旋  律

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 この数日、同僚の様子がどことなく、おかしいのには皆が気付いていた。
「レオン、どした。食欲ないのか」
 遂に切り出したのはやはり、マイクだった。
 軽くこみかめを押さえていたレオンが弾かれたように顔を上げる。いつの間にか、食事の手が止まっていた。
 見れば、レイヤー隊長やアニタも少し心配そうな目をこちらに向けている。
「夏バテか? 具合悪いんなら、軍医に診て貰った方がいいぞ」
「別にそんなことはないよ。……ちょっと、考え事をしていただけさ」
「まさか、レオン。また何か、問題でも起きているのか。その……あちらの方で」
 レイヤーが言葉を濁した「あちら」とは情報局のことだ。
 レオンが情報局の、それもジャブロー直属の諜報員であるのを明かしたのは数日前、クリスマス翌日のトリントン防衛戦に際してだった。
 その事実を知るのは『ホワイト・ディンゴ』でも三人の戦闘メンバーとミデア機長ら何人かのスタッフだけだが、それだけでも、レオンにとっては重大な違反行為を犯しているのだ。
 それこそ、軍法会議の被告席に立たされても仕方がないような……。厄介なのは他にそれを知る者も巻き込みかねないことだ。
 時期が時期で、一致しているだけに、原因かと思ったのだが、レオンは笑って、手を振った。
「いえ、隊長。今のところ、例の部隊の件以外に心配するようなことはありません」
 トリントンで交戦した敵特殊部隊『マッチモニード』の残党はまだ見付かっていない。
「じゃあ、何を考え込んでいたわけよ」
 中々、鋭いアニタの突っ込みに、言葉を詰まらせるレオン。大抵はサラッと流してしまう彼には珍しい。いよいよ、『何か』あると考えざるを得ない。
 レイヤーも手を置くと、改めて部下を見つめ直す。少し精彩を欠いているように見えるのは気のせいではないはずだ。
「レオン、本当に──」
「大丈夫ですよ、隊長。何も…!」
 瞬間、顔を顰める。浮きかけた手は、だが、三人の視線に宙で止まる。……全くもって、遅かったが。
 三人三様に問い詰められ、白状させられる。
「近頃、どうも……耳鳴りとでもいうか」
「おいおい、それのどこが大丈夫なんだ。やっぱり医療班に行こうぜ」
「いや、ちょ…っ。違うんだ、マイク。そんな感じだけど、上手くは言えなくて……」
「何か聞こえるのか?」
 とてもではないが、理路整然とは程遠い言葉をレイヤーは何となく理解した。
 困惑気味にレオンは頷く。
「アニタには聞こえないのか?」
「いいえ、何も。気付かなかったけど」
 ソナーオペレータとして、抜群の聴力を誇るアニタでさえ、捕らえられないものを何故、レオンが聞き取ることができるのかも不思議だが。
「どんな音なんだ」
「音というよりは、歌に近いような……」
「それってさぁ。よく知ってる歌が頭ン中を回ってるって奴じゃないの」
「いや、そんなに歌らしい歌じゃない。酷く単調なリズムで、ラ、ラって……それだけなんだが、不意に響く感じで」
「幻聴かしら。やっぱり疲れてんじゃない? レオンも色々と抱えているわけなんだし」
 としても、幻聴が聞こえるというのは芳しくはない。耳鳴りにしても、パイロットとしての任務を思えば、問題ではある。
「やはり一応、診察を受けるべきだな」
「ですが、隊長──」
「これは命令だ。……外野の目が気になるというのなら、捻挫とでもいって、足を引きずっていけばいい。医療班の連中は口が堅い」
 パイロットが不調に陥るというのは士気にも関わるデリケートさを含む。隊にとっては作戦時の死活問題ともなる。
 レオンは大人しく承諾し、レイヤーに付き添われ(肩を借りる真似をし)て、医療班での診察と検査を受けた。通常レベルのものだったが、その限りでは特に異常は発見されなかった。
 結局、暫くは様子を見ることとなった。


 二日ほどを置いても、レオンの症状は治まらなかった。
 その“歌”とやらは四六時中、聞こえているわけではないという。それだけに前触れもない突然さが意識を揺さぶるような“響き”を与え続けていた。
 自然、夜は眠りも浅く、寝不足となれば、昼の集中力も落ちていく。
 “歌”が聞こえるようになってからも出撃はしている。反抗作戦の最終局面を迎え、大して間を置かずに命令はくる。これまでは何とか凌いでこられたが、そろそろ負担になりつつあるのを認めないわけにはいかなかった。
 とはいえ、原因不明では対処のしようがない。

