平穏な時


 管理棟を出た瞬間、陽射しの強さにヴィッシュ・ドナヒュー中尉は目の奥に、軽い痛みを覚えた。初めて、この地に降り立った時より、確実に陽光は強まっていると感じるのは錯覚ではない。
「……これから、夏に向かうのだから、当然か」
 独り言ち、今更、確認するまでもないことだと苦笑する。
「中尉!」
 出迎えの車が待っている。少しばかり、陽炎が立っている中、ドナヒューは車に乗り込んだ。

「司令官閣下の御用とは何だったのですか」
 運転席の軍曹が物怖じせずに尋ねてくる。果たして、率直と評してよいのか、一介の下士官が士官に対し、狎れた口調で問うなど、本来ならば、許されることではない。
 だが、ドナヒューはこの軍曹の率直さを好ましく思っていた。狎れたといっても、線引きはきっちり出来る男で、本当に尋ねて良いかどうかは、こちらの雰囲気から読み取れるらしい。小器用で、他の雑務も色々と熟すので、重宝していた。
 それは信頼の成せる業でもあろうか。
「ん…。前に提出した上申書を目に留めて下さったようだ」
「上申書…、って、どいつですか」
 モビル・スーツ・パイロットとして名を上げ、連邦・ジオン両軍の将兵にも、『荒野の迅雷』との二つ名で知られているドナヒューはMS部隊を統括する立場にもある。
 一パイロットとして優れているだけでなく、纏め役である立場故に、色々と具申案を提出していることを軍曹も知っていた。
「モビル・スーツ部隊のチーム運用の訓練計画書だ」
「チーム運用、ですか」
 幾らか意外そうに軍曹が目を瞬かせた。
 『モビル・スーツのチーム運用』案を口にすると、大概の者の反応はこうだ。そんなものが必要か? という考えが透けて、見える。その度に、ドナヒューは根気強く、説明を繰り返してきたものだ。
「何れ、必ず必要になる」と……。

「我が軍のザクの優位性は、どうあっても覆らないと思いますが」
 これは軍曹だけの意見ではない。殆ど無条件に信じられている──それほどに、ザクの示した力が凄まじかったということに他ならない。
 本来、『国力』では圧倒的に連邦に劣るジオン公国がここまで優位に立てたのは全て、ザクという機動人型兵器の力によるものだった。ザクの前には戦車も戦闘機も…、連邦軍の如何なる兵器も無力なものでしかなく、正しく鬼神の如く蹴散らしてきたのだ。
 ザクにとって、最も脅威となり得たのは砂漠より飛来する砂であるというのは皮肉なのだろうか。
 そして、ジオン軍は電光石火の如く、このオーストラリア大陸を席捲していった。
 だが、大陸全土を遍く、侵略したわけではない。そこまでは戦力数では劣るジオン軍には不可能だった。それでも、主要な鉱山を押さえ、運搬のために大陸間鉄道と中継の主だった都市や、港や宇宙港を支配下に治めた。
 そして、今、ジオン軍オーストラリア駐屯軍司令部はアリス・スプリングスに置かれている。大陸の大動脈たる鉄道の中間地点、分岐点でもあり、東西南北の何れへも向かえるのだ。

 オーストラリア大陸のみで語れば、ジオンの優位は確かに揺るぎないように思える。しかし、地球圏全体で見るならば、どうだろうか。
 短期決戦のはずが既に戦局は膠着している。危うい均衡がどこから崩れるかも判らない。資源を抱えたまま、孤立することとて考えられるのだ。何しろ、此処は本国からは遠く離れた異境の地なのだ。
 ドナヒュー中尉はモビル・スーツ・パイロットであり、精々が部隊長に過ぎないが、根性論だけで部隊を率いてはいない。弾薬の一発もなく、エネルギーが枯渇しても尚、戦えるなど夢想することもなかった。
 何故、悪い方にばかり考えるのか、などと責められかねないので、はっきりと口にすることはなかったが、出来ることは全て、取り組んでおきたかった。モビル・スーツのチーム運用、集団戦法の確立もその一つだった。
「……連邦も何れはモビル・スーツを開発、投入してくる」
「そうですかねぇ」
 気のない声が返るばかりだが、ドナヒュー中尉にとっては、ほぼ間違いない、確実な未来予想図の範疇だ。
 ザクの登場は確かにセンセーショナルなものだったが、その原点となるべき存在は決して、珍しい代物ではなかった。十歩か百歩か、連邦より、幾らかリードしているとしても、連邦も確実に後を追ってきているはずだ。どうにかして、ザクの機密情報すら入手しているかもしれない。
 とにかく、遅かれ早かれ、我々は連邦軍のMSを目にすることになるだろう。
 その性能が如何ほどの代物《もの》になるかはさすがに判らない。現れなければ、戦わなければ──ということだ。それでも、戦車や戦闘機を相手にするようなわけにはいかないだろう。

