千仞の谷


 体の奥から湧き上がるもの──確かに感じる。
「もっと、細く絞って──」
 イメージする。蛇口のイメージだ。コックを軽く捻り、『水』を出し過ぎないように……。
「そう。もう一息。そのまま」
 けど、ふと思いついてしまった。もし、コックが壊れたら、どうなるんだ?
 ただの思いつきなのに、連想されるものの方が余程強かった。壊れた蛇口から、『水』が迸るイメージが! 壊れてしまっては止めようがない。
「うわっ」
 突然、沸き立つ力を抑えきれない。それでも、
「リア! 諦めるな。そのまま、意識を結界に向けるんだ」
 辛うじて、結界を意識の端に捉える。持て余す力を、その意識へと注ぐ。
 獅子座の小宇宙を受けた獅子宮全体が震え、見る間に結界が力を得る。瑞々しい活力に溢れる。……と、周囲の者は言うが、俺はといえば、全身の力を吸い取られたも同然で、顎を上げていた。

「大丈夫か、リア」
「……生きている、という意味でなら、大丈夫だ」
 っても、相変わらず、腰も上げられないほどに消耗してしまった。
「結界との同調はまだまだだな」
 言われなくても、解かってるっての! 殆ど力押しの結界修復だ。必要以上の膨大な小宇宙を放出、流入しているだけだ。
「本ト、笑っちゃうくらいの力の無駄遣いだな」
「全く」
 外野《そこっ》! 喧しいわっ!! 仕様がないだろっ。まだまだコントロールできないも同然なんだから。
「だが、意識に馴染んでもいるようだな。もう暴走する可能性はないだろう」
 慰め半分で、アイオロスが言ってくれたが、そんなんでも安堵したのは確かだ。

 此処は聖域は十二宮が第五宮・獅子宮。獅子座の黄金聖闘士が守護する宮。
 そして、他ならぬ俺が当代の獅子座の黄金聖闘士だと──聖域の有り様も聖闘士の存在も、俄かには信じられなかった。この目で見ても尚、幻覚かドッキリではないかと疑ったほどだ。
 そうではないと悟ると、その運命とやらに抵抗したかった。だが、しかし、結局は受け容れざるを得なかった。
 以来、半年──月一の結界修復に聖域を訪れてはいるが、先の通りの有様だった。
 ニューヨークでも、イメージ・トレーニングののようなことは続けているが、進展しているのか判断つかない。暴走の可能性がなくなったのなら、二、三歩は進んでいるのかもな。
 何はともあれ、一歩でも半歩でも、前に進むしかない。

 尤も、本来はイメージで小宇宙を捉えるのは聖闘士候補生までで、仮にも聖衣を得た聖闘士──それも筆頭・最強の黄金聖闘士の感覚には程遠いそうだ。
「聖闘士とはいえ、人間だ。人間の思考速度には限界がある。思考のイメージで小宇宙を捉え、高めようとしても、やはり限界が生じる。何より、瞬時に小宇宙を力と為し、技を放つ聖闘士にすれば、致命的な遅れとなる」
「……戦う時は、だろう。俺は戦いに出る気なんかない。キド総帥だって、そう──」
「そうだな。ただ、意識の片隅には留めておいて欲しいんだ。君は獅子座の黄金聖闘士たる運命を受け容れた。ならば──」
「解かってるって。何度も言うな」
 苛立ち、話の腰を折るように口早に言うと、アイオロスは少し眉を上げたが、引き下がってくれた。

 獅子座の黄金聖闘士たる運命──解かっているさ。何かというと、飛んでくる獅子座の黄金聖衣の唯一の主が俺だってことは。解かっているんだよ。
「ま、焦っても仕方ないよ。俺たち皆、ガキの頃からつーか、それこそ、赤ん坊の頃から鍛錬してきているようなモンなんだからさ。半年やそこらで追いつかれたりしたら、黄金聖闘士《オレたち》の立つ瀬がないぜ。なぁ、ムウ」
「……言い様はともかく、趣旨には賛成します。リアステッド、誰も急かしているわけではないのですよ。ですから」
「だーから、解かってるっての! 慰め顔で、さり気なく追いつめるな!!」
 本気で慰められているからこそ、余計に苛々する。すると、それまで黙っていた今一人の黄金聖闘士が口を挟む。実に控えめに。
「いや、リアステッド。二人とも、追いつめているわけではないと思うが」
 俺の知る限りのカミュは物静かな奴で、ミロと親友なのだと聞いて、ピンと来るような、来ないような……。まぁ、いいか。
 『仲間』だという黄金聖闘士では最初に知り合ったのがアイオロスにミロ、ムウで、この三人とはN.Y.でもよく会っていたから、やはり交流が多いのはこの三人だ。そして、ミロとセットの形で、カミュともいつの間にか、結構親しくなった。
「それより、黄金聖闘士が四人も雁首揃えて、自分の宮、ほっぽっといて良いのかよ」
「大丈夫大丈夫。今日は珍しいことに十二人、全員揃ってんだよ」
「いらっしゃらないのはアテナだけ……残念ですが」
 いや、別にいいけど。夢を見ていた頃はあんなに気になっていた謎の少女も、とてつもない正体が明らかになり、俺とも関わりがあると判明すれば──苦手になった;;; 彼女がN.Y.に来る時は毎回、お呼ばれするようになったし、聖域《ここ》で会えんかったからといって、惜しむことではない。

