狭間の刻《とき》


 女神の帰還──それまでは降臨以来、アテナ神殿に籠もりきりで、謁見が叶うのは教皇のみとされていた聖域の真なる主。戦女神アテナは実は日本に逃れ、成長していた。
 幾つもの衝撃的真実とやらが明らかになり、大混乱に陥った聖域も、とりあえずは平静さを取り戻したようだ。
 魔鈴もその渦中にあったはずだが、とにかく、色々と忙しすぎて、他の者のように悩んだりする暇もなかった。
 女神を援《たす》けた五人の青銅聖闘士。正しく真の女神の聖闘士などと称賛される彼らの中でも、殊に女神の信頼厚いといわれるようになったのがペガサス星矢。その師であり、『アテナを守れ』と導いたことから、魔鈴自身も殆ど無条件の信頼を得るようになっていた。

 その実、初めて御尊顔を拝し奉ったのも女神が聖域に戻り、星矢たちと黄金聖闘士の死闘が終わった後だというのに……。
 成り行き、といっても、いいと思う。あのメッセージは特定の誰かを『アテナとして守れ』と言いたかったわけではない。聖域と全面対決になろうとも『アテナの聖闘士』たる矜持を忘れるな、と。さすれば、聖衣も力を貸してくれるはず。そして、己が小宇宙もまた……。
 或いはそれは、己自身に確かめるための言葉だったようにも思える。よもや、聖闘士たちを集めていた大財閥のお嬢様が正真正銘の女神アテナだったとは。
「何だか、できすぎなくらいだよね」
 とにもかくにも、一つの山場(つか、修羅場か)を乗り越えた聖域は女神の名の御許で、治めていかなければならない。
 だが、此度の騒乱──『サガの乱』で失われた聖闘士も数多い。筆頭の黄金聖闘士でさえも半数に減じているのだ。
 火の粉を振り払った結果といえなくもないが、やり過ぎだったのではないかと星矢たちを幾らか恨めしくも思う。

 そうして、色々と条件が重なり、今、魔鈴はかなり多忙な身の上だった。
 元より白銀聖闘士でも上位の実力者だったが、女神の帰還以前は寧ろ、日本人であるために排斥されていたことを思えば、少々、調子が狂う。
 共に、駆けずり回っている蛇使い座のシャイナなど、その急先鋒だったはずだが、何とかは人を変えるにしても──いや、全く、まさか、あのシャイナが星矢をね;;;
 不意に思い出し、苦笑しつつ、今日も魔鈴は聖域を走り回っていた。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 成り代わっていたとはいえ、この十三年、聖域を治め、仕切ってきた偽教皇亡き後、残った黄金聖闘士の取り纏め役になったのは牡羊座のムウだった。
 十三年振りに聖域に帰還したムウは唯一の聖衣修復師として知られてはいたが、遠くジャミールの弧絶した地に殆ど隠遁しているような変わり者と思われていた。その彼が実は牡羊座の黄金聖闘士だったとは。
 聖域に在りながら、獅子座の黄金聖闘士たる身分を隠し続けたアイオリア同様、驚きを以って、迎えられた事実だ。
 連想する形で、アイオリアを思い出す。
 女神の帰還後、状況が落ち着いてからは以前のように気楽に会えなくなっていた。勿論、聖闘士として、役目の上で顔を合わせることはあったが。
 そう、アイオリアも以前は与えられていなかった黄金聖闘士としての務めを果たすようになっていた。要するに、互いに忙しくて、擦れ違っているというところか。

 何となく、アイオリアのことを考えながら、十二宮の玄関口・白羊宮に向かう。守護者は当然、牡羊座のムウだ。
 今は白羊宮が上方の教皇宮との連絡所に充てられている。資料やら何やら、教皇宮に保管されているものは多いし、神官たちはやはり、教皇宮で執務を取っている。
 だが、些事に於いてまで、一々教皇宮まで上がるのは人手不足の折には単なる時間の無駄遣いだ。緊急時扱いで、『抜け道』の使用も許されているほどだった。
「ずっと、このままでも良いのに」
 聖闘士たる魔鈴は長い階段とはいえ、上り下りを苦にしたりはしないが、それでも、面倒なことには違いない。
 尤も、『抜け道』を使うと、間の宮は完全スッ飛ばしワープ航法(×)で、見ることも叶わない。つまり、獅子宮で彼と偶然に会う機会も失われるわけだが。
 また、アイオリアのことを考えているのに気付き、魔鈴は肩を竦めたものだった。

