交 錯


「済みません。一空《うち》の隊長、来て──ませんね」
 室内を覗き込み、目当ての人物がいないのを確認し、嘆息したのは第一空戦隊の隊員だ。その視線が書類整理中の第二空戦隊隊長に止まる。
「あのぉ。コー……」
「知らん」
 皆まで言わせず、イワン・コーネフ少佐は切り捨てた。一空隊員を含め、居合わせた全員が固まるよりない。
「俺は奴のマネージャーじゃないぞ」
 コーネフは目線さえも動かさずに続けた。
「は…ぁ、申し訳ありませんでした」
 敬礼もそこそこに、回れ右しかける隊員を、だが、コーネフは呼び止めた。恐る恐るといった態で歩み寄る隊員の鼻先に書類を突き出す。
「一空《そちら》の書類だ。二空《こちら》に紛れ込んでいた。序でに処理しておいたから、提出ぐらいは自分でやらせろ」
 偶然、紛れ込んでいた訳でもあるまい。一空隊員は只々、ひたすらに恐縮するばかりだ。
 そこに昼の休みを告げるメロディが流れた。
 大体、昼休み目前の時間に、あの男がオフィスに残っている筈がなかったのだ。
 そして、コーネフも立ち上がる。彼がドアに向かうと、ささっと隊員達が引いて、道ができる。古い古い映画のようだ。
 その道を進み、コーネフが室外に出て、ドアが閉まると──期せずして、各員の口から溜息が漏れた。それも特大のものだ。
「あ〜ぁ、胃が痛いぜ」
「全く。朝から夕方まで、あの調子だもんなぁ」
「本当にどうしたんだろう。隊長は」
 と、毎日のように語り合えども、答えが得られる筈もなし。といって、当人に「どうしたんですか」と尋ねるのも憚れる。
 何しろ、日頃から穏やかで、物腰柔らかなコーネフがここ最近は酷く不機嫌そうなのだ。
 いや、態度にそれ程、出ている訳ではない。相変わらず、仕事は早い上に確実だし、指示を仰げば、三秒で的確に返ってくる。訓練も特に厳しくもないが、決して手を抜いたりはしない。
 限りなく、以前と同じ──だが、確かにどこか違う。心なしか、口数が減ってもいる。
 結果、毎日毎日、空戦隊隊員は緊張に曝されるハメとなった。それも、彼が指揮する第二空戦隊だけでなく、第一空戦隊をも巻き込んでいる辺りがさすがにイワン・コーネフか……。
 相方扱いされている、今一人の空戦隊隊長の影響力とは全く異質だろう。
 それだけに、改善もされずに今に至り、明日もまた、続くのかもしれない。
 暗い予想に二空オフィスに又、溜息が溢れた。



 件《くだん》の第二空戦隊隊長はイゼルローン森林公園に足を運んでいた。手には昼食替わりのファーストフードの袋を抱えている。
 人目を避けるようなつもりはないが、正直、煩わしさを覚えていた。だから、一人になりたかったのは本心だ。
 森林公園というだけに当然、人工ではあるが、緑が多い。頭上に広がる木の葉の群れが『陽射し』を遮り、微かな『風』に揺れ、地に落ちる小さな影の群れも揺れ動く。
 『それらしい』光景──だが、あの陽射しも風も何処から来るのか?
 木蔭を透かし見ると、『青い空』も広がっている。当たり前のように、そこにある。
 それでも、造り物であろうともだ。何故こうも気持ちが安らぐのか……。落ち着かせてくれるのか? コーネフは目を伏せ、薄く笑った。
「らしくない……」
 そして、些か自分が荒れているのも自覚する。
 笑いを収め、適当な場所を求め、林の奥に進んでいく──と、コツンと爪先で何かを蹴った。
「?」
 落とし物か、はたまた、忘れ物か? キャリング・ケースが転がっている。
 拾い上げようと腰を居めた時、頭上からガサガサと葉擦れの音が降ってきた。風にしては不自然な──何かが勣いたようだ。
 迷い猫でもいるのか?
 漠然と思いながら、コーネフは目を細め、斑の逆光の中に動く影を見留めた。
〈ネコにしちゃ、デカイな?〉
 次の瞬間、さすがに声を上げ、次には絶句。
 その声に『何か』が驚いたらしく、枝葉が大きく揺らいだ。いや、落ちかけたのか、奇妙な声が上がった。


