黄昏の夢

Dreams


 宇宙暦787年6月。
「ヤン先輩──いえ、ヤン少尉。ラップ少尉。卒業おめでとうございます!」
「少尉ねぇ。本当におめでたいのかな」
 卒業証書の筒で、ポンポンと肩を立叩きながら、少尉に任じられたばかりのヤン・ウェンリーは力なく笑った。
 同じく礼装に身を包み、筒を弄んでいるジャン・ロベール・ラップ少尉が澄ました顔で応じる。
「落第して、放校されなかったんだから、十分にめでたいだろうさ」
「そうですよ。中退しても、学費は払わなきゃならないんですからね」
 後輩ダスティ・アッテンボローの言葉は痛い点《ところ》を突いていた。学費《カネ》がないから、士官学校に進学したのだし、返す当てもないから、自主退学しなかった──いや、できなかったのだ。
 ヤンは憮然とするしかなく、天を仰いだ。
「よぉ、少尉殿方」
「──キャゼルヌ大尉」
 裏方のため、普段と変わらぬ制服姿の青年事務次長が歩み寄ってくるのに、年少の三人は敬礼した。
 さすがに既に大尉の身分であるキャゼルヌの返礼の方が、数倍も様になっている。
「何だかんだいっても、結構、見られるもんじゃないか。二人とも」
 二人の新任少尉は頭を掻くばかりである。
「ところで、ヤン。最初の配属先は統合作戦本部の記録統計室だったな」
「そう、ですけど?」
「実は俺も転任が決まってな。統合作戦本部の参事官補だ」
「それはおめで、と……」
「えーっ、そんなーーっっ」
 一名の素っ頓狂な声に二名の言葉が躓《つまづ》いた。
「ひっでぇっ。それじゃ、俺だけ置いてけぼりですかぁっ。ずっりーーっ!!」
「狡いって、あのね……」
「あ゛ーっ! 俺も二年早く生まれていればなぁ。あの馬鹿親父がっ。息子の将来を売るだけでなく、時間まで無駄にしやがって!!!」
 無茶苦茶、力説しているが、要は駄々を捏ねているだけだ。それでも、何となく微笑ましく思えるのは候補生の性格故か、士官たちの鷹揚さ故か。
 因みに、キャゼルヌは少佐に昇進の上の転任で、完全なる栄転である。
 任地が同じであれば、少なくとも一年間はこれまで同様、顔を合わせる機会は多かろう。
 さて、独り士官学校に(本人の弁によれば)取り残されることとなるダスティ・アッテンボロー候補生だが、一頻り騒ぐと気は済んだらしい。
 ガッシと先輩の手を両手で握ると、
「俺も精々、放校されない程度に悪さして、卒業しますから、待っててくださいね。絶対に何時か一緒に仕事しましょう」
「……アッテンボロー、何だか妙にやる気だね。軍人になんか、なりたくもなかったはずなのに」
「今だって、そうですよ。でも、軍も悪いことばかりじゃなさそうですからね。誰のお陰──いや、せいだと思ってるんですか?」
 同期の少尉がククッと肩を震わせる。
「観念した方が良さそうだな、ヤン。そこまで惚れ込まれちまったらな」
「解らないなぁ。何でなんだ?」
 ヤン・ウェンリー少尉は再び、空を仰いだ。
 初夏を招きつつある碧羅の天《へきらのそら》は晴れの舞台に相応しい真っ蒼な彩りを、彼らの頭上に広げている。
 その穏やかな青空の遥か彼方には漆黒の宇宙が広がっているはずなのだ。その深淵では火線が飛び交い、夥しい血が流されている。
 彼らは彼の地に赴く準備をしてきたのだ……。

 翌宇宙暦788年、中尉に昇進したばかりのヤン・ウェンリーは一躍、自由惑星同盟軍の英雄となる。『エル・ファシルの脱出行』を見事に果たした若き英雄と──……。
 多分に軍の誇大宣伝もあった。敗北した艦隊司令官が事もあろうか、庇護すべき民間人や指揮下の部下の多くを見捨てて、逃げ出した──不名誉を償い、覆い隠すためには『軍人の英雄』が必要だったのだ。
 そして、その栄誉を賜ったのが脱出行を指揮したヤン中尉だったわけだ。
 事実、三百万の命を救うとは称賛に値するだけの事績だが、当人の心情は複雑極まりない。
 それは彼をよく知る者にとっても同様だった。
 殊更に大騒ぎする軍部。先々年にヤンを送り出した士官学校でも、目もかけていなかったはずの教官が「期待通りだ」などと自身の先見を誇ったり、ヤンの名を上げ、説教の種にするのだ。
 ああいう輩が本当に調子のいい人間というものなのだろうと、アッテンボローは苦々しく思う。
 一方で、「あれはマグレだ」「運が好かっただけだ」と大声で言う奴もいる。それも面白くない。 たが、何よりも先輩の本来の志望を知るだけに気の毒でならなかった。口では何と言おうと、望む途を歩いていける方が望ましいには違いないのだから……。



