『プリンセストヨトミ with SP vol.21』 (お礼SS No.137)
「あの…、一つお尋ねしたいことがあるのですが」 珍しく、石田が進んで口を開いた。井上が松平調査官に声をかけたのをきっかけにしたのだろう。 「何でしょう」 「その…、あの時、オフィスで中尾課長に言った言葉の意味は……どういうものだったのかと気になりまして」 『惜しんでおられるのでしょう』──疑問の余地などない確信のみいたような問いかけだった。 「あぁ…。それほど、深い意味があるわけでも。そのままの意味ですがね」 「課長が、何を惜しんでいると?」 「欠けてしまった者たちを。その状況を。そうは思われませんか?」 逆に問われ、石田だけでなく、皆が考え込んでしまった。 松平調査官に指摘され、課長が明らかに怯んだのは何故だったのか──そこに答えがあるのだろうか。 「尤も、部外者に過ぎない私などの言葉は余計な差し出口だったかもしれませんが」 申し訳ない、と続けるのに、居心地の悪さを覚えてしまう。その顔と声で、丁寧に応対されるというのが、どうにも慣れようがないのだ。 「ま、確かに、火に油を注ぎかねない感じでしたけどね」 順応性が高いのか、些か、遠慮のない笹本の口調に石田が慌てて、制するが、調査官には気分を害した様子はなかった。 「ところで、検査にはどのくらい、かかるの? 警視庁にはいつまで、来られるのかしら」 話を変えたのは原川だった。鳥居に尋ねてはいるが、興味関心は松平調査官をいつまで、見かける可能性があるのかというものかもしれない。 「予定では三日です。でも、明日中には大体のあたりをつけて、最終日の午前中には検査を済ませますけど」 「あら、それじゃ、お昼で帰っちゃうの?」 「いえ。午後からは打ち合わせがありますから」 『打ち合わせ?』とは警護課の全員が呟くなり、口にした。いわゆる、一般的にいうところの『打ち合わせ』とは意味合いが異なるようだからだ。 「つまるところ、検査結果の報告会です。勿論、報告だけでなく、問題点があれば、指摘して、指導も行います」 「なるほどねぇ。でも、警視庁全体だと、かなりの量になるでしょう。二日半で検査、終わるの?」 「まぁ、何とかなりますよ。今回は警視庁に詰めっ放しだし、何といっても、副長と旭君が揃ってるし」 イケメン青年が「だから、ゲーンズブールだって、言ってるのに」とかブツブツ文句を言っていたが、既に皆が聞き流していた。 「二人とも、仕事の速さは天下一品。検査院でもトップレベルですものね」 我が事のように誇らしげなのに原川が「鳥居さんは?」と問うと、苦笑が返る。 「まぁ、そこそこで。二人みたいに、国家公務員試験をトップで合格なんて、芸当はとっても無理でしたし。足、引っ張らないように頑張ってるつもりですけど」 松平のことは同期から聞いていたが、イケメン部下までがトップ合格者とは驚きだった。初耳だった他の面々も感心したように、二人に目を向けた。 何せ、国家公務員I種試験をパスし、警察庁に入庁したとすれば、管理職たる警察官僚《キャリア》となる。ノンキャリアの井上たちからすれば、おいそれと話をすることもできないような身分の相手に等しいのだ。その上、トップ合格者ともなれば、どの官庁に入っても、将来は最高責任者になることはほぼ確実といってもいいはずだった。 謙遜している鳥居とて、その有資格者なのは間違いない。尤も、今現在のような会話が展開されていると、そういう相手であることを忘れてしまいそうだが。 「……ホント、何で、副長が鳥居さんと組んでるのか理解に苦しむことも多いですけどね」 「また、ヒドーイ。頑張ってるのに。ね、副長」 松平調査官は二人の部下を順に見返すと、小さく笑っただけで、アイスを口に運んだ。その姿を、警護課サイドの連中はやっぱり、微妙な表情で見遣っている。 「いつの間にか、頼んでるし。今日、何個目ですか」 仕事中のような謹直な表情で、記憶を探っているようだ。 「…………四個目、かな」 「どうせ、家帰ってからも、一個食べるんでしょ。食べすぎですってば」 「一日五個には抑えてるぞ」 「抑えなかったら、何個になるんですか、てゆーか、まさか、デカイのも一個計算してないでしょうね」 「デカイのって、何の話ですか?」 「ファミリーサイズの奴よ。例の大阪出張の時、ホテルに持ち込んでましたよね。あれ、まさか、一晩で食べきったりしちゃったんですか」 「いや…。あの時は一晩、色々と考え事をしていたから……」 エリート調査官の言い様にしてはエライ言い訳染みた言葉に聞こえてしまう。 「つまり、食べちゃったんですね。本当に食べすぎです!」 ……とにもかくにも、キャリアに匹敵する方々の会話とは思えなかった。
『プリンセストヨトミ with SP vol.22』 (お礼SS No.140)
部下のツッコミを適当に聞き流したようで、好物を平らげた松平調査官は時計に目をやった。それだけで、この偶然の機会も終わりなのだと、気付かされる。 イケメン青年も同様に察したようだ。 「帰るんですか」 「あぁ。俺は一度、検査院に寄っていくが、お前たちは直帰で構わないぞ」 軽くでも、酒が入っているのだから、それも当然か。そういえば、松平調査官は殆ど飲んでいなかった。 「えー、副長。帰っちゃうんですかー」 「鳥居。検査はまだ初日だ。程々にしておけよ」 「はいっ。解ってます♪」 苦笑しながらも、財布から札を数枚、取り出し、イケメン青年に渡している。 「スミマセン。後で精算します」 どうやら、完全に上司の奢りということではないらしい。まぁ、傍で見ている限り、半分くらいは女性調査官の担当のようになっていた。他所事ながら、あれで、奢りというのはどうかと思う。 席を立ち、上着を着込み、鞄を持つと──調査官は一度だけ、井上たちの方にも目を向けてきた。 「──では、失礼」 「あっ、ど、どうも。