一等星


面と向かって、言ったことはないけど……
あれは忘れられない出会いって奴だよな

「ちっくしょー、出しやがれーっ! この馬鹿野郎ーーっっ!!」
 知り得る限りの悪態をついたが、反応は全くなかった。
「くっそー、あいつら。覚えてろよっ」
 いい加減、叫んでも誰も来るわけがない。気にも留めていないのだ。聖域の東洋人嫌いは、よく理解らないが、とにかく相当なものだ。
 しかし、現に聖域に来てからというもの、星矢は目の敵にされ続けている。
 確かに西洋人に比べれば、小柄で身体的には劣っている面はあるが、素早さなど、優れた面も持つ。なのに、徒党を組んで、嫌がらせのし放題だ。
「アテナの聖闘士が何だってんだ。そんな大したもんかよ。あんな低レベルの連中が有難がってる程度のもんだろ。どうせ」
 憎まれ口を叩いてみても、どこか弱い。それにしても、誰も聞いていないとはいえ、聞きようによっては不敬極まりないことだ。
「…………ハラ、減ったなぁ」
 どのくらい、閉じ込められているのか──腹の虫が鳴るくらいには経っているわけだが、時計のような文明の利器も忘れられているような世界が、この聖域だ。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 ある日、突然、取り巻く世界が変わる──そんなことが本当に起きるなんて、思ってもいなかった。
「戦女神《アテナ》の聖闘士になれ」
 こんな理由《わけ》の理解《わか》らんことを言い出したのは大財閥のお嬢様だった。
 状況を理解できるわけもなかったのは彼らが総じて、幼い──幼すぎる少年たちだったからだ。いや、少年と呼ぶことさえ、躊躇われるような年少の者も随分といた。
 星矢は、時に六歳だった。
 親は亡くしていたが、姉や同じような境遇の子供たちとの施設暮らしが、ずっと続くと思っていた。勿論、巣立っていった『兄姉』たちのように自分もいつかは施設を出て行く日が来ることを幼いながらにも、漠然と考えないでもなかったが、それは十年は先のことであり、六歳の子供には途轍もなく長い未来のはずだった。
 なのに、殆ど強迫同様に、居心地のいい世界から引きずり出され、理解不能な世界に容赦なく叩き込まれるなど、全く想像できるわけがなかったのだ。
 少年たちが『アテナの聖闘士になれ』との一言で定められた運命。そのまま、世界各地の修行地に放り込まれた。星矢の修行地はアテナの“お膝元”だとかいう聖域だった。
 とはいえ、日本の一孤児院で育った星矢はアテナやら、お膝元やらもサッパリだ。アテナがギリシャ神話の戦女神であり、聖域がアテネ近くに秘された場所であること、嘗て、アテナに捧げられたが故にお膝元と呼ばれることを星矢が知るのさえ、随分と後になってからのことだった。

 大体、大した説明もなく、『聖闘士になれ』の一言だけで済まそうとは無茶な話なのだが、勿論、聖域に入ってからも碌な説明などあるはずもなく、基礎訓練と称されたシゴキにあった。
 それでも、何とか耐え抜いて、師匠につくことは許された。
「魔鈴さん、怒ってるかなぁ」
 師匠は若くて、しかも、女だったが、歴とした聖闘士だ。そして、厳しい……。
 戻らない弟子を少しは心配して……くれないだろうなぁTT と溜息をつく。どんな理由があろうと、時間に遅れれば、食事はお預けの上、更なる鍛錬を課せられることは間違いない。況してや、他の候補生たちにシメられたなどと知れたら──!?
「……うぅ。想像するだけでも怖い」
 仮面の下で、どんな顔をしているのか。チラと考えただけでも、震えが来る。
「ちぇっ。何だって、俺がこんな目に──」
 それもこれも、我が儘なお嬢様の思いつきのせいだ。
 何はともあれ、座して待つというわけにもいかない。せめて、出る努力は重ねなければ──何もしなかったと判ったら、魔鈴に見捨てられかねない。今、この聖域で、面倒を見てくれるのは結局、魔鈴だけなのだから。

