風 呂


パチン…
シャボンが弾ける音が、まるで夢が弾け飛んだかのように響く
その都度、一つ一つ消えていく美しき夢の如し……


「はぁ〜」
「あぁ〜。気持ちいいなぁ。なぁ、リア」
 ついつい零れる溜息に、のんびりとした声が隣から、かけられる。
「……兄さん。あのなぁ」
 吐息に湯気が混じる。
「朝っぱらから、風呂だなんて」
「いいじゃないか。昨夜、入り損なったんだから。たまには二人で、のーんびりと朝風呂に浸かるのも悪くはないだろう」
「のんびりしていられるか! 俺は今日は非番じゃないんだぞ」
「安心しろ、アイオリア。俺も非番ではない」
 そんなに胸を張って、言うことか。だったら、尚の事、ゆったりゆっくりとはしていられないだろうに!

 昨夜はとある事件(お題01『師弟』参照☆)のため、教皇宮で倒れたアイオリアは兄に引き取られ、その守護する人馬宮に泊まった。
 それは仕方がない。兄に背負われたまま、寝入ってしまった自分にも赤面するが、どうにも朝から調子が狂う。兄にもヒーリングを受けたらしく、目覚めれば、体の方はもう回復していたが、目覚めは最悪だった。
 懐かしい人馬宮の寝台で、兄の添寝付き(核爆)で熟睡し──そして、その兄に寝台の外に蹴り落とされての目覚めだったのだ;;;
 それも又、懐かしくはあった。遠い記憶の彼方の昔々、何度、同じような目に遭ったことか。
 昔も今も、兄はとにかく寝相が悪かった。それも夜間は静かなものなのに、明け方になると途端に悪くなるのだ。それで何度、泣かされたことかTT
 いつしか、明け方寸前、兄の蹴りが放たれる前に起床し、避難するようになったものだ。
 段々と、タイミングまで掴めてきたのか、ギリギリまで眠っていられるようにもなった。お陰で、その後、一人で寝起きするようになってからも、早起きだけはしっかり身に付いた。
 だが、今朝はすっかり忘れていた。というより、一緒に寝《やす》んだ感覚が抜け落ちていたか、単に勘が鈍ったか。久々に諸に蹴りを喰らっての目覚めだったわけだ。
 もしかしたら、起きているくせに、わざとやってるんじゃないか? と昔っから疑ったりもしていたが、どうやら疑りすぎだったようだ。全く、死んでも直らなかったとみえる。
 ともかく、文句をいいつつも、自宮に戻ろうとしたところを人を蹴落としたことを知っているのかいないのか、ケロッとしている兄に留められた。
 兄曰く、「風呂に入っていけ」と……。

「もういいだろう。俺は上がるぞ」
「だから、そんなに慌てなくても──」
「だーから! 俺は一度、獅子宮に戻って、出仕の準備をしなけりゃならないんだよ!」
 比較的、教皇宮に近い人馬宮より、四宮下の獅子宮に戻ってから、また登ってくるのは意外と時間を要するのだ。
 昨日は非番だったが、教皇シオンに用があり、教皇宮まで登殿したアイオリアは平服のままだ。これで、出仕するわけにはいかない。……のだが、兄はあっさりと問題解決してみせる。
「それなら、今日は俺の服を貸してやる。サイズも合うようになったもんなぁ」
「………」
「第一、昨日の今日だ。少しくらい遅れたところで、シオン様も文句は言わんさ」
 文句を言わさん、の間違いではないのか?
「そういうわけにはいかないだろう。それはそうと、兄さん。頼むから、シオン様に手を上げたりはしないでくれよ」
「心配するな。ちゃんと心得ているさ。平穏無事に話し合いで済ませるって」
「………………」
 何だか、全っ然、まーったく信用できないんですけど;;;
 自分が絡むと暴走しがちな兄には未だについていけない。
 甦ってみたら、もう二十歳を過ぎ、聖戦をも戦い抜いた聖闘士であろうとも、弟は弟。いつまで経っても、保護者気分が抜けないらしい。
 さすがに鬱陶しい……とまではいかないまでも、少々、ウザったい……(あぁ、言葉って難しい) とにかく、疲れる毎日だった。

