師 弟


 ムウはとにかく、溜息混じりに苦言を呈する。
「全く、貴方という人は……呆れて、物も言えませんよ」
「なら…、何も言わんでも……」
 反論に、常の力はなかった。グッタリと寝台に伸びている友人の姿に、もう一つ嘆息する。
「好奇心旺盛なのは結構ですが、だからといって、動けなくなるまで、自分の体を切り刻むのはお止めなさい」
「別に、切り刻んだわけでは……」
「黙りなさい。子供でもあるまいし、言われるままに従うこともないでしょう。まぁ、させる方もさせる方ですが」
 そこで、この部屋の本来の主だが、片隅でイジケている人物を横目で見遣る。半瞬だけ、凄まじい殺気が吹き付けられたらしく、その人物はビックゥと体を竦めた。
「いや…。でも、これまで、やったことのないことに挑戦するのは、何か楽しくてな」
「アイオリア! 楽しむのも結構。ただ、限度を弁《わきま》えなさいと言っているのです。全く、夕食前にいきなり呼びつけられた私の身にもなって欲しいものです」
「それは…、済まん」
 寝台の主と化している獅子座《レオ》のアイオリアが、神妙に謝った。おお、珍しく?素直だ。体力自慢の彼が余程、参っている証拠でもある。
 同じ黄金聖闘士《ゴールドセイント》の中では衝突することの多いアイオリアだが、だからといって、嫌っているわけではない。寧ろ、誰よりも腹を割って、ぶつかり合える貴重な相手でもあるのだ。
 何せ、この牡羊座《アリエス》のムウに正面切って、意見できる者など、黄金聖闘士どころか、師匠ですらが最近は遠慮しがちな有様なのだから。アイオリアまでが何も言わなくなったら、きっと、自分はとてもつまらないと思うに違いない。
 そんな相手の弱った姿など、正直、見たくはなかった。
「まぁ、こんな人に教えを請うてはどうかなどと、迂闊なことを言った私にも責がないとは言えませんしね」
「お、おい。ムウ……」
 こんな人=ムウの師(のはず)=シオン教皇猊下は恐る恐る、弟子に声をかけるが、見事に無視された。いや、完全無視とはいえないか。
「シオン。アイオリアをこんなにして、アイオロスが戻ってきたら、大変でしょうねぇ」
 などと脅す脅す。
 アイオリアの兄アイオロスは今、聖域《サンクチュアリ》を離れていた。そろそろ、帰ってくる頃合なのだが。
 んでもって、その兄馬鹿振りときたら、尋常ではなかった。嘗ては幼い弟を可愛がる反面、厳しい師匠としての顔も崩さなかったのだが、その弟が見事な黄金聖闘士へと成長した今、師匠としての面は影を潜めており、その分、兄馬鹿振りが強調されているという次第だ。
 自らと同じ、力ある黄金聖闘士として認めているのは間違いないはずだが、最強の戦士の一人を可愛い弟としても認識できる辺りが理解しにくい。アイオロスの中では反発することなく、二つの認識が共存しているようだが。
 だからこそ、シオンも慌てて、ムウを呼びつけたのだ。とりあえず、アイオロスが帰ってくるまでに、アイオリアを動ける程度には回復させたかったわけだ。
 しっかーし、第一宮から教皇宮まで、無理矢理いきなり呼びつけられたムウが黙って、従うわけもなかった。いや、手伝いはするが、本当に黙っていなかったのだ。
「い、いや。私は──」
「聖衣《クロス》の修復でもないのに、動けなくなるまで失血させるなんて、何を考えているのですか。あぁ、何も考えていなかったとか? 教皇猊下ともあろう御方が情けない。ヒーリングの修練で、何故、危うく失血死させかけるのですか」
 もう、勘弁して欲しい……。
 この聖域に於いては殆ど怖いものなしの傍若無人な教皇猊下が弟子の怒涛の口撃の前に、情けなくも泣き出しそうになっていた^^;;
 助け舟は横から、弱弱しい声で出された。
「ムウ…。余り、シオン様を責めるな。俺が、続けると言い張ったんだ」
「────」
 こういう言い方をするアイオリアは本当に頑固だ。反駁しようとして、ムウは思い止まった。実際、弱っている友人と、こんな時まで喧嘩する必要もあるまい。
 ただ、またしても溜息が零れた。
「人のことばかりでなく、自分のことも少しは留意して下さいよ」
 他人の痛みには敏感なくせに、アイオリアは自分の痛みには無頓着すぎた。慣れすぎている、といった方が良いのかもしれないが。
 事の起こりは、自分も無関係でなかったのだが、昼頃へと遡る。


