『プリンセストヨトミ with SP vol.11』 (お礼SS No.119)

 エレベータ・ホールに向かう松平は途中の階段口で、声をかけられた。井上が顔を覗かせている。どうやら、一応は目立ちにくいようにしているらしい。
 人目を忍ばねばならないとは全く、難儀なことだ。だが、それも仕方がない。
 勿論、用件は携帯の受け渡しだ。やっと果たせたと息もつきたくなるものだ。
「確かに。本当に、面倒をおかけしました」
「いえ…。お忙しいでしょうに、こちらこそ、わざわざ、御足労を……」
「仕事の序でですから、気にしないで下さい」
 携帯を内ポケットに滑り込ませ、松平は改めて、井上を見返した。僅かに、緊張したのが見て取れるが、
「では、私はこれで」
「は、はい」
 ちょっとした縁ではあったが、これまでだろうと思いながら、案内役の職員を見る。
「このまま、階段で行きましょう」
 どうせ、一階上がるだけだ。十六階の廊下を歩くより、人と会わないだろう。

 階段を上がっていく松平調査官の後ろ姿を見送りながら、井上は先刻よりも残念な気分に陥っている自分に気付いた。
 関わりすぎるのは確かに、不味いのかもしれない、と自戒しようとする反面、また話してみたいという気持ちも強い。
 馬鹿な考えだとは解っている。松平調査官は仕事で数日、警視庁に来るだけだ。検査会場の会議室を出るのは短い小休止と昼食くらいだろう。一介の警護課員《SP》と雑談する暇など、あるわけがない。
 それに自分とて、暇ではないはず──と思いきや、以前よりは待機が続く時間の方が長い。他のSPたちが駆けずり回っているというのに、四係の、特に井上と石田、笹本、山本の四人は待機が多い。
 警戒されているのか、扱いづらいと思われているのか──ともかくも、四係係長だった尾形の部下の中でも、特に尾形が選んで、連れてきた最も信頼する『お気に入りの部下』という触れ込みが未だに根強いためだろうか。
 その彼らが、上司の“野望”を阻止したのだから、尚のこと、上の方も処遇に困っている節があった。
 人手不足に拍車が掛かっている状況だというのに、待機が多いのも、彼らがつくことに不安を覚える要警護対象者《マルタイ》が多いためという噂も聞く。
 すっかり無駄飯喰に成り下がっているが、或いはこの対応も、使いづらい上に、彼の影響を最も受けている彼らを追い出したいためではないか? そんな考えがチラチラと浮かびもするのだ。 それほど、腐りたくもなる状況だったが、四人とも愚痴を言うこともなく、辛抱強く命令を待ち続けている。
 何故か? と自らに問えば、答えは簡単に返ってくる。

──彼がここに残したものを、その欠片一つでも、消したくはない……

 ただ、それに尽きた。
 どんなに上層部《うえ》から煙たがられようと、同僚たちから胡乱な目で見られようと、マルタイに不審に思われようと──絶対に諦めたりはしない。

 階段を見上げれば、松平調査官の姿は疾うにない。もう、会計検査会場の会議室に戻っているだろう。
 ほんの僅か、道が交差しただけには違いないが、それでも、知り合えた……といってもいいのか。
 そして、改めて考えさせられたのだ。自分のことも、彼のことも含めてだ。
 多分、他の者たちもそうなのだ。これまでは意識してでも、目を逸らしてきた多くのことに、もう一度、真正面から向き合うべきだと。考える…、べきなのだと。
「……有難う、ございました」
 誰もいない階段に向かい、井上は頭を下げた。ただただ、感謝の念が湧き上がり、そうしたかったのだ。


 オフィスを離れたのは大した時間ではなかったが、急いで戻る。出てきた時と同じく、コッソリと入り込んだ──つもりだったが、直ぐに足を止めた。居合わせた全員の視線が自分に集中していた。
 その中には厳しい目をした中尾課長もいた。その強い視線に、井上は中てられたように幾らか、よろめいた。





『プリンセストヨトミ with SP vol.12』 (お礼SS No.121)

 オフィスに入った途端、視線が集中するのに失敗《しくじ》ったと冷や汗が出る。中でも、刺すような鋭い視線を向けてくる──中尾課長までがそこにいたからだ。
「……井上巡査部長、何処へ行っていたのだね」
「え…。あ、いや。それは」
 トイレなどと、ありきたりな答でも、即座に言ってしまえば、まだ良かったのに、僅かでも口籠もったのは如何にもマズかった。それだけで、後ろめたさがあると認めたも同然──つまり、松平調査官と会っていたのだとと、皆が思っても仕方がなかった。
 ただ、事実は事実として、厳然とある。
 井上としては松平調査官を巻き込みたくないと思ったためもあった。
 何にせよ、既に遅きに失しているようだった。中尾課長辺りは理由を誤解していることは疑いない。
「全く、君は……。あの手の顔なら、誰でもいいのかね」
「──……」
 余りと言えば、余りな指摘だった。さすがに井上も絶句するしかない。ただ、それは自覚しない思いが全くないとは言えないためでもあった。
「課長。そこまで、言わなくても……」
 石田が執り成そうとしてくれたが、鬼の如き形相で睨みつけられたので、言葉を呑み込んだ。鬼の如き課長は吐き捨てるように、
「全く…! もう少し、自重したらどうだ。もっと自分たちの立場を理解したまえ」
「……立場?」
 だが、怒りや不満が一気に許容量を超えつつあるようだ。時にイライラを部下にぶつけてくるのは珍しくはないが──いつもと様子が違う……。
 明確な、殺意にも近い負の感情が渦巻いて、吹き付けてくるのに、四係の面々も戸惑う。井上ばかりでなく、明らかに疎んじられているのが他の者にも判ってしまうほどなのだ。
 殊に井上は──その場で、フラついた。こんなに参ることも久しい。
 たとえば、犯人などに敵意を向けられることには慣れもする。躱《かわ》す術もいつしか、身に付けるものだ。
 だが、相手が歴とした上司ともなれば、話は別だ。上司に信用も信頼もされないばかりか、邪魔者扱いにされている……。
 それが堪えるのだ。

