春の海で


「さすがに、まだ冷えるな」
「そりゃ、春といっても、海はね」
 三月半ば、アイオリアと魔鈴は春の海を眺めやる。穏やかで、もう冬の色は遠くなったが、鍛えられた聖闘士とはいえ、さすがに三月では入って、泳ぐには早い。
 海を渡ってくる風も心地良くはあるが、長居するにはまだ冷たい。
 美しい白浜の向こうに見えている家──城戸家に縁《ゆかり》のある人を沙織が訪ね、二人はその護衛だった。女神《アテナ》としてではなく、城戸沙織としての来訪なので、面会の席を外した二人は時間潰しに、眼前の白浜に下りたのだ。
 プライベート・ビーチだろうか。海遊びには早い季節とはいえ、人っ子一人いない。この光景を独占できるとはある意味、贅沢な時間といえた。
 しかし、散策で時間を潰すにしても、そう離れるわけにはいかない。適当な距離で、腰を下ろした。
 暫くは黙ったまま、海を眺めていた。日本の海はやはり、エーゲ海とは全く違う色をしている。
 ボソリと呟くと、魔鈴が笑う。日本の海といっても、太平洋と日本海ではまた違うと。
「北と南とでも、全くの別物だしね」
「そうだろうな」
 南北に長い日本、同じ国でもこうも気象が違い、風景も異なる。それもまた、一つの神秘か。

 そこでまた、会話が途切れる。聖域で、例えば、候補生の訓練指導のためなら、幾らでも議論を交わせるというのに、こんな時には全く気の利いた会話など、思い至らない。
 それが自分だと解っていても、苦笑したくなる。魔鈴もよく黙って、付き合ってくれているものだ。一人で、何処かに行った方が楽しめるのではないか?
 つらつらと考えていたが、不意に魔鈴が立ち上がった。さすがに飽きて、何処かに──だが、波打ち際に走っていく。
「どうした?」
 屈んでいた魔鈴が何かを拾い上げ、振った。
「空き瓶だよ。やだね。こんなモンを捨てる奴ってさ。手紙でも入ってれば、まだ可愛げがあるけど──こんなことばっか、してると、まーた海皇《ポセイドン》が怒るよ」
 洒落にも冗談にもならないことだが、確かに海を汚すのは戴けないとアイオリアも思う。
 見回すと、真白な白浜にも転々と染みのように浮かぶ影が其処彼処に打ち上げられたゴミだろう。
「──拾うか」
「そうだね。どうせ、暇だし」
 年若い男女が海を眺めて、ゴミ拾い。色気の欠片もない展開だが、二人は何だか楽しかった。

 数時間後、白浜のみならず、近くの浜辺でもゴミ拾いをする集団が見られた。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 二人の護衛がいつまで経っても、戻らないのを心配し、様子を見に来た沙織も呆気に取られた様子だった。
「二人とも…、これは一体」
「あ、沙織さん」
「総帥! 申し訳ありません。すぐに戻ります」
 アイオリアは恐縮するが、総帥にして、聖域の女神は首を振ってくれた。
「いえ。それはいいのですけど、これは……」
 かなり遠くの浜でも、人々が動いているのが見える。
「時間潰しに始めたのですが、手伝ってくれる人が来て、いつの間にか、このように」
「でも、奇麗になりましたよ、沙織さん。これで、ポセイドンの機嫌も少しは取れるんじゃないかと」
「まぁ、魔鈴たら」
 口では冗談めかしているが、それだけではないだろう。
「そうね。いつもは寝惚け気味の伯父様ですけど。本当に怒らせると、厄介ですものね」

