旋 律
後 編 静かな、夜だった。 日が天空に輝く間は灼熱の砂漠も、夜は全く別の顔を見せる。 殆ど無風に近く、遠くでは砂が舞っているらしいが、辺りには物音一つなかった。 そう遠くない戦場も、今は睨み合っているだけなのか、攻防の閃光も轟音もない。 次の戦場に向かうべく待機中の将兵は眠りを貪っている。だが、レオンは眠れずに仮設宿舎を出た。 前線の移動に伴い、変化する臨時拠点に置かれる仮設宿舎は改造大型トラックで、食事も取れるのは幸いだった。だが、休息用の部屋数は少ない。 男女の別はあっても、個室を使えるわけではない。当然、レイヤー隊長もマイクも同室で、狭い部屋の両側に二段ベットだけが設《しつら》えられた寝るためだけの部屋だ。 二人とも消灯まで、「お休み」以外の声はかけてこなかった。ただ、不思議なことに腫物を触るような態度でもなかった。翌朝までの期限を迎えるための、彼らなりの方策らしい。 やがて、規則正しい寝息が聞こえてきた。 酷く羨ましく感じられる。だが、その寝息にすら時折、あの“歌”が重なり響く。それも耐えがたいことに、不協和音だ。堪らず、外に出たのだ。 ……砂漠の静寂とて無音ではない。“歌”はどんな音にも被さってくる。いよいよ、頻繁に煩いほどに奏でられる。 気が狂ってしまいそうだ。いや、いっそ、狂えた方が楽だろうか? レオンは初めて、本気でそんなことを考えた。 「……誰、だ? 何なんだ。一体、何が言いたい」 耳を塞ぎ、無意識に口走っていた。 そうだ。この“歌”は“誰か”が発している。 だが、何処で? 何の目的で? いや、本当に目的などあるのだろうか。 そうではなく、何らかの因果によって、自然に或いは偶然に、もしくは必然として……? 不意に“歌”の旋律が激しさを増し、思考が覚束無くなる。 膝が砂地に落ちる。両手が嘘のように冷えた砂を掴む。唐突に涙が溢れて、止まらない。 奔流のように押し寄せる“感情”に翻弄される。“歌”に込められた“感情”に漸く気付く。 だが、もう遅いようだ……。 「──レオン! しっかりしろっ」 誰かが背後から、引き戻すように叫ぶ。 誰だ? その時は本当に判別らなくなっていた。その何者の正体どころか、己自身のことさえもが。 レオン、レオン、と幾つもの声が彼の名を呼びかけてくる。そうだ。それが自分の名なのだと、乱された意識がその一点に収斂し始める。 それは遠い“歌”ではない。今この現実の、確かな実在の声。 己を手放しては駄目だと、いってはいけないと、必死な思いが込められている。 支える腕の持ち主をレオンは漸く認識した。 「……隊長?」 レイヤーだけではない、マイクもアニタも、すぐ傍らで瞬きもせずに自分を凝視している。 本当に心底から、心配そうな目を向けてくる。 そして、レオンも又、胸に痛みを覚えた。 彼らが心配するのは自分を“仲間”だと認めてくれているからだ。 その彼らに、“仲間”に不安な思いをさせたくはない──そう願っている自分にも気付く。 刹那、“歌”の旋律が別の意味を持つ。 様々な“感情”に溢れた美しい旋律に……。 悲しみ 喜び 嘆き 怒り 諦め 畏れ 願い 希う……
美しい旋律に、ただ“意識”を傾ける。 それだけで良かった。 そして、認る。 空を見上げる。煌きが撒かれた宇宙が……、 砂を見つめる。この静謐なる大地が、 奏でている、慟哭にも等しい“歓喜の歌”を……。 レイヤーがハッとするが、レオンを支える手は離さなかった。 一瞬、体を強張らせたマイクが辺りを見回し、戸惑い気味のアニタと目が合う。 「これが、“歌”なの?」 ラ、ラ… ラ、ララ…… La LaLaLa……… 三人は暫し美しくも悲しい旋律に聴き入る。 “歌”はやがて、星空に、砂漠にと吸い込まれるように消えていった。 その数瞬はまるで、夢のようだった。 「……! レオンッ」 我に返ったレイヤーは身動き一つしないレオンを窺い見て、言葉に詰まる。 「気を失ったの?」 「おい、レオン。──って?」 同じように膝をついた二人が見たものは、 「……こいつ、寝てやがるよな」 「そ、そのようね」 涙と砂で汚れた顔──確かに意識はなかったが、苦悶の表情ではない。静かな呼吸も正常だった。 盛大に溜息。九割方は安堵の息だが。 「何だよ、ったくぅ。人騒がせな」 「そう言うな、マイク。とにかく、このまま宿舎に連れ帰って、ゆっくり休ませよう」 苦笑を隠せないまま、マイクに手伝わせ、レオンを背負う。多少、荒っぽく扱われても目を覚まさないところを見ると、相当に深い眠りに落ち込んだようだ。最近、寝不足気味だったとはいえ、気配にさえ敏感なレオンには考えられない状態だ。 「よっぽど、疲れていたのね」 「でも、俺だと絶対に跳ね起きると思うぜ」 暗にレイヤー隊長だから、大人しく背負われているんだと言っている。 実際のところは解らないが、レオンを起こさずに済むのならと、好きに言わせておく。 「何だか、私も疲れたわ」 「俺も。早く横になりてー」 「……私もだよ」 色々とあったが、レオンはもう大丈夫だろう。 安らかな息と、温かい体温を背中に感じなから、レイヤーはそう信じた。 星と砂とが無音を奏でながら、彼らを見送る。 ★ ☆ ★ ☆ ★
陽が昇り、出撃を控えた朝がくる。
目覚めはいつもと変わらなかった。漏れ射す朝の光に自然と覚醒を強いられる。だが、意識が状況を認識するには僅かな間が必要だ。 そうして、体を起こしたレイヤーは向かいの二段ベッドを見遣った。上の段ではマイクがまだ夢の世界で遊んでいるようだ。 下の段に眠らせたはずのレオンの姿はなかった。 パシャッ… 夏とはいえ、相応に冷える夜の寒さで、奪われた熱を再び水が帯びるにはまだ早い。 この仮設宿舎ではシャワーも使えるが、盛大に水浴びするような場合は限られている。 昨夜の“騒動”で、服の中にまで砂が入り込んでいるままに、寝かしつけられたのには──まぁ、文句を言う筋合いではないだろう。 軽く息をついたレオンは改めて、空を見上げる。今日も熱くなりそうな真青な空……。 その彼方に、漆黒の深淵が広がっている。 あの“歌”は、正に彼方から降り注いだのだろう。 物思いは背後に窺うような気配を感じ、中断する。小さく苦笑が漏れた。 「──お早うございます。隊長」 「あっ、あぁ。お早う、レオン」 如何にも驚いた顔をする。それほど、昨夜までの自分が酷い状態だったという証だろうか。 レオンの述懐は大正解だった。 もう大丈夫に違いない、と信じてはいたが、レオンが振り向くまで、レイヤーも一抹の不安を拭いきれずにいた。だが、先に声をかけてきたレオンの声音も表情も、まるで何事もなかったような、常の穏やかさだった。 ただ、数日の憔悴ぶりが一夜で消えるはずはなく、幾らかやつれた面持ちが『ホワイト・ディンゴ』の眠れぬ夜が悪夢でもなかったと示す。 だが、かける言葉に迷い、間を繋ぐようにレイヤーも顔を洗う。冷たい水が心地好い。 先に戻らずに待っていたレオンが又、目を上げる。青空に何があるのだろう? 顔を拭いながら、視線を追うが、低空に棚引く白い雲の他には輝く日輪に煌く一面の青、蒼、碧……。特に変わったものはない。 だが、レオンはあの空に微笑んでいるのだ。 「どうしたんだ、レオン。また、何か?」 「あぁ…。いえ、何でも──」 言葉を濁らせたのは苦笑したからだ。全く似たような会話を何日か前にしている。 「済みません、隊長。かなり白々しいですね」 「大丈夫なのか、本当に? 例の“歌”はまだ聞こえるのか」 「えぇ。聞こえたり、聞こえなかったり、相変わらずですが」 あっさりと頷くのには些か唖然となる。昨夜のあの瞬間まで、散々に悩まされ、苦しめられていたとは到底、思えない反応だ。 だが、彼が乗り越えてしまったのなら、乗り越えられたのなら、何も言うまい。それだけで良いのだ。それに、気になることもある。 問いかけるでもなく、口を突いた呟きにはレオンも意外そうな顔をしたものだ。 「……あれは一体、何なんだろうな」 「隊長にも、聞こえたんですか?」 「マイクやアニタにもな。昨夜、ほんの一瞬のことだったが──君がアンテナのような役目をしたのかもしれないぞ」 ないともいえない。とにかく、“歌”が反響に反響を重ね、意識を食い尽くされるのではないかと絶望したほどだった。感情《こころ》が呑み込まれ、流されそうな“感情”を秘めていた。 「隊長には、どんな風に聞こえました」 「どんなって……。明るいような、悲しいような──矛盾しているようだが、それでいて、優しい感じがあった、かな」 思い出しながら、何とか言葉にしてみるが、どれ一つとして、それだけでは正しく表しているとも思えなかった。 「君にはどう──」 「そうですね。……生命への讃歌、でしょうか」 様々な“感情”はレイヤーの言うように明るさを持ちながら、悲しみにも満ちていた。 世界に対する怒りや嘆き──その果てに希望にも輝いていた。 総じて、“生命”を想う“歌”だったのだと、レオンは認識した。 何事かがあって、あの空の彼方、宇宙で……或いは宇宙そのものが“歌”を奏で、この惑星に呼びかけ、そして、地球もまた応えたのではないだろうか? そんな途方のないことさえ、考えたものだ。 「……生命への、讃歌か。こんな時代には夢のような話だな」 呟きつつ、レイヤーはレオンの言葉を疑う素振りすら見せず、何かしらの感銘を受けたような表情で、自身も空を、宇宙を見上げた。 とはいえ、気懸かりな不安もまだ残る。 「それにしても、レオン。まだ聞こえるのに、本当に大丈夫なのか」 「とは、見えませんか?」 「いや。だから、不思議なんだ。状況は変わらないのに、何故なんだ」 「気の持ちよう、ですかね。意味の掴めないもの、正体の解らないものには不安を覚える。……隊長にも経験あるでしょう?」 「皮肉かい」 レオンが情報局所属という身分を明かす前、正体不明の部下には散々、迷わされたものだ。 「しかし、本当に強いな、君は。結局、一人で乗り切ってしまった。まぁ、君が復調してくれたのなら、いうことはないがね」 己の無力さを実感し、幾分、溜息交じりになる。助けられるばかりで、苦しんでいる部下には何一つしてやれなかったとは……情けないにも程がある。 気分を察したのか、その当の部下が意外そうな顔をした。そして、苦笑する。 「レイヤー隊長」 「──ん?」 「有り難うございました」 「……え?」 「お陰で助かりました」 「…………は??」 「きっと、私一人では今頃は医療班の世話になっていました。本当に有り難うございます」 レイヤーは茫然とレオンを見遣る。言葉の意味が暫く掴めなかった。 「あぁ、マイクも起きたようですね。そろそろ、戻りませんか。朝食がてらに作戦の話も聞きたいですしね」 宿舎に向かうレオンは昨日のブリーフィングには参加していない。 にしても、宿舎からマイクが出てきたわけでもないのに、何故、判るのか? 何というか、更に鋭くなっていないか。 それも“歌”の影響なんだろうか。 そこで、先刻の謎の言葉が頭を過《よぎ》る。どうも礼を言われたような気が……。まるで、自分が彼を助けたような──そんなはずもないが。 我に返り、慌てて後を追う。 「ちょっ、一寸、待ってくれ。レオン」 「何ですか」 「私が、何か、したか?」 助けになるような、何かをしたのか。まるで、思い当たらない。問いかけも躓《つまづ》いた。 支えになりたい──願っても止まなかったが、叶わなかった。できることと、できないことがある、と自分を納得させるには情けなさすぎた。 なのに、レオンは礼を言う。 それとも、迷惑をかけたという思いからの謝罪なのだろうか。 レイヤーにとって、その答えは切実に欲しいものだった。 具体的な答えは直ぐには返らない。それとも、やはり儀礼的な言葉だったのか。 不安を、次の言葉が制する。 「時間を貰いました。今朝までの猶予を……」 信じて、待ってくれた──何よりの力だった。 信じて、待つ……それくらいしか、できなかっただけだ。それが何よりの助け? そこで、宿舎のドアが開き、マイクが飛び降りてきた。グッと伸びをする。 「う〜〜ん、好い天気だなぁ。あ、隊長。お早うございまーす♪ レオン、元気か」 「君ほどじゃないけどね」 「そりゃ、結構だね。面倒かけてくれたわりには、爽やかな顔してくれちゃって……ちょーっと、腹立つなぁ」 「悪かったね」 「それで済ます気かよ。ったく」 愚痴ってはいるが、特に怒ってはいないようだ。如何にもマイクらしい。 「さーて、顔でも洗って、サッパリしよ」 タオルを振り回し、レオンから離れる。すれ違い様、レイヤーと目が合ったマイクは肩を竦めた。ニンマリと笑いながら……。 不意に気付かされる。何のかんのと言いながら、マイクも『レオンを信じていた』のだと。その在り方が彼を救ったのもまた事実なのだと。 「……どうせだから、その内、皆に奢ってもらおうかな」 そんな、らしからぬ科白に珍しくも然も驚いたような顔が向けられる。だが、次には苦笑し、 「いいですね。それじゃ、是が非でも今日の作戦は成功させないとなりませんね」 レオンも又、らしからぬ科白で応じた。 他の宿舎でも人が起き始めたようだ。この拠点全体が完全に目覚めようとしていた。
「ホワイト・ディンゴ、出撃する」 幾度目になるのか、数えるのも忘れた出撃である。そして、後何度、この瞬間があるのだろう。この出撃で全滅でもすれば、話は別たが……。 「矛盾、しているな」 レオンは右手でメットの上から、耳を押さえた。あの“歌”が不意に流れる。 耳で聞いているわけではないのは、もう解っている。だが、つい手がいく。 生命を想いながら、戦闘に赴く。それが今の現実だ。この地上でも、あの宇宙でも……。 あの“歌”はあらゆる戦場で、人が負う“痛み”が発したものでもあるのかもしれない。 レオンは軍人であり、MSパイロットではあるが、殺戮を望んでいるはずはない。それはレイヤー隊長やマイク、アニタ……他の多くの軍人達の思いでもあると信じたい。 そう、敵も味方も双方に通じる思いだと……。 「こちら、オアシス。敵モビル・スーツ発見」 アニタの声とともに、情報がオアシスからGMへと流れ込んできた。
この戦争は間もなく終わる。終わらせる。 そのためにも、今『白き野犬』は熱砂の戦場を駆け抜ける。 《了》 前編
初出『SHORT!』 2002年8月9日発行
木霊する“歌”〜『SHORT』掲載フリートーク編集版
トリントン作戦日は12月26日。この話はその数日後から。宇宙でのソロモン陥落は12月24日……。つまり、レオンに聞こえた“歌”とは──解りますよね。 断り書きとしては別に『レオンがニュー○イプだ!!』とか、いいたいわけじゃないです。輝の解釈ではエスパー的発言はそれを可能とするマシン(サイコミュやバイオセンサー)の助けがあってのみとして、NTは単に『人の能力』を示している、とこれまでの作品でも書いてきました。今回も、その流れで、この話で書きたかったことの二点目でもあります。 コンペイトウ(ソロモン)で多くの人間がキャッチした『ラ・ラ』という音──“歌”は地球も届いていた、という解釈です。 とんでもない発想とも思えません。アムロとララァの共感の中に見えた宇宙や生命の姿に、生命体としての地球も反応、更には増幅させたものを、地上であっても、勘のいい人間なら、受け止めたかもしれない。こんな解釈も可能と思えます。 後日談として、レオン同様に“歌”を聞いた者がいた、との『報告』も考えていました。(スッキリしないので、そのエピはコピー誌でもカットしました。時間もなかったけど…) 語り手にレオンを選んだのはNTは全く描かれない、よりミリタリー・タッチの外伝小説で、唯一NTと絡められたのがレオンに関しての記述でもあったからです。尤も、あれはちとばかし無理に触れたような感じもありましたがね★(決して、お気にだからというだけでは^^;;;) ただ、オーストラリアでも『ニュータイプ』なる存在は一部では知られていたとは十分に考えられます。既に伝説的に語られ始めた『WBとガンダム』の逸話に付随していたんでしょう。そういえば、原典DCでも誰かさんが噂にしていたよーな^^ さて『いつも冷静なレオンを振り回す』──ということで生まれたぷっ飛び物語でした☆ 2005.04.07.
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