「それは了見違いだぞ、リア」
 結界修復を終え、聖域を発つ前に教皇への挨拶だけは義務付けられている。どうやら、俺は『聖域のお情け』で、聖域に常駐もせずに、N.Y.で仕事を続けていられる──らしい。
 正直、業腹だが、余計な一言で、更に反発を食って、『聖域に戻れ』とか命じられては堪らないので、妥協している。
 アイオロス辺りが済まなそうな顔をするものだから、その程度の我慢もするしかないという気分にさせられていた。
 ともかく、白羊宮《した》に戻るムウとは一旦別れ、教皇宮《うえ》に向かっていたところ、先の話をしたら、「了見が違う」とアイオロスに指摘されたわけだ。
「何が違うんだ」
「アテナと教皇、そして、十二人の黄金聖闘士。その全てが聖域に揃うことには意味があるんだ。体裁や権威がどうのではなく、純粋に聖域の持つ力を増幅するんだよ」
 十二宮の各宮での結界維持は守護者が入ることで為され、アテナ結界に影響する。更にアテナが御座せば、より強靭なものとなる。
「だから、リア。君が聖域に来ることも本当に意味あることなんだ。必要不可欠なことでもあるんだ」
「──結局、それが言いたかったわけか」
 何つーか、上手いこと乗せられ、丸め込まれてしまいそうだ。付き合いが長くなるにつれ、どういう奴だか解かってきた気がするが、それ以上に、俺の方がこいつに分析され尽くしているような気分になる。どうも、分が悪い。
「まぁ、でも、リアはまだ、信じていないところもあるだろう?」
「信じていないわけじゃない。しょっちゅう、仔猫だか仔犬だか、判らん奴に寝込み襲われてみろ。嫌でも納得するって」
「本トに懐かれてるもんなぁ。スコーピオンも俺と離れ離れになってたら、そーゆー可愛い真似すんのかなぁ」
 どこが可愛い? 俺は疲れ、引き攣った笑いを返すしかなかった。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 教皇に挨拶を済ませ、今度は長い階段を下りていく。白羊宮まで出る抜け道もあるのに、簡単に使えんとは……どうして、こう非効率的なんだ。
 先の四人以外の途中の各宮の守護者たちとは微妙な距離感を保っている。ミロのように、知らなきゃ、本当に黄金聖闘士か? と疑うほどに真直ぐで妙に人懐こい奴もいるが、他の連中は必要以上に近付いてはこない。俺が近寄らんせいもあるんだろうがな。
 それでも、己に対する自信の表れなのか、案外に鷹揚な連中揃いで、異端の黄金聖闘士ともいえる俺に対しても、程度はあれ、敵意や悪意はない。……多分。つーより、要はこいつら、自分が一番の俺様連中なんだよな。だから、あんまし他人のことに興味がないんだろう。
 だったら、そのまま放っておいてくれればいいものを、そうは問屋が卸さなかったりするのは何の不条理だ。

 アイオロスだけは最後まで見送りに出てくれるのはいつものこと。俺たちは第六宮・処女宮まで降りてきていた。つまり、獅子宮の隣宮なわけだが、その守護者たる隣人はどうにも理解不能な奴だった。
 往路は留守だったが、今は戻っている;;;
「獅子座のリアステッド、何処に行く」
 いつだって、瞳を閉じているが、真直ぐに此方を見つめているのが解かる。
「何処って、ニューヨークに帰るんだよ」
「獅子宮の結界修復は終えたのかね」
「ま、一応は」
 見ても判別《わか》らんくらい、穴だらけとか言うなよ。幾ら新人でもさすがに凹むから。「フム。で、獅子座のリアステッド。ニューヨークでも修練は続けているのかね」
「そりゃまぁ」
「曖昧だな。折角、この私が教えを授けてやったというのに」
「教え? ホゥ、どんなものだ」
 関心を寄せたアイオロス──面白がるような顔しやがって!
「瞑想だ。己が心を静め、己が心と向き合う。その境地たる定《じょう》に到るまで、ひたすらに神仏と対話するのだ」
「要はイメージ・トレーニングのようなもんだろう」
 いい加減に言うと、閉ざした瞳の上の眉がピクリと動いた。
「君は本当に、解っているのかね。もう一度、説法する。獅子座のリアステッド。そこに座りたまえ」
「バッ…。いや、冗談。飛行機の時間もあるってのに」
 腕を捕まれそうになるのを、慌てて、体ごと身を引いて、回避する。
 だが、俺の返答に、隣人──乙女座のシャカが戸惑いを見せた。
「……飛行機? 何の話だ」
「何のって、ニューヨークに帰る飛行機に決まってるだろう」
「…………アイオロス、彼は何を言っているのだ。黄金聖衣を纏えば、飛行機など使わずとも、行き来できるだろうに」
 シャカが面食らうことがあるとは驚きだ、とは後のアイオロスの感想だ。
 いや、それはともかく、更に冗談がキツいぜ。
「幾ら聖衣を着けたからって、生身で大西洋間を往復するなんざ、俺はそんな変態じゃないっ」
 今度はシャカだけでなく、アイオロスまでが絶句した。
「…………………ヘンタイ? 私の耳がおかしくなったのか、アイオロス。今、彼は何と言った」
「いや…、俺にもそう聞こえたが、多分、使い方を間違っているんだ。気にするな」
 どーせ、意思の疎通にはまだまだ難があるよ。いきなり星矢と話せるようになった時から、殆ど無意識に小宇宙を媒介にしたテレパシーのような真似をしているらしい。所謂『小宇宙通信』だが、テレパシーとどう違うのか、よく解らん;;;
「とにかく、シャカ。説法は次の機会にしてくれ。リア、ほら、行こう」
「お、おう。じゃーな」
 渡りに舟──俺はさっさと処女宮を飛び出した。まだ、些か呆然としているらしくシャカは追ってこなかった。

 にしても、他の奴らはこの半年で、少しはどういう奴か解ってきたが、あの隣人だけは真逆で、謎は深まる一方。大体、ギリシャ神話の戦女神《アテナ》に仕える聖闘士が何故に仏教徒?
「まぁ、シャカだからなぁ」
「……なるほど」
 納得?