「全く、呆れて物が言えないとはこの事ですね」
「なら、何も言ってくれるなよ」
「仮にも分艦隊司令官ともあろう御方が──」
「コーネフ、黙ってろってば」
「木登りとは……ムライ少将でなくとも、呆れ果てるでしょうに」
 分艦隊司令官は唸り声を上げ、撃墜王《エース》を睨んだが、文句を言える立場でもない。
 平然と視線を受けている相手に、ダスティ・アッテンボロー少将は深く大きな溜息をついた。
「噂通りっつーか、聞きしに勝るな」
 微かに表情が動いた。何の噂かは確かめるまでもない。
「お前さんこそ、何だって、こんな場所をウロウロしてんだ?」
「……昼飯を食おうと思って」
「わざわざ、こんな奥まで来てか? しかも、一人でさ。まぁ、それも最近は珍しくもないか。片割れはどうした」
 今度は心外そうに眉が顰《ひそ》められた。
「お言葉ですが、提督。私は奴とつるんでいるつもりは毛頭ありませんよ」
「あ? あぁ、お前さんの回りをあの暇なお祭り男が勝手にフラフラしているって訳か」
 『片割れ』だの『お祭り男』だのと随分な言い方だが、コーネフはその点は否定も庇いもせず、何より留意しなかった。
 つまりはヤン艦隊のもう一人の撃墜王オリビエ・ポプランのことだ。
 とりあえず、同格の同僚でもあり、誰よりも共有する時間が多いのは否定しないが、確かに四六時中、一緒というものでもない。
 元々、コーネフは一人で過ごすのを苦とは思わない。クロスワード・パズルにでも集中してしまえば、時間は簡単に潰せる。とはいえ、
「だけどさ、らしくもなく、お前さんがピリピリしてるから──ポプランでさえ、気軽に近付けないんじゃないか?」
「知りませんよ。そうだとしても、大歓迎です。永遠に続いてくれれば、静かで助かります」
「……それじゃ、二空の連中の胃に穴が空いちまうぜ。序でに一空も」
 アッテンボローは困ったように苦笑した。

