星の涯て(前篇)


闇の中に、甘い吐息が漏れる
若い二人が絡み合う
体は快感に震えるが、心は凍えていた
それがとてつもない自慰に過ぎないと
解っていたから……

 昨日まで、彼女は仲間でしかなかった。
 その彼女──ミライは今、ブライトの隣で疲れきって、眠っている。
 ミライを愛しているのではない。その綺麗な温かい肌に触れても、湧きあがる想いはない。
 だが、欲望がないでもなかった。それだけで、その夜、彼女を抱いたようなものだった。
 ミライの想いは知らない。多分、似たようなものだろう。知ろうとも思わない。
 だから、体を愛しながら、想いを交し合ったのでもなかった。
 本当に成行きだ。或いは傷の舐め合い。
 あの戦争で、愛する人を失ったが故に……。
 何かを求めたわけでもない。寂しかっただけだ。
 それは体を重ねても、変わらない。
 誰に縋っても、手に入れられない。もう、手が届かないもの……あの人がいない今は……。
 確かに性欲の解放には快感もあったが、それだけだ。それ以上、彼女を欲しいとは思わない。
 それどころか、彼女を抱いている間さえも、ずっと冷めていた。無論、今も……。
 ミライとて、縋ってきたのは確かなのだ。

 だが、果たして、これで救われるのか?
 否、……馬鹿だ。ミライも、自分も……。
 救われるわけがないと、解っていたはずだ。
 結局、彼女の心の弱みに付け込んだようなものか……。
 ブライトは今更、救われたいとは思っていないが、これで罪を一つ増やしたのかもしれない。
 だが、ミライには、これ以上の何かをしてやれるわけでもない。資格すら、失ったと思える。
 もう二度とは……──。
 ブライトは眠るミライの頬に唇を寄せた。汗ばんだ頬にそっと口付ける。それが最後だ。
 ……そして、ベッドを離れた。

 暫くはシャワー・ルームに閉じこもっていた。
 汗を流した後、冷たい水を全身に浴びる。
 再び幻惑されそうだ。
 両の掌を見つめる。どんなに洗っても決して、濡れた血は落ちない。
 そして、自然と右腕の傷痕を掴んでいた。
 絶対に消せない、消えることのない罪の証……。

 ……漸く、長いシャワーを終え、出てくると、眠っていたはずのミライの姿が消えていた。


★      ☆      ★      ☆      ★


 ……目覚めた時、酷く体が重かった。自分の状況というものに、考えが回らない。
 だが、隣の部屋──シャワー・ルームから聞こえる微かな水音と物音に漸く、理解する。
 何があったのかを──……。
 シャワーを浴びているのはブライトだ。その音に覚醒を強いられたのだろう。
 彼がいなかったのは或いは幸いかもしれない。
 ミライは疲れた体をゆっくりと起こした。全身が軋むようで、瞬間、痛みが走る。
 誰がいなくとも、露な胸を隠すように毛布を引き上げていた。
 そんな体のあちこちには小さな痣が幾つもできていた。それは名残だ。
 その一夜、ブライトに抱かれた……。
 最初から、予感していたわけではない。望んでいたのでもない。いわば、成行き……。
 それでも、自分達が越えてはならない境界を越えてしまったのは事実だった。

 或いは期待があったのだろうか。ブライトが自分を愛してはいないのは知っていた。彼の想いは今でも、亡き一人の女性に向けられている。
 ミライとて、想いを寄せた男性がいた。戦いに散ってしまった人への届かぬ想い……。
 行き場を失った想いと寂しさが相まって、縋る相手を欲した。それがブライトに向いたのは似た境遇と、確かに彼にも好意を抱いていたためだ。揺らされる感情が今も残っていたからだ。
 ブライトもまた、そうかもしれない──以前のような温かい視線が返ってくるかもしれない。
 そんな微かな期待に縋りたかったのだ。
 ……だが、ブライトは縋る自分を受け止めただけだった。決して、受け入れはしなかった。
 それは肌を合わせたからこそ、体を重ねたからこそ、はっきりと解った。
 彼から向けられた思いには熱い感情は欠片もない。どこまでも冷めていた。
 強く抱き竦められても、大きな手が優しく肌を滑っても、そして、最後の最後の一線を越えた瞬間でさえ──彼の心は凍えていた。
 それでも、時々、想いが触れるような一瞬もあった。だが、それはミライに向けられたものではない。ブライトは今、その腕に抱いているミライを素通りし、思いをぶつけていた。
 それが誰かは明らかだった……。

