変わらぬ背
中編 鼓膜を引き裂かんばかりの轟音が巻き上がる悲鳴をも掻き消していく。同時に衝撃が爆発点を中心に円を描くように、あらゆるものに襲いかかる。 辛うじて、身を庇ったロイ・マスタング大佐は危険を察知したのが他の者よりも僅かながらでも早かったため、衝撃を諸に食らって、路上に叩きつけられることだけは免れた。それでも、数メートルは転がされたが。 一瞬、過激派のテロかと疑ったが、それほどに激しい爆発だった。小火《ボヤ》を起こさせて、人々を引きつけ、鎮火する直前の気が緩む辺りを狙って、時限装置でも仕掛けたのではないかと……。 火事で真先に駆けつけるのは軍ではなく消防だが、軍政下にあるこの国の中央──セントラルシティで、世情不安定を狙った如何なる犯行もないとはいえないのだ。 だが、マスタング大佐はそれが杞憂であるらしい、と上体を起こしながら、火事場に目を戻し、悟った。尤も、大した慰めにはならないだろうが。
既に火事場などという生易しい表現には合致しないかもしれない。爆発で半ば吹き飛んだ建物は無論、更なる火炎に包まれているが、それだけではない。炎と煙の中に時々、特有のスパークが走るのを認める。錬金術師である彼はその正体を即座に見破った。 「あれは……マグネシウム、燃焼反応かっ」 さすがに戦場で豪胆さを鍛えたマスタングも声を引きつらせた。 何より、ここは戦場ではない。セントラルシティの市街地なのだ。 爆発前は隣にいたが、少し離れたところに吹っ飛ばされた消防隊長が顔色を変える。態勢を整え、放水を再開していた隊員達に金切声で叫ぶ。 「放水中止! 中止だっ。水を止めろっ!!」 ポンプ車に取り付く隊員が慌てて、弁を閉じる。 だが、時既に遅し──……。火の勢いは止まることを知らず、黒煙を噴き上げる。 「くそっ、そんな報告はきていないぞっ」 愚痴めいた罵りが零れるのも無理はあるまい。 火事場の倉庫にマグネシウムが保管されていると知っていれば、端から放水などしたりはしない。もしかしたら、保管資料すら散逸か何かして、忘れられていたのかもしれないが。 燃焼するマグネシウムに水を浴びせると、水を分解、発生した水素と酸素によって、爆発を生むのだ。そして、更にマグネシウムの燃焼が加速化し──後は連鎖反応を起こすだけだ。 とにかく、化学消防車を呼ぶしか打つ手はない。それまでは可能な限り、反応を抑えるしか──それができるとすれば、錬金術師達だけだ。 承知しているらしい彼らは既に動き出している。 「できるだけ、水を引き上げさせろ」 反応を起こしてしまったものは仕方がない。だが、水を遠ざけ、これ以上の分解を食い止められれば、少なくとも爆発は抑えられるかもしれない。 術を施すには練成陣を布《し》かなければならない。彼らは現場到着時に、建物を囲むように陣を布いてはいた。だが、爆発の影響で所々が途切れてしまったようだ。それでも、術を施せないわけではないが、力が落ちるのも否めない。 錬成に奮戦、集中している彼らのその他への注意力が落ちるのも又、当然のことだった。 「いかん。危ないっ!」 マスタングの叫びと再度の爆発に、どれほどの差があっただろうか。前に出ていた錬金術師達が又もや弾き飛ばされる。マスタングは慌てて、彼らに駆け寄る。 爆風を受けたためだけにしては彼らのダメージは大きすぎた。一人は既に気絶している。『術の反し』を食らったに違いない。 気絶している錬金術師が主になって、執り行っていたのだろう。辛うじて、動ける今一人は補助の役目をしていただけのようだ。だから、彼の方が反発の殆どを引き受けてしまったのだろう。とにかく、後方へと引きずっていく。 「畜生、とても手に負えない」 「手の施しようがないな」 勿論、火事場の爆発のことだ。気絶した錬金術師も直ぐに意識だけは取り戻した。