 会話の切れ目は潮時だ。正直なところ、余り突っ込まれたくはなかった。
「これ、提督のものですか?」
 拾っていたキャリング・ケースだ。
「そこに落ちてたんですけど」
「落ちてたんじゃなくて、置いといたんだよ」
「そうですか? 案外、木の上から落っことしたんじゃないんですか」
「あのな……」
 ポプラン相手以外に、コーネフが冷淡かつ辛辣に応じるのも珍しい。それが他人に向けられたのであれば、観察のし甲斐もあるのだが、よりにもよって、その相手に自分が選ばれたのでは有難くもない。
 アッテンボローをげんなりとさせた張本人は微かに口許を歪めた。直属ではないとはいえ、イゼルローンに『五人』しかいない高級指揮官の一人に対し、随分な態度だ。更に困った事に、自分でも歯止めが利かなくなっている感じなのだ。
 そんな自身に苛立ちを覚えながら、あくまで、表面は冷静に端正な敬礼を向ける。
「では、失礼します。アッテンボロー提督」
「ーっと、待った」
 踵《きびす》を返しかけたが、腕を掴まれる。
「! ……まだ、何か?」
 こみかめをひくつかせて、ジロリと見遣る。別に睨んだ訳ではないが、並みの人間なら、怯んだだろう。尤も、生憎と通用する相手でもなかったが。
 ともかく、大体がして、偶然に出会い、この上、用がある筈がない。「用がなきゃ、呼び止めちゃ、悪いか」くらいは言うかと思ったが、意外な事に、
「用があるから、待てっつーの。序でだから、渡したいものがあるんだよ」
 先刻のケースの中を探り始め、何やら書類を引っ張り出した。眉を顰めるコーネフは眼前に突き出された書類と提督を等分に見返す。
 これが渡したいもの、か……。
 近日、アッテンボロー指揮下の分艦隊は最前線の哨戒任務に就く。が、その実体は、
「新兵の訓練ですか」
「そういう事。とにかく、どの程度、使い物になるかは把握しておきたいからな」
 年若い分艦隊司令官は軽く肩を竦めた。
「つー訳で、空戦隊の訓練計画立案は頼むよ」
 と、事もなげに言う程、簡単ではない。一口に新兵といっても、レベルにも差はある筈だ。
 元々、アスターテ、アムリッツァの大敗での犠牲から、同盟軍の人材不足は深刻な問題だったが、前年のクーデター騒ぎが拍車をかけた。
 その後の再編で、同盟軍の各部署が経験豊富な人材を求めたが、その標的となったのがヤン艦隊――第十三艦隊だった。
 発足当時は『敗残兵と新兵の寄せ集め』と揶揄されていたものだが、幾多の戦いを潜り抜け、今や同盟軍一の精鋭と認められている。つまりは、他の部署が欲しがる人材も殆どがイゼルローンに所属している訳だ。
 しかしながら、イゼルローン要塞は対銀河帝国の最前線。それらの優秀な人材を最も必要としているのが何処か──言わずと知れている。
 が、上つ方は頓着しない。「補充はするのだから、文句を言うな」くらいの態度だそうだ。
 半ばは開き直っている感じだが、その補充には当然、新兵が充てられる。人がいないが為に、熟練兵が引き抜かれたのだから。
 斯くして、最前線に於いて、戦力は低下し、その穴埋めと新兵訓練の為に残った将兵の負担が増大するという冗談のような過酷な現状だった。
 因に引き抜きと補充は多方面に渡る。故に早々にも、大規模な訓練が決定したのだ。
「あ……」
 不意に思い出したように、アッテンボローは改めてコーネフを見遣った。訝しげに眉が寄る。
「そーいや、お前さんにも引き抜きの話が来たんだったよな。案外、不機嫌の理由はそれか?」
「誰も不機嫌になってやいません。大体、その話なら、断りましたから」
 どこが不機嫌でないと断言できるのか。
「そりゃ、知ってるけど──その後もニ、三回は要請はあったんだろ? ヤン提督も困ってたぜ」
「私に言われても……」
 だが、そう──確かに苛々の一因ではあるのかもしれない。
「……ヤン提督が、お困りだというのは?」
「え? あぁ、お前さんを説得しろとか何とか、やたらと喧しいそうだ」
 さすがに最前線を張る実戦部隊の一、空戦隊の隊長ともなると、高飛車な命令! で済ます訳にはいかないらしい。
「まぁ、そう心配しなくても大丈夫だよ。ヤン提督がお前さんを手放す筈がないからな」
「……そうでしょうか?」
 コーネフの表情が急に陰りを帯びたように見えたので、アッテンボローは目を瞬かせた。ついぞ、彼のそんな顔は見た覚えがない。どことなく弱気な色が窺い見える?
 アッテンボローの意外そうな顔に気付いたか、コーネフは小さく笑った。
「提督。俺は別に、そんなに拘っている訳じゃないんですよ。此処に、戦場にいる事に」
 元々、明確な意志があって、軍人になった訳でもないのだろう。何故、と問われれば、答えようがない。それは空戦乗りの道に進んだ事についても同じだ。
 だから、それ程の拘りは、ない……。
 だが、戦いそのものに対する不審が生まれていた。今更、命のやり取りや敵を屠る行為への恐怖などでもない。ただの──或いは純粋なる疑問だ。

 『敵』とは『何』なのか? それだけは引っかかる。本当に本当に小さな刺のように、チリチリとした疼きを心は感じている。痛みではない。だが、無視できない感覚だ。
 それは同盟を揺るがした、あのクーデター騒ぎのせいだろうか。鎮圧に動いたヤン艦隊は同じ同盟軍である筈の『敵』と戦い、その全てを撃破した。全くの同じ装備、同じ戦闘服……。
 同型艦、同型機──そう、空戦ではスパルタニアンを撃墜した。何機、仕留めた事か!
 それだけなら、まだしも、全てが終わり、帰還したイゼルローン要塞に待っていたのは銀河帝国からの亡命者の一団だった。
 今は客員提督《ゲスト・アドミラル》と遇されているメルカッツ提督には個人的には寧ろ、敬意さえ抱いている。見事な武人とは思うが、しかし、それだけに何十年にも渡り、同盟を苦しめた『敵』であった事実も消しようがない。
 実に簡単ではないか。『敵』や『味方』を規定するものなど、最初から大したものではないのか? 理由なども敢えて、必要ないのか──。