お気をつけて」 反射的なのか、原川が立ち上がり、頭まで下げていた。もう慣れたのか、面食らったりもせず、軽く会釈を返し、調査官は部下たちを見返した。 「それじゃ、明日な。お疲れ」 「お疲れさまでした」 「お疲れさまでーす。あ、すみませーん。お願いしまーす」 挨拶直後に店員を呼ぶとは──案の定、イケメン青年が息をついた。 「ちょ…、鳥居さん。まだ、食べるんですか」 「うん♪」 程々はどうなってしまったのか? 呆れるべきか、感心するべきか、少しだけ悩んだりもしたものだ。 数拍後、我に返り、戸口の方に目を向けるが……、当然のことながら、既に松平調査官の姿はなかった。 見事なくらいに快調に飛ばす鳥居調査官に比べ、警護課連中のペースは完全に落ちていた。先に店に入っていたためもあるが、それ以上に彼女の胃袋が並みではないのだろう。 一方のイケメン青年は支払いのために、付き合っているのかもしれない。或いはお目付け役だろうか? ともかく、そろそろ、井上たちも引き上げることにした。待機が続くとはいえ、彼らも明日、登庁しなければならないことには変わりはない。 「色々と、オイしい情報、有り難うございました」 「ううん、こちらこそ。何だか、楽しかったわ」 勝ち気な原川だが、一寸だけ、涙ぐんでいるようで、鳥居の両手を掴んでいた。 因みにこの二人、既に美味しいもの仲間として、メアド交換まで果たしていた。無論、美味しいもの情報のやり取りのためだ。 もう諦めきったのか、『国家公務員倫理規定』云々と騒いでいたハーフな青年も何も言わなくなっていた。 会計を済ませ、外に出ると、我知らず、肩から力から抜けた。それは井上だけではないようだ。皆、首や肩を回している。 「何だか、結構、緊張してたみたいだね」 「そうだな。俺も体が強張った感じだ」 「途中から、味も判んなくなっちゃいましたよ」 山本など、深呼吸している。 「……でも、何だったんだろうな。この時間は」 石田が呟いたのは前に井上も考えたことだった。 「何って、偶然でしょう」 「偶然は偶然だな。でも、そういう言葉は余り使いたくないだろう」 「解りますけど…。意味を求めすぎるのも、どうかと思いますよ」 山本にしては結構、真っ当なことを言っているような気がした。などと、些か失礼なことを考えていたら、笹本が肩に手を置いた。 「あんたも、気にしすぎるんじゃないよ」 「はい…。解っています」 笹本は頷き、またポンポンと肩を叩き、離れていった。 そうして、慰め会?はお開きとなり、彼らは別れた。 翌朝、いつものように登庁する。変わることのない日常のはずだか──本庁ビルに入った瞬間、いつもとは違う空気を感じた。幾らか浮ついたような感じだった。それは警護課オフィスも同じだった。 既に出てきていた笹本が肩を竦めて、話しかけてきた。 「私にも判別《わか》るくらいだから、あんたは気になって仕方ないでしょ」 「気にするなって、笹本さんも言ったでしょう?」 前日、現れた『尾形そっくりの調査官』の噂が隅々にまで行き渡ったとみえる。噂半分だとしてもと、気にしている職員は実に多い。殆ど全てといっても過言ではないだろう。噂の調査官を一目と、登庁の頃合を狙って、一階をうろつく人間もやたらといるようだ。あの沈毅な調査官が気にするとは思えないが、それでも、鬱陶しいことだろう。 「まぁ、そっくりさん云々はまだ良いんだけど、噂がオカシな感じに変わってきてるみたいよ」 「オカシなって?」 笹本は顔を近付けてきて、声を低めた。 「そっくりさんじゃなくて、係長本人だってのもまだマシかな。それより、もっと信じられそうになってる噂がね、コレ」 と、携帯を見せられた。どこかの掲示板だろうか。そこに書かれていたのは……、
『そいつ、尾形の兄弟じゃないのか?』 憶測に過ぎないはずなのに、どこか信憑性を伴うような噂だった。
『プリンセストヨトミ with SP vol.23』 (お礼SS No.141)
昼時──少し前から、ソワソワしていた鳥居が正午になった途端に顔を輝かせ、 「副長、お昼ですけど、今日は警視庁《ここ》のレストランに行きませんか。原川さんが他官庁《よそ》の人間でも仕事で来てるのなら、大丈夫だって言ってましたから」 原川とは誰だろう、と少しだけ考え、昨夜、焼き肉店でかち合った警護課の庶務担当者だと思い出す。大分、鳥居と気が合ったようだ。 旭が呆れたように、「そんな話まで、もう……」とか呟いているが、検査先の人間でも懐にスルリと入り込むように、親しくなれるのは嫌われ者とされる会計検査院調査官には稀少かつ貴重な才能だった。 “鬼の松平”などと畏れられる自分には到底、無理な芸当だ。 「警視庁のレストランに入れる機会なんて、ないじゃない。眺めも中々なもんだって言うし、旭君も行くでしょ」 「それはまぁ……」 反応からすると、興味がないわけではないといったところか。 「副長も──」 「いや。俺はいい」 遮るように言うと、二人揃って、驚いたような顔をした。 「え…、どうしてですか?」 「予定より幾らか遅れているからな。少しでも、取り戻しておきたい」 用意しておいた答えだったが、説得力は今一つだったようだ。 「そんなに押してるかなぁ」 「いいから、二人で行ってこい。あぁ、旭。戻る時に適当にパンでも買ってきてくれ」 「解りました」 少しばかり、窺うような表情だったが、松平がそう言うからにはとでも受け取ったらしい。 二人が机の上を整理している間に、入室してきた二人の職員がキョロキョロと会議室内を見回し、松平のところにやってきた。 「あ、あの。生活安全部の追加資料をお持ちしました」 「そちらの担当部署の未決の箱に入れておいてください」 顔を上げた松平が示した先には各部署によって、分けられた机が並び、未決分書類が仮置きされる箱も置かれている。一目瞭然のはずだが……。 「またですね」 『生安部』の机の箱に書類を入れた職員たちが盛り上がりながら、出ていくのを見送った鳥居が首を捻る。 「今日はやたらにコマメに書類を持ってきますよね。それに、箱に直接行かないで、こっちに聞いてくるし……何でかな、旭君」 「さぁ。…………尋いてみたら、どうです」 間の長さが、旭は理由を察しているのだろうと思わせるが、鳥居は気付かなかったようだ。 「飯の時間が削られるぞ」 「いっけない。旭君、急ごう。じゃ、副長。行ってきます」 「本当に行かないんですか」 慌てて、出ていく先輩を見やり、もう一度だけ、旭は確かめるように尋ねてくる。 「あぁ。気にしなくていい。だが、時間厳守で戻ってくれよ」 頷き、出来すぎの部下も昼食に向かった。
