十二宮から


 何度かテレポーテーションを重ねる内に頭は冷えた。いや、元々、冷え切っていたのかもしれないが。これ以上、己の内面に踏み込むと、身動きが取れなくなりそうなので、意識を逸らす。
 殊更に注意深く──敢えて、ムウの小宇宙を辿ることに注意を向けると、白羊宮にはいない。十二宮に近い闘技場で、ミロも一緒だった。いや、彼ばかりではない。
「……魔鈴とシャイナもいるのか」
 一度、足を止めたが、彼女たちもいつまでも避けているわけにもいくまい。
 闘技場にはかなりの人が集まっていた。とはいえ、二人の黄金聖闘士が訓練指導をしているわけでもない。少し離れた観覧席に跳ぶと、様子を見る。ムウの通る声が風に乗って届く。
「では、大まかな班分けは先の通りに。リーダーにはイーグル、オピュクス。他は白銀聖闘士から、二人で選出して下さい」
「私らがかい」
「申し訳ないのですが、黄金聖闘士《われわれ》には、そこまで関わっている余裕がないのです。とても、手が回らなくて……サボり癖のついている人もいますしね。──アイオリア!」
 気付かれていたか。いや、当然だな。
 だが、ムウの呼びかけに呼応し、辺りの空気は一変した。驚愕に畏怖、憧憬めいたものもあるが、何よりも纏わりつく困惑の波がアイオリアには堪らなく嫌だった。
 これならば、“逆賊の弟”と無視されていた方が正直、マシだった。今後はずっと、こんな状況が続くかもしれないと思うと、些かウンザリする。

 ムウたちのところまで跳んでもよかったのだが、ゆっくりと歩いて下りる。人の壁が割れて、道ができた。
 周囲の空気の固さなど、全く気にも留めずにムウが声をかけてくる。
「時間厳守で願いたいですね。遅刻ですよ」
「あぁ…。済まない」
 内心では別に自分がいなくても、事は動くだろうに、と思ったが、余計な言葉で、仕事に追われたムウを怒らせても仕方がない。
 尤も、察せられているらしく、ムウが(男とは思えぬほどの)柳眉を上げた。傍らで等分に二人を見遣ったミロが軽く嘆息し、話を逸らしにかかった。
「それより、アイオリア。お前、聖衣はどうしたんだよ」
 聖闘士はその宿星の証たる聖衣を聖域では常に纏っているものだ。聖闘士にとってはいわば、正装といえるものでもある。ミロは勿論、聖域に戻ってからのムウも黄金聖衣姿で通している。だが、アイオリアは聖衣をつけていない。
「獅子宮に置いてある」
 当然のように答えると、二人の黄金聖闘士はまたしても嘆息した。溜息をつかれるようなことだろうか?
「いや…、そうじゃなくて、何で、着けてないんだよ」
「何でも何も、俺は聖域では聖衣は──」
 言い止すと、再び空気が変わった。

 アイオリアは確かに聖域では常に聖衣をつけなかった。そう定めたのは教皇──いや、偽教皇たる双子座のサガだったのだ。
 長く“逆賊”と誹謗されたアイオリアの兄アイオロスには罪無きと証立てがされ、サガも亡き今、従う必要のない命であるはずだ。
 尤も、今では殆ど習慣にもなっているようだが、そればかりではないのかもしれない。
 聖闘士であることを示す聖衣……しかも、アイオリアの聖衣は獅子座の黄金聖衣だ。ずっと隠していたためもあるが、今更に威を示すような真似に思い、躊躇われるのだろう。
 とりあえず、今、この場で片を付けねばならぬほどのことでもない。
「では、各宮の撤去作業は午後から始めます。宜しいですね」
 解散、とムウが手を打つと、班分けされたグループが集団で動く。ただ、チラチラと遠巻きにアイオリアを見ている者が多かった。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 『十二宮の戦い』で、十二宮の半数ほどの宮の破壊度は相当に大きかった。何しろ、最強の黄金聖闘士と、それに立ち向かった青銅聖闘士との全力の戦いが繰り広げられたのだから。
 十二宮の各宮の守護結界はアテナ結界の要であり、しかも、守護者たる黄金聖闘士も半数に減じているのだから、結界の維持力も落ちている。せめて、各宮の修復くらいは急がねばならない。
 そして、今日、聖闘士や兵が各宮に入り、まずは瓦礫の撤去から始めることになっている。
「ムウのところは全然、壊れていないから、いいよなぁ」
「ですが、この際ですから、全面的に強度などを見直すつもりですよ」
「なるほど。さすがは修復師だな。聖衣だけでなく、建造物まで扱うのか」
「冗談を言っていないで、手伝って下さいよ。天蠍宮もそれほど、被害はなかったでしょう」
 二人の友人の会話を聞くともなく聞いていたアイオリアに、聖矢の師でもある鷲座の魔鈴が声をかけてきた。
「アイオリア、あんたのとこの獅子宮は私の班が受け持ちだってさ」
「え? あぁ…、そうか。宜しく頼む」
 実をいえば、『十二宮の戦い』後、魔鈴とちゃんと話すのも初めてだった。星矢と戦ったこともあるが、やはり弱音を吐いたことは思い返しても、些か恥ずかしく、要するに『合わせる顔がなかった』のだ。
 気のない返事に魔鈴が仮面の下で苦笑したが、横からムウの突っ込みも続く。
「宜しく頼むじゃないでしょう。アイオリア、貴方も一緒に片付けるのですよ。何しろ、自分で壊したんですから」
「……解ってるよ」
「全く。あんなになるまで、見境なく破壊しまくらなくてもいいでしょうに」
「悪かったよ」
 困ったように呟くアイオリアに、ムウも口を閉ざす。全く反論しようとしないアイオリアに、物足りなさを覚える。
 大体、アイオリアは言いたいことを──いや、言うべきことまで、呑み込んでしまう。己が意思を発し、押し通すことなども許されていなかったのだから、それも致し方なしか。