 けれど、こういうものか、と妙に納得もしていた。
 ……不意に涙が滲んでくる。
 何が悲しいのだろう。何が悔しいのだろう。
 だが、ミライは涙が零れるのは堪え、ベッドから下りた。本当はシャワーを浴びたいが、一刻も早く、この部屋を出たかった。
 彼と顔を合わせる前に!
 脱ぎ散らかされた制服や下着を取るが、毛布を纏わせるように離れたため、露になったベッドに目が釘付けになる。
 シーツに鮮血が散っている。
 それはミライが少女から“女”になった証だ。
 そう、初めての夜。初めての相手……。
 決して、嫌ではなかったから、悲しい。

 ……気分が悪くなってきた。
 目を逸らし、急いで服を身に付ける。髪も乱れてはいたが、気に止める余裕もなかった。
 時計はまだ起床前を示しているが、この日、彼女らは地球に降りる。今更、大した用意などはないが、早く自室《へや》に戻らなければならない。
 ブライトの部屋を出る際には一応、用心はした。まだ人気がない時分なのは幸いだ。
 ドアを閉める時、ブライトがいるシャワー・ルームを見たが、出てくる気配はない。
 数時間後には嫌でも顔を合わせる。どんな顔をすれば良いのかが解らない。
 彼はどうなんだろう?
 それこそ、考えても仕方ないのだと気付き、ミライは静かにドアを閉めた。


 自室に戻ったミライは直ぐにシャワー・ルームに飛び込んだ。
 全てを流してしまいたかったが、肌を舐めていく流れにも、まざまざと思い起こされる。
 暗闇の中での彼の唇、指、掌の動き。
 この体に、既に刻み込まれている?
 ミライは我が身を抱きしめるようにして、その場に屈み込んだ。
 ブライトに抱かれて、解ったのだ。
 ただ、寂しいだけで縋ったのではない、と。
 それが誰でも良かったわけではない、と。
 ブライトへの好意はもっと強いものだった、と。
 あの期待はもっと大きなものだった、と……。
〈……私は、本当に愛して貰いたかったんだ〉
 慰め合いや、傷の舐め合いなどではなく!
 何て、身勝手な想いだろう。
 けれど、もう知ってしまった。誤魔化せない。
 それでも、成就はしない想いとも解っていた。
 ブライトはミライを抱きながら、別の女性を想っていた。
 彼の心はやはり、あの女性《ひと》のものでしかない。今でも──……!

 だから……、だけど……、思い切れない。
 ミライは泣いた。もう、堪えられなかった。
 温かい雨が涙を洗い流しても……。


☆      ★      ☆      ★      ☆


 いつの間にか、部屋に戻ったらしい。
 だが、少しは驚いたが、ブライトは次から、どう彼女に対するか、全く悩んでいない自分に気付いた。
 態度を改める必要など、考えてもいないのだ。多分、間違いなく何もなかったかのように、顔を合わせ、話せるのだろう。
 そんな自分の感性を酷く冷淡なものだとは認識していたが、割り切ってしまっていた。
 そんな彼が、無心でいられなくなったのは──彼女が残していったものを見留めた瞬間《とき》だった。シーツが剥ぎ取られ、グシャグシャに丸められていた。
 時間がなく、そうしていったのか。何気なく、シーツを拾い上げ……暴かれた真白の中に散る鮮烈な赤……。瞬間、眩暈を覚える。
 自らがあの人の命を奪った時が蘇る。
 そして、ミライをも結局は傷つけた?

『これは、良いの……』
『生きることに、繋がる血だから──良いの……』

 慰めにもならない言葉……。
 いや、ミライの思いはどうあれ、ブライトはその時だけは心底、あの瞬間を忘れたかった。
 忘れたくて、忘れたくて……! 荒々しくミライを掻き抱いた。
 なのに、そのしなやかな肢体《からだ》を責めるほどに、あの一瞬が鮮明になる。抱きしめる生身の感触が冷え、力を失う。その命すらも……。
 罪から逃れられるはずがない。逃れようとも思わない。
 それでも、本当は逃れたがっているのか!?
 いや、違う。忘れられるはずがない。あの体の感触が蘇り、残る想いも行き場を求める。
 いつしか、腕の中の女をあの女性《ひと》に見立てていたのか。そうでないと知りつつも、身代わりを望むなとぞ愚かだと承知していても──一瞬でも、半瞬でも、刹那でさえ良かった。
 ついぞ、結ばれることのなかった唯一人の人への想いを昇華する瞬間を望んだのだ。