★         ☆        ★        ☆        ★


 この日、ムウは教皇宮での執務はなく、白羊宮の工房で、聖衣の修復に当たっていた。
 全く……幾ら直しても、少しも数が減らない気がするのは何故だろうか。本当にジャミールに帰ってやりたくなる。
 唯一の修復師が聖域にいるからと思って、扱いが乱暴になっているのではなかろうか? 大体、聖衣はそう簡単に破損したりもしないはずなのに……。
 幾らか雑念が入りつつも、修復の手は進めていく。全身全霊を籠めれば、瞬く間に全聖衣の修復は完了するだろうが、切羽詰まった時分でもない。勿体をつけて、少しは聖衣が手元にない不安を味わわせてやろう。
 などと些か不穏なことを考え、適度に進めていく。その周囲では弟子の貴鬼が手伝いに飛び回っている。尊敬する師匠のために、小柄な体で、大きな荷物も運ぶ。テレキネシスを使う貴鬼には、然程の負担にはならないのだろうが、それでも、時には失敗もする。
「うわっ」
「──痛ッ」
 何と、貴鬼は修復作業中の師匠にぶつかってしまったのだ。
「ムウ様!? ゴ、ゴメンなさい! あーッ、怪我しちゃったんですかっ。手当てをっ。早く、手当てしないと!」
「貴鬼、騒ぎすぎだ。大丈夫、大した怪我《こと》ではない」
 と言いつつも、聖衣用のノミを滑らせた弾みで、ザックリと腕を切っている。結構、血も流れているので、貴鬼が騒ぐのも無理はなかった。と、そこへ、
「どうした?」
 思いがけず、顔を出した者がいた。

「アイオリア、何か御用ですか」
「いや、通りかかったら、貴鬼の騒ぐ声が聞こえたから……これはまた、派手にやったなぁ」
 とりあえず、止血をするムウの傷に、やはり非番であるアイオリアも少し顔を顰める。軽く息をついて、手を伸ばす。
「診せてみろ」
「大丈夫ですよ、アイオリア」
「いいから──貴鬼の顔を見ろよ」
 貴鬼は「手当て手当て」と騒いで、あたふたと用意している。
「こんなもの、怪我の内に入りませんよ」
「確かにな」
 聖闘士である彼らだ。もっと大事になったことなど、幾らでもある。
 だが、貴鬼には大好きな師が自分の不注意で、負傷したことが重荷にもなっている。よく働いてくれるが、まだまだ幼い弟子にはムウも弱いところがあった。
 仕方がないとばかりに、傷ついた腕をアイオリアに差し出す。
「結構、深いな……。しかし、骨は大丈夫だな」
「血! 血が一杯、出てるよっ」
「もう塞いだ。心配ない」
 言いつつ、アイオリアは傷口に手を翳し、小宇宙《コスモ》によるヒーリングを施している。それを包帯やら何やらを手に抱えた貴鬼が覗き込む。
「本トに?」
「あぁ。ホラ、傷痕一つなくなっただろう」
「相変わらず、見事ですね。まさか、傷を引き取ったりはしていないでしょうね」
 逆にアイオリアの腕を取り、繁々と眺める。
「その程度の傷は、そんなことしないでも治せるさ」
「それもそうですね。もう大丈夫です。有り難うございます」
 アイオリアのヒーリング能力は黄金聖闘士でも随一といえる。これは長きに渡る“逆賊の弟”という不遇な境遇がそうさせたのだ。
 任務に出るようになっても、彼は常に一人で、他の援護を受けられなかったし、負傷しても、その場で癒してくれる者はいなかった。自分で何とかするしかなかったのだ。
 だから、本来は自分自身には効力の落ちるとされるヒーリングだが、アイオリアは自分で自分の傷を──それも相当の深手でも治すこともできるほどの能力を育て上げる結果となった。