「最初にこの話を聞いた時も、受けるのも悪くないかな、とも思ったんですよ。実は」
「そいつは──けど、断ったろう?」
「えぇ。ただ、一番の理由は面倒だからです」
 異動し、イゼルローンを引き払うのが。新しい環境で、新しい任務、生活に移るのが。尤も、いざとなれば、簡単に始められるのだろうが……。
 何に対しても、大した執着を持たないから。
 ……だが、
「それだけでもないんじゃないか」
 イゼルローン最年少の提督はあっさりと言う。
「だから、苛ついてもいるんだろう?」
 全く拘りがない訳でもないからこそ──!
 コーネフは黙り込み、まじまじとアッテンボローを見返した。そして、軽く目を伏せる。
「提督。どうして、そんな話が俺の方に来たと思いますか」
 そんな話とは引き抜きの件か。確かハイネセンの空戦本部直属の部隊責任者だった。首都星であるから、栄転にも等しいが、しかし、実戦の機会はない。その任務も例えば、式典での記念飛行だの、別に真に実力ある撃墜王が求められるようなものではない。
 だが、首都星だけに体面を重んじる面もある。名のあるパイロットに白羽の矢が立つのも自明だ。そして、同盟軍全空戦隊に於いて、現役の撃墜王と呼ばれるのはヤン艦隊所属の二名、オリビエ・ポプラン、イワン・コーネフ両少佐となる。
 であれば、まず、ポプラン向きではない。あらゆる意味で……。先方にも忌避されている。
 逆にコーネフは飛行学校時代からの優等生だ。
 デスクワークも含め、やるべき任務はきっちりと熟《こな》す。その正確さと迅速さにかけては何つっても、アレックス・キャゼルヌ『イゼルローン市長』の御墨付がある。
 以前、要塞事務監殿は「コーネフが士官学校に進んでくれていれば、是非とも直属に招きたかった」などと宣ったそうだ。『デスクワークの達人』にも事務処理能力を買われているエピソードだ。(実際、彼ならば、士官学校でも十分に通用したのではないか、と思わせる)
 そんな連想に、言葉を選びつつも、
「どうしてって──やっぱ、お前さんの方が適任だからじゃないのかな?」
「……そんなところでしょうね」
 コーネフは微かに笑い、また、目を伏せた。
 その胸の内がアッテンボローにも少しは理解《わか》る気がした。コーネフが適任というよりは、ポプランをイゼルローンに残す選択の結果に近いのかもしれない、と……。
 コーネフとポプランは飛行学校でも同期で、賭の対象になる程に熾烈なトップ争いを繰り広げていたと聞く。その実力も戦功も桔抗し、誰もが彼らはライバルであると見倣している。
 だが、撃墜数を競ったり、シミュレーションで勝負する程度など大した事ではないと、コーネフは認識《し》っている。
 直接に、現実に、ポプランと戦う訳でもないのだから──……。
 そして、仮定としても、実戦で対決するとしたら──恐らく、あの男には及ぶまい。誰よりも、コーネフ自身がそれを認めているのだ。

 正に唖然とした表情で、アッテンボローは撃墜王の称号を持つパイロットを凝視していた。
 コーネフは微笑を浮かべた。
「俺がこんな事を言うのは変ですか?」
「──いや」
 一呼吸置いて、答えると、今度はコーネフの方が不思議そうな顔をした。それ程に、アッテンボローの返答には迷いがなかった。
 正直なところ、この二人は然程、接点が多いとはいえない関係だ。お互いをよく知っているという程でもない。尤も、だからこそ、コーネフも半ばは口を滑らせるように話してしまったのかもしれない。
 だが、確かにコーネフはポプランに対し、優劣や勝負だのを意識していない。賭けなぞも所詮ケームなのだ。多分、ポプランも同じだろう。
 但し、全く同じ理由からではない。コーネフとポプランが決定的に『違う』からだ。そして、その『違い』をコーネフは正確に認識しているが、ポプランは考えもしない筈だ。
 パイロットとしての技量が劣っているとは思わない。それでも、根本が『違う』のだ。そこには比べようのない『差』が横たわっている。
 だから、コーネフは真の意味で、ポプランと競った事はない。況してや、勝とうと思った事など、ある筈もない。
 そして、そんな心境が理解できるアッテンボローにも無論、通じる部分があった。相手の心理は完全に重なる事がなくても、その一部は確かに己自身の鏡のようなものなのだ。
 大腿不敵で知られる若い提督に内在する心理に、若い撃墜王もまた、共感するものを感じた。
 自分があの奔放な同僚に一種の憧憬や羨望めいたものを抱いているのは初めて、この瞬間に知った。認めるのは少々……結構、かなり面白くないし、口が裂けても言えないが。
 その点はアッテンボローとは全く異なる。目の前の青年は心底、ヤン・ウェンリーに心酔し、彼を助けられる立場に喜びを感じているのだ。
 それこそ、無上の──それはヤンにも伝わっている。故に信頼が結ばれているのだろう。
 ……ほんの少しだけ、羨ましいとは思う。
 パイロットは最後の瞬間は結局、独りなのだと信じているからだ。その癖、羨むなど、馬鹿げていると自嘲の笑みも漏れるが。
「──何だ?」
「いいえ。我が艦隊は頼もしいなぁ、と……改めて、感銘を受けましたもので」
「何じゃ、そりゃ」
 アッテンボローが器用にも、苦笑交じりに顔を顰めた時、昼休み終了前の予鈴が響いた。場所柄、無粋でもあるが、それも相手次第か。
「あー、飯食う時間、なくなっちまったか」
 引き止めた形だったので、さすがに済まなそうに言うと、コーネフは笑った。
「戻りながらでも、食えますよ」
 但し、その袋の中身はかなり冷めている。
「半分、食べます?」
「遠慮しとく」
「それは残念。せっかく、奢ろうと思ったのに」
「ハ、ハハ……。気にせんでくれ」
 二人はとりあえず、並んで歩き出した。
 中々ないシチュエーションだと思いながら、
 たまには珍しい奴が隣にいるのも良いか……。