 今は此処にいない元上司は、よく部下の状態にも目を配ってくれた。特に井上の場合、余人にはない特殊能力や、それ故の体調の悪さも汲み取ってくれた。
『心配するな。そう簡単に、お前を現場から外したりはしないよ』
 考慮の上で、警護課に呼んでくれたし、使ってもくれた。

 今は…、望みようもないことだ。彼はいない。二度と戻ってくることはない。
 どんなに苦しくとも、辛くとも、自力で踏ん張らなければならない。堪えて、立ち直らなければならないのだ。

「──聞いているのか、井上!」
 叩きつけられる声に、引きずられそうになるが、何とか、己を保つ。
「……聞いています。ですが、誤解です。松平調査官に会ったのは預かり物を返すためでした」
「預かり物だと?」
「携帯です。それを返してきたんです。渡して、直ぐに戻りました」
 それは嘘ではない、が。
「あ…! あのケータイ、あの方の物だったの?」
 幾らか素っ頓狂な声を挟んだのは庶務の原川だった。彼女が『謎の強者』だったのだが、いつになく激しい怒りに染まっている中尾課長の眼光の前に、沈黙した。

「大体、何故、預かることになどなったのだ」
「それは…、拾ったからです」
「たまたま、かね。偶然たまさか、拾ったのがあの男にそっくりな男の忘れ物だと? 全く大した偶然だな」
 その前に、一緒にいたことを察せられた。いよいよ、不機嫌さも頂点に達したような声に、居合わせた者は身構えた。
 少し離れたところで、PCに向かっていた会計検査院の若い調査官も同様だ。思わず、腰を上げていた。





『プリンセストヨトミ with SP vol.13』 (お礼SS No.123)

 元上司と調査官とを──同一視するような物言いに正直、苛立ちを覚えた。この心境は井上自身にも意外なことだった。確かに、松平調査官に尾形を重ねて見ていたところはあったはずだった。最初は人間違いをしてしまったくらいだ。
 だが、今はもう、そんなことはない。彼らは決して、同じ人間ではないのだ。まだ、調査官と話してみたいと思う気持ちがあることを先刻、階段で見送った時にも感じたのは確かだが、その理由は『誰かに似ているから』というものではないと、今では言い切れる。

 逆に強い視線で、中尾課長を見返す。さすがに課長も怯んだ。
「な、何だね」
「松平調査官は、尾形さんじゃありません。全く別の人です」
 井上が反論したことに、全員が息を呑み、凝視していた。
「課長だって、そんなことはお解かりのはずです。それに…、ずっと、尾形さんと一緒に仕事をしてきたのは課長じゃないですか。私たちなんかよりも、よっぽど長いこと……」
「あの男のことは口にするな」
 幾分、狼狽《うろた》えた様子だっだが、井上は止めなかった。
「本当は知っているはずです。尾形さんがどんな気持ちで、これまで──」
「黙れと言っている!」
 その激しさに、口を噤む。
「貴様のようなヒヨッコが解ったようなことを言うな! ……あぁ、知っているとも。あれだけの能力と学歴にも恵まれて、キャリアにでもなれば、いいものを、わざわざ、現場に回るような道を選んで……だが、その真意は別なところにあった。あの男はテロリストだ! これまでのことなど、何の意味も持たない。その全てを、あの男自身がブチ壊したんだ。自らの行いでな!!」
「課長……」
「立場を理解しろと言ったはずだ。それが解らないのなら、無理に警護課《ここ》にいてもらう必要もないんだぞ」
 心を切り刻みかねない鋭い氷の刃のような台詞だった。絶句というよりも、本当に呼吸《イキ》すら止まりかねないような……。
 恐らくは中尾課長もまた、“立場”というものに苦しめられているのだろう。それは解る。だが、頭では理解していても、感情が納得できるとは限らない。
 我知らず内に、右手が襟元に付けられたバッジに伸びていた。SPであることを示す証を握り締める。
「──井上、まさか」
「馬鹿、止めなさい」
 気付いた仲間たちが課長を気にしつつも、止めてくれる。涙が出るほどに有難いことなのだろう。
 だが、どんなに必死に踏ん張ろうとも、倒れてしまいそうだった。何とか、自分の力で立っていたいと望んでも、もう叶わないのかもしれない……自分たちを取り巻く状況がそれを許さないのかもしれないと、思い知らされたような気がしたのだ。

 ……彼が残したものを、欠片一つでも、守りたいと願っても、結局、この警察という組織の中ではどうにもならないのだろうか。彼でさえ、最後には無謀とさえいえる手段に訴えるしかなかったというのに、自分などに何ができるのか? という疑問もあった。

 バッジを握る手に力を籠めた──その瞬間だった。
「井上巡査部長」
 背後からの呼びかけに、自然と体が震えた。その声は、二度とはここでは聞けないはずのものではないのかと。
 いや、そんなはずはないと思いつつも、ゆっくりと振り向く。多分、答えを知ってはいたのだ。きっと、確認するのが怖かったのだろう。それでも、どこかで期待していたのだろうか?
 それさえも、よく解らなかった。
「……あ」
 立っていたのは、上の階に戻ったはずの調査官だった。もう、混同することなどない。
 一方では他の者たちは尾形総一郎に似た男が再び現れたことに、些か怯んだ。先刻は不意打ちを食らったからだが、今回は──或いはもっと状況が悪い。彼のせいで、課長が荒れたのも井上が反論したのも間違いはないのだ。
 ある意味、更なる火種が飛び込んできたようなものかもしれなかった。





『プリンセストヨトミ with SP vol.14』 (お礼SS No.126)

