DISTANCE 後篇
リンゴーン……
悲しげな鐘が響き渡る。弔いの鐘が……それとも、それ故に、淋しくも悲しく聞こえるのだろうか。この日、エンドン国王の葬儀が執り行われようとしていた。 数日前まで、『影の王国』の支配下にあったデルの町では、国を奪われ、荒らし、民に要らぬ労苦を負わせたと憎まれてさえいた嘗ての王は、正しく命懸けで、国を民を救うべく密かに動いていたのだ。 そして、命を落とした──いや、捧げたのかもしれない。治めるべきだった、このデルトラという国に……。 その思いを、民は受けとめたのだ。多くの民が亡き王を葬送《おく》るためにデル城に集い始めていた。次第に数を増すデルの人々を見て、リーフは慰められる思いだった。 勿論、葬儀そのものは礼拝堂で行われるため、人々は城の中庭に通されていた。そして、思い思いの形で、祈りを捧げる。 礼拝堂にはリーフとシャーン王妃、ジャスミン、バルダの他には七部族の者も揃っていた。ゼアンやマナスら代表者だけでなく、この数日の内に、夫々の一族の主だった者たちも駆けつけてきていた。とはいえ、ジャリス族や平原族は既に一族を成してはいないので、この限りではないが。 最大のトーラ族は祭祀を司る神官も寄越してくれた。王ともなれば、町の民の葬式の如くとはいかないのだから、これは有り難かった。 リーフは儀式の準備一つにしても、人々の援けなくしては何事も進められないのだと改めて、思い至った。鍛冶屋に必要ないようなことを教えられたとはいえ、限界もある。今後も、人々の協力は絶対に欠かすことはできないだろう。 レジスタンスの協力者たちも近くで固まっている。だが、一人だけ、いるべきでありながら、姿を見せない者もいる。 「リーフ。ジャードは?」 母に小声で尋ねられるが、応えようがない。 「昨日から、会ってない。ジャスミンは?」 だが、ジャスミンも首を横に振るばかりだ。 「そう。……昨夜は此処にいたはずなのですけど」 「此処に?」 「えぇ。エンドンの傍にいてあげて、とお願いしたので」 「何か言ってた? その…、彼は」 「特には。解ったとだけ……」 だから、この礼拝所に、昨夜はいたに違いない。亡き親友の傍らで、彼は何を考えていたのだろう。そして、夜が明けたら、出て行ったのか。 「参列する気はないのかもね」 ポツリとジャスミンが呟く。バルダも腕を組み、大きく息を吐き出した。 「一寸、探しに──」 「リーフ様、シャーン様。此方にお出で下さい」 踵を返しかけたリーフだが、祭祀を司る神官に呼び止められてしまった。リーフはジャスミンに目配せをする。 ──ジョーカーを捜してきてくれ、と…… だが、ジャスミンは余り乗り気な様子ではない。それを認め、バルダが横から、口を挟むが、 「俺が捜してこようか」 「バルダ殿、ジャスミン嬢も御二方の御傍に」 二人はいわば、世継ぎに協力した救国の功労者だ。立ち位置までが定められているようだ。 束縛を嫌うジャスミンにすれば、少なからず鬱陶しい。リーフを支えるために、この城に残ると了承したことを早くも後悔しかかっていた。 〈支える、か。でも、何をすれば、いいのかしら〉 勇気と力を貸してくれ、とリーフは言ったが、独り、森で生きてきた自分の勇気はともかく、本当は大した力なんてない。国を治めるのに、役に立つとも思えない。 そして、今この場にはいない父を思い出す。ジョーカーとジャードと、二つの名を持つ父を。 毛嫌いしていたはずの男が実は父だった──案外に、あっさりと納得してしまった自分が妙に可笑しい。事実は事実としても、別れた頃の記憶が朧気なのは今も変わらないのに。 ただ、宝石探しの旅をしていた、何も知らなかった頃、記憶のない男に過剰反応をしていたのが、自分でも気付かぬ深いところで、無視できない相手だと察していたからかもしれない、と漠然と考えてはいた。 そして、その男は──喩え、記憶がなくても、その存在が親友たるエンドン国王を支えていたに違いない。 