月の影

前編


 ──山道に誘い込まれた!

 己が失策を認めぬわけにはいかぬ……。唇を噛んだとて、そんなことで、この苦境を切り抜けられるわけでもなかった。従ってきた配下も次第に数を減らしている。
 このままでは遠からず、捕えられてしまうだろう。人質とされるか、或いは……。それだけの価値が、この身にはある。
 だが、配下の者たちは悉く、殺されるに違いない。愈々、切羽詰まれば──せめて、この身の始末くらいは己が手で付けるべきか! 間違っても、敵の手に落ち、いいように扱われることも、質に取られることも避けねばならぬ。
 既に騎馬も失い、山道を逃れる内に息も上がってきた。守り手の配下も更に減じている。打刀は疾うに折れ、敵の得物を奪っては凌いでいたが、最早、その力も尽き──結月は覚悟を決めた。
 その決意に狼狽え、止めようとする者たちを叱咤し、済まぬと口にしながらも、時間稼ぎをするよう頼む。彼らとて、結末は目に見えている。
 添差を抜き、白刃を首筋に当てる。
「……父上、母上。お許しください」
 不孝を詫び、力を込め、勢いよく引こうとした瞬間《とき》だった。木立の向こうで、目も眩むような光が飛び散り、轟音が響き渡った。次いで、凄まじい土煙が上がり、木々が折れる音に悲鳴が重なる。
「何事か!?」
 残り僅かな配下は勿論、取り囲みつつあった敵も驚愕し、乱れが生じた。更に、同様の閃光が炸裂し、前方の敵の悉くを討ち払った。
 正しく、あるべからず光景か。地上に、雷《イカヅチ》の如き光が生じるとは!?
「これは…、もしや、空蝉丸か」
 口々から零れた名に、言葉にも生気が宿る。逆に敵には動揺が生まれている。「雷公だっ」「雷神の怒槌!」「逃げろっっ」と、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。追い縋るように三撃目の雷光が奔り抜けた。
 後を追うように木立の間から、湧き上がってきたのは──味方の援軍だった。
 だが、結月が歓喜や安堵に囚われるよりも、気を引かれたのは、
「……空蝉丸?」
 その名だけは、結月もこのところ、よく耳にするようになり、記憶に留めていた。最近、父が召し抱えた流れ者の“豪剣士”が“雷神の剣”の使い手であると……。
 無論、比喩に過ぎないだろうと結月は思っていた。よもや、真に雷光を発するほどの豪剣とは!? 目の当たりにするまで、誰が想像できようか。

 その時、駆けつけた援軍から、父の下、一軍を預かる将たる壮年の男が抜け出してきた。
「結月様ッ、よくぞ、御無事で! よくぞ、持ち堪えられました」
「黒木か。済まぬ、随分、死なせた」
「何を仰せられます。ともかく、こちらへ。彼の者が道を開きまする」
「雷神の申し子だとか聞く、流れ者の豪剣士か」
「は…。今は何より、結月様の御身こそが大事にございまする」
 決して、兵に余裕があるわけでもない中、父が一軍を出してくれたのかと知ると、忸怩たる思いに苛まれる。しかし、今は行動あるのみだ。敵の囲みを突破する唯一絶対の好機を逃すわけにはいかない。
「参るぞッ。ここが正念場ぞ!!」
 結月の声に、兵たちは「オオッ」と応じ、死兵の如く、雷光の作る道へと殺到していった。



 群雄割拠の時代──後の世には戦国時代などと呼ばれ、決して大きいともいえない領地を巡り、人々は争っていた。時には盟約を結び、他家を攻め、時には盟約など破棄し、互いに血で血を洗うような戦いに突入する。その繰り返し……。
 それは此処、岩泉の領国も例外ではなかった。岩泉家は無用の軍《いくさ》を起こす質ではなかったが、戦国の世の習いとしては、隣国が攻めてくることも当然の可能性として、常に備えを固めていた。
 此度の戦も、そのように隣国が攻め入ってきた結果だった。情報を得ていた岩泉は早々に、守りを固めたが、同時に迎え撃っても出た。それが結月の率いる隊だったのだが、一つだけ狂いが生じた。敵の狙いが『結月を捕えること』にもあったらしい、ということだった。逆に敵の領内《くにうち》へと誘い込まれてしまったのだ。


