砂の十字架(前編)


 ──全く、あいつは何を考えているんだ!

 戦闘は継続中、それも相当数のドップ編隊に囲まれ、戦況は著しく悪い。だが、ブライトは居住区に向かっていた。指揮はリード中尉が執っているが、戦闘中に艦橋を離れるなぞ、普通ではありえない。
 目指す士官室のドアを、ブライトは叩き壊すような勢いで開いた。
「アムロ! 貴様、何故、自分の任務を果たそうとしないんだ」
 周囲を見回せば敵だらけという緊急非常事態に、あろうことか戦闘拒否を起こした少年パイロットは招かれざる客に一瞥をくれただけで、ソッポを向いた。
「ブライトさんは何で、戦ってるんです」
「今はそんな哲学など語っている暇はない。立てよ、おいっ」
 ふて腐れるアムロの胸倉を掴み上げる。
「止めて下さいよ。そんなにガンダムを動かしたいんなら、貴方自身がやればいいんですよ」
「なにィ…。できれば、やっている。貴様に言われるまでもなくな」
「僕だって、できるから、やってるんじゃないんですよ」
 怒りは既に飽和状態だ。何とか、敵を防ごうと皆が、負傷兵までもが無理を押し、戦っている状況下に、何をふざけた甘ったれた寝言をほざいているのか!
 年長ではあるが、言い聞かせて、諭すほどにはブライトもできてはいない。先に手の方が出ていた。少年の体が弾かれ、大きくよろめき、ハラハラしながら、見守っているフラウ・ボゥに受け止められる。
「うっ……な、殴ったね」
 アムロは年上の青年を睨み、精一杯の反抗を示す。
「殴って何故、悪いかっ。貴様はいい。そうして、哮いていれば、気分も晴れるんだからなぁっ!!」
 できることをやるしかない。できないことでもやるしかない。
 間断ない敵襲に曝され、皆が疲れている。それはアムロだけではないのだ。
 だが、単身、モビル・スーツのコックピットで極限の恐怖に曝され続けたアムロはブライトの言葉を侮辱と受け取った。誰よりも辛く怖い、あんな思いに耐えてきたのに、なぜ、そんな風に悪し様に責められなければならないのか。フラウの手を振り払い、傲慢な青年に食ってかかる。
「ぼ、僕が! そんなに安っぽい人間ですかっ」
「チ…ッ」
 もう一発、平手が反対の頬に飛ぶ。
「二度もぶった……親父にも殴られたことないのにっっ」
「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」
「もうやらないからなっ。誰が二度とガンダムなんかに乗ってやるものか!」
 売り言葉に買い言葉。収拾はつきそうにない。



 一時のものであっても、平穏はよいものだ。
 かなり際どい戦況だったが、当初は戦闘拒否をしたものの、如何なる心境の変化か、戦列復帰したアムロ・レイ操るガンダムとガンキャノン、ガンタンク、そして、ホワイト・ベースの連携作戦が功を奏し、敵を撃退することもできたのだ。
 しかも、その直後に連邦軍ミデア輸送部隊と接触したことで、ホワイト・ベースのこれまでの孤立感も幾分、和らいだ。
 輸送機ミデアの指揮官マチルダ・アジャン少尉は物資と情報を齎してくれた。決して、WBは見捨てられたわけではなく、正規軍への編入準備もなされているのだと。
 ミデアはWBの応急修理に手を貸し、リード中尉を初めとしたサラミス・クルーやサイド7避難民の傷病者なども引き取っていってくれた。WBの負担もそれだけ軽減したわけだ。
 だが、まだ多数の民間人を抱えている。ここはミデアと接触できたのも奇跡的な、敵ジオン占領下の北米大陸だ。
 ……絶対に、気は抜けない。