 何が、何も求めてはいないだ。呆れたものだ。
 ……だが、やはり、身代わりは身代わり。
 想いの昇華など、叶うはずもない。
 ミライが意識を失うまで責め立てて、再び冷える心を抱え込んだだけだった。
 こんな馬鹿が初めての男とは──だが、そこにも他人事のように感じる自分を発見する。
 ブライトは口許を歪め、シーツを力任せに引き裂いた。できる限り、裂き続けた。
 まるで、その一夜を否定するかの如く、消し去るかの如く──その証を抹殺するように……。 
 別に誰に知られても構わない。その行いを責められようとも頓着もしない。

──ただ、それが答えだっただけだ……



「──以上だ。何か質問は」
 書面から目を上げたブライトはクルーを見回したが、手は挙がらない。
「ないようだな。まぁ、ジャブローまで、我々はただのお客さんだ。学校の遠足か、ピクニックとでも思って、気楽にしていればいい」
 最後の言葉には苦笑も漏れた。ア・バオア・クーに沈んだホワイト・ベースの生き残りクルーは二機のシャトルで、この日、ジャブローへと降下する。
「少尉。シャトルの割り振りだ。全員に乗機の確認をさせておいてくれ」
 ブライトは隣に立っているミライに別の書類を差し出したが、反応がない。
「少尉、聞いているのか」
「え…? あ、はい」
 我に返ったミライとブライトの視線がぶつかる。
 ミライは僅かに息を詰めたが、ブライトには全く微塵にも動揺が感じられない。
 手の震えを堪えながら、書類を受け取る。
「頼んだぞ」
 他のクルーとは違い、それなりに仕事はあるらしい責任者は部屋を出ていった。
 その姿が見えなくなるまで、見送ったミライは一つ息をつき、クルーに振り向く。
「それじゃ、リストを読み上げるわね。まずは一番機──」
 名前を読み上げていくミライをセイラは心配そうに見つめていた。同じようにアムロも……。
「何か、元気なさそうですね。ミライさん」
「アムロにも、そう見える?」
「えぇ……何かあったんでしょうか」
 最近のミライは沈みがちだったが、今朝はまた、いつもとは何処となく異なるように感じられるのだ。
 話題になっているとも知らないまま、二番機まで読み上げ、確認に皆を見返す。
「──名前漏れはないわね」
 自分の名前や乗機を聞き逃すような大ボケも、さすがにいないか。
「そんなには待たされないと思うから、時間まではここで待機して下さい」
 その言葉で、部屋が騒がしくなる。待機中は無駄話をしているくらいしかない。

 そんな中で、果たすべき役目が終わるとミライは奇妙な緊張に曝されていたのに気付く。
「お疲れさま、ミライ」
「えっ!? あ、セイラ……」
 いやに驚いた様子だったが、直ぐに笑顔を返してくる。
「大袈裟ね。別に疲れるほどのことでもないわよ」
「でも、疲れてるように見えるけど?」
「そう? そんなことないけどな……」
 確かに心は疲れを覚えていたが、それが表面にまで出ているとは思わなかったので、少し身構えてしまう。
 勿論、不意に変質する硬さをセイラが気付かないはずがないが、敢えて、指摘しなかった。
「やっぱり、眠れなかった? 昨夜」
 セイラにすれば、話を逸らしたのだが、ミライは微かに息を呑んだ。顔も強張ってしまう。
「今日のジャブロー行きを考えるとね。私もベッドに入っても、何だか目が冴えちゃってね」
「そ、そうね。えぇ、私も──」
「そういや、昨夜、展望室でブライトと話してたよね。ミライさん」
 横合いからの突然のセリフにはそれこそ、息が止まるかと思った。見返すと、発言者のカイとアムロも立っていた。
「……カイ。貴方、見てたの?」
 窺うように尋ねた。声が震えないことを祈る。 カイに集中していたので、訝しげなセイラとアムロには気付かない。
「うん。俺もなーんか、寝らんなくてさ。少しウロウロしてたんだ。邪魔しちゃ悪いかなって、声はかけなかったんだけどね」
 どうやら、暫く話し込んでいたところを目撃されたらしい。
 ……あの時はブライトも少しは笑顔を見せてくれていた。
「そ、そうなの。ブライトもね、寝付けなかったんですって。それに、地球に下りる前によく宇宙を見ておきたかったって……」
「ふぅん。ブライトがねぇ」
 カイすらが声のトーンを落とした。そんなブライトの真情には誰もが思い当たったのだろう。
「僕も落ち着かなかったですよ。どうも、皆、同じみたいですね」
「欠伸ばっか、してるもんな」
 話が変わっていったようなので、ミライは密かに息をついた。だが、その瞬間、思い出してしまった。
 ここで、ブライトと顔を合わせた瞬間を……。
 立場上、ミライは集合時間前にこの部屋に来た。それこそ、覚悟を決めた気分だった。正直、ブライトと平静に話せる自信はなかったが、理性と自制心を総動員させてきたのだ。
 だが、予想に反し、ブライトはいなかった。
 皆が集まり出しても、中々、現れない。不安だけが募っていく中、漸く彼が姿を見せたのは集合時間経過後だった。
 避けられているのか、と疑ったが、それは考えすぎだった。何のことはない。シャトル搭乗前の連絡事項やらの事務を一人で済ませていたのだ。
 そして、ミライへの態度も変わらず、事務的だった。本当に何もなかったかのように……。
 覚悟なんて、全然、必要なかった。そう気付かされた瞬間、ミライは絶望すら感じた。