 援軍に守られた結月の隊は辛うじて、岩泉の領内に戻ることができた。しかし、今回ばかりは生き残りは数えるほどだった。
 国境《くにざかい》近くの寺には陣が構えられている。この時代の寺は、状況によってはたちどころに、城塞代わりとなる。その境内に入ったところで、援軍の兵に支えられていた者たちは力尽きたように倒れ込んだ。
 途中までは騎馬だった結月も気を張ってはいたが、元々の体力が他の者には劣るため、さすがに立っているのがやっとだった。仮にも将の一人としての矜持をかき集め、兵の前では情けない姿を見せられないと──正に気力のみで立っていたのだ。
 察した黒木が、本堂へと導こうとするが、結月は断った。一人だけ、屋根の下で休む気になどなれなかったのだ。せめて、と本堂に上がる階《さぎはし》に腰かけた。座り込んだ途端に膝から力が抜けた。
「結月様」
「大事ない。……黒木、真に助かった。礼を言う」
「滅相もなきこと。援軍が遅れ、申し訳もなく……。彼奴《きやつ》ら、敢えて、侵攻の情報を流し、結月様を誘い出したようにございます。最も重要な情報を掴めず、我らこそ──」
「なるほど、迂闊であったな。何とも、手の込んだ策を講じてくれたわ」
 黒木の言葉を遮り、吐き捨てるように言ってみても、今回ばかりは、敵にしてやられたことは疑いようがない。何より、己が失策を犯したこと、それ故、多くの配下を失ったことは承知している。
 黙り込む結月に、暫し、躊躇った黒木が口を開く。
「結月様。此度は運が好かったとしか言いようがありますまい。次は如何なるか、解りませぬ。最早、戦場《いくさば》に身を置くは──」
「聞けぬ」
 一言の下に切り捨てる。だが、いつもは苦言を呈されても、強く突っ撥ねれば、引き下がるものを、今日は違った。
「されど、貴方様は我が岩泉の大姫にございまする。たとえ、並の男どもより戦に秀でておられても、女子《おなご》の身であることは変わりませぬ」
「だから、何だと言うのだ!!」
 激しく厳しい語調に、黒木だけでなく、周囲に居合わせた者の全てが息を呑む。
「父上には男子《おのこ》がおらぬ。なれば、父上の跡はこの結月が継ぐ! 何れ、弟が生まれれば、姫にでも何にでも戻ってやるわ」
 激昂してみても、仕方のないことだ。本来、岩泉の姫──それも大姫である結月が女だてらに武器を取り、戦場に出向くことに眉を顰める者は未だに多い。その力量を以て、兵たちには将でもあると認めたせたというのに、どれだけ戦果を示してみても、ただ『女である』という一点のみに於いて、家中では『結月』を認めない者がいるのだ。
 それでも、父が黙認しているので、出陣できるようなものだった。
 父たる岩泉家当主・猛志ノ介は豪放磊落、大らかで臣下のみならず、領民からの信頼も篤い。中には結月に出陣を止めさせるようにと、進言する者もいるが、今のところ、好きにさせてくれている。そも、幼い姫に刀を持たせ、騎馬の手解きなどもしたのは父なのだ。
 母は母で、我が子の身を案じないわけではないはずだが、口煩くは言ってこない。
 そんな二人に甘えているといえば、甘えているのかもしれない。それでも、結月は自らも家と領地領民を守る一助となりたかった。微力であろうとも、だ。



 腹立たしさから、血が滲むほどに唇を噛む。籠手に覆われた手をギリギリと握りしめた。手甲がなければ、掌を傷つけていたかもしれない。
 その時、門の方から歓声が上がった。視線を転じると、殿《しんがり》隊が戻ってきたようだった。見たところ、然程の犠牲は出ていないようなのに、結月も安堵の息をつく。自分のために、彼らが危険を冒したのだから、当然だ。
 だが…、その殿隊の中で、妙に気にかかる男がいた。隊の中でも長身で、他の兵たちより頭一つ以上、でかい。
「……あの者は」
 我知らず、口をついた言葉に黒木が「空蝉丸にございまする」と教えてくれた。
「切り込み役を買った後、取って返し、殿を務めました故」
 ということは、どこかで擦れ違ったはずただが、全く記憶になかった。それにしても、
「噂は真であったか」
 “降臨せし菅公”“雷神の申し子”などと称され、“雷神の剣”を振るうと。比喩ではなく、本当に雷撃をこの地上にて、撃ち放てるとは……。今はただ、驚愕するばかりだが、何れは、これが恐怖に変ずるのかもしれない。
 あれだけ、有利であった敵方が、ただの一撃で、逃げ散ったのだ。凄まじいとしか言いようがない。味方なれば、この上もなく頼もしいが、敵となれば、途轍もなく恐ろしい──誰もがそんな想像をしてしまうだろう。
「……話をしてみたい。礼も言わねばなるまい」
「なれば、お姿を…」
 整えてから、と暗に含められ、頭に血が上った。
「構わぬッ。戦場で、左様な些末事《こと》を一々、気にしていられるか!」
 結月はともすれば、笑いそうな膝に力を入れ、立ち上がると、歩き出した。
「結月様、お待ちくだされ。御自ら出向かずとも、呼び寄せれば、済むこと──」
「構わぬと言っているッッ」
 我ながら、天邪鬼と思わないでもないが、止められるほどに、突き進んでしまうのだ。


