変わらぬ背
前編 街は昼を目前にして、活気に満ちている。喧騒の中を、男は悠然と歩いていた。 目深に被った帽子の下は黒髪、隠れ気味の瞳も黒だった。 東部ならいざ知らず、軍司令部のお膝元である中央《セントラル》では生粋の黒髪黒眸の持ち主は珍しい。それでも、私服姿である為、擦れ違う人も気には留めていない。 彼が軍服を着ていれば、こうはいかないだろう。誰もが一瞬、足を止め、道を開けるに違いない。夫々の表情と思いによって……。 男の名はロイ・マスタング大佐。軍功により、若くして栄達し、軍にその力を認められた国家錬金術師としても名高い。火炎を操る『焔の錬金術師』の名を知らぬ者は少なかろう。
そんな大佐がこの昼日中、別に散歩しているわけではない。これから、司令部に向かうところだった。 名誉のためにいえば、遅刻でもない。重役出勤ともいえないか。昨日、近隣の軍駐屯地に赴いて、帰ったのが遅かったこともあり、午後からの出勤となっていたのだ。 マスタング大佐はつい最近、東部《イースト》を治める東方司令部から、中央司令部へと異動になった。即ち、栄転といえる。 それ自体は何れは、と思っていたことだ。若くして地位を得たために、疎んじられ、東方に追いやられたが、いつまでも続くとは全く考えてもいなかった。 彼は左遷に等しい東方での時間も決して、無にはしなかった。地方なら地方でしか、できない仕事《こと》を存分に試させてもらった。 東方司令部の全権を司令官たる将軍に委任され、実質的な司令官として、辣腕を揮った。これは実に貴重な経験となった。中央にいたのでは絶対に得られなかっただろう経験だ。 尤も、栄転とはいえ、中央に来たことで待遇は落ちたかもしれない。東方に在った頃は送迎車もつけられていたが、中央に於いては所詮は一大佐に過ぎない──自分の足で歩くしかなかった。 だが、マスタング大佐は街を歩くのは嫌いではなかった。その空気に、雰囲気に触れれば、触れるだけ、その街を知ることができる。イーストシティでも視察と称し、よく歩いた。時にはお忍びで……。 イーストシティなどの東部の町は東部内乱の影響で、程度はあれ、荒廃した。当然、軍も復興に力を尽くした。無論、戦乱を招いた軍に対しての反発も皆無ではなかったが。 それでも、歩き続けて、日に日に逞しくも美しく変貌していく町を見届けたのだ。 中央のセントラルシティは荒れてなどはいない。行き交う人は多く、喧騒に揉まれ、活気に溢れ──復興を遂げたイーストシティでさえも比べるべくもない。 だが、マスタング大佐はこうして、歩くことを毎日、欠かさずにいた。 ただし、部下達は彼が一人で歩くことを歓迎していない。セントラルシティは軍のお膝元だけに治安はいいが、それでも、軍人の一人歩きは危険を伴う。如何に私服であっても、部下が気を揉むのも解らないでもない。 だが、人手が足りているとはいえず、護衛を出したくても出せないのが現状だ。これ幸いとばかりに、部下の忠告や懇願を聞き流し、マスタング大佐は徒歩での出勤を止めなかった。 勿論、変装とまではいわないが、多少は軍人らしく見えないように務めていた。実際、会話さえしなければ、案外に埋もれてしまうものだ。……ただし、喋れば、いわゆるカタギでないのは一発でバレる。 そして、万が一のいざというときのための武器も常に身につけている。彼だけの、彼のためだけにある、最強の武器を。 司令部までの道は、時には変える。色々な場所を見てみたいだけでなく、気分転換もあるだろうか。そして、時に騒動にぶつかることもある。 「……火事か」 消防が出張ってきている。警察に関しては軍警の力が強いが、消防救急はやはり、そちらの別働組織の方が大きい。 錬金術の研究を根に、この国では科学もそれなりに進歩している。それだけに、その類の事故やら火災やらも頻発する。 