尤も、動ける様子ではなかったが。 「おい、化学消防車はまだか」 「それが、途中で事故の足止めを食ってるって……」 「何、だと?」 一縷の望みを砕かれた瞬間、隊長の唇は引きつり、顔色が目まぐるしく変わる。 大した交通量があるわけでもないのに、こんな時に限って、事故など起こらずともいいだろうに。運に見放された隊長は神を罵り、吐き捨ててもよかったはずだ。 だが、冷静さを手放すことはしなかった。 「……とにかく、迂回でもなんでもさせて、急がせろ」 化学消防車は然程、普及していない自動車にあっても、巨大な車体だ。そう簡単に迂回できるような道もないはずだった。 努めて冷静さを保つ続け、務めを果たそうとする姿勢にマスタングは好感を持った。それは指揮官としては当然だろうが、実際には酷く難しいからだ。
今一度、火事現場──今や、爆発現場の建物を見遣る。 時折、生じる爆発による風が押し寄せ、髪を弄《なぶ》る。額に落ちる前髪を煩げにかき上げ、帽子をどこかに飛ばされてしまったのに、今更に気付いた。 マスタングは一つ嘆息し、現場を睨み据える隊長に向き直った。 「あの建物の構造図などは、ありませんか」 「それはあるが……何をするつもりかね」 「試してみたいことが」 とにかく、縄張りがどうのなどと言っている場合でもない。隊長から渡された構造図を地面に広げ、マスタングは視線を走らす。 「何の参考になるんだね」 「建物の柱や基盤などを錬成陣の代用にしようかと」 「そんなことが?」 可能だった。陣は基点となるものをイメージで結びさえすれば、代用にはなる。但し、相当な力の持ち主でなければ、無理な芸当だろう。 「しかし、それで、どうする。前みたいに、水を喚ぶわけにはいかないんだぞ」 その問いには答えず、マスタングは立ち上がった。五歩ほど、現場へと近付き、その場に屈み込む。 ポケットから取り出したのは発火布の手袋ではなく、錬金術師として、これも持ち歩いているチョークだった。サラマンドラの錬成陣とは異なる陣を地面に描き、 「勿論、“私”らしく、ね」 両手をついた、その瞬間、発光する陣と連動するように建物の基盤が眩い光を放った。 錬成反応特有の鮮烈な光がやがて、建物全体を覆い尽くす。余りの眩さに立ち上る炎や黒煙さえもが色を失っていく。
固唾を呑んで、見守っていた観衆はだが、次の瞬間には息を呑んだ。中心の辺りで更なる爆発が生じたのだ。これまでで最大規模のものだったろう。 怖いもの見たさと興味本位で最後まで残っていた数少ない野次馬も、さすがに悲鳴を上げ、クモの子を散らすように逃げ出す。消防士達でさえもが二、三歩は後退りをした。 唯一、前に出たのは消防隊長だ。 「な、何てことをするんだっ。火に油を注ぐ気か、君は!?」 私らしく、とは『焔の錬金術師』らしく、という意味かと遅蒔きながらに気付く。 だが、『火に油』──もとい『マグネシウムに水を注ぐ』以上に危険な真似をしでかすなどと、誰が想像できる。 いや、二人だけいた。マスタングのしようとしていること、施している術に気付いた者が……。そして、共に生じたはずの爆風が全く、周囲を席捲することなく終わったのにも。 「隊長、待って下さい。……火が、消えます」 隊長の腕を引き、声をかけたのは負傷の程度が軽かった、まだ若い錬金術師だ。 目を瞬かせ、火事場の建物を見返す。 やがて、収斂していく光の中、次第に露になる建物は無論、無惨な姿ではあるが、色を取り戻したのは燻る建物から上る煙だけ……。凄まじい紅蓮の炎は蘇ることはなかった。 光の乱舞は場違いなばかりに美しかった。観衆の間に盛大な溜息が漏れ、継いで、爆発的な歓声が上がった。 消防士同士、野次馬同士、とにかく、手近な相手と抱き合い、狂ったように踊る者もいる。 