BLUE IMPRESSIONS
第三章 掴めない奴だと思った。 それでも、直観はあったのかもしれない。 鳴り響く警告音。煩く点滅するランプ群。早く立て直せと計器類までが焦り、急かし立てているようだ。 そんなことを今、考えていたわけではない。それは後になってから──全てが終わってから、思いついた。 「5秒、4、3、2……」 唯一の生身の人間の声が、しかし、コンピュータ合成音以上に冷ややかにカウントダウンを取った。 「……1、0」 前面のスクリーンがブラックアウト。全ての計器が沈黙する。あれほど、喧しかった警告音もウソのように鳴りを潜める。 ブライト・ノアは荒い息を一つつき、髪をかき乱した。今、この瞬間、自分は成層圏上空で焼け死んだのだ。もう何度目だろう。 ともかく、今は道連れとなったはずの、隣の人物の反応が何より気にかかる。死んだはずなのに悩むこともできるのも、これがシミュレーションだからにすぎない。 「まぁ、こんなもんでしょう」 先刻までとは打って変わった穏やかな声で、あっさりと言う彼に目を向ける。このシミュレーションをお膳立てしたベルンハルト・シュネーヴァイス中尉。現時点では教官担当の相棒──となるはず人物だ。 はず、というのはまだ正式な任命ではないためだった。ブライトは地球やコロニー間を行き来するシャトル機長への就任を二ヶ月後に控えている。だが、この訓練結果次第では全ては白紙に戻る可能性もあった。 何せ、全く経験がないどころか、碌な知識すら持ち合わせていないのだ。陰で「即席機長の即席栽培」などと揶揄されても致し方のないことだ。 唯一、不思議なのはこの件で、最も苦労するだろう中尉が大して気に病むような素振りを見せないことだった。 「それじゃ、今の記録を見直してみましょうか」 中尉が記録を呼び出しているのをぼんやりと見つめる。 シャトル操縦シミュレーションに取りかかるようになって、一週間ほど、毎日のように絞られている。シミュレータ上で、シャトルを飛ばしているわけだが、中尉はマニュアルでやらせるのだ。 しかし、これは全ての航宙にいえるが、常時マニュアル操縦をするわけではない。むしろ、手動コントロールなどは稀だ。 考えてみれば、当然だ。地球圏宙域には太陽・地球・月を始めとした大小無数の天体の重力が働いている。その複雑な干渉下を縫って、航宙するには航法コンピュータの助けは不可欠であり、パイロットの役目は操縦よりもそちらの監視要員としての意味合いが強い。 となれば、ド素人にも機長が務まるだろう、などという思いつきも生まれてくるというものか。 もちろん、現実にはコンピュータ航法も万全ではない。いつ解除されるとも知れない。その時はスタッフの手腕に委ねられるのだ。 だからこそ、中尉も一見ムチャとも思える手法を取っているのかもしれない。時間がないためもあるだろう。にしても、生徒も教官役も例外中の例外な組合せだ。本来なら、機長になれようはずのない機長候補に、凄腕パイロットの教官役の副操縦士は実はその資格を持っていない。訓練方法までが異例尽くめとなるわけか。 ともかく、軍人として軍に残ると決めた以上は任務と割りきり、取り組むよりない。それはあのホワイト・ベースの指揮官を任された時とも変わらないし、努力も惜しまないつもりだ。 尤も、努力の全てが報われるとも限らない。今のブライトにはシャトルの機長として、やっていけるという自信もまるでなかった。ましてや、素養があるかどうかも判断しようがない。 その判断を下すのはシュネーヴァイス中尉だった。 つい先日まではバックアップ要員を務めていたという中尉は一言でいえば、“掴めない奴”だ。関係者で、最初に会った人事担当官は任務に徹し、無反応を装ってはいたが、明らかに非友好的だった。当たり前だ。自分でも厄介事だと思う。 そして、副操縦士だと引きあわせられたのがシュネーヴァイス中尉だ。しかも、教官役も務めると聞き、ブライトは耳を疑い、それ以上に呆れた。どこの世界に、副操縦士《コ・パイ》の世話になる機長《キャプテン》がいると? 当人も面倒な奴を押しつけられたと思っていることだろう……。さぞかし、当たられるのでは、と覚悟していたほどだ。 ところが、予想に反し、初対面以来、彼は案外と好意的な態度で接してきた。
「──スノーと呼んで下さい」 飾らない性格、気さくな人物であるのは間違いない。が、しかし、それでいて、しこりのような引っかかりを覚える。それは自分自身にも問題がある。 彼──スノーは決して、己の全てを見せてはいないだろう。ただ、ブライトも同様だった。 それも道理だ。誰とて、知り合ったばかりの相手に自身を何もかも曝け出したりはしない。信じる信じないではなく、ある種の畏れ、なのだと思う。 だが、そんな距離を置いた関係ではシャトルのスタッフは務まるまい。何しろ、機長と副操縦士はたった二人で、シャトルを運用するのだから、生半可な信頼では続くはずもない。 「よろしければ、スノーと呼んで下さい」 「スノー? あぁ、“スノーホワイト”だから、ね」 「おや、ドイツ語がお解かりで?」 今のところ、任務とは別の話をしたのは初対面での自己紹介時だけだ。あれも“ある種のサイン”なのかもしれない。彼をシュネーヴァイス中尉などと堅苦しく呼ぶスタッフは他にいない。誰もが親しげに通称の「スノー」と呼ぶ。 だが、仮に表面的なものだったとしても、彼が望んだようには、その名を口にはできないままだった。