 静まり返った警護課オフィスに、低い声が響く。
「──辞める気ですか」
 確かめるような問いに、小さく息を呑む。
「貴方も、辞める気ですか?」
 「貴方も」という言葉に、幾らか力が籠もっているように感じられた。そこには他の誰かを想起させる力もある。
「警察官であることを、SPであることを──貴方も、辞める気ですか」
 ゆっくりと歩み寄る姿から、目を離せない。彼ではないことは重々、承知している。大体、部下である自分に、こんな丁寧な話し方もしなかった。
 それでも……どこかで重なる部分があることも否定はできない。課長の二人を同一視するような言い方に不快な思いさえ抱いたのに、やはり自分もこの人に、あの人の影を見ているだろうことは否めない。
「貴方が本気で、その道を選ぶというのなら、私などがとやかく、言うこともありませんが──」
 目の前で、立ち止まった調査官が見下ろしてくる。顔だけでなく、背格好まで似ているのは、本当に何かの冗談のようだ。そして、その深みのある声──……。
「本当に、それで良いのですか?」
 問いかけが、何処か遠いところから、降り注いでくるように錯覚してしまった。

「……副長」
 静寂の中で、若い調査官の声がやけに上擦ったものに聞こえる。窘《たしな》めたつもりかもしれない部下の声を、松平調査官は無視したような形になった。
 しかし、他の者は呪縛されたかのように、動くどころか、一言すら、発することもできなくなっていた。
「井上巡査部長、それが衝動でしかないのなら、その手は離すべきです」
「ま…、松平調査官」
 松平調査官が決定的に、警護課の内部問題に関与するような発言をしたからだろうか。中尾課長が言葉すら躓くようではあるが、口を挟んだ。
「他官庁の方が内々の問題に、口を出さないでいただきたい。経理とは関係がないでしょう」
 突っかかるような口調になってしまっているのは、やはり、松平調査官と嘗ての部下を混同しているためかもしれない。それでも、冷静な調査官は全く動じた様子もなく、課長を見返す。明らかに、課長の方が圧されていた。だが、
「惜しんでおられるのでしょう」
「……な、何を」
 唐突としか思えない言葉に、狼狽を隠せないようだ。誰もがその言葉の意味を直ぐには理解──というより、想像ができなかった。だから、課長が何故、そんなにも激しく反応したのかも解らなかった。
 当然、続く解説を期待したが──松平調査官はそれ以上、余計なことは言わなかった。
「部下に伝え忘れたことがあって、戻っただけです。ゲーンズブール、来てくれ」
「は、はい」
 その合間に、松平調査官は井上の肩を──未だ、バッジを握りしめたままの手の方の肩に手を置いた。錯覚を齎す体温まで感じ、井上は引き剥がすように、手を離した。掌にはバッジの痕がついているほどだった。
 それを見た松平調査官は若い部下を伴い、戸口へと向かう。
 もう、他には何も語らなかったが、「冷静に考えるように」と、諭されたような気がした。
 そうして、二人の調査官が出ていくと、どうにも重苦しい空気だけが残った。

 笹本が近づいてきて、無言で、背中をポンポンと叩いた。課長にも石田が声をかける。
「井上の行きすぎた発言は自分からもお詫びします。若さ故ではあるでしょうが、今後は気をつけさせます。ですから──」
「もういい」
 課長は咳払い一つをし、井上を一瞥するだけで、ムスッとしたまま、課長公室に引っ込んでしまった。
 どうにも、痼《しこり》が残ったのも否定できない。尤も、今まで、表出していなかっただけで、底流には厳然と流れ続けていたものだ。早々に明らかになってしまった方が良かったのかもしれない。……勿論、拗れに拗れてしまいかねない恐れもあるが。

「あんまり、気にするな、井上。早まるんじゃないぞ」
「……済みません」
 本当に心配そうに石田が窘めるのに、心苦しさが募る。そうだ。苦しいのも辛いのも、自分だけではないのに、皆が気遣ってくれる。何しろ、「くよくよすんなっての」などと、普段は井上には厳しい山本までが慰めてくれるのだから、自分の落ち込みぶりも余程なのだろう。

「それにしても、あの…、係長似の調査官さん。何で、戻ってきたんだろう」
「え? イケメンの部下に話があるって、言ってましたよ」
「バカ。ケータイ使えば、済むでしょうが。井上が返してるんだから。どう考えても、口実だね」
 笹本の言葉に山本が目を丸くしている。
「それじゃあ」
「井上のこと、心配してくれたから…、なのかなぁ」
「かもしれんな。でなきゃ、あんなこと、言わんだろう」
 石田もしみじみと呟くのに、井上は数分前の感覚を思い返していた。

『貴方も、辞める気ですか?』
『警察官であることを、SPであることを、辞める気ですか』

 想像の声はこう語る。

『お前は、辞めるな』
『警察官であることを、SPであることを、辞めるなよ』

「何か、係長が言ったような気がしたの…、俺だけっスか?」
 声を潜めても、しっかりハッキリと言う山本の頭を、どうしてだか笹本が軽くだが、叩《はた》いた。
「なっ、何で、叩くんですか〜TT」
「少しは気を遣いな」
 とはいえ、軽口を叩き合う仲間たちのお陰で、沈みがちだった心が幾分、軽くなったようにも感じられた。





『プリンセストヨトミ with SP vol.15』 (お礼SS No.128)

「それで? 用件なんて、あるんですか」
 確かめるように尋ねると、上司は苦笑した。どうも、最近、表情が緩やかになったような気もする。勿論、自分たち直属の部下といった限られた者の前でしか、見せることは今もないが。
 ともかく、用件とやらは本当に口実に過ぎないようだ。旭は小さく、嘆息してみせた。
「鳥居さんじゃあるまいし、検査先のゴタゴタに首を突っ込むなんて、副長らしくありませんよ」
「そうかもしれんな。ただのゴタゴタなら、確かに口出しすべきじゃないが、今回ばかりは俺も無関係ではないからな」
「無関係も同然だと思いますけど」
 それでなくとも、厄介者の調査官だと陰では言われるのに、彼のSPに酷似している上に、ゴタゴタに巻き込まれては上司の立場が悪くなるかもしれないと不安だった。
 しかし、その上司は気にした様子もなく、旭にオフィスに戻るように言うのだ。
 少し離れたところで待っていた案内役と一緒に自分の仕事に戻る後ろ姿を嘆息しつつ、見送った。