 ミデアと別れてからも、ホワイト・ベースは逃避行を続けつつも、傷ついた艦体の補修に余念がない。
 完全な修復なぞ、ドックにでも入らぬ限り望めない。だが、次の敵襲がある前に少しでも、マシな状態にしておかねば、それだけ、生存率が落ちる結果になるのだ。
 クルーは交代で任務に就いていた。尤も、非直時などは短く、食事を掻き込み、夢もない眠りに落ち込むしかないのだが……。
 現在は候補生上がりと民間徴用兵の寄り合い所帯となってしまったWBだが、歴とした地球連邦軍宇宙軍の最新鋭強襲用揚陸艦である。居住設備は整っている。食堂も士官食堂と兵員食堂に分かれており、士官用を避難民が、兵員用をクルーが使用している。士官食堂の方が広く、落ち着いているので、そのように当てられたのだ。
 戦闘後、ガンタンクの整備を一通り済ませて、仮眠に入ったリュウ・ホセイが兵員食堂に現れた。
 戦闘直後は水以外は──酷い時は水すらも受けつけないものだ。その代わり、収まってきたら、食える時に食いたくなくても食う! それが不文律だ。
 それでも、時間がずれたのか、食堂内は人影も疎らにしか見えない。その中にリュウはこのWBで知り合い、親しくなった相手を見つけた。トレイを片手にその前の席に着く。
「よう、ブライト。もう、済んだのか」
 リード中尉の退艦により、再び、艦長代理の任を預かるブライト・ノアが弾かれたように顔を上げた。何やら、考え事をしていたらしい。
「何だ、リュウか。脅かすなよ」
「悪い。そんなつもりはなかったがな」
 ブライトのトレイは奇麗になっていた。とてもコーヒーとはいい難い、冷めかけた代用コーヒーだけが残っている。食事に関してはパイロット第一とされ、彼も大した量を取っていないのは知っている。リュウは指揮官こそ、筆頭だろうと思うのだが……。
 傍らには黒表紙のファイルが置いてある。食いながら、備品のチェックや情報確認でもしていたのだろうか。
 リュウは内心、溜息をつく。マメとゆーか、生真面目とゆーか……これでは、気の休まる間もなかろうに。
「ブライト、お前、ミデアが離脱してから、少しは休んだのか」
「いや、まだだが」
「全く…。ちゃんと、寝ろよな。倒れられでもしたら適わん。お前の代わりはいないんだからな。艦長代理」
「代わりがいないのはお前も同じだろうが」
 ブライトは不愉快げにコーヒーもどきを啜る。不味そうに顔をしかめ、小さく嘆息した。
「アムロはどうしている。寝たか?」
「 ? あぁ、一時間ほど、俺より遅かったらしいが……まだ、部屋だろう」
 問いたげなリュウの答えに、わずかに口ごもったが、
「アムロは何も言わなかったのか。フラウは?」
「別に──フラウには会ってないし。どうした」
「……戦いたくないって、ごねたんだ。あいつ」
「はぁ? パトロールの件じゃないのか」
 あの戦闘直前に出た哨戒命令をアムロが拒み、代わりにリュウとハヤトが出たのだが。
「いや・・・。そうじゃなくて、その後のガウ空母、ドップ編隊との戦闘でだ」
 千切ったパンを口に放り込みかけた手が止まる。リュウはマジマジとブライトを見つめた。
「で、お前はどうした?」
「モニターでは埒があかんし、とにかく、アムロと話そうと、あいつの部屋に行った」
「戦闘中にか? それで、説得──できたのか」
「……殴っちまった。あんまり、頭にきたんで」
 説得も何も、ほとんど話なんかしていないのだ。
 予想通りの答えにリュウは盛大に吹き出した。
「リュウ〜〜」
「いや、済まん。で、今さらながらに、大人気なかったと後悔してるわけか」
「ま……他にもやりようがあったか、とはね」
「お前も意外と気が短いからな。しかも、戦闘中じゃぁな。気持ちは理解らんでもないが」
 パイロット用の栄養ドリンク剤に口をつけ、
「それじゃ、アムロは却って、反撥したろう。よくも出撃したもんだな。他に何、言った?」
「さぁな、俺にもよく分からん。もしかしたら、フラウのお陰かもしれない」
 知らせてくれたフラウ・ボゥはずっと、傍で成り行きを見ていた。敵の攻撃が激化し、ブライトが艦橋に戻った後、アムロの心を動かす何かがあったとしか思えない。