 ……『風』を、感じる。

 それも又、場所柄か──……。
 森林公園を出れば、本当に変わらぬ最前線の要塞内という日常が待っている。
「ところで、提督」
「あ?」
「何だって、木登りなんてしてたんですか?」
 アッテンボローは一瞬、言葉を詰まらせた。
 蒸し返しやがって、と相手を睨つけたが、その表情に揶揄も意地の悪さもないのに気付いた。
 一寸だけ躊躇い、
「いや、さ……少しは空が近く見えるかなって」
「空、ですか?」
 少々、面食らい、繰り返すように尋ねると、さすがに顔を赤くさせ、それでも、頷いた。


───人工天体内部の造り物の『空』に……
───人はどんな「夢」を見るのだろう……


 正直なところ、コーネフはその理由を聞いてみたいくはあったが、結局は聞かなかった。聞くべきではないと思えたからだ,
 他人の理由《わけ》は己の理由《もの》ではない。どれ程、共感し得ても、完全に己のものとはならない。
 ほんの一部でも重なる部分があるのなら、それを認識するだけで良いのだと思う。
 いや、そう思う事にする。
「……なるほど、ね」
 コーネフは密やかに笑うと、その意味を量りかね、目を丸くしているアッテンボローに、
「ただ、登るのは構いませんけど、呉々も気をつけて下さいよ。今日は俺が通りかかったから、良いようなものの、誰もいないところで落ちたりして、挙句に動けなくなりでもしたら、洒落にも冗談にもなりませんからね」
「あ、あれはー いきなり、お前さんが大声を上げるからだろうが」
「──ほぉぉ、小官のせいですか」
「ぐ、う……」
 の音くらいしか出てこない。
 全く、ポプランの気持ちが初めて、よぉく解った。そして、初めて、同情を覚えた。
 冷ややかさを装った視線を送っていたコーネフは声を出さすに笑い、又々げんなりしている少将の眼前で、先刻の書類をバサリと振る。
「しかし、提督も意外とマメですよね」
「……そぉかぁ?」
「そうですよ。こういう事務も結構、得意だって聞いてますよ」
「それが意外ってか? イゼルローン市長殿にまで見初められた、お前さん程じゃないよ。俺は宿題を溜めるのが嫌いなだけだしな」
 コーネフはもう一度、笑った。少しばかり、複雑そうなのは気のせいでもあるまい。
「俺も御同様ですよ。これは、早い内に提出しておきます」
「あぁ。頼むよ」
 頃合か、森林公園を出た。

