、耳に届く。 「何故、そこまでする。たかが、ゾンビ一体、死人一人如きのために、聖闘士筆頭にある者が不倶戴天の敵たる冥闘士に頭を下げるなぞ」 それが『この世界』での一般的な考えであるのは間違いないと思いつつも、俺には遠いものだった。俺は体を起こし、膝をついたまま、ラダンマティスを見上げた。 「俺は…、確かに聖闘士なのかもしれない。この聖衣に選ばれてしまったことを、どうこう言うつもりはもうない。だから、FBIの捜査官である意識の方が遙かに強い。当然だろう?」 行動規範とて、それに倣う。死体は絶対に失うわけにはいかない大事な“証拠”だ。だから、こいつも、ちゃんと遺族の元に返してやりたい。 背後のゾンビを見遣ると、ゾンビのくせに腰でも抜けたか、へたり込んでいる。恐怖は感じるものらしい。 「それにな、そんな俺はどうしても、あんたたちを敵だとは思えないんだ」 「フ…、本当に面白い奴だ」 「え?」 その瞬間、全身が浮遊感に包まれた。 「どわっ」 次にはコンクリの床に転がされた。その質感が明らかに先刻までいたタイル張りの廊下とは異なる。しかも、周囲は闇に閉ざされ、風も感じる。 見回せば、地上の星屑が出現していた。直ぐ近くには飛行灯も点滅している。屋上にてレポートさせられたのだ。正面には勿論、一緒に飛ばされたゾンビがいる。 「では、チャンスをやろう」 幾らか離れた高い位置から、ラダンマティスの声が降ってきた。ただし、漆黒の冥界の戦士の姿は夜の闇に溶け込んで、見ることも叶わない。 「しかし、ここでお前が失敗《しくじ》れば、次は容赦はせんぞ」 それは紛うことなき本心だろう。 覚悟を決め、俺はゾンビを見返した。もう怯んではいられない。……正直、一寸、慣れた感じもあるが。が、その前にあることに気付き、慌てて、あるものを探した。 「えっと、ポケットに…。チクショウ、聖衣着けてると、出しにくいな」 「…………」 闇の中でヒソヒソと何か囁いているが、まぁいい。やっと出したのは携帯だ。 「あ、ジャック。今、屋上だ。残ってるのはゾンビが一体だ。で、聖域には連絡ついてるよな。 そうだ。衛星も押さえてあるのか? ……ハッキング済み? じゃあ、心配ないな。分かった、何とか、早目に終わらせる」 カチッと閉じた携帯を元のポケットに苦労して押し込む。 「…………本当に、色々と大変だな」 長〜い沈黙の後、表現のしようのない口調で、慰めてくれたほどだ。 「全くだ。神話の時代なら、こんな余計な心配もしなくて、済んだろうにな」 それならそれで、他の問題もあったかもしれないが、今は関係のないことか。 衛星は押さえたといっても、長い時間はマズい。少しでも早く、事を収めないことには。もう四の五のと言ってはいられない。 残るゾンビを見据えた。 「手間をかけさせるな。諦めて、浄化させてくれよ」 『ハイそうですか、なんて、やられるわけがないだろう』 本当に往生際の悪い奴だな。ま、そう言うとは思っていたがな。 「だからって、こっちもハイそうですか、と見逃すはずがないだろう」 一気に小宇宙を高め、威圧する。これでも黄金聖闘士の端くれだ。こいつは小宇宙を感知できるようだから、十分に有効のはずだ。 果たして、先刻の『ラダンマティスに睨まれた蛙』──ほどではないが、ゾンビの全身が強張りを見せた。反射的なものになっているようだ。 「悪いな。だが、あんたはもう死人なんだよ。その命も一時的なものだ」 『うるせぇっっ』 半狂乱に喚きながら、何とこっちが実力行使に出る前に反撃してきた!? 小宇宙の乱れ撃ち──必死さの余り、成し遂げたか、自らに宿るラダンマティスの小宇宙を撃ち出してきたのだ。 「──っと!?」 乱れ撃ちだけに無駄が多く、殆どは明後日へと飛んでいく。それも拙いことに、屋上の外へと! 屋上のあちこちを破壊する上に、多分、飛び出した幾つかは下に落ち……支局ビル周辺の道路に穴を開けているかも。かなりマズい事態だ。 「オイコラ、止めろっ。