 とにかく、白羊宮で要件を済ませた魔鈴は、ムウが一段落を付けた顔をしているのに理由を問うた。
「おや、顔に出ていましたか。貴方の弟子やそのお仲間の聖衣を、やっと修復し終えたところなのですよ」
「なるほど。それは確かに肩の荷も下りるわけだ」
 女神の御意思でもあったし、何より、ムウ自身、早く直してやりたいと思ってくれていたのだろう。
「何しろ、一度に五体完全粉砕の上、トドメ刺されていましたからね。甦らせるところから始めなければならなくて、それはもう大変でしたよ」
「そ、それは済まなかったね」
 一応、弟子絡みのことでもあるし、そうとしか言いようがない。

 死力の限りを尽くして、戦う女神の戦士・聖闘士──女神より授けられし聖衣は正しく宝にも等しいが、聖衣を守って、戦うわけではない。防御を聖衣に恃み、ギリギリのところを見極めつつ、踏み込み、敵に立ち向かうのだ。
 そして、聖衣もまた、主を守ることに至上の喜びを感じているのだから!

「そうそう、イーグル。貴方も聖衣を預けていきなさい」
「え? いや、鷲座の白銀聖衣なら、そんなに傷付いているわけじゃ──」
「確かに聖衣には自己修復能力がありますが、この際ですから、全ての聖衣を総チェックしておくつもりなのです。実際、どこまで診られるか判りませんが…、貴方は特別に一番に診てさし上げましょう」
「それは有難いけど、どうしてだい。私が星矢の師匠だからかい?」
 それは純粋な疑問で、女神から寄せられる信頼の源と同じだろうと察しをつけるが、予想は外れた。
「それもありますが……、貴方がアイオリアの友人でいてくれたからですよ」
 その答えに、魔鈴は少しばかり唖然として、修復師にして、黄金聖闘士でもある青年を見返した。


 獅子座のアイオリア──その身分が明らかにされたのはつい最近のことだ。ただ、魔鈴は大分、以前にその事実を知っていた。偶然の結果ではあったが。
 聖域に留まる黄金聖闘士でありながら、銘を隠していた理由はただ一つ。アイオリアの亡き兄、射手座のアイオロスが長く“逆賊”とされていたためだ。
 多くの者が“逆賊の弟”と彼を謗り、手を出す者も少なくはなかった。そして、殆どの者が関わり合いになるのを避けた。
 魔鈴は、外野の声に惑わされなかった。尤も、進んで声をかけたわけでもなかった。それは寧ろ、アイオリアの方が自分と関わることで、相手までが悪意の的になるのを恐れ、距離を取っているのを察してのことだった。
 それでも、いつしか言葉を交わすようにもなっていた。そもそもの切っ掛けは怪我を治してくれたことだったか。どういうわけか、東洋人への風当たりが聖域では強く、事あるごとに嫌がらせをされ、殆ど村八分状態だった。
 訓練中の怪我なら、師匠が処置してくれたが、それ以外となると、話は別だ。他の候補生にしてやられたなど知られれば、それこそ、師匠の怒りに火をつける。
 隠れて、薬草などで手当てしていたところにアイオリアが現れたのだ……。

 その後もそういう機会が何度かあり、噂など本当に当てにならないことを魔鈴は確信した。そして、周囲に人がいても、構わず声をかけるようにもなった。どうせ、自分も嫌われ者の東洋人だ。更に悪く言われたところで、どうということはない。
 最初は驚き、ぎこちなく返事をするだけで、すぐに離れていったアイオリアも、懲りずに呼び止める魔鈴に最後は根負けした。
 時々、手合わせをするようにもなり、アイオリアの実力が自分など遥かに凌駕するものだとも感じた。常に抑えているのが判ったのだ。
 アイオリアは上位の聖闘士に違いない。だが、確かめることはなかった。話さないのは話せないからに他ならない。偶然がなければ、魔鈴も今日まで、アイオリアの銘を知ることはなかったはずだ。
 弟子を取ってからはその面倒(もとい指導か)に追われて、アイオリアとの手合わせの機会は殆どなくなった。ただ、弟子の方の稽古には良く付き合ってくれたので、変わらず、顔も合わせたし、言葉も交わした。