 十三年前に別れてから、先日の再会まで、直接に会ったことはなかったが、小宇宙による接触は続けてきた。真直ぐで実直、誠実な感触……。獅子座の守護星たる天空の光輪の如く、比類ないほどに美しい輝きの小宇宙の持ち主だというのに、実際、前に立った時の印象は余りに静かで、落差がありすぎた。
「おい、ムウ。仕方がないって。あの時のアイオリアは──」
 口を挟んだミロもそこで言い澱む。一々、説明するまでもないが、偽教皇《サガ》の幻朧魔皇拳に冒されたのはアイオリアにとっては正に不覚であり、思い出したくないことだろう。挙句に結界点まで吹き飛ばすような無茶苦茶な戦い方をするなどとは。
 幾らか狼狽えながら、
「あー、でもまぁ、磨羯宮みたいに全壊しなかっただけでもマシじゃないか」
 フォローになっているのか、全く怪しいミロの言葉にムウが眦《まなじり》を上げる。
「いっそ、その方が楽といえば、楽ですよ。瓦礫を全撤去した上で、一から宮を新築すればいいのですからね。中途半端に壊されると、強度に不安も残り、調べるのも面倒なことこの上ない──」
 自宮を壊したのはアイオリアだけではないのだから、少々どころか耳が痛い。
 それにしても、聖域に戻ってからというもの、老師の意をも汲み、黄金聖闘士の纏め役にもなっているムウの仕事は一気に増えている。それだけに他者との接触も増えることに他ならず、十年以上も弧絶したジャミールの奥地で過ごしてきたムウには負担になっているはずだった。
〈要するに、テンパってきてるってことか〉
 自分の不用意な発言のせいで、機嫌を損ねたことなど忘れている──というよりか、気付いてもいないとしか思えんが;;;
 何にせよ、少しばかり皆が不安定になっているのも確かだ。要たる黄金聖闘士には本来、許されないことだった。だが、
「──だったら、今からでも獅子宮も全壊させてやろうか」
 どことなく投げ遣りな態度で、アイオリアがとんでもないことを言うのに、居合わせた誰もが仰天する。さすがにミロが釘を刺す。
「お、おい。アイオリア。何てことを」
「ムウが言い出したことだ。全壊した方がマシだったと。だったら、壊してやろうかというだけのことだ」
「だけって……あんた、できるわけ?」
 残った者たちが一様に凍りついている中で、辛うじて自分を保っている魔鈴が、それでも、恐る恐るといった態で、窺うように尋ねる。
「残った柱を全部ブチ折れば、自然に崩れるだろう」
「あっさりと、そんな……」
 それでも、多分、アイオリアには可能なのだろうと思うと、やはり黄金聖闘士の力は隔絶しているのだと思い知らされる。星矢たちはよくも、こんな連中と渡り合って、十二宮突破を果たしたものだ。
〈……相当な代償を払ったけどね〉
 ズタボロになり、今もグラード財団の病院の集中治療室に眠る弟子たちを思うと、些か暗澹たる気持ちになる。

「で、どうするんだ。壊すか? それとも、修復で済ませるか」
 ムウに問うアイオリアは淡々としている。特に挑戦的でもなく、単に確めているだけだと解る。
 ムウもそれは理解している。それでも、ささくれるような感覚が消えることはなく、また一つ溜息をつく。
「……瓦礫の撤去をお願いします。今回は修復の方向で進めますので」
「解った。それじゃ、魔鈴。後で宜しく」
「え? あぁ。任せて」
 一つ頷くと、アイオリアは挨拶を残し、戻っていく。一足先に獅子宮に向かうらしく、十二宮の方へと歩いていく。
 その場の者のあらゆる視線が、その背中を追いかけたが、声をかける者は皆無だった。

「……ああいうことを、あっさり言う奴だったかねぇ」
「ああいうこと?」
「宮を全壊させるなんてさ、できるにしたって、普通言わないだろう。見なよ。皆、引いてるじゃないか」
 シャイナの言葉に辺りを見回すと、確かに不自然に固まった連中が多かった。余りに衝撃的な言葉から、まだ立ち直っていないのだ。
「そう、驚くほどのことでもないと思うが」
「あんただって、驚いていたじゃないか」
「俺はアイオリアの言葉らしからぬことに驚いただけだ。できないわけじゃないのは解っている。俺だって、その気になれば、天蠍宮を潰せるぞ」
「止めて下さい。そういう喩えは」
「あ、あぁ。悪い」
 どこか思いつめたようなムウの表情に、素直に謝る。頬を掻き、その見事な長髪をガシガシと掻き回すと、
「撤去くらいは監督ナシでも進められるだろう。魔鈴やシャイナたちだって、いるんだし。お前、今日はもう休んだらどうだ。星矢たちの聖衣の修復も並行していたのでは身が保たんぞ」
 そればかりは代わってやれる者がいないのが現状だ。できるだけ、ムウの負担を減らしたいと皆、心の底では思っている。だが、得手不得手もあり、どうしても、彼に頼らざるを得ない。せめて、と思う範囲で、ミロもアルデバランも協力を惜しまなかった。あのマイ・ペースなシャカですらが友人と見做しているためか、最低限のことは手伝っているほどだ。
 そして、アイオリアは──余り表に出ようとしないのは今も変わらない。ムウに対して含みがあるわけではなく、聖域全体への影響を考えているのだろうとは解る。
 だからこそ、全てが顕かになったとはいえ、未だに兄アイオロスの影に縛られ続ける友人を、夫々に案じてもいた。
 誰よりも、他でもないムウ自身が──……。