「丁度いいから、ここで昼にしましょう。アイオリア、お礼がてらに、御一緒しませんか」
「いいのか?」
「勿論です。ねぇ、貴鬼」
「はい! アイオリア、遠慮しないでよ」
「そうだな……。それじゃ、馳走になるかな」
 そんなわけで、昼食となったのだが、その席上で、ヒーリングについての話題となる。
 詳しい事情など知らない貴鬼は純粋に、師をも上回るアイオリアの能力に感嘆していた。
「そういえば、シオンもヒーリングに関しては相当な腕前ですよ」
「シオン様が? まぁ、当然といえば、当然かな」
 何といっても、前聖戦以来、二百数十年の経験の持ち主だ。今一人の精神年齢上の御老体(肉体年齢は掟破りの十八歳だが;;;)老師こと天秤座《ライブラ》の童虎も同様だろうか。
「アイオリアのヒーリングは多分に我流である面が強いですから、一度、シオンに講釈して貰ったら、如何です」
「シオン様にか? うーん、そうだなぁ」
 などという会話があり──夜になったら、教皇宮に呼びつけられ、ムウはアイオリアが早速、シオンの元に出向き、教えを請うたことを知った次第である。
 しかも、シオンはアイオリアの能力の程度を知るために、切っては治し、切っては癒しを繰り返し、挙句に自らの体を傷付け、『傷を引き受ける』ことまで何度か試させたのだという。
 通常のヒーリングは双方の小宇宙を同調させることで、細胞を活性化させ、回復力を高める。自分の傷を治しにくいのは同調が行えないためだ。
 そして、『傷を引き受ける』とは同調させずに、施療主側の小宇宙だけで、強引に回復を促すのだ。ただし、同調しないことは施療主側にも相当な負担を強いる。結果として、施療主が同じ位置に傷を作ってしまうので、『引き受ける』などと呼ばれるが、そこまでの能力の持ち主は聖域にも数えるほどしかいない。アイオリアはその数少ない者の一人だった。
 シオンはそれを知らなかったようで、獅子座の思わぬ隠された能力に、少しばかり夢中になってしまったというところか。気付いた時にはやりすぎていた、と……。
 アイオリアの方も本当に限界に達するまで、一言も言わず、いきなり倒れたりするものだから、さすがのシオンも相当に慌てたのだ。この我慢強さも常に単独行動してきた反動だろう。
 勿論、回復のためのヒーリングもかけたが、相手が余りに消耗してしまうと、立て続けに無闇にかけても効果は上がらない。しかも、同じ人物が連続して行うと、慣れてしまうらしく、やはり効果が落ちる。
 何とも、頃合が難しかった。だから、ムウが呼びつけられたわけでもある。
 状況を知るにつけ、一頻り師に対しても、容赦なく説教したムウはシオンと交互にアイオリアに回復のためのヒーリングを施していた。

「それにしても、アイオリアよ。お前は戦闘技よりもヒーリングの方が力技だな」
「はぁ……」
「そこが我流なのですよね。それでも、十分に効果的な治療が行える辺りが凄まじいですが」
「だが、勿体ない。無駄な力の漏洩が大きすぎる」
「しかし、その辺を理解するまで、ひたすら切っては癒しを繰り返すとはね」
 ムウの突っ込みに、二人はゲンナリとなった。
「と、とにかく、アイオリアよ。暫くは私について、修練するがいい。もっと効率のいい制御法を教えてやろう」
「……有り難うございます」
 礼の言葉にもまだ力はない。自然、思考も別の方向へと向かう。
〈兄さん、早く帰ってこないかなぁ〉
 でないと、この師弟陰険?漫才から、いつまでも解放されない。顔に出たのだろう。すかさず、ムウがサラリと告げる。
「戻ったら、貴鬼に伝言を頼んでありますから、心配いりませんよ」
「あぁ、そう……」
「それまでに、自力で歩けるくらいまでは回復させてあげますよ」
 アイオリアは諦めて、横になったまま、目を閉じた。



