二人きり


「少尉、ちょっと、いいか」
「はい」
 何となしに三人揃って艦橋を出て、程なく上官に話しかけられ、ノイマンはパルに目配せをして、その上官たるバジルール中尉を追っていく。
 見送るパルはやはり、先刻のフラガ少佐の発言のせいだろうか、と漠然と思う。幾らかは気になったが、まさかくっついていって、盗み聞きをするわけにもいかない。
 不安を察したのだろうか。ノイマンは「心配するな」とでも言いたげに肩を竦めてみせた。
 気持ちを残しながらも、パルは「少尉なら大丈夫だろう」と自分を納得させた。
 何より、漸く巡ってきた貴重な休みを最大限に貪るためにもと、居住区の下士官達の塒へと向かったのだった。


 方や、士官達は一言も言葉を交わすこともなく、早足で廊下を進む。
 上官に付き従うように三歩ほど、下がってノイマンが歩く光景は別段、珍しくもない。誰かと擦れ違っても、誰も気に留めたりはしないだろう。
 二人は──正確にはバジルール中尉は真直ぐに自室へと向かった。何の躊躇いもなく、開錠するのに、ノイマンは少しだけ呆れたような顔を見せたが、促されるままに後に続いた。
 上官の私室に入ったノイマンはとりあえず、ドアの前に立っていた。
 物珍しそうに室内を見回したりはしない。ヘリオポリスでのゴタゴタもあった。誰の部屋も私物は少なく、似たような殺風景な状態だ。

「誰が平凡な人間だって?」
 不意に沈黙が破られる。回想を始めかけていたノイマンは顔を上げ、発言者を見やる。制帽をベッドに乱暴に放ったバジルール中尉が軽く睨んでいる。
「そんな、人を変人みたいな扱いはしないでほしいな」
 自然、口調が軽く乱雑になる。バジルール中尉──ナタルは微かに眉を顰めたが、咎めたりはしなかった。
「で、あれは一体、どういうことだ」
 直接的な物言いは彼女の美点であり、欠点でもある。能力を生かしきれないのはその欠点が足を引っ張っていると言っても過言ではなかろう。
 才媛と呼ばれた彼女が、士官学校卒業から数年を経ても、少尉でしかなかったのも、その真直ぐすぎる性格もあってのことだ。軍で昇進するには能力だけでは──いや、有能だからこそ、どうにもならない場合もある、いい見本といえた。
 しかし、差し当たって、それは現状には関係のないことだ。

「あれって、フラガ少佐のことかな」
「決まっている。お前、何をしたんだ」
「いや、別に何もしていないが」
「何もしていないのに、少佐があんなことを言い出すのか? しかも、パル軍曹も居合わせているところで」
 ノイマンは困ったように髪を掻いた。
「大した意味はないんじゃないかな。あの少佐のことだから、思いつきで、深い考えもなしにポロッと…。ヘリオポリスの時みたいにね」
 それは『ストライク』を操縦してのけた少年キラ・ヤマトをクルーの面前で「コーディネーターか?」と問うたことだ。
 幾らヘリオポリスが中立国オーブのコロニーで、ナチュラルもコーディネータもいるとしてもだ。地球軍が戦っているZAFTは正にそのコーディネータの集団なのだから、クルーが不安を覚え、暴発しないとはいえなかったのだ。
 どうも、フラガ少佐は自分が他者に比べて、酷く鷹揚というか、懐が広いのだということを気付いていない節がある。誰もが彼のようには、『敵』の存在を受け容れられないものを……。
「まぁ、どこにでも、いるものだよ。少佐のように妙に勘の働く、目端の利く人物ってのは」
「そんな他人事のように──」
 ナタルは疲れたように頭を振り、ベッドに腰掛けた。
「似たようなことは幾らでもあった。今に始まったことじゃない」
 ノイマンが後ろ手に組んでいた腕を前で組み直し、苦笑するのに嘆息する。
 そのせいかどうか、ノイマンも軽く息をついた。
「しかし、確かにアレは余計だったかな。反省している。これからは無駄口は利かないことにするよ」
「誰も無駄口などとは」
「いや、余計だった。大体、士官教育を受けていないはずの下士官上がりの少尉が口にするような科白じゃなかったよ」
 それは敵の追撃に対する予測を示したことだろうか。だが、思えば、たったあれだけの会話から少佐はノイマンに対し、不審を覚えたということになるのだ。
「少尉──」
「解っていると思うけど、君も余計な真似はしてくれるなよ」
 幾らかは戸惑いつつも、慰めのつもりで声をかけたのに、ピシャリと釘を刺された。
 フラガ少佐の件は放っておけ。口出しは困る。そう言い切られれば、やはり面白くない。
「余計な真似だと?」
「君が口を出すと薮蛇になるに決まっている。誰も君に、腹芸ができるなんて、思っちゃいないよ」
 随分と率直というか、無礼極まりない物言いに、さすがにナタルも不愉快さを隠せなかった。 
 尤も、ここで表情に出してしまう辺りが既に、今のノイマンの発言が事実であるのを認めているようなものなのだ。
 ナタル自身もそれを知っていたから、これ以上を抗弁することもできずにいた。