「そうですね。では、今日のところは後をお願いしても構いませんか」
「あぁ、任せろって」
「では、イーグル。オピュクス。彼の補佐も宜しくお願いします」
「あのな、ムウ…」
「アッハッハッ。本当に良い人選だよ、アリエス。心配しないで」
「宜しく頼まれるから、気に病まず、ゆっくり休みなよ。この際だからね」
「有り難うございます。では」
 少しばかり落ち込む蠍座のミロの背中を白銀聖闘士筆頭格の女聖闘士二人が慰めるように?バンバンと叩く音を聞きながら、ムウも十二宮へと向かった。
 それを見送ったミロの表情が一変する。見留めた魔鈴が苦笑する。
「あんたも苦労するね」
「全く……なぁ、魔鈴。こういう時は距離を置く方が賢明なのかね」
「あんたとしては放っておけないんじゃないのか」
 世話焼きな一面を彼女は知っていた。
「ムウが帰ってきたのはアイオリアにも良いことだと思ったんだ。実際、今も一寸だけだが、苛立っていたしな」
「それが良いことなのかい。険悪そうじゃないか」
 脇で聞いていたシャイナが首を傾げる。
「何も感じないよりは遥かにマシだろう。あいつが僅かでも感情を見せる相手は少ないからな。魔鈴、お前とか、星矢とかな」
「あんたは?」
「幾らかはな。でも、俺たちの前では絶対、怒ったり泣いたりしなかったからさ」
 今のアイオリアに必要なのは、そういう烈しさを伴う感情をぶつけられる相手だ。ムウならば、それを受け止められるに違いない。自分とカミュがそうだったように……。
 脳裏に甦る亡き親友の面差しを振り払うように頭を振る。
「まぁ、今日のところは撤去作業の方が先だな。できるだけ早く、片付けないとな」
 十二宮の再建はアテナ結界の要たる十二宮結界の修復に不可欠なものなのだ。
「頼むぞ、二人とも」
 表情を改めた蠍座の黄金聖闘士に、二人の白銀聖闘士も頷いた。


★        ☆        ★        ☆        ★


 聖域内では非常時でもない限りは、頻繁にテレポートするものではないというのは暗黙の了承となっている。数々のESPを操り、短距離テレポーテーションなどは苦もなく、大した消耗もせずに行えるムウだが、やはり幼少時より叩き込まれた規律には従っていた。
 ずっと聖域を離れていたのに『三つ子の魂百まで』とはよく言ったものだ。
 苦笑しつつ、ムウは歩きながら、この聖域で過ごした幼き頃を思い返していた。
 聖闘士の資質有りと見定められ、聖域に連れてこられたのは三歳頃だったか。

『今日から、私がお前の師となる』

 ESPの扱い方などは教皇シオンから教えを受け、人との関わり方を学んだのは幼馴染たちとの触れ合いだった。とりわけ、あの兄弟には……。

『弟と仲良くしてやってくれ』
『また、遊びにおいでよ』

 初めて会った、あの日──今でも、色褪せずに記憶に留まる輝いた時は、疾うに過去に過ぎない時でもあった。
 厳しくあろうとも、時には優しく髪を撫でてくれた人も、明るく笑いかけてくれた人も亡く……そして、向日葵のような笑顔の持ち主だった幼馴染さえもが消えてしまったに等しい。
 陽の光のように眩しかった笑顔は、今では月の光の如く密やかで、どこか淋しげなものだった。十三年もの長き時を“逆賊の弟”であり続けたがために、失われた……いや、奪われた笑顔が懐かしい。
 聖域の者はアイオリアの中に、その“逆賊の兄”の面影を見出し、彼を打擲《ちょうちゃく》し続けた。
 確かに、彼ら兄弟の面差しは良く似ている。だが、亡きアイオロスの面影など、恐らくは明瞭に覚えている者は殆どいないだろう。
 似た兄弟であったというだけで、十三年もアイオリアの中にアイオロスの影を見続けてきたのだ。

〈アイオロスが生きていた頃ならば、確かに似ているといえた。けれど、今のアイオリアの、どこがあのアイオロスに似ているというのだ〉
 嘗ては、兄弟共によく笑っていた。眩しく、鮮やかな笑顔が目を閉じれば、今も甦る。
 彼らもまた女神の聖闘士。いつかは女神のために、死地にも赴く時至れりとしても、あの二人は決して、最期の瞬間まで笑みを絶やさないだろうと信じられた。
 だが、その未来は失われた。周囲の者にまで力を与えた兄の豪快な笑みは消え失せ、弟もまた、輝くような笑顔など捨てた。
 今のアイオリアはあの頃のようには笑わない。そんなアイオリアは全く、あのアイオロスには似てなどいないではないか! 淋しげな微笑しか浮かべないアイオリアなど、全然!!