一つ息をつき、松平は立ち上がり、会議室の片隅に向かった。お茶やコーヒーが用意されている。勿論、セルフサービスだが。 アイス好きの松平だが、飲物までが甘党というわけではなかった。普通に人並みのコーヒーを淹れると、窓の外に目を向けながら、一服する。 例の事件の舞台となった国会議事堂や皇居の緑が見える。無論、皇居そのものは近隣の官庁ビルからでは目に触れないように、巧く木々によって、隠されているが。 昼に入り、職員数は少なくなっているが、松平が動くと視線もさり気なくではあるが、追ってくる。そんな職員たちの様子にも昨日からでは変化があった。 昨日と同じく、受付で来意を告げるまでもなく、今日は出迎えが待っていた。ただ、担当官だけでなく、一階ロビーにはやけにギャラリーが多かった。 『尾形総一郎に酷似した調査官』の噂が一晩で、警視庁職員の隅々まで伝わったと見える。昨日は不意打ちに、動揺していた者が殆どだったが、今日は好奇心を刺激される者が見物に来ているというわけだ。正しく、ギャラリーだ。 書類届けが頻繁になったのも同様の理由からだろう。噂を確かめに来たがる職員たちの知恵といったところか。 そうして、松平の顔を見て、声を聞いては夫々の反応で帰っていく。持ち場に戻ってからもさぞ、騒がしいことになっているだろう。 松平に、というよりも尾形総一郎なる人物に今尚、興味関心を寄せる人間が実に多いのだということが、この現状からだけでも考えさせられる。 その時、ポケット内の携帯が振動した。表示された名前に軽く目を瞠り、耳に当てる。 「──松平です。真田さん、ですか」 『お久し振りです、松平さん』 珍しい相手からの、久々の連絡だった。
『プリンセストヨトミ with SP vol.24』 (お礼SS No.144)
『お久しぶりです、松平さん』 電話の主は大阪で知己を得た相手だった。とはいえ、それほど、密に連絡を取り合っているわけではない。どちらかというと、疎遠な方だろう。 『今、大丈夫ですか』 「えぇ。丁度、昼休憩中ですから」 『お食事中ではないのですか?』 「コーヒーで一服しているだけですよ。何でしょう」 逆に先方はお好み焼き屋の主人なのだから、昼の書き入れ時だろうに。電話などしている暇もないはずだった。 『いえ、その…。ちょっとした噂を耳にしまして……』 それだけで、噂の内容にも思い当たった。松平は苦笑するよりなかった。 尾形総一郎似の会計検査院調査官の噂は一晩で、警視庁職員の隅々まで伝わっただけでなく、日本全国中──或いは世界中の日系人社会にすら、広まったのかもしれない。勿論、ネットという媒介によって、憶測や脚色による凄まじい変質を伴いながら。 『今朝、長宗我部さんから報されまして。それに、学校でも話題になっていると、大輔にも……。大丈夫なんですか?』 何が大丈夫なのか? と逆に問いかけたくなるような状況だと思う。混乱が残っているのは確かだが、既に警視庁そのものは落ち着きを取り戻している。興味津々なギャラリーが増えたことを除けば。 いや、本当は松平にも解っている。電話の主、真田幸一が何故、そんな質問をしたのか。そもそも、何故、電話などしてきたのか。だが、 「心配いりませんよ。真田さん」 『ですが…。噂の広がり方が些か早すぎるようなのも気になります。それも、ある一定の流れを故意に作ろうとしている節もあると。松平さん、“こちら”でもネットの監視は常時、対応できる態勢になっています。調べれば、流れの起点を洗い出すこともできるかもしれません』 そうして、流れを断ち切ることも──“彼ら”には決して不可能事ではないことも知っていた。 お好み焼き屋の主人、真田幸一にはもう一つ隠された顔がある。公にされることのない、だが、間違いなくこの世界に存在している一つの国の『総理大臣』なのだ。 人知れず、在り続けるために必要なシステムが彼の国には構築されており、殊にコンピュータやネット監視の占有率は高いという。 本来は彼の国“大阪国”の存在が余人に漏れるのを防ぐために使用されるシステムだろうに、関わりはあっても決して、その国民ではない松平のために使う向きもあるとは魅力的な申し出だった。 だが、本当に噂の急速な拡散に何者かの意志が絡んでいるとしたら、遮断し邪魔をするような行為はその何者かを刺激するだけだとも考えられる。 『松平さん? 聞いていますか』 「あぁ、はい。……お気遣いは有り難いのですが、真田さん。大丈夫ですから、どうか、静観していてください」 『静観ですか」 暫し、沈黙があった。直接の関わりはないにも関わらず、彼も何事かを考えているのだろう。そして、 『……解りました。とりあえずは様子を見ることにします。ですが、松平さん。手に余るようなことが起きたら、いつでも協力します。それは忘れないでください』 「有り難うございます。真田さんこそ、今はお忙しい時間でしょう。お仕事に戻ってください」 『え? あぁ、そうですね。また女房に文句を言われますよ。そうだ、松平さん。大阪には──まだ、来られそうにないのですか』 別の問題ではあるが、またもや、不安そうな声で問うてくる。ついつい、苦笑を誘われる。 「まだ、上の許可が出ませんので、当分は無理ですね」 『そう…、ですか。残念です』 心底、残念そうな響きを持った声は、松平の鎧のように強固の内面にも揺さぶりをかける。 しかし、今はそちらに捕らわれている状況《とき》ではなかった。一度、目を閉じ、即座に切り替える。 「仕事に戻りますので、これで」 『あ、はい。解りました。では……くれぐれも注意してください』 何を注意せよと言うのか……。普通ならば、笑い飛ばしてもいいような忠告だ。 だが、今回はその限りでもなかった。 松平を完全に巻き込んだ噂の変質が余りにも激しく、危険な色合いを帯びつつあったからだ。
