視 線


 艦橋は静かだった。前日から明け方過ぎまで、行方不明機の捜索と敵襲の警戒──眠れぬ一夜も明け、アークエンジェルも今は非常態勢が解かれている。とにかく、疲れを引きずるクルー達はなるべく早く、全員が一度は休息を取れるようにとシフトも手が入れられている。
 そろそろ、その最後のローテに入ろうとしている。今現在、艦橋に残っているのは三人だ。
 レーダーを見つめていたロメロ・パル軍曹は少しばかり痛む目を抑え、序でに欠伸を噛みしめた。間違っても、声には出せない。
 艦橋を指揮するのがマリュー・ラミアス艦長ならば、見て見ぬ振りをしてくれるかもしれないが、生憎と艦長は非直だ。堅物の副長では叱責は免れまい。
 幸い、そのナタル・バジルール中尉は艦長席ではなく、CICに下りて、何やら作業しているので、見咎められずに済んだ。
 それにしても、とパルは前方の操舵席を見下ろした。今一人の居残り組アーノルド・ノイマン少尉は操舵席のパネルを開き、点検を続けていた。
 二人とも、休息を後回しにしてでも、夫々の作業を済ませてしまおうと、居残りを買って出たほどだ。少し前までは他にも何人かいたが、最低限の人数を残し、休息に入っている。
 貧乏籤よろしく最後まで残されたパルとしては全く、早いところ、ベッドに倒れ込んで、眠りを貪りたいものだ。それも後僅かの辛抱だ。
 座ったまま、軽く伸びをした時、後方のドアが開く音に反射的に振り返る。
「よお、ご苦労さん」
 入ってきたのはパイロットのムウ・ラ・フラガ少佐だ。手にしたバスケットに四人分のドリンク・チューブが入っていた。その一つを渡してくれる。
「異常はないかい」
「は、はい。今のところは」
「そいじゃ、もう一息だから、頑張れよ」
 相変わらず、気さくな人だと思う。艦橋クルーとはいえ、それは成行きだ。所詮は下士官に過ぎない自分達にも気軽に声をかけ、見下すような態度は取らない。勿論、パイロットとしては優秀で非常に頼りになる。クルーの誰からも信頼され、好かれていた。
 フラガ少佐はパルの肩をポンと叩き、操舵席の方に向かっていった。チューブを口に含みながら、後姿を目で追う。
「少尉も一息つけよ」
「──これを済ませれば、丁度、休憩時間に入りますから」
 ノイマン少尉は顔も上げず、作業の手を止めない。
 肩を竦めたらしいフラガ少佐が隣の副操舵士席に座り、チューブに口をつけた。
「やれやれ、頑張るねぇ。何やってんだ」
「見ての通り、操艦システムのチェックですよ。大分、無理をさせましたからね」
「あぁ、アレね」
 スカイグラスパーでの戦闘中、目撃したアークエンジェルの荒業を思い浮かべる。それを成し遂げたのは目の前にいる、この操舵士だ。
「しかし、お前さんもやるねぇ。アークエンジェルでバレルロールとはね」
 そこで漸く、ノイマンは手を止め、マジマジと少佐を見返した。そして、妙に大きな溜息をついた。
「揶揄わんで下さい。こんな戦艦で、バレルロールなんて、できるわけがないじゃないですか」
 あの後、艦橋クルーから「凄い凄い」と手放しで賞賛され、顔を引きつらせていたのをパルは見ていた。だから、これは謙遜ではなさそうだ。
 パルにはその理由は思い当たらなかったが、フラガ少佐は合点がいったように苦笑した。
「あぁ、確かに。“バレルロール”は、無理だわな。艦長も解ってて、命じたのかねぇ」
「……単に、思い違いをしていたんじゃないでしょうか」
 解ってない、とまではさすがに言えないらしい。
「ハハハッ、そーだなぁ。バレルロールの定義を述べよ、って聞いたら、“樽を転がすようにロールするんでしょ”とか言いそうだよなぁ。艦長ってば」