まだ時間に余裕もあるので、マスタングは火事場に足を向けた。既に消防の活躍で下火に向かっているようだ。不安顔の野次馬も減っている様子で、立入禁止のロープが巡らされている辺りまで、すんなりと近寄れた。 どうやら、どこぞの工業会社が倉庫代わりに使っている建物から出火したらしい。 「……代わりということは、管理に問題ありというところかな」 何を保管していたかにもよるが、倉庫代わりは、即ち倉庫ではないのだ。セントラルシティで、管理の甘さからの火を出したのでは、件の会社は後始末が大変だろう。 勿論、放火などならば、話はまた別だが。 「まさか、軍への反感からの不穏分子の仕業、ではあるまいな」 ないとはいえないのが現状だ。この件に限ったことではないが、そちらにも目を配った方がいいだろう。 火事の現場では殆ど、鎮火しているように見える。 だが、マスタングは何かに意識を引かれた。何だろう、と改めて注意して、火事場を見遣る。軍人としての直感やらが不審人物でも捉えたのかと思ったのだが──そうではなかった。 「あの二人、錬金術師か?」 紛れもない消防士ではあるが、その二名は他の者とは少々、異なる行動を取っていた。 火事場に錬金術師? その意味を測りかね、つい目で追ってしまう。 だから、不意の横合いからの呼びかけに反応が遅れたのかもしれない。勿論、悪意や害意が皆無だったためもあるが……。 「錬金術は火事場でも有用だ」 覚えのない声に曝され、一瞬、僅かに体が強張ったが、しかし、意志の力で飛びのくのは堪えた。冷静に、声の主を振り向く。 水だか汗だかで、ずぶ濡れの消防士が立っていた。壮年、だろうか。 「そう、君が証明してくれたようなものだがね」 「……貴方は」 「久し振りだ。といって、覚えているかどうか」 覚えている。もう、十年以上も前に会っている。 とある火事の現場で、まだ士官候補生だったマスタングが消火に協力したことがあった。その時も現場にいた若い消防士──今、この場で活動する消防士を纏めて、指揮する隊長の彼に違いなかった。
思わぬ再会にマスタングも些か、驚きを隠せずにいる。 消防隊長はそんなマスタングを一度、上から下までつくづくと見遣った。 「あの時はまだまだ線も細い少年だったが、まぁ、年月ってのは凄いな。立派になったもんだ」 彼はマスタングが何者かを知っている。だが、今は私服でもあるし、お忍びか何かとでも思ったのだろうか。とりあえず、旧知の人物に対するような態度に終始してくれた。 何の説明もせずに、そんな対応を取ってくれるのには感謝したいが、昔の話をされるのは些か、居心地が悪かった。 短い会話の合間にも部下の消防士が駆けてきて、隊長への報告や指示を仰ぎに来る。 「宜しいんですか。部外者と話していたりしていて」 「構わんよ。もう殆ど消えたも同然だ。それより、彼らが気になるかね」 と、先刻の二名の消防士を顎で示す。錬金術師であるのは間違いないようだ。 「なりますね。錬金術が火事場でも有用だと?」 「あの時の君と同じように、緊急事態に備えて、水を喚《よ》べる術師がいるといないとでは大違いだ」 それに、物が燃える特性を研究するのも広義では役に立つ。 以来、消防も錬金術師を抱えるようになり、現場に出動するようになった。当初は元々、錬金術の心得があった隊員が携わったりしたが、今ではそちらに重点を置いた隊員養成もしているそうだ。 そして、効果は上がっているという。 「錬金術は科学だとはよくいったものだ。何が火を出しているのか。それが判明《わか》るだけでも、随分と対処しやすくなる。究極的には炎そのものを瞬時に消し去ってしまえれば、楽なんだがなぁ」 そこで隊長はマスタングを横目で見遣った。 「物が燃えるには酸素が必要だ。濃度を下げるだけでも火の勢いは弱まる。真空にでもしてやれば、消えるしかない。だが、気体錬成は非常に困難らしいな。