 警護オフィスに入ると、課長の姿はなかった。彼の人物直属の部下だったというSPたちの視線が集中した。
 とはいえ、気にする素振りも見せずに、PCへと向かう。さっさと、ここでの仕事を済ませて、上の階に帰りたかった。
「あ、あの」
 控え目ではあるが、声をかけてきたのは、やはりというべきか井上巡査部長だった。
「何でしょう」
「あの…、松平調査官は」
「仕事に戻りました」
 当たり前ではないかと少しばかり苛立ちを覚えるが、表情には出さない。
 だが、井上巡査部長は旭の苛立ち──井上への不快感を感じ取ったかのように、一瞬だけ、体を強張らせた。微かな反応だったが、奇妙なほどに目に付いた。
 それでも、それ以上、関わりたいとも思わない。そのままPC前に戻った。

 暫く沈黙が続いたが、やがて、会話が耳に入るようにもなる。
「……今日はもう待機のままかもしれないですね」
「そうだな。退けたら、飯にでも行くか」
「いいですね〜。前に原川さんが言ってた焼肉店とか、あそこ、美味かったですよね」
「それなら、私も行きたいなぁ。行っていい?」
「当然ですよ。井上、あんたも来るでしょ。てか、来なさいよ」
「え…? あ、はい……」
 何とも、長閑《のどか》な会話へと流れていっているようだ。勿論、松平のことも含めて、立て続けに色々とあり、本当に彼らが心穏やかでいられるはずはないのだろうが、常に平常心をもって、要人警護という重要な職務を負っているSPたちの心身の強さだけは尊敬に値するものなのかもしれない。
 チラとではあるが、そんなことを考えた。


 旭が上階の会議室に戻ったのは終業時間も迫っている頃だった。予定日数内で検査を終わらせるためにも、初日は出来るだけ進めておくようにしているので、幾らか残業をした。尤も、警視庁は他の官庁に比べると終業時間など、あってないようなものなので、彼らが帰る頃にも意外と職員は残っていた。
 緊張の表情を張り付かせ、見送る職員たちのことは、もう三人が三人とも気にしていない。
「副長。近くに美味しいって、評判のお店があるんですよ。寄ってみませんか。もう、お腹ペコペコで」
 ニコニコしながら、鳥居が言い出すのに、相変わらずだと呆れる。きっと、終業はまだかまだかと、ずっと考えていたに違いない。
 ともかく、残業もしたので、空腹を覚えているのは確かだった。松平も断ろうとしなかったのだから、同じなのだろう。
 そんなわけで、二人は意気揚々と歩く鳥居の後を、くっ付いていった。





『プリンセストヨトミ with SP vol.16』 (お礼SS No.130)

 職務上、尾行することは少なくはないが、今ほど、落ち着かない気分に陥る相手もいないものだ。
 三人連れは、やたらめったら喋る女性が先頭に立ち、続く男二人は大した相槌も打たずに付いていってるだけだ。あれで、中々に手強いと評判のチームなのだから、不思議だ。
「ここここ。ここですよ。席、空いてるといいなぁ」
 明るい声が吸い込まれていく店構えに、嫌な予感がした。どうにも覚えのある店だったからだ。
 とはいえ、放っておくわけにもいかない。店内《なか》の作りは一応、把握してあるので、少し間を置いて、入店する。
「いらっしゃいませー」
 あんまり、大声で迎えないでほしいと思ってしまうのは職業柄だろうか。尤も、食い物屋では当たり前なのだから、気に留める奴もいないはずだ。……ただ一人、そいつがいない限りは。
 こっそりと店内を窺い、尾行相手を見つけたが──何と、その隣席に激しく見覚えのある連中が!?
「げ…;;;」
 予感的中? 一度、引き上げた方がいいだろうかと迷った瞬間だった。
「何やってんだよ、お前」
 殆ど、真後ろで声がして、さすがに飛び上がりそうになった。堪えられたのは日頃の訓練の賜物か?
「よ…、よお。偶然だなぁ〜★」
 今回は本当に偶然なのだが、自分でも白々しいにもほどがあると笑いたかった。案の定、いつの間に近付いたのか、同期のSPも白けきった表情で見返してきた。
 やたらと勘が良いのは相変わらずだ。又ぞろ、何やら勘付いて、席を立ったのだろう。

 一瞬、その視線が席の方に向けられた。そして、表情も幾らか険しいものに変わる。
「何で、松平調査官を追っかけてんだよ。あの人は警視庁《うち》のゴタゴタには関係ないだろう」
「そりゃま、確かに、あの調査官は無関係だけどさ。あの顔がねぇ。刺激されて、妙なことを考える連中がいないとも言えないだろう」
「妙なこと……」
 更に険しさを増す同期に引き時だと思う。この状況を上司に報告する必要もある。
 肩をポンと叩く。
「悪いことは言わんから、お前もあんまり近付きすぎない方がいいぞ」
「──近付くも何も、ここで会ったのも偶然だ」
「その偶然ってのが曲者なんだよ。お前と、あの調査官が揃ってるだけで、周囲への影響が増大するってこと、忘れるなよ」
 今日一日の警視庁内での状況を思い返せば、反論もないはずだ。それでも、庁内なら、誰もが経緯を知ることができるが、外となると、そうはいかない。
 こいつも──そんなことは承知しているに違いない。それでも、黙りこくったまま、怖い顔で睨みつけてくるのに、諸手を挙げた。
「んな顔すんなっての」
「……松平調査官だって、どうせ、本庁に来るのは数日だろう」
「その数日に、何も起きなきゃ良いけどな」
「な…」
「じゃあな」
 頃合いだと、そのまま、外に出ようとするが、当然、「ちょっと、待て」と止められる。
「何だよ、それ。何か掴んでるのか。まさか、松平調査官が危ない目に遭うようなことが……」
「もしかしたら、だよ。今んとこは何もないって」
「本当かよ。公安《おまえら》はとにかく、秘密主義だからな」
「目立ちたがりの誰かさんたちと違って、控え目なだけなの。んじゃな」
 それ以上、大して答えるはずもないと悟ったか、もう引き留めようとはしなかった。
 そんな心配顔の同期を思い出しながら、係長に連絡する。
「暫くは店にいると思います。恐ろしい偶然で、警護課の連中も来てたんですけど。はい、そのまさかの井上たちです。どうします? ……はい。了解《わか》りました。そちらに向かいます」
 携帯を閉じ、店を一瞥すると、田中一郎は背を向け、歩きだした。

