願 い

 すっかり春めいた聖域。或いは女神の出現が齎したのかもしれない。時には人にも厳しい、戦女神ではあるが……。

「ムウの誕生パーティの幹事? 俺が??」
 アイオリアが戸惑ったのも無理はない。
 戸惑わせた張本人のミロがニコニコして、続ける。
「お前だけにやらせるわけじゃないって。俺の手伝いしてくれればいいんだよ」
「いや、しかし……俺は、そういうのは苦手──」
「何言ってんだ! いつまでも、それで通用すると思うなよ」
 ぐうの音も出ず、黙り込む。手伝いだろうと、幹事なんてことをやれば、多くの人と関わらなければならない。聖戦が終わってからも、アイオリアは未だ、特定の人間以外と接するのを苦手としていた。
 黄金聖闘士たちは、どうにかしてやりたいと思いながら、下手なことも出来ず、これまでは様子を見ているだけだった。ところが、遂に行動を起こした者がいた!
 当然というか、黄金聖闘士の末弟でありながら、とっても世話好き、面倒見のいい──もしくはお節介焼きなミロだった♪
 ムウの誕生日が迫っているのを幸い、月一お祝いパーティの幹事役を一緒にやれ、とアイオリアに持ちかけてきたのだ。

「ムウだって、ずーっとジャミールで独りで、誰にも祝って貰えなかったろうし……。貴鬼なんて、誕生日が祝うモンだって、初耳だったって言うんだぜ。聖域に戻って、初めてのあいつの誕生日だ。盛大に祝ってやりたいじゃないか」
「そりゃ、まぁ……」
 ムウを祝うことに文句などない。だが、アイオリアの意識は少しばかり過去に遡っていた。

 荒涼とした岩だらけの大地。人の寄り付かない、淋しい地……。

「アイオリア! 何、ボケッとしてんだよ」
「あ、いや…。うん、解ったよ。手伝えばいいんだろう」
「よーし。なーに、そんな難しいことじゃないって。じゃ、ムウのために、楽しいパーティにしようぜ☆」
「あぁ…」
 それで、笑ってくれるだろうか? あんな…、澄ましたような、どこか作った笑いではなく。
 昔の、幼い頃に見た、あの綺麗な笑顔を……。



 取り巻く環境は、一年前とはすっかり変わっていた。
 十三年ほどを過ごしたジャミールの光景は目を閉じなくとも、はっきりと思い出せる。彼の地に籠もることになった経緯を思えは、良い思い出など殆どないといってもいい。
 だが、それでも──懐かしさを伴うのは何故だろうか。


 聖域に戻り、白羊宮で過ごすようになり、ムウの日常は大分、変わった。
 黄金聖闘士としての執務は勿論、聖衣の修復作業の時間も大幅に増えた。今までサボっていた──というと、大分語弊があるが、文字通りの修復サボタージュをしていたようなものだった上に、度重なる戦いで破損した聖衣は数多い。全く暇ナシ状態、聖域でも最も忙しい者の一人だった。
 とはいえ、迎える一日の始まりは変わらない。 陽が昇る頃、自然と目が覚める。
 いや、それは朝陽とともに訪れる輝きのためだろうか。

「おはよう、アイオリア」
「──ムウ。あぁ、おはよう」
 白羊宮前の階段を登ってきたアイオリアが少し驚いた顔を見せたのも当然かもしれない。彼には明け方のランニングは日課だが、ムウは出て行ったことはなかったからだ。
 だが、今日は──特別といえば、特別だった。
「貴鬼はどうした」
「まだ寝ています。どうも、最近、寝坊癖がついたようで」
「甘やかしているんじゃないのか」
 弟子が師匠より遅く起きるのは確かに、問題かもしれない。尤も、貴鬼の名誉のために付け加えるなら、毎日というわけでもないのだが。
 苦笑しつつも、少し羨むようなアイオリアの表情に、ふと湧いた疑問を投げかける。
「貴方は弟子を取らないのですか」
「俺か? ん…、時々、言われるがな。一人より、なるべく多くの者を見てやりたいんだ」
 確かに、全てが改められた今、黄金聖闘士としての立場を明らかにし、その栄誉も取り戻したアイオリアは特に後進の指導に力を入れている。多くの聖闘士候補生だけでなく、最近では兵たちの訓練指導も請われるようになった。
 “逆賊の弟”と蔑まれ、近付く者も数えるほどだった頃を思えば、本当に変わったものだ。兄アイオロスが“逆賊”でなかったと判明したばかりの頃とて、別の意味で、アイオリアは敬遠されていたのだから。
「貴方らしいですね。あぁ、貴鬼が起きたようです」
「大分、慌てているな」
 幼い牡羊座の弟子の小宇宙が動き出している。その様子からすると、別に甘えているわけではなさそうだ。寝坊といっても、多分、忙しい師匠の手伝いに奔走しているからなのだろう。

「それじゃ、俺は行くから」
「……えぇ、また後で」
 このまま、行ってしまうのだろうか? 少しだけ、淋しさを覚える自分を笑いたくなる。だが、
「あぁ、そうだ。ムウ。誕生日おめでとう」
 目を瞠り、相手を見返す。少し行った先で、振り向いたアイオリアが如何にも思いついた、という風を装いながら、頬を掻いた。
「何か、妙に照れるな。面と向かって言ったのは随分、久し振りだ」
「……そういえば、そうですね」
「今夜はパーティだ。ミロが、派手に祝ってやるって、そりゃもう、張り切っているからな。楽しみにしておけよ」
「有り難うございます」
「じゃ、また──」
 今度こそ、走り去っていくアイオリアの背中を、見えなくなっても、ムウは見送り続けた。
「ムウ様? どうかしたんですか。そんなところで、ボケッと立ってて」
「ボケッとは何ですか。もう少し、言葉を選びなさい」
「ムウ様には言われたくないけど」
 ブツブツ言いながら、戻っていく弟子の後をムウも追う。

