風濤碧落《なみたつそらに》


 意外に思われそうだが、深井零は特殊戦に回されてきたばかりの時のことを殆ど覚えていなかった。後に親友ともなる上官との会話も、愛してやまない乗機との出会いさえも……。
 どこの部隊でも馴染めず、盥回しにされた挙句の特殊戦入りだった。
 といって、彼は自分の境遇を悲観などはしていなかった。誰にも理解されず、疎まれ──だが、それ自体に頓着しなかったのだ。
 新しい部隊で、今度こそは上手くやっていこう、などという思いもなかった。当然、上手くやっていけるのか? というような不安など感じるはずもない。
 ただ、取り巻く状況を、変遷するままに受け入れるだけなのだ。

 新しい直属の上官たる特殊戦の総監は実に多忙な人物だった。オフィスに出頭したものの、暫く待たされた。無論、深井少尉は気にしなかった。待つことは苦にならない質だ。
 一方、時間に追われているらしい総監──ブッカー少佐は先に済ませるべき仕事を片付けていた。慌しく電話口に応対し、書類の受け取りにきた秘書官(准将付きの者だ)に渡し……少尉のことなど忘れてしまっているのではないかとさえ、思われた。
 但し、当の少尉は新しい上官の仕事振りに感心もしなければ、どう思われているかなどには露ほどにも興味もなかった。
 どれだけ待たされたのか、また新たな来訪者が訪れた。が、それは任務を終えた戦隊員達だった。深井少尉には同僚となるべき、ブーメラン戦士達だ。
 彼らもブーメラン戦士らしく、先客には全く頓着しなかった。
 オフィスの主たる少佐はそうでもなかった。部下達の無事な姿に、安堵の笑みを浮かべる。
『必ず還ってこい』
 ブーメラン戦士の出撃に際し、少佐は必ずそう言う。それこそが彼らの果たすべき任務で、帰投率100パーセントを誇る彼らに、少佐はくどいようにそう告げるのだ。
 十三番機の機長が改めて帰隊報告を行う。報告書の提出についてなど、通常のやり取りがなされた。
 後は解散──のはずだが、今回はそれだけでは終わらなかった。
「で、サミア大尉。ガルーダ初乗りの感想は?」
「噂に違わぬジャジャ馬振りというところだな」
「シルフはジャジャ馬か」
「気の荒いお姫様と言い直そうか」
 特殊戦の新機種スーパーシルフの開発にはブッカー少佐も深く関わっている。いわば、生みの親のようなものなのだ。貶されるのは我慢ならないのだろうか。
 十三番機B−13“ガルーダ”を操るサミア大尉は珍しく口許に微笑を浮かべた。彼は十分に新しい愛機を気に入っているのだ。
「ま、悪い機体じゃない。遠からず、手懐けてやるさ」
「そうでなければ、困るよ。大尉」
 息をつき、ブッカー少佐は二人に退出許可を出した。
 軽く挙手をしたが、サミア大尉は直ぐには退出しなかった。それどころか、驚くべき問いを口にしてみせたのだ。
「ところで、少佐。彼は?」
 大尉が顎で示したのは壁際のイスに座っている深井少尉だ。誰が入ってきても、全く動かず、忘れられても仕方がないほどに存在感がなかった。
 ブッカー少佐は目を丸くして、質問したサミア大尉を見返した。
 ブーメラン戦士が他人に関心を寄せることはまずない。
 サミア大尉もその例に漏れない。少佐自身とは大尉の特殊戦入隊以来の長い付き合いで──それもある種の偶然が左右しているのだろうが──友人と呼んでも差し支えはないのだが、他の戦隊員との没交渉は相変わらずだ。

