『韓流史劇〜英雄時代・その一』 お礼SS No.93

 夕焼けが美しかった。筆舌に尽くし難い苦難の末に成し遂げた成果が巨大な橋となって、ここにある。夕陽は高霊《コリョン》橋を鈍く照らし出し、川面をもキラキラと輝かせていた。
 散文的で、仕事人間の自分だが、こんなにも美しい光景を見たのは初めてだと、天 泰山《チョン・テサン》は思った。この…、彼と見た光景をきっと自分は生涯、忘れることはないだろうと。

「これからが、スタートです」
「私も、です。私もここからが──」
 テサンは高霊橋を、彼は砂糖工場を完成させた──互いに大きな事業を成し遂げ、企業家として、世間にも認められるようになった。だから……、
 テサンは言葉を一つ呑み込んだ。出かかった言葉を、本当に言ってしまってもいいものかと、迷ったのだ。迷いなど、自分には無縁なものだと信じていたが、こんな時もあるのだと、少しだけ不思議だった。それは多分、彼と対しているからなのだろう。
 だが、彼は先刻「素晴らしい仕事を成し遂げた」と称賛してくれた。彼自身、忙しい身であるはずなのに、わざわざ、この竣工式にも来てくれた。
 ならば、笑わずに受け止めてくれるに違いない──そう、信じた。信じたかったのだ。

 そして、
「──もう一度、勝負しますか」
 遂に口にしてしまった。飛び出した言葉は、取り戻せない。
 だが、『勝負』という言葉に彼は目を瞬かせた。それはそうだろう。彼への競争意識は完全にテサンの側の一方的なものだったからだ。弟のテイルには以前から『いつか必ず、彼と対決する』と宣言していたが、弟は兄の決意表明に笑っていたものだ。
 いつの頃からか抱くようになった競争意識。必死になって、働き、会社を大きくしてきたが、彼は常にそれを上回っていた。一つの山を越え、追いついたかと思っても、また、彼は先を行ってしまっている。そんなことが何度あったか。
 とはいえ、別に彼を嫌っているわけではない。かなり年長ではあるが、友人だと思っているし、それは彼の方も同じだろう。事あるごとに気にかけてくれたし、時には世話にもなった。
 慎重派で計画的に事業《こと》を進める彼には、当たって砕けろ戦法を繰り返すテサンが心配をかける弟のようなものと思えるのかもしれない。
 そんな相手から、『もう一度、勝負しますか』などと言われても、意味不明だろう。
 だが、テサンは次の言葉を継いだ。
「天下一の座をかけて──」

 嘗て…、うつらうつらとした夢の中で目指すことを誓い合った『天下一の企業家の座』を、今こそ、現実に競い合いたい。この人と!!

「ハハハ、天下一……。いいですね」
 軽快に笑った彼は──しかし、単に笑い飛ばしたりはしなかった。次には真顔となり、テサンが何よりも欲していた言葉を発した。
「やりましょう」
 差し出された手を、テサンは固く握った。彼も強く、握り返してくる。
「やりましょう!」
 互いに、天下一の企業家たるを目指し──この国をもっと、豊かにするのだ。

 二人にとって、この地はその誓いの地ともなった。
 解かれた彼の手がポンポンと肩を叩いた。
 そして、並んで、遠く沈みゆこうとする夕陽を眺めた。美しい、一幅の絵画のような光景……。
 刻一刻と移ろいゆく幻想《ひかり》の中、テサンは遠い出会いの日を思い出していた。
 彼──國 大虎《グク・テホ》と初めて、出会った日を……。