『ムウ様、ムウ様』
 どれほど経ってか、ムウは弟子からのテレパシーを受け取った。こういう時だ。報せを入れる事態は限られているが、ムウは一応、確認する。
『貴鬼、アイオロスが戻ったか』
『ハイ、たった今。言われた通り、伝言は一言一句、違わずに伝えました』
『御苦労様。それでアイオロスは?』
『すんごい勢いで、駆け上がっていきました』
 それこそ、飛ぶようにスッ飛んでいったと。
 英雄の慌てふためく姿を思い起こしてか、貴鬼のテレパシーに笑いが雑じる。つられて、ムウも笑った。
『あの…、アイオリアは大丈夫なんですか』
『勿論だ。後はアイオロスに任せて、私も直ぐに戻る』
『はい、夕食の準備はバッチリですよ』
 そこで、テレパシーは途切れた。「バッチリ」なんて言い方は星矢達と付き合うようになってから、覚えたのだろうか。何とも微妙な表現だ。
「……戻ったのか」
 ポツリとシオンが呟くと、アイオリアが体を起こしかけた。そして、ムウが何か言おうとする間もなかった。

 馴染んだ小宇宙が急速接近してくるのを捕えた──と思った瞬間には、“教皇の控えの間”の扉が派手に吹っ飛んだ。扉は壁に叩きつけられて、崩壊;;; ……この調子で、あちこち破壊しながら、駆け上がってきたわけではないだろうな。
 そこには凄まじい形相のアイオロスが息を切らせて、立っていた。
「リア! アイオリアはっ。アイオリアが倒れたって──!?」
 呆れ半分で嘆息したムウが声をかける。
「落ち着いて下さい、アイオロス」
「落ち着けだと!? ムウ、お前までがわざわざ呼ばれるほどの何があったと──。いや、それより、アイオリアは!」
 幾分、支離滅裂になりかけている。“抜け道”を使ったわけでもなさそうなのに、十二宮突破の最速記録を打ち樹てた射手座《サジタリアス》のアイオロスは碌に人の言うことを聞いていない。もう一つ、溜息。
「アイオリアなら、そこに──」
「に、兄さん……」
 寝台で上体を起こすアイオリアを示すと、アイオロスは風のように、その傍らに飛びついた。
「どうしたんだ、大丈夫なのか?」
「あ、うん…。一寸した貧血だよ」
 貧血……には違いないが、あれで一寸した? 本気で言っているのか、兄を心配させまいとしているのか、どうも判断しかねる。本気で「一寸した」などと思っているのだとしたら、相当にアイオリアの価値基準は危うい。
〈矯正が必要、ですかねぇ〉
 などと、真面目に考えてしまう。
 そして、今一人の当事者たるシオンはかなりドキドキしている。自分に原因の一端があると知れば、アイオロスが激怒するのは目に見えている。
 他の事ではともかく、とにかく弟絡みでアイオロスを怒らせると、さすがのシオンでも逃げたくなるのだ。
〈い、今の内に、五老峰にでも逃亡しようか〉
 などと逃避的なことを考える始末だ。尤も、そんな逃亡を弟子《ムウ》が許すとも思えないが。
「シオン様とムウのお陰で、もう動けるから……心配しないでくれ」
「いや、しかし──まぁ、いい。とにかく、戻って休もう」
 平気だと言うほどに、弟の顔色は良くない。大体、この弟の我慢強さは半端ではない。その「平気だ」ほど、当てにならないこともないのだ。
 アイオリアを助け起こしながら、
「シオン様、報告は明日で宜しいでしょうか。今日はこれで、失礼したいのですが」
 飛び込んでくるなり、弟一直線だったが、一応は教皇の存在を認識していたらしい。