そんな喧騒を背に、静かに立ち上がったマスタングに、隊長が声をかける。狐につままれたような表情で。 「一体……何をやったんだね」 「貴方の言った理論を試してみたんですよ」 「理論…て、あれか?」 驚きで鈍った頭で、少し前に語ったことを必死に思い出そうとする。 「酸素濃度を下げるだけで、あんなに簡単に消えるのか?」 「無理ですよ。だから、真空にしてやったんです。錬成では手間取りそうなので、爆発で粗方の気体を吹き飛ばしたんです」 あの爆発はそういう意味だったのかと、やっと理解する。そして、爆風がなかったことにも。 「不燃性ガスで壁を作って、爆風は上に抜けるようにしました」 「それじゃ、マグネシウムは? あれは一度、反応を起こしてしまうと──」 「勿論、反応は止めました。せっかく、消した傍から火を噴かれたのでは堪りませんからね」 「……止めた? どうやって」 「説明するとなると、長くなりますが」 確かに、錬金術師に「どうやった?」などと尋ねて、答えてくれたとしても、門外漢に理解できるわけがない。 にしても、呆れた話だ。事も無げに語るが、困難といわれる気体錬成やら、複数の錬成を一度にこなしてしまうとは! さすが、というよりは、全く『呆れた話』ではないか。 だが、何よりも火は消し止められた。危険な爆発もとりあえずは抑えられた。重要なのはそれだけだろう。そう考えると、今度はやけに可笑しかった。笑いの波動が込み上げてくる。 「隊長?」 「どうしました?」 消防の錬金術師とマスタングが不思議そうに見ている。次の瞬間、隊長はガバッとマスタングに抱きついた! 「──!?」 「凄いっ。やっぱり、君は凄いよ!」 手放しで喜んでいるのは理解できるが、いきなりやられると、結構、ショックを受けるものだ。 「よーし、全員、後始末始め。コラッ、いつまで騒いでいるんだ。マグネシウムの搬出を急げ。絶対、再燃させるなよ」 あっさりとマスタングを解放した隊長は矢継ぎ早に指示を飛ばす。 「……爆発より、心臓に悪い」 幾ら人間的には好感の持てる相手でも、男に抱きつかれるのはやはり願い下げだった。 「悪気はありませんから」 「解ってはいるがね」 苦笑してみせると、周囲を見渡す。この混乱の中では、なくした帽子は諦めるよりなさそうだ。何にせよ、随分と酷い格好になってしまった。このまま、司令部に向かうわけにもいかない。 「あの、貴方は、ひょっとしたら……」 錬金術師が窺うように、幾分の戸惑いを滲ませながら、尋ねてきた。 これは殆ど、正体とやらが割れたも同然だな、と思ったが、そこは隊長が救ってくれた。 「何をしているんだ。早く行ってくれ。一人、伸びてるんだから、お前さんに頑張ってもらわないと困るんだぞ」 「あ、ハイ」 残念そうに、だが、それで良かったのかもしれない、と思いながら、マスタングに敬礼する。 「素晴らしい錬金術でした。有り難うございました」 そして、現場へと駆け戻っていく。どうやら、マグネシウム再燃の心配もなさそうだ。 マスタングは乱れた髪をかき上げ、やっと一息ついた。 前編 後編 20000HIT☆記念小説続編です。後編のはずが中編になっちまった…^^; どうしても、短編が苦手らしいな、輝は。 愈々、焔の大佐ロイ・マスタング本領発揮な活躍シーン☆。どうだ、格好好いかっ? マグネシウム云々は、その昔TVで見た火事場のイメージから。いやもう、凄い爆発だったんだよ。……本当に、錬金術で抑えられるのかなー? 爆発で真空にして、というのはプラスチック爆弾使用による消火方法がヒントです。タンカー火災などにはよく用いられるとか。 さて、次こそは本当の後編で、軍部の連中もチラッと★
2004.11.16.
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