BLUE IMPRESSIONS
第四章 誰に責任があるわけでもない。 ただ、時間が必要なだけなのだろう。 忘れ物を取りに戻るのにまで、付き合うこともない。スノーは一足先にオフィスに向かう。 そろそろオフィスという矢先に、彼を呼び止めたのは例によってのJC13コンビ──ここ暫く、ジャブローでは見かけなかった御両人だ。 「あぁ、お帰りなさい。どうでした」 「どうと聞かれてもなぁ。特に変わったことはなかったよ」 ロアン少佐が苦笑する。相棒のルリエ中尉も付け加える。 「何もないのが最善さ」 「そりゃ、結構。ただ、俺が聞きたかったのは宇宙の…、コロニーや月の様子なんですがね」 スノーは今は失われたサイド2の出身だ。少しずつ、復興が進められようとしている宇宙の状況はやはり気になるのだろう。まだまだ、大きな戦闘のなかった月でさえ、戦争が落とした影は濃く、傷は深い。 「それも一歩一歩、確実に進んでいるさ。何れ、その目で確かめればいい」 暫くは飛べないスノーは肩を竦めて、相槌を打った。 「で、訓練は進んでいるのかい」 「まぁ、何とか。今もシミュレーションを終えたばかりでしてね」 「ほぅ。それで、ノア少佐は?」 「IDを忘れたって、戻りましたけど──」 シミュレーション・ルームの方を見やるが、まだ姿を現さない。 「にしても、スノーもとんだ貧乏クジを引かされたもんだよな」 些か険を含んだ言い様は無論、ルリエ中尉のものだ。が、スノーは怪訝そうに見返す。 「貧乏クジ?」 「英雄だか何だか知らんが、ド素人のお守りを押しつけられてさ。どうせ、上も何かやってますって、ポーズだろうけど、付き合わされる方は堪んないだろう。そのせいで、お前はフライトから外されるし」 「それは少しの辛抱じゃないかな」 やんわりと口を挟んだのは機長の方だった。 「だとしても、時間の無駄でしょう。結果なんて、分かりきってるんだ」 「どんな結果が待ってるって、言うんだ」 ルリエ中尉はそのスノーの声に潜む冷たさには気付かなかった。おや、と軽く目を瞠ったのはロアン少佐だが、口にはしない。 「幾らコンピュータ制御が進んでるったって、シャトル関係には全くの未経験者にいきなり機長を任せられるものか。それを即席で訓練だなんて、時間と貴重な人員の無駄遣いでなくて、何だと──」 「ルリエ中尉。そのくらいにしてくれよ」 漸くルリエ中尉も、スノーの態度の剣呑さに気付いた。そして、彼は言う。 「あんまり、うちの機長《ボス》を見くびらんでほしいな」 「え……」 声を失うルリエ中尉を冴えた視線で一撫でし、スノーは改めてロアン少佐を向く。 「んじゃ、これから検討しなきゃなりませんので、俺はこれで」 「あぁ、しっかりな」 軽く挙手してみせると、スノーはオフィスへと姿を消した。 後に残されたJC13コンビは夫々に嘆息した。 「意外、というべきなのかな」 「何です。どういう意味《こと》なんです? 今の」 「だからさ。案外、スノーはノア少佐を評価してるってわけさ」 ルリエ中尉はあんぐりと口を開き、「まさか」と一言だけ呟くが、 「なものか。お前さんも少々、偏見が過ぎるかな」 やんわりと窘める様子で、ロアン少佐は自分たちのオフィスへと向かう。 「偏見だなんて──皆、そう思ってますよ」 「それが偏見だろう。現に相棒になるべきスノーは、違う意見を持っているようだし、ノア少佐も相応の努力はしているってことだ」 それでも、ルリエ中尉はどこか釈然としない様子だ。ロアン少佐は苦笑する。 「まぁ、外野が煩く囀ったって、仕方ないだろう。結局、彼らがコンビとして上手くやっていけるかどうかは彼ら次第なんだからな」 そんなことより、こっちの仕事だ。と、JC13の機長は若い副操縦士の背中を叩いて、オフィスに消えた。 そんな会話を聞いていた者がいる。盗み聞きなどするつもりではなかった。単に出難かったのはやはり、噂の当人であるからだろうか。 ブライト・ノア少佐は神妙な面持ちで、相棒が待つオフィスに入っていった。 「IDはありましたか。と、聞くまでもないか」 「それが……笑い話にもなりませんね。ファイルに挟まってましたよ」 と、手にしたファイルを掲げてみせる。 「意外と抜けてますねぇ」 コンピュータを弄りながら、さも可笑しそうに笑う。軽快な声に陰湿さは感じられない。 「さて、と。それじゃ、改めて勉強会といきますか」 教官の手招きに、ブライトは慌てて着席した。