 だが、聖域から逃げ出した自分などに、誰を責める資格があるはずがないのも解っている。それでも、未だに悔しい思いを捨てられない。
 挙句に苛つき、当のアイオリアに当たるなぞ、最悪だ。
 我知らず出る溜息がどんどん重くなる。
〈やはり、疲れているな〉
 何でも器用に熟し、頼られてはいるが、慣れないことをしているのは変わらない。況してや、これほど環境が激変すると、知らず知らずの内に疲労は蓄積するものだ。
 余り早い内に横になったりすると、貴鬼が心配して騒ぐので、努めて何事もないかに振る舞ってきたが、悪循環にしかならない。
〈早く戻って、今日は休もう〉
 白羊宮を思い浮かべたその時、諸々の記憶やら感情やらが入り乱れた。僅かに気が緩んだ刹那、一気に意識が飛んだ。


 体が悲鳴を上げていた。そればかりか、頭痛が酷い。目覚めたものの、ぼんやりと天井を見上げ、ムウは疾うに忘れていた懐かしい痛みに顔を顰めた。
「……テレポーテーション酔い、か」
 力を上手くコントロールできなかった幼い頃は良く悩まされた。ずば抜けたESP能力を有していたがために、制御できずに無意識の内に跳んでしまうことが度々あり、その後は決まって、頭痛を味わわされた。
 まさか、今になって、そんな失敗を犯すとは思いもしなかった。
 それにしても、白羊宮まで妙な跳び方をして、貴鬼に助けられたのだろうか? あの子も一端にサイコキネシスは使うので、運ぶのに苦にはならないだろうが、弟子に迷惑をかけるとは師としての面子が立たない。心配もしているだろうし。
 ゆっくりと体を起こしたムウはちゃんとベッドに寝かされているのに、息をついた。
 最近は忙しさに感けて、師としての責務を半ば放棄していたが、弟子は良くできたもので、一生懸命に手伝いをしてくれている。お礼がてらに、ちゃんと指導もしてやらなくてはなるまい。
 などと考えながら、ベッドから下り、座った状態で目を上げたムウは違和感に漸く気付いた。
 殆ど物がない寝室──それは不思議ではない。何しろ、十三年、空家になっていた自宮だ。寝るだけの部屋には未だに大した物を置いてはいない。
 だが、弟子のための小さなベッドだけは用意した。それが、ないのだ。
 今更に気付く。此処は白羊宮ではない。
 ムウは残る疼痛に辟易しながらも、立ち上がり、寝室の外に出た。
 思い込みとは中々に怖い。気付いてみれば、すぐ近くに知った小宇宙があるというのに──寝室同様、物の少ない居住区だった。だが、壁面や天井の浮き彫り《レリーフ》には見覚えがあった。

 ガラガラッ…
 居住区を出た先の中央通路では、この宮の主たる黄金聖闘士が巨大な瓦礫をサイコキネシスで移動させていた。
「──気分は、どうだ」
「……余り好いとは、言えません」
「それはそうだろうな。無茶な跳び方をしたものだ」
 振り向いた獅子座のアイオリアが気遣わしげな目を向けてきた。
「一体、何処から跳んだんだ。まさか、あの闘技場ではないだろうな」
「十二宮の少し手前の広場辺りまでは歩いてきましたが……」
「無意識に跳んだのか」
「そのようですね」
 しかし、まさか獅子宮近くまで飛んでいたとは思いもしなかった。道理で、頭痛が酷すぎるわけだ。十二宮結界を越えてのテレポーテーションは不可能とされているほどなのだから、それだけ負担がかかったのだろう。
「お前のESP能力ならば、跳ぶだけならば、可能だと証明されたな。だが、意識を飛ばして、動けなくなるほどのダメージを受けるのなら、やはり、できない、のと同じだな」
「そうですね。二度とゴメンですよ」
 息をついたムウは改めてアイオリアを見返す。
「面倒をおかけしました」
「いや…。見付けたのが俺で良かったな。貴鬼だったら、今頃は大騒ぎだぞ。……他の者も動揺するだろう。牡羊座のムウが倒れたなどと、噂が広がったら」
「大袈裟ですね。そんな」
「大袈裟なものか。皆、お前を当てにしている。……些か、当てにしすぎているかもしれないが」
「貴方が言いますか。直ぐ逃げてしまう人が」
 少しだけ当てこすったのは幾ら熟しても減らない仕事にも閉口していたからだ。
 だが、口走った次の瞬間には後悔していた。友人の翠色の瞳に翳りが走る。
「済まないとは思うが、俺はやはり、表には立たない方が良いだろう」
「アイオリア、それは」
「確かに俺は“逆賊の弟”ではなくなったが、だからこそ、誰も、俺の顔を見たいとは思わない。理由が異なるだけで、それは変わらない」
 やはり淡々と、事実だけを告げる声は冷静そのもので、感情の揺らぎすら見えない。ムウには何も言えなかった。