『プリンセストヨトミ with SP vol.25』 (お礼SS No.146)
通話を切り、携帯をポケットに戻しながら、真田の言葉の意味を考えようとすると、昨晩、自宅マンションで待ち構えていた公安部員との会話をも思い出さざるを得なかった。 ウロウロしないで、余り動くな、という意味合いの台詞には勿論、強制力があるわけではないが、公安部の人間があからさまなほどの接触と、直接的な忠告をしてくるという状況は重く受け止めるべきなのだろう。 松平が特に反論もせずに、黙っていることをどう受け止めたのだろうか。二人の公安部員は顔を見合わせ、上司の方が再び、口を開いた。 「ところで、調査官。尾形──便宜上、そう呼びますが、これが彼の本名でないことは御存知ですね」 「一応は……」 「今以て、完全黙秘《カンモク》を貫いていましてね。その正体って奴も未だ、完全には判明していません。ただ、大凡の見当はついていますがね」 「成瀬兄弟の一人?」 窺うように、その名を口にすると、室伏係長が静かに息を漏らした。 「やはり、その噂も耳にしていましたか」 「では、噂に過ぎないのですか」 「…………いや、まぁ、それが一番、高い可能性なのでしょう」 成瀬──尾形総一郎が例の事件の際に、麻田前総理を糾弾するのに持ち出した名だった。 更に遡ること二十年ほど前に自殺した、麻田の後輩でもあった議員だったが、他の議員たちが現在の『悪行』を暴露されたのに、何故、麻田だけが二十年も前の議員自殺事件との関わりを追及されたのか……至る所で物議を醸したものだ。 そして、一つの推論が成り立つに至る。つまり、尾形が本当に明らかにしたかったのはその二十年前の自殺事件の真相であり、彼は成瀬議員の関係者なのではないかと。 尾形も持ち出し、麻田に詫びろと迫った離散した成瀬の家族──成瀬には二人の息子がおり、尾形と同年代だったのは直ぐに判明した。 では、やはり、成瀬兄弟のどちらかが今現在、『尾形総一郎』と名乗っていた男ではないのかと……。 「しかし、それ以上は手詰まり状態でしてね。確かめようがないのですよ。何せ、二十年も前のことです。成瀬議員の遺品なども残っていませんでした」 当時はまだ、消息不明ではなかった遺族に返されたか、或いは保管されていたにも拘らず、この事態を見越して処分されたか……。 「成瀬家の菩提寺も勿論、調べました。墓はありましたが、中が空になっていた。遺骨《ホネ》の一欠片すらなかったのですよ」 「それは……」 遺品のたった一つ、骨の一片でもあれば、DNA鑑定ができる可能性もあるというのに、何もないのでは進みようがない。それをも見越して、密かに墓を暴いた者がいると考えられる。 やはり、テロ事件には更なる『黒幕』がいることを示唆しているような話だった。 松平は一つ、息をつくと、改めて二人を見返した。 「そのようなことまで、私などに話しても宜しいのですか。随分と、重要かつ重大な内容だと思われますが」 「そうですね。私の一存ですが、しかし、松平調査官はとても口が堅そうだ。誰彼構わず、言い触らしたりはなさらないでしょう。それに──」 スウッと公安係長の表情が一変した。それまではどこか飄々としていた雰囲気が氷のように鋭くも冷たいものへと変わる。 「調査官には迷惑なことでしょうが、全くの無関係では済まないかもしれませんのでね。いや、貴方が本当に尾形とは無関係なのは我々には判っていますよ。しかし、その見た目だけから、そうは思わない輩も大勢いる」 そして、部下を一瞥する。応じて、田中がもう一度、携帯を松平に見せてきた。 「現在、最も問題なのは、この噂でしょうな」 「貴方が成瀬兄弟のもう一人、尾形の兄弟じゃないかというものです」 あるサイトでは推測として書かれているものが、別の掲示板ではもう確定情報のように論じられている。 松平は眉根を寄せながらも、ただ、その情報が羅列する画面を睨むように見つめるだけだった。
『プリンセストヨトミ with SP vol.26』 (お礼SS No.147)
公安は超絶秘密主義──部外者の松平とて、そのような評は認知しているほどに有名だ。身内であるはずの警察内の他部署に対してすら、その姿勢は一貫しているという。 それは公安が『これから起こり得る事件を察知し、未然に防ぎ得るように情報収集を行う』ためとも言われる。 基本的に、警察は対処療法を取る組織だ。刑事は事件が起きてから、捜査を行う。警備では事件が起きた場合に備えている。 無論、昨今ではストーカー犯罪などに代表されるように、凶悪事件に発展しそうな場合は、『事件は起きていなくとも』相談を受けた段階で対応することもある。各所轄の地域課が警邏《パトロール》を行い、怪しそうな人物に対し、職務質問《ショクシツ》をかけることはあっても、それだけでは即逮捕には至らない。 やはり大勢としては『事件発生後』に初めて、動き出すのが警察であり、緊急性のある場合でも現行犯でなければ、逮捕もできないのだ。 だが、公安は違う…、とされる。情報の蓄積によって、対応できる事案を増やしていく。まだ、事件になっていないために、他の刑事などに引っかき回されるのを極端に嫌い、当然、情報提供なども行わない。 