『お前はシャアを越えられる奴だと思っていたが……残念だよ!!』

 実は最後に投げつけた、そんな自分の言葉がアムロを揺り動かしたのだとは、ブライトは知らなかった。
「だが、アムロの言う通りではあるんだよな」
 カップを弄びながら、ブライトが呟く。
「あいつには別に戦う義務なんてない。パイロット訓練を受けたわけでもない民間人に無理強いできるようなものでもないんだ」
 リュウは驚いたように一歳年上の友人を見返した。考え込んでいたのはそういうことか──とはいえ、
「俺たちに、そんな選択の余地があるか?」
「それはそうだが……」
「専門家でないのはカイやハヤトも、俺だって、似たようなもんだ。だが、やるしかない。そして、幸か不幸かアムロには才能がある。生き延びるためには貴重な能力は使わせてもらうさ」
「生き延びるためにか……だがな、生き延びるだけなら、簡単だそうだ。ホワイト・ベースを捨てればいい」
「おい…っ」
 思わず、腰を浮かすのを留まる。少人数だが、周囲にはクルーもいるのだ。慮り、声を低める。
「まさか、本気じゃないだろうな」
「まさか……リード中尉が言ったんだ」
「あの中尉さんが? そりゃぁ、意外だな」
「そうかい? 俺には解らないでもないぞ。不慣れなままに戦い続けて、命のやり取りをするよりはさ」
 さすがに、これには眉をひそめざるを得ない。
「お前、ひょっとして、気弱になってないか?」
「そうだな。ミデアと接触して、幾らか、気抜けしたのは確かだな」
 珍しく、笑みを見せた。酷く苦いものではあるが。
「逃げ出したいのは俺の方だよ。そうできたら、どんなに楽だろうなぁ……」
 それは聞かせるつもりなどない、無意識の呟きなのだろう。
 ほんの一年前は普通の学生だったのだ。それがいつの間にか、激烈な戦闘の真只中。しかも、百名以上の命を預かる身になっているとは……。
 必死な時はそれでもいい。だが、ふと気がつくと当たり前の日常は遠のき、異常な時間と空間が既に当たり前の日常と化している。
「そうは言っても、お前にできるか?」
 できないだろう──暗に仄めかしている。
「……俺は憶病だからな」
 答えにならない言葉に、しばらく沈黙が漂う。
 リュウはトレイの残りを急いで平らげた。何だが、失調状態に陥りそうだ。楽しみようもない食事が一層、味気なかった。
 そして、二枚の空のトレイを重ね、
「ブライト、これから休むだろう? 俺も一度、部屋に戻るが、寄っていけよ。食堂《ここ》よりは美味いコーヒーを御馳走するぜ」
 数少ない私物持ち込み品で、大事に大事に飲んでいるのだ。貴重品であり、リュウの唯一の楽しみでもある。
 目を瞬かせ、見返してきたブライトは笑って、招待を受けた。