 数時間後、田中は室伏係長と合流し、ある場所で待機していた。
 やがて、一人の男がマンションに入っていくのを見届けると、自分たちも急いで後を追う。
 オートロックを解除しようとしている男に係長が声をかける。
「──失礼。松平元調査官ですね」
 躊躇いもなく振り向いた男は、玄関ロビーの少しばかり弱い照度の下では、本当にあの尾形総一郎その人に見えてしまう。
「ちょっと、お時間よろしいですか」
 警察手帳を開いて見せながら、近付くが、“鬼の松平”などとも呼ばれる会計検査院の調査官は大して顔色も表情も変えずにロックを解除した。
「──どうぞ」
 その一言だけで、誰もが嫌う公安の人間をあっさりと招き入れたのだ。





『プリンセストヨトミ with SP vol.17』 (お礼SS No.131)

 あっさりと通された部屋をソファに座るまでに、田中は視線だけを巡らせて、観察していた。
 余計な物が殆どない、目に付くのは経理関係の蔵書や纏められている新聞など……それも経済新聞のようだ。部下の女性調査官が「仕事が趣味」とか言っていたらしいが、その通りだと思える。
 如何にも、『デキる男の独り住まい』といった趣だ。この辺も、あの男──尾形総一郎に通じるものがありそうだ。尤も、田中たちが彼の部屋をガサ入れに入った時は全てが終わった後で、身辺整理も完璧の、本当に何もない、がらんどうの部屋だったが……。

 招かれざる客に、さすがに茶など出す気はないらしい『デキる男』は冷蔵庫──いや、冷凍庫か?──にコンビニ袋を放り込むと、こちらにやって来た。コートだけを脱ぎ、向かいに座り、真っ直ぐに見返してくる。何というか、幾らか眠そうな表情にも見える。“鬼”などと評されるほどの凄みがないのは或いは擬態なのだろうか。
 隣の室伏係長が口火を切る。
「いやぁ、失礼だが、本当に良く似ている。散々、言われたとは思いますが、私らは──あの尾形を尋問することもありましてね。こうして、向かい合っていると、ここが取調室ではないかと錯覚してしまうほどです」
「そうですか。それで、お話とは?」
 まるで、動じない。それも当然か。今はテロリストとなった元SPに、どれほど似ていようと、この男は会計検査院の調査官という確固たる身分と己を持っている。揺らぐことが全く、なかった。
「まぁ、そんな貴方をわざわざ、送り込んできた会検さんの思惑も幾らか気になるところですが……。松平調査官、貴方御自身はどうお考えですか。今日の混乱による影響というものを」
「影響?」
「警察庁《サッチョウ》も含めての警察組織内部と、それから、世間に対してのです。もしや、揺さぶりをかけることが会検さんの狙いですか?」
 些か、強引な論法だが、まるで、会計検査院が混乱を求めているような言い方をされれば、冷静な調査官も良い気分ではないだろう。
「会計検査院が何故、そのような意図を持たねばならないのですか」
「いやいや。何も会検さんの陰謀だなんて、思ってはいませんよ。ただ、もっと上の──たとえば、内閣とか、どこぞの議員センセイからの命令とかで」
「会計検査院は内閣の下部組織ではありません。内閣のみならず、何れの国家機関にも属してはいない、独立した機関です。そのような命令を受ける謂われはありません」
 幾らか強い口調になっているのは、彼なりに気分を害しているという証拠かもしれない。
「まぁ、そうでしたね。建前としては……」
「建前ではない。その一点を揺るがすということは、会計検査院の存在意義そのものが問われることになります」
「あぁ、なるほど。とすると、全ては会検さんの判断ということになりますな。益々もって、狙いが判らないが」
「狙いなどない、とは考えないのですか。私は調査官です。経理への検査をするのが私の職務です。それ以外の目的など、あるはずがない」
 松平調査官の言葉には力がある。本当に心底からの信念を持って、職務を果たしているということが窺えた。
「調査官の仰ることは尤もですな。しかし、そちらの思惑がどうあれ、全く異なる捉え方をする者が多いということも間違いないとは思いませんか」
 強面の調査官は眉を顰めた。そういう表情こそが尾形にそっくりだった。
「……既に、そのような兆候があるということでしょうか」
 調査官の問いに対し、係長が田中に目配せをする。田中は携帯を取り出し、幾つかのサイトや掲示板などに接続し、調査官に見せた。
「御覧の通り、こういった書き込みやらが増えていっています。中には、こんな写真も」
 松平調査官の表情が愈々、険しくなる。それは先刻の焼き肉店での夕食の様子だった。松平と…、そして、井上巡査部長が写っている。
 警視庁には一般市民も来る。今朝方、会計検査院調査官たちの襲来に遭遇した者に始まり、増えつつある書き込みは多種に渡る。書き込み時間の早いものは『警視庁で尾形総一郎のそっくりさんを見た』というものだったが、時間の経過とともに変わってきている。
 『警視庁に尾形総一郎がいた』などは大した変化ではない。『実は既に密かに許されている』とか『警視庁で、秘密部隊の指揮をしているんじゃないか』などという推測に変わり、『普通に部下たちと飯を食っている』というのは焼き肉店の写真からの憶測に違いない。
 だが、ネット上では真実を確かめる術がないだけに、変質が早い。既に松平調査官が『尾形のそっくりさん』ではなく、『尾形本人』にすり替わってしまっているのだ。