 勿論、シオンに否やはなかった。というか、この状況で言えるはずがなかった。
 ところが、それを遮った強者がいた。やはり、そんなことができるのも一人しかいないが──無論、ムウではない。
「駄目だ、兄さん。報告はちゃんと済ませないと」
「しかし、アイオリア」
「俺なら、大丈夫だから。やるべきことはきちんと、やってくれ」
「……本当に、生真面目な」
 ムウは苦笑する。似たもの兄弟と思われがちだが、やはり違うところは多々ある。
 嘗て、幼い頃には解らなかったが、今になると、アイオロスは意外と奔放なところがあり、手を抜けるところは適度に抜いているのが見える。何事にも全力になりがちな弟より柔軟性があるともいえるが。
 結局、兄の方が折れ、教皇に簡単な報告を行う。退出の機会を逸したムウも付き合うハメになったが、時間を惜しんでか短く簡潔に纏めていても、肝心の問題点だけははっきりしているのが見て取れた。
〈正に、やるべきことは、ですね〉
 アイオロスの姿勢も見事なものだ。ただ、無茶苦茶、切り替えが早いだけだ。
「では、教皇。詳しい報告は明日ということで」
「ウ、ウム。御苦労だった」
 今度こそ、弟を連れて行こうとするアイオロスは最後に一言、付け加えた。
「あぁ、シオン様。この件についても、明日、きっちりと説明して頂きますよ。詳しいことを」
「ヒッ…★」
 この件とは無論、アイオリアのことだ。当然のように見抜かれていた。ビクビクゥッと肩を震わせるシオンに、アイオリアが慌てて目を向けたが、アイオロスは有無を言わせずに強引に連れ去っていった。
 後には牡羊座師弟と沈黙が残る。
「…………御愁傷様です」
「ム、ムウ〜〜ッTT」
 明日は血を見るかも、しれない? 本気で怯える師匠兼教皇に少しばかりムウは悲しくなる。
 二つの聖戦を戦った二百数十余年を垂《なんな》んとする聖闘士の中の聖闘士たる教皇の威厳はどこに?
「大丈夫ですよ、シオン。アイオリアが宥めてくれるでしょうから。……多分」
「多分なのか」
 やはり絶望かもしれない。
「では、私も白羊宮に戻ります。貴鬼が待っていますから」
 聞いているのかいないのか、しょぼくれている師の姿に、ムウは嘆息した。もう、今日は何度目だろうか。
 幼い頃は偉大な師であり、教皇であると信じて疑わなかった。聖戦時には味方をも欺く非情な指導者ぶりに畏れ入った。
 ところが、全てが終わり、共に甦ってみれば──もう、一々、説明せずとも察してくれようか★ 
 とにかく、我が大恩ある師の株は下落の一途を辿り、白羊宮は学級崩壊に至っている有様だ。あぁ、幼き頃の私は何と純情だったのか、とか、夢は美しきままであって欲しかった(←それって、つまりあのまま死んでて欲しかったってこと??)とか思う今日この頃なムウだった。
 何となく、寂しくもなった……。
「シオン、夕食を御一緒しますか?」
「……い、いいのか」
「貴鬼も用意してくれていると思いますよ」
 途端に嬉しそうな顔になるが、それはそれで悪戯心が出る。
「最後の晩餐に、なるかもしれませんしねぇ」
「ムウッ!!」
「冗談ですよ。本気で怯えないで下さい」
 いや、冗談じゃないかもしれないし……。
 粉砕された扉の残骸を見るにつけ、明日は我が身かと唸ってしまう。隙間風に、身も心も寒くなるというものだ。
 扉の修理は無事、明日を乗り越えてからにするとして、今日は白羊宮に泊めて貰おうとシオンは決めた。



