傷 跡 ふみ


エピローグ

 何か暖かいものに包まれた夢をみていた。とても優しく、そして心地好いものに…。
 時計を見ると、昼を疾うに過ぎている。こんなに寝たのはいつ以来だろう。
 気だるさに身を委ねていたが、次第に鮮明になる意識で人の気配を感じた。
 昨日、俺は…。
 脱ぎ捨てたシャツとジーンズを穿き、人の気配を感じるダイニングに行くと、ミライが食事の準備をしていた。
「あら、ちょうど良かった。今、起こそうかと思っていたのよ。」
 優しい笑顔が、俺を迎えてくれた。


 ミライが作ってくれた食事を一緒に食べながら、昨日のことを思い出していた。
 昨夜、スノーとシャーリィが去った後、俺とミライが残された。
 スノーの『現実から逃げるな』『結論を出せ』という言葉とともに。
 ミライの転任…。今まで、共にジャブローにいられたことは奇跡に近い。そんな奇跡も、もう続かない。だから、『結論』を出せと。
『結論』──ミライと共にいるか、彼女を忘れ去るか。
 共にいるのは…辛い。忘れ去ることは…出来ない。
 しかし、俺には選ぶ権利はない。何故なら俺は罪人《つみびと》だから。
 俺には幸せを求める権利はない。…そう思っていた。
 だから俺は…。
「ミライ…俺は…。」
 『結論』を口にしようとしたその時、ミライは俺を抱きしめた。
「もう自分を赦して。」
 そう言って。
「罪人は私も同じ。…だから、もう自分を赦して。」
 そう言って、俺を優しく抱きしめる。
「私は貴方と共に生きたい。」「赦されない罪なら共に負うから。」
 そう言って、ミライは俺を強く抱きしめる。

 彼女に抱きしめられ、やっと俺は理解した。
 クスコ・アルを撃った理由を。彼女の手を取らなかった理由を。
 ──疾うに『結論』を出しているという事実を。
 そのことを全て理解して、俺は泣いた。あの戦争が終わって、初めてきちんと泣いた。
 そして…。

 ミライを抱いたのは、初めてではない。
 ホワイト・ベースが沈んだ日、全ての責任から解放されたあの日、俺はミライを初めて抱いた。―人の肌の温もりを求めて。
 だが、肌は温まらず、寂しさばかりが広がった。
 当たり前だ。何故なら、あの時、抱いていたのは可哀想な自分自身だったのだから。
 昨日は違う。
 俺は彼女に温かく包まれた。温かく包まれ、俺の心は優しさに満たされた。
 そう…俺達は本当に一つになれたのだ。

 俺は…。
 ずっとミライが好きだった。いつからという自覚がないほど、ずっと前から。
 彼女の強さが、優しさが、好きだった。しかし、想いを伝えたことはない。──あの時までは。
 彼女のことを理解していると思っていた。彼女も俺のことを理解してくれていると思っていた。
 だから、何も言わずとも理解り合えると思っていた。…そんな都合のいい話はないのに。
 想うだけでは伝わらない。伝わるわけがない。──当たり前のこと。
 だが、俺はそんな当たり前のことも理解らない『子供』だった。
 そんな俺に愛想を尽かし、ミライは『大人』の存在を求めて…スレッガーに惹かれた。
 ショックだった。が、正直、彼には敵わないと思った。仕方のないことだと…そう思った。
 それでも、ミライへの想いはだけは誰にも負けないと思っていた。
 だから、あの時、俺の本当の想いを伝えた。

「君をいつまでも待っているよ」と。

 スレッガーの死後もミライの想いは、彼に向けられていたが…それでも彼女が好きだった。
 俺が、傍にいることを思い出してくれるまで待てると思っていた。
 彼女が好きだったから。
 なのに…。
 俺は彼女―クスコ・アル―に惹かれた。ジオンのスパイだった彼女を求めた。
 あの孤独な瞳に魅せられた。あの破滅を望む瞳に引寄せられた。
 …いや、呼び寄せたのは俺だったのかもしれない。
 引き寄せたのは俺だったのかもしれない。
 俺は少し疲れていたから。
 愛する人をただ待つということに。艦長であることに。戦うということに。
 俺は、生きていくということの全てに少しだけ疲れていた。