 だが、
「彼はパイロットか。それとも、フライトオフィサか」
 ブッカー少佐は苦笑しかけて、やめた。何のことはない。大尉が関心があったのは、深井少尉自身ではなく、その任務だったのだ。
「……深井少尉はパイロットだよ」
「そりゃ有り難い。これで、少しはローテが緩くなるかな」
 今回の再編で、何人かの戦隊員が抜けて、残った者への負担は大きくなっている。獲得できた新隊員を早々に任務に投入しなければ、それでなくても過酷な特殊戦の任務を熟すことは難しい。
 パイロットが一人増えると知ったサミア大尉は上機嫌だ。つい、相棒に軽口を叩く。
「残念だったな。中尉」
 フライトオフィサのンムド中尉は無視できずに舌打ちをした。相棒だけでなく、時には他の戦隊機のフライトオフィサも務めなくてはならない現状は一刻も早く解消して貰いたいのだろう。
 腹立ち紛れにか、中尉は不穏なことを言った。
「直ぐに追い出されるようなことがなければいいがな」
「不吉なことを言うなよ」
 窘めたのは総監だった。現に、特殊戦に配属されたはいいが、技量不足やら適性に問題有りやらで、一月と持たずに隊を去った者も多いのだ。
「全くだ。こればかりは祈るしかないがな」
 サミア大尉はチラッと深井少尉を見遣ったようだ。
 自分が話題にされているのにも特に反応せず、何を考えているのか、何も考えていないのか──彫像のように動かない。
「序でと言っては何だが、中尉。深井少尉の初フライトには、君がフライトオフィサを務めてくれないか」
 正に序でのように、ブッカー少佐はンムド中尉を見た。
「私がか」
 迷惑そうな素振りを隠そうともしない反応にもめげることはない。それでは、彼らブーメラン戦士を統括する総監なぞ務まらない。
「当然だが、スーパーシルフは他の戦闘機とは別物だ。初フライトともなれば、戸惑うことも多いだろう。まだ少尉と組むべき専任のフライトオフィサはいないのが現状だ。特殊戦《うち》でも最高のフライトオフィサをつけてやりたい」
「…………」
 最高のフライトオフィサなどと高く評価されても、煽て《おだて》にしか聞こえない。無論、自身の能力には相応の自負があるが、彼は特殊戦のフライトオフィサ連ではまだ若い方だ。より経験豊富なフライトオフィサは他にもいる。
 察するに、その辺にも粉はかけてはみたものの、すっぱりと断られたのだろう。
 中尉も面倒を押し付けられるのはゴメンだった。だが、無下に断るわけにもいかないのは、最後には後々の自分達の任務にも影響があるからだ。
「任務ならば、了解した」
 眉根に皺を寄せたまま、ンムド中尉は承諾した。
「有り難い。では、そのようにスケジュールを組む」
 用は済んだとばかりに、今度こそ、退出していくンムド中尉。後に続いたサミア大尉はもう一度、振り返った。
「少尉は何番機に乗るんだ。開いているのは三番機と……」
「その三番機の予定だ。それがどうかしたか、ジョージ」
 つい名で呼んでしまったのは、大尉が今度こそ、深井少尉に多少の関心を見せたからだ。
 だが、大尉は特には答えず、
「じあゃな、少佐。そろそろ、少尉の相手もしてやれよ」
 手をヒラヒラさせて、退室した。
 後に残されたブッカー少佐はポカンと見送った後、慌てて深井少尉に向き直ったものだ。
 相変わらず、茫洋としたまま、座り込んでいる少尉は幾度かの呼びかけで、漸く少佐の方を見たのだった。





そんなことがあった……だが、忘れていたわけではない。
最初から、覚えてもいなかった。
なのに何故、今、そんな情景が蘇るのだろうか。



 夢を見続けている。そんな感覚だった。
 最後の記憶は愛機から放り出されたものだ。
 だから、コクピットにいる自分は夢でしかないと思えたのだ。
 だが、しきりに鳴り響く警告音は非常に現実味を帯びていた。
 更には後席からの切羽詰まった叱責も……。
「零っ。いい加減、目を覚ませ!」
 深井零中尉は漸く現実へと立ち返った。
 その現実の渦中、彼は“雪風”の機上にいた。シルフではない、生まれ変わった“雪風”──FRX00の機上に。
 後席には総監であるブッカー少佐が直々にフライトオフィサ役を務めている。それだけでも、ただの任務ではないとは窺い知れるが、そんな“雪風”は今正に危機の真只中にいた。
 ディスプレイには敵機を示す光点が三つある。その脅威を前にして、機体には機速制御に異常が生じていた。出力が上がらず、エンジンにも負担がかかっている。
 ただ、原因は判明っていた。でありながら、そのまま出撃せざるを得なかったのは──十三番機“ガルーダ”のためだった。“ガルーダ”は新たなパイロットを得て、任務についている。問題はそのパイロットにあったのだ。

 とにかく、機体の異常を何とかするのが先だ。
「まるで、博打だな」
 敵と接触するまで、対処もできない上に、眠り姫のパイロットに操縦桿を握らせて──一つ間違えれば、貴重な機体と総監諸共、あの世行きではないか。
「せっかく、雪風に乗れたのに、お前が目覚めないはずがない。それより、早く十三番機を、ガルーダを追え」
 機体異常はともかくの応急処置で、正常に戻した。あくまでも、応急ではあるが。
 一気に加速し、忽ち、ディスプレイ上の光点は消えた。
 入れ替わるように前方に二つの光点が現れた。やはり敵である表示《サイン》だ。
 一つはジャム機。だが、今一つの正体は──、
「ガルーダ……。やはり、矢頭少尉はジャムか」
 ブッカー少佐の声は呻きそのものだった。
 前任のサミア大尉が戦死し、乗り手を失った“ガルーダ”のために何とか他部隊から補充した新任パイロットの正体がジャムとは!?
 それはブーメラン戦隊の人手不足云々を超えた問題だ。
 未だ、正体の知れない敵ジャムが人間そのものの姿をした兵器を送り込んできたようなものだからだ。しかも、その見極めは非常に難しい。
 疑えば際限《キリ》がないが、特に、戦闘中に撃墜され、脱出したが、時を置いて救出された者などが怪しいことになる。現“ガルーダ”のパイロット矢頭少尉も正にその一人だった。
「矢頭少尉?」
 深井中尉が眠り続けている間に特殊戦に着任し、機上で目覚めるこの瞬間まで、知らぬ名前であるはずだ。だが、深井中尉には記憶があった。矢頭少尉が何かを語りかけてくる、そんな情景が蘇ってくる。
 ジャムの兵器でありながら、恐らくは、そんな意識など持っていなかったのではないかと思える青年の姿が……。眠り続ける深井中尉に、ブーメラン戦士らしからぬ親しみを見せ、矢頭少尉は確かに何かを話しかけてきた。