 獅子宮でもう一度、獅子座の黄金聖衣と向かい合う。
「なぁ、リア。シャカの言い様じゃないが、これからは聖衣を喚んだらどうだ? 月一で数日の有休を取り続けるのは実際、無理があるだろう」
 確かに今まで、有休を無駄に消滅させていたような奴が頻繁に使い、しかも、毎度、海外旅行のオマケ付となると、かなり目立つ。
 まぁ、実のところ、この半年六回の内、半分は勝手に飛んできた獅子座の黄金聖衣で、変態な真似^^;をして聖域に来たので、実質三回だが、それでも、十分に奇異に思われ始めている。ギリシャ《こっち》に彼女でもできたか? なんて、言われている内はまだいいが、妙なトコだけ勘のいい相棒はさすがに何か感付くかもしれない。
 長々と嘆息し、「そうだなぁ」と呟く。
「それに、こう続けたら、航空運賃だって、馬鹿にならんだろう」
 ぐっ、痛いトコを……。確かに隔月でも、自腹を切り続けるのは薄給な捜査官には厳しかったりする。
「レオも月一でも定期的に喚んでやれば、もっと落ち着いて、勝手に飛んでいくこともなくなるんじゃないかな」
 どうだか。この甘えっ子が! こいつで飛んだ三回──勿論、帰りも聖衣で戻らなければ、密出入国になっちまう。ところが、聖域へ帰れと言っても、中々聞きゃしない。居座られでもしたら、更に面倒なことになるのは目に見えている。
 宥めたり、賺《すか》したり──ったく、何だって、我が儘仔猫相手に、主人のはずの俺がこんな苦労をせねばならんのか。全く理不尽だ。
「頼むから、また勝手に飛んでくるんじゃないぞ」
 切実なお願いを解かっているのか、いないのか、ミャアと仔猫の鳴き声が返った;;;


★        ☆        ★        ☆        ★


 出立便の時間が迫っている。急いで、十二宮を下り、下の守護者とは簡単な挨拶で済ませた。皮肉屋な今一人の隣人に、真面目一筋な美丈夫、朴訥な大男。芯の強い優男──と、これはムウだが。
 上の連中もだが、何とも多彩な連中が集まったもんだ。これも星の運命やら、天の配剤とやらなのかね。まさか、女神様の趣味とか?

 十二宮を下りると、一気に人が多くなる。聖域での大多数を占める兵たちが集まり、警備のために移動したり、訓練したり──その最も激しいところが聖闘士候補生の修行か。白銀聖闘士や青銅聖闘士が指導し、鍛錬に励む。
「うわぁ〜。相変わらず、いつ見ても凄ェなぁ」
 尤も、アイオロスに言わせれば、候補生の荒削りで拡散する小宇宙は、見た目は派手に相手を吹っ飛ばしたり、地面に大穴開けたりするが、上級の聖闘士はもっと一点集中に小宇宙を放つという。敵は急所を打ち抜かれれば、身動きすらできずに、その場に崩れ落ちてしまうと。
「何にせよ、未熟な獅子座の黄金聖闘士《オレ》より、あいつらの方がよっぽど強いだろうなぁ。ぜーんぜん、勝てる気しないし」
「……リア。そんな自信満々に言うようなことか?」
 呆れすら通り越したようなアイオロスだが、こっちにはこっちの言い分がある。俺まで駆り出さなきゃならなくなったら、そんな戦いはもう、お仕舞いだってことだろうに。そうならんように手を打って貰わなきゃな。
 ……オレのこういう姿勢を、『黄金聖闘士にあるまじき』とか『そんな奴は認められない』とか未だに影口を叩かれる。文句なら、そんな俺を選んだ黄金聖衣に言えっての。

 キラリと傾きつつある陽光が弾ける。その源は硬質の銀の仮面……。
「イーグルか。彼女は優秀な指導者だ」
 然もありなん。星矢の師匠だという鷲座の白銀聖闘士。初めて聖域に来た時以来、まともに話もしていないが、ああやって、候補生を指導している姿はよく見かけていた。かなり厳しいが、候補生たちは彼女を信じて、必死に食らいついているのは俺にも判った。
「彼女はアイオリアとも親しかったと聞いている。アイオリアも人に教えるのが好きだったそうでな……。まぁ、色々あったから、弟子は取れなかったんだが、星矢にはよく稽古をつけていたらしい」
「へぇ」
「今…、アイオリアがいたら、やはり、あんな風に──」
 アイオロスは少しだけ遠い目で、闘技場を見渡した。あったかもしれない幻の光景を、その目は捉えているんだろうか。
 こういう時、俺は口を差し挟まず、黙って話を聞くだけだ。