「誰にも言うなよ。すぐ、なくなっちまうからな」
 小奇麗に片づけられた部屋の主は悪戯坊主めいた表情で、温かいカップを差し出した。
 食堂産とは比べものにならない香ばしさが湯気に混じって、立ち上るのに、自然と口許が綻ぶ。
「ん……美味いな」
 何ヶ月振りかの懐かしい味だ。かつては簡単に買え、好きな時に好きなだけ飲むことのできる極々、日常的な品だった。だが、今はわずかでも手に入れるのは困難だろう。リュウの秘蔵品も切れれば、最後で……。
 いや、それが切れるより前に収めている艦ごと燃え尽きる場合とても、ありえなくもない。
 カップを両手で包み込む。温もりが伝わる。感じられる。
 まだ、生きているから……。
「なぁ、リュウ……」
 コーヒーに視線を落としたまま、その問いは口をついた。
「戦闘中に敵のパイロットのことを考えるか?」
「───……」
 リュウにとって、それは予想を超えすぎた問いだったようだ。表情を変えぬように努めたのだろうが、その意志に反し、口許が自然に歪む。
 やはり、聞くべきではなかった。
「怒ったか? 当然だな。殴っても構わないぞ」
「殴る気も失せるよ。どうかしてるぞ、お前」
「そんなことはない。正気《まとも》さ、俺は」
 些か、リュウは持て余し始めたが、こんな状態のままの指揮官を放り出すわけにもいかない。それを承知で、誘ったのだし。
「なら、そもそも、何で、士官学校なんかに入ったんだ」
「別に好きで入ったわけじゃないさ。俺は学徒召集で入隊したんだからな」
「召集って……お前も? それがどうして、士官学校に」
 士官学校は入りたくても中々、入れるものではない『狭き門』なのだ。ましてや、学徒召集兵なぞ、兵卒として配属されるのが一般的ではないのか。
 そこで、リュウは思い出した。確か、召集兵から選抜された特別枠の年次があったはずだ。
「お前と同じさ。能力査定で送られただけだ。まぁ、最初に聞いた時は耳を疑ったけどね。もっとも、課程修了していないままだし、大して、成績も良くないけど」
「悪くもないんだろう?」
 リュウもまた、能力査定により、戦闘機パイロット・コースに入った。途中、ジオンに遅れたモビル・スーツ開発に併せ、MSパイロット養成も始まり、逆に戦闘機に染まりきらぬ者が移されたりもしていった。
「どちらにせよ、余り、向いてるとは思わんね。指揮官なんて、俺の柄じゃない」
「柄かどうかはともかく、十分、やってると思うけどな? アムロと同じでさ」
「誉めたつもりか?」
 ブライトは横目でリュウを一瞥する。どこか、自嘲気味な笑みが掠めて消えた。

「……自分の命と敵の命、味方の命」
「ブライト?」
「避難民の命、知っている奴か、知らない奴か……」
「お、おい……?」
 どんな命も重さは同じだという。そして、命は至上のものであると……それは倫理か。
 だが、命よりも、重視されるものが時として現れる──すなわち、戦争においては。
「これはジオンと連邦の戦争だ。夫々に夫々の主義も理想もあるはずだ。だが、この戦場にそんなものが見えるか? 兵士はロクでもないもののために駆り出されて、一つしかない命を奪い、奪われる。何も知らないままにだ」
「お前、何が、言いたい」
 今度はブライトも真正面から信頼する僚友を見据える。
「結局、俺たちはタダの殺し合いを演じているだけだ」
 室温が一瞬、零下まで下がったように感じた。
 それは彼らが意識的に目を背けてきた現実だ。その認識に、一気に口の中が乾いていく。無理矢理、口を開こうとして、唇がはがれる感触が重かった。
「……指揮官が口にすべき言葉じゃないな」
「解っている」
「大義名分さえあれば、赦されるわけでもあるまい?」
「それも賛成だ」
「だったら、なぜ、そんなことを言うんだ! 生き延びるためには戦いもやむをえない。そうだろう? ましてや、俺たちは曲がりなりにも軍人だ」
 リュウが珍しく荒い口調で詰め寄る。対するブライトは酷く静かだ。……それは諦観故だろうか。
「……それも、間違いではないな」