考えてみれば、二人は少年時代を共に過ごしただけなのだ。 なのに、ジャードは親友のために全てを擲ち、捧げたも同然だし、エンドンもそれを受け止め、応えるために自らの存在を殺し、親友に成りすまし、生きてきたのだ。それはジャスミンの母アンナとシャーン王妃も同じだ。 双方、何という覚悟だったのだろう。自分たちではまだ、そこまでの覚悟なんて作れない。 〈それなのに、どうして、来ないのよ。これで、お別れなのに〉 トーラの魔力で、亡骸も数日は腐敗も抑えられるが、早くに葬られるべき存在であることに変わりはない。何より、休ませてあげるべきだと……。 そうなれば、もう触れることも叶わなくなるのだ。 物思いに沈むジャスミン──恐らくはリーフやバルダ、シャーン王妃も内心では気を揉んでいることだろう。 ジャスミンは段々と苛立ちすら覚えるようになってきた。こんなに自分たちが心配しているのに、あの人は何故!? だが、式は始まり、滞りなく進められていく……。 「それでは、最後のお別れをお済ませ下さい」 亡骸の納められた棺は閉じられ、釘が打たれるのだ。 全てを遣り遂げたと満足そうに微笑んでいるかに見える穏やかな顔を見ることができるのも、これが最後……。 「貴方。ゆっくり休んで下さい」 「父さん。きっと、この国を守ってみせます」 妻と息子に始まり、参列者たちが花を捧げ、声をかける。七部族、レジスタンス、鍛冶屋の常連──人々の列は国のために尽くした王の死を悼み、花に埋めていく。 だが、それも何時しか終わりを迎える時が来る。 「では、釘を──」 デルトラ初代国王が鍛冶屋だったためもあり、デルトラは火を神聖なものとし、王家の葬儀も火葬だった。 今のような時分、王のものとしては実に質素な棺に蓋が嵌められ、数人の神官が釘を打とうする。 「ま、待って──」 「リーフ様? 如何されましたか」 「あ…、あの。もう少し、待ってくれませんか」 「何故ですか。トーラの魔力とて、万能ではありません。況してや、此処はトーラを遠く離れた地。これ以上、時をかけては御遺体が傷むことにも……」 語り草にもなるトーラの魔力だが、最大の力を発揮するのは彼らの本拠地たる西の都トーラに於いてだ。 デルは東の都。魔力の強い者は確かに力を揮えるが、この地に殺がれるものらしい。 「それは解っています。でも、もう少しだけ」 まだ、別れを済ませていない人がいるのだから……。 「本当に、何やってんのよ。あの人」 苛々と呟くジャスミンの気持ちも解る。バルダも肩を落とし、シャーン王妃は悲しげに、礼拝所の入口を見遣るだけだ。 「一体、誰を待っているのでしょう」 「さぁ……」 七部族の者たちも首を傾げるばかりだ。 その誰かが来るような気配もなく、ただ徒に時が過ぎるばかり。 「リーフ様。もう宜しいですな」 「あの…、後少しだけ」 「リーフ様。お父上を早く眠りにつかせてさし上げるべきではありませんかな」 溜息混じりながら、神官が諭すように続ける。それに、ジャスミンまでが同調した。 「その通りよ、リーフ。もう、いいわよ」 「でも、ジャスミン」 「それを、あの人が選んだんだから、仕方ないじゃない」 「でも……」 それ以上の反論ができない。確かに、ジャスミンの言う通りなのだ。 「よぉ。あの人って、誰だよ」 他の者たちの疑問をよそに、リーフは諦めきれず、唇を噛みしめる。 本当に、これで良いのか。最後の別れもせずに、後悔しないのか、あの人は? 神官が待機する者に頷き、愈々、釘が──その時だった。リーフの着けている『デルトラのベルト』が激しく発光したのだ。 騒然となる人々……殊に強く輝いているのは『誠実』の象徴にして、霊界と現世とを繋ぐトパーズだった。 「あれは……」 広がる光が次第に淡くなる中、リーフの傍らに一つの人影が浮かび上がる。 「……リーフが、もう一人?」 