黄昏の夢

Dreams


「これで四戦四勝か。大したものだな」
「向かうところ、敵ナシ!! ですね。ヤン先輩と俺が組めば♪」
 ラップの奢りである祝杯を掲げ、アッテンボローは鼻高々である。厭味ったらしくないのは持って生まれたお得な性格故だろう。
「アッテンボロー、調子に乗るんじゃないよ」
「だけど、俺がアッテンボローと組んでも、ヤンほどの相乗効果は出せないのも確かだよな」
 当人にはやんわりと窘《たしな》められたが、ラップの言葉に後輩は崩れそうな満面の笑みになる。
 ヤンが司令官役、アッテンボローが参謀役でのシミュレーションは驚くほどのコンビネーションを見せる。相手は翻弄されっ放しだった。
 ヤンはアッテンボローの特性を、アッテンボローはヤンの作戦を夫々に良く把握し、互いに最大限に能力を引き出し合っているほどなのだ。
 人的結合効果では『1+1=2』の数式が成り立たないことは多いが、この二人の場合は『1+1>2』であると教官らも等しく認めている。中には『1+1<2』という場合《こと》もあるのだ。
「将来、ヤン先輩が艦隊司令官に就任したら、是非、俺も呼んでくださいね。片手の親指人差し指くらいにはなりますから」
 片腕とは言わないところは、妙に謙遜気味な後輩だが、言われた先輩はげんなりする未来像だ。
「勘弁してくれよ、アッテンボロー。私は別に艦隊司令官になんて、なりたくもないんだから。大体、なれるはずもないけど……」
 なりたいのは戦史編纂室研究員……。最早、見果てぬ夢だろうか? 戦史研究科は廃止されても、将来、戦史編纂室までが廃止されるとは思えない。ヤンはまだ、希望を持っていたのだ。儚い“夢”かもしれないが。
 本当に夢でしかないのなら、いつまでも、軍に留まっているつもりなどない。
「年金が付くまで我慢したら、早々に退役するんだから」
「それって、かーなり贅沢な望みだって、本当に解ってんのかね」
 ラップがボソリと言う。こーゆー科白をサラッと言う辺りに、茫洋とした表情に騙される図太さを親友が持っているのだと再認識する。
「でも、十年も軍にいれば、ヤン先輩なら絶対にそのくらいまで、昇進しますって。ね、ラップ先輩」
「そうだなぁ。ヤン、その時は同期の誼で、俺も幕僚に招いてくれよ」
「ラップまで、何を言い出すんだよ。私の希望はよぉ〜く知ってるくせに」
 珍しく、唸るような声が出された。
 ラップとヤンは戦史研究科健在の在籍時からの付き合いだ。知らぬはずはない。無論、承知の上で揶揄っていたが、反面では本気かもしれない。
「しかしな、誰だって、長生きしたいだろう? なぁ、アッテンボロー」
「そうそう。ヤン先輩は部下を無駄死にさせたりはしない指揮官になりますから」
「その代わり、精神疲労で、私の寿命が縮んだら、どーしてくれるんだ!?」
 遂に悲鳴を上げ、二人を軽快に笑わせた。
 言葉遊びのようなものだ。無責任な冗談の範疇でしかなかった。
 少なくとも、今現在のこの場では──。

「随分と話が弾んでいるな」
「あ、キャゼルヌ大尉」
「お疲れ様です」
 一応、姿勢を正し、敬礼はする。休憩所や食堂では必要以上には形式ばらないという不文律もある。大体、それを抜きにしても、キャゼルヌ自身が階級や権威を笠に着るタイプではない。
「お前さんたちのシミュレーションが話題になってるぞ。全戦全勝だそうだな」
「いやぁ、それほどでも」
 こら、調子に乗るな」
 前途洋々たる青年士官は一番、年の離れた後輩の頭を掻く小突いた。
「しかし、何だな。俺も記録を見たが、ありゃ、他の候補生の参考にはならんな」
「確かに、この二人でなきゃ、できない戦法でしょうね。毎度のことですけど」
 それはそれで、褒め言葉らしい。少なくとも、アッテンボローはそう受け取ったようだ。
 そして、若い事務次長に先刻の話をしてみる。ヤンが慌てて、止めるのはものの見事に無視してのけた。
 キャゼルヌの感想といえば、「この顔触れじゃ、愚連隊にでもなりそうだな」というもので、後輩たちの苦笑を誘う。
「酷い言われようですねぇ」
「だが、言い返せないだろう」
 とは言うが、キャゼルヌは笑い飛ばしたりはしなかった。それだけ、評価しているのかもしれない。もっとも、事務次長たるキャゼルヌは候補生たちを評価する立場ではないが。
 ヤン・ウェンリー候補生の成績からすれば、多くの殆どの教官は『夢を見るな』と怒鳴る可能性の方が大きいだろう。
 それでも、未来の可能性は幾つもある時代だった。
 夫々にとって──……。