刑事相手どころか、公安部員同士の横の繋がりも恐ろしく薄く、情報のやり取りなぞ、滅多にしない……とにかく、他部署の人間には『秘密主義』と大書きされた看板を公安は背負っているように見えるのだという。 そんな公安の人間──しかも、係長という、ある程度の責任を負った者がかなり重要だと思われる情報を松平に明かしているという事態はやはり、破格の対応なのかもしれない。 公安が動きを掴みたい、或いは押さえたい相手と松平を絡め取る噂が繋がっている……と考えるべきなのだろうか。 とはいえ、松平に何事かができるわけでもないが。 明日もまた、仕事のために警視庁に赴く。それだけのことだ。 そうして、今も検査会場となっている会議室に籠もって、大して美味くもないコーヒーを啜っている。 わざわざ、自宅にまで押し掛け、忠告してきたとなると、余り動く気にもなれないが、いつものアイス休憩すらも取れないとなると普段、感じることのない苛立ちを僅かとはいえ、覚えるのだから、殆ど中毒症状に近いのかもしれない。 『アイス中毒』なんて言ったら、鳥居辺りがまた、色々と言ってきそうなので、思うだけにはしておくが。 松平はアイスへの未練^^;を断つように、苦みのあるコーヒーを飲み干し、潰した紙コップをゴミ箱へと放り込んだ。 仕事に集中すれば、忘れていられるだろう……ある種の希望的観測ではあるが、席に戻ろうとした時だった。 「──副長」 振り向けば、ビニール小袋を手にしたやり手の部下が書類や箱満載の机の間を縫って、近付いてくる。 「旭、昼はどうした。まさか、もう済んだのか」 「やっぱり、止めました。副長が売店のパンにするって言ってるのに、眺めの良いレストランなんて気分にはなれませんよ」 「気にすることはないんだがな」 それは掛け値なしの本音だったが、旭の判断基準からは外れているのだろう。 「全く、鳥居さんの気が知れませんよ。幾ら副長が良いと言ったからって、よく、一人でレストランで食べられますよ。まぁ、本当に一人ってわけじゃないみたいですけど」 「あぁ…。原川さん、か? 焼き肉店で会った」 「何か、約束してたみたいです。盛り上がるのも結構ですけど──本トに、何で、鳥居さんと組んでるんですか?」 旭は良く、その質問をしてくる。ただ、松平は明確に答えたことはない。今回もまた……。 「……そうズバズバ切り捨てるな。飯を食うのは、鳥居が良い仕事をするためのエネルギー源みたいなもんだからな」 「イイ仕事って……というか、副長。微妙に論点をズラしてませんか」 溜息をつきながらも、それ以上、突っ込もうとはしなかった。 再び喫茶コーナーに移動した二人は袋の中身を開ける。松平が頼んだパンの他に──冷たい物体がゴロンと出たのに、目を瞬かせる。 「今日は籠もりっ放しでアイス休憩、取ってませんよね」 「あぁ…。俺にはどうも、禁アイスは無理だな」 溶ける前にと──パンよりも何よりも先に、松平はカップアイスを手に取った。
『プリンセストヨトミ with SP vol.27』 (お礼SS No.149)
待機続きで、只今、庁内での昼食記録更新中の第四係──今日も今日とて、変わり映えはしなかったが、少しだけ様相が異なるようだった。 「ね、笹本ちゃん。今日のランチ、鳥居さんと約束してるんだけど、一緒に行かない?」 「えーと、鳥居さんて──昨日の会計検査院の…、あのよく食べる……」 最大の印象がその点とは──彼女の後輩のイケメン・ハーフ君が聞いたら、「それはどんなものですかね」とかツッコミを入れそうだ。 そんな女性調査官と原川のツー・トップには、とても付いていけないだろうなぁ、と思いつつも、興味もあり、笹本はお呼ばれすることにした。 もしかしたら、また、あの副長さんも来るかもしれない。留まることを知らぬ噂の渦中で、どんな顔をしているのか、という好奇心が強かったのだ。 肩を並べる女性陣二人を男どもは当然、気にかけ、二名ほどが腰を浮かせたが──、 「あんたたちはダ〜メ」 「な…、なんでですか?」 「目立つでしょうが。特に井上!」 言いたいことは解らないでもないが、ルンルンと出ていく後ろ姿に井上は溜息をついた。 隣の山本などは「お前のせいだぞ」と口の中で悪態をついているが、勿論、聞き流す術は心得ている。無視していると、余計に反発してきたが、構っている気分ではなかった。 間を置き、井上もオフィスを出た。売店で簡単に済ませるものを買ってくるつもりだったのだが──エレベータに乗り込むと、どういうわけか、直ぐ下の階で同乗者が現れる。言わずと知れた、同期の秘密主義者《公安部員》だった。 エレベータが動き出すと、井上はポツリと呟いた。 「…………お前さ」 「何?」 「本気で、俺のことストーキングしてないよな」 「あー、一歩手前ってトコかも」 「ざっけてるよなぁ。何? 庁内の監視カメラで、追っかけてるわけかよ」 「う〜ん。ひみちゅ♪」 「ったく。よせ、気色悪い。で、用は何だよ」 バカなやり取りを続けていても不毛なだけだ。先を促すと、僅かに表情が改まり、声のトーンも変わった。この辺の切り替えはさすがに見事なほどに早い。 「実はさ。昨夜、あの調査官さんと話したんだよねー」 「あのって…、松平調査官か?」 「もっちろん。お宅にお邪魔しちゃった☆ 羨ましいだろー」 何がだ、とつい溜息が漏れた。話が脱線しかけている内に、ノンストップで、一階まで降りてしまった。 どうする気かと思ったら、平然と売店までやってきて、買い物をしている。いや、別に、公安部員が売店の客になっても、何ら不思議でもおかしなことでもないが……。 アイスのコーナーを通りかかった時、昨日、松平調査官と、ここで話したのを少し思い出した。 「だからさ、現状認識を促しとこうと思ってな。