 大体、此処は何なのか。倉庫か何かか。唯一の出入口は頭の遥か上にあるだけだ。小柄な星矢では背伸びをしたところで、届くわけがない。聖闘士なら、簡単に飛びつけるだろうが、まだ鍛錬を始めたばかりの星矢には無理な芸当だ。
 壁を登ろうにも取っ掛かりもなく、仮に登れたとしても入口は天井の真ん中にあるので、天井に張り付いて、歩くことでもできなければ、届かない。
「ハァ…。俺、このまま此処で干乾びちまうのかな」
 あいつらのことだから、本気で閉じ込めたことすら、忘れていそうだ。笑い者にしているのなら、ともかく、すっかり忘れて、飯でも食っているかと思うと──さすがにムカつく。
 だが、それだけだ。憎まれ口を叩こうと、自力で此処から出られないことに変わりはない。
「チクショウ。何が聖闘士だ」
 聖闘士ならば、こんな穴倉から出るなんて、容易いだろう。いや、そもそも、あんな奴らに、いいように遊ばれることも閉じ込められることもないはずだった。

 聖闘士なんて──そう思っても、聖衣を得られなければ、日本にも帰れないし、何より姉のことも心配だ。いや……姉こそ、多分、死ぬほど星矢を心配しているに違いない。
 だから、必ず日本に帰る。姉のところへ──聖闘士のことなど、正直、どうでもいいが、必要ならば、絶対に聖衣を手に入れてやる。そのためには、この程度で挫けてなどいられない。
 とはいえ、出る方法も力も足りない。なら──、
 思考はループするよりなかった。グルグルと薄闇の中で、同じことを考えていた。
 連中に憤り、一頻り文句を言い、落ち込み、決意し……そんなことを繰り返していた。
 また、どれほど経ったか。疾うに日も落ちているだろう。扉の隙間から漏れていた光はすっかり見えなくなっている。真暗で扉の位置すら、定かではない。見上げたところで、目を凝らしても何も見えず、ただただ闇が深まるばかりだ。
 いつしか、膝を抱えて、俯いているだけになった。下手に騒いでも、体力を消耗する上に、気分も滅入るだけだ。
 幼いなりに考えて、ともかく、朝になるのを待つことにした。尤も、だからといって、その後の計画があるわけではなかったが。

「星矢、お前はまだ弱い。どんなに腹を立てることがあっても、一矢報いることさえできない。無力なガキだってことを忘れるんじゃないよ」
「でもね。ガキでもそれを自分で知っていれば、戦いようはあるものだよ」
「突き進むのも結構。壁にぶち当たったって、ガキの力じゃ、死にゃあしないよ」
「でも、一つだけ、絶対にしちゃいけないよ。それは諦めるってことだ。諦めて、後ろ向きになるんじゃない」
「道はね。前に開いているもんだからね」
「ただ、勘違いしちゃいけない。道を逸れて、遠回りするのと、後ろ向きになるのとは違うってことだ」

 闇の中に白銀《しろがね》の仮面が浮かんで見える。そして、一つ、また一つと、魔鈴の言葉も甦る。
 正直、何を言っているのか、よく解らなかった。幼い星矢には説教じみた言葉は届きにくかったのだ。だが、聞き流していたはずの言葉がはっきりと耳の奥底で、響いてくるのだから、不思議だ。
「魔鈴さん。俺…、もっと強くなりたい」
 あんな奴らには構っていられない。振り切れるだけの心の毅さ──腕っ節は勿論だけど、何より、何事にも煩わされないだけの毅き心を欲しいと!
 星矢は心底、願ったものだ。
 その時、ギシッと頭上から、軋む音が降ってきた。ハッと我に返った星矢は顔を上げる。軋みは次第に大きくなり、ガタンと一際大きな音が穴蔵に反響した。誰かが扉を開けたのだ。
 こんな時間にあいつらが戻ってくるとは、とても思えない。
 扉は開いても射し込む光もなく、切り取られた夜空に星が瞬いているだけだ。
「──だ、誰だよ。魔鈴さん?」
 もしかしたら、師匠が戻らない弟子を案じて、探しに来てくれたのか? 僅かに期待しつつ、星矢は立ち上がる。それでも、開いた扉までは高い。
 目が慣れたか、穴蔵の暗さと夜空が切り取られた闇の色は違うのだと、判別できるようになった。すると、ポンと何かが落ちてきて、頭に当たった。
「イテッ。何だよ、これ」
「済まん、星矢。当たったか」
 それは聞き覚えのある声だった。