 尤も、アイオロスにも、些か常軌を逸しているかもしれない?という微妙な自覚^^はあった。
 解ってはいるが、止まらない。坂を転がり落ちる岩のようなもので、何処ぞにぶつかって、弾け飛ぶこともままある。勿論、ぶつかられた方は堪ったものではなかろうが。
 当然、弟も含めた周囲の連中が引きまくっているのも承知している。
 アイオロス本人は“昔”とは全く変わってはいないつもりなのだが、対象《アイオリア》が変わりすぎるほどに変わっているので、印象がしっくりこないのだということは客観的意見の一つだ。
 多分、当事者達には永遠に理解できないだろうが。
〈こんなことでも、教皇とぶつかったら、また叛逆者扱いされるのかなぁ〉
 などと、洒落にならんことを考える始末だ。間違っても、アイオリアやサガの前では口にはできない。その程度の分別はあった。

 いきなり、ザバッと立ち上がったかと思うと、腕を引っ張られる。
「よしっ! アイオリア、背中を流してやろう」
「え…? い、いや、いいよ」
「遠慮するな。ホラ、こっち来て、座って」
 入れと言ったり、出ろと言ったり……本当に、この独特のリズムにはついていけないが、抵抗したところで、疲れるだけ。正に無駄というものだ。
 殆ど、無理矢理に湯舟から引っ張り出されてしまう。そして、鼻歌交じりで、背中をゴシゴシと擦り出す兄に、アイオリアは嘆息する。
 何がそんなに楽しいのだろうか。こっちは朝から、疲れてるのに。風呂に入ったら、もうちっと気分は解放され、体もリラックスするはずなのに?
 何にしても、兄に洗って貰うのも久し振りだ。幾らか気恥ずかしくもあるが、懐かしさが勝る。背中くらいなら、それもいいだろう。
「それにしても、本当に立派になったよなぁ。お前」
「……え?」
「あんなに小さかったのに……。背中は広くなったし、肩も腕もガッシリして……」
 余りに感慨深そうな言葉だったので、アイオリアも沈黙するしかなかった。
 残されて、一人きりで生きるしかなかった自分も辛く、悲しかったが、残していくよりなかった兄も、それは同じ……。或いは自分以上だったのかもしれない。
 兄のいなかった十数年を思い返すことは今でも辛いが、そればかりでもなかった。数は少なくとも、信頼できる友人はいたし、弟子のように弟のように思えた少年もいた。
 そして、亡き兄への迷走した思いも……。
 正直にいえば、恨み、憎んだことがなかったわけではない。だが、最後の最後に帰ってくる他なかったのが、兄との思い出であり、その教えだった。
 そうでなければ、アイオリアは獅子座《レオ》の黄金聖闘士として在り続けることもできなかっただろう。

 そうして、暫し過去を彷徨っていたが、気が付くと、アイオロスの手が止まっていた。肩越しに見遣ると、僅かに俯いているようだ。まさか、泣いているのか?
「兄さん?」
 いや、俯いているのではない。自分の肩越しに、前の方を窺っている。とゆーか、熱心な視線を“前の方”に感じる。そして、ポツリと一言^^;
「本トに立派になっちゃって☆」
「何の話だよっ!!」
 つーか、ドコ見て、言ってやがるっ!?
「ハハハハ♪ いやぁ、本トに感慨も一入《ひとしお》でなぁ。すっかり大人になってるから」
「俺には、兄さんが子供返りしているように見えるんだけどな」
 切実だ。幼い頃は七歳年上の兄は、既に立派な聖闘士であり、十分に大人にも見えたほどだが……。しかし、よくよく考えれば、落命した時の兄でも十四歳だ。十四といえば、今の星矢と同じではないか!? でもって、星矢の出身の日本でいえば、中学生★
 兄は兄で、背伸びをしていたのかもしれない、とも思える。
 そして、甦った今は──まともに年を重ねていれば、二十七、八歳のはずだが、その外見は二十歳のアイオリアと然程、変わらない。中味が反映されているとしかいえないだろう。
 はっきし言って、今や精神年齢は苦労人の弟の方が上だろう、というのが周囲の一致した意見だ。アイオリア自身、そう思わないでもない。
 お陰で、黄金聖闘士には双子座《ジェミニ》の他にももう一組、双子がいるのか? などという、とんでもない勘違いが生じているほどだ。黄金聖闘士に限っては守護星座が誕生星座にもなる。その異なる双子など、あり得んだろーが☆