 この日、次の出撃スケジュールの確認待ちで、レイヤー隊長が戻るのを戦闘メンバーもMS整備場《ガレージ》の一角、ブリーフィング・ルームに充てる部屋で、待機となっていた。
 尤も、室内には入らずに思い思いの場所にいる。マイクが例によって、愛機“ジャクリーン”の整備に首を突っ込んでいるとか。
 レオンはブリーフィング・ルーム入口横に置かれたベンチに座り、気を紛らわせるつもりで、パソコンを開いていた。整備の喧騒の最中での読書にも慣れているが、今日は特にこの喧騒が“歌”をかき消してくれるのでは、と期待したのかもしれない。
 だが、目は画面に向けられていても、字を追うどころではない。苛立ちを押さえられずに、結局は電源を落とした。
 パソコンを横に置くと、両手で顔を覆い、深く息をつく。酷く神経がささくれているようだ。全く、こんなことは初めてだ。
「レオン、またか?」
 幾らか控え目に、十分に気遣わしげに、だが、確めるように窺うのはジャクリーンに引っ付いていたはずのマイクだ。寄ってくるのに、気付かなかった。
 物憂げに面倒そうに答える。
「…………大丈夫だよ」
「とは、とても見えないぞ。もう一度──」
「必要ない。多分、無駄だ」
 診察を、との言葉を呑み込むよりない。第一、「無駄だから、必要ない」とはどういう意味だ。
「んなの、受けてみなけりゃ、判らんだろう」
 気遣いは十二分に理解している。なのに、煩わしくて仕方がない。それ以上に、そんな感じ方をする自分が不可解だ。
 元来、感情の起伏が乏しいレオンは何かしらの精神的圧迫を受けたとしても、感情を乱されるようなことはなかった。
 そう、理性でも思考でもなく、感情が侵食されている。
 自分はどうなってしまったのか。あの“歌”が聞こえるようになってからで、符号はするが、そのせいだとしても、何故、自分にしか聞こえないのか。一体、アレは何なのか?
 何か出てくるのなら、診察を受けもしよう。だが──無駄であるのは間違いなかった。
 そんな確信も勘に過ぎない。レオンにとって、そういう“カン”は厄介なほどに無視できない代物だというだけで……。
 こればかりは説明しようも、納得のさせようもない。ただ、放っておいてほしかっただけだ。
 精神的余裕を失っているレオンが思考にハマれば、反応がなくなる。
「おい、レオン。やっぱり──」
 不安にかられたマイクが無理にでも、医療班に引きずっていこうかと手を伸ばした。
 その腕を取って、数瞬を置き──『事件』が起こる。

 『事件』発生の僅か前、レイヤー隊長は整備場に戻っていた。
「隊長、決まったのかい」
 真先に声をかけてきたのは整備士長のボブだ。 出撃スケジュールに合わせ、追い込みをかける。選択する装備も、念入りな最終チェックが行われることとなる。
「明日の午後にね。詳しい作戦内容はこれを」
 レイヤーは整備班用のファイルを渡す。
「早急に装備選定を頼みます」
「OK、隊長。何にしても、整備は完璧に仕上げてみせるさ。心配せんでくれ」
 ボブはひとまず、整備兵たちにカツを入れた。
「心配は別にあるようだがなぁ」
「──レオンのことですか」
「まぁ、レオンも人の子だ。調子の悪い時もあるだろうがな。しかし、幻聴ってのは案外、深刻じゃないかね」
 レイヤーには言葉もない。戦闘要員以外の『ホワイト・ディンゴ』隊員にも、既にレオンの異状は知れ渡っている。名誉のためにいえば、誰某の口が軽いわけではない。皆、第一線に立つパイロットの言動には意外と敏感なのだ。
 待機しているはずのレオンを探す。ブリーフィング・ルーム前のベンチに座っていた。そちらに向かおうとするマイクが視界に入ってくる。
「とにかく、ブリーフィングに入ります」
 装備が決定しない内は作戦目標や概要の伝達になる。尤も、作戦が決まった段階で、相応の装備案も付随しているものだ。また、整備班の選定にも絶対的決定権があるわけではない。時にはパイロットの側から、戦法に準じた装備案を出すこともあり、最終的には合議の上で結論を出す。
 ブリーフィング・ルームまでの短い道すがら、今一人の部下が途中で並んできた。
「アニタ、オアシスはどうだ」
「絶好調ですよ。どんな些細な音だって、拾い上げられます」
「何だ、調べてみたのか? だが、オアシスのセンサーでは人間の耳と比較にはならんだろう」
「ひょっとしたら、って思ったんですけど」
 人間の耳の可聴範囲から幾らか外れた波長も単調なリズムに的を絞ってみたが、歌のように聞こえるものはなかったのだ。
「メニエール病でしたっけ? 普通の波長より高くズレて聞き取れるのは」
「それなら、検査に引っかかっただろう」
「ですよね。そうなると、もう打つ手なしですよ。……次の出撃、大丈夫でしょうか。明日ですよ」 
 そればかりは何ともいえない。何しろ、あの冷静沈着なレオンがたったの数日で、見ていられないほどに憔悴していくのを目の当たりにしながら、まず浮かぶのは「考えられない」ということだ。
 だからなのか? 何一つ有効な対処方法を見出せないのは。