 アイオロスとアイオリア、彼ら兄弟に何があったのか──半年も経てば、俺だって、大方のことは知るようになった。何より、獅子座の黄金聖衣が伝えてくる。
 レオが一緒《とも》に戦い、生きたアイオリアという存在の有り様を……。
 それもあって、俺は聖域に対し、どうしても好意的になれない。
 アイオロスたちとは個人的には、これからも友人付き合いしていきたいし、キド総帥の援けにもなりたい。
 そうでなければ、我慢の限界なんて、疾うに越えていたかもしれない。

「あ、アイオロス様」
 候補生の一人が気付いた。距離はあるのに、彼らのヒソヒソ話が聞こえるのは結界修復で小宇宙を高めた余韻だ。
「隣の人…、何、アイオロス様にそっくり。もしかして、アイオリア様?」
「馬鹿。お前、知らないのか? アイオリアさんのこと」
「そうだよ。アイオリア様はもう……」
 心底、嘆いているかの響き。アイオリアは若い連中には慕われていたんだな。“逆賊の弟”と殆どの者に辛く当たられていたというのに。
「きっと、新しい獅子座の黄金聖闘士様だ。噂通り、本当にアイオロス様やアイオリアさんによく似ているな」
「でも、お人柄は随分とアイオリアさんとは違うって、聞いたな」
「俺も聞いた。結界の維持だけで、戦わないって、アテナに宣言したとか」
「アイオリア様は先陣切って、戦う最強の聖闘士だったのになぁ」
 亡き先代獅子座が強くて立派な聖闘士だったのは俺も十分、承知しているけどな。まー、俺なんか逆立ちしたって、敵いっこないのは間違いないわけだし。
「……気にするな」
「してないって」
 だから、それも本音だ。
 ずっと見学していても仕方がない。適当に切り上げ、その場を離れた。多くの視線を感じながら……。



 本来なら、疾うに機上の人となっているはずだった。ところが、聖域を出る直前、足止めを食った。
 十二宮からは離れた、聖闘士候補生や兵たちの居住エリアで、陥没が生じ、幾棟かの建物も崩落した。原因はともかく、中にいた者は当然、巻き込まれ、瓦礫の下敷きになってしまった。
 丁度、通りかかったアイオロスがその救助作業の指揮についた。俺も瓦礫の撤去くらいはできなくもないと、残ったのだが……。
 ガラガラッ… 突然、大きな家の残骸が持ち上がった。
「ムウ、来てくれたか」
「他の者も追っ付け、駆けつけるでしょう」
 黄金聖闘士随一のPK《サイコキネシス》を持つムウだ。報せを受けて、テレポーテーションで跳んできたんだろう。
 少し遅れて謎な隣人が現れた。第一宮にいたムウより、僅かな時間差で──どうやら、緊急時に『抜け道』を開いたらしい。
「シャカ、中を透視して、私に送って下さい。見付け次第、テレポートさせます」
「解かった」
 陥没した穴にはまだまた、細かく砕かれた瓦礫が残り、その下に取り残された住人がいるはずだ。図抜けたESP能力者のムウとシャカが組めば、百人力というとこか。
 しかし、二人だけに任せるわけにもいかない。何人、生き埋めになっているのか不明なのだから、慎重に片端から調べなければならない。二人が救出作業開始した棟とは別の現場では他の者たちが手作業で瓦礫を排除している。
 その合間にも、一人また一人と黄金聖闘士が現れると、作業に加わる。殆どの者がムウほどではなくても、PKの使い手だから、作業は格段に捗る。
 そうでなくとも、連中の姿を見るだけで、現場の士気が上がる。全く大した影響力だ。
「俺なんか、いてもいなくても、同じだけどな」
 手作業参加の黄金聖闘士なんて、他にいるか? 苦笑したくなるが──それだけだったら、どうということはなかった。
「おい、邪魔だ」
「え? うわっ」
 振り向いた途端に、突き飛ばされ、転がった。見上げると、名前は知らんが、白銀聖闘士らしい奴が数人いた。
「いきなり何だ」
「邪魔だから邪魔だと言ったんだ」
「碌に小宇宙も、サイコキネシスも使えないような奴は引っ込んでいてくれ」
 言葉もないとはこのことだ。確かに、反論のしようもない。
 俺は嘆息し、立ち上がると、その場を離れた。
 ここまで邪険にされ、尊敬もされない名ばかりの黄金聖闘士も俺くらいだろうなぁ。

 そこへ駆け寄ってきたのはミロとカミュだ。
「リアステッド? 何だ、帰ったんじゃなかったのか」
「あぁ、丁度、通りかかった時に崩落したからな。帰りそびれたんだよ」
 しかし、こうも役立たずなら、帰れば良かったかもな。ミロとカミュは顔を見合わせたが、察したらしい。
「じゃ、こっちを手伝ってくれ」
「何をするんだ」
「怪我人の手当てだ。重傷者はヒーリングで傷を塞いでいるが」
「怪我人が多すぎるので、軽傷者はとりあえず、手当てで済ませているんですよ」
 ヒーリングの使い手ってのは案外に少ないらしい。聖闘士は治すより、戦って、倒すのが本業だろうからな。黄金聖闘士でもヒーリング能力筆頭といえるのは謎の隣人だそうだ。だが、今、彼は救出作業で手が離せない。
「ヒーリングといえば、アイオリアが得意だったんだけどな」
「そうらしいな」
 キド総帥から、冥界で何があったのかを聞いた時のことを思い出す。
「何だ、知ってたんだ」
「え? あぁ、まぁ。アイオロスから」
 適当に誤魔化す。そのアイオロスも弟ほどではないが、使えるはずだ。現に今も、指揮の傍ら、重傷者を癒して回っている。
「お前たちはどうなんだ」
「俺もあんまり得意じゃないな。カミュはまぁまぁ、使えるけど」
「打撲を冷やしたりする応用技もありますけどね」
「……ヒーリングか」
 確か相手の小宇宙に同調して、回復力・治癒力を高めるんだったか。俺には早い、どころか、多分、永久に到達できんだろう次元だな。しかも、先代ときたら、同調なしでのヒーリングまでしてのけたという。
 未だに小宇宙の扱いを理解しきっていない俺でさえ、それが非常に難しいことだというのは想像できた。相手の治癒力を当てにせず、こちらの小宇宙だけで治すってことだろう? それこそ、膨大な小宇宙を必要とするはずだ。