 黙り込んでしまったナタルに、ノイマンは歩み寄り、笑いかける。
「バジルール、気を悪くしたか?」
「…………いや」
「相変わらず、嘘も下手だ」
「──! っ、…少尉は、相変わらず、意地が悪い」
 クスクス笑いながら、ノイマンはナタルの隣に腰を下ろした。
 ここに他に目撃者があれば、目を剥いたかもしれないが、それだけ身近にあっても、拒絶されないだけの付き合いはあった。とはいえ、決して甘く狎れ合うような雰囲気はない。気安くはあっても、どこまでも静かで穏やかな場を生む関係といえた。
「そういえば、余り名前では呼んでくれないな」
 今も階級だった。普段、任務中でも、曹長から少尉に変わっただけで、滅多に名前では呼ばれていない覚えがある。
「不自由はしないだろう。今は、少尉はお前しかいない」
「何だ。やっぱり、呼びづらいか」
 さも可笑しそうに笑うのが何とも癪に障る。必死に弁解しても、悔しいだけだ。自然、黙り込むよりない。
「何だったら、二人きりの時は元の名前で呼んでくれても構わないぞ。疲れるんだろう?」
「それは──駄目だ」
 酷く魅力的な申し出ではあったが、ナタルは縋りつくことを潔しとはしない。
 一方のノイマンもそんな彼女を理解していながら、敢えて「何故?」と尋ねる。
「口が慣れてしまうと、どこで口を滑らせるか、解らない」
 それでは、お前も困るだろう? と同意を求められ、肩を竦めるしかない。
 それこそ、今更だ。口が慣れるも何も、嘗ては“その名”を、“その名”だけを何年も呼んでいたのだ。
 ただ、拒否したからといって、その数年分の積み重ねをも否定しているわけではないのだ。
 それは今のナタルの態度からも明らかだ。常に身構えているような日頃の彼女とは確かに違う。寄りかかるわけではない。それでも、二人だけでいることで、少しでも幾らかでも、彼女の気が休まるのなら、自分の存在意義がそれだけでもいいとさえ、思ってしまう。

 ノイマンはナタルの頭をポンポンと軽く叩いた。感謝と親愛を込めて──……。だが、
「何だ、それは。子ども扱いしているのか」
 どうやら、又しても癇に障ったらしい。手を振り払われ、キツい眼差しで睨まれる。
「いや、まさか──でも、俺の方が半年ばかしは年上だよな」
「たった半年だろうがっ!」
「そうやって、ムキになって怒るところがマジに、幼いけどな」
「…………っ!」
 飛びのいたのは振り回された手を避けるためだ。実際、殴られるのは御免蒙りたい。
 仮にも『上官』の私室で、二人きりでいて、グーで殴られたとなれば、どんな噂が生み出されるか解ったものではない。それは自分のためにも、誰よりもナタルのためにも回避せねばならないことだ。
「あんまり興奮すると、せっかくの休憩時間なのに寝付けなくなるぜ」
「誰のせいだと思ってるっ」
「ハイハイ、悪かったよ。それじゃ、元凶は退散するから──ちゃんと休めよ」
 反則だろう、と思わず口に出しかける。そんなにも優しい声と表情で、気遣われるなど不意打ちもいいところだ。
 照れ臭さに襲われ、つい顔を背け、乱暴に言い放ってしまう。
「言われるまでもない。少尉こそ、しっかり休んでくれ。正操舵手のお前には、どうしても、負担がかかる。休める時にきっちりと休んで貰わないとな」
「──承知しています、中尉」
 口調が変わった。目を戻した時には、彼はドアを開いていたのだ。閉鎖された空間でなくなった瞬間、外と繋がった瞬間、彼らはもう『二人きり』ではなくなったのだ。
「では、中尉。失礼致します」
 一分の隙もない見事な敬礼だ。
 ナタルは一瞬、呼び止めようとしていた。そう、確かに彼を留まらせたかったが、やめた。
 気安い瞬間は心地好かった。虚勢とはいわないが、実際の自身の経歴に照らし合わせれば、不相応な戦艦副長の任を果たすために、彼女さえもが相当な無理をしているのだ。
 恐らくはクルーの殆どが信じようとはしないだろうが、ナタルは規則や理論で武装し、己を必死に奮い起こし、務めに立ち向かっているのだ。
 そして、彼は──この少尉は彼女のある種の抵抗を正確に知っている。
 だから、彼と二人きりになると、僅かとはいえ、素の自分に戻れるのだろう。

 そんな自分は弱いのだろうか。甘いのだろうか。
「──少尉」
 思い惑いながら、結局は呼び止めてしまった。既にドアの外に出ていたノイマンが振り返る。
 彼は次の言葉を待っている。かけるべき言葉にも迷いながら、口をついたのは、
「ありがとう」
「──いいえ」
 一瞬、ほんの一瞬だけ、面食らったような表情が掠めていく。だが、次には微笑んでくれた。
 そして、廊下と部屋を隔てるドアが滑るように、彼の姿を隠していった。

 ナタルは、一人きりになった。
 そのまま、ベッドに寝転がり、自分の指で髪を梳く。
 彼の意外と大きな掌の感触がまだ残っている。
 この艦の針路をも支える、あの手の温もりを得られる瞬間は殆どない。
 とても貴重で得難い一瞬だったと感じていた。
 その温かさの名残に、ナタルは忽ち、穏やかな眠りに誘われていた。

前章07『視線』



 もーちっと、速いペースで上げるはずだったのに、一月以上とは……。一応、前回の『視線』の続きです。
 このノイナタはどーゆー関係だよ? と聞かれそうですが、何とも答えにくいなぁ。今んトコ、恋愛要素はナシっぽいかな。それに、ノイマンがやはし?謎な奴に仕上がってるし。
 でも、別設定物も書けそうだな。お題ならね。

2004.10.11.

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