「よっと」
「うわ」
「大丈夫か、星矢」
「う、うん。ありがと。アイオリアさん」
 星矢は放り込まれた際、頭に直撃したロープで、引っ張り上げてくれた恩人を見上げた。
 月もない夜でも、微かな光を集めて、煌めく綺麗な金髪の外人さん──日本人の星矢が『外人さん』でイメージする、そのままの姿のお兄さん──それがアイオリアだった。
 師匠の魔鈴と親しくしている希有な人物だった。というのも、魔鈴と星矢──師弟揃って日本人という取り合わせは聖域では珍しく、そして、嫌われていた。西洋人至上主義が蔓延《はびこ》る聖域では東洋人というだけで、忌避されるのが現状だっだ。
 ところが、見た目完璧な西洋人のアイオリアが魔鈴と星矢に親しく応じてくれるのが星矢には不思議だった。
 とにかく、アイオリアのお陰で、星矢は閉じ込められた穴蔵から脱出できた。辺りを見回すと、灯りが全くない。近くに掘っ立て小屋があるが、やはり灯りも人気もない。一番、近い灯りは鬱蒼と広がる森の向こうにチラチラしている。かなり遠い。

「何だよ、ここ」
「懲罰房みたいなもんだ。普段は使っていないがな。そこの小屋も常駐はしていないのに、お前がいたから、驚いたぞ」
 などと言いつつも、そんなに驚いているようには見えないよな……、とか考えたが、切実な腹の虫が派手に空きっ腹を訴えたのに、アイオリアを苦笑させた。楽しみは食べるだけ──な星矢ですら、顔が赤くなった。
「大丈夫なの」
「心配するな。こんな時間に、誰もこんな所には寄りつかんさ。
 掘っ立て小屋で、慣れた手つきで火を起こすアイオリアが何故、『こんな所』を通りかかったのかは気になるところだが、いよいよ、腹の虫が息も絶え絶えになりつつある。星矢の思考も視線もアイオリアが開いた包みに向けられた。堅そうなパンだったが、腹を空かせた星矢はゴクリと唾を呑み込んだ。
「ほら」
 差し出された半分に割られた一方を凝視め、アイオリアの顔と見比べてしまう。
「い、いいの?」
「勿論だ。何も食ってないんだろう。遠慮するな」
「ありがとう、アイオリアさん!」
 がっつく星矢は途中、喉を詰まらせかけた。
「おいおい。慌てるな。ほら、水も飲め」
 こんな所で、窒息死なんてのは洒落にも笑い話にもならない。
 一口、水筒の水を飲んだ星矢はゆっくりとパンを噛みしめ、呑み込んだ。
 それにしても、堅いパンだ。分けてもらって、文句を言いたいわけじゃない。
 ただ、聖闘士の魔鈴が相応の尊敬を以て、接しているアイオリアもやっぱり聖闘士のばすだ。なのに、こんな物を食べているなんて、どうにも解らない。
 変なことは他にもある。何より、アイオリアの聖衣姿を見たことがないのだ。アイオリア本人や魔鈴に尋いてもはぐらかされるだけだ。
 他の連中は論外で、やたらとアイオリアに厳しい。だから、殆ど独りでいることの多く、たまに囲まれているかと思えば、大抵は難癖をつけられている。
 そんな時、決まって、吐き捨てられる科白があった。