 その頃、先に教皇宮を出た兄弟は──時間が遅くなったとはいえ、宮内では幾らか人の目もあるためか、弟に肩を貸し、ゆっくりと歩いていたアイオロスは外に出たところで、不意に腰を落とした。
「兄さん?」
「ホラ、負ぶされ、アイオリア」
「な…っ。冗談はやめてくれよ」
 突然の兄の言葉に、暗がりの中でも弟が真赤になったのが判別《わか》る。そりゃあ、いい歳をして、兄に背負われていくなど、考えるまでもなく恥ずかしかろう。
「遠慮するな。まだ、相当に辛いんだろう。この方が早い」
「いや、でも──」
「俺も早く自宮に落ち着きたい。今日は人馬宮に泊まっていけ」
 獅子宮まで送る気はないと宣言され、早くしろと促される。
「何なら、肩に担いでいくか──いや、お姫様抱っこしてやろうか」
 アイオリアが顔を引きつらせ、辞退したのは言うまでもない。

 いつの間にやら、すっかり陽が落ちた十二宮の階段をアイオリアは自分の足によらずに、下りていく。夜空《そら》を仰ぐと数多の星々が輝いている。
「すっかり重くなったなぁ。お前も」
「当たり前だろう。俺を幾歳《いくつ》だと思ってるんだ」
 兄の首に腕を回し、少しだけ顔を寄せながら、ムッとしたように言う。だが、見ている者がいないためか、悪い気はしなかった。こんなことでもなければ、兄に背負われることなど、最早あるはずもない。
「兄さんの背中も、小さくなったな」
「それも当たり前だな。それだけ、お前がデカくなったってことだ」
 兄が苦笑するのが伝わってくる。同時に忘れたと思っていた遠い記憶と感触も甦ってくる。
 幼かった頃、自分にとっての兄は厳しい師匠だったが、それだけではなかった。さんざんに動けなくなるまでの特訓を受けた後、兄に背負われて、家路に着いたことが何度あったか……。
 唐突に、そんな日が終わってしまってから、十数年を経て、また、こんな瞬間が戻ってこようなどと思ってもみなかった。
「……でも、温かいのは変わらないな」
 頬を兄の肩口に乗せて、呟く。じんわりと染み入るような兄の小宇宙と体温に、途轍もない安堵感を覚える自分がいる。
 あの…、兄のいなかった悲しい十数年間に、失くしたと思っていた感情が幾らでも湧き上がってくるようだ。
 アイオリアは懐かしい感情を思い、そっと目を閉じた。

「お前も、温かいぞ。……リア?」
 返事がない。心なしか、更に重くなった気がした。足を止め、様子を窺うと、微かな寝息が聞こえる。
「眠ったのか」
 立派に成長はしてくれたが、自分の背中で安心して寝てしまうなど──その辺も記憶に残る幼い頃と変わらない。
 アイオロスは「よっ」と弟を背負い直すと、起こさないようにとゆっくり歩き出した。
「……お前が、変わっていなくて、俺がどれほど嬉しかったか、解るか」
 眠る弟に、静かに語りかける。
「あんな形で、お前一人を残していってしまって……お前がどれだけ、辛い思いをしたか」
 本当に、最期の瞬間まで、それだけが心残りだった。自分は女神《アテナ》の聖闘士だ。女神のために命を落としたとしても本望──だが、聖域中から追われ、反逆者として抹殺されれば、残された弟が如何にして扱われるかも明白だった。
 実際、アイオリアは“逆賊の弟”として、“兄の罪”を一身に負い、その“罪”を贖うように戦ってきたのだ。そんな境遇に叩き込んでは、 どれほど恨まれ、憎まれても仕方がないだろうに……。
 いや、現に恨み、憎んだこともあったはずだ。全く負の感情を抱かずに、十数年を送ったなどとは考えられない。
 だが、同時に信じてもくれたのだと思う。周囲が何を言っても、蔑まれ、罵倒されても、この兄を信じてもくれたのだろう。
 幾つもの思いを抱えながら、足掻くように戦い、生きて、弟は強くなったのだ。
 自分の遺した教えを胸に──それはアイオリアの聖闘士としての在り方を見れば、解ることだ。恨むだけで、信じてくれていなければ、アイオリアは兄の教えなど全て捨て去っただろう。
 だが、そうではない。獅子座の黄金聖闘士の中には間違いなく、この兄の教えが刻まれている。その確信は師として、何よりも嬉しいことだった。
 そして、更には──その教えは、あのペガサスの星矢にも受け継がれているのだ。