 悲痛な思いで戦うより、逃げる方が楽だろうか?
 そうまでして生き延びるのなら、いっそ殺された方が簡単だろうか?
 だが、同じ重さのはずの『命』でも天秤にかければ、必ず一方が傾くものだ。無意識にでも、選んでしまう。
 理性も思想もカケラもない、単なる生存本能に捕われたヒトという動物故。いや、元来、戦争を理想実現のための手段とするなら、これは獣以下といわざるを得まい。
 人には思考力がある。想像力もある。言葉を交わし、話し合うのも可能なはずだ。それを『力』に訴え、無意味な流血に至るのは──恐らく、それが最も安易な方法だからなのだろう。「生きようとするのが悪いことか? 俺もお前も、他の連中だって、まだ、二〇歳にもなってないんだぞ」
 どう考えても、死ぬには早すぎる。
「善悪なんて問題じゃない。当然の権利さ。それに今は権利の主張としては殺し合う……いや、戦うしかないわけだ」
「わざとらしく、自虐的に言うなよ。お前の言ってることは矛盾してるぞ」
「解ってるよ……だから、俺も参ってるんだ……」

 生き延びるために戦う。俺は命令を出す。
 砲手に砲撃《う》てと。パイロットには出撃《で》ろと。
 その結果、前には血の雨を降らせ、後ろには屍の山を築く。
 俺の命令で誰かが死ぬ。命じるだけで……。
 一方では味方の誰かも死ぬのだ。決して、免れられない。
 それが戦争、それが戦い。
 そして、俺が判断を誤れば、それで全滅。
 矛盾があるとすれば、その一点に発しているに尽きる。
 自分で決めたわけではない、選んだわけでもない状況、立場。
 それが与えられ、自分に演じられる唯一の役割だとしても──……。
「俺には、アムロを責める資格なんてない……」
 逃げたいのは自分だ。欺いているのも自分。
 『命』を盾に取って、縛りつけているだけだ。

 リュウは痛ましげにブライトを凝視《みつ》めた。
 ブライトがそんな自責の念を抱えているなど、露ほどにも考えたりはしなかった。自らの務めをしっかりと位置づけ、ひたすら、前へ前へと進む奴だとばかり思っていた。
 だが、こんな異常事態の中で、自分自身も素人同然でありながら、先頭に立っていこうとする奴だ。それだけに抱えるものも大きく、己を偽ってまで、納得させようとしてしまうのかもしれない。誰よりも、己に対して厳しくあって……。
 人とは夫々に主義理想を持つものなのだ。それはある意味、自己防衛本能にも近いのかもしれない。
 ブライトもまた、例外ではない。だが、この戦場の現実において、理想など何の役にも立ちはしない。
 リュウは主義などは大して考えたことはない。ただ、形ばかりの宣戦布告直後に奇襲をかけ、家族を殺したジオン軍のやりようが認められないだけだ。それも主義には違いないが、至って単純だ。ただし、その方が戦うには気楽かもしれないが……。ブライトは違うのだろうか?

「あー、済まん。馬鹿な泣き言だ。迷惑だよな、お前も」
 何か声をかけようかと迷っていると、数瞬ばかり先に、ブライトの方が口を開いた。それも先刻までとは打って変わり、さばさばとした調子で。
「いや…あの…その…別に迷惑がってなんかないぞ。けど、お前、大丈夫か? ホントに」
 面食らいすぎて、率直な疑問が口をついた。
 ブライトは微笑んだだけだった。決して、苦いものではない。いつも、顰め面の彼にも、そんな優しい表情ができるのか、と思えるような柔らかな笑顔だ……。
 だが、元来のブライトがどちらかといえば、穏やかな性質の極々、普通の青年であるのはリュウも知っている。サイド7以前は、さほど珍しくもない表情だった。
「サンクス、リュウ。最高に美味いコーヒーだったよ」
「ぁ……ブライト、もう一つだけ、聞いてもいいか?」
 部屋を辞そうと立ち上がったブライトに慌てて言うと、ドアの前でこちらを振り向く。
「本気で嫌なら、召集がかけられても拒否はできたはずだ。それをしなかったのは……」
 入隊拒否には罰則が課せられるが、それでも、拒否する者も実はいるのだ。
 わずかだが、ブライトの表情が強張る。逸らされた漆黒の瞳が、少しだけ遠のいた。何を見ているのか……。
「……俺は地球生まれの地球育ちで、俗にいうアース・ノイドだ。0079が明けた開戦前夜も東ヨーロッパ地方にいた。勿論、一週間戦争の時もな」
「……!」
 その言葉の意味に気付き、リュウは息を呑む
「一生……一生、忘れないぞっ。あの光景、あの光の渦は! 絶対に忘れるものかっっ」
 拳は固く握りしめられ、震える言葉が吐き出される。