 だが、その彼が操る“ガルーダ”は“雪風”に対し、攻撃態勢を取った。今も、彼にはジャムとしての意識はないのだろうか。それとも……。
「零、迎撃しろ」
 ブッカー少佐の命令がやけに冷酷に聞こえる。
 目覚めたばかりの深井中尉の体力では戦いが長引けば、不利になるのは目に見えている。しかも、応急で宥めた“雪風”の異常もいつ再発するかも知れないのだ。
 迷っている暇はない。
〈──迷っている。俺が?〉
 命令に反射的に迎撃準備を整えながらも、心の片隅では自身への疑問が湧く。
 敵がジャムであれば、迷う必要などない。迷った覚えなどもなかった。
 たとえ、人の姿をしていても躊躇しない。自分自身と相棒のコピー──あれこそがジャムだった──相手でも、銃弾を叩き込んでやった。

 なのに、何故?

 既に敵対の姿勢を隠さない矢頭少尉がジャムの手先であることも疑いない。彼は“雪風”を攻撃するつもりでいるのだ。
 降りかかる火の粉は払いのけなければならない。如何なる手段を使っても……。
 今まで、そうやって、生き延びてきた。
 “雪風”もまた、警告を発し続けている。僚機であるはずの“ガルーダ”を敵と認定し、ロックオンする。早く撃て、ジャムを撃て──そう言っているようだ。
 撃たねばならない。だが、トリガーにかかった指は固まっているようだ。
 “ガルーダ”とジャム機が迫りくる。

 夢のように靄がかかった世界で話しかけてくる矢頭少尉の顔が浮かぶ。
 そして、場面が切り替わるように、もう一人別の顔が……。
 碌に話したことなどない相手だった。
 忘れる以前に、覚えてもいないはずの光景がフラッシュバックする。

「零! 撃てっ」
「しかし……ジャック。本当に良いのか」
「何を言っている。これ以上、近付けば撃ってくるぞ」
 さすがに少佐も焦りを抑えきれずにいるようだ。“ガルーダ”の武装は短距離ミサイルとガンのみ。距離がある内に中距離ミサイルを放てば、格闘戦にならずに済む。
「だが、あれは──ガルーダだぞ。サミア大尉の、ガルーダなんだぞ」
「──零?」
 焦りも恐れも忘れて、後席の親友は絶句したようだ。
 無理もない。深井中尉自身が驚いていた。
 他のブーメラン戦士との交流などあるわけもなく、戦隊機のことも“雪風”以外は気にも留めていなかったものを!
 だが、深井中尉とは関係はなくとも、サミア大尉がブッカー少佐にとってはやはり友人だったことは知っていた。その大尉が育て上げたのが“ガルーダ”だ。
 それを、ブッカー少佐が撃墜しろと言う。躊躇いが生まれるのは、それ故だろうか。
「……零。ジョージは、もういない」
 搾り出すような呻きそのものだ。
 そう、彼は死んだ。今、深井中尉が座る、正にそのコクピットで──“雪風”の機動のための頚椎骨折により、戦死したのだ。

 一際高い警告音が響いた。こちらもロックされたようだ。
「零! ガルーダは既にジャムに汚染されている可能性が高い。このまま、基地に戻すわけにはいかないんだ」
 “雪風”を排して、帰投し、何事もなかったように戦術コンピュータとリンクされれば、特殊戦だけでなく、FAF全てのコンピュータが汚染される恐れもある。
 既に正体は割れたのだから、着陸を許さなければ、基地を攻撃するだろう。少なからぬ被害が出ることは明らかだ。
「く……」
「撃て、零。……ガルーダを、ジョージのところへ送ってやれ」
 妙な論法に走る親友に、その苦渋を思う。

 人間と、戦闘知性体とが、同じあの世やらに逝けるのだろうか。
 そして、ジャムの逝く先は?

 深井中尉は、トリガーにかけた指に力を込めた。

(6) (8)



 愈々、クライマックスか? 『戦闘妖精・雪風』小説第7弾です。
 既にサミアは戦死(事故死?)してますが、回想に登場。ンムド中尉も一応、原作キャラのFOです。何番機の、という指定描写はなかったので、やはり不明なままの十三番機専属になってもらいました。

2005.11.03.


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