誓 い


「それでは、アテナ。御前、失礼致します」
 決まり文句でもある口上を述べ、深々と頭を垂れたのは眩い黄金の獅子の黄金聖衣を纏った青年だ。
「アイオリア……」
 アテナ──城戸沙織が、憂えた表情で、その青年の名を呼ぶ。傍らに立つ教皇シオンや補佐であるサガ、アイオロスも程度はあれ、同じような顔をしている。
 出陣していく黄金聖闘士を見送るにしても、不安……とはまた、異なった表情だ。
 すると、見送られる黄金聖闘士──獅子座のアイオリアは苦笑を浮かべた。
「アテナ。そのようなお顔をなさらないで下さい」
「ですが、アイオリア…。明日は、貴方の誕生日なのに」
 そう、八月半ばの暑い季節に、アイオリアは生まれた。
 月に一度は廻ってくる黄金聖闘士の誕生日は聖域での息抜の口実…、もとい、お祝いパーティが開かれる。八月は獅子座の季節《とき》──人々は様々な思いから、熱心に準備を進めてきたのだ。

 だが、一週間ほど前から、少々、雲行きが怪しくなってきた。
 冥界との聖戦は一応の決着を見たとはいえ、世界では紛争の種は事欠かず、聖域と事を構えようとする勢力も決して、皆無ではないし、古き神々の時代の住人たちが目覚めるようなこともある。今回の騒乱も、その種の軋轢から始まった。
「ですが、私が事態《こと》を収められなかったばかりに……」
 そう、アテナ自らが交渉役を買って出たほどだったが、或いはそれが不味かったのかもしれない。とにかく、相手側は折れることもなく、つい先日、一方的な交渉の打ち切りを伝えてきた。それも宣戦布告といわんばかりの文言で以って!
 こうなると、聖域とても弱腰では応じられない。世の平安を陰ながら、護り続けてきた意地というものもある。急ぎ、対処しなければならなかった。
 そして、黄金聖闘士を始めとした何人かの聖闘士たちの派遣が決まった。
 とはいえ、暗黒時代の如く、服《まつろ》わぬ者たちは殲滅…、などということはない。アテナの意志は、あくまでも共存なのだ。

 その黄金聖闘士の一人に獅子座のアイオリアが選ばれたのは、相手が伝説級の魔獣を抱えていることが判明《わか》っているからだ。 アイオリアは今一度、頭を下げた。
「アテナ。お気遣いは御無用に願います」
「アイオリア……」
 溜息交じりの兄の呼びかけに、さすがに言い様が率直過ぎたと反省する。
「いえ…、お気遣い、有難うございます。ですが、これは所詮は私事。このような危急の秋《とき》に、私事で煩わせることは許されません」
 アイオリアは聖闘士だ。先陣に立ってでも、世界の安寧のために戦うべき戦士の中の戦士なのだ。その自負は聖戦を乗り越えたからこそ、愈々、強いものとなっている。
 それでも、心の片隅には「残念だ」と思う気持ちがないわけでもない。正直、自分の誕生日を祝うためにと、友人たちばかりか、聖域中の人々があれやこれやと走り回っている様には戸惑いつつも、有難くも思っていたのだ。
 今更、言うべきでもないが、あの十三年を思えば、夢のような状況だ。
 彼らの努力が結実する時を見られないのが残念でないはずがない。だが、アイオリアは何よりも聖闘士──獅子座の黄金聖闘士なのだ。

 アイオリアはチラリと隣の教皇を見遣る。複雑そうではあるが、教皇は疾うに割り切っている。早く行け、と言いたげでもあるのに、小さく頷く。
「アテナ。誕生日ならば、来年もまた、廻ってくるものです」
「……来年?」
「はい。不遜な申し出ではありますが、来年、お祝い頂けるのを楽しみにしております」
 目を丸くしたのは沙織だけではない。
 来年──一年後のその日を、戦士たる彼らが何事もなく、迎えられるかどうかなど、実は何の保証もないのだ。
 勿論、獅子座の黄金聖闘士の強さは知っているつもりだ。あの十三年を経て、『嘆きの壁』に達するまで、命を落とすことなく戦い続けた最強の戦士の一人……。
 それでも、絶対ということがないのもまた、識《し》っている。もしかしたら、今日のこの日、与えられた任務で、斃れるかもしれないことを……。
 それが戦士たる聖闘士の運命《さだめ》なのだ。
 それは百も承知のはずなのに、アイオリアは『来年』などという曖昧な時を持ち出した。
 それは『約束』かもしれない。アテナを安心させるためだけではない、ある種の『誓い』なのかもしれなかった。
 絶対に、一年後のその日を一緒《とも》に、揃って、迎えようと──……!

「──獅子座のアイオリア。出撃を命じます。ですが…、必ず帰るのですよ」
「ハッ」
 獅子の鬣を模したヘッドパーツを手に、今一度、跪拝を施すアイオリアの髪こそが、鬣の如くキラキラと輝いて見えるのに、沙織も軽く息を呑む。
「……事態が落ち着いたら、遅ればせながら、貴方の誕生祝を致しましょう」
「有難うございます。──では」
 もう一度、一礼し、立ち上がると踵を返すと、白いマントがバサリと翻る。
「アイオリア、頼むぞ」
 言外に気を付けてな、との意を含ませる兄に頷き、アイオリアは歩き出した。
 未だ、心配そうな沙織の視線を感じてはいたが、既に意識は赴くべき戦場へと向けられていた。



「大丈夫です、アテナ。お信じ下さい」
「……ゴメンなさい。アテナたる私が、不安を面に出すべきではないと、承知してはいるのですが」
「一日も早く、収めましょう。無論、犠牲はなるべく、出さぬように」
 シオンも言葉を添える。
 力押しだけで、片付けてしまうことは可能だったが、それでは遺恨も残す。
 何より、その直後にアイオリアの誕生祝をするような雰囲気にはならないだろう。どちらが大事か、などというつもりはない。ただ、笑って、その日を迎えたかっただけなのだ。
「準備だけは調えておきましょう、アテナ。いつでも、彼らが戻ってきたら、祝いの宴を開けるように」
「お願いします」
 サガに頷きながら、信じようと思う。あの金の煌きが、この場に再び、立つ時のことを。
 無事に、全てを終えたと報告してくれる姿を。

 ただ、信じようと思う。



 『Aiolia Birthday 2009』年参加作品でございます。参加企画が変わりましたが、今年も獅子祝い企画があることに感謝^^ 主催者様、有難うございます☆
 さて、三年目の『獅子誕』話、今年はお祝いすらしていません? お流れになっちゃいました。でも、底流には明るさもある、という感じを狙ってみました。
 来年のことなんて、確かに判らないけど、信じてみたい……ですよね。

2009.08.21.

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