 星矢と接する時、彼の中に、アイオロスが弟に伝えたはずのものを垣間見ることがあった。最初は不思議に思ったが、星矢がアイオリアには大分、懐いている様子なのも直ぐに解った。 
 聞けば、聖矢の師匠である鷲座《イーグル》の魔鈴とアイオリアは昔から親しく、彼女は“逆賊の弟”云々などというアイオリアの背景など気にせず、ただ聖闘士としての実力を純粋に認め、接してくれたという。そして、弟子の星矢にも稽古をつけさせてやったのだと。
 そんな中で、アイオリアは兄の教えを確かな自らのものとし、更に星矢へと渡したのだろう。
「そうと知った時の俺の歓びが如何ほどのものだったか……解ってくれるか」
 そうして、また星矢からは女神が信じた他の青銅聖闘士達にも確実に……。
 それは、きっと、彼ら若者達から次代の聖闘士へと受け継がれていくことだろう。

 聖闘士としてのアイオロスにとっても、正しく夢の如き未来だった。
 それも全て、背中に眠る弟が繋いだ夢だ。あれほどの逆境の中で、この弟は──美しい未来を大事に護ってくれたのだ。
 変わらなかった弟……。いや、本当は変わり続けたのだろうか。
 そうして、果てしない道程の末、アイオロスの知る弟と戻ってきたのかもしれない。
 様々な思いを抱きながら……。

 アイオロスは今一度、歩みを止め、十二宮の遥か下──刻々と深き夜の帳に包まれようとする聖域を見渡す。ここで、俺達は生きてきた。そして、これからも……。
 先刻、弟が自分の背中で見上げた夜空へと目を向ける。

光り輝く星々、連なる星座……

 あれらの星の導きにより、俺達は兄弟として生まれ、女神《アテナ》の聖闘士としての宿星を負った。
 それ故の生を、別れを、戦いを経て──再び手を取り合えた。
 全てを全うし、この世から去るはずが、神々の恩寵により、新たな生を得て、共に生きていくことができる……。その奇蹟を、幸運を、如何なる全ての神々にも感謝しよう。
「お前の…、兄であるという、幸運をも」
 背中に感じる温かな小宇宙と温もりに、安堵しているのは寧ろ、俺の方なのだろう。

 その確かな重さを、アイオロスはただただ噛みしめた。

「さて、早いところ戻るか」
 今夜は久し振りに、兄弟揃って、寝るとしよう。きっと……いや、間違いなく、大の大人二人が寝るには人馬宮の寝台はもう狭いだろうが、小さく丸まって、身を寄せ合い、互いの温もりを感じながら、夢を見るのも悪くはない。
 朝になったら、アイオリアは仰天するかもしれないが……。

 十二宮の階段を静かに下りていく兄弟を、星々の光が優しく照らし出していた。

おバカ続き^^



 てなわけで、『聖闘士星矢』TVシリーズのDVD制覇記念で、『お題』スタートです。ありがちな『聖戦後全員復活ネタ』ですな。
 書いてて、楽しい感覚が戻ってきましたよ。いやぁ、『鎧物』やら『兄弟物』は昔、散々に書いたんだよなぁ。結構、得意分野です☆
 あの頃のは悲劇だったけど、今回はハッピーエンドでいきたいね♪ っても、ここまで到達するには、この兄弟はジタバタするんだろうけどね。とりあえず、時系列上では最後の方の話なので、ハッピー☆
 『お題』についてはアイオロス・アイオリア、シオン・ムウ、ムウ・貴鬼の三組の師弟+『これから一応は師弟になるかもしれん』シオン・アイオリア登場ということで★

2007.02.23.

トップ 小宇宙な部屋