聡い人だったから、今日は会議室に引きこもって、殆ど出てきてないぞ」 「……そうか」 となると、昼食時の今も正しく──原川さんたちは空振りだな、と内心で思う。 「お前も知ってると思うけど、ネットがかなり騒々しい。物騒なことになってるトコも多い。未だに色んな意味で、大人気だからな、あの人は」 『尾形総一郎』を──まるで、革命児の英雄の如く奉っている者もいれば、私怨と摩り替えた叛逆者、犯罪者に過ぎないと断じる者もいる。 問題はその矛先がそっくりそのまま、噂の渦中に引きずり込まれた松平調査官に向かいかねないということだ。 「何しろ、サイバー犯罪対策課が警告を発したくらいだからな」 「対策課が……」 サイバー犯罪対策課とは文字通り、IT犯罪・サイバー犯罪など称されるコンピュータやネット関連の犯罪に対処すべく設立された部署《セクション》だ。 ネット上の掲示板への犯罪予告の書き込みなどの監視やワンクリック詐欺やフィッシング詐欺なとの摘発のための対策など、とにかく、広大なるネットの大海《うみ》に浮かぶ不穏な痕跡《しま》を発見し、犯罪相談に応じ、各警察署への支援を行うのが主たる役目だ。 そして、その対策課が警告を出した、と。何に対してか? 昨日の今日でのこの急激な状況の変化は確かに警戒が必要だと思える。 会計検査院の松平元調査官を巻き込んでいる噂は、対策課が警告まで出すとなると、単なる噂話では済ませられなくなっているのかもしれなかった。 「ま、そーゆーわけだから、お前さんも余りウロチョロすんなよ。一番、目立つ組み合わせなんだからな。一緒にメシ食うなんて、言語道断だぜ」 「あれはホントに偶然で……」 「その偶然が怖いんだって。つーわけで、お前さんにも忠告だ。じゃあな」 手を買い物の袋をぶら下げ、ヒラヒラと振ると、田中は離れていった。 ……自分も昼のためのパンは買ったが、どうにも食欲が湧くような状況ではなかった。
『プリンセストヨトミ with SP vol.28』 (お礼SS No.150)
たった一日で、一つの噂が警視庁を席巻した。そればかりか、警視庁外にも、様々に姿を変え、飛び火しているのは既に記した通りだ。 それでも、同じ警察組織内──所轄署には比較的、正確な実状が伝わっていた。ネットや口伝てに噂を知り、本庁所属の同期などの同僚との間に確認の電話やら、メールやらが飛び交ったのが初日の夜から翌日の午前中──昼頃、噂の主たる松平元が大阪の知人と話していた折りには、ほぼ都下の警察署では大方の事情が知れ渡っていたわけだ。 そして、その情報は署内に留まってはいなかった。警察官もずっと署内にいるわけではない。外部との接点は各々が持っている。 当然、相手が警察官であると知る者は尋ねるのだ。「あの噂の真偽は?」と…。 こうして、噂は更に広がりを見せていく。ただ、この場合はかなり、正確な内容であったはずだが、聞いた人間がどう解釈するのかも様々といえようか。その瞬間から、再び噂の変容が始まるのだ。 「へぇ、そうなの。じゃ、本人ってわけじゃないんだ」 「そりゃ当たり前だろう。あれだけのことをしでかして、お咎めなしってこたないだろうが」 「いや、ほれ。隠密にするとか」 「時代劇じゃあるまいし。おやっさん、噂に踊らされちゃダメだぜ」 チッチッと指を振って、ラーメンを啜りにかかった男はどこぞの署の刑事らしい。 店主の親父は次の客の注文を熟《こな》すと、また刑事の前に戻ってきた。 「そっくりさんの会計検査院の調査官か。時々、ニュースとかに出るよな、会計検査院って。本人じゃないのは分かったけど、もうイッコの噂はどうなの」 「もうイッコ?」 「だから、そっくりなのは兄弟だからって奴だよ。確か、いるんだろ。兄だか弟だかが」 「さぁね。そいつは尾形が成瀬某に間違いなかったらって、条件付きだからなぁ。何とも言えないな」 「その辺のことは聞いてないの。本庁の刑事さんとかから」 「向こうの奴らだって、そこまでは知らないんじゃないか。でも、成瀬の兄弟の片割れが未だに、会計検査院で、お役人やってるなんてのは、さすがにないと思うがなぁ」 そんな注釈をつけながら、刑事は残った汁を豪快に飲み干すと、「ごっそさん」と勘定を置いて、出ていった。 店主も次の客を迎え、注文を捌くのに忙しい。だから、刑事の隣の席にひっそりと座っていた客が席を立ったことにも気付かなかった。 尤も、金だけを置いて、客が出ていくのは珍しいことではない。店主は特に気にすることもなく、その席も店員が拭き掃除を済ませると、次の客が座った。 ラーメン屋の客だった男はフラフラした足取りで、歩いていた。隣に座っていたのが刑事だったのは偶然だったが、店主との会話を聞くともなしに聞いてしまった。 ある記憶が刺激され、おぞましい光景がフラッシュバックする。胃の腑がキリキリと痛み、吐き気を催した。食べたばかりのラーメンをぶちまけてしまいそうだ。 やはり、さっさと席を立ってしまうべきだったと後悔した。 しかし、相手が刑事であり、例の噂について、一般人よりは正確に掴んでいる様子なのは、どうしても気になった。 聞くともなしではない──聞かざるを得なかったのだ。 「くそっ…、尾形…っ!」 呻きとともに吐き出された声には本物の憎悪が込められていた。
『プリンセストヨトミ with SP vol.29』 (お礼SS No.157)