「……まぁ、貴方もお仕事ですから、本庁に来るなとは言えませんが、警護課の連中と夕飯ってのは戴けなかったんじゃないですかね」
 あのテロや尾形に関しての書き込みなどは規制がかけられているが、すり抜けられるものも皆無ではない。今頃、その対処で担当部署はてんてこ舞いのはずだった。
「過ぎたことは仕方ありませんが、今後はできれば、気を付けていただきたいと思いましてね。こうして、足を運んだわけです」
 黙ったままのエリート調査官に対し、何となく、係長の言葉には勝ち誇ったような響きが感じられた。





『プリンセストヨトミ with SP vol.18』 (お礼SS No.133)

 数時間ほど遡った警視庁近くの路上──三人の会計検査院調査官が空腹感を抱えながら、歩いていた。
「でも、副長。思ってたほど、怪しいところはなかったですね」
 あっけらかんとした口調に比して、内容は中々、過激というか物騒だと旭は思う。
「例の事件の影、か。もう随分と経っているからな。警視庁もそのままにしておくはずがない」
「それって、予算の流用があったとしても、書類とか改竄して、誤魔化したってことですか?」
「そこまではやってないと思いますけど」
 つい口を挟んだ。内部の不祥事を隠したがるのは警察と雖も──いや、寧ろ警察だからこそ、その意識が強まるのかもしれないが、
「今回は問題が大きすぎる。予算流用の可能性は誰もが想像することだ。下手な隠し事はできん。ただ、実際に流用されていたとしても、それほどの規模ではないだろうな」
「どうして、そう言いきれるんですか」
 足を止めた上司が鳥居を見返した。
「少しばかり予算を掠めた程度で、あの一連の事件を起こせるわけがないからな。多分、そちらの資金源は他にある……が」
「それを調べるのは我々の職務ではない。そうですよね」
 旭の言葉に謹直な表情の上司は頷いた。

「それでも、警視庁の予算も費われた可能性は否定できないですよね」
「まぁな。だが、既に調べたんだろう」
「え、警視庁内でってことですか?」
「刑事部の捜査二課は経済犯罪も専門だし、警務部辺りとの合同ってことも考えられる」
「身内を調べるってのは……良いんですか? それでも」
「それが警務部の職務だからな。それだけでなく、警察庁の監察官も出張ってきているかもしれない。内部調査は間違ったことでもない。自浄作用が正しく働いているのならな」
「本当に働いてるんですかね」
 どういうわけか、少しばかり食い下がる鳥居に、首を傾げる。何か、引っかかるものでもあるのだろうか。
「鳥居さん、僕たちが心配しても、そんなことまで指摘するような権限はやはり、検査院にはないんですよ」
 「フーン」とか呟きながら、鳥居はまた歩きだした。『ミラクル鳥居』は感覚も余人には理解不能な反応を示すことがある。

 程なくして、ある店の前に辿りついた鳥居があっという間に気持ちのスイッチを切り替えたようだ。 
「ここここ、ここですよ」
 喜々として、店に入っていく後に続くと、「いらっしゃいませ〜」と合唱に迎えられる。
「三人ですけど、空いてますか?」
「三人様ですね。どうぞ、こちらに」
「良かったー。大丈夫ですよ」
 なるほど、確かに繁盛しているようだ。人気店なのは間違いない。
 そんなことを考えながら、通された席に近付き──思わず、足を止めていた。茫然とするよりになかった。
 ついつい、隣の上司を窺う。さほど、表情は変わっていないが、十分に驚いているのが認められた。

 驚いたのは相手も同じ──一様に食事の手を止め、こちらを見据えている。何も気付いていないのは鳥居だけだが、それで彼女を責めるのも厳しい話だ。彼女が会った、というか、見かけたのは一人だけだったからだ。
 その一人、井上巡査部長を始めとした警護課第四係の面々が何だって、この店にいるのか……偶然には決まっているが、ここまで重なると、偶然にも意味があるのかと穿った見方をしてしまう。
 ともかく、こうなると、ここで食事というわけにもいかないと思える。
 ところが、鳥居はさっさと座り、メニューを広げている。素早すぎるだろう;;;
 その鳥居は突っ立ったままの二人に気付き、首を傾げた。
「旭君、副長? どうしたんですか。早く座って──」
「副長、出ましょう。ちょっと、不味いですよ」
 上司が何か言う前に、旭は進言した。勿論、鳥居が仰天した。





『プリンセストヨトミ with SP vol.19』 (お礼SS No.134)

「え? ど、どうしたの」
「どうしたじゃないんですよ、鳥居さん。そちらのお隣さんは警視庁の方々ですよ。警護課の」
 「え、え?」と目を瞬かせ、隣席の面々を見遣った鳥居だが、直ぐに旭に向き直り、
「だからって、何で、出なきゃならないの」
「何でって…、今、我々がどこに検査に入っているのか、忘れたんですか。それとも、食い気優先ですか」
「あ、酷い言い方だなぁ、旭君ってば。そりゃ、今の検査先は警視庁だけど」
「じゃあ、『国家公務員倫理規定』は御記憶ですか。鳥居さんも一応は国家公務員だということも」
 「一応」などという言い方に反論するかと思いきや、少しだけ考えるような顔をしたのは、何に対しての確認だったのか……。まさか、本当に自分の身分を忘れてたりしないだろうな、と我知らず、顔がひきつる。
「勿論、覚えてるわよ。でも、隣の席ってだけじゃない。饗応には当たらないでしょう」
 因みに、『国家公務員倫理規定』は国家公務員の職務に係る倫理保持について、厳しく細かく規定したものだ。たとえば、会食は『二十人以上の立食パーティ』のみと実に厳しい。奢ってもらうなど、以ての外だ。友人相手ですら、利害関係があると、付き合いには慎重を要する。
「痛くもない腹を探られたら、どうするんですか」
「副長、大丈夫ですよね。会計だって、別なんだし」
 鳥井が旭ではなく、黙ったままの上司に話を振るので、旭も同じく訴える。
「副長、出ましょう。どこから、何を言われるか、判ったもんじゃありませんよ」
「ここ、本当に座れないことばっかりなんですよ」
「そういう基準で、物を考えないでください。大体、ここなら、検査院のオフィスだって、そんなに遠くないじゃないですか。また、来ればいいでしょう」
 そう、実は会計検査院のオフィスも区域は違うが、霞ヶ関にある。鳥居が警視庁ビルを目前にして、やたらと感激していたが、遠目になら、何度も見ているはずなのだ。
「だから、滅多に空いてないんだって、言ってるじゃない」
「時と場合ってものがあるでしょう」
 言い合う二人の部下を等分に見遣り、副長──松平元が小さく嘆息した。まさか、この反応は──鳥居と同列に見られた上に、呆れられた!?