 しかし、俺はクスコ・アルを殺してしまった。──自らの手で。
 俺に残されたのは、血に染まった穢れた手と永遠に消えない右肩の傷だけだ。
 そして…俺は消せない傷跡を抱えながら、彷徨っていた。
 あの昏い宇宙を。──現実と無の境を。
 いや、そう思いたがっていただけだった。何故なら『結論』は出していたのだから。
 受け入れることができなかったのは、殺してしまったクスコ・アルの『死』
 俺が殺した、俺が殺させた『人間の死』──前の戦争で失われた『命の重み』
 俺はその『現実』に向き合えなかった。…ただ、それだけだ。
 そう…俺は自らの心に迷宮を作り、自分自身を憐れんでいただけだ。

 そんな俺を『現実』に向き合わせてくれたのはスノーだ。
 彼が、自分で作った迷宮に迷い込んでいた俺を引きずり出してくれた。
 彼が、俺をミライの許に帰してくれた。──俺の相棒が…。


「お味は、どうかしら?」
 ──浮いていた意識が戻る。
「ああ…美味しいよ。」
「よかった。有り合わせのもので作ったから。…でも冷蔵庫の中身、酷いわよ。」
「昨日まで、フライトで留守にしてたから仕方ないだろ…。」
 ミライの言葉に、小さな声でブツブツ抗議していると、ミライが可笑しそうに声を立てて笑った。
 そんなミライを見ていたら、俺も何だか可笑しさが込み上げ、久しぶりに声を立てて笑った。
 お互いの笑いが収まると、ミライは目尻の涙を拭いながら、しみじみと言う。
「こんな風に普通にブライトと喋るの、久しぶりね。」
「そう…だな。」
 いつも傍に居たのに。こんなに近くに居てくれたのに。本当に大切に想っていたのに…。
「あ…、コーヒー淹れるわね。」
 俺の視線に少し慌てたミライが席を立とうとした。
 俺はその手を掴まえる。強く引っ張り、胸元に引き寄せた。
 抗議の声を上げようとした唇を塞ぐ。──強く、深く、想いを込めて。
 漸く解放したミライの唇を、今度は優しく触れる。
 繰り返し、角度を変えて。それは次第に深さを増していく。
 そして…熱を帯び始めた彼女を俺は抱き上げた。

 ミライをベッドに横たえ、再びキスをする。その唇に、瞼に、耳朶に、首筋に…。
 次第に露わになるミライの肢体。その何処もが眩しく美しい。
 俺も着たばかりの服を再び脱ぎ捨てる。

 ──現れた右肩の銃創。

 その傷跡を、ミライは指でゆっくり撫でる。愛おしげに優しく。
 傷跡を触れていた指が、頬に移動して、俺の顔を優しく包み込んだ。

「ブライト…、私は貴方にクスコ・アルのことを忘れてとは言わない。彼女への想いも今の貴方の一部だから。だから…私もスレッガーのことは忘れない。彼への想いも今の私の一部だから。でも、これからは私だけを見て。私も貴方しか見ない。私にはもう貴方しか見えないから。だから…お願い。私は…貴方を…貴方を愛しているわ、ブライト。」

 俺は、彼女の首筋に顔を埋め、耳元で囁く。

『俺も君だけしか見えない、ミライ』と…。



 スノーに会ったのは、休暇明けのオフィスだった。
 ミライとのことは…報告していない。報告をするつもりはあった。…が、気恥ずかしかった。
「少佐、おはようございます。」
 オフィスでスノーは完璧な敬礼で俺を迎えた。
 俺は、負けじと完璧な返礼をして…何も言わない。
 始業時間を向かえると、俺達は、無駄口を一切叩かず、物凄い勢いで事務業務を片付ける。おまけに、スノーの俺に対する態度は、いつもとは違い、完璧な部下。──おかしいと思わない方がどうかしている。
 そんな俺達を、遠巻きにシャトル・スタッフ達が不思議そうに眺めていた。
 やがて、終業のチャイムが鳴り、スノーは帰り支度を整え、俺に帰りの挨拶をする。
 俺が返礼もせず黙っていると、スノーはそのまま出て行こうとした。
「中、中尉!」
 慌てて呼び止めた。
 スノーは黙って、こちらを振り返る。──あくまでも無表情に。
「中尉、今日暇があるのなら付き合ってほしい。…は、話があるんだ。付き合え、スノー!」
「少佐がそう仰るのなら、お付き合いいたします。」
 にっこり微笑んで了承するスノー。が、その口の端が意地悪く上がったと見えたのは、見間違えではないと思う。