フワリと体が宙を舞った。 飛び抜けて、優れた平衡感覚が、それでも、正確に自分の状態を把握している。咄嗟に受け身を取るのも、殆ど反射的なものだ。 次の瞬間、綺麗に弧を描いた体が畳の上に落ちる。受け身を取っていても、余りにも見事に決まった背負い投げには息が詰まった。 投げを打った相手──笹本が道着の襟元を正し、息を調えながらも、真っ直ぐに見下ろしてくる。 「ったく、気が入ってないね。怪我するのがオチだよ。あんた、今日はもういいから、上がりな」 「…………スミマセン」 井上は痛む体を起こし、礼の姿勢を取ると、道場を後にした。そのまま、シャワールームに向かう。 ただいま、万年待機中のため、暇な第四係は術科──柔道の鍛錬中だった。無論、暇でなくとも、柔道は術科の中でも警護科の任務にも直結しているため、日頃から鍛錬は欠かさない。女性の笹本も当然の如く、黒帯だ。 とはいえ、普段ならば、井上があっさり投げられることは少ない。笹本の言う通り、「気が入ってない」──つまり、気も漫ろ《そぞろ》で注意散漫ということだ。 理由も解っている。多分、笹本とて、察しているのだろう。どうにも、気になって仕方がないのは同期の男がサラリと伝えたことだ。 本当に、松平調査官が警察のゴタゴタに巻き込まれる可能性があるんだろうか……と。 さっさとシャワーを切り上げ、着替えを済ませる。庁内で待機中では最低限の身支度で済んでしまうものだ。 警護科のオフィスに戻る道すがら、井上は携帯を開いた。幾らか、逡巡もしたが──一意を決し、一つの番号を押した。 階段の踊り場に身を落ち着けたところで、相手が出た。 『はい、鳥居です。どちら様ですか?』 「あ…、お仕事中にスミマセン。警護科の井上です。分かりますか」 『えーと、昨日、副長の携帯を拾ってくださった方ですよね。焼き肉店でも御一緒した』 のんびりとした感じではあるが、要所要所はきちんと掴んでいるような感じの相手は鳥居調査官だ。 昨日、松平調査官の携帯に出た番号を覚えていたのは井上ならではだが、鳥居は大して頓着しなかったようだ。井上の携帯からでは非通知表示になっているはずなのに、あっさり出たのだから。 『何か、御用ですか? あ、原川さんが何か言いましたか』 「いえ、そういうわけじゃ。あの、今、大丈夫ですか」 『チョットでしたら。お茶してますし』 良いタイミングだったのは直感のなせる業か。 「お一人ですか? 松平調査官たちも御一緒ですか」 「一人ですよ。二人とも、今日の追い上げしてる真っ最中です」 凡人にはとても、着いていけないから、一息ついてるところです、と笑いながら、言うのに卑屈さは感じられない。 優秀すぎる上司や後輩と一緒にいても、自分を曲げず、歪ませずにいられるのもまた、ある種の才能のようだと思える。
それはともかく、用件は早く済ませるに限る。 「あの…、今日の皆さんのお仕事は何時頃、終わるんですか」 定時ということはないだろうと、尋ねる。 『何時までとは決めてないですけど。明日の予定に合わせて、頃合いを見てという感じになると思います。それがどうかしましたか』 当然の質問に違いない。昨日、少しばかり顔を見知った程度の相手が何を気にかけているのかと。 彼ら、会計検査院の調査予定は三日間だと昨日、言っていた。つまり、明日が最終日だ。最終日には調査報告が行われるということはネットで検査院の活動を調べた時にも仕入れた情報だ。 松平調査官が警視庁に来る三日間──何事かが起こるとしたら、今日、退庁する際か、明日の登庁時が一番、考えられる。 それも『夜陰に紛れて』との描写もあるように、今夜の方が可能性は高いように思われる。……勿論、同期の公安の台詞を真に受けた緊急時の場合に過ぎないが、それでも、用心に越したことはないとも思うのだ。 「あの、鳥居調査官。お願いがあるんですが。今日、退庁する際に私に…、この携帯に今から、帰るということを伝えてもらえませんか」 鳥居にすれば、突拍子もないことを言っているとは認識していた。何の説明もなく、帰る時間を教えろなどと、ストーカーじみていると受け取られても仕方がない。 それでも、この胸に広がる不安を消すことが叶わぬ以上、黙って、見過ごすことも出来ようはずがなかった。 『──本当に、何時になるか、解りませんよ』 「構いません。お願いします」 何時でも待っているつもりだった。説明のしようもないことだが、井上にとって、この種の勘は無視することができない代物なのだから! 少しだけ、考えるような間があり、 『解りました。折り返し、電話すればいいんですね?』 「は、はい。宜しくお願いします。あ…、それと、このことはできれば、松平調査官には言わないでください」 『副長には内緒にしておくんですか。いいですけど、できれば、後で事情を説明してくださいね』 天然寄りとはいえ、国家公務員試験を突破している優秀な調査官には違いないようだ。但し、すぐにボケたりするようだが……。 『でないと、原川さんに言いつけちゃいますからね』 「う゛…。それだけは勘弁して……あ、いや、解りました。お仕事中、済みませんでした。では」 通話を切り、携帯を閉じると、息をつく。とにかく、松平調査官の一番、身近にいる人物からの現状報告は得られることになったのだから、上々だろう。 後は報せを待ち、退庁後は密かに警護をするつもりだった。何かが起こるとも限らないが、備えはしておくに越したこともない。 ……井上に警護任務の多くを伝えた嘗ての上司ならば、必ずそう言ったに違いない。 それが現状を招いた張本人であるため、ほろ苦さを噛みしめることにもなったが……。 井上は携帯をポケットに戻し、オフィスに戻っていった。
プリンセストヨトミ with SP vol.30』 (お礼SS No.161)