 そう、アイオリアの周囲に人が寄り付かないという状況は変わっていない。
 嘗ては“逆賊の弟”と遠巻きにしながら、嘲笑し、侮蔑し、近付くことがあるとすれば、それは打擲のためだった。時には全く無関係なことでの腹いせをアイオリアで済ませる者もいたのだ。“逆賊の弟”は何をされようと、文句を言えない──そう信じるが故に。
 そして、今は──その過去がために、人々はアイオリアに背を向ける。間違っていた自分、偽りを信じた愚かな自分、無知だった自分……アイオリアを見ることで、突きつけられる己が弱さや愚かさと向き合えない者が如何に多いかという証明《こと》だ。
 それが人というものだ。だが、時間をかければ、人々の心も解《ほぐ》れてくるだろうとも思う。
 ただ、アイオリア自身は──そう簡単には変わらないだろうが。変われない、というべきか。
 もっとも、海界や冥界との『聖戦』も何れは、と囁かれる昨今だ。悠長な時間など、聖闘士たる自分たちにはないのかもしれない。
 それこそが『逃げ』なのだろうと、ムウは己を戒める。自分は目を背けまい。
 幼馴染の淋しげな微笑からも、遠くを見るような眼差しからも……。

「その代わり、裏方でやれることなら、何でもやるから、言ってくれ」
 その上、そんなことを真顔で言うのだ。密やかに溜息を零しながらも、了解してみせる。
「お願い、します。ところで、アイオリア。私はどのくらい、眠っていたのですか」
「三時間ほど、だな」
 では、午後の撤去作業は始まっている。今更のように、十二宮に普段よりも多くの人が入っていることに気付く。だが、
「イーグルたちはどうしたのです。貴方しか、獅子宮《ここ》にはいないようですが」
「あぁ…。魔鈴たちなら、磨羯宮に遣った。やはり人手が足りないそうだ」
 ムウはマジマジとアイオリアを見返す。
「……イーグルまで、遠ざけるつもりですか」
「ミロから報せがあったんだ。基礎の部分まで相当に崩壊しているようだと。宮の瓦礫を払わないと、はっきりはしないが、確認のためにも撤去は急いだ方が良いだろう」
「それで、獅子宮は貴方独りで片付けるのですか」
「目途が立ったら、戻ってくるだろう。それまでは独りでやるさ。何、PK《サイコキネシス》の良い訓練にもなる」
 苦笑してみせながら、作業を再開する。サイコキネシス自体はアイオリアもかなり強い力を持っているので、大きな瓦礫も難なく移動させ得るが、
「PKは、どうにも未だに不得手だ。細かいコントロールが効かなくてな」
 だから、訓練にもなると──七歳まで、アイオリアを師として指導したのは兄アイオロスだった。ムウの記憶ではESP訓練には然程、力を入れていなかった。
 そして、その兄を亡くしてからは指導する者はいなかったはずだ。小宇宙の扱いにせよ、ESPにせよ、聖闘士としての戦い方の全てを──アイオリアは独り模索し、己を鍛えたのだろう。
 記憶に残る『兄の教え』を唯一の拠所として、見事に黄金聖闘士でも有数の戦士にと成長したのだ。
 そうして、己を磨くことだけは忘れない。それは素晴らしい姿勢だし、亡きアイオロスも安堵するとは思うが、反面では痛々しい。
 ただ、師を失い、独りジャミールの奥地に籠もった自分にもいえることだという自覚は薄い。

「……各宮の修復再建は急務ですが、今は守護者の健在な宮を優先すべきではありませんか。磨羯宮の破壊度がそれほど酷いのならば、寧ろ、獅子宮の修復を先に──」
「結界点だけは全て固定させねばならないはずだろう」
「それは……しかし、どの路、守護者のない宮の機能は停止させるのですから、やはり──」
「それでは、我々の負担が増えることになるぞ。俺は大丈夫だが、お前やシャカにはきついだろう。十二宮結界も偏りが出て、不安定になりかねない」
 確かに機能を停止されても、結界点だけは生きており、結界全体の力を纏めるために必要なものだった。
「ですが……」
 今回はアイオリアの方に理があるようだ。優先順位をつけ、尚且つ、アイオリアが独りでも効率を落とさずに作業できると言い切るのであれば、任せるよりない。
「動けるようなら、そろそろ白羊宮に戻れ。貴鬼が案じているぞ」
 アイオリア自身も気遣ってくれているはずなのに、突き放されているように感じてしまうのは何故か。唇を噛みしめた刹那、周囲の瓦礫が跳ね上がった。
「──ッ!?」
 さすがに驚いたアイオリアが身構えるが、大小の瓦礫が轟音とともに、そこらに転がった。幾つかは弾けて、更に砕け散る。
「おい…、何の真似だ」
「別に。私だって、癇癪を起こす時もあります」
「癇癪って……せめて、外でやれ。獅子宮《うち》まで基礎にヒビ入れる気か」
 些かズレた文句を言うアイオリアに、ムウの不機嫌さは募る一方だ。 その気配を感じたか、溜息を零しつつ、獅子宮の守護者も髪を掻き回した。
「どうしたんだ。今日はやけに突っかかるじゃないか」
「本気ですか」
 口の中で苦々しく呟く。この辺は一本気というか、婉曲という言葉を知らないような男だ。確かに本気なのだろう。それはそれで、腹が立つ。
 それも口にしたところで、今のアイオリアには多分、届かない。そう思うと、悔しくもあり、意趣返しをしてやりたくなる。