「ミライ? ね、ミライ」
 軽く揺さぶられ、漸くセイラを見返す。本当に心配そうな顔があった。
「大丈夫? 具合でも悪いんじゃ──」
「ぁ……平気よ、本当に。確かに昨夜は余り眠れなかったから、少しはね」
「本当に? もう無理しなくても……」
「嫌ね。本当に何ともないわよ。それに、ホワイト・ベースにいた頃に比べれば、どうってことないわ」
 ミライは笑ったが、如何にも無理に作っているように見え、セイラらは顔を見合わせる。
 やはり、変だと思ったが、
「──皆、時間だ。行くぞ」
 扉を開けるなり、必要なことだけを言って、ブライトが促す。
 それで、その時は有耶無耶に終わった。


 セイラは隣の座席を横目に窺う。窓の外に目を向けているミライ。大気圏突入まで、多少の時間がある最後の固い星空に見入っているようだが、その実、酷くぼんやりとしている。
 視線を転じ、通路を挟んで、斜め前に座るブライトを見遣る。彼は目を閉じていたが、眠っているわけではないだろう。
 昨夜、二人は展望室で一緒だったという。カイの目撃談によれば、談笑している観でもあったと。では、その後、何かがあったのか?
 一夜明けてのミライの妙な態度の硬さに、そう疑うのは当然だった。
 ミライにはクスコ・アルの件で、ブライトに負い目がある。話が及んで、ブライトの気分を害したのか?
 そう連想するのも、特にブライトへの動揺らしきものがミライの言動に見えるからだ。
 だが、方や、ブライトには全く変化がないのが判らない。まるで、これまでと同じ──クスコ・アルを失ってから、という意味ではあるが、小揺るぎもしていない。
 ただ、ミライの動揺をブライトも感じているはずなのに、非常に冷静というか、冷淡なくらいに応じているのが不自然といえば、そうだろう。
 それが妙に引っかかり、不安も掻き立てた。
 もう一度、隣のミライを見遣る。相変わらず、星空を映しているだけの瞳が、酷く暗いのが判ったが、問い質せるはずもなかった。

 ……大気圏突入の放送に機内が静まり返る。
 程なく、星空は消えた。
 二機のシャトルは相次いで、地球へと降下していく。
 やがて、青空の下を滑空していた。
 その眼下には緑織りなすアマゾンの森が広がっていた。


後篇


 噂の?『ブライトとクスコ・アルの幻の悲恋話』である『ANOTHERS』輝版続編です。結構、長いので、とりあえず、半分だけ。
 『黎明』もビックリの展開なので、超極少部数限定本で、非売品だったんですがねぇ。よもや、ネットに上げる気になる日がこようとは^^;;;
 とにかく、輝にしては痛い話だと思ってますが、完結の後篇をお楽しみ☆に♪
 注・何度もいいますが、『ANOTHERS』なんて単語はありません。

2005.09.02.

トップ 小説