……頼むから、声色まで変えないでくれ

「少佐……それは幾ら何でも言い過ぎでは」
「そぉかぁ? 思いっきり、ありそうだぞ」
「普通に考えても、樽を転がしたって、横に転がるだけで、前には進めないじゃないですか」
 二人の話を聞くともなく、聞いていたパルも自分が『バレルロールの定義』なるものを漠然としか捉えていなかったのに気付く。後できっちり調べてみたところによると、『戦闘機が、想定上の樽の内面に沿うように螺旋軌道を描きながら進む』ことだった。なるほど、戦艦が一回転しただけではバレルロールとはいえないか。
 多分、艦長はどこかで聞きかじった程度だったのだろう。現にノイマン少尉は、
「まぁ、艦長の意図は察せられましたからね。そんなことに拘ってる場合でもなかったし」
「だな。単なる背面飛行の上での360度ローリングにしたって、この艦で成功させるのは至難の業だったろう」
 大したもんだと頷く少佐に、少尉は疲れたような溜息を吐き出した。
「一世一代の賭けでしたよ。もう一度やれと言われても、絶対にお断りします」
「命令でも?」
「無謀な命令には従えません。第一、こいつのシステムが悲鳴を上げてしまいますよ」
 システム上でも、二度は出来ないということか。ノイマン少尉の操艦技術以前に、システムがオーバーロードして、制御を失い、墜落しかねない。
 少佐も幾らか真顔になった。声のトーンを落とし、核心をついてくる。
「大分、調子悪いのか」
「……ヘリオポリスからこっち、まともなメンテナンスなんて、出来ませんからね。私のやってることなんて、所詮は付け焼刃ですし」
 ヘリオポリスでは艦長以下、多くのクルーが犠牲となったが、その中にシステム管理者も含まれていたのだ。それなりの整備を受けたのは第8艦隊との接触時くらいなものだ。それとて、アークエンジェルが新造戦艦であり、各システムも新規のものだった為、完全には程遠かった。
「さすがのマードック曹長も、艦の制御システムまではお手上げですし。とにかく、早いところ、設備の整ったドックに入りたいですよ」
 整備班はフラガ少佐の宇宙での愛機で、カスタム機のメビウス・ゼロや、地球軍にはノウハウのない新型モビル・スーツ、ストライクの面倒も何とか見てくれている。
 アークエンジェルも艦体そのものの修理まで請け負ってくれているが、中身《システム》となると、危なくて、下手な手が出せないといったところだ。
 仕方なく、ノイマン少尉はマニュアル片手に表層上の調整しているようなものだ。
「ドックか。一足飛びにアラスカまで飛べればな」
「散々、そういう会話、しましたよね」
 少しだけ、遠い目をしたノイマン少尉はフラガが持ってきたバスケットからチューブを取り、一つ息をついた。
「あんまり、根を詰めるなよ」
「承知しています。そういう少佐こそ、今はお休みの時間じゃないんですか」
「そうなんだけどね。気になってさ」
「──例の、勘ですか。敵が近いとか?」
「いや、そういうわけじゃないけどな」
 少佐が近付く戦闘の気配というものに、敏感だという特有の勘を持っているらしいのは知られている。
 しかし、本来は味方機であったはずの四機のGを擁した、あの敵は簡単には諦めてくれないだろう。前夜、行方不明となったスカイグラスパーは敵の輸送機と接触していた。その機がGの一機イージスらしい機体を運んでいたのも記録に残っていた。
 撃墜破壊はしていないようなので、早晩、彼らも合流するだろう。
 時間が経つほどに、あちらも再度の追撃態勢を整え、仕掛けてくるに違いない。それまで、最前線で戦うパイロットにはしっかり休んでもらいたいものだ。

「そっちもだろうが。まだ、一度も休息取ってないんだろう。お前さんたちは」
「えぇ。でも、少し休めるくらいの余裕はあるでしょう?」
 今はインド洋から太平洋へと抜ける多島海を北上している。とりあえず、この辺りを押さえる赤道連合は中立を表明しているので、ZAFTも大っぴらな攻撃は出来ないはずだ。
「次の攻撃があるとしたら、オーブ近海を抜けてからの公海上で、かな」
「そうですね。……その手前で、ということも考えられますけど」
 狭間のようなものだが、赤道連合とオーブの間にも公海は存在している。仮にも地球連合の所属艦だ。どちらにせよ、別の国家の領海内には入れない。
「……寧ろ、この辺の方が危ないかもしれませんね。仕掛けられてから、オーブの領海を避けようと飛べば、針路も読みやすいでしょうし」
 フラガ少佐は首を摩りながら、眉を顰め、聞き捨てならない予測をした操舵士を見遣った。
「その上で、網を張られる、か? 敵さんにGの他にも支援部隊がいればの話だがな」
「楽観はするべきではないと思いますが」
「そりゃ、そうだけどさ。クルーゼの意向を受けた連中はともかくだ。奴以外に、俺たちを地の果てまで、追っかけ回そうなんて物好きが他にいるとも──」
 そこで別の声が遮った。
「フラガ少佐。中々、価値ある議論とは思いますが、今はしっかりとお休みになって頂けませんか」
 凛とした声の持ち主は副長ナタル・バジルール中尉に他ならない。CICから出てくると、上官であるフラガ少佐に挑むようなとでも評されそうな目を向けた。
「少佐も仰るように、早晩、次の攻撃はあるでしょう。少佐は我が艦の攻撃の要です。疲れが残ったままに出撃されて、万が一のことがあっては困ります」
 何ら遠慮もなく、思うままに切り込んでくる。それは正論であり、しかも、一応はパイロットの身を案じているのだから、抗しきれるはずもない。
 唯一つ、要はキラ・ヤマトだろ、と内心で呟きながら、にこやかに笑った。
「確かに副長の言う通りだな。部屋に戻って、寝るとするよ」
「そうなさって下さい」
 バジルール中尉は敬礼すると、CICに戻ろうと踵《きびす》を返しかけた。
 が、今一度、フラガ少佐が呼び止める。
「まだ、何か」
「いや、これ。つい話し込んで、渡し忘れてたよ」
 バスケットに残っていたチューブだ。上官の気遣いを無下にするものでもないと、礼を言って、受け取る。