 ともかく、今の俺にできるのは事故現場に来る世間一般の医療班のように、傷を消毒し、包帯を巻いたりしてやることくらいだ。
「大丈夫か」
 傷は酷くはないが、巻き込まれて、頭でも打ったか、少し朦朧としている少年──多分、聖闘士候補生だろう。頭を打っているのなら、他の心配もあるが、それは此処ではどうにもならない。レントゲンとかCTRなんて、この時代的な聖域にあるのか?
 しかし、キド総帥がアテナとして戻ってからは、そういう時代的なところは大分、改善されたと聞いた。
 少年の傷に包帯を巻きつけてやる。仕事柄、応急処置の講習も受けているので、そう簡単には解けないぞ。少年はまだ、ボンヤリしている。
「これでよし。──確りしろよ」
 俺は何気なく、その額に手を触れた。殆ど意識はしていなかったのだが、
「あぁ…、気持ちいい」
 ボウッとしていた少年が呟いた。次第に目の焦点も合ってくる。それでも、暫くは不思議そうに俺を見上げていたが、我に返ったかと思うと、身を引いた。
「あっ、獅子座の黄金聖闘士様ですよね。ス、スミマセン」
「いや、別に謝ることは何も」
「いえ、黄金聖闘士様に手当てして貰うなんて、身の程知らずで──申し訳ありません」
「そんなことはいいから、君、頭打っただろう。後でちゃんと診て貰わないと駄目だぞ」
「ハ、ハイ。有難うございます」
 恐縮しきった様子で平伏までする少年に、俺は溜息を零した。極端すぎる。
 俺を聖闘士扱いしないで、蔑むような奴もいるかと思えば、黄金聖闘士の称号だけで、まるで神か何かのように、崇める奴もいる。
「神なら、アテナがいるのにな」
「リアステッド、こっちも頼む」
「おー、今行く」

 それこそ、こういう実技の方が役立つ場合もある。手慣れたもんで、怪我人を裁いていく。最初の少年のように、恐縮する奴もいたが、構ってなどいられない。
「ホイ、終わりっと」
「有難うございます。何だか、アイオリアさんみたいだ」
 その名前に相手の顔を見返す。やはり、候補生だろう少年はアイオリアがいた頃も聖域にいたようだ。
「時々、隠れて手当てして貰いました。怪我だけじゃなくて、調子が悪い時なんかも……。そういうの、気遣ってくれる人って、殆どいなかったから、とても嬉しかったんです」
「あぁ…。そういう奴だったみたいだな」
 多分、自分が苦労したからだろう。体のことなど、自分で気を付けるしかないのに、“逆賊の弟”を表立って、庇う奴がいないどころか、制裁をする奴もいたそうだ。
『俺たちが近付くことすら、あいつは嫌がったからな』
 未だにミロなどは、辛い思いをしていたはずの幼馴染を助けてやれなかったことを悔いているくらいだ。
「リアステッド様の手も、とても気持ちがいいです。アイオリアさんみたいに」
「……様は止せよ。俺もアイオリアと同じで、さん付けくらいでいい」
「ですが……」
「いいから。調子狂うんだよ」
「解かりました。リアステッド…、さん」
 俺は少年の肩をポンと叩くと立ち上がった。
 周囲を見回すと、手当てが必要な奴は殆ど済んだようなのに、息をつく。額の汗を拭い、ふと、手を見直す。
「……気持ちいい、か」
 正しく『手当て』だったのかな?

「ミロ、どうだ」
「あぁ、事故現場の方からもムウたちが全員、救出したって」
 三人で、そちらに向かう。救出作業は終了し、ムウとシャカもヒーリングに加わっている。引き上げた連中は殆どが重傷者だから、一刻も早く、止血しなければならないんだろう。
 その傍らで、他の者が瓦礫の撤去を始めている。大した怪我ではない奴らも加わっているようだが、その中に、俺が最初に手当てした少年が混じっていた。
「馬鹿ッ、あいつ──」
「リアステッド?」
 慌てて、駆けつけ、その腕を取る。少年は俺を見返し、驚きを浮かべた。
「何やってるんだ。ちゃんと、診て貰うまで、動いたりしたら、駄目だろう」
「いえ、でも、大丈夫みたいですし」
「頭の中のことなんて、自分じゃ判らないんだよ。何か起きてからじゃ、遅いんだぞ」
「おい、何やってるんだ」
 監督官らしき男が文句を付けてくる。目つきで判る。こいつは俺のこと、嫌っているな、と。だが、さっきみたいに引き下がるわけにはいかない。
「この子は頭を打ってるんだ。こんな作業をさせるなんて、どうかしているぞ」
「本人が大丈夫だと言っているんだ。余計な口出しはしないで貰いたいな」
「それをちゃんと見てやって、除外してやるのが監督する者の務めだろうがっ」
 俺は無理やり、少年を現場から引き離したが、面白くなかったらしい男が追ってくる。
「勝手なことをするな!」
「いい加減にしろ。根性だけで、どうにかなることか」
「リアステッド! 揉めてる場合じゃないぞ」
 異変を察したらしいミロの叫びに我に返る。額を軽く押さえ、小さく頭を振った少年がいきなり崩れ落ちたのだ。

「おい! どうした」
 何とか、倒れないように支え、そっとその場に横たえる。その間に、アイオロスとムウ、シャカ……、他に居合わせた黄金聖闘士も集まってきた。
「リア、何があった」
「さっきの事故で、頭を打ってたんだよ。後でちゃんと診て貰えって言ってたのに」
「頭か……フム、出血しているな」
 即座に透視したらしいシャカの言葉に蒼くなる。監督官もオロオロするばかりだ。
「脳内出血か? マズいな。すぐに医療部に運ぼう」
 キド総帥──アテナの命で、時代的な聖域も近接区域だが、医療設備も整えつつあると、俺は今初めて知った。ホッとしかけたが、
「いや、下手に動かすのはマズいぞ」
 シャカが閉ざした瞳の上で、眉を顰め、俺たちを制した。ムウも同調する。
「そうですね。これは動脈瘤を起こしているようです」
「それなら、ムウ。テレポートさせて……」
「無茶を言わないで下さい。テレポーテーションは平常でも体に負担をかけるのですよ。負傷の度合いにもよりますが、この状態では危険は冒せません。その衝撃で破裂でもしたら、一巻の終わりです」
「そんな──! それじゃ、どうすればいいんだ」
「……シオンなら、何とかできるかもしれません」
 教皇シオンはムウの師で、更に優れたESP能力を誇るという。
「今、連絡した。直ぐに此方に来られる」
 即座にテレパシーを送ったらしいアイオロスが「もう少しだ」と慰め顔で言う。
 しかし、たとえ『抜け道』を使うにしても、アテナ神殿直下の教皇宮から、此処まで、どれ程かかるのか? 数分のことだとしても、一分一秒の遅れが、それこそ命取りになりかねない。
 畜生! 最強の聖闘士と呼ばれ、究極の小宇宙を身に宿すような人間離れした奴が何人もいても、何もできないのか? その最たるが自分なのだと思うと、無力さの余りに腸が煮えくり返る。
 ……そうじゃないな。決して、無力ではないはずなのに、聖闘士としては戦わない、結界の修復しかしないと、修練も気分任せなところがあった。勿論、全くやる気がないわけではないにしても、十分ではなかった。そのツケを今、こんな形で払わされるなんて!
 しかも、支払うのは俺ではない──腕の中の少年の呼吸が弱く、浅くなっていくような気がする。
「おい、しっかりしろ。もう少しの辛抱だから──」
 だが、反応がない。マズい。意識をなくさないように、声をかけ続けてやれというが、本当に反応が……。どうにもならないのか。どうにかできないのか!!

「──リアッ!! よせっ」
 アイオロスの焦り声も遠い。何をやめろって? 駄目だ。やめたら──間に合わなくなる。教皇を、待ってはいられない。
 初めて、小宇宙を識った瞬間のことを思い出す。身の内で沸き立ち、湧き上がる力──あの時、正体も分からず、恐ろしくて仕方なかったもの。
 今も扱いきれてはいないが、それでも、人を救い得る可能性を有した力……。それは確実に、俺の中にある。
「リア!!」
 悲鳴に近いアイオロスの制止を振り切り、俺は手を少年の額に翳していた。この手を『気持ちいい』と言ってくれた。
 なら、この手で、せめて、何かを!

 その時、力が…、獅子座の小宇宙が一帯を席巻した。



 もーのスゴく、居心地が悪い。理由は一つ、安堵と笑顔の見舞い客の中で、唯一人、無茶苦茶機嫌が悪い誰かさんのせいだ。
「でも、良かったなー。大したことなくて」
「心配しましたよ。中々、目を覚まさなかったので」
「ハハ、悪かったな」
 髪を掻き回しながら、ミロとカミュに応じる。ムウと引っ張り出されてきたのか、珍しく一緒のシャカも軽く頷く。
 穏やかな雰囲気──此処は聖域隣接地に新設された超最新医療設備を有する病院だ。全く極端から極端だよなー。
 だが、穏やかさは一蹴される。
「本当に悪いと思ってるのか」
「アイオロス…。いや、その…、思ってるよ?」
「…………」
 無言で睥睨するなよ。怖いから。
「でも、凄かったなー。リアステッドのヒーリング」
 背筋がゾワゾワする。空気読めよー、と言いたくなるが、黄金聖闘士の末弟は何だかとっても嬉しそうだ。

