朝 陽


 聖域を離れ、三年ほどが過ぎた頃だった。けれど、時間の感覚など、疾うに抜け落ちていた。
 今日が何月の何日なのか──カレンダーを捲るどころか、そんな代物は私の館にはなかった。
 ただ、必死に縋りつくように『その日』を生きる。本当にそれだけだった。
 思い返せば、その頃の私にはもう『生きる目的』すらが遠かったのかもしれない。

 如何に黄金の宿星を負った聖闘士とはいえ、私は幼い子供でしかなかった。
 逃れるように聖域を離れ、この地に独り──誰と会話することもなく……。
 乙女座の彼のように、『神との対話』でもできれば良かったのだろうか。
 残念ながら、私は師を失い、彼の地を逃げ出してから、如何なる神をも信じられなくなっていたのかもしれない。
 そう、我らが女神でさえも──……。

 私の一日は太陽の巡りに沿っていた。日が昇り、朝となれば、目を覚まし、日がな一日を独りきりで過ごす。空を巡った日が沈み、世界が闇に支配されれば、眠るしかなかった。
 まだ、小宇宙を自在に扱えたわけではなかったので、夜の闇を完全に払拭するのも難しかった。明かりを灯すための蝋燭どころか、毎日の食料や水すら事欠き、簡単に入手はできなかったのだから……。
 思えば、今、聖域を統べる『教皇』が脱走したも同然な私に刺客も送らず、放っておいたのも当然だったろう。過酷な地で、孤独に震える幼い子供が生き延びられるとは──黄金聖闘士であろうともあり得ないと考えたに違いない。
 そして、それは確かに現実となるはずだった。


あの刻、太陽の訪れがなければ──……!


 太陽が昇れば、自然と目が覚める。それは習慣でしかなかった。
 輝かしいその日の始まりを示す日の出にすら、何ら感慨を覚えなくなっていた。
 そうして、自分が何も感じられなくなり、壊れていくのも時間の問題だった。
 辛うじて命を繋ぎながらも、私は生きていたとはいえなかった。
 日々の修行も次第に手につかなくなり、ただ漫然と過ごすだけ……。
 師が残してくれた『聖衣修復』習得のための資料も殆ど紐解くこともなかった。
 日の巡りを追いながら、何も見てなどいなかったのだ。
 私が追い、焦がれ、待っていたのは、或いは次の朝陽などではなく、懐かしい師の迎えだったのかもしれない。


 だが、あの日の朝陽は違った。私に新たに生きる活力を与えたあの太陽の輝きは──!
 意識を揺らす眩い光に覚醒を強いられる。
 目覚めてみれば、その日は曇天だったのに、雲に隠された太陽の輝きを何故、感じることができたのか。

 その輝きが常とは異なり、近付いてくることに暫くボンヤリしていた私は気付かなかった。
 だが、毅く眩い輝きに、打たれたような衝撃を味わった。
 これは──小宇宙? 懐かしい、疾うに受け取ることすら忘れ果てていた小宇宙……。
 あぁ、暖かく、懐かしい。涙が出るほどに、私は他者の小宇宙に飢《かつ》えていたのだ。

『……ムウ』

 小宇宙が、語りかけてきた。太陽の如き小宇宙の持ち主が──今更に気付き、驚愕を隠せない。

『アイオリア? 貴方なのですか』
『あぁ、久し振りだな』

 太陽を守護星とする獅子座の黄金聖闘士、懐かしい幼馴染の存在を身近に感じる。
 しかし、その境遇を思えば、懐かしさにばかりに浸っていられる場合でもなかった。

『どうしたのです。聖域を出てくるなど、何かあったのですか。まさか──』
『心配するなよ。別に脱走してきたわけじゃない。任務だったんだ』
『任務? 任務を与えられたのですが。貴方が』

 予想もしなかったことだ。私が聖域を出ざるを得なかった発端となった一連の『悲喜劇』に雁字搦めにされているのは私よりもアイオリアの方だった。
 聖域を出ることも赦されず、聖衣さえ取り上げられたと聞いていたのに。

『それで、ムウのことが気になったから、寄ってみたんだ』
『そう、ですか』

 嬉しかった。ただ、忘れないでいてくれたことが嬉しかった。気にかけてくれたことが!
 今、聖域で自分がどのように位置付けされているのかは知らない。
 無視されているのは『牡羊座の黄金聖闘士』は存在しないことにされているのかもしれない。
 なのに、アイオリアは……間違いなく、“逆賊の弟”として酷い扱いをされているだろうアイオリアが、私を案じて、こうして来てくれたことが堪らなく嬉しくて、そして、悲しかった。
 私は、何も返してやれないから……。