『逆賊の弟が……!』

 「逆賊」って、何だろううか? 気にはなったが、そう言われた時のアイオリアが、表面的には何も気にしていなような顔をしているのに、拳を強く握り締めているのを見てしまったことがあった。だから、これは聞いてはいけないのだと、幼いなりに星矢も察することができた。
 ただ、事情については魔鈴は知っているだろうに、自分には教えてもらえないのかと──それが淋しくもあり、悔しくもあり──けれど、自分が幼すぎて、無力に等しいからだと知る程度の分別もあった。いや、持てるようになった。
 現に今だって、アイオリアに助けられ、空きっ腹まで、半分でも満たしてもらっている分際だ。堅いパンでも、星矢だけの力では得ることのできない物なのだ。
「どうした、星矢」
「え…」
 気が付けば、食べかけのパンをジーッと見つめていた。
「もう腹一杯か」
 そんなわけないよな、と笑われて、ちょっとだけムカっ腹を立てた星矢は残りを平らげにかかった。
 確かに満腹には程遠いかもしれない。でも、何だか力が湧いてくるような感覚があった。ほっこりと胸が温かくなるような…。
 厳しいだけの聖域《この世界》で、温かさを分け与えてくれる数少ない相手《ひと》だった。 星矢よりも余程、過酷な環境にあるに違いないアイオリアだが、どんな逆風にも負けることなく、胸を張り、立ち続けている。
 並んでいるわけじゃない。聖闘士の卵ですらない星矢には遠く高いところにいるはずの、まるで、夜空に一際、明るく輝く一等星のような存在だけど──それでも、できるだけ近くにいきたいと、そんなことも考えたりした。

 今はまだまだかもしれないけど、きっと、いつかは──…。


☆        ★        ☆        ★        ☆


「やったぁ、森を抜けたー」
 それも勿論、アイオリアの案内があったればこそだった。
「魔鈴さん、怒ってるだろうなぁ」
 どんなシゴキが待っているのか──考えただけでも怖いというか、憂鬱というか。
「何なら、一緒に行こうか。俺から、魔鈴に」
 一瞬、魅力的な申し出に心が動いた。しかし、星矢は首を振った。
「大丈夫だよ、アイオリアさん。俺、独りでも。つーかさ、お師匠様にビクビクしていたら、どうしようもないじゃん」
 後ろ向きになっているわけにはいかないのだから。
「そうか……」
 少しだけ驚いたように、見返してきたアイオリアはフッと笑い声を漏らすと、星矢の髪をガシガシとかき回した。
「それじゃ、俺は行くからな。幸運を祈るよ」
「そーゆーこと、言わないでよー」
 やっぱり、幸運は必要かもしれない? もう一度、軽快に笑うと、アイオリアは闇に紛れるように去っていった。
 その後ろ姿が見えなくなるまで、見送った星矢は「よしっ」と気合いを入れ、歩きだした。
 今は何よりも怖い、お師匠様が待つあばら屋へと──……。



 本宅90000キリリク作品をお届けします。琥珀さん、本当に本当にお待たせしました!!! 何つーか、一年以上もお待たせすることになるとは……TT
 遅咲きなリク内容は『アイオリアと星矢が出会った時のお話』でした。アニメの影響もあって、まだまだ星矢はアイオリアのことを「さん付け」で呼びます。
 例によって、タイトル決めにも苦労したのですが、暗がりに閉じ込められた星矢の気分と(隠してはいるけど)黄金聖闘士であるアイオリアを数多の星々の中の一等星に準えたイメージということで、結局、ストレートにいきました。レグルスとまでは指定しませんでしたけどね。
 せめて、リア誕に合わせたかったのですが、コミケの申し込み書書きに追われてたので、ちょい遅れました★ でも、この作品はあくまでもキリリクなので、何とか誕生日話も上げたいなぁ。

2011.08.18.

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