 あの頃と今と──最高位の黄金聖闘士だと判明っても、アイオリアは何も変わっていない。魔鈴も、変わってはいない。顔を合わせれば、互いに声を掛け合うし、友人…、だと思っている。きっと彼も、そう思っていてくれるに違いない。……だから、
「……何か、変だね」
 こう、胸が妙に騒《ざわ》めく。『十二宮の戦い』と呼ばれるようになった、あの激闘の最中、顔を合わせた時にも感じた騒めきが何なのか──魔鈴はまだ、理解できずにいた。
 白羊宮を後にする時、魔鈴は十二宮を一度だけ振り仰いだ。
 中腹辺りの獅子宮からは、友人の小宇宙は感じられなかった。


★        ☆        ★        ☆        ★


 日を重ね、落ち着きを取り戻しつつある聖域では以前のような日常も甦りつつある。残る聖闘士候補生たちの修行もその一つだ。星矢が独り立ちしたこともあり、魔鈴はその指導役も任せられていた。
 候補生たちを待たせてある闘技場に急ぎ足で向かうが──兵たちも含め、人だかりができ、妙に沸いている。人の壁の向こうから、馴染んだ小宇宙が二つ、感じられる。
「……星矢に、アイオリア?」
 星矢はともかく、黄金聖闘士の務めで忙しいはずのアイオリアがこんなトコで何をしているのか。
 というか、闘技場なら、手合わせしているに決まっている。尤も、二人とも小宇宙は殆ど、高めていない。本当に『手合わせ』なのだろう。
 それにしても、星矢は前に顔を見た時はまだ、激闘の後遺症で、ズタボロフラフラ状態だったはずだが。幾ら、女神のヒーリングを受けたといっても、体の芯まで被ったダメージは身体機能を低下させていた。元のように動けるようになるには、もう少し時間を要したはずだが。
「……大したもんだね」
「あぁ、全く元気な奴らだよなぁ」
 まるで、応えるような言葉を発した傍らに立つ者を見返す。
 先刻の台詞回しにはそぐわない神官らしき衣を纏い、フードも被っている。肩口から、纏めた髪が垂らされている。神官とて、神殿を出て、闘技場付近を歩いていても、別に不思議な光景ではないが──。
「…………スコーピオン?」
「当・た・り☆ さすがだな、魔鈴」
 僅かに上げたフードの下には、蠍座の黄金聖闘士の茶目っ気すらある笑顔があった。

「あんたも何やって……、というか、何なの、その格好。聖衣を着けてないなんて、珍しいね。アイオリアじゃあるまいし」
 アイオリアは聖域では殆ど、否、全く人前では聖衣姿を見せなかった。まぁ、銘を隠していたのだから、当たり前だが。
 しかし、他の聖闘士──殊に黄金聖闘士の聖衣ナシ姿というのは逆に見た記憶がない。聖域の外でなら、牡羊座のムウこと、ジャミールのムウくらいだろうか。
「ま、たまにはな。つーか、さすがに今日は一寸、キツくてな」
 益々驚いた。聖衣を着けるのがキツいなどと、プライドの高い蠍座のミロの口から出るとは!? それより、黄金聖闘士が聖衣を重荷と感じるほどに消耗しているという事態の方が気にかかる。

 聖衣を着けたからといって、それだけで強くなれるわけではない。何よりも必要なのは小宇宙──主の小宇宙を受けた聖衣は躍動し、更に主に力を与える。
 だが、小宇宙の高まりがなければ、聖衣も重い只の鎧、足枷にしかならない。初めて、ペガサスの聖衣を纏った星矢が正に、そうだった。
 しかし、第七感《セブンセンシズ》にも達している黄金聖闘士たちには、そんな状態などあり得ないはずだ。一体、何があったというのか。
「ま、明日になれば、復調してるさ。しっかし、あいつは…。あのタフさは畏れ入るよな。アルデバランでさえ、金牛宮で大人しくしてるっていうのに」
 あいつとは当然、アイオリアのことだろうが、牡牛座のアルデバランも調子を崩していると聞き、益々困惑する。黄金聖闘士が揃いも揃って──そんな馬鹿なことがあるだろうか。

 人垣の向こうが沸いた。星矢が勝負にでも出たらしい。
「うりゃー!!」
 気合を入れる時、どうも声が出る癖がある。余計な力を使うことになるから、何とか改めさせようとしたが、未だ矯正はされてないようだ。何だか、余計に腹が立つ。
「星矢の奴、前に聖域にいた時に比べて、良い動きするようになったな」
「そりゃあ、黄金聖闘士とも対等に渡り合ったんだぜ」
「しかし、アイオリア様もさすがだな。良い動きをするようになったといっても、まだまだ星矢じゃ、相手にならんだろう」
 野次馬が解かったようなことを言っている。余りの調子の良さに、魔鈴は呆れた。以前は「逆賊の弟死ね」だの、「日本人帰れ」だの罵りまくっていたくせに。
 あぁ、いや、今はそんなこと、どーでも良かった。 魔鈴は先刻、顔を合わせた牡羊座のムウを思い返した。『一段落ついた』顔は少し蒼白くなかったか。
「あんたら、何やって──」
 言い止したのは、続くムウの言葉を思い出したからだ。