無駄な抵抗は──」 『うるせぇってんだよっっ!!』 逆に更に怒らせただけのようだ。全方位乱射を始めおった! ゾンビの小宇宙の容量がどれほどかは判らない。このまま放っておけば、撃ち尽くして、死体に戻ってくれるかもしれないが──それまでに、どんだけ周囲の被害が出るか判ったもんじゃない。 風に乗って、外から悲鳴も届いている。ビルから逃げ出した職員たちがビルの周りに陣取っているんだろう。そんな彼らを流れ弾が襲っているとしたら!? 「いい加減にしろっての!」 同時に、直ぐ後ろに小宇宙による壁を立てる──バリヤーの役目を果たすが、不十分だ。反対側への攻撃は防げない。 「どうする……」 死体を損なうわけにはいかないので、超攻撃技なライトニング・プラズマやライトニング・ボルトは使えない。とにかく、浄化のためには奴の動きを一度は止めなければならない。奴が小宇宙を打ち出す度に、その残量も変わる。浄化にはそれを見極める必要がある。 「アイオリア、お前なら、どうする?」 自然、頼れるのは獅子座の黄金聖衣が持つ先代の歴戦の記憶だ。右手を胸に当てた瞬間、閃いたのは聖衣の応《いら》えだったのだろうか? 「ま、やってみるさ」 その右の拳を握り締め、小宇宙を高める。右手にのみ、集中させるように──そして! 乱れ撃ちとは異なる眩い閃光が屋上を黄金色に染め上げる。 「ライトニング・ボルトか?」 冥闘士の何れかの声すら、光が圧する。 刹那の瞬間に、正しく無数の雷撃を放つ技──尤も、俺にはアイオリアほど、早い拳は撃てないだろう──そう信じていたが、ゾンビを脅すには十分だった。 閃光は残像を残しながら、ゾンビの頭を掠めた。 「ヒ……ッ」 直接的な反撃に足を竦ませ、その場に尻餅をついた。 「不発か?」 「いや、別の狙いがあるのだろう」 ラダンマティスの声が闇の中から、湧き上がる。そして、俺の“戦い”を観ている。俺の為すことを、冷厳なまでに。果たせねば、滅するのみだと、その小宇宙が伝える。 「させるわけにはいかないんだよ」 再び、右拳に小宇宙を──今まで、一度として使ったことのない技だが、今なら、成せる自信があった。 振り下ろした拳は、足元に叩きつけられた。 小宇宙は意志の力だ。イメージが技をも形作る。俺はそう信じるだけだ。 次の瞬間、放たれた小宇宙は足元に大穴を開けることも、砕くこともなく、屋上の内部を駆け巡った。そして! 『なっ、うわあぁ!?』 今までにない絶叫が木霊する。尻餅状態のゾンビの周囲から猛き獅子の牙が幾本となく、突き上げられたのだ。 ライトニング・ファング──聖衣が伝える技は、そのまま獲物を足元から貫き、引き裂く恐るべき技だ。だが、俺は別の使い方をした。“牙”は…、頭を抱え込み、すっかり萎縮しているゾンビの頭上まで延び、全てが絡み合った。 「……まるで、檻だな」 「あんな使い方ができるとは」 半分、呆れているような響きだ。全てはイメージ。そう信じればこその使いようだ。 『たっ、助けてくれ』 閉じ込められたゾンビの声にも哀願が宿る。本当に哀れだ。 「あぁ、助けてやるよ。このまま、死を受け容れれば、ちゃんと弔ってやるから。この世への未練は断ち切るんだ」 いざ、自分が死を迎える時、そう簡単に受け容れられるかどうかなんて、全く判らないが──ともかく、それが理だ。 一つ息をつき、俺は“牙”たる小宇宙をゾンビへと収斂させた。形を失いながら、ゾンビへと流れ込む“牙”が完全に消えた時、俺は最後の浄化が成功したことを知った。 ☆ ★ ☆ ★ ☆