 瞬きもせずに、テーブルのグラスを凝視《みつ》めているアッテンボローは無表情に近い。
 普段はストレートに感情を外に表すだけに不安を覚えるが、キャゼルヌは特に促さず、後輩が話し始めるのを待った。
「……間違っていたんですかね? 俺たちは」
 漸く口を開いてくれたのにはホッとしたが、意味を量りかねた。
「ヤン先輩は…、本当は望んでいなかったのに、先輩を祭り上げて、押し付けて……」
「時代のなせる業──だったんじゃないか」
 冷たいのは重々、承知だ。事実なのだから。それはアッテンボローも理解しているはずだったが、
「時代のせいですか? 本当に? 本当にそれだけですかっっ。結局、それが先輩の命を奪うことにもなったのにっ!?」
 その一瞬だけ、様々な感情が彩りを帯びる。だが、次の瞬間には急速に冷え切ってしまう。
「……俺は、先輩に約束したんですよ。先輩のためにならないことは絶対にしないって──なのに」
 なのに、結果はどうだ!? 何が『ためにならないことはしない』だ。
 寧ろ、逆ではないか? 一番、してはならないことをしてしまったのではないか? 先輩《ヤン》が不本意なのを承知の上で、便乗したのではないか? 敢えて、強いたのではないか!?
 ならば、それはとんでもない裏切りだ。

「ヤンは何も考えていなかったわけじゃないぞ。予想より、余りにも早く事態《こと》が進んでしまったと零していたのは確かだがな」
 『動くシャーウッドの森』──艦隊を何のために、メルカッツ提督に預けたのか……。
「それに、お前たちが動かなければ、ハイネセンにいる段階で、ヤンは死を強制された。実際、間一髪だったろう?」
 ヤン夫人とシェーンコップが駆けつけなければ、アッテンボローや薔薇の騎士《ローゼン・リッター》が攪乱しなければ、ハイネセン脱出も難しかったのも事実だ。
 だが、それとても慰めにもならない。
「でも、結局、先輩は死んだんですっ。殺されたんですよ!? 事故や通り魔なんかじゃない。明確な殺意を持った連中に──そんな目に遭うような人じゃなかったのに! そういう立場に、俺たちが追い込んだんじゃないんですかっっ」
「それでも、あいつは戦った。そういう途を最後には選んだんだ。生きるために、自分の意志によって、だ」
 いつの間にか、両手をテーブルにつき、迫るように問い質してくるのには眉を顰《ひそ》めた。
 激情に駆られた様は一見、普段のアッテンボローに戻ったかではあったが、苛立ったような焦慮に彩られた瞳を見れば、そうではないのは一目瞭然だ。
 八歳の年齢差は伊達ではない。しかも、長い付き合いだ。
「大体、そういう考え方はヤンが何より嫌っていたはずだな。違うか」
 落ち着き払った言葉に、目を大きく瞠った後輩は立ち尽くし、次には膝から力が抜けたように座り込んだ。
 一個人の意志が表出しすぎることほど、ヤンが恐れ、疎んでいたことはない。それが己自身であれ、他人であれ──……。
 過去を後悔するのは、それに似ているのではないか? 自分の、自分たちのせいでと悔やむのは、
自分の考えや行動だけに理由を求めるのは傲慢ですらあると──……。

 座り込んだアッテンボローは蒼褪めていた。唇が微かに戦慄《わなな》いている。激情が失われ、表情が落ち着いたように見えても、混乱していた。混乱しすぎる余りに、表情に出せないでいるのだ。
 勿論、キャゼルヌも責めたわけではない。後悔ならば、キャゼルヌにもある。これまでの人生に於いても最も強烈な悔いが今でも、燻《くすぶ》っている。恐らく、生涯、消えることがないだろう悔いが……。
 もっと、警備に気を使うべきだったと。
 和平のための皇帝《カイザー》との会見はあくまで、政治的なものであると、エル・ファシル政府の要人たちに遠慮した結果、軍人の随員を減らした──そのために、彼らまでをも死に至らしめたのだ。
 ヤン艦隊から従ったパトリチェフも、ブルームハルトも、スールも、唯一人の人を護るために、それだけのために奮戦した。
 そして、随行員《かれら》は重傷のスールの他は戦死したのだ。それも、ほんの僅かな運の差が生死を分けただけであり、全滅となっていても不思議でもない。
 その甲斐もなく、護るべきヤンもまた凶弾に斃《たお》れた……。
 逆にいえば、ヤン・ウェンリーを殺すためだけに地球教徒は彼らを皆殺しにしたのだ。
 ある者には、そうさせる存在意義もあるのだと、ヤンに近しい者たちは必ずしも、正確には認識していなかった。
 それ故の行為と結果に怒りを覚えながらも、遥かに上回る後悔の念には誰もが苛まれている。そして、そんな後悔から生じる様々な負の感情に翻弄されている。
 キャゼルヌ自身、中《うち》に渦巻く感情を持て余してもいる。些細な切っ掛けで、鎌首をもたげ、暴れようとするのだ。
 どうにか静め、自分以上の混乱故、身動きすら取れなくなっている後輩を見返した。
「アッテンボロー、お前、泣いたか?」
「…………え?」
 視線が泳ぐ。反応はかなり鈍く、遅れた。

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 間が空いたなんてもんがないけど、久々です。同人誌の整理してますが、長年、未だに付き合っているため、『銀英』本がいっちゃん多い☆ 随分と懐かしい昔の本も読んでみたりして、やっぱり良いなぁ、と再認識したりしてます。
 何でも、再アニメ化だとか聞いたもので。最近、またまたスランプ気味でもあるので、勘を取り戻せたらなぁ、とリライト再開。

2015.11.18.

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