うちの錬金術師は水を扱うのがやっとでね」 それでも、液体に関する錬成もかなり高度なものだ。気体も液体も形が固定していないためか、イメージしにくく、扱える錬金術師は希少だといわれている。 液体錬成が可能ということは、消防が抱える錬金術師達もその気になれば、国家錬金術師資格を得られる腕前なのだろう。 だが、彼らがそんな資格を取ることもない。彼らがその力を揮うのは真なる『火事場』に於いてのみだ。別の意味の『火事場』ではなかろう。 「なぁ、彼の“焔の錬金術師”なら、可能だろうかね」 「さぁ、どうでしょう。彼は、焔《ひ》を点けるのが専門じゃないですか?」 噂話でもするように、さり気なく言う隊長にマスタングも他人事のように適当に話を合わせる。だが、その視点の鋭さには内心で舌を巻く。 『焔の錬金術師』は確かに炎を操る。ただ、それは酸素という気体錬成の過程で生み出す副産物でもあった。 通常は発火布なる特殊な手袋を用いて、摩擦によって火花を生じさせるため、雨の日など湿度が高いと摩擦力が落ち、火花を出せなくなるのも何故か、よく知られている。 『雨の日は無能』などと言い出したのはマスタングの腹心の部下なのだが──思えば、あからさまな弱点を部下が広めるというのも妙な話だ。 つまりはその程度の、実は弱点と呼べるものではないのが真相なのだ。彼が真に操るのは気体なのだから。 信じている、というよりは信じたがっている人間が意外と多いのも、そう仕向けている節がある。それでなくとも、軍内部にも『敵』が多いのだ。それで侮ってくれるのなら、その方が好都合ということだ。 「しかし、“彼”は酸素濃度を調節して、爆発を起こすと聞いている。なら、その逆も然りだと思うんだがね。素人意見かな」 「理論上では、そうなりますね」 しかし、何事も火を点けて、煽り立てるのは簡単だが、消すのは難しいものだ。熾火《おきび》でも残っていれば、消し止めたと思った炎も簡単に再燃するのだから。
マスタングは時計を見た。少し様子を見るだけのつもりが、予定よりも時間を食っている。この会話を煩わしいとは思わないが、遅刻した挙句に部下に睨まれるのは勘弁したいところだ。 中々に聡い人物なのだろう。伝わったらしい。 「急ぐのかね」 「そうですね。そろそろ、時間切れです」 「済まない。引き止めてしまったかな」 「いえ。中々、参考《ため》になるお話でした」 確かに有意義なものといえた。見ている人は見ている。或いは惑わされない者もいる。 それを自覚することは今後のためになるだろう。 その機会を齎したあの火事にさえ、感謝の念が湧いてしまうほどだ。 自然、今一度目を向け──再度の違和感に襲われる。 いや、そんな生易しいものではなかった。危険危険──肌が感じたとでもいうのか、警鐘が全身の細胞を震わせる。 僅かに緊張を帯びたマスタング大佐の変化を、消防隊長も感じ取ったらしい。同じように、火の鎮まった建物へと目を向ける。 ……そう、火は鎮まった、かに見えていた。 次の瞬間、凄まじい爆発の衝撃に薙ぎ倒されるまでは、誰もがそう、思っていた。 中編
てなわけでの20000HIT☆記念小説です。約束通り? 『鋼の錬金術師』だったりして^^ 勿論!? 一押しな黒髪黒眸の焔の大佐メインです。てか、大佐しか出てません。後は又しても;;;オリ・キャラのみ。しかも、名無しだし……。下手に名前つけるよりは、と思ったもので。後編には軍部の連中もチラッとは出てくる予定です。(チラッとかよっ★) 現在のトップ同様、バックが少々、煩いですが……。一応、限界かなー、という辺りまでは読めるように色とかも組み合わせたつもりなんですがね。まぁ、記念だし♪(理由になってねぇ!) 2004.11.09.
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