『韓流史劇〜英雄時代・その二』 お礼SS No.97.2

「待てーっ! この泥棒!! 誰か、捕まえてくれーっっ」
 走って、追いかけつつ、叫ぶが、誰も避けるばかりで、助けてくれそうにない。ぶつかりそうなくらいの人間が歩いているのに──誰も!!
「チクショウ!」
 自分で何とかするしかない。人波の向こうに逃げる頭を見失わないように、テサンは必死に走る。田舎の山仕事で働き続けた足腰は強靭だが、こんなにも障害物のある中を走ったことは余りない。少しずつ引き離されていく。
〈何で、誰も助けてくれないんだっ!?〉
 こんなに多くの人がいるのに、誰一人として!? 都会の人間は本当に人事など構わず、冷たいのか?
 全財産を抱えて、田舎から出てきたばかりのテサンをカモだと思った三人組に路地に連れ込まれ、暴行され、その荷物を奪われた──が、その強盗たちにすれば、誤算だったのはテサンがまだ幼さも残る年のわりには喧嘩慣れしている相手だったということだ。
 初めは不意を突いて、テサンを殴る蹴ると好き放題だった二人も返り討ちにされ、荷物を漁っていた一人は驚き、逃げ出したのだ。テサンの全財産を抱えたまま。
 そして、追いかけっこが始まったが、京城《キョンソン》に出てきたばかりのテサンは地理に疎い。大通りから、脇道にでも入られてしまったら、もう取り返せる見込みはない。その前に追いつかないと! 必死に足を叱咤し、走った。

 追いかけっこは京城駅前に差しかかろうとしていた。騒ぎが近付いてくる中、二人連れの青年が丁度、駅から出てきたところだった。
 周囲の何人かも騒ぎに注意を向けるが、直ぐに関わらない方がいいと目を逸らしてしまう。それもそのはずだ。
「泥棒だっ。誰か……!!」
 追い縋るような声は、声変わりしたばかりという感じの少年のものだった。
「おい、テホ。気をつけろ。余り、前に出るなよ」
 友人が釘を刺したのは関わるな、ということだろう。
 だが、テホと呼ばれた青年は構わず、歩みを進めた。迫ってくる逃走者に気付いてもいない様子で、前へ──必死で追手から逃げる強盗が気にかけることもなかった。
 その影が交差したかに見えた瞬間! 青年の踏み出した足が強盗を引っ掛けたのだ。物の見事に引っくり返り、弾みで荷物から札が何十枚と舞い散った。
「チクショーッッ」
 これでは逃げ切るのは無理だと判断したらしく、強盗は叫びながら、荷物を放り出し、逃げ去った。

 無理に捕らえる気はなかった青年が、その背中を見送っているところに追手の少年テサンが追いついてきた。
「スミマセン」
 犯人など見向きもせずに、散らばった札を拾い集める。血と汗の結晶に等しいものだ。一枚とて、失くすわけにはいかない。必死にかき集めていると、少し離れた所に落ちた何枚かを拾い上げた手があった。顔を上げると、強盗をスッ転ばせた青年だった。
 慌てていたので、碌に感謝もしていない自分に気付き、いきなり恥ずかしくもなり、手を止めた。
「──有難うございます」
「いや。危ないところだったな」
 誰もが見て見ぬ振りをする中で、たった一人だけ、救いの手、というか、足を差し出して?くれたのはテサンよりも五歳ほどは年長の青年だった。故郷では殆どお目にかかったことのないツヤツヤとした黒い洋装姿……多分、学生服だろう。
「ところで、この大金は?」
 笑いながら、集めた札を渡してくれたが、何と答えたものか、テサンも迷った。だが、間違っても、盗んだとか誤解されても困る。
「働いて、貯めたお金です」
「ホゥ。大したものだな。その年で」
 年のことを言われるのは辛い。仕方のないこととはいえ、テサンはまだまだ若い。誰が見ても、年端もいかない子供でしかない。働く場も限られ、結局、医者に診せる金が足りずに妹を一人、亡くしてしまったのを思い出したのだ。
 それでも、まだ弟妹は多い。長男の自分がしっかりしなければという意識が強かった。今回、京城に出てきたのももっと稼いで、家族を楽にしたかったからだ。
「有難うございました。本当に、助かりました」
 金をしまいこみ、立ち上がると、テサンは一礼した。時間は一秒とて惜しい。
 だが、その時だった。

 ぐう〜★

 鳴ったのはテサンの腹の虫。こればかりは意志の力で止められるものでもない。真赤になったテサンを青年が目を瞬かせて、見下ろしている。
「そうだな。そろそろ、昼時だ」
「え?」
「どうだ。この際、一緒に昼飯でも」
 そんな申し出に、今度はテサンが目を丸くした。