『貴方の弟子やそのお仲間の聖衣を、やっと修復し終えたところなのですよ』
『甦らせるところから始めなければならなくて、それはもう大変でしたよ』

 聖衣にもまた、命が宿る。余りに酷使すれば、聖衣はその命を散らすことにもなる。
 だが、人間とは違い、聖衣は甦らせることが可能だった。
 それには、聖闘士の熱き血潮を──……。
「…………あの、馬鹿ども」
「? マ、魔鈴??」
 神官に身を窶《やつ》した黄金聖闘士の声は耳に入らなかった。


☆        ★        ☆        ★        ☆


「行くぜ、アイオリア!」
 溜めに入るのに、無論、アイオリアも受ける構えを取る。だが、次には何かに気付いたように上を見上げ──!
「星矢!!」
「え?」
 釣られて、目線を上げた星矢の視界に飛び込んできたのは!?
「流星キーックッッッ!!!」
「どわっ★」
 辛うじて、交わしたが、鋭い空気の刃が前髪を十本単位で散らした。次の瞬間には目の前の地面に大穴が開き、風圧で星矢が吹っ飛ばされる。勿論、アイオリアは既に退避している。
「……魔鈴?」
「んなっ、ななななっ、何すんだよ、魔鈴さん。いきなり酷いよ」
 転がりながらも、文句だけは忘れない。大体、その技は何? そりゃ、鷲座の必殺技は足技が主体だけど、何だか違うだろう。
 何人かは胸の内で突っ込んだ。声に出さなかったのは土埃の中、ユラリと立ち上がった魔鈴の雰囲気が尋常ではなかったからだ。何か、黒いモンが出ていないか?
「星矢……」
「な、何だよ、魔鈴さん」
 師匠の黒い雰囲気に完全に呑まれてしまっている。星矢とて、幾多の修羅場を潜り抜けてきたが、実戦で培われた本能が『危険』信号を発していた。逃げた方がいいかも? だが、遅かった。
「こんの、馬鹿弟子がっ! 何やってんだっっ」
 回し蹴り一閃! 座り込んでいた星矢が避けられるはずもなく、敢え無く吹っ飛ばされた。さすがに周囲が──ミロも含めて、蒼褪める中、アイオリアが制止する。
「ちょ…、魔鈴。星矢は病み上がりなんだぞ。そんな本気で──」
「あんたは黙ってて! つーか、病み上がり人間が何で、こんなトコで手合わせなんか、やってんのよっ」
「ただの体慣らしだ。そんなに怒ることはないだろう。星矢が動けるようになってきたのを喜んでやれよ」
 確かに、それは一理ある…、かもしれない。
「まぁ、いいわ。馬鹿弟子は置いとくとして、あんたこそ何やってんのよ。あんたも体慣らし?」
「いや…、星矢が稽古相手が欲しいというから、付き合ってやっただけ──」
「あんたも馬鹿なの!? 全身の血の半分くらい、抜いといて、その辺も読めない馬鹿弟子の我儘に付き合うことないでしょーがっ」
「我儘って;;;」
「酷いよ、魔鈴さんTT」
「喧しい! あんた、ペガサスの聖衣、直して貰ったんでしょうがっ。アイオリアの血で!」
 黄金聖闘士が揃いも揃って、不調の理由。間違いなく、死んだ五体の青銅聖衣を甦らせるために、その血を分け与えたのだろう。アイオリアは星矢のペガサスの聖衣に、ミロは恐らく、親友《カミュ》の弟子たる氷河の白鳥座の聖衣に。他の者も夫々に。