  あれは──星空の一部が剥がれ落ちるようなものだった。
  『星』は激しい明滅を繰り返し、幾百、幾万……!
 否、無数に流れ落ち、大地に降り注いだのだ。人々の頭上に。
  幾筋もの煙を従え……
  大気をも引き裂き、灼きながら……

「お前、コロニー墜しを、見たのか……」
「アイランド・イフィッシュを、この目で見たわけじゃないがな」
 『ブリティッシュ作戦』──サイドのコロニーの軌道を変え、地球引力圏に引き込ませる。開戦当初の一週間に行われたジオンの当作戦により、オーストラリアのシドニーが消滅した。だが、大気圏中で分解したコロニーの巨大な破片は上空の風に乗り、地球各地に飛散した。燃え尽きることなく……。
 幾つもの都市や街があの夜に突然、壊滅した。巻き込まれずに生き残ったのは僥倖といっても過言ではないほどの災厄だったのだ。
「その上、連邦軍に接触できるなんてな。学籍は連邦のコンピュータに残っていたから……実情は学徒召集なんて、名ばかりだった。あの状況で、あのコロニー墜しを目撃して、入隊拒否する奴なんていなかったさ」
 質量爆弾と化した『人工の大地』
 空から落ちてくる恐ろしく巨大な物体。避けようのない灼熱の雨。
 成す術など、全くなかった。祈りを捧げ、救いを乞うても、神とやらは何もしてくれなかったのだ。それは人類への試練などと表せられるものでもなかった。
 見た者にしか理解《わか》りはしない。あの光景の前には価値観も変わる。倫理なども吹き飛んでしまう。
 そして、その直後の地上の悲惨な状態。
 あの災禍で、多くの街と、多くの人々が犠牲となり、その中には故郷の街と家族も含まれていたと知った。
 唯の一夜にして、家族も故郷も失った。奪われた!
 独りだけ、取り残された夜の寒さは生ある限り、忘れない。
 許せるわけがない。認められるはずがない。
 憎んでも憎んでも余るジオン……。
 憎悪が人間の感情で、最も忌諱すべき感情だとしても、それに縋るしかない──今のブライトにとっては、それも確かなことだ。
「軍人になったのは間違いなく俺の意志なんだ」
 だが、これも大いなる矛盾の一つだ。
 解っていても、振り払えない。間違った方法かもしれぬが、それしかなかった。
 ブライトにせよ、リュウにせよ、選び取った道は同じなのだ。

 それきり、二人は言葉を発さず、沈黙が流れた。
「……一度、ブリッジに上がるが、少し休ませて貰う」
 気持ちの整理をつけたのだろう。一呼吸つくと、いきなり、話が飛んだ。
「!? あぁ、了解だ。俺はモビル・スーツ・デッキに下りる」
 頷くと、ブライトはそのまま部屋を出ていった。
「何だかなぁ」
 全身の力が抜ける。調子を狂わされっ放しだ。調子が外れていたのはブライトも同じかもしれないが。
 サイド7脱出行以降、飾らないブライトを見たのは初めてだったような気がする。だが、部屋を出る時はいつもの艦長代理さんに戻っていたようだ。

 そして、その後も変わりなく、戦いの日々は過ぎていくのだ。
 生を放棄することなど、できようはずもなく……。

 ブライトが再び、弱みを曝出すようなところをリュウが目にすることもなかった。
 それにはリュウ・ホセイ自身の死が代償とされたからである。

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