ジャブローは地下基地である。だが、地球連邦軍の中枢本部であるため、巨大な居住空間も有し、一つの都市といっても過言ではない。その構造は月面都市に似ていなくもない。 但し、恐ろしくも殺風景ではあるが。見上げても、剥き出しの岩盤が見えるだけ。外の日照に合わせて、ライトの調節がされているくらいなものだ。 基地である以上、24時間、どこかしらが機能している。それでも、太陽も星月も見えない地下世界といえども、やはり、深夜の時間帯には基地は静まり返るのは太古より、人間の体内に仕組まれた因子によるものだろうか。
ベルンハルト・シュネーヴァイスも今は、我が家たる官舎で家族とともに眠りの床に就かんとしていた。ここでは彼は中尉ではなく、一人の夫であり、親に過ぎないのだ。 生まれて間もない娘は正しく、宝のような存在だ。この娘《こ》のためならば、何でもしよう。そういう気持ちになれる。 とはいえ、疾うに寝入った娘を妻に託し、自分も明日に備えて休まなければと横になれば、勝手に浮かんでくるのは新しい上官のことなのだ。やはり、「中尉」とも呼ばれる自分はいつでも、どこにいても、軍人であることを忘れられないらしい。 「ベルンハルト、まだ起きてるの」 気のない返事をする夫の隣に、ジャニスは滑り込んでくる。 スノーは手を伸ばし、軽く妻を抱きしめる。子供を一人産んだとは思えないな、と密かに感嘆する。互いに結婚が早かったので、年相応といえば、それまでだが──。 軽く唇を合わせ、その手が胸元を探ろうとする──が、ジャニスはその手を押し留めた。 「今夜は駄目」 「……何で」 諦めずに尚も肌に触れようと、もがく手を、今度はピシャリと叩いた。まるで遠慮がない。 「痛ぇ…。酷いな、ジャニス」 「しつこいからよ。明日は朝が早いからダーメ」 「何の用だよ」 少しだけ赤くなった手の甲に息を吹きかけながら、非難めいた口調で問う。 「忘れたの? ミリシアを病院に連れていく日よ」 「あぁ。定期検診だっけ」 「そっ。だから──」 その時、隣の部屋から、赤ん坊が憤《むずか》るような声が聞こえてきた。当然、ジャニスは夫を放り出すようにすっ飛んでいく。 「…………チェッ」 金髪を乱暴に掻き回し、体を起こす。サイド・ボードに引っかけておいた上着のポケットから、タバコを取り出し、口に咥える。 程なくして戻ってきたジャニスが目を剥いた。引ったくるように、取り上げる。 「ちょっと! 寝室では吸わないって、約束でしょ」 「吸ってないよ。口が寂しいから、咥えてるだけ」 確かに煙も特有の臭いもないが、その言葉の意味するところにジャニスも呆れる。 「あのねぇ。子供じゃあるまいし」 「子供の方が良いかもなー。俺もミリシアになりてぇな。そうすりゃ、抱きついても文句もいわれないし、その柔らかーい胸に顔を埋めて、チュウチュウと──」 「また、叩《はた》かれたいの」 「遠慮しときます」 降参するように両手を挙げる夫に、ジャニスは盛大に溜息をつきながらも、隣に寄り添う。 「ミリシアは?」 「大丈夫。もう落ち着いて、眠ったわ」 「そう…」 言葉少ななスノーは今度は手を出そうとはしない。 そんな夫を窺いながら、少しだけ躊躇った末、 「ね、ベルンハルト。何か、心配事でもあるの」 「え?」 「やっぱり、新任務のこととか」 いきなり、そんな話を持ち出されたのにはスノーも面食らう。家には任務の問題を持ち込んだりはしてこなかった。態度にも出したつもりはない。勿論、全くの無問題ではないのも確かだが、それほど深刻とは受け止めていない──つもりでいるのだ。 それこそ、ミリシアの世話で大変に違いないジャニスに余計な面倒をかけたくなかった思いもある。だから、彼も逆に尋ねるしかない。 「何で、そう思うんだ」 「ミリシアが不安がってるから」 それこそ、思いもかけない答えが返ってきた。 「ミリシアが?」 「赤ちゃんて、案外と敏感よ。特に親が不安になれば、赤ちゃんも不安になる。親の庇護がなければ、生きていけないから、当然よね」 「……まるで、獣だな」 その意思はなかったが、どこか誤魔化すような言葉しか出てこない。 「そうね。