 そうと知った周囲の野次馬の間にも騒めきが生じる。幾ら黄金聖闘士でも、血を半分も抜いては直ぐには動けないだろう。さすがに小宇宙だけでは失われた血を補えるはずがないからだ。
 だが、アイオリアはいつもより不調なのだということを全く感じさせずに、星矢の相手をしていた。これは黄金聖闘士の強さとは全く別のことだということに皆、気付いたのだ。気付かないのは星矢唯一人、か……。
「そうそう! 凄いんだぜ、魔鈴さん。前に紫龍の血で甦らせて貰った時も驚いたけど、今度のは半端じゃないんだ。聖衣が燃えるみたいに力に溢れててさ。やっぱ、黄金の小宇宙を持った血は別格だよなー」
 目をキラキラさせて、早く見せてやりたいとか、何ほざいてんだ、このタコッ!
「あぁそう。それは見るのが楽しみ──じゃないだろーが! あんたには脳ミソがないのかっ」
 ゴンッ★ 踵落とし炸裂。脳ミソがあっても、あれじゃ、考えることも、できなくなりそうだ。
 涙目になる星矢に、見兼ねたアイオリアが口を挟む。
「魔鈴、俺なら、大丈夫だぞ。本気で組打ちするわけでもないんだし」
「そーゆー問題じゃないっての!!」
「なら、どんな問題だ」
 少しばかり呆れた様子のアイオリアに、無茶苦茶、腹が立った。
「…………そ、問題がないのなら、じゃあ、私の相手もしてよ!!」

 不意をつくほどに鋭い蹴りは、だが、難なく片手で弾かれ、受け流された。逆らわずに、軸足を入れかえ、もう一蹴。首筋を狙ったが、紙一重で躱される。
 その後も、魔鈴は持ちうる限りの技とスピードで、攻めにかかる。並の相手ならば、一分と保《も》たないだろうが、完全に防御に回ったアイオリアには何れも届かない。
 またしても、渾身の一撃を涼しい顔で、受け流され、頭に血が上った。
 次の瞬間、何処《いずこ》かより光が飛来し、魔鈴の体を包み込む。
「ゲ…。魔鈴の奴、あそこまでキレることないだろう」
 唖然としたのは某神官もどきだけではない。何と、魔鈴は鷲座の白銀聖衣を身に纏ったのだ。
 さすがにアイオリアも顔色を変える。聖衣を着ければ、更に力もスピードも上がる。今の体調では、凌ぎきれなくなるかもしれない。
 魔鈴の猛攻に、本気で防戦一方になるアイオリア。
「──ッ」
 鋭さを増す蹴りは真空の刃を生み、完全に躱しきれなかったアイオリアにとうとう、傷を負わせた。無論、致命傷には程遠い掠り傷ではあるが、十分に野次馬を驚愕させた。
「ス、スゲェ。魔鈴さん」
 星矢だけでなく、観衆が固唾を呑んで、戦いの行方を見守る。魔鈴が一方的に仕掛けたことなど、皆、忘れていた。
 後退を重ねていたアイオリアが何と、バランスを崩した。
 すかさず、魔鈴は必殺必中の蹴りを放つ。
 おおっ、と観衆が響動《どよ》めく。さすがに、これは決まるかと思われたのだ。
 だが、次の瞬間、更に眩い閃光が奔り抜け、その視界を奪った。
「くっ…っ」
 必中の一撃は躱されるでなく、弾かれるでもなく、確かにヒットした。手応えは重く、寧ろ、反撥の方が遥かに大きい。攻撃の力が相手ではなく、自分の方に撥ね返っている。

おおおっ…

 再び、驚嘆と憧憬すら籠もった響動めきが観衆を支配した。
 地上に現れた太陽の如し──陽光を鮮やかに映す美しき金色の聖衣。黄道十二星座を象りし一体──獅子座の黄金聖衣にアイオリアが包まれている。
 一瞬の自失の後、魔鈴は次の行動に移る。退く気は微塵もない。これまで、アイオリアと手合わせたことは幾度もあったが、互いに聖衣を着けての勝負は初めてだ。
 無論、敵うはずがないのは分かりきっていても、抑えようのない昂揚を感じる。そんな自分が不思議でならない。
 魔鈴は己を聖闘士の中でも冷静な部類だと自負していた。現に、これまでとて、どんな命が下ったとしても、恐れずに揺るがされずに熟してきたのに……。
 不思議ではあっても、そんな己も不快ではない。寧ろ、好ましくもあり──魔鈴はただただ、全身の意識をアイオリアに向ける。我が身の小宇宙を高めゆく。
 周囲の全ての音が消える。野次馬の歓声も、空ゆく鳥の声も全てが遠くなる。
 見えるのはアイオリアだけ──構えを取ってはいないが、此方の出方を窺っている。
 そう…、アイオリアは相手がどれほど格下であっても、決して侮ることをしない。白銀聖闘士でも、聖闘士候補生でも、黄金聖闘士に対するのと同じように真摯に向き合う。一方的に難癖を付けたようなこの状況でさえ。
 だから、此方も持てる力の全てを振り絞ってでも、ぶつかっていかなければならない!