 心は過去に遡っている。ジャミール、幼い頃に過ごした聖域……。
 今日はムウの誕生日だった。だが、聖域で過ごした幼き頃の数年の他は祝いの宴など催したことはない。「おめでとう」と言ってくれる者も殆ど皆無だった。
 例外がアイオリア……。獅子座の黄金聖闘士だ。
 この十年、確実に当日ではなくても、前後には必ず、ジャミールを訪れ、祝いの言葉をくれた。勿論、直接に会うことはやはり、なかった。いつだって、小宇宙での接触のみ……。
 それでも、ある意味、人にとっては特別な一日を祝ってくれる者がいるということが、どれほど大きな力となったか。
 淋しい、荒涼とした大地に囲まれた彼の地で、太陽の訪れは常にムウにとっては心の支えでもあった。
 ……だから、今日は出てきたのだ。
 アイオリアが毎朝、ランニングをして、十二宮を獅子宮まで戻っていくのはいつものことだ。明け方に通り過ぎていく彼の小宇宙は、ジャミールを訪れ、力付けてくれた『朝陽』を思い起こさせてくれる。
 漠然とではあっても、そんな風に感じていたのだ。そして、微睡みの中、太陽の小宇宙を見送りながら、目覚めを迎えるのだ。
 太陽の小宇宙が自分に、どれだけの力を与えてれたか。励まされたか。彼は…、知らない。
 尤も、今更こちらも話すつもりなどないが。
「……悔しいですからね。私だけが、だなんて」
「え、何ですか? ムウ様」
「何でもありませんよ、貴鬼。さぁ、朝食を済ませたら、仕事ですよ」
「はぁい。でも、誕生日なんだから、今日くらい、お休みしたっていいのに」
「山積みの仕事が、更に高くなるのはゴメンですよ。夜にはパーティを開いてくれるそうですから、お前もそのつもりで、今日の仕事は済ませなさい」
「はいっ」
 元気のよい弟子の返事に、ムウは口許を綻ばせた。

 今日は誕生日。一年に一日だけの、特別な日──であるだろうか。自分にとってだけでなく、他の人々にとっても……。



「よう、お帰り、アイオリア」
「どうしたんだ、ミロ。お前がこんなに早く、獅子宮《した》まで下りてくるなんて」
「今日のパーティの最後の詰め、をな」
 朝が苦手なミロが、こんなにも張り切っているのも、ムウのためだ。
 あの十三年……、寄るなと言っても、聞こうともしなかった幼馴染。長じるにつれ、真直ぐすぎる部分は影を潜めるようになったが、それでも、いつも気遣ってくれていた。
 彼やカミュには、本当に支えられた。言葉にしたことはないが、心底から感謝している。
 そして、今も──存分に、世話好きな面を発揮しているミロは同じ十三年、関わることのできなかった今一人の仲間、幼馴染のためにも、何でもできることをやりたいのだろう。
「本トに……」
「何だよ。何、笑ってるんだよ」
「いや、で?」

 ミロにムウの誕生パーティの幹事を一緒にやれ、と言われた時は正直、困惑したが、少しでもムウが喜んでくれるのなら、文句などあるはずもなかった。
 慣れない役目で、その分、黄金聖闘士以外の者たちと接する機会も多く、気疲れもしたが。
 楽しいパーティで、主役が少しでも喜んでくれれば──作ったような笑みを浮かべて、いつも澄ましているが、アイオリアは覚えている。幼かった頃、見せてくれた綺麗な笑顔を……。

 辛かった十三年間、アイオリアを支えたのはミロたちばかりではない。
 あの荒涼とした淋しい地で、小宇宙によって再会した時こそは、くすんでいた小宇宙だが、その後はいつだって、澄んでいた。孤独の中でも、美しく、静謐さを湛えていた小宇宙……。
 あの小宇宙に触れることで、アイオリアは聖域に戻る勇気を得ていたのだ。ムウの孤独に比べれば、何ほどのものもなかった。自分にはミロやカミュ、シャカにアルデバランも、後には魔鈴や星矢もいたのだから。
 とはいえ、それをムウに告げるつもりはない。
「あいつは強いからな。こっちだけってのは悔しいしな」
「何だ? 問題でもあるのか」
 呟きを聞き取れなかったらしいミロが勘違いして、質してくる。
「いや。そっちの話を聞こう」
「あぁ──」
 いつも澄まして、本心を中々、見せない。器用だけど、人と距離を取りたがる。
 でも、せめて今日は──微かなものでも構わない。ただ、懐かしい笑顔を望むだけだ。



 『牡羊座様誕生お祝い』作品でございます。
 終わり方が何だか、切ない? 十三年、隔絶した地で孤独に耐えていたムウ。どこからか、貴鬼が一緒にいるようになったとはいえ、やはり苛酷な環境。アイオリアとはまた別の意味で、ムウも酷く辛い思いをしていたはずです。
 だからか、とても器用そうなくせに、本音を押し隠していそうでもあって、実は真正面から人と向き合うのは本トは苦手なんじゃないかな? とか思ったりもします。当てにはされていても、好かれているわけじゃないとか。嫌われているほどじゃないけど、敬遠はされているかも、とか考えているのかな、と。
 そういう意味では案外と臆病で、自分に自信がないのかもしれないな、とか思った次第。
 それにしても、うちの獅子羊は──お互いにお互いを、同じように見ているなぁと。昔の笑顔が懐かしい☆ だなんて^^

2008.04.16.

 修正しました。拍手を冒頭に乗っけても、成り立つようなので、手直しもせずに接続☆

2008.04.26

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