むろん、彼も狎れた姿勢は見せない。 WBとはまるで異なる状況。似ているのはただ親交を深めるためだけの時間など与えられていないことだけか。約二ヶ月の訓練期間で、彼に認められなければ、ブライトがシャトル機長として、宇宙に上がることもないだろう。 〈そうなったら、次はどんな任務をあてがわれるかな〉 漠然とした思いに、半瞬でブライトは慌てていた。まだ始まったばかりだというのに、リタイアを考えるなど──これは単なる弱気だ。 己を戒めようと頭を振ったところに声がかかる。 「疲れましたか」 我に返り、教官を見返す。記録を再現しようとしていたはずの中尉はメモリーディスクを引き抜き、全てのシステムを落としていった。 「今日はここまでにして、後はオフィスで検討しましょうか。どうも集中できなくなってるようですからね」 ブライトは正直、安堵しつつ、反面ではそういう自分に赤面する思いだった。集中を切らせて、本来なすべきことが疎かになるなど、許されないことだ。怒鳴られても仕方がないはずだが、なぜか、彼の当たりは柔らかい。先刻からでは想像もできない態度だ。 シミュレーション中は厳しい言葉の連発で、決して甘い教官ではない。とはいえ、理不尽に当たられた覚えもない。その意味で、ブライトは既にスノーを信頼できる相手だと見ていた。
ともかく、二人はオフィスに向かう。彼らはまだ正式なコンビではないが、一応、シャトル班の区画にオフィスを与えられていた。もちろん、シミュレーション・ルームも同じ区画にある。 その短い道すがら、早々に教官殿は生徒に実技についての(持ってはいないが)教鞭を振るったりもするが、この日は幾らか違った。 「少佐、疑問に思ってはいないんですか」 「何を、です?」 真意の窺えない唐突な質問に、訝しげになるのも当然か。 「いやね、いつ尋かれるかと思っていたんですがね。果たして、マニュアルで大気圏に突入することがあるのかどうか、ってね」 ブライトは軽く目を瞠る。全く疑いもしなかったわけではないが、必要なことだろうと思っていた。だが、思い返せば、初日から突入シークエンスにも挑戦させられたが、殆どをコンピュータ航法に任せる航宙で、最もその度合いが大きいのが大気圏突入だろう。僅かな突入角度と降下地点に下りるための突入ポイントを縫う、超難関過程だ。 今さらに気づいた自分に少しだけ笑い、別のことを尋ねる。 「マニュアルで降下したキャプテンは存在するんですか」 「いやぁ、知る限りではいないですね。ロアン少佐が航法コンピュータのダウンで、危うく突っこみかけたらしいけど。でも、燃料に余裕もあって、軌道上で周回して、拠点とリンクさせた他のコンピュータを代用して、乗りきったそうですがね」 ロアン少佐はJV13の機長だ。と、何人か既に対面したスタッフたちを思い浮かべる。その中では一番、親しげだった。尤も、少佐の相棒のルリエ中尉は碌な挨拶もしてこなかったが。胡散臭そうな目をしていたものだ。 そして、それは他の大方のスタッフも同様で、普通の反応なのだ。スノーことシュネーヴァイス中尉やロアン少佐の方が絶対的少数だ。 だからこそ、不思議に思える。誰よりも不満を覚えてもいい立場だろうに、この中尉は……。 「まぁ、私としては少佐の反応を見てみたかったんですよ。文句の一つも言ってきたら──」 「きたら?」 「どうしましたかねぇ」 意味ありげに、軽快な笑い声を立てる。 ブライトはその答えを切に望んでいる自分に気づいたが、更なる問いかけは飲みこんでしまう。それも遠慮があるためだ。 なぜ、彼はそんな反応を見てみたいと思ったのか。 〈俺が文句を言ったら、どうした?〉 それを期待していたのか。見込みナシと放り出す口実にでもしたかったのか。 本心ではド素人相手の任務など、やはり厭うているのか。 それこそ、疑えばキリがない。 気さくで大らかに見せる態度の影で、実は何を考えているのか? まるで見えてこない。 余計な連想だか心配だとは承知していても、ついつい考えてしまう。 だが、何が不安なのだろう。それもよく解らない。新しい任務を、この新しい相棒と上手くやっていきたいと望んでいるだけだろうか。 WBを離れての本格的な新任務。躓きたくない、という意気込みもあるのかもしれないが。
そろそろ、オフィスも近い。無意識にポケットを探り、足を止める。 「どうしました」 「IDが……」 「ないんですか。あぁ、それじゃ、シミュレーション・ルームでしょう」 入室は自由だが、シミュレータ使用には開始時と終了時に、IDが必要だった。 「先に戻っていて下さい。中尉」 「──了解です、少佐」 ブライトは一瞬、軽く敬礼してみせるスノーの顔を見たが、すぐに小走りで離れていく。 そんな上官にスノーは笑みを漏らした。教えを請う生徒の立場に徹しているためか、一つ一つの反応がやけに微笑ましく見える。 「あんなに慌てなくてもねぇ」 念のために、と自分もIDを確認する。忘れちゃいない。 「さてと、一足先に検討を始めるか」 オフィスは目と鼻の先だ。 (2) (4)
大っ変にお待たせしました。完全なるブライト・メインですよっ☆ でも、相変わらず、グルグ〜ルと悩みの尽きない人です^^; んでもって、今回は控えめだった人の悪そーなスノーですが、次章辺りで、何やらしでかしそうです。……そうです、って何だよ;;; 2003.05.03.
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