 遂に仕掛ける。白銀聖闘士でも上位者と認められる鷲座の全力の、最高の技を以って!! 上空から急降下し、獲物を仕留める猛禽の鋭き爪。だが、宙へとジャンプしようとした刹那、弾け飛ぶ光を見たと思った瞬間、衝撃を受け、地に転がされていた。
 何が起きたのか──間違いなく、防戦一方だったアイオリアの反撃を食らったのだろうが、直ぐに跳ね起き、次の攻撃に備える。だが、
「そこまでだ。魔鈴」
 声は、背後から降ってきた。膝を付いたまま、転がるように飛び退ろうとしたが、首筋に当てられた手刀に、動きを止めざるを得ない。
 彼の聖剣の使い手たる山羊座の黄金聖闘士ほどでなくとも、聖闘士ならば、誰でも手刀くらいは使える。
 そして、聖闘士といえども、首筋の急所を切られれば、致命傷になり得る。 魔鈴は力を抜き、両手を上げた。
「降参だよ。全く、本当にタフだね、あんた」
 ゆっくりと立ち上がり、そのまま振り向く。
 決したところで、ワッと周囲が沸き立つ。星矢など、凄い凄いと、それだけを連発していた;;;
「でもまぁ、あんたに聖衣を着けさせただけでも、良しとしとくかね」
 別に揶揄したつもりはなかったが、一寸だけ顔を顰めるのに、苦笑する。こんな風に表情に出すのは珍しい。

「全く、何事です。これは」
 声に振り向くと、つい先刻、顔を合わせていた牡羊座の青年が幾らか呆れ顔で、立っていた。
「仕事を始めようかと思っていた矢先に、いきなりイーグルが飛んでいくものですから、驚きましたよ。しかも、直後にはレオまでが後を追うように……。聖衣装着での手合わせなぞ、周囲の被害が大きくなるでしょうが」
「全力でやるわけがないだろう。俺も魔鈴も、そんなに迂闊じゃないぞ」
 先の戦いでの聖域の被害の再建の指揮を引き受けているムウにすれば、当然の心配だろうが、アイオリアの心外そうな物言いに、魔鈴は内心、ギクリとする。思いッきし、全力で必殺技を放とうとしていた;;;
 それに引きかえ、アイオリアは手合わせに過ぎなくとも、聖衣を着けての『戦い』であれば、冷静に相手の力を見極める。
 そのアイオリアは直ぐに黄金聖衣を獅子宮に帰してしまった。聖闘士候補生たちなどが「あぁ」と残念そうな溜息を零す。
 魔鈴も気持ちを切り替える。
「でもね、あんたの強さもタフさも承知しているけど、今日のところは十二宮に戻って、休んで欲しいね。万一ということもあるだろう」
 彼が大丈夫だと言えば、確かに心配するほどのことではないのだろう。それでも、黄金聖闘士が完調でないということは間違いないのだ。
「アリエス、あんたもだよ。イーグルの聖衣も今日は診てくれなくていい。大人しく、自宮で休んでくれないものかね」
 二人の黄金聖闘士は顔を見合わせ、そして、嘆息した。
「まぁ、実際、大したことはないんですけど」
「魔鈴は大騒ぎしすぎだ」
「あのね……私は穏便に済ませようって、言ってんのに!!」
「まぁまあ、落ち着けよ、魔鈴」
 肩を振るわせるのに、間に入ってきたのは神官姿のミロだった。
「え、スコーピオン様?」
「ミ、ミロ様が聖衣を着けていないなんて」
 とかいう外野の声はさておき、今一人の黄金聖闘士は残る二人に向き合う。
「今、実務で駆けずり回っているのは魔鈴たちなんだ。ここは意見を聞くべきじゃないか」
「────」
 そこで考えるなっての! 怒鳴りたくなるのを堪える。