 あの時、俺は倒れた少年をヒーリングした……らしい。らしいという辺りが相変わらず、情けないが、良く憶えていなかったりする。大体、どうにかしたいと心底から願ってはいたが、ヒーリングなんて、その方法も知らないはずだった。
 っても、その辺悩んでも仕方がない。それより、
「……まぁ、あの子が無事なら、それで良いんだけど」
「良くないっ! リア、本ットに解かってんのかっ。結果オーライに走りすぎだ!」
「ハ、ハイ。解かってます。反省してます;;;」
 アイオロスの剣幕に、反論なんかできるわけがない。
 要するに、勢いでヒーリングには成功したものの、こっちが倒れる羽目になったと;;;
「同調もしないで、ヒーリングだなんて、小宇宙が安定しなかったら、傷を引き受けていたかもしれないんだぞ。こ・こ・に!」
 頭をグリグリすなっ。でも、そうなっていたら、確かにヤバかった。幾ら黄金聖闘士でも、脳まで鍛えられるわけじゃない。況してや、俺じゃな。
「わ、解かった。わーったから! アイオロス。クドいよ」
 ピクッとアイオロスの眉が震え、口元が引きつる。あ、マズい。
「なーにがクドいだ。本当に、本ットーに、解かってんのか、手前ェはっっ!!」
「悪いっ。済まん。つい、口が滑った。いや、そーじゃなくて、心の底から反省してますTT」
 口が悪すぎるっ。アイオロスがここまで怒るのは珍しい。
「まぁ、いいじゃないか、アイオロス。これから気を付ければ。リアステッドだって、やろうと思って、やったわけじゃないんだしさ。でも、あの子だけじゃなくて、周囲にいた怪我人の殆どを治しちまったのは驚きだったよなぁ」
「シオンでさえ、唸っていましたからね」
 またしても小宇宙をコントロールできずに、あの少年だけでなく、周りの人間にもヒーリングの効果を及ぼしたらしい。
 直後に駆けつけた教皇シオンに、力の使いすぎで倒れた俺は、逆にヒーリングを施され た上に、この病院に担ぎ込まれたわけだ。

「とにかく、潜在能力の高さは実証したわけなのだし、今は小宇宙を使いこなせるようになる方が先決ではないですか? それに伴い、ヒーリングもできるようになると思うが」
 カミュの言葉にアイオロスが我が意を得たりとばかりに大きく頷く。
 しかし、今回のことでは俺も思うところは多々あった。納得しようとしまいと、この小宇宙《ちから》は俺が持つものだ。
「大体、あの程度で、卒倒するとは情けない話ではないか」
 いや、シャカ。情けないのは解かっちゃいるが、もう少し採点を甘くしてくれてもいいだろうに。……ん、待てよ。そーいや、今まで気にもしなかったけど、
「俺って、どのくらい眠ってたんだ?」
「あ、丸々二日くらい」
 何?
「二日!? そ、それじゃ、もう帰国してるはずじゃ──」
 慌てふためく俺にミロが「仕方ないじゃん」と、何て、あっけらかんと。
「だとしても、職場に連絡入れないと」
 ベッドから飛び下りようとしたら、アイオロスに止められた。
「それなら、もう入れておいたよ」
 しかも、いきなり笑顔全開に。さっきまで、あんなに怒ってたのに──ウソ臭いくらいに爽やかな笑顔。何か、嫌な予感が……。
「連絡って、誰に?」
「そりゃ、キャット捜査官に決まっているだろう。君の相棒の」
 アチャ〜、予感大的中★
「何か、言われなかった…。いや、そうじゃなくて、何て言ったんだ」
「事態を過不足なく説明しただけだ。要するに、一寸入院することになりましたが、心配は要りませんので、その旨ヨロシクと」
「そんなアバウトな!」
 俺の悲鳴を奇麗に無視してくれる。
「安心しろ。キャット捜査官が有休の延長申請をしてくれるそうだ。ゆっくり養生しろとの言伝もあったぞ」
「ゆっくりって……、何、企んでるんだよ」
「人聞きの悪い。しかし、いい機会だ。暫く聖域に留まり、みっちり小宇宙制御の訓練をしよう。キャット捜査官も有休は取れるだけ取っておいてくれると言っていたぞ」
「馬鹿言うな! 幾ら何でも、そんな一気に使えるかっ」
 つか、そんなことしたら、仕事辞める気かとか、あらぬ誤解を受けそうだ。

 唸る俺に、シャカが不思議そうに尋ねる。
「ユウキュウとは、そんなに大事なのかね」
「当たり前だろう」
「その割には杜撰な使い方ではないか? 聖衣を使えば、取っておいたまま、聖域に来られるだろうに」
「ぐっ」
「小宇宙といい、ユウキュウとやらといい、君は無駄遣いが好きなのだな」
 病室が爆笑に包まれる。選りにも選って、こんな浮世離れしている奴に指摘されるとは!? 今のダメージの方がよっぽど大きいわ。


★        ☆        ★        ☆        ★


 コンコン… 笑いが収まった頃、ノックと殆ど同時にドアが開く。
「邪魔するよ」
「──誰かと思ったら、魔鈴じゃないか」
 ミロの声に、顔を上げると、やたらと濃いグラサンをかけた中々の美女がいた。え、魔鈴て、星矢の師匠だよな。随分、イメージ違うなぁ。一応、聖域の外だから、仮面の代用ということか。
 しかし、彼女と話をするのは久々だ。
「案外、元気そうだね。獅子座のリアステッド」
「……お陰様で。で、どうかしたか」
「あんたに礼を言いたいって奴を連れてきたんだ。ホラ、入りな。黄金聖闘士が揃ってるからって、怖気付くことないよ。今は聖衣もつけてないし、何処にでもいる陽気なお兄さん方だ」
 陽気? 半分はあってないだろうと、苦笑を交わす俺たちの前に現れたのは──、
「君か。大丈夫なのか」
「ハイ。入院の必要もないくらいで……。あの、リアステッド様が助けて下さったって聞きました。有難うございます」
 深々と頭を下げたのは、俺が直接、ヒーリングをした当の少年だ。
「い、いや。大事にならなくて、本当に良かったよ」
 チロッと、アイオロスの反応を見遣りつつ、少年には笑顔で応じる。何も気付かない少年は安堵したが、隣の美女が何やら察したようで、首を傾げたが、黙っていてくれた。
「リアステッド様のお具合は……」
「待った! そのリアステッド様は止めてくれ」
「ですが」
「同じような問答は飽きたよ。他の連中にも言っておけ。様付けは勘弁。せめて、さん付けにしてくれってな」
「ハ……イ」
 隣の美女が今度はクスッと笑った。反応を見せたことに、俺も気を引かれる。
「何か可笑しいか?」
「いや…。顔だけじゃなくて、中身も案外、似てるんだなと思って」
 誰に、なんて聞かずとも解かった。
「あんたもやっぱり、レオなんだね」
 納得していいのかどうか、俺には良く判らなかったが──居合わせた連中の反応は同意を示していた。


「それじゃ、お大事に」
「失礼します。リアステッドさ…ん」
 アイオロスたちにもペコリとお辞儀をすると、少年は出て行った。
 付き添いの美女は一度、此方を振り向くと、意外なことを言った。
「今度、聖域に来たら、手合わせしてみないかい」
「手合わせ? いや、俺はそういうのは──」
「FBI捜査官なら、荒事と無縁てわけじゃないだろう。柔道や空手くらいはやってるんじゃないのかい」
「そりゃまぁ、一応は……」
「だったら、いいじゃないか。戦いに出ないと言ったって、あんたは聖闘士、それも最強の黄金聖闘士なんだからね。巨大な黄金の小宇宙を体現するのに、手合わせは何かの切っ掛けになるかもしれないよ」
「確かに、そうだな」
「そういや、ガキの頃、訳も解からず、倒れるまで走らされたりしたっけ」
 体を動かすと、小宇宙の流れ?が変わるものらしい。東洋の“気”の流れに通ずるのか?
「じゃあ、予約しとくよ。フフッ、この私が獅子座の黄金聖闘士に稽古を付けてやれるなんてね。あぁ、愉快愉快」
 人の返事も聞かずに勝手に決めると、高笑いしながら、出て行ったぞ。何だ、あの捨て台詞は?
「なぁ、彼女とアイオリアって、何かあったのか? 俺、代わりに恨みでも買ってる??」
 ……誰も答えてくれなかった;;;;



 翌日、アイオロスに頼み込んで、退院の許可を貰うと、即行で帰国。その足で、支局へと直行した。
「おや、随分とお早いお帰りで。仲良しの誰かさんと、バラ色の同居生活を遂に始めるのかと思っ──」
「面白くねェーよっっっ」
 有ること無いこと、絶対言い触らしてるぞ、こいつっ!!


 相棒の悪乗り発言はともかく、今後も聖域との縁は切れることはない。
 ……シャカの指摘に乗るわけじゃないが、これから聖域に向かう時は獅子座の黄金聖衣を喚ぶことにした。
 本音を言えば、生身の人間が大西洋間を渡れるなんて異常だ、なんて言い訳にもなっていない。要するに、俺は怖かったんだ。俺を唯一の主だと定めたという獅子座の黄金聖衣……。だが、本当にそうなのかと疑念があった。自信がなかった。
 主なら、御することができるはずの聖衣。なのに、あの獅子座は中々、言うことを聞かず、勝手に飛んできたり、帰ろうとしなかったり……。
 実は主とも名ばかりの俺が、聖衣を纏ったまま、小宇宙の暴走を起こせば、一体どうなるのか? 俺は、それが怖かった。だから、できる限り、遠ざけようとした。
 運命とやらに、未だ真向かえずにいたんだ。
 そんなことを言っても、運命が変わるわけじゃないのにな。
 でも、手の中をすり抜けていきそうになった命を思えば、拒絶するほどのことでもないのだと気付いた。
 為し得る力を秘めていると言うのなら──必ず、手にする。『この手』で、為し得ることを、深き谷の底からでも拾い上げる。その程度のことだ。



 と、とりあえず、レイ・マリスさんへの10000キリリク作品をお届けします。いやぁ、手間取りました。ニュー・パソの扱い難やら、猛暑やら、夏コミゲスト作原稿やら、色々重なりましたが。その割にはかなり長い話に☆
 『星の影から』のその後、ローの修行話。ローとロスの修行風景を見て、他の黄金メンバーがほろりとなる話、とのキリ内容でしたが、『ほろり』が難しいのなんの。ギリギリ?掠ったかな、とは思うんですが、さて。まず、一人称で、第三者の内心表現が非常に難しいことを再確認★
 例によって、タイトル決めにも苦労しました。『星影』外伝みたいなモンだから、『星』絡みにしようかと頭を捻っても何も出てこないTT で、最後は半ば、意味不明なモンに。でも、最後まで読まれれば、多少は意味を持つかと^^; つまり『獅子は我が子を千仞の谷に突き落とす』からで、突き落とされるのがローなんですが、ただでは落ちないよ、という根性?

2008.08.13..

トップ 小宇宙な部屋