そろそろ、日勤の終業時間だったが、あの女性調査官からの連絡はまだない。やはり、仕事が押しているのだろうか。 今日も待機だけで終わりそうだ。他のメンバーも早々に帰り支度を始めている。井上も一応、メンバーに合わせて、支度だけはしておく。 「さて、今日も何事もなく、か…。帰るか」 「ですね。どっか、行きます?」 「そう、毎日ってわけにはいかないよ」 石田と山本の会話が聞こえてくる。二人はこのまま、帰ることにしたようだ。 「んじゃ、お先」 二人が出ていくと、笹本も立ち上がった。 「さーて、帰るとするか。あ、井上。あんたは」 「俺も…。あ、その前に、トイレに」 井上はそそくさと、席を立った。 ザーザーと、流れる水音を耳にしながら、息をつく。今のところ、妙な不安に苛まれることもない。いい加減、心配のし過ぎ…、思い過ごしだっただろうか。 手を拭きながら、オフィスに戻ると、帰ったとばかり思っていた笹本がまだ残っていた。 「あれ…。どうしたんですか。もう帰ったと……」 「あんたこそ、まだ帰んないの。何か、気になることでもあるわけ?」 真っ正面からストレートに問われると、返答に詰まる。笹本相手に、適当な言い訳が通用するとも思えない。 言い淀んだところに、トドメの如く、 「やっぱ、あの副長さん絡みのこと?」 やはり、敵う相手ではないようだ。 「ふーん、公安と、それにサイバー犯罪対策課がねぇ」 笹本はカリカリと頭を掻いた。そういう仕草がやけに似合う女性だ。 「稽古に身が入ってなかったのも、そのせいだったわけね」 「す、済みません。これからは、そんなことのないように気をつけます」 「まぁ、できる限りはそうしてね。あんたの場合、気をつけたからって、完全にシャットアウトできるわけでもないんでしょ」 「それはまぁ、そうですけど」 「あんたにとっては、無視できない感覚って奴なんだから、大事にしなよ」 「は、はい…」 完全に理解されることの少ない井上にとって、笹本はその能力に逸早く気付き、認めてくれた数少ない人間の一人だ。 最大の理解者を失った今、最も頼れる相談相手になるかもしれなかった。 「で、マジにヤバいことになるかもしんないって、感じるわけ?」 「それが…、まだ直接的なものを感じたわけじゃないんです。ただ、何というか、公安の同期《あいつ》がわざわざ忠告に来たりするなんて、やっぱり、ちょっと……ネットの騒ぎの広がり方も妙な感じですし」 本当に作為的な何者かの意思が関わっているんだろうか。だとしたら、何のために? 今更のように、『尾形総一郎』のことを持ち出し、何事かを企んでいる者がいるということだろうか。 もしくは、あれほどの大事件であっても、時とともに次第に風化していくのは避けられない。その風化を食い止めようという『尾形』のシンパの仕業だろうか。 それとも──……。 正直、理由は幾らでも考えられるし、或いはそんな『裏』などは幻想のようなもので、ただの偶然に過ぎないのかもしれない。 「そんなこと、考えても始まらないよ。ここで唸ってたって、答えが出るわけないでしょう? それより、あんたがどうしたいか、問題はそこよ」 「俺が?」 「そう。で、あんたは疾うに答えを出している。そうじゃないの」 笹本は淡々と語ったに過ぎない。井上の考えを変えさせようとしていることもなく、ありのまま、受け止めようとしてくれる。 それは石田や山本も、多少の程度の差はあっても同じ──全く有り難いことではないか、と。 携帯が鳴った。意識を向けていなかったので、少しばかり肩が揺れた。慌てて、発信者を確認すると、待っていた相手だった。 そんな井上を、笹本も興味深げに見ているが、気にする余裕はない。 「井上です。鳥居調査官、どこですか。まだ、上ですか」 『はい。今、エレベータ・ホールです。先に来て、こっそり電話してるトコです。あ、副長たちもこっちに向かってきてます』 「今日もどこかで、夕食を取られるような御予定は」 『決まってはいませんけど、私は食べていきたいなーって。もう来ますから、切りますね』 あっさりと通話は切れた。 「笹本さん、俺、行きます。お先に」 物言わぬ携帯をポケットに突っ込み、鞄を掴むと、オフィスを飛び出していった。 「あ、ちょっと、井上ってば!」 当然、慌てる笹本の声が追ってきたが、井上が立ち止まることもなかった。 第二章
『プリトヨ』のラジオドラマが再放送決定記念♪ NHK-FMの『青春アドベンチャー』で、2/20からです。ネットラジオの『らじる★らじる』でも聴視可能。是非、聴いてみてください^^ 利重剛さんの副長も中々、渋いっすよ☆ 映像版副長は最近では『昭和の父ちゃん』で連投。似て非なるヤスさんと鈴木オート社長さん。微妙な違いをきっちり演じているのがさすがです。(vol.21-23)
2012.02.13.
『青春アドベンチャー』も、あっという間に全10話、終了してしまいましたが、クリアな音声を聴きたくて、PCとデータ共有をできるUSB端子付きCDラジオを購入してしまいましたよ^^ んで、ネットで有志様の上げていたのと微妙に声が違う!? どうやら、テープスピードが僅かに違うみたいです。お陰で、科白は同じなのに、違う声みたいで、何度も楽しんだ作品なのに、初めて聴いたような気もしますね。(vol.24-5) 2012.04.03.
祝☆『プリンセストヨトミ』地上波初放送♪ DVD買ったくせに、見てしまいましたよ。台詞をかなり、覚えている自分に笑った^^ 頭に副長のコメントがあったし、クライマックス前のTVオリジナル編集版とか、見所もありました。それにしても、もう公開から一年近く経つとは……奇妙な感慨もありますね。 にしても、TVの力は偉大だ……放送後の『プリトヨ』関連の検索のHIT数が半端じゃない。求めるものと違うこともありますがね。少しでも、楽しんでもらえたり、他にも書いてくれる人が出たら、嬉しいなぁ。 拍手の方は微妙な進行状況──公安説明に一話割いたりする辺りは完全に趣味?(一応、噂の状況説明に必要かと思ったんだけど)(vol.26-7) 2012.05.12.
纏めまでが大分、間が開いてしまいましたが、やっと『転の章』完結です。 副長たちも井上君たちも出てこない話に出ているのはオリ・キャラですが、完全なオリジナルってわけでもない背景を持ってます。どんな背景かは続きにて☆(vol.28-30)
2013.02.07.
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