『元気がないんじゃないか』
『一寸、寝不足で。でも、大丈夫ですよ』
『……あまり無理するなよ』
『無理だなんて──』
『自覚がないんじゃ、余計に心配だ』
『貴方に心配して貰うようなことはありませんよ』

 少しだけムッとして言い募る。寧ろ、心配なのは敵中に帰るも同然なアイオリアではないか。
 本当は心配させたくなかっただけなのに、つい、『言い様』がキツくなってしまった。
 アイオリアの小宇宙が沈黙するのに、私は内心では慌てた。気遣ってくれたのに、素直に感謝もできないほどに、私は──!!
 でも、直ぐにアイオリアの『声』が返ってきた。

『……くすんでいるんだ』
『え?』
『ムウの小宇宙は、もっと澄んでいたのに、今はくすんでいる。だから、疲れているんじゃないかと思ったんだ』

 疲れて……そう、私は疲れていた。
 ただ、時を待つことに、未来を信じることに。そして、『生きる』ことにも──……。
 小宇宙は全てを物語る。アイオリアの目に、くすんでいるように映ったのは当たり前だった。

『そうですね。疲れているんですね。……独りでいることに』
『そうか』

 言葉少なな相槌だけで、妙な慰めはしてこなかった。それは多分、アイオリア自身にも重なる心情だったからだろうと思えた。

『これからも時々、来てもいいか』

 まるで自分が求めるような言い方をしてくれたのも、そのためだろう。何て、優しい獅子なんだろう。
 不意に射し込んできた光に視線を巡らせば、朝陽が雲間から顔を覗かせていた。
 機械的に『その日』を過ごすための空の灯台は、今、私の中で存在感を取り戻し、眩く世界を照らしていた。
 世界を、とても美しいと感じたのは本当に久し振りで、涙が零れた。

『ムウ? どうしたんだ。小宇宙が揺れて……』
『貴方の小宇宙は、今も眩しい』

 どんな苦境に陥っても、いや、苦境にあればあるほど、その輝きは増すのかもしれない。
 全てを撃ち払う雷《イカズチ》の如く、激烈で、鋭く疾る。

『待っています。獅子座のアイオリア。また、来て下さい』
『……解った、牡羊座のムウ。何れ、また』
『気を付けて……』

 彼が此処に来る時は、任務の帰りに他ならない。そして、その任務とやらは──恐らくは非常に危険で厳しいものが与えられるのだろう。
 彼の再訪を望むのは、彼を危険に曝すことを望むのと同じことだった。

 それでも、私は望んでしまう。願ってしまう。
 独りは淋しい。独りは悲しい。
 その痛みや苦さを知っているだろうアイオリアとの『語らい』の刻を欲するが故に!

『心配するな、ムウ。俺は大丈夫だ』

 明るい小宇宙が笑った。力強い言葉に心が震える。

『俺は、死なない。俺を生かしてくれた、兄さんのためにもな』

 そうして、その日の『語らい』は終わった。
 急速に眩くも強大な獅子座の小宇宙が遠のいていくのが感じられた。
 余りにも名残惜しさもなく、去っていってしまったのには唖然としたほどだった。
 けれど、直ぐに彼の真意は察せられた。

 必ず、また来るのだと。必ず、生きて、話をしに来るから──……。
 だから、信じて、待っていて欲しいと。

「……えぇ、待っています」

 口にした言葉は、渇いていた心に染み込むように感じられた。


その日以来、私は太陽の訪れを、心から待ちわびていた。



 『リアムウ夏フェス2007』への参加作品・改にございます。
 実をいえば、企画を知ったのが参加募集最終日で、それでも、アイオリアとムウという二人の在り様を輝なりに形にしてみたくて、挑戦しました。『間に合わなかったら、仕様がないや』てな感じで;;; 結果、終了三分前にギリギリ投稿ということに(爆)
 でも、ネタそのもの(小宇宙だけで接触していたこと)は既に形としてあったとはいえ、書き上げたのが実質一時間強だったので(自分でもビックリ★ なんでぇ、やればできるじゃん♪)書き急ぎ感バリバリ。とはいえ、あんまり手直ししてはその時の思い入れなんかが消えてしまいそうなので、最低限の直しに留めました。
 『アイオロスの謀叛』から三年後くらいで、二人はまだ十歳!? 辛く長い道程もまだ始まったばかり。でも、互いの境遇を思えば、堪えられる──そんな風に支え合っている感じですね。直接に会うことは敢えて、避けているけれど……。
 ムウもここからやっと『修復師』としての一歩を踏み出せるようになる──というのが輝版展開です。
 本作品は『リアムウ夏フェス2007』主催者はんなさんに捧げます☆

2007.09.07.

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