『風』は木々の間に消えていく。
日常の騒きが周囲に流れていく。
『夢』と『現』が一瞬だけ、交わる。
そして、『夢』の時間も終わる……。


 軽く挨拶し、別れた。


『空』はもう、見えない。
だが、造り物でも『夢』は見られるのか?
それでも、『夢』を求めるのか──……。
その『形』は空のようにないのかもしれない。



 書類を手に、オフィスに戻る。
 室内の空気がピィーン☆と、一気に張り詰める。この雰囲気に気付けなかったとは確かに余裕が失われていたらしい。こんなことで、隊員達を追い詰めていたとは隊長失格だ。
 が、解っているのか、いないのか〜装っているだけだろうが〜朗らかに笑ってる奴もいる。
「ほ〜う。始業開始と同時にオフィスにいるとはお珍しい事だな。ポプラン少佐」
 厳密にいえば、此処は二空オフィスで、一空オフィスは隣室なのだが。
 第一空戦隊隊長オリビエ・ポプラン少佐は引きつった笑みを浮かべた。
「昼前に一空の連中が隊長を捜していたぞ。早く戻ってやったら、どうだ」
「さっき、捕まった。書類の件で、お前さんにちゃーんと礼と謝罪をしてこいって言われた」
「今更だが……本気か?」
 デスクに着き、無人のデスクから椅子だけ拝借し、その横に座っている十年来の同僚を冷ややかぁに睨付ける。
「もっちもっち、本気も本気☆」
 だから、勘弁しちくり、とは心の声^^;
「ほほ〜う。殊勝な心掛けだな」
「い゛…?」
 にっこりと美事なまでに綺麗な笑顔が向けられている。だが、嫌な予感しか湧かない。
 息を詰め、隊長達の様子を見守っている二空隊員及び、話を聞きつけ、押しかけてきた一空隊員もやはり、同様である。何しろ、コーネフ以外の動きが全て止まってしまったのだから。
 凍っているポプランの前に、パサッと書類が落とされた。
「えっとー、何ですか? これは」
 何故か、言葉遣いも丁寧になっちまう。
 コーネフは簡潔に、アッテンボローから伝え聞いたそのままに説明する。
「という訳で、訓練計画を出さなきゃならん」
「ハ、ァ……」
「間の抜けた声じゃなくて、出すのは訓練計画だからな」
 と、デスクの抽斗からディスクを取り出す。
「……あのー、コーネフさん?」
「空戦隊に回されてくる新兵のリストだ」
 訓練時の仮の所属を決め、その結果から両隊にバランス良く振り分けなければならない。
 ほんの僅かに椅子から腰が浮く、と!
「逃げるなよ?」
「う゛…っ。はひ;;;;」(こ、こあいょぉ〜TT)
 ……誰も助けちゃくれないようだ。(……御愁傷様★)



 固い光が宙に回り、踊り狂う。
 刹那、眩量に似た感覚が全身を冒す。
『各中隊、編隊を崩すな』
 以下、第一空戦隊隊長の訓示が第二空戦隊隊長機のコクピットにも流れる。
 戦隊など称しても、個人技の横行する空戦に三機一体の集団戦法を編み出し、取り入れたのはポプランだった。実に画期的効果的で、イゼルローン空戦隊の戦果と帰還率は跳ね上がった。
 無論、二空も採用している。
 互いに協力し、仲間と共に飛び、戦う──その認識が強まり、隊の結束もより纏まっている。
〈全く、恐れ入るよ。大した奴だ〉
 視界の中で躍動する『ハートのA』は確かに今の瞬間、この『クラブのA』と並んでいる。

 ……それでも、最後の最後は『独り』だ。

《了》

初出 1999年9月23日発行 『交錯』所収



 えー、これは『前世紀最後の大暴挙!?』を謳い文句としていた『銀英祭』に合わせて、書いた作品でした。でもって、目下のところ、輝版『銀英伝』最後の作品;;;
 イベント前にネタが浮かんだものの、筆が思うように走らず、苦労した作品です。当時の輝は『この話』を書くには「力不足、早すぎた」と感じていたようです。(後書によれば)
 今の輝はどうなのか? 新作ではないので、よー解からんけど、それなりに気になるところもあって、手直しはしました。でも、大筋は殆ど変化ナシ。(当然ちゃ当然)

 でもっての内容は“世にも珍しい人間関係の発展”を目指しているよーな取り合わせ★
 アッテンボロー&コーネフ──原作は本伝では全く接点ナシ。外伝でも全くといっていいほど、ナシナシ! 「じゃがいもメッた刺し目撃談」くらい? それも会話してるわけじゃない。
 尤も、だからこそ、想像力の働かせ甲斐もあるといえますかね。
 働かせ甲斐といえば、キャラ像にしても、自分なりに掴まなければ、話なんて書けません。「早すぎた」と感じた辺り、多分に輝がコーネフを掴みきれていなかったんでしょう。今はどうか? ……今も似たようなもんかなぁ。相方?があぁだから、余計に解からん。
 そんなこんなでのアッテンボローとの付き合いにしても、大して深くはなさそうです。上官としても直属ではないし……。ただ、一寸した邂逅でも触れ合える『似た部分』があるのでは? と思った次第☆ そのせいか、影の主役がポプランで、アッテンは進行役じみてしまったかな。

006.05.04.

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