リーフによく似た、しかし、幾らか幼くも見える少年だった。 少年はキョロキョロと不思議そうに周囲を見回す。 「エン…、ドン?」 シャーンの呟きに、誰もが驚愕する。トパーズが霊界から、エンドン国王の霊を呼び寄せたのか。しかし、何故、少年の姿なのか。 「父さん? 本当に…」 リーフも茫然とするばかりだが、その呼びかけも聞こえていないのか、しきりに辺りを見回している。誰かを探しているのか? 誰もが動けない中、不意に少年王の霊はパッと顔を輝かせた。そして、 『──ジャード!!』 駆け出してくる。ひたすらに驚くだけの人々は、その姿を追う。その先には──少年王と同い年くらいの、やはり、淡い光に包まれた、もう一人の少年がいた。 『ジャード!』 「エンドン……」 飛びつく少年王を、ジャードと呼ばれた少年は確かに受け止めていた。幼い頃からの唯一の親友──王国崩壊の日に再会したものの、長く長く別れることとなった二人の、紛れもない再会だった。 「あれが、ジャード?」 「何で、あっちも子供の姿なんだ。いい歳のはずだろう」 「まさか、ジャードも死んでるんじゃ……」 色々と興味津々に憶測するのも仕方があるまいか。 『会いたかったよ、ジャード。あの時の君に、ちゃんと謝りたかったんだ。ずっと──』 「……エンドン」 少し困ったように、少年はその名を呼ぶだけだ。 あれは、最初に二人が別れることになった時の姿なのだと、リーフたちは思い至った。 『ゴメンよ。ほんの一瞬でも…、どうして、君を疑ったりしたのか。僕は恥ずかしい。自分の愚かさ加減が嫌になる』 「もういいよ。それに、君はよくやったよ」 『え?』 「よく、頑張ったな」 『ジャード……』 少年王の霊はボロボロと涙を流した。 『それも全部、君のお陰だ。君の……。なのに…、なのに、僕は君に何一つ、報いることもできないままで』 「そんなことはない。未来を──この国に残してくれただろう?」 涙をそっと拭いてやりながら、少年は笑った。 「それこそ、誰もが望んだものだ。そうじゃないか」 『うん……』 「君は、よくやったよ」 『ジャード』 「何度でも言ってあげるよ。君は、よくやった。これ以上にないくらいに。君は立派なデルトラの王だ」 まるで、弟を宥める兄のようだ──幼い親友たちは、本当に兄弟同然だったのかもしれない。 「本当…。あの料理人のお爺さんの言った通り、リーフとジャスミンに似てるね」 「そうだね。何だか、あの子、ジャスミンの男の子版って感じもするし」 マナスとグラ・ソンが囁き合う。 似ているのも道理なのだが、無論、今、それを説明する者はいない。 だが、ふとゼアンが眉を顰めたのに、ファーディープが気付く。 「どうかされましたか」 「いえ。何となく、誰かに……」 確かにジャスミンにも似た深緑の髪と明るい空色の瞳──その取り合わせに覚えがあるような気もするのだが、はっきりしない。 その間にも、砂時計の砂が零れ落ちるように、時は刻まれる。
全ての視線を一身に浴びながら、親友の腕の中で、幸せそうでもあった少年王の霊が再び輝き出す。トパーズの効力はそう長くは続かない。正しく、それは一瞬の奇蹟に等しい。 再び、彼らに永い別れの時がきたのだ。 『ジャード。会えて、嬉しかった』 「うん…。僕もだ。またいつか、会いに行くよ」 『会いに?』 「あぁ。約束するよ」 『君の約束は絶対だね。待ってるよ。今度は僕が──』 何年でも、何十年でも……。 『でも、そんなに急がなくてもいいから!』 慌てて付け加えられ、ジャードも苦笑した。『会いに行く』とは、つまり、自分も死ぬことだからだ。人間ならば、いつかは迎えるものだ。別に恐れることもない。 愈々、輝きが強まる。 『さようなら、ジャード』 「さよなら……」 あの時…、突然の別れで、何も交わせなかった二人の少年は今、漸くその言葉を交わし合う。少年王の霊は光の珠となり、その姿の判別もできなくなる。そして、急速に小さく小さくなり……消えていった。 「……心配はいらない。ゆっくり、お休み。エンドン」