『レオンも人の子だ。調子の悪い時もあるだろうがな』

 全くだ。当たり前のことをつい忘れてしまう。支えられるばかりで、助けられることに慣れてしまったのか。
 見えるはずのものも見えない。隊長として、部下に、僚友に何をすべきかも……。
 レイヤーもまた悩み、歩きながら、物思いに耽っていたが──そこで『事件』が起きた。

「──大丈夫だと言ってるだろう!」
 レイヤーとアニタの足が止まる。その怒声《こえ》に聞き覚えはあっても、咄嗟に納得できなかった。
 怒声といっても、大声で怒鳴ったわけではない。ただ、普段は聞いた覚えもない響きがあった。二人の視線の先では、ベンチから立ち上がったレオンが、オロオロするマイクを睨みつけている。
「い、いや。だけどさ、レオン」
「煩い…。余計なお世話だ」
 酷く剣呑な声は整備場全体に響き渡りこそしなかったが、近くにいた整備兵達は一様に、あんぐりと口を開き、仕事の手も止めてしまっている。無理もない。それほどに珍しい光景だ。
 『事件』は連鎖して伝わり、整備場から機械音が薄れ、騒《ざわめ》きが広がる。
 そんな雰囲気にもレオンは気付く余裕がなかった。レイヤーが歩み寄るまで……。
「あ、隊長」
 困り果てていたマイクが如何にも安堵する。
 頷いて見せたレイヤーは真直ぐにレオンを見つめる。マイクの言葉で漸く気付いたらしく、気まずそうに目を逸らした。蒼白な顔で……。
「レオン」
「大丈夫です。次の作戦は決まりましたか」
 動揺を押し隠すような早口は全くらしくない。それ以上に、まるで説得力もない。
「もう一度、今度は精密検査を受けよう」
 レオンが絶句する。だが、反発はしない。
 同じように気遣い、同じことを言っているのに態度に差があるなぁ、などとマイクは内心で僻んだものだ。人の手は振り払ったくせに。
「今の君の状態では明日の出撃は見合わせることになるかもしれん」
 それは『ホワイト・ディンゴ』がチームとして、活動できないことを意味してもいた。
「……了解りました。しかし、検査の必要はありません」
「レオン! 隊長の──」
「時間と手間の無駄だ……」
「そうも言ってられん。解っているだろう」
 パイロットが不調のため、出撃不能と判断されるには医療班の申請も必要だ。上へ報告しないわけにもいかなくなる。他のメンバーの扱いも考慮すれば、決定期限は短い。
 伏せられた顔から、掠れた問いが漏れる。
「出撃予定時間は」
「1130。最終ブリーフィングは二時間前だ」
「せめて、明日の朝まで待って下さい。それでも変わらなければ、仰る通りにします」
 その時はもう彼はパイロットとしての資格を失うかもしれない。だから、ギリギリの猶予を願うのだ。このチームの一員として、最後まで一緒に行動したいと望んでいるからだ。
 それはレイヤーだけでなく、マイクとアニタにも通じたらしい。
「いいだろう。レオン少尉、とりあえず、部屋に戻って休むことだ」
 レオンは頭を下げ、踵《きびす》を返した。衆人環視の中、その視線さえ無頓着なほどに振り払い、整備場を後にした。
「本当にいいんですか、隊長」
「私は……今ここで、レオンを失いたくはない。そうなれば、もうホワイト・ディンゴはチームではなくなる」
 二律背反的な心情だ。無論、彼のことは心配だ。一も二もなく、引きずっていってでも早く検査を受けさせるべきかもしれない。
 だが、乗り越えてほしいとも願っている。だから、待つのだ。結果は想像できないが、彼を待つ。何もできないのなら、せめて、信じて待つしかないではないか。
「隊長、どうしたんだい」
 異変を察したボブが小走りで、やってきた。
「心配ありません、おやっさん。皆に作業を続けさせて下さい」
 全整備員とはいわないまでも、ざっと半数は間違いなく、こちらに注目している。
「水臭くはないかね。整備の連中だって──」
「承知しています。だから、今は騒がずにいてほしいんです」
「フゥ…。何やっとる! 作業に戻れよ」
 溜息で済ませたボブの声に、我に返った整備班が動き出し、再び喧騒が渦巻く。
 レイヤーも息をつき、残る部下を見返した。
「マイク、アニタ。ともかく、我々だけでブリーフィングだ。……きっと、レオンは戻るさ。彼をフォローできるチャンスは中々、ないぞ」
「恩が売れますかね」
 そんなマイクにアニタが肘鉄を食らわせていた。

後編

初出『SHORT!』 2002年8月9日発行



 『SHORT!』に組み込まれた『曙光』の相方物語です。
 この話で書きたかったことは二点。一つは『冷静なレオンを引っかきまわす』こと。その辺は前編にも表れていますが、さて、その理由や如何に!?
 それが書きたかった二点目なんスがね。ヒントは『歌』です。案外、解りやすいかも?

2005.03.29.

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