 空になったバスケットをひょいと肩に担ぐよう格好をして、フラガ少佐は立ち上がった。そして、思いついたように、
「あぁ、ノイマン少尉。確かに中々、面白い話だったよ。なぁ、最後にもう一つだけ聞きたいことがあるんだが」
「何でしょう」
 少しだけ前屈みになり、少佐は声のトーンを落とした。
「──お前さん、何者だ?」
 思わぬ問いだ。CICに戻ろうとしていたバジルール中尉が肩を揺らし、足を止めた。
 パルも少佐の質問の意図が想像できずに困惑の眼差しを向けている。
 少佐は──内心を窺わせない表情で、ノイマンを見下ろしている。真顔にしては笑みを含んでいるが、だが、目は決して笑っていない。
 方や、問われたノイマンは動じた様子もなく、表情を変えなかった。暫くは……。
 だが、不意に戸惑ったように視線を泳がせた。どうやら、直ぐには問われた言葉の意味が理解できなかったらしい。僅かに腰が引けた様子で、少佐の顔を見返し、
「あの……どういう意味ですか?」
 型通りの反応だ。それしか出来ない、といった方が正しいだろうか。
 少なくとも、パルの目にはそう見えた。それに、背を向けたままのバジルール中尉も何故か、身を硬くしているようだ。
 そして、フラガ少佐は──薄く微笑を浮かべつつ、ノイマンを見下ろしている。
 戦闘時の緊迫感とは違う。だが、人の少ない艦橋を急速に支配する確かな緊張感に息が詰まりそうになる。

 唐突にその緊張が薄れた。
「まっ、いっか」
「はぁ?」
 ノイマン少尉が間抜けた声を上げたのも仕方ないだろう。少佐は体を起こした。
「じゃあ、邪魔したな」
 かき回すだけしておいて、手をヒラヒラさせた少佐は艦橋を出て行ってしまった。
 後には僅かばかりに残る緊張感と気まずい雰囲気が……。
「な、何なんですか。今のは。ノイマン少尉」
「……知るか。あの人の考えてることなんて、俺みたいな平々凡々な人間に解るかよ」
「そりゃま、確かに、意味不明な人ですけどね」
 後から思えば、フラガ少佐には何か感じるところがあったのだろう。だが、そんなことも当然、今のパルには想像できるはずもなかったのだ。

 思考も直ぐに断ち切られた。
「少尉、チェックを終わったのか」
「あ、いえ。もう少しです」
「では、早く済ませろ。休みを削ることになるぞ」
 バジルール中尉の言葉も尤もだ。話はそれまでとなり、小さく微笑を浮かべた少尉は作業に戻った。
 中尉はCICには入らず、艦長席に座った。そちらで、データのチェックをしながら、時折、ノイマン少尉を見ているのに、パルは気付いた。
 思わせ振りだったフラガの質問と視線と態度が気になるのだろう。
 ノイマン少尉は中尉直属の部下だったと聞いている。AA搭乗前から従っていたと。
 その部下が何者か、などと言われれば、無視は出来ないだろう。彼女の性格なら、フラガ少佐に文句の一つも言いそうな気もするが、しかし、パルの立場では自分から上官に問い質せるわけもなかった。


 少佐が妙なことを言ったのはこの一度きりで、彼らの間で話題に上ることもなかった。特に口止めはされなかったが、居合わせなかった者に話したりもしなかった。
 忘れたわけではない。寧ろ、引っかかっていたと言った方がいいだろう。ただ、何となく深入りするのを避けたのかもしれない。
 程なく勤務は明け、ラミアス艦長以下、交代要員が来ると、三人は艦橋を後にした。

次章12『二人きり』



 いきなり始まりました。おいおい、種かよっ!? とゆー声が聞こえてきそうですが、夏コミで一部CPにハマりました。今頃かいっ!! つー叫びも響いてきそうですがね。
 元々、ノイマンは種キャラでは輝のお気にキャラでしたし、ナタルも嫌いじゃなかった。お題で書くのも久し振り(過去、二回くらいしか…^^;)の挑戦。難しいですな★ どこが「視線」? それより、バレルロール云々を書きたかったよーな気が??
 とりあえず、続きます。

2004.09.06.

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