まるで、夢の如き出来事だった。殆どの者が呆気に取られている中、残された少年は棺へと向かう。だが、その姿も朧気な光を纏わせ、薄らいでいく。 次第に別の──全く別の姿が人々の目には映し出されていった。トパーズが生み出した幻の少年が、現実の姿を取り戻す。 棺の前で立ち止まった背の高い男の広い背中が揺れ、その傍らに跪いた。 「……マジかよ」 「あの人が、ジャードなの?」 「まさか……」 その男を見知っている者であるほどに、自分の目を疑ってしまう。 周囲の目なぞ、気に止める様子もなく、男は棺の前で祈りを捧げている。 何者にも屈さず、膝を折り、頭を下げることなど、あり得ないと信じられているレジスタンスのリーダー。殆どの者には底知れぬ謎多き男と思われてきた──ジョーカー。その彼がエンドン国王の親友ジャードだと? 誰もが疑うのも仕方がない。ジョーカーは常に王家に厳しかった。『民を虐げる王など要らぬ』と公言して憚らなかった。 詳しい経緯など、誰も想像もできない。ただ、現実として、そう、目の前にあるということか。
奇妙な沈黙を破ったのはシャーン王妃だった。 「ジャード。よく、来てくれました」 見事な姿勢で立ち上がった男は、シャーンを振り返る。いつもと変わらぬ、無表情さからは、その胸の内を量ることもできない。それでも、 「エンドンも…、本当に喜んでいましたわ。ずっと貴方を、待っていたのですから」 十七年、全く音沙汰のなかった親友──いつか、宝石探しの旅に出ると言っていたのに、それらしい情報が全く入ってこなかったため、きっと彼らに何かあったのだと、考えるしかなかった。 自ら確めに旅立つこともできず、親友の身を案じ、不安に押し潰されそうになりながらも、自らに課せられた役目をひたすらに果たした。 真の世継ぎを育てること──それを、あの親友も望むはずだと信じ……。 やがて、これ以上、待てないと判断したエンドンは世継ぎたる息子を送り出した。広き世界へと……。そう、デルトラ王国は広い。もしかしたら、情報が入らない彼方の地で、ジャードも動いているかもしれない。ならば、どこかで会うこともあるだろう。そんな一縷の望みをも持ちながらの選択だ。 それは確かに叶えられた。エンドンの予想とは大分、違う形ではあったが。 ジャードは間違いなく、国の解放のために戦っていた。過去の記憶を失い、魔法のベルトのや宝石のことなど考えもせず、人の力によって、成し遂げようとしていたのだ。 「ジョーカー。その…、ありがとう」 リーフもジョーカーの前に進み出る。様々な思いが湧き上がるのに、口にしてしまうと陳腐にしかなりようがない。 「全く、結局、出てくるのなら、さっさと来ればいいのに。気を持たせるんだから」 「ジャスミン。そういう言い方は」 憎まれ口としか言いようがないが、ジャスミンなりに心配していたのも間違いない。 すると、ジョーカーが薄く笑った。本当に微かなものではあったが。 「ジャード。このような場ですけど、昨夜のお願いの返事を聞かせて下さいませんか」 シャーンが実に自然にジョーカーを「ジャード」と呼ぶのを聞いていると、もう疑う余地はないのだが、それでも、どこか違和感が付き纏う。 「お願い? 母さん、何を」 「勿論、このまま、この城に留まって下さいと、お願いしたのよ。これからも、私たちを支えて下さいと」 これには七部族よりも、レジスタンスの間から、歓声が上がる。彼らのリーダーが王妃に請われ、新王の側近に取り立てられるということは重大な意味を持つ。 「それは僕も考えていたことだけど」 「昨夜、お話して、この人は返事しなかったってことですか」 「えぇ。少し考えさせて欲しいと」 ジャスミンが少しだけ険しい顔をする。何故なのかが、リーフにはよく解らない。 「どうして、直ぐに返事しないの。