 そして、松平は空いている席に座る。
「副長…!」
「お前も座れ。鳥居の言う通り、別会計だ。問題ない」
「でも──」
「俺もいい加減、腹が減ったし、今更、他の店に行くのも面倒だ。そこまで気になるのなら、お前だけ、先に帰っても良いぞ」
 これは結構、ショックな言われようだ。おまけに、鳥居が余計な口添えをしたもので……。
「副長。今の言い方はさすがに、旭君が可哀想ですよ」
 松平が眉を顰めるのに、こちらが溜息をつきたくなる。鳥居に慰めてもらうなんて、かなりプライドが傷つくもんだ。

「どうするんだ。そろそろ、店にも迷惑だぞ」
 忘れていた。おしぼりやらを運んできた店員が二人なのか三人なのか、ハッキリしてほしいという困り顔で、待ってくれていた。
 「スミマセン」と頭を下げ、諦めた旭は松平の隣に座る。ただ、釘を刺すことは忘れなかった。
「どうなっても、知りませんよ」
「心配しすぎよ、旭君は」
「ま、何かあっても、俺が責任を取ってやるから、安心しろ」
 全然、安心できないようなことをサラッと言ってくれるので、噴き上がりそうになった。
「冗談、言わないでくださいっ!! こんな詰まんないことで、副長が処分でもされたら、僕たち、二度と検査院に足を踏み入れられなくなりますよ。院長や局長がどんなに怒るか」
「大袈裟だな」
「そうよ、旭君。えっとー、何にしよっかなー」
 手を拭きながら、苦笑する上司はともかく、既に食べることで頭がいっぱいの先輩には、かなりカチンときた。ちょっとばかり、殺意すら芽生えそうだった。
「っとに、大阪から帰った後のこと、本気で忘れてるんですかね」
 あの時は松平が負傷したこともあり、お偉方一同から、こっぴどいお叱りを頂戴したのだ。
 またしても、何事か起きたら──松平を警視庁に送り込むと選んだのは上層部の判断だが、本当に何かあったら、それどころでは済まないという予感もある。
 何しろ、ここには今、その種になりうる相手がいるのだ。
 旭は横目で、未だ硬直している警護課の連中を見遣った。より正確には、井上巡査部長を……。





プリンセストヨトミ with SP vol.20』 (お礼SS No.136)

 招かれざる同期を追っ払った井上は一度、トイレに寄った。用を足すわけでもなく、鏡の前に立つ。困惑しきった自分の顔に溜息が漏れる。何とか、平常心にと気持ちを建て直し、笑顔を作ろうと努めるが、中々、難しい。
「……参ったな」
 まさか、こんな店《トコ》で、再三、再四と顔を合わせることになるとは、井上の勘の良さを以てしても、図れなかったことだ。
 とにかく、いつまでもトイレに籠もっているわけにもいかない。深呼吸をし、席へと戻る。
 隣のテーブルには会計検査院の調査官たちが──全く、運命と呼ぶには些か大袈裟だが、ここまで都合の好い偶然を用意しなくてもいいだろうにと、苦笑したくなる。
 席に近付くと、何人かが目を向けてきたが、特に何かを言うこともなかった。きっと言いようがないに違いない。

 元気溌剌な女性調査官が目を輝かせて、メニューを見ている。席を外している間に、もうコミュニケーションを取ったのか、原川が話しかける。「何それがオススメ」などと情報提供をしているようだ。
 この二人が隣り合うのも、かなりの運命の悪戯だと直ぐに判明する。
 そんな隣席に、料理が運ばれ、鳥居という女性調査官は実に美味しそうに食べ始めた。こんなにも幸せそうに食事する人を久しぶりに見た気がする。
「本当! スッゴク美味しい」
「でしょう。ここはコレが絶品。コレ食べなきゃ、何しにきたってものよ」
「そうですねー♪ 他にもオススメありますか?」
「えっとねー」
「鳥居さん。次の注文は、せめて半分くらいに減ってからにしてください」
 警護課で仕事をしていたイケメン青年は如何にも優秀でクールな調査官だったが、この同僚の前では綻びが生じるらしい。少しだけ、言葉を交わした時に感じた冷たさもなかった。
 その青年の隣で、黙々と箸を運んでいるのが松平調査官だった。隣のテーブルからチラチラと向けられる視線は全く眼中にないらしい。
 当然、井上も含めて、声をかけようという勇気ある者はSPたちの中にはいなかった。唯一、SPではない原川だけが話したがっている様子だった。
「あ、あの…。お口に合いませんか」
「え…。いえ、そんなことは」
 原川が尋ねたくなるのも尤もな厳《いかめ》しい表情で、黙然と食事中──結構、怖いかもしれない。
 すると、爛漫な鳥居調査官が口を挟んだ。
「あ、気にしないでください。副長って、いっつも、こうなんですよ。日本中、あちこち行って、折角の美味しいもの食べたりもするんだけど、全然、感想もないし……。何というか、美味しいものほど、こんな顔になるみたいなんですよね」
「鳥居さん。言い過ぎですよ」
「だって、本当のことじゃない」
 部下二人が何やら言い合いを始めたが、その上司は平然と、聞き流していた。

 そんな彼らを見ているのは警護課の連中だけではない。こちらを窺い、ヒソヒソ話をしている他の客もいるのだ。
 松平調査官と井上と──一方だけなら、多分、それほど目立たないはずだ。会計検査院の調査官として、あちこちで活動している松平を今まで、井上たちが知らなかったように……。