「ムウ?」
「アイオリア、PKは今も苦手なのですね。一つ教授しましょうか」
「何?」
 先刻よりも更に強大な力の発現。辺りの瓦礫が全て、高々と持ち上げられる。
「ムウ!?」
 意図を察したアイオリアの動きに一瞬、逡巡が走る。跳んで逃げるのは可能だが、その場に大穴が開く。弾けさせれば、壁やら天井にまで更に傷が増える。
「く──」
 アイオリアからもサイコキネシスが発動される。それはムウに直接、向けられたものではなかった。彼の周囲にシールドのように張り巡らされた思念の波に捕えられた瓦礫が片端から消える。瓦礫は次々とアイオリアを襲う。
「つ……」
 ESPではやはり、ムウの力は図抜けている。しかも、不意打ちに近かったので、態勢を完全に整えられなかった。瓦礫をテレポートさせながら、衝撃を完全に受け流すのは難しく、足下が揺らぐ。
 取り巻く思念の波がのたうつように揺れるのを見て取り、ムウは『攻撃』を止めた。残った瓦礫がその場に落ちた。
「────」
 片膝をつき、大きく息を吐き出し、睨んでくるアイオリアをムウは静かに眺め遣る。挑発したつもりだったが、これでも激昂しないのか。
 昔の、幼い頃のムウの知るアイオリアはもっと、直情的だった。
 いつまでも、子供のままでいるはずもないのは確かだが、それにしても、今のアイオリアは感情を抑えすぎている。問題は、苦労して抑えているのではなく、自然なまでの習い性になっているということだ。
 もう少し、揺さぶってみるか。

「貴方のPKに対しての苦手意識はどこから来るのでしょうね。PKも小宇宙同様、精神力が制御の鍵。黄金聖闘士でも小宇宙の制御能力では随一といわれる貴方が、PKは苦手などと……説明がつきませんね」
「知るか。苦手なものは苦手だ」
「それで済ませるとは益々、貴方らしくもない」
 苦手ならば、克服するために、努力するのが獅子座のアイオリアではないのか。先刻とて「PKのいい訓練になる」と言っていたではないか。
 だが、やはり答えず、膝の埃を払い、立ち上がった。そして、ムウを見もせずに、
「体はもう大丈夫のようだな。白羊宮に戻れ。俺にはまだ仕事がある」
「……解りました」
 喧嘩をするつもりなどはなかったが……いや、喧嘩にもなっていない。直ぐに一歩二歩と退いてしまう相手では滑稽なくらい、独り善がりにしかならない。
 密かに溜息を零し、獅子宮を出る。今はこれ以上、話しても進展などあるはずもなかった。

 獅子宮階下の広場には先刻、アイオリアがテレポートさせた瓦礫の山が堆く《うずたかく》積まれていた。
「……これだけ扱えても苦手と言うんですからね。求めるレベルが高過ぎるんじゃないですか」
 無意識に、比較対象をムウやシャカなどにしているのかもしれない。
 十二宮の階段を下り始める背後でガラガラと音が響きだす。少々、荒っぽくもある音には幾許かの苛立ちを感じさせた。
 懐かしい笑顔──本当に、もう二度と望むことは叶わぬのか。



 十二宮の中腹辺りにある獅子宮から、玄関口たる白羊宮まで下りるにはそれなりに時間がかかる。つらつらと考え事をしていたためか、大した時間とは感じられなかったが。
 途中の巨蟹宮、双児宮での作業を脇に通り過ぎ、金牛宮でもアルデバランと少し話をしただけだった。
 白羊宮には貴鬼の他に出迎えた者たちがいた。聖闘士候補生の面々だった。
「撤去作業を手伝いたいと?」
「ハイ。今日は俺…、私たちは自主練なのですが、こちらの人手が不足していると聞きました。ですから、どうか手伝わせて下さい」
「それは助かりますが……。しかし、候補生《あなたがた》の管轄は確か──」
「今はイーグルの魔鈴さんとオピュクスのシャイナさんが」
「そうそう。今日はあの二人もこちらに出向いていますからね。ですが、自主練の命は出ているのでしょう」
「ハイ」
「ならば、貴方方の本分としては修練に励むべきではありませんか?」
 正論を説くと、候補生たちは一様に言葉に詰まった。だが、一人だけ食い下がってきた。
「ですが、アリエス様! 俺たち、まだまだ未熟もいいところで……このまま聖戦になっても、どれだけ役立てるか。それまでに聖衣を得られないかも、しれないし」
 幾らか気弱なことを言うが、冷静なモノの見方だとも思う。確かに彼らは──間に合わないだろう。
「だから、せめて、今できることをやらせて下さい。お願いします!」
「お願いします!!」
 一斉に頭を下げてくる。その上、貴鬼までが、
「ムウ様。オイラからもお願いします」
 彼らの懸命さに思うところでもあったのだろう。それを眺め、
「そうですね。では、お願いしましょうか」
「本当ですか!?」
「えぇ。イーグルとオピュクスには私から伝えておきますので、今日はこちらの作業に加わって頂きます」
「やった!!」
 多分に普段は立ち入りを許されない十二宮に入れるから──そんな好奇心もあるかもしれないが。