考えるまでもないし、願ってもないことでしょう」 「かもしれんな。だが…、いや、それほど意味はない。ただ少し、自分の中を整理したかっただけだ」 「整理?」 初めて、この場で口を開いた彼の声には、殆どの者が知る冷たさや刺々しさが感じられなかった。なるほど、彼がジャードなのだと、この時、誰もが納得しかけた。 尤も、実際はそれほど、単純でもない。 「ジャード?」 「……その名で呼ぶのは止めて貰おう。それは彼にやったものだ。今更、名乗るつもりはない」 棺を見遣るジョーカーに、シャーンが微かに息を呑む。正しく、その名を十七年間、使ってきたのは棺に眠る彼女の夫なのだ。 「……解りました。ジョーカー。それで、返事は」 「その前に、一つはっきり言っておきたいが、私は貴方の知っているジャードではない」 王家に、王に無条件の愛情と、その身の全てを捧げたジャードではない。 王家の血筋にのみ拠る不確かな魔力を礎としたデルトラのベルトに頼るのではなく、人の力で国を解放し、守ることを目指し、レジスタンスを率いてきたジョーカーだ。 整理をつけるとは、王家を愛しながら、憎みもする相反するほどの二つの心を、今も抱えているからだろうか。 「民を苦しめ、蔑ろにする王など必要ない。人は、人の力で、その足でこの地に立つべきだと」 「で、でも、ジョーカー! デルトラのベルトの力は本物だったじゃない。貴方だって、それは認めているはずでしょう。影の大王を追い払うにも絶対必要だって」 「必要なのだろうな。それはもう否定せん。残念ながら、強大な魔力を持つ影の大王に対抗するには、やはり魔力も……だが、全てではない。王家と民の互いに対する信頼もまた、絶対に必要なものだと、この戦いで解ったはずだ」 「それは勿論、解っています」 「解っている、か。ずっと、そう心に留めておけると誓えるか。リーフ。もし、お前が…、いや、王家がその心を再び忘れることがあれば──俺は王家に見切りをつけるぞ」 「ジョーカー!!」 ジャスミンが口を挟むが、まるで対峙するが如く、向かい合う二人には聞こえていないようだ。恐ろしいまでの緊張感に、居合わせた全ての人々が固唾を呑む。 ジョーカーは本気だ。ジャードでもある彼が本気で、嘗て愛した王家を見捨て、今度こそ魔力なぞ必要としない方法を模索することだろう。 「それも必要かもしれないね。止めないよ、ジョーカー。でも、僕は忘れない。何も持っていない僕を信じて、協力してくれた大勢の人たちのためにも」 七部族やレジスタンスの者たちを見遣りながら、続けるリーフ。 彼に人々が力を貸したのは彼が『王の世継ぎ』だったからではない。 デルトラを、民を苦しみから救おうという少年の必死さが、その思いの強さが通じたからだ。 〈何も持っていない、か。冗談ではないな〉 この少年は自分がどれだけ大切なものを沢山、抱えているか解っていないのか。 それもまた、資質というものかもしれないが。 万一、道を踏み外すことがあったとしても、無理にでも引き戻そうとしてくれる人間が、それこそ山のようにいる。何という宝だろう。 〈エンドン。俺たちは…、そこで、もう間違いを犯していたんだな〉 互いにあるのは互いだけ──それはとても居心地のよいものではあったが、何と狭い世界だったのか。 だから、一寸した行き違いで、互いを失えば、何も残らなかった。 だが、城の外に出たジョーカーは他にも大切な存在《もの》を得ることができた。 エンドンも、決められた結婚だったとしても、掛け替えのない伴侶を得たのだ。 そして、共に次代を担う子供たちも授かった。その子供たちもまた、支え合っている。ただ、親と違うのは──互いが全てではないということか。 ジョーカーは一瞬、瞑目し、微かに苦笑した。 「まぁ、いい。ところで、シャーンの意向はともかく、お前自身、本音ではどうなんだ。ウルサい奴はいない方がいいんじゃないのか?」 「貴方、また。そんな言い方──」 「いいんだよ、ジャスミン。