『お前と、あの調査官が揃ってるだけで、周囲への影響が増大するってこと、忘れるなよ』

 嫌でも、同期の忠告が蘇る。しかも、他の仲間《SP》たちまでもが揃っていることも問題なのかもしれない。
 さっさと引き上げた方が無難だということは解っていたが、感情が付いていかなかった。仲間が残っている内はと、自分を納得させていた。

「でも、大変な仕事よね。私なんか、警護課の庶務を請け負ってるだけで、いっぱいいっぱいになっるってのに。理由《わけ》の判んない領収書、出してくる誰かさんとかが多いから」
「原川さん。誰かさんって、誰のことですかっ」
 山本が焦りながら、尋ねる。好きに言わせておけばいいのに……。
「あら、誰かさんは誰かさんよ。覚えがあるのなら、聞くまでもないでしょうけど」
 言いつつ、井上の方にも睨みを利かせる。山本と井上の領収書が通りにくく、自腹を切る羽目になるのも多いのは確かだった。
「でも、今日の警護課の調査では特に、ミスなんかもなかったんでしょう、旭君? 原川さんもしっかり、仕事してますよ」
「あら、そう? 専門の方に言ってもらうと、自信持ってもいいかなー」
「勿論ですよ。ね、旭君」
「鳥居さん。ゲーンズブールと呼んでくださいと、ずっと、言っているはずです」
「また、それー? もう良いじゃない。結構、長いこと一緒にチーム組んでるんだし、今は仕事中でもないんだし」
 少しばかり、酒も入った鳥居調査官はイケメン青年の方に体を乗り出した。
「大体、何で、副長は良いのに、私はダメなのよ。納得いかないわよ。ね、副長」
「……俺に、振るな」
 仲裁をする気は全くなさそうに、短く言う。いつものことだと思っているのかもしれない。
「今日という今日は納得のいく説明をして頂戴、旭君!」
「納得しないのは鳥居さんの勝手です。仕事にも影響すると言ってるのに、聞かないじゃないですか。理解が足りないにも程がありますよ」
「むー? 何気に、貶してるわねー、旭君てば」
 延々…;;; どうにも話が噛み合っていないようだった。

「……あの、放っておいてもいいんですか」
 控えめに松平調査官に尋ねてみた。すると、仕事中は謹厳実直そのものだった表情を幾らか緩め、
「構いませんよ。いつものことですから」
 本当に、そんなものだとは──あっさりと言い、店員を呼んだ松平調査官はアイスを注文していた;;; 

第一章 第三章



 『プリンセストヨトミ』DVD&Blu-ray発売☆直前記念。愈々、明後日に迫っています♪ ただ、最初はAmazonで予約したけど、限定ポストカードがつくところが結構、あったので、『新星堂』に頼み直しました。Amazonの方が安いけど……差額がポストカード代ということだろうか^^
 肝心の物語の方は──何だか、思いの外、中尾課長が出張ってきています。この人もつまるところ、『現場の人』なので、何だかんだで、井上君たち寄りなんじゃないかと。ドラマ中では厳しかったけど、その実、『尾形さんに協調する部分がないともいえない? でも、口にはできない』みたいな感じなのかな、とかね。(vol.11-13)

2011.11.14



 既にDVD発売より半月以上、経ちました。そうそう、新発見があるわけじゃないけど、記憶違いとかも無きにしも非ずですね。例えば、「松平さんはいつまで、大阪にいたのか」については映画版では「大学入学前に両親が離婚して、母親と東京に」だとはっきり言ってました。……でも、そんなに長いこと離婚もしないなんて、お母さん、どんだけ我慢強いんだかね。それに、これだと副長、実は大阪弁ペラペラじゃん?
 そんな松平さん(堤兄貴)のインタビュー^^がGEOのシーゲットプレスにも☆
 『SP』の映画も見直そうと思って、まず『野望編』をチェック中☆(vol.14-15)

2011.12.7.



 15の引きが余りに見え見えだったので、ちょっと、絡め手を狙ってみようかと、田中一郎君視点で、進めてみました。野間口さんも、つい目がいく良いキャラすぎて、色んなドラマで見かけるようになりましたね♪ 因みに某セリフは『野望編』での白々しいセリフです。
 ところが、17では室伏係長が喋る喋る;;; お陰で、田中君の出番がぁ〜★
 会計検査院のサイトなんかも覗いてますが、中途半端に知識を得ると、却って、書けなくなるもんですね。無知のまま、展開に合わせた、それっぽい?設定をでっち上げた方が物語っぽいかな、とか言ってみるのは、もう開き直りかもね^^;(vol.16-17)

2011.12.26.



 気が付けば、DVD発売から、二ヶ月経過。まだまだ、のめってます。
 検査院チーム視点に戻ると、一気にコミカルな感じになるのは何故? 鳥居さんモード=食べ物シーンに突入です。因みに、『国家公務員倫理規定』(『国家公務員倫理法』てのもある)は『隠蔽捜査』にも出てきましたが、そりゃ、厳しい規定らしく、『普通の付き合い』も難しい、らしいです。利害関係があると、『勝手に、お中元とかお歳暮とか色々と送り付けてくる』こともあるという話は結構、前にも聞いたことがありましたけど、勿論、受け取りはNGです。
 さて、副長(ちゃうちゃう)主演ドラマが前後編で!! いや、全く…、去年は『エリート』役が続いてましたが、今度は『昭和の父ちゃん』役が立て続けに。あの父ちゃんが副長や係長と同じ人が演ってるとは……全くもって、信じがたいですね。オマケに、『プリトヨ』に続き、またまた平田満さんが父親役とは^^
 でも、『ALWAYS』の社長さんと『とんび』のヤスさんは同じガテン系『昭和の父ちゃん』でも、雰囲気が大分、違いましたね。生い立ちやらの違い故なんでしょうね。そーいや、『ALWAYS』にも平田さん、出てたなぁ。親戚のオジサンで。どこまで、縁があるんだかね。(vol.18-20)

2012.01.16.

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