 今日までの十三年という決して短くない時間を思えば、これは仕方がない。多分、二人にとっては本当に『この程度のこと』なのだろう。
 余人にすれば、重傷といえるような怪我や酷く小宇宙を消耗することがあっても、二人はいつも一人で対処して、乗り越えてきたのだ。
 そう考えるのが辛くもあるのに、二人は『大したことがない』のだと当たり前のように信じているのも悲しい。
 ミロはその辺も解かっている。だから、魔鈴にも同調してくれるのだ。
「ホラ、行こうぜ。騒がせて、済まなかったな、魔鈴。こいつらは今日はもう、十二宮から出さないから、安心しろ」
 第八宮の主の言いように肩を竦める第一宮と第五宮の主。出さないも何も、自分たちの宮の方が下なのだから、その気になれば──、
「アルデバランと貴鬼に監視して貰うからな。いいか、守らなかったら、スカーレット・ニードル十五発、一気に撃ち込んでやるからな」
「──ハイハイ。解かりましたよ」
 如何にも仕方なさそうなムウとただ無言で了承はしたらしいアイオリアを追い立てていくミロに、魔鈴は内心、深く感謝する。その傍らに星矢が駆け寄ってきた。
「魔鈴さん。本トに凄かったよ」
「あ、そう。有難うよ」
 『十二宮の戦い』で、アイオリアと派手にやりあった奴に言われると何かムカつく。他意があるわけないのは解かっているが……。
「とにかく、星矢。あんたもまだ本調子じゃないだろう。もう休みな。あんまり、無理するんじゃないよ」
「マ、魔鈴さんが優しい…。明日は雨かも;;;」
「何だって!?」
 本気で怒っているわけではない。いや、星矢は本気で心配しているかもしれないが。

 今日はこれで、問題も起こらないだろうと思ったが、その刹那、灼けるような小宇宙を感じた。三人の黄金聖闘士が向かった方向から!
「魔鈴さん。今の…」
「アイオリア!?」
 慌てて、駆け出す。
 それは、この聖域では滅多に感じることのなかった、獅子座の黄金聖闘士の怒りそのものの小宇宙だった。



「アイオリア!! どうしたんだいっ」
「イーグル…」
 何ともやりきれない表情のムウの傍らでは、常に陽気なミロまでが苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「魔鈴、止めるな」
「一体、何が。アイオリアがこんな…、剥き出しの怒りを露にするなんて、なかったのに」
「それが良いことだとは私は思いません」
「そうだな。だから、良いんだ」
「何が良いんだよ。話が見えないよ。何があった…。いや、あいつら、何したんだ」
 黄金の獅子の無言の怒りの前に、竦み上がっている雑兵たちにの中は見覚えのある顔もある。よく、アイオリアに手や足を出していた奴らだ。
 まさか、今更に“逆賊の弟”を持ち出すとも思えないが。
「逆に阿《おもね》るようなことを…、全く馬鹿な奴らだ」
「だから、何を!?」
「何が…」
 低い、唸り声のようなアイオリアの声に周囲がシンと静まり返る。
「何が解かると言うんだ。彼らの、何が……!」
「彼ら…、って?」
 だが、アイオリアはそれ以上は口にせず、怒りも何とか抑え込み、踵《きびす》を返した。向かう先は十二宮の方向でもない。

「アイオリア──」
「待て、星矢。今はそっとしておけ」
 ミロに止められ、唇を噛み、アイオリアを兄とも慕う星矢が黙っているはずがない。
「お前ら! アイオリアに何、言ったんだっ!?」
 今や、ただのチビの候補生ではない。女神の覚えもめでたい青銅聖闘士の一人だ。敵に回したいとは誰も思わない。
「オ、俺たちは別に──」
「まだ、アイオロスのことで」
「そんなことはしない! アイオロス様は英雄だ」
「散々、逆賊逆賊って、罵ってたくせにっ」
「そ、それは済まない。申し訳ないと思っている。で、でも、それは──あの真の叛逆者どもに騙されて」
「そうだ。お前だって、星矢。奴らと戦ったんじゃないか」
「アテナをお救いしたアイオロス様に罪を着せた上に殺したくせに、のうのうと英雄面をしていて」
「黄金聖闘士の資格などあるはずがない」
「そうだろう?」
 口々に言い募る言葉は要するに『自分たちは悪くない』という代物ばかりだ。
 幾ら戦った相手とはいえ、真直ぐな星矢には耳を塞ぎたいほどだろう。
「お、お前ら」
「そのくらいにしておけ。でないと──俺はアイオリアほど優しくはないぞ。威嚇だけで済まなくなる」
 拳を固めて、飛び出そうとした星矢を押し留めたミロの言葉に、兵たちが更に青褪める。
 見れば、怒りを隠さないミロだけでなく、無表情を装ったムウまでが不快さを滲み出している。