ウルサいことを言ってくれる人がいないと。直ぐに忘れて、また間違ってしまうかもしれないからね」 人間はいとも容易く、忘れることができる。デルトラ初代国王アディンが『影の大王』との戦いに勝利するために、如何に腐心し、尽力したことか──だが、それさえも孫の代には遠い過去になっていた。 アディンとは違い、リーフはそれを見越して、未来を見ることができる。『影の王国』が未だ、この国を諦めていないとあれば、それも強みではあろう。 「フ…。いいだろう。ならば、残ろう。できる限りの協力はする」 「──ありがとう」 リーフは歩み寄り、ジョーカーの手を握った。振り払われるようなことはなかった。 「それと、ジョーカー」 「何だ」 「あの…、ちゃんと、お礼を言っておきたくて。貴方に。父さんの親友のジャードに」 古い名前を持ち出され、微かに眉を顰めたが、次の言葉を待っている。 「ありがとう。僕が生まれる場所をくれて。住む場所をくれて。父さんと母さんと、僕が…生きていく場所を……くれて……。どんなに感謝しても、足りないよね。貴方にもアンナさんにも、それから、ジャスミンにも」 「リーフ……」 ハッと顔を上げるジャスミンに、リーフは笑いかけるが、事情を知らぬ者たちは何故、そこでジャスミンが出てくるのか解かるはずもない。 「そうだ。貴方がいなかったら、ジャスミンもいないんだよね」 「ホゥ。一番、感謝したいのはそこか」 揶揄に、顔を真赤にするリーフ。 「オヤオヤ。マジか」 「いやっ、そんな!」 「何よ、リーフ。随分、思いっきり否定してくれるじゃない」 「そっ、そんなことないよ」 何やら、揉め始めた若者二人に、バルダも含めた年長者たちは笑っていたが、大部分の理解は蚊帳の外だ。 「あのぉ、ジョーカー。どういうことですか?」 代表して、マナスが思い切って尋ねる。興味津々でもあるが。 「あぁ。あのじゃじゃ馬は俺の娘だ」 「「「「「「「………;;; ……………でえぇーーっっ!?」」」」」」」 「そこまで驚くことはなかろうが」 「道理で、子供の頃のジャードとジャスミンが似ているはずだわ」 グラ・ソンが感心?する一方、リーフに詰め寄っていたはずのジャスミンが耳聡く反応する。 「とゆーか、じゃじゃ馬って何よっ」 「言い得て妙だろうが。まさか、自覚がないのか?」 またもや、揶揄うように、口許を歪めるジョーカー。どうやら、この辺はジャードにしても共通する性格らしい。 さて、その娘だが──森の中を駆け回り、木の間を飛び回り、ナイフを振り回し、魔物とだって、渡り合う。それはもう勇敢な娘だ。 「そりゃ、貴方の娘ですもの」 今度はジョーカーが珍しく、面食らったような顔を見せた。皆の前で、ジャスミンが自ら、自分と父娘なのだとはっきり認めるような発言をするとは思ってもいなかったのだ。 向かい合い、奇妙な沈黙が繋ぐ父娘の姿に、他の者たちは口許を綻ばせる。何とも、不器用で、しかし、紛れもなく互いへの愛情を抱いている。 「……アンナもきっと、安心しているでしょうね」 ほんの僅かな時を共有しただけだった、名を貰った女性。突然の運命の変転をも夫と共に受け容れ、決して負けなかった強き人。生きて、再会が叶わなかったことは残念でならないけれど──きっと、彼女は残していく夫や娘のことだけを案じ続けただろう。 だから、きっと……。 「あ、あの、皆様。そろそろ、式に戻りませんと……」 「良いではありませんか。皆さんが笑っている方がエンドンは喜ぶと思いますよ」 「はぁ……」 実に控え目に促したトーラの神官だったが、肝心のシャーン王妃が鷹揚すぎるほどなのに、嘆息するばかりだった。 在るべき者が揃い、亡き一人の王が葬送られていく。 リンゴーン…… 鐘が響き渡る。けれど、聞く者の涙を誘っていたはずのその音色は、心なしか明るく、空高く突き抜けていった。 光を取り戻した世界と新王と、人々とを寿《ことほ》ぐように……。