☆       ★       ☆       ★       ☆


 結月が歩み寄ると、気付いた兵たちが姿勢を正し、次いで、膝をついた。男と変わらず、具足を纏っていても、やはり小柄ではあるし、実は姫だということは皆が知っていることだ。新たに取り立てられた兵の中には侮る者がいることもあるが、目に余れば、実力で屈服させた。さすがに力だけの勝負では男には敵わないが、戦いは力だけではない。武器は使いよう──女の身で、まだまだ年若いが、そうやって、一隊を指揮するまでになったのだ。
「其方が空蝉丸か。先ほどは助かった」
「畏れ多きことにございまする」
「──立ってくれぬか」
 空蝉丸は戸惑いを見せたが、重ねて言うと、立ち上がった。小柄な結月に比して、上背のある空蝉丸が向かい合えば、当然、結月が見上げるようになってしまう。
 主筋の姫であり、一隊の将でもある結月を見下ろさねばならない空蝉丸は少しでも、礼を失する振る舞いのないようにするためか、後ろに身を引いた。更には首を竦めるのだ。
 大男が亀のように縮こまっている姿からは、とてもではないが、“降臨せし菅公”だの、“雷神の申し子”だのという二つ名を冠する豪剣士とは思えず、妙に可笑しい。ささくれていた気分が上向いてくる。
 だが、彼こそが結月たちの危急を救った第一功であるのは間違いがない。直に目にはしていないが、凄まじき太刀筋でもあろう。となれば、次には、それを見てみたいと希求するものだ。
「噂通りの豪剣士なのだな。感じ入った。落ち着いたら、一手、所望したいところだ」
「それは……」
 その豪剣士の目が泳ぐ。結月の背後に控える黒木で、止まったようだ。恐らく目を三角にして、首を横に振っているだろう。
「御館様のお許しをいただきましたら」
 取り繕うような言葉だが、まぁ、良いだろう。ある意味、言質を取ったようなものだ。何れ、父に願い出て、許しを貰うことにしよう。
 些か勝手ではあるが、そんなことを思い描く内に、荒れ狂っていた気持ちは静まっていった。

(後篇)



 年に一度の『金桃DAY』(6/4)対応作品で、挑戦してみました。当時の『お題』にあった、戦国の世の話。しかも、アミィちゃんが岩泉の姫だったバージョンです。これまで、余りカプを意識しては書いてこなかったので、「ちょっとした冒険」(c某チーフ)気分です^^
 でも、現時点では全然、金桃チックではな〜い。

 とはいえ、やっぱり、ひねくりが加わるもので、仕えていたのはやっぱり赤似の御館様で、ただの姫ではない女武将設定を考えていたら──今週(執筆当時)の『歴史秘話ヒストリア』が井伊直虎なんだもんなぁ。でも、まぁ、勉強になりました。(そしたら、さらに数年後の『大河』になるとは!? それこそ、ビックラしました^^)
 井伊直虎はッ公、小説も出ているし、割りと名は知れているかもしれないけど、歴史上、女武者とか女城主とかって、結構、いるんですよね。一番の有名どころでは『巴御前』かな。多いのはやっぱり、戦国時代だけど。

 因みに某「黒木」ですが、当然? 某司令官辺りから名前を貰いました♪ 先代戦隊(『ゴーバス』)での一押しでしたっ★(何故、主役回がなかった!?)

2016.12.13.
(pixiv投稿:2014.05.29.)


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