 魔鈴は、怒るよりも呆れた。哀れにすら思う。あれだけのことがあっても、こいつらは全く何も変わっていない。無知のままで、それを理由に他者まで貶める。
 嘗てはアイオロスとアイオリアの兄弟を。
 そして、今は偽教皇サガと彼に与した黄金聖闘士たちを。
 無論、女神を奉じるべき聖闘士の筆頭たる黄金聖闘士でありながら、叛旗を翻した大罪人であることは疑いない──偽教皇こと双子座のサガ。
 彼が真実、何を望み、女神まで弑《しい》そうとしたのか。何も判明ってはいない。
 許されることではないとしても──だが、今の聖域の人々の反応は結果だけを見て、ただ「許すまじ」との思い一色だ。それはアイオロスを十三年も“逆賊”と貶め続けたのと何ら変わらない。
 そう…、十三年前、何故、逆賊の汚名を受けるのも覚悟の上で、アイオロスが聖域に戻らなかったのか?
 何故、偽教皇だと承知の上で、三人の黄金聖闘士がサガに従ったのか……。
 行動の裏にある、真実を想像しようとすらしていない。
 本当に、何も変わっていない。
 アイオリアが怒るのも当然だ。よく激発しなかったものだ。

「行こうぜ、ムウ。解かろうという気がない奴らに何を言っても無駄だ」
「そ、そんな」
「ミロ……」
 蒼くも白くもなる連中に見向きもせず、背を向けるミロに軽く嘆息し、ムウは項垂れる者にも微かに笑みを向ける。
「まだ、考える時間はあります。与えられた結果だけでなく、自分でも考え、答えを見出してみては如何ですか。たとえ、それが正しい答えでなかったとしても……」
 その過程で見えてくるものもある、ということか。
 さすがに感じるものはあったのだろう。連中の表情にも変化はあった。

 先を行ってしまったミロを追うムウに、魔鈴は感心する。彼とて、腸が煮えくり返るほどだったろうに、きっちりミロのフォローまでしていった。
 逆境にあったアイオリアの怒りの前には、さすがに縮こまるしかない者たちもそれ以外ではどうか?
 今のやり取りでも明らかだ。自分の行為など棚上げして、不満に思い、残った黄金聖闘士にまで反撥するだろう。
 それが分かりきっていたから、自身の怒りは胸の内に沈め、宥めにかかった。一朝一夕に、変わるわけがないと、最初から覚悟しているのだろう。
 とはいえ、変えるつもりがないということでもないのに違いない。ならば、付き合うのも悪くはない。
「星矢。あんたも早く帰りな。今は余計なことは考えなくていいから」
「……うん」
 アイオリアが心配なのだろうが、文句は言わず、家の方に戻っていった。最後に、雑兵たちを睨みつけていったが。
「まだ、考える時間はある、か」
 魔鈴は、聖闘士候補生たちを待たせていることを思い出し、闘技場へと歩き出した。


女神の帰還──それは聖域に光を齎した。
だが、決して、平和の訪れではないことを改めて、悟る。
それは聖戦の到来を予感するもの。
正しく、その兆しであることを……。
今は、穏やかに見えるこの時も、次なる戦いの前の、刹那の刻でしかないことを。

それでも、今は、この刻を……。



 水形座さんへの9999キリリク作品、やっとこ完成致しました。出出しに手こずってたのに、進み出すと、あら不思議☆ で、これまた意外と長い話に^^; リク内容は『魔鈴さん視点で、十二宮の戦い後日、アイオリアと星矢が手合わせ。ミロも参入(見てるだけも可)』というもので、こんなん出ました♪ どんなモンでしょうか。
 魔鈴さんを如何に格好良く書くか☆ で頑張ったんだけど、イメージの半分にも達していないかも。あぁ…、未熟TT
 原作版では『十二宮の戦い』直後の星矢たちは入院中なので、今回はアニメ版準拠となります。アニメ版だと、原作にはいない一輝の聖衣も含めて、聖域の黄金聖闘士全員が血を提供していますが、アイオリア→ペガサス、ミロ→キグナスだけは同じ組み合わせだったりします。
 しかし、ムウは……血を注いだ上に、修復作業までしたのか。意外とタフな人…、つーか、優男に見えてもやっぱり黄金聖闘士だよなぁ。でも、あのアニメ表現だと、血をかけただけで直っちゃったみたいだ;;;
 そうそう、『流星キック』は解かる人だけ解かって下さい^^

2008.09.04.

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