翌日から、本格的に国の再建のために、デルトラは動き始めた。国を立て直す。以前のように、いや、よりよく明るい未来ある国をと、皆夫々、希望に満ちていた。 象徴に等しいデル城や城下《まち》も建築の得意なララド族により、次第に復興されていく。 城に在る人々は勿論、最も精力的に働いている。ジョーカーが中心になり、デル城下だけでなく、各地の状況調査も開始された。七部族を初め、各地方都市の名士とのツテやレジスタンスの情報網も最大限に活用される。 また、嘗ての衛兵隊を一から組織し直すために奔走しているのがバルダだ。既に志願してきた腕に覚えのある者たちもいた。とにかく、今は何をするにも人手が足りないのだ。 しかし、こうなると、リーフやジャスミンの出番はなくなってくる。さすがに新王自らが衛兵隊の組織作りに参加するわけにもいかない。 勿論、何もしていないわけでもない。求められることも多い。まだまだ学ぶことは幾らでもあるのだから。 時にリーフはジョーカーについて、人の動かし方なども見ていくことになる。 急がず、焦らず、一歩一歩を確実に──結局はそれが一番の近道なのだと。
「差し入れだ。食ってくれ」 「有り難い。丁度、小腹が空いていたところだ」 仕事の手を止め、机に置かれたバスケットに皆が集まる中、席を動かない者も一人。 老料理人はバスケットの中身を一つ取り、その男の元に向かう。何やら、難しい顔で書類を睨んでいる。 「おい」 気付いていないはずはなかったが、呼びかけに、やっとジョーカーは顔を上げた。 「……何か」 「食ってくれ。ホレ、茶もあるぞ」 ジョーカーは目を瞬かせたが、相手に引き下がる気配がないのを悟ると、書類の束を脇にどけ、包みを開き、四口ばかりで平らげた。そして、茶を啜る。 「どうだ」 「……懐かしい味だな」 「お前さん、好物じゃったろう。蒸しパン」 「そうだったかな。よくまぁ、味も変えずに」 蒸しパンが好物だったなんて、何時の頃の話だ、と遠い過去を思い起こそうとしながら、ジョーカーは苦笑する。だが、『影の王国』の支配下にあったデル城で、人間のための料理なぞ、賄いの他に、どれくらい作れたのだろうか。 「当たり前じゃ。料理人には料理人の誇りがあるんじゃよ」 「なるほどな。しかし、今の俺には甘すぎるな」 「まだ甘いか? かなり控えめにしたつもりなんじゃが」 「甘いな」 「それじゃ、明日はもう少し、甘さを抑えて作ってみるな」 「え…?」 まさか、毎日、持ってくるんじゃなかろうか。さすがに断ろうかと口を開きかけたが、 「また、お前さんに作ってやれるなんてなぁ。嬉しいよ、ジャード」 「───」 「お帰り」 その時、その場に居合わせた者は幸運だったのだろうか。正しく稀なるものを、人に言っても信じて貰えないような瞬間を目の当たりにしたのだ。 本当に、長かった…… 長い長い時と果てしない旅を経て、やっと彼らは此処に帰ってきたのだ
《前篇》
う〜ん、またもや、オチに苦労。上手く着地できたかチョイ心配。まぁ、一番、書きたかったのは(少年姿での)親友同士の再会だけど^^ 原作では殆ど会話も出来ずに、エンドンが落命してしまうので、やはし、ちゃんとお別れさせてあげたかったというか。 トパーズは霊界との扉を開くとはいえ、かなり短時間なので、『これだけは言っておきたい』ことは何かな? と考えました。あくまでも、輝の印象ですけどね。 にしても、真実版少年ジャード☆ アニメでは1カットしかなかったけど、あの子があーなって、こーなって、しまいにゃ、あんなんなるとは;;; ……人生ってTT いや、ジョーカーも中々、渋くてイイ男だぞ★ おっさんだけど^^; アニメで良かったのは、記憶が戻ってからのジョーカーが面変わり(エンドンは一目でよく判ったよなぁ)していても、ジャードの頃の表情を時折、見せたりするトコ。いい演出です☆
2008.03.05. |