 アイオリアの思考の迷走は放っておいて、アイオロスがまたゴシゴシを再開する。
「でもなぁ、アイオリア。お前と風呂に入るのが俺の夢だったんだぞ」
「風呂になら、ガキの頃、しょっちゅう、一緒に入ってたじゃないか」
「いーや! あれは俺がお前を入れてやってたんだ。そーじゃなくて、こう一緒に、背中を流し合ってだなぁ」
 熱く講釈に入る兄に、それはまた、細やかな夢だな……と思わないでもないが、事実、叶うまで十数余年を経たのだから、確かに感慨も一入だろう。
 そして、夢とは一つの面だけではない。
「要するに、今度は俺に兄さんの背中を流せと言いたいわけだ」
「おっ☆ さすがは我が弟。よく解ってるじゃないか。とゆーわけで、頼むぞ♪」
 どうも、そっちの方が夢とやらの本題だったとしか思えない。ザバザバと湯をかけられ、石鹸の泡を洗い流すと、追い立てるように退かされ、兄がその場を占領する。
 何が、とゆーわけなんだか。些か意味不明だが、叶えてやらない限り、風呂場から出して貰えそうにない。「ハイハイ」と兄の背後に回る。
「……」
 前に座る兄の背を見ると、不意に重なる情景に腕を止めた。もっと…、もっと大きかった兄の背を……。
「そういえば、昔、お前が俺の背中を洗いたがったこともあったよなぁ」
「そうだったか?」
 空惚けたが、それは今正にアイオリアが思い描いた過去の情景だった。
「一生懸命、洗ってはくれたんだけど、どうにも擽ったくってな」
 あれには参った、と笑う。「気持ちいい?」と聞かれて、返答に困ったと。
 懐かしい、優しい過去の一つに、胸が熱くなる。
「じゃあ、今度は擽ったくならんように、力を籠めて、擦ればいいんだな」
「あぁ、頼んだぞ。ってー! 全開じゃなくていいからな」
 慌てて、付け加える兄に苦笑したくなる。言うまでもないというか、幾らなんでも、聖闘士の力全力全開で擦ったら、皮膚が破れるだろーが。

 とにもかくにも、そうして、アイオロスの長年の夢は叶ったのだった。



「あ〜、気持ち良かったなぁ。また一緒に入ろうな、リア」
「……時と場合によるぞ」
 もう諦めているのか、アイオリアの言葉には力がない。だが、超御機嫌の兄はどこ吹く風。
「ホレ、着替えだ」
「…………兄さん。わざと、なのか」
「何がだ?」
「いや…、いいよ」
 天然、なのか。もう抗弁しても無駄に違いない。時間も惜しい。アイオリアは大人しく、渡された服に着替えた。

 その日の教皇宮には双子でもないくせに、双子のよーにそっくりな兄弟が同じ服を着て、出仕したものだから、一寸した混乱が生じたとか^^;

前振り☆



 予告通りに、『師弟』の続きにて、馬鹿話です。アイオロスお兄ちゃんが……可笑しなことになってます。どんな人か? がはっきり定まるほどに、原作にもアニメにも出てこないもんなぁ。
 PS2ゲーム『冥王ハーデス十二宮編』のPV見ると、何と兄弟対決も用意されているようで。当然、ボイスつきでしょう? ……今も、屋良有作さんなんだろうか。因みに新キャストでのラジオドラマ『黄金十二宮編』では兄弟とも旧キャストのままだけど。
 でも、TVシリーズで、声が決まった時はまだ、原作にも年齢設定とか出てなかったんだと思うんだが……。どう考えても、十四歳に屋良さんじゃ、渋すぎやね。アイオリア回想時の青年時代(これも変だぞ)大倉正章さんが当てていたことからも、絶対、アニメ版の年齢はもっと上になってると思う。(水晶聖闘士がカミュの弟子とかからも、そう考えられます)

2007.03.14.

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