「…で、何のお話でしょうか、ノア少佐。」
 終業後、行きつけの店に入った。暫く無言で飲んでいたが、スノーはそう言って、話を切り出す。
 口調は丁寧だが、その態度は勤務中と違い、とても上官を前にした態度ではない。
「今度の休み、空けといてくれ。」
「それはまた何の御用でしょう、少佐。」
 言いたいことは分かっているくせに…。あくまでも俺に言わせようとする。
「お前の家に、ミ、ミライと挨拶に行きたい。──俺は彼女と結婚する。」
 最後のセリフは、持っていたグラスの中身を飲んで、一気にそう言った。
 言い終えて、横目で見ると、スノーは嬉しそうに微笑んでいる。
「……知っていたんだろう?」
「まぁな。ミライさんから報告を貰っていたから。でも、お前の口から聞きたかった。」
 そう言って、グラスに酒を注ぐ。
「おめでとう、ノア。幸せに、な。」
「スノー、お前のおかげだ。感謝している。…本当にありがとう、スノー。」
 俺は、相棒に心からの感謝をする。



 スノーと別れての帰り道、夜空を見上げた。そこは偽物の空。宇宙には続いていない。
 俺は、その見えない宇宙に想いを込めて、彼女に話しかける。
「クスコ・アル…。俺は君の『死』を、きちんと受け止めて生きていくよ。君を忘れないために俺は生きていく。だから…今はさよなら。君もゆっくりとお休み。だけど、いつか君に会いにいく。だから…それまではさよなら。…クスコ・アル。」

『… ソ レ デ セ イ カ イ …』

 そう囁いて、右肩の傷跡にキスをするクスコ・アルを微かに感じた。

《了》


 ふみさんよりの頂き物小説・最終章☆ 基本的にはハッピーエンド♪ しかし、随分と敵も作ってしまったに違いない誰かさん。……刺されなきゃいいけど^^;
 最後まで良い奴だったな、ふみさん版スノー♪ では、作者様コメントもどうぞ★ ヒーロー? 誰が??

2004.11.03.



 『傷跡』を読んでいただいた方、ありがとうございました。
 タイトルは…そのまま「右肩の傷跡」「心の傷跡」「戦争の傷跡」からです。

 この作品を書いたきっかけは『幻のブライトとクスコ・アルの恋愛話』を求めて、サイト廻りの旅に出て、出会った輝さんの『ANOTHERS』、同時収録されていた舞☆麗斗さんの『決別』。お二人の作品に出会い感動し、無謀にもその続きを…と思ったことです。
 心に傷を負ったブライトとミライの二人。その二人をどうしても一緒にしてやりたかった。ただそれだけの思いでした。
 愛する人を自らの判断で殺してしまったブライト。そういう状況を作ってしまったミライ。二人は心の迷路からは自力では出ることができないだろうと。そこで我らがヒーロー、スノーに助けてもらおうと。…そう思ったのです。
 ということで、ミライとブライトを同じ場面を回想させて想いのズレを出し、そのズレを埋めるのが言葉で、その二人の言葉を繋ぐのがスノーだということで書いたつもりですが、どうだったでしょうか…?
 で、最後にブライトがタラシになっていますが…20歳の男の子だったら、「辛いことを考えたくない時は、誰でもいいから忘れさせてほしい…」となるのでは?と思ったのです。
 が、不快に思った方がいらっしゃったら、すみません。謝ります。ごめんなさい。
 でも、あれじゃブライト、刺されますよね。相手は女性士官だし…。しかも彼女たち、銃持っているんですよね…。(ヤバイ)

 最後まで拙い文章を読んでいただいた方、ありがとうございます。初めての小説とはいえ、読みづらい点が多々あったことをお詫びします。
 そして、勝手に続きを捏造した上にキャラまで拝借し、尚且つこのような場を与えていただいた輝さんに感謝いたします。

 本当にありがとうございました。

ふみ

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