でも、他の動物より脆弱よ。生れ落ちて数時間で、立ったり走ったりはできないもの」 だからこそ、自分だけでは逃げることも身を守ることもできないからこそ、周囲に対する感覚だけは鋭敏なのだとジャニスは言う。 そして、問うのだ。彼が抱えている問題があるとすれば、何よりも考えられるのは新任務の新しい上官絡みのことしかないのだと。 「任務に関することだから、話せない? だから、相談できないって言うのなら、仕方ないけど」 彼女も元々は軍の看護兵だったから、その辺は承知している。それでも、夫を気遣い、力になりたいとという心底なる思いが表情からも口調からも読み取れる。 スノーは感謝しつつ、嘆息した。 「いやさ、自分では不安がっているつもりはないんだよ。そういう自覚は全然──でも、確かに進退極まっている感ではあるかなぁ」 新しい上官で、将来相棒となるべき、現在は教え子という立場でもあるブライト・ノア少佐。シャトル機長になるべく、努力を重ねている彼の姿勢はスノーには好ましく映る。だが、他のシャトル・スタッフたちは──どちらかといえば、非好意的だ。 どんな英雄だかは知らないが、実力主義者集団のスタッフにすれば、ポッと出のド新人の機長抜擢だけでも腹立たしいのに、優秀なバックアップ要員を一人、取られたという現実的問題もあるわけだ。 一機のシャトルに、二人のコンビ──それが全てで、コンビの間さえ巧くいっていれば、十分だと割り切ってしまえばいいのかもしれない。 それでも、やはり、他のスタッフを無視するわけにはいかないのだ。 だが、この閉塞に陥った状況を打開する術がない。互いに歩み寄る気配がないのだ。スタッフ連はともかく、ノア少佐自身も隔意を持たれていることを十分に理解しているからだろうか。多分に刺激しないように、距離を置いたままでいるのだと思う。 そのまま、黙り込んでしまった夫を暫し見つめていたジャニスの次の言葉は意表を突きすぎるものだった。 「ライオン、知ってるでしょ」 「……どういう意味で、聞いてるんだ」 余りにも唐突で脈絡のない問いだ。『百獣の王』を知らぬ者がいるとも思えない。 「猛々しい野生動物の代表のように思われているけど、案外と家族的なのよね。子供も二歳くらいまでは群れで面倒を見るんですって」 「へぇ」 妻の言わんとするところが今一つ掴めず、適当な相槌を打つ。 「私は、ノア少佐にはお会いしたことないけど──同じなのかもしれないわね」 呆気に取られた顔とは正に、今のスノーを差すのだろう。 「え…と、少佐がライオンの赤ん坊みたいなもんだってのか?」 ジャニスは明言せずに、微笑した。 群れで、ちゃんと面倒を見なければ、迷い子になってしまうとでも? この場合、『群れ』とは『シャトル班』全体を示すのだろう。 にしても、この発想は──とてもではないが、スノーには思いつけないものだ。 だが、突破口があるような気はした。確かに、光明を感じたのだ。そう、稀なる例外を除き、今は遠巻きにしている連中に、ノア少佐もまた、『仲間』なのだと認識させる。また、その逆も然り。そのために、間に立てるのは自分しかいないではないか。 とにかく、行動あるのみなのだ。 不意にジャニスが顔を寄せ、唇を重ねてきた。彼女の方から仕掛けてくるとは珍しい。勿論、拒む理由などない。何しろ、先刻はすげなくされたのだ。存分にその感触を楽しませて貰う。 長く熱いキスを交わせば、自然と体も火照ってくる。 「……今夜は、駄目だったんじゃなかったのか」 「えぇ。だから、程々にしてよね」 翌朝《あした》起きられなくなったら、困るから──……。 スノーは可笑しそうに笑った。 「約束は、できないな」 再び、彼女の唇を求めながら、ライトを消した。 (3) (5)
何ヶ月経ってるんだよ。数えるのも怖い……てか、一年ぶり? せっつかれるわけだ^^; 遥か昔の(汗爆)前章で、『何やらしでかしそう』とかいってたスノーは、何やってるのかなー。 多分に、遠雲さん版の影響がないとはいえない? のもアリアリですが、どちらが元祖だか本家だか判らないかも? つーか、ブライト……不遇な奴。またちょい役だよ。 2004.04.30.
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