『韓流史劇〜英雄時代・その三』 お礼SS No.100

  テサンは夢中で、見たこともない麺物を啜っていた。最初の一口は恐る恐るだったが…、こんなに美味いものが世の中にあるとは──後で、この一時を何度も思い返し、それこそ、夢の中でも味わったものだ。
 しかし、今この瞬間では、ただただ初めての味に驚きながらも、成長期の餓えた腹を満たしていた。
「いやぁ、気持ちのいい食べっぷりだね」
 テホという青年が笑いながら、しかし、彼自身は自分のペースで食事を進めている。今一人のテホの友人も同じだ。
「……少しは遠慮しろよ、坊主」
「あ、スミマセン」
 思わず、箸を置いてしまうが、テホがまた笑った。
「ドンス、セコいことを言うな。テサン君、好きなだけ食べなさい。あ、麻婆豆腐も美味いぞ」
「は、はい。有難うございます」
 大らかな笑顔に引き込まれてしまう。長男で、自分が弟妹を守らなければ──ずっと、そう考えていたテサンは頼れる兄のような存在に、どこかで憧れていた。勿論、テホが通りすがりの他人に過ぎないことは承知の上だったが……。
 通りすがりだが、恩人でもある青年に昼を誘われたのには驚いたが、断る間もなく、当然のように同席することになってしまった。そして、初めての中華料理を食することとなった。テホが「ジャージャー麺を食べたい気分だ」とか言ったからだ。

 初めはこの二人も親切ごかしに、自分の金を狙っているんじゃないかと疑いもした。大体、昼を奢るなんて、毎日、食べていくのがやっとだったテサンの発想にはないことだ。
 だが、この人は自分とは異なる世界に生きている人なのだと──すぐにテサンも察した。本当に親切心だけで、昼に誘ってくれたのだと。
 だから、これも親切心なのだ。
「ところで、テサン君。そんな大金を裸で持ち歩いているのは危ないよ。また、同じ目に遭いかねない。ちゃんと銀行に預けた方がいいな」
「は、はい。その内」
 とはいえ、銀行などという存在もまた、テサンには縁遠いものだった。
「で、坊主。そんな大金を抱えて、何しに京城《キョンソン》に出てきたんだ。一旗、上げるつもりだとかか?」
 少しばかり、揶揄うような響きがある。全く、その通りだったが、癪なので無視をし、食事に集中する振りをした。
「こんの野郎〜」
「止せ、ドンス。大人気ないぞ。で、テサン君はどこから来たんだい?」
 相手がテホならば、話す気にもなる。何といっても、金と腹の大恩人だ。
「江原道《カンウォンド》からです」
「大分、北の方だな。冬なんて、厳しいだろう」
「はい。雪は背丈以上に積もりますし、雪が消えた後も家族総出で畑を切り拓いても、食べていくのもやっとで……京城なら、他の仕事もあるって聞いて」
「といっても、お前さんみたいな子供じゃな」
「ドンス。いい加減、黙ってろよ。しかし、ドンスの言うことも間違ってはないな。君、何歳《いくつ》だい」
「十五歳です」
「フム。なら、ギリギリ使ってもらえるかな」
「でも、仕事だけが目的じゃないんです」
「と言うと?」
「簿記の勉強がしたくて」
「簿記? 何だ、坊主。商売人にでもなるつもりか」
 またまた、ドンスが口を挟む。揶揄するような口調は変わらない。
「まだ判りません。でも、前にある人に教えられたんです。世の中を知るために、新聞を読め。それから、金を稼ぎたかったら、資格を身に着けろって」

 新聞には、全てとはいわないまでも、世の中の動きが記されている。そして、金を稼ぐにしても、金銭には敏感でなければならない。その流れが解かるようにならなければ駄目なのだと。そうでなければ、労働への正当な報酬を得ているかも解からないと。

「それで、簿記を?」
「はい。これも簿記学校に通うために貯めたものです」
 財布もなく、ズタ袋に入れてある大金を示す。それからのことは京城で仕事を見つけ、働きながら、どうにかするしかないと考えていた。



 韓流近代史ドラマの大作『英雄時代』です。書き始めたのはグァンリョル兄貴登場の第一部視聴完結祝いでしたが、今では第二部まで、完全制覇しました。諸事情から、打ち切りになったということですが、それでも全70話の大作。後半も十分に面白かったので、残念でしたね。
 とまれ、テホさんは洋装の兄貴の役としては、『青春の罠』に匹敵するお気にさんとなりました♪ 拍手連載は主役二人の初めての出会いその後ですが、DVDパッケージ説明によると、『運命的な出会い』だそうです^^;

2011.05.19.

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