 後は四十人ほどの候補生を何処の宮に割り振るかだが、ムウはそれを問題とはしなかった。今現在、たった一人で黙々と片付け作業中の宮があるではないか。
 但し、送り込み先はサッサと即決したが、彼らだけで上げるわけにもいかない。やはり、自分が連れて行くしかないだろうか。半ば、嫌がらせにもなっているので、彼と顔を合わせるのもどうかと迷ったが、そこにミロが下りてきたのだ。
 正しく、渡りに舟とはこのことか。
「どうしました。何か問題でも」
「いや。大体の様子が掴めてきたから、途中報告しておこうかと思ってさ」
 休むとは言っても、気になって休めないかもしれないだろう。ミロが雑ぜ返すと、ムウも苦笑する。大体、こちらの用件ではミロが来たのを幸いと思いながら、反面では「問題か?」と即連想する辺り、大概だ。
「一番、酷いのはやはり磨羯宮だ」
「基礎まで相当、酷いと聞きましたが」
「アイオリアにか? そうなんだ。ありゃ、再建するとなると、かなり手間がかかるぞ」
「とりあえず、結界点だけ置くようにしましょう」
 その辺のやり取りはアイオリアと交した通りになっていると思い返す。ムウにも本当はアイオリアの言い分が正しいのは解っていたが、あの時は否定してやりたかったのだ。
 ムウの内心の葛藤など予測もできないミロは一通りの報告を済ませると、待機したまま、畏まっている候補生たちを見やった。
「連中、どうしたんだ」
「手伝いをしたいとのたっての希望で、有り難く受けることにしました。それで、ミロ。上に戻るなら、途中まで引率をお願いします」
「引率ねぇ。で、どこまで?」
「勿論、馬鹿みたいに一人で働いている誰かさんのところに、ですよ」
 途中で、その宮の経過もチェックしてきたミロも吹き出した。
「ハハハ、了解だ。しっかし、肝心の本人は了解するかね」
「候補生たち《かれら》の純粋なる思いを踏み躙ったりできると思いますか。あの真面目男に」
「できんな。よーし、皆。着いてこい」
「ハイッ」
 元気良く唱和する返事の主たちは初めて、足を踏み入れるだろう十二宮の階段を意気揚々と登っていった。
 ムウはその様を見送り、苦笑に肩を揺らせた。
「妙に似合いますね」
 意外と世話好きな性分が存分に発揮されている。
 彼の明るさが何よりも、救いになっていると思う。彼とて、一番の親友を失ったことは痛手だろうに、公の場では絶対に不敵ともいえる笑みを絶やさない。
 ムウは確かに黄金聖闘士の纏め役を負うようになったが、ミロやアルデバランが脇を固めて、ドンと構えていてくれるからこそ、務められるのだ。でなければ、十三年も聖域を離れていたような者を、幾ら黄金聖闘士だからといって、誰も仰ぐことなどできないだろう。

 感謝しつつも、小さくなっていく友人と引率される少年たちの姿を追い越し、十二宮を改めて見上げる。点在する各宮は上に行くほど、当然、見えづらくなる。教皇宮、アテナ神殿に至っては直接、目にすることも叶わない。
 十二宮の玄関口とされる白羊宮はいわば、境界──それ故だろうか。
 ともかく、その己が治めるがべき宮を、ムウは十三年間、留守にしていたのだ。いや、放棄していたといった方が正しい。離れるしかなかったとはいえ、幼かったムウにとっても、遠いジャミールでの孤独な日々は己が存在を揺るがすほどの『戦い』だった。
 亡き師から譲り受けた牡羊座の黄金聖衣だけが、“牡羊座のムウ”であり続ける縁《よすが》だった。
 そうして、長き時を経て、戻った聖域、そして、十二宮──留守にしていた時間など無意味であるが如く、白羊宮はしっくりと自分の居場所であると感じられた。
 この狭い世界が、ムウという人間の原点にも等しいのだと、笑いたくなったほどだ。
 それは多分、“逆賊の弟”と貶められながらも、聖域を離れなかったアイオリアも同様なのだろう。許されなかったとか、そんな周囲の思惑など関係なく……。
 同時に、周囲の思惑に翻弄され続けた彼は、これからは栄えある黄金聖闘士の一人として、逆に聖域を取り纏めていかなければならないはずだったが。
「今のままでは、難しいな」
 それどころか、アイオリアは今まで同様でも構わないと、思っているようだ。孤独を孤独とも思わなくなっているのは非常に問題だ。
 どうにか、引きずり出してやりたい。孤独という闇から、兄の名の影から……。


「ムウ様、大丈夫ですか」
 窺うように声をかけてきた弟子に、我に返ったムウは笑みを見せた。
「何です、貴鬼。唐突に」
「だって、ムウ様、ずっとボーッとしてるし」
「ボーっととは何ですか。ミロたちを見送っていただけですよ」
「でも…、ミロ様だったら、とっくに行っちゃってますよ」
 姿も見えないどころか、その小宇宙を改めて辿れば、金牛宮も越えているようだった。
「それに、ムウ様が白羊宮以外で眠るなんて、初めてだったから……何かあったんじゃないかって」
「アイオリアは何と?」
「話していて、一寸席を離れたら、眠っていたって」
「そうですか……」
 貴鬼を不安がらせないように、気遣ってくれたのだ。
「でも、ムウ様。いつ、獅子宮まで上がっていったんですか。オイラ、ずっと白羊宮《ここ》にいたのに、全然、気付かなかったですよ」
 それはアルデバランにも指摘されたが、勿論、適当に誤魔化した。『抜け道』の具合を確めたかったとか何とか。
「修行不足ですね、それは」
「えー」
 濡れ衣ではあるが、まさか結界を越えてテレポートした挙句、倒れたなどとは言えない。
 しかし、獅子宮の手前で倒れていたのは偶然か、必然か。それとも、当然なのだろうか。
「うだうだ考えていたからですかね」
「なぁに。ムウ様」
「いえ、何でも。戻りましょうか。今日の作業の指揮はミロに任せましたから、一息ついたら、青銅聖衣の修復にかかりますよ」
「ハ、ハイ。ムウ様。でも、あんまり無理しないで下さいね」
「解っていますよ」
 師弟は白羊宮へと戻っていった。中に入る際、ムウは一度だけ、十二宮を見返した。
 さて。アイオリアの反応はどんなものだろうか。
 あの少年たちの純粋な憧憬が、何かしらの契機となることを願うばかりだ。