「まぁ、中尉がそう言うんだから、そうなるかもしれんですけど…、それでも、ザク以上のモビル・スーツが現れるなんて、思えないんスけどね」
「それは願望というものだな、軍曹。仮に性能で及ばないまでも、数の上ではどうかな」
 連邦の国力の高さを考えれば、多勢に無勢になることは十分、あり得る。こちらは本国を遠く離れ、そうそう、補給は望めないのだ。
 そう、MS同士の戦闘ともなれば、今までは殆ど皆無だった損害も増えるだろう。補修パーツとて、やがては不足するようになり、整備や補修が次第に追いつかなくなっていくに違いない。
 基本、MSの製造は本国のみで行われているのだ。最高機密であるのだから、当然だが、それ故にいつかは苦境に陥る……ドナヒューには、そんな状況も見えるようだった。
 チーム運用は、何れ被るだろう傷を幾らかでも軽くするものだと信じていた。
 だが、肝心のパイロットたちの意識を変えるのは並大抵のことではない。彼らは己を一騎当千の兵《つわもの》だと信じて疑ってもいない。自身の能力にも、相応の自負を持っている。
 己も名のある撃墜王《エース》たちのように、と功名に逸る者は少なくない。皮肉なことに、ドナヒュー自身もまた、戦いによって、功を成したエースの一人なのだ。
 眼前の生きた憧憬そのものが、彼らには個人的武勇を求めることは止めろと言うのだ。簡単に受け容れられるわけがないことは判りきっていた。
 それでも、これは必要なことだ。ドナヒューは確信していた。
 高くなる太陽を見上げ、隻眼を細めた。
「……我々にとっては、辛い季節になってくるな」
「そうですねぇ。これ以上、暑くなるなんて、考えたくもないですけど」
 アリス・スプリングスは砂漠気候だ。これまでは、まだ良い季節だった。だが、これから、どんどん気温は上がっていく。それは大陸全土にいえることだ。コロニー落とし以来、乾燥が酷くなったとの話も聞く。
 コロニーの管理・調節された気候に慣れている彼らにとっては厳しくも辛い季節といわざるを得ない。
 そんな中で、連邦軍の逆襲が始まったら……!!

 キィッ

 軽いブレーキ音にタイヤが軋む。
「中尉?」
「あぁ、済まん」
 車を下り、気持ちを切り替える。
 パイロットたちの集まる棟に入ると、敬礼で迎えられる。しかし、緊迫感は全くない。ダレている、ということはないが、現状が決して、思わしいものではないということを彼らは気付いていない。
 だが…、今はまだ、平穏な時であるが、そう長くは続かないということを、何れ、彼らも知るだろう。


 8月、地球連邦軍はモビル・スーツ・パイロットの適性検査実施を全軍に通達した。



 『ゲーム発売十周年記念』作です。何とねぇ、もう十年も経ったんですか…。レオンたちとの付き合いも十年かぁ。シミジミ。
 なんて言いながら、今回の話のメインは“荒野の迅雷”ヴィッシュ・ドナヒュー中尉だったりします。本当は『砂塵の蜃楼』に組み込むはずだったエピなんだけど、止まって久しいので、独立させてしまいました。つか、早よ、書け★

2009.08.27

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