 グラード財団で、砂浜のゴミ拾いキャンペーンが張られることになるのは後日のことだ。



 夕刻、再び、人気のなくなった白浜をもう一度、二人は訪れた。
 砂に埋もれていたゴミは片付いたが、日が経てば、また漂着するだろう。
 だが、今は──アイオリアは白い砂を掬い取り、サラサラと風に流す。掌に残ったのは欠けた白い貝殻だった。
 戦うだけの武骨な手には似つかわしくないとは思ったが、それよりも過《よぎ》っていった別の思い出が……。
 綺麗な、ピンク色の貝殻。
「……昔、くれたよな。貝殻を」
「え? あぁ…。覚えてるのかい」
「当たり前だろう。忘れないさ。……あの頃の俺に、何かくれるような物好きは他にいなかったからな。ま、ミロやカミュは食い物やら薬やら、よく持ってきてくれたけど」
 そういう日々に必要な、切羽詰ったものではない。しかし、何よりも人には必要かもしれない心が寄り添ったもの。
「小さくて、少し力を入れたら、簡単に砕けてしまいそうで……、でも、綺麗だった。陽の光に当てたら、キラキラと輝いて……」
 まるで、失われた兄の小宇宙や射手座の黄金聖衣を連想させたりもしたのだ。
「確か、サクラガイだったか」
「さぁ、本当に桜貝だったかは分からないよ。ピンク色なら、桜貝だと、あの頃の私が思っていただけだからね」
 魔鈴も砂を掬い上げる。砂を払った中に残るのはやはり、白い貝殻だ。
「あれは、前に海に行った時に、弟が拾って、くれたんだよ。海では良い状態の桜貝は中々見つからないんだよ。繊細で脆いから……」
「本当はどうかなんて、どうでもいい。俺にとっては宝物だったよ。でも、弟からの贈り物を俺なんかにやって、良かったのか」
 そこまでは知らなかったから、どうしても気にかかる。魔鈴の弟は未だに行方不明だ。グラード財団も協力してくれているが見つかっていない。
 だが、魔鈴は軽快に笑った。サングラス越しの瞳が夕焼けの中、真直ぐに向けられる。
「あんただから、やりたかったんだよ。何にせよ、十年以上も前のことだよ。今更じゃないか。大体、あんただって、もうどっかに失くしちまったんだろう」
 その決め付けにはさすがにムッとした。
「何を言う。今も持っているぞ。獅子宮に置いてある」
「え? またあるの??」
 珍しく、魔鈴が本気で驚いたような声を上げる。
「宝物だって、言ったろ。あれだけは絶対に取られないように気を付けていたんだ」
 当時、アイオリアの住まいはよく家捜しをされた。聖域への叛逆の意図はないかを調べるなどの適当な名目で、大抵は憂さ晴らしだった。
「レオを返されてからは獅子宮に、レオに預けておいたんだ。獅子宮ですら、時には部屋を荒らされたが、さすがにレオにまでは誰も手を出さなかったからな」
「そんなことまでして……」
「もう昔の話さ。ま、そんなわけだから、今も獅子宮にあるぞ。何なら、返そうか」
 獅子宮に置いてからは頻繁に眺めることはなかったが、月に一度の結界強化の時や、獅子座の黄金聖衣を纏っての出撃の際、月の光に陽の光に浮かぶ仄かな煌きに、アイオリアは慰められ、勇気付けられたのだ。
 今はもう、大丈夫。思い出だけでなく、自分を支えるものは他にもある。だから、魔鈴に返しても──……。

 だが、魔鈴は事の他、心外そうに反応した。
「馬鹿言わないでよ。一度、やったものを」
「だが、弟からの贈り物では大切な思い出の品だろう。わざわざ、聖域にまで持ってきていたくらいの」
「それはたまたまだよ。それに思い出は思い出として、此処にあるから、いいんだよ。あんただって、そうだったろう」
 軽く拳で打たれた胸は、少しばかり古傷が痛んだが、全くその通りだった。
 ふと、掌の貝殻を見る。欠けてはいるが、夕陽を受けて、朱に染まり、輝いている。
 アイオリアは一つ思いつき、波打ち際に向かった。
「何、またゴミ?」
 それは一寸、外しすぎだろう、と内心で笑いながら、まだ冷たい寄せては返す波に浚われる砂を掬い上げた。
「あぁ、これなんか」
「何、どうしたのさ?」
「ホラ、結構、綺麗だぞ」
 魔鈴の掌にチョコンと乗せられたのは──小さな小さな紫色の巻貝だった。透明感があり、確かに美しい。
「あ、これも良いかな」
「ちょ、ちょっと、アイオリア?」
「サクラガイとまではいかないが、探せば、綺麗な貝殻も沢山あるさ」
「…………あんたが、そういう台詞を。明日は嵐?」
 似合わない真似だとは百も承知だ。しかし、その昔、二つとない大事な美しい贈り物をしてくれた礼としてでも、細やかなお返しだと思う。それでも、返したいと思う心が、此処にはある……。
 いつしか、魔鈴も一緒に貝拾いを始める。

 既に夕陽は水平線に架かり、気の早い星も瞬き始めていた。



 12345キリリク作品をお届けします。ツクルさん、本当にお待たせしました!! その割りには短編で、申し訳ないですけど^^;;; 今の輝にはこれが精一杯。あぁ、春先は目が……TT
 因みにリク内容は『魔鈴からアイオリアへささやかな贈物』というものでした。『物である必要はなく、時期は自由に』とはいうものの、中々ネタが纏まらなくて、時間がかかってしまいました。結構、色々と考えたんですがね。ツクルさんトコにお嫁に出した話の兄弟話とか?
 ところで、『サクラガイ』とは狭義では『ニッコウガイ科の二枚貝の一種』で、広義では『その近縁種を含むピンク色の二枚貝の総称』だそうです。『お守り』にされたり、アクセサリーやマスコットなどのお土産品にされたり、貝殻拾い遊びで狙われたりしますが、繊細で壊れやすいから、二枚貝が揃っていて、完全なものは中々、見つからないんですよね。
 他、『恋愛に効力が発揮されるという言い伝え』もあるそうです。これは書いてから、見つけた情報なので、ちょっと、驚きです。沙織さん、大ピンチ!?
 そういえば、18日は魔鈴さんの誕生日☆ ちょい遅れましたが、おめでとう♪

2009.03.20.

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