★        ☆        ★        ☆        ★


 それはそれは思いっきり渋面を作るアイオリアに、ミロも苦笑する。
「どういうことだ」
「だから、こいつらの面倒、頼むな。ちゃんと指示して、使ってくれ」
「獅子宮《ここ》じゃなくてもいいだろう」
 ミロを引っ張り、候補生たちには聞こえないように耳打ちするが。
「此処だって、いいだろうが。大体、他の宮には既にそれなりの人手を送り込んでいるんだ。一人でやってるのはお前とシャカくらいだが……」
 シャカも「無用」の一言で、余人を自宮に入れずにいる。そのシャカに「子供の面倒を見ろ」というのも無茶な話だし、候補生などでは、あの乙女座の前に立っただけで、蛇に睨まれた蛙の如く竦んでしまいそうだ。
「お前だって、連中にはよく訓練指導していたじゃないか。同じ調子で、指示すりゃいいだろう。お前も楽できるし、手伝いたいって連中の希望も叶えられる。一石二鳥じゃないか」
 それ以上、反論の言葉が出てこない。チラと候補生たちを見遣ると、テラス下の一つ場所に集まり、頬を紅潮させながら、指示を待っているのだ。
「じゃ、俺は上に行くから、頼むな。四十人もいるんだ。魔鈴たちは戻さないぞ」
「…………」
 最早、何を言う気力もない。頬を引きつらせながら、獅子宮を駆け抜けていくミロをアイオリアは見送った。

「あの…、アイオリアさん」
 一人がオズオズと声をかけてくる。その呼びかけに、他の者が反応する。
「お前、また。さんじゃなくて、様だろ」
 ぼんやりとだが、覚えている。前にもそんな、どうでもいいような論争をしていた。
「無理に呼ぶ必要はない。前のように呼んでくれて、構わないぞ」
「ほ、本当ですか」
「あぁ、その方が俺も気が楽だ」
 少年たちが目に見えて、嬉しそうに顔を綻ばせる。
 少年たちには元々、悪意がなかったから、言い換えられるのも気にはならないが、散々、罵倒してきた相手が無理矢理、畏まるような姿を見るのは中々、苦痛だったのだ。殆どは用がない限りは近付いてこないが、中には無神経な者もいるわけだ。
 それこそ、どうでもいいことか。候補生たちならば、ミロの言う通り、訓練指導のつもりで、相手をすればいいのだ。
「それじゃ、手伝って貰うか。PKが得意な者は」
 一応は特性を考えて、班分けする必要があるだろう。中には実際に指導した者もいるので、アイオリアは四十人を十人ずつの班に分けた。
「でかい瓦礫は遠慮せずに砕いていいからな」
「再利用とかしないんですか?」
「構わない。どうせなら、お前たちの鍛錬も兼ねた方が良い。くれぐれも、小宇宙の使い方を間違えないでくれ」
 余計な穴を増やしたら、またムウに文句を言われる。それだけは勘弁して欲しかった。
「それじゃ、作業開始だ」
「ハイッ」
 少年たちは元気よく、獅子宮内へと駆け込んでいった。
 そして──壁やら床やらに穴は開いているわ、柱は折れているわ、天井まで崩れて、所々空は見えているわ──余りの荒れように仰天するのだ。
「ア、アイオリア様が本当にコレ全部、やったのか」
「幾ら何でも、やり過ぎじゃ;;;」
 やはり、黄金聖闘士は凄い……色々な意味で、スゴい。素晴らしくも恐ろしい存在なのだと、実感する少年たちだった。


 ともかく、人々の不眠不休の働きにより、十二宮の修復再建は為されていった。
 但し、人の心が受けた痛手は早々に回復するものではない。
 どれほど、毅き心の持ち主であろうとも……。



 『お題』後半戦突入です。なのに、いきなり暗い?話だなぁ。19『失ったもの』で、跳んだ先が冒頭になります。『再出発』のための第一歩を踏み出すのを、まだ躊躇してる感じですかね。
 周囲も気を揉んでいて、ちょいとギクシャクしてますが、アイオリアも別に迷惑がっているわけじゃない。うちの黄金聖闘士は押しなべて、仲が好いから☆
 仲が好いというか、『普通の友人』なアイオリアとムウの話は滅多に読めませんので。ドコ行っても、大抵は険悪なのには溜息が……。(色々な見方もあるわけだし、人夫々の捕らえ方ですが、そんなんばっかだと、一寸悲しい)
 自分が暴れた戦いの直後なので、特に自制しているためもあって、今回のアイオリアの大人しいこと! これが段々と『言いたいことを言う』ようになっていくわけです。相手は限られるけど。

 今月は獅子座誕生月にて、記念に『すこやか獅子祭れ!』への参加作品ともなります。別の意味で、ちっとも、健やかじゃない気もしますが……ちゃんとした誕生日話も考え中♪

2007.08.08.

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