「はあ〜ぁぁ」 途端に全身脱力し、その場に大の字になって、引っくり返る。そこに足音が近付く。 「エライ格好だな。しかし、見事だった」 「それはどうも……。あぁ、御協力には感謝する」 暗闇に溶け込んでいた漆黒の冥衣が湧き上がってくるような不思議な感覚だった。闇が姿を取ったようにも思える。 ともかく、いつまでも寝転がってはいられない。反動をつけて、起き上がる。ゾンビを見遣る。 「そういや、こいつの魂は冥界に行くんだよな」 「そうかもしれん。信じる神に依るがな」 「あ、そういうもんなの。じゃあ、無心論者はどうなるんだ? それに俺も…、一応、三十年ばかりクリスチャンには違いないんだよなぁ」 それほど、敬虔ではないけどな。 「今から、心配しても仕方あるまい」 尤もだ。つーか、心配しなきゃならんことは現時点でも他に幾らでもある。まずは、このゾンビ改め証拠物件Aとか。 嘆息する俺にラダンマティスが首を傾げる。 「どうした。まだ難問があるのか」 「いやぁ、検死室まで、こいつを担いでいかなきゃならんのかなー、とか」 仕事柄、凄惨な現場にも死体にも慣れてはいるが、さすがに担いだことはない。憂鬱にもなるというもんだ。 妙な心配をする奴だと、ラダンマティスが一頻り笑った。 「本当に愉快な男だな」 その右腕を掲げた瞬間、死体が掻き消えたので、俺は肝が冷えた。 「い…っ。まさかっ、失敗だったのか? 時間差で滅しちまったとかー!!」 「落ち着け。俺がテレポートさせただけだ。検死室までな」 「あ…そ、びっくりした。いや、助かった」 「何、こちらも余計な手間を煩わせたのだからな」 自然、ポリポリと頬をかいた。 「そもそも、FBI《うち》が間違って、引っ張ってきたのが原因とも言えるような……」 「確かにな。だが、そのお陰で、面白い、愉快な奴に会えた」 それって、俺のこと? そんなに愉快かなぁ。苦笑で誤魔化した時、携帯が鳴った。
取る前に、聖衣を聖域へと還す。暴れた獅子座の黄金聖衣は満足したのか、文句をいわずに戻っていった。段々、聞き分けが良くなっていくな。うん。 俺としても、まぁまぁ、満足な気分で、携帯に出ると、相手は案の定の相棒だ。 「ジャックか。あぁ、何とか終わったよ。といっても、後始末が大変だろうがな」 『そうだな。ともかく、ビル内《なか》に戻れ。衛星を解放するぞ。それから、冥界御一行様だけどな。正式に釈放許可が出たぞ。勿論、お咎めなしだ』 「了解」 通話を終えると、ラダンマティスに向き直る。 「まず、中へ。それと、面倒をかけたが、釈放だそうだ」 「やっとか」 「全く、いい迷惑だ」 「予定が狂ったぞ。どうしてくれる」 などなど、文句が出るのも仕方がないが、その主は鷹揚なものだ。 「大した問題でもない。休暇を貰ったと思えばな」 「取調室で?」 揶揄うように言うと、暗闇の中で、獰猛な笑みが閃いた。
ゾンビ回収劇は、まぁ、完全に大過なく、というわけにはいかなかった。それなりに被害も出ている。特にロビーの辺りは甚大だった。 「今回はさすがに幻覚扱いにはできんかなぁ」 何せ、舞台はFBI支局ビル内ときたもんだ。 「大丈夫なのか?」 「どうかね。何とか収まってくれんことには、俺は失業かもな。あ、ここにサインを」 サラサラとラダンマティスが──偽名だが、サインを済ませると、手続き終了だ。車のキーや他の押収物を全て返却する。 地下駐車場の車へと案内する間に、これで銃でも見付かっていたら、本当にヤバかったな、とも思うが、冥界のトップクラスの戦士たちに飛び道具なぞ、そもそも必要なわけがない。 「でもなぁ。一つ忠告してもいいかな」 「何だ」 「いや、黒尽くめってのはつくづくと、止めた方がいいと思うな。本気で、そっちの人にしか見えんから」 「────参考にはしておこう」 苦笑を残し、ラダンマティスは配下が開けたドアの中へと体を乗り入れる。他の男たちも全員が車上の人となる。 電動窓が下り、ラダンマティスが顔を覗かせた。 「レオ」 「──何か?」 「いや。機会があったら、また会おう」 「……機会があったらね。」 軽く手を上げると、窓が閉ざされる。後ろに下がると、二台の黒塗り高級車は発車していった。
珍客たちは帰っていったが、こっちは当面、帰れないだろう。息をつき、戻っていく。 ジャックが全職員に、『ともかくゾンビ騒動は終息したようだ』とメールを送ったので、おっかなびっくりではあったが、皆も戻ってきた。ただし、内部の常識離れした有様に絶句し、眩暈を起こす者も続出した。気絶した者がいなかったのは職業柄だろうか。 ゾンビが暴れたか、冥闘士の仕業かは定かではないが、まぁ、色々と大変な状態だ。その後始末は人海戦術で取り掛かるしかない。無論のこと、俺が逃れられるはずもなかった。 今回ばかりは参った。浄化などという初めてのことに、しかも、小宇宙を量るような精密な作業連発に、疲労感は半端ではないが、説明できようはずもなかったからだ。 数日かけて、ビル内部の片付けは何とか終わった。壊れた備品やら、穴だらけの壁やら廊下やら、吹っ飛んだドアにガラスなども、即行で工事が入った。ビル周辺の道路もやっぱり穴ぼこ出現だったが、封鎖して、すぐに埋められた。 後手に回ったのは情報だった。特にビル屋上で生じた“謎の発光現象^^;”なんぞが外からは、はっきりくっきりと認められていたと──原因其の一な俺は「へぇ〜」で済ませるよりなかったが、内心では冷や汗を掻きまくっていた。 小宇宙合戦も黄金聖闘士クラスとなると、普通の人間にも見えるほどの密度がある……とか何とか。 だから、宇宙からの目《監視衛星》はハッキングしたわけだが、周辺在住の人間の目の全てには対処できず、更には運良く?撮影できた写真や動画がネットに出回ったりもした。その辺の対策は聖域がしてくれたし、FBIそのものは「事実として認識していない」と正式にコメントを出して、終わらせた。 そりゃまぁ、支局ビル内部で『ゾンビ発生』なんざ、言えんよなぁ。 職員たちも一様に口を噤んだ。普通なら、一人や二人はリークする奴がいるもんだが、『深夜、お前さんの家にゾンビが押しかけるかも〜』などと、実しやかな噂が流れたせいでもある。 噂の元はどこ吹く風で、俺の前で書類作成に勤しんでいるが。 何にせよ、俺に疑いの目が向かないでくれれば、とりあえずは御の字だ。 さすがに今日は帰って、寝たい……それだけが現時点の切なる願いだっ不意に思い出されたのは今回の事件で出会った──というより、会ったからこそ、事件が起こったような相手だった。『また、機会があったら』とか言ってたが、 「機会なんて、あるもんかね」 ま、何が起こるか判らないようなジェットコースター人生に突入しているわけだし、いつか機会は廻ってくるかもしれない。 さておき、今現在、やらなければならないのは書類を書き上げることだった。提出しない限り、帰ることはできないからな……。
色々とありまくって、停滞していた四周年記念作品やっとこ完成です。『前篇』とか銘打ってたけど、殆ど、ただの前振りだったという長さになりやした。読み違いも甚だしいです;;; ちょーっと、長くなりすぎたので、カットした場面も幾つか……ま、時間もかかりすぎましたしね。 ともかくな、冥闘士たちとの絡み物語でした☆ ローたちとラダンマティスたちとの邂逅ネタは結構、前からのものでしたが、事件をどうするか──あれこれ考えて、舞台をFBIビルにすれば! と、こんなん騒ぎ勃発となりました。お待たせしたくらいには、楽しんでもらえましたかね。
実のところ、一寸、行き詰まりを感じていた今日この頃でしたが、『プリンセストヨトミ』のお陰で、いい刺激を受けました☆ 詳しくは日記に^^ やっぱり『創作って、面白い!!』と思わせてもらいました。読むのも観るのも、そして、書くことも!! まだまだ楽しいっス♪ また、頑張れそうです。 2011.06.23.
てなわけでの、小宇宙部屋開設四周年記念作品つーことで、一年振りの『星影篇』続編です。っても、またしても、半分だけですけど^^; 今回は何と!? 冥闘士とのエピとなりました。相手は当然? ラダンマティスということで、進みます。何だか、事件発生★ てなトコで、続きはもう少しお待ちを。 2011.03.04.
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