「泣いてないんだろう? 独りの時ですら、お前、ちゃんと泣いてないな」
「…………だから、何だってんです」
 唸るような声が次には爆発していた。
「泣いて喚いて、先輩が生き返るんなら…、戻ってくるってんなら、幾らでも泣きますよ! でも、そんなはずないでしょう!? 死んだ奴は二度とは──泣いたって、そんなのはただの自己満足だっ。自分の愚かさを棚に上げて、悲しんだ振りをしている……そんなもの、欺瞞でしかないっっ!!」
「だが、俺は泣いたぞ」
 悲鳴にしか聞こえない、後輩の激しさを受け流すつもりでもなく、キャゼルヌは静かに続ける。
「オルタンスの前で、みっともないくらいに泣いた。俺だけじゃない。オルタンスも、シャルロットたちも──四人して、一晩中な」
「…………」
「イゼルローンにとって、艦隊にとっての司令官を失ったなんて問題じゃない。もっと個人的な、一般的なレベルに落としていいんだ」
 親しい友人を亡くして、悲しまない奴なんているか? 振りではないだろう?
「二度と、あいつとは酒も酌み交わせない。下手なチェスや毒舌合戦を楽しんだりもできない。ほんの先日まで、そうしていたのにな」
 昨日まで隣にいた人間が今日はいない──それが戦場の現実で、彼らはそういう世界に長く留まっていた。それだけに多くの経験がある。
 それでも、慣れることはないのだと……。
「マシュンゴがユリアンに恐れを感じたほどだと言っていた。ヤンを見つけた直後の激情は、それは凄まじかったと。あのシェーンコップですらがユリアンには愚痴を零したそうだ。ポプランのように一時的に内に籠もっても、目に見えるだけマシだ。だが、お前は……」
 物言わぬヤン・ウェンリーがイゼルローンに戻った時、出迎えた全員が衝撃の大きさに感情が麻痺したような状態だった。しかし、前述の如く、次第に負の方向であっても、動き始める感情を吐露させていくことになる。
 唯一人、ヤンの後輩にして、友人でもあったダスティ・アッテンボローを除いては──……。
 ヤン夫人に事実を、夫の死を伝えると、ユリアンにその役目を求めた際に至っても、アッテンボローは反応らしい反応を見せなかったのだ。ただ、ユリアンに「頼むよ」と告げただけで……。
「泣いてもいいし、怒ってもいい。それが感情の捌け口にはなる。それも必要だ。溜め込めば、今に動けなくなるぞ」
 一旦、言葉を切ると、ボトルを見遣る。
「いや、既にそうなりつつあるようだが」
 殊更、冷静に努めた口調に、アッテンボローの上体が揺れる。余裕のない、追い詰められた表情が酷く幼く見える。
 暫く、沈黙を全身に張り付かせていたが、
「…………でも、キャゼルヌ先輩が言うようなものじゃ、ないかもしれないんですよ」
 漸く、紡がれた声は信じがたいほどに掠れていた。
「十一年も戦場にいりゃ、いい加減、人死ににも慣れてしまうでしょう。同期の連中もかなり死んだし、部下も随分──敵だって、どれだけ殺してきたか」
「アッテンボロー、そう自虐的に言うな」
「でも、事実でしょう。どうしようもない現実で、今更、特別なことでもない。だから、この喪失感も純粋に先輩の死を悼んでいるのか。それとも、単に失望からきているのか──判断《わか》らないんですよ」
 ヤン・ウェンリーの死で、帝国に対抗する手段を消失したと見る者が、失望した者が多いからこそ、脱落者も大量発生したのだ。
 勿論、二人の交友をよく知っているキャゼルヌには、はっきりと前者だと言いきれる。ただ、アッテンボローが混乱しているのは確かだ。それ故、己の感情までも量りきれていないのだ。
 万事に大胆不敵で、好戦的ですらある、稀有な勇将と評される後輩だが、意外な脆さを今になって、知った気がする。
 息を整え、後輩を真正面から見据えた。
「それなら、どちらでもいいさ。ただ、現にヤンの死がお前をそこまで、打ちのめしているのは事実なんだからな。それだけでもいい。今ここで、吐き出しちまえ」
 そうすれば、己の心が見えることもある。
「ヤンがやろうとして、やり残したこと……。確かに成り行きに流された面は否定しないが、間違いなくヤンの遺志でもあるんだ。それを俺たちで果たそうじゃないか」
 説得する気はない。その酷く淡々とした語り口に後輩は唇を噛み締め、顔を伏せていく。
「人間は主義や思想のために戦うんじゃない。主義や思想を体現した人のために戦うんだと……お前が言ったはずだな。だから、残った連中は足掻き続けると決めた。足掻くために残ったんだ。だが、上辺だけではなく、決着はつけておかないと、本当に前には進めないぞ」
「──もう、十分です……!」
 それでも、表情を曝すまいとするかのように両手で目を覆った。その下から、涙が流れ落ち、抑えが利かない嗚咽は次第に大きくなる。
 キャゼルヌは小さく息をつき、グラスを揺らし、テーブルに置かれたままのグラスに軽く合わせた。

 ──ヤン・ウェンリーに……

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 リライトとはいっても、大筋は全く変わっていません。文脈やら表現やら、気になるところを直しているだけ。
 さて、多くの人々に多大な衝撃を与えた一つの死……。先輩後輩として出会い、15年来の友人でもあったはずのアッテンボロー。にもかかわらず、本文中には「頼むよ」と小さく告げたという他には、この時点での様子は全く書かれていないのが不思議といえば、不思議でした。
 その後も、本人の心情は直接的に